1. INTERVIEW │ インタビュー
  2. #66:小説は人生そのもの │ 高..
2022-06-14 42:05

#66:小説は人生そのもの │ 高橋源一郎さん(小説家)

▶︎本パートのインタビュー映像

【小説は人生そのもの】
毎回井戸を掘るようにして、自分の中にあるものを出し切る。
スランプはうまくいっている証拠とお話された小説家の高橋源一郎さん。

アイデアを出し切ると、次の創作意欲が生まれてこないのでは?と
不安になる方もいるかもしれません。

【プロフィール】たかはし・げんいちろう/1951年生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で群像新人賞長篇小説賞を受賞しデビュー。三島賞、伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞他各賞を受賞。『『ことば』に殺される前に』他多数。

この30年の小説、ぜんぶ
『ことば』に殺される前に

【高橋源一郎さんへのインタビュー】
Talk.1 他の読み物とは違う小説の価値 〈6月6日(火)公開〉
Talk.2 小説は人生そのもの 〈6月13日(火)公開〉
Talk.3 戦争を知らなくても戦争小説を書ける理由 〈6月20日(火)公開〉
Talk.4 これからの時代、最も必要なこと 〈6月27日(火)公開〉
再生リスト

Spotify(音声/毎週お気に入りの楽曲も流します)
▶︎早川洋平のお気に入り楽曲再生リスト
Apple Podcast(音声)

【目次】
OPトーク
高橋源一郎の文体
エモすぎる 江藤淳『小林秀雄』
詩を書けないと思った理由
『さようなら、ギャングたち』誕生のきっかけ
小説を書き続けること
当事者として書くことについて
EDトーク

ポッドキャストブランディング講座
・映像よりも手軽に。あなたの発信を待っている人たちが世界中にいる。

「会う力」養成講座
・映像コース:早川洋平のコンサルティングを受けたい方へ
・音声コース:リーズナブルに学びたい方へ

ニューズレター(早川洋平のエッセイ・最新情報をお届け)

▼【聞き手・早川洋平プロフィール】
はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

▼【ナビゲーター・堀真菜プロフィール】
ほり・まな/現在、早稲田大学4年生。
コロナウイルスの流行により、人と会いづらくなったことを機に、zoomを通して色々な人の話を聴くことを始める。1年間で200人以上にインタビューを行い、聴くことの魅力に目覚める。
現在、勉強を教えない塾福幸塾と提携し「思考と対話の技術」の提供をする他、学生・若者向け対話サービス『workin’ talkin'』を立ち上げるなど、対話、インタビューを通じて様々な事業を展開している。プロインタビュアーとして実績を積むため現在奮闘中‼︎
https://koushiro123.wixsite.com/manaroom

▼関連キーワード
#高橋源一郎
#この30年の小説、ぜんぶ
#河出書房新社

Videographer/Editor : Kimi

00:01
こんにちは、堀間奈です。
インタビュー、この番組はYouTubeとポッドキャスト、各プラットフォームよりお届けしています。
YouTubeのチャンネル登録、ポッドキャストの各番組のフォロー、皆様よろしくお願いいたします。
そして早川さん、今回もよろしくお願いいたします。
今日は6月14日ということで、また例のごとく今日は何の日サイトをチェックしてきたんですが、
今日はなんとっていうほどでもないんですけど、世界献血デーらしいです。
そうなんですか、なぜ?
血液型を発見したとされる人いるじゃないですか、A型、B型。
その生物学者のカール・ラントシュタイナーさんという方がいるんですけど、
その方の誕生日が今日だから、絶望的十字架が決めた、連名が決めた日が今日ということらしいですね。
献血で私思い出したというか、私結構献血が好きで。
献血が好きで面白いです。
献血が好きで、なんか昔からよくちょこちょこ行ってたんですけど、早川さん行かれたことあります?献血。
1回か2回ありますね、学生時代。
やっぱり学生時代ですね、何歳ぐらい?大学生とか?
大学生だと思いますね、20歳前後だと思いますね。
私の初めての献血デビューが高校生の時に、献血ができる年齢になった時に学校からチラシが来て。
年齢なんてあるんだ。
そうあるんです、16歳、17歳とかそれぐらいだったと思うんですけど、
その時に私献血とか語弊を恐れずに言えば、注射が別に嫌いではない部類だと。
友達にも似たような子がいて、放課後一緒にカフェ行く、サイゼリア行くみたいなノリで、
今日放課後献血行こうか、みたいな感じになってそこから献血に行って、
だから結構通ってたりしたんです。
通うってすごいね、献血に通うって聞いたことない。
頻度は何ヶ月に1回とか決まってるから、そんなに頻繁に行けるわけじゃないんですけど。
最近の献血ルームってめちゃくちゃ充実してるんですよ。
マッサージあったりとか飲み物出たりとかそういう感じ?
そうですそうです、もうカフェのようにくつろげるのはもちろんですし、
もちろんなんだ。
もちろん、そこはもう当たり前というか、
デフォルトね。
デフォルトであって、あとハーゲンダッツが出るところも一時期、
今はやってるのかわからないですけどあったりとか、
あと私のおすすめが東京スカイツリーの空町の10階にある献血ルーム。
あーなんか聞いたことあるな、あれ俺マナさんから聞いたかな、なんか聞いたことある。
そこがすごい良くて、何が良いかって、景色がもちろんめちゃくちゃ良いのと、
飲み物も普通に無料の飲めるものっていうよりはもうスタバのような、
03:00
なんかカフェのようなオシャレな飲み物が出てきて、
あと注射さす人もうまいですし。
今日が6月14日、世界献血デーということで、
皆さんちょっと献血1回行ってみてはどうですか?なんてインタビュー記録ですけど、
よく分かんない感じになっちゃいますけど。
でもほら、俺も1回か2回しかやったことないけど、やっぱりほら、なんかそういうね、ある意味、
物でとかね、それで釣られてみたいに言う人もいるかもしれないけど、
でもやっぱりそのくらい逆に言うと、ほら多分血が足りないわけで、
それで助かる命とかね、あれもあると思うので、
やっぱりどんな形でも、僕も全然最近言ってないですけど、
なんかね、必要なことだと思うし、なんか素晴らしいなと思いつつ、
せっかくのいい話に水さすわけじゃないですけど、
僕その大学時代献血って衝撃的だったのは、
自分でずっとO型だと思ってたんですけど、
その献血行ったらB型って言われてですね、
俺本当のうちの子じゃないのかと思ったんですけど、
俺はBBだったので、BでもOでも良かったんですけど、
なんかね、今、マナさん自分の血液型知ってる?
はい、知ってます。O型です。
ほんと、今さ、あれなんだよ。
だからその時になんで血液型が違うんだろうと思ったら、
やっぱり変わっちゃう、変わっちゃうというか、
生まれた時とかって、ごめんなさい、これ続説なんで、
正しく裏取ってないんで、あくまで続説ですが、
小さい生まれた直後とかに血液型取っても変わっちゃうらしい、
変わっちゃう、安定しないらしいの。
血液型って変わるんだ。
変わるというか、多分安定してないの。
だから俺多分Bだったけど、多分ちゃんと出てなかったっていうのは、
まあ続説なんだけど、ただそれを証拠に、
これお子さんいる方わかると思うんですけど、
うち子供いますけど、誰も血液型聞かないですよ、生まれても。
教えてもらったことない。だから未だに知らない。
じゃあ今の知らないとかいう子って、
もともと教えてもらってないからっていう。
そう思いますよ。
で、あとは、これも続説なんですけど、
ただ結局、事故とかさ、本当に必要になったら
どっちにしてもその場で調べるらしいから、すぐわかるみたいだから、
それで血を流血したりとか、必要みたいな。
だから今話、せっかくマナさんの話がいたんで思いましたが、
大事なのは血液型を知ることより研究することかもしれないです。
そのきっかけが血液型を知りたいでもいいかもしれないです。
逆にね。
いいかもしれないですね。
てな感じで今回も本編に入ってまいりたいと思います。
今回は前回に引き続き、高橋玄一郎さんのインタビューの第2回です。
私これちょっと気になったんですけど、
インタビュー中、机の上にめちゃくちゃ本いっぱい並べてあったじゃないですか。
あれは早川さんがご持参されたものなんですかね。
ご持参したものです。
あれはどういう基準でセレクトしたというか。
06:00
あれ自体の本がね、ただ机散らかってるだけみたいになっちゃったんでね。
すいません、YouTube視聴された方に混乱したかもしれないですけど、
あの中にですね、当然高橋玄一郎さんが今回ね、
この30年の小説全部とか、
キンチョも結構置かせていただいたりもするんですけど、
高橋さんがやっぱり、マナさんもこの30年小説全部読んだかもしれませんけど、
当然この本の中でもたくさん高橋さんがさ、
勧めてる本だったら。
あと高橋さんは全部小説好き、本好きなので、
いろんなところでいろんな本紹介してるわけですよ。
なので、たまにやるんですけど、
たまにその方の著書をね、
かなり感じのものを机とかにバーって並べて、
お話し伺うことはあるんですよ。
それはやっぱりその取り上げる本だけじゃなくて、
そのいろんな本から置くことによって話がある。
引き出しがお互い出てきて、
インスピレーションが湧いたりみたいなこともあるんですけど、
今回もその一環ではあるんですけど、
単純に高橋さんが上げてた、
高橋さん以外の本なんかも結構置いててですね。
本編の中でも出てきますけど、
最近すごく売れてる、
同志少女敵を打てとかね、小説で、
その辺の本を置いてたら、
その辺の本の話も季節して出てきましたし、
めちゃめちゃ正直、
10冊、20冊ぐらい持っててめちゃくちゃ重い。
それだけのために僕、機材は別ですけど、
それだけのためにスーツケース持ってって、
果たしてある意味役立ったのかというとわからないんですけど、
でもそういうやりすぎというかバカみたいなことも、
実は何がどう膨らむか分かりませんから、
なので実際すごい触れた本がそんなにあるわけでもないんですけど、
そんな感じでちょっと皆様にはですね、
なんでこの人こんな机散らかってるんだと思ったんですが、
思った方もいるかもしれませんが、
高橋源一郎さんの名誉のためにお話すると、
あれ全部僕が散らかしたんです。
なんかこの30年の小説全部が、
そもそもその本を机の上に、
高橋源一郎さんと斎藤さんと、
あと編集者の方が15冊ずつ選んで、
語り合うみたいな流れの本だったじゃないですか。
だからインタビューの空間も、
そんな感じの本があることによって、
その本を通じて語り合うみたいな空間になってて、
それも非常に面白いなって思ったので、
そんなところを楽しみつつ、
皆さん今回も見ていただければと思います。
それでは高橋源一郎さんのインタビュー第2回をお聞きください。
なんか今すごいめちゃめちゃ面白かったですね。
やっぱり以前、高橋さんが柴田本幸さんかわかんないですけど、
なんか色々対談されてた時に、
文体を自分はあんまりなくて、
むしろ出さなくてもいいみたいにおっしゃってて、
なので今のところも通じましたし、
だから声、一つの文体で一つのキャラなんですよ、感じとしてね。
その私、僕、俺使いますから。
確かに。
今回どれにしようかって感じですよ。
あのね、私っていうと普通、
俺はちょっと攻撃的な時ですね。
そうですね。
僕は子供っぽい、少年っぽい時。
09:02
あと僕高橋っていうの使うんですよね。
なるほど。
第三者的に見る時は。
面白い。
で、それは書きたい内容に合わせて文体を、
文体っていうか、至極ですよね。
だからその中でもまた当然、私でも、
私はです、私はだ、俺はだぜからさ、
色々あるでしょ。
何通りでも書き分けられて、
その時の主体の在り方は違いますよね、みんな。
ハイドみたいですね。
そうですね。
それに、
それそうですよ。
それすごく大切なところで、
こういう感じで書こうと思って、
最初に文体決めるんですよ。
最初に決める?
うん。
それに合わせて内容が決まっていくので。
それをもう、それこそここにね、
さよならギャングたちもありますし、
他の小説いっぱいありますけども、
最初から結構意識的にそういう感じだった?
そうですね。
デビュー前までに、
いくつか試してたんですよ。
全部文体違うんですよ。
それで、なんかこれじゃないなとかね。
それで、これデビュー作になったんですよ。
つまり、これでもいいんだって感じだったんです、その時は。
さよならギャングたちを書いて、
一番びっくりしたのは自分で、
つまり、こういう文章にするとこういうことが書けるんだって。
自分が書いてるって感じじゃないんですよ。
こういう文章で、僕が書くとこういうことが書けると。
違う文章にすると違うことが書けるんだっていうのが最初にもっと。
そういう意味では、
自主性とか主体性っていうのは、
最初からあまり重視しなかったっていうか、
僕の中ではどっちかって排除すべきもの。
僕がデビューが30になったら、そもそもその辺の処理が。
普通に書くじゃないですか。
16、17ぐらいの時に書いてたんです。
21、22ぐらいまで書いてたんですよ。
その時はね、割と自分と書いてるのが一致してる。
なるほど。
私が書いてこう。
なんかね、変な感じだったんですよ。
自分で読んで格好悪いっていうか、生きてるなとか。
その書いてる主体と自分が一致してると思い込んでる感じが嫌だよね。
なんか熱いしてるじゃないですか、書いてる中身が。
なんかダサとかね。
それ自分だと本にしてないんですけど、
21、22ぐらいに友達と雑誌をやってて、
4、5ぐらい雑誌出したんですよね。
そこは評論書いてたんです。
タイトルがね、初期とは何かっていうタイトルで評論書いてたんです。
基本的には絵と純論なんですけど、
これがものすごく文章凝って。
僕が書いた一番美しい文章、それなんです。
絵と純の評論で五倍資料っていうのがあるんです。
これ読まれた方はわかると思うんですけどね、
絵と純の中で一番エモいの。
12:00
もうね、エモすぎてやばい。
僕結構それが好きで、僕絵と純好きなんですけど、
僕は吉本隆さんもめっちゃ好きなんですけど、
本当に好きなのは絵と純で。
絵と純さんは、僕欠陥、欠点があったと思うんです。
やっぱそれはね、エモすぎるんです。
それが逆に欠陥?
隠してたんですけど、
特に最初の頃の五倍資料は出ちゃった、全面的に。
もうね、歌う歌う。
評論なのにね、歌ってる。絶賞。
もうね、女上司だって。
これが好きで、まだもう江藤さん若い子ですかね。
多分20代後半とか30くらいで、天才だからね、書いて。
僕それに憧れて、自分年齢近いし、
そういうの書いた。歌う歌う。
で、それ4回ぐらいやって、ある日、突然恥ずかしくなってですね。
中身ないんですよ。
いやいや、分析は小川邦夫とかね。
小川邦夫の、絵と純論なのにずっと小川邦夫のこと書いてるってよくわかんない。
一個一個分析してね。
その行について、歌うようにエモい文章を書いていくっていう。
自己満の極知ですね。
ある日突然、これはやばいんじゃないかと思って。
僕はどこへ行こうとしてるんだろう。
それは22くらいですかね。
それで書くのやめたんです。
美しい文章を書く評価になりたかったんですね。
多分22くらいの時は。
絵と純論小林寺みたいな。
やっぱりそこでちょっと危険信号が鳴り響いて、やばいぞ、これは。
そっからだから8年ぐらいか。
書くのやめたんです。
その時は詩もめちゃめちゃ好きじゃないですか。
詩はすごい触れてたり、詩を書いたりとか逆に。
詩は書いてないです。
詩は書けないと思ったんで。
ただ、ここはたぶん現在史って、詩と批評がセットなんですよ。
今は違うんだよね。
だから60年代っていうのは、詩を書くのと同じぐらい意味が、詩の批評を書くことになった。
だから、詩の批評を書くことがかっこよかった。
なるほど。
今なんかなんだか全然わかんないでしょ、意味が。
当時は詩人に匹敵するぐらい有名な詩の批評家が北川徹さんとかね。
吉本さんも書いてましたし。
だから優れた詩人と優れた詩の批評家がセットになって。
で、その形って実は大江堅三郎と江藤一雄とかね、みたいな。
あのうちの唐谷康二と中上健一。
昔言うと中原忠也と小林次郎みたいな。
そういうのに憧れてた。そういうのが日本の詩の歴史なんだ。
で、自分詩書けないから、セットの批評家の方になろうと思って。
そういうことなんですね。
その詩人が誰かいないかなと思って、自分書けないから。
セットの相方。
相方。で、僕の友達はすごい優秀な詩人がいたんで、ちょっと仮想の。
15:04
こいつらちょっと有名になると思って。
そういうことを書いて、僕人生設計だったんですよ。20代。
それはもう本当に今後付けで言ってるわけじゃなくて、そういうのをちゃんと分かって。
そういうなんかね、友達がそういう人、そいつらがなるか。
まあでも同時代になるかが出てきて、それについて自分が小林一雄とか江藤一雄とかみたいな評論を書くっていうイメージだった。
20代。
自分の文章、間違ってないはずだった。江藤一雄みたいだし。
なんかおかしいぞと思って。
そもそもまだ出てきてないし。
勝手に批評書いていいんでしょうかとかね。
それも含めて、なんか恥ずかしいよな、これ書いてるの。
と思って、8年ぐらい。
さよなら山本さんが書いた時に、死と批評なんですよね。
そうか。
すごいラフに落ちる。
詩人を待ってたら、その詩人が出てこなくて、その部分自分がやればいいと。
なるほど。
とすると死と批評じゃないですよね。
これって小説でできないかって。
これ死と批評なんですよ。
でしょ、詩人が出て。
そうですね。
死と批評の本なんですよね。
それは小説でできるってことを発見した。
デビュー作ですよね。
発見とか発想って後から考えるとその通りなんですけど、やっぱりこれは試行錯誤があって、そんなことはこの直前まで思いもしなかった。
いろいろ文体を書いて。
前の作品があって、そこまで全然違う作品だったんですけど。
で、次に書くと思った時に、突然、僕って死と批評を書きたかったんだって。
そのことってまだ書いてないよなと思って。
これ小説になるんじゃないかって思った。
そういうことなんですね。
これは自分が10年前に考えていた死と批評の完成形。
一人でやればいい。
小説家になりたかったっていうのとちょっと違いますね。
違いますね、そういう意味では。
僕の宿題は10代の頃から僕が影響を受けた死と批評っていうものに決着をつける。
どう来たらいいかわからないですよね。
死の批評を書けばいいと思ったんですけど、どうもそれじゃないみたい。
つまり、読む人がいないんですよ。
そもそも死と批評がセットでしょ。
対象のすべき詩人がいないのに批評を書けないじゃん。
一人じゃそうですね。
と思って、それは中断したんです。
それで別に何を書かなきゃっていうことで小説を書き出したんです。
その小説を書き出した時は、死と批評のこと忘れてたんですよ、実は。
それで何を書かなきゃっていうので、詩は書けないし批評も書きなくなったので、
18:00
小説かなと思って書いていって、この作品の直前になって、
これは試作品が2つ、3つぐらいあるんですけど、
この小説を書く直前にようやく全部のことがクリアになって、
試作をしたので頭もすっきりして、書く練習もして、
やっと書ける準備ができた時に、さて何を書こうかって思った時に、
あ、詩と批評って宿題だったよね。
その時に書けると思ったんですよね。
詩と批評が小説で書けるなと。
もうその瞬間にできたって感じですね。
これ設定はキチガイピエロなんです。
見たらわかる、中身全部完全にキチガイピエロなんです。
誰も気づいてくれなくて、すごい傷ついたんですけど。
お話の骨格は女の子と似てて、ジャングがいてっていうのはキチガイピエロ。
あの話好きだったんで、あれをベースにしたお話を書こうと。
ただ、主人公は詩の朗読はするけど、ペルディナーは詩人じゃないんですよね。
これ詩人にしちゃったらいいのかなと思ったら、
あとはね、全然楽勝で書けましたね。
そうなんですね。
あんなに書きやすかったりしないですよね。
いくらでも書ける、溜まってたんですよね。
そういう意味で書きたいことがね。
そういう意味では、その後も当然小説たくさん出してますけど、
高橋さんの中ではずっとある意味そういうスタイルなんですか?
だからやっぱり、すごく簡単に言うと、書きたいこととか書こうとすることは毎回違ってくるんですよね。
この辺り一本井戸を掘るじゃないですか。
で、掘って、まだまだあるわと思って。
だいたい3本ぐらいで井戸枯れちゃうんですね。
それで井戸をすると。
で、別のとこでまた穴を掘って。
っていう風にして、場所を移しながら書いていく。
どうもね、そうやっているうちに、最初の井戸とかね、ミス戻ってるらしいんですよ。
やっぱりちょうど伺うと、何年か10年20年経ったら戻ってることがある。
それは全部組んじゃうと、後からまた流入していくんですよね。
面白いですね。
だからね、組み尽くした方がいいんですよ。
むしろ。
もったいな書いて残すんじゃなくて、全部組んでカラッカラにすると、
そっから離れると、しばらくすると溜まってますよ。
これはもうこれ見てる人、やっぱり物書きになりたいとかやってる人も多いと思うんですけど、
それはある意味誰しもそうですか?
基本的にみんなそうだと思います。
だから僕言ってるんですけどね、スランプは上手くいってる証拠です。
ラジオでも愛坂トーマさんにも言ってましたね。
21:00
掘るでしょ?書けなくなると普通はね。
そしたらね、チャンス到来です。
そこで移動する。
なるほど。
でね、掘れてるうちはダメなんで、まだまだ残ってるから。
ってことですね。
残念だけど、そこで掘るしかない。
スランプ完敗ですね。
もうスランプが来たら、次のステップに行ける。
で、やっていくと、いくつか井戸を掘っていくと、
そのうち前の井戸が水溜まってるんで、
すごいね、キープ力が出てくる。
移動すると、あの井戸とあの井戸で多分もう水入ってるからって。
わかるんですね。
でももうこんなんはいいやって別に言って、
ちょっと新しいとこ行ってくるけどっていう感じ。
そういう意味では不安ないですよね。
ないですね、生きてるから。
素晴らしいですね。
だからその発想ですね。そう考えると不安はないし。
そうですね。
いつ枯れるんだろうとか思うと不安になる。
確かにそうですね。
なんかね、面白い話をね、うちの妻から聞いてね。
心理学者か何か人が言ってて、すごい名言だったんで、
もう私これでいくとかって。
心配することの98%は怒らない。
聞いたことありますね。
そんな本のタイトルもあった気がする。
だからね、そういうもんですよ。怒らない。
たまに怒るけどね。
それと一緒で、心配しだしたらそれはね、
明日書けなくなるかもしれないとか。
そりゃそうですよ。
でもそれよりも別のところに行って、
まだ書けることがあるっていうふうに思う。
それは作家だけじゃなくて、
だっていつ死ぬかわかんない、極端なこと言ったら。
明日。
でも明日死ぬかもしれないから怖いから、
家理事として言ったらおかしいでしょ。
そうですね。
生き方として。
しかもそれで死んだら最悪ですね。
それでさ、だから余談でもあるんですよ、恋人がいると。
裏切られるかもしれないから付き合わないとかさ。
そんなこと言ったらね。
息したらなんか空気に入ってるかもしれない。
っていうふうにしていくのは、
やっぱり人間として良くないですよね。
人間が持っている可能性を自分から閉ざすことになるんで。
そうすると別の意図があるっていうふうに思った方が楽しいでしょ。
確かに。
小説だけじゃなくて人生そのものに言えそうですね。
小説は人生そのものなんですよ。
なるほど。
そもそもね、存在様式。
小説を良きものにするっていうのは、
人生を良きものにするっていうことですよ。
だからポジティブにならざるを得ない。
ポジティブになるのが義務。
義務ですね。
ありがとうございます。
この中でいろいろ伺いたいことはあるんですけど、
やっぱりちょっと1点聞きたいのがですね、
282ページに当事者として書くこと。
24:02
あってですね、戦争の記憶っていうインタビューを戦争対決者の方にもう10年ぐらい色んなところで聞いていて、
続けて、やっぱりこの中にも原一郎さんが、
戦争総括するのはもしかしたら当事者。
当時出生していた人ではなくて、もう少し若い人たち。
むしろもう出生者はいないっていうのもあるんですけど、
方がいいのかも…っていう部分が、
もちろんこの中でその理由書かれてるんですけど、
やっぱり非常に興味深くて、
改めてその辺をなぜ高橋さんがそう思うのかなっていうのを詳しく伺いたい。
僕、最近の一番大きいテーマはそれですね。
7月に楽しい知識の2が出るんですが、
これがタイトルはですね、
僕らの戦争なんだぜということで、
戦争論です。
戦争論を総括するということで、
例えば、戦争を語り継ぐことは不可能だろうと。
何年前かにプルイチノリトシさんの
誰も戦争を教えてくれなかった。
あれすごくいい本で、
あれは戦争を未体験者というか、
非経験者。
だから、戦争を知らないんでいいんだって話なんだよね。
戦争を知らないっていうことをベースに生きるという。
もうなかなか素敵な。
つまり、戦争体験を語ることが
ある時から特権化してしまった。
つまり、聞かなきゃいけない。
聞かなきゃいけない話なんていうのはこの世にないです。
ない。
つまり、必要があって聞くんだよね。
そうですね、確かに。
必要がないけど、いい話だから聞けって言われてもさ、
関係ない。
関係ないっていうのは僕は非常にいい言葉だと思ったんですよ。
戦争っていうのは非常に大きい出来事で、
戦争体験っていうのは聞かなきゃいけない、
正しい言葉の筆頭みたい。
関係ないっていう気持ちもある。
普通あるでしょ。
僕それを思ったのは、
僕は1951年生まれたので、
母親が昭和20年に20歳です。
父親が昭和20年に26歳。
その上のおじさん2人は戦死しています。
うちは戦争に深く関わっている家なんですが、
僕は戦争の話を聞くのが嫌いだったんです。
鬱陶しい。
なんでそんな戦争の話をするかな、この人たちはと。
ずっと思ってたんですよ。
聞いてなかったんです。
戦争の話が始まったと思ったら、場を立つというか。
また言ってた。
60歳になって、
うちの祖父母も両親もみんな亡くなって、
27:02
全部亡くなったときに、
聞いておけばよかったと。
彼らの話し方はいけなかったと思うんですよ、僕はね。
まず、僕に向かって話してない。
彼らは思い出ばかりしてるんだけど、
言葉がこう。
時々来るけど、大変だったんだよって言って。
メインは、彼らの戦争体験を共有してる話だけなんです。
大変だったね、あの時はねって言って、
大変だったんだよって来るから。
別にこっちに向かってないんですよ。
まず、戦争世代の確認出発というのね。
大変だったっていうのがあって、
僕は嫌だったんですよ。
それは、実は戦争体験全体に。
そういう意図はないと思うんですよね、彼らには。
大変だったのは本当だし、
大変だったことをみんなで共有してるし、
つい愚痴も出ると。
この話を聞いてほしいと。
まず最初にやってるのは、こっちじゃないですよ。
後の世代にこのことを語り伝えようじゃなくて、
あの時は大変だったな、俺らはです。
そして、二次的に来る。
それを僕は敏感に察知するので、
別に僕じゃなくてもいいんでしょっていう。
何事かを語るためには、
語る相手は決めなきゃいけない。
この人に。
戦争の語りって、
毎年誰でもいいから語ってるわけだよね。
つまり見てないんですよ。
誰々さんか知りませんが、
若い人、私たちはね。
毎年同じ話をするわけ。
これ、何かを語るっていうのは、
特定の人に語るから聞いてくれる。
次々語る人に次々同じことを知ってたらさ、
それは語りって言わない。
小説ってそういうものでしょ?
小説の語りっていうのは、
もちろん読者は見えないんですけど、
見えないけれども、
いい小説は自分に語ってもらって聞きやすいってことだよね。
よく太宰治さんが読んでると、
俺に向かって書いてるっていうのは、
そういう語りの構造になっている。
そういう自覚があって書いてます。
ところが、よく言う戦争の語りは、
そういう構造になってない。
俺の話は聞かれるべき価値があるから、
みんな聞いてくれと。
ということで、
戦争経験者が生きているうちは、
結局戦争経験者が聞いてたんだよね。
聞いてられる感じがしたら、そりゃそうだよ。
つまり、ある年代までは、
戦争経験者が多かった。
下の世代に語ってるんじゃなくて、
聞いてたんだ。
でも、そういう人たちが亡くなっていくと、
30:00
経験がない人が多数派になった時に、
その人たちは聞かない。
そういう話じゃなかった。
最初からそういう構えで話していたら別ですけどね。
そういう構造になっているんですよ、戦争の語りは。
確かに僕も何十人もインタビューさせていただいてきて、
やっぱりご家族に最初アポ取らせてもらうんですけど、
みんなそんな話聞いたことなかったって言ってて、
やっぱりご家族だから話さなかったのかなと思うんですけど、
それだけじゃなく今のこともありそうです。
そうなんですよ。
結局話したりしても聞いてない。
それを敏感に察知して、
向こうも言わない。
お互いね。
お互いに嫌なんだなっていうことで、
語り自体が封印されていった。
だから正しい語り方が周知されなかったというか、
そういう意味では戦争体験なんて国民的体験なんで、
みんな知ってるから語りの困難さっていかなかったんですよね、最初から。
言えば通じる。
気がついたら言えば通じる人がいなくなって、きちんと言ってこなかったから、
どう語ればいいのかということなんだと思いますね。
これは戦後77年経って実際経験者がいなくなってきて、
語り手もいなくなったんですけども、
やっぱり語り方がうまくいってなかった。
僕らの戦争団体の中では基本的には戦争、日本の戦後文化批判になってですね、
伸びはダメだという話をメインに。
大川将軍の伸びは傑作なんですよ。
ものすごい傑作なんだけど、
傑作すぎてもはや伝わらないと。
なるほど。
つまりあれものすごい特殊な経験なんですよ。
人肉職に至る。
それはすごすぎて、参考にならないんです。
大変でしたねというか、はいでおしまい。
あれはね、戦争体験を伝えるとかいう話じゃない。
そうですね、もうちょっと別枠になっちゃいますよね。
つまり、他の戦争小説も基本的にそういう構えなんですよ。
つまり君らは戦場を知らないよねと。
戦場は過酷だったっていうことを言われても、確かに僕らは知らないからね。
すいませんと。
これ上下関係ができるんだよね。
語りで一番まずいのは上下関係なんですよ。
向こうの方が権利がある感じだよね。
確かに。
語る権利っていうことだった。
これは僕はずっと戦後誌読んできたんで、
戦後誌で発見したんですけど、戦後誌って
相川信夫さんの友人Mよという
死んだ兵士の話から始まったんですけど、
あれが経緯になったんだよね。
死んだ兵士を追悼するのは友人で、その友人が相川さんだから。
33:05
なるほど。
っていうことは彼を批判できないんですよ。
死んだ友人の代弁者だから。
その時、言っちゃ悪いけど、特権階級。
彼の死を批判することは死者を批判することになるっていう構造になってる。
だから誰も批判できない。
それは別にそういう意図でやったんじゃないんですよ。
語りの構造が死者を代弁しちゃったら、
それを批判すると死者を批判することになるんですよ。
戦後文学って基本に死者の代弁なんですよ。
これは当然そうなるよね。
僕が多分、戦後反作家でもそうしますよ。
自分の友人が死んだら代弁者になる。
でも、それがすごいまずいとは気がつかない。
多分ね、ずっと考えて気が付くんですよ。
なんでみんな僕の話を聞いてくれないんだろう。
僕が代弁者で批判できない。
だった時に、もしかするとすごく優秀な作家だし、今気が付いたかもしれないけど、
それを気づけってのは無理ですよね。
ここが難しいところで、戦後文学って傑作多いんだけど、
生き残った人が書いてるでしょ、そもそも。
生き残った人がなぜ書いてるかっていうと、死んだ人の代わりなんだよね。
ただ書いてるんじゃなくて、戦場でみんな死んだと。
僕は生き残ってきたから書く義務がある。
それも全く正しいし。
戦争文学は全部そうです。
死んじゃった人が書けない。
生きなかった人が代わりに書くっていうのは、
全ての戦争文学に共通してるんですけど、その結果、特権化したんだよね。
これはね、他に書きようはないんですよ、実は。
ちょうど伺いたかったです。
じゃあどうすればいいのかって言われたらその通りで、
ということは、どっかでそのことに気づいてUターンする必要があった。
自分は死者の代弁ということで特権化しちゃった。
その結果何が起こったかというと、
みんな戦争の話を真面目に聞かなくなったってことですよ。
最初の意図と逆効果になった。
しかも傑作であればあるほど。
これは悩ましいことで、正しいことをやると逆効果になるっていう。
やっぱり僕ももともと広島の中国進部としては被爆のところで、
でも原爆、当然他もステロタイプにあえていますけど、特攻隊とかいろいろあるじゃないですか。
最初自分で番組というかインタビュー始めるときに、そこはあえて外して、
やっぱり戦争の記録じゃなくて記憶っていう名前にしたのも意味があって、
その1億総国民が死の口に当時あると勝手に思ってたんですけど、そんなはずはない。
あえて普通のおばあちゃんとかおじいちゃんとか内地にいた人たちに話聞いていったら、
36:02
全然楽しい時間があった人もいれば。
うちのね、母親の実感して、全然多分不自由しなかったわとかね。
いるんだよね、ああいう農村とかね、地方の豊かな家だと。
で、空襲受けなかったりすると、結構楽しかったみたいな話を言えないけどってなっちゃうでしょ。
僕なんかある意味ノンフィクションで、それをそのまま残していくことを価値としてやってますけど、
それを小説とか逆に難しいですかね。
エンディングのお時間です。
インタビューでは皆様からの早川さんへのご質問や番組への感想、取り上げてほしいテーマを募集しております。
いただいたご質問等は番組内で取り上げさせていただきます。
概要欄のURLからどしどしお寄せください。
そして、人と一対一で会う前、会った後に何をするか。
著名人から資生の人に至るまで18年間で2000人以上にインタビューをしてきた早川陽平さんが、
そのすべてを余すことなくお伝えしているあうちから養成講座。
早川さんからの無制限コンサルティングがついた映像コースと、
リーズナブルな価格でスタートできる音声コース。
お好みの受講方法からお選びいただけます。
詳細や受講の申し込みは概要欄に記載してあるあうちから養成講座のホームページをご覧ください。
そして、もう一つお知らせがあります。
早川さんと参加者の方がお気に入りの本をシェアし合うQRカフェも、
6月15日水曜日19時からZoomにて行われます。
早川さん、今月の本の紹介をお願いいたします。
早川さん、今月の本の紹介をお願いいたします。
はい、今回はですね、
ちくま文庫より発売されている
ブルースだってただの歌ということですね。
翻訳者で著名なですね、
藤本一人さんの本なんですけど、
現帳はですね、1989年だと思うんですけども、
藤本さんがですね、アメリカに住んでいらっしゃる時にですね、
黒人女性たちにですね、
直接話を聞いてですね、
聞いてそれを聞き書きという形で文字にした素晴らしい本なんですけども
刑務所の臨床心理テレビ局オーナー刑務所の女性
104歳の女性など本当にバラエティに富んだ黒人女性が
やっぱり差別偏見当時80年代というと今以上にすごく困難な時代だったので
その女性たちに藤本さんが聞いてるんですけど
本当に素晴らしい聞き手で
同じ仕事をしてるって言うとあまりに不尊で恐縮なんですけど
すごい大先輩というかいたんだなっていう感じで
本当にただただ関心して読ませていただきつつ
その聞き手としてもすごくインスパイアされたんですけど
シンプルにやっぱり読み物としても
すごくまさしく今回のこの30年の小説全部じゃないですけど
小説ではないんですけど
やっぱりまさにその時代が80年代90年代かの黒人女性は
39:05
アメリカで仕事と生活でありますけど
今もね未だに今もって尚本当に特にアメリカだと
この間の縦断者が起きたりとか
ブラックライブズマターの問題もあったりとかで
日本にいると直接遠くに見たり感じる時もありますけど
やっぱり全然そんなことなくていろいろ思い切るところもありますので
今回はこの本を皆さんで取り上げて読めればと思いますが
テーマ自体はすごくあれに重いテーマなんですけど
QRカフェ自体はこの本を叩き材にしながら
みんなでいろんなことを話してインスパイアされればなという
そういうカジュアルな場所ですので
よかったら気軽に遊びに来てもらえたらなというふうに思います
6月15日水曜日の19時からZOOMにてお待ちしております
こんな感じで今回もお別れの時間がそろそろ近づいてまいりましたが
冒頭で血液型の話ちょっとしたじゃないですか
早川さん血液型占いみたいなのって信じたりするタイプですか
見ないんですけど信じないこともなくてというか
見たらやっぱり生産時もそうですけどやっぱりなんか良い部分だけね
信じますけどB型って言うとなんかアバウトみたいな感じで
大型オーラかA型貴重名A・B型って難しいみたいな
なんかステロタイプなイメージはありますけどね
B型の人が血液型占いすごい嫌ってるイメージが私偏見として
そうなんだ
B型って変わり者みたいな感じの枠で
B型の早川さんを前にして言うと大変でしょ
変わり者ですよ
そうだからそんなイメージがあってでも血液型でさっきも
冒頭でもお話しあったとおり子供の頃から不安定で変わるみたいな話があったから
きっとあれは嘘なんじゃないかななんて血液型占いなんてみたいな感じ
でも本当に日本ぐらいっていうよねこんな血液型のそういう占いだけじゃなくて
そういうざっくりと何型どういうふうに
そうそうそうあれですねなんかみんな答えを求めたがってるんですかね
自分を何かに当てはめない
型にはめるとねB型アバウトなら間違いないと言うと他のB型の人怒られそうですが
まあなんかアバウトでマイペースなイメージかな
B型と大型コンビで来週も引き続きやってまいります
ということでまた次回皆様とお目にお耳にかかれますことを楽しみにしております
ごきげんよう
さようなら
42:05

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