1. イナズマキャスト
  2. 45: ササキコウダイ ZINE刊行..
2024-09-20 50:59

45: ササキコウダイ ZINE刊行記念てんじ&イベント「セツメイセキニン」公開収録

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内容紹介

2024/6/22に、ササキコウダイ ZINE刊行記念てんじ&イベント「セツメイセキニン」にて、イナズマキャストの公開収録をしました。

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ササキコウダイ ZINE刊行記念てんじ&イベント「セツメイセキニン」

主催:デラハジリ、バカンス
企画:デラハジリ

[展示期間]
6/20(木)-
6/21(金)-
6/22(土)-
6/23(日)-

大阪府藤井寺市の「土師ノ里駅」周辺では、2020年から2022年にかけて、アーティストやクリエイターが関わる文化的なスペースが相次いでオープンしました。これらのスペースはそれぞれ独自に運営をされていますが、「土師ノ里エリア」として緩やかな連携を取りながら発展しています。

この企画は、2014年から2018年まで、当時大阪芸術大学の学生だった佐々木航大さんの活動や暮らしの記録を、土師ノ里エリアの小さな歴史としてアーカイブするものです。これは佐々木さんの活動や暮らしに興味を持った私(下浦)の個人的な思いから始まりました。展示・トーク・ZINEを通じて、「セツメイセキニン」(案:佐々木)を果たしていただこうと思います。 私の個人的な思いから始まったこの企画ですが、かつてこのような学生が存在したこと、そして当時はアートやクリエイティブ活動があまり盛んでなかったエリアでも、人との出会い次第で面白い活動が生まれることを、皆様と共有できれば幸いです。

▪佐々木 航大 
株式会社スマイルズ プロジェクトマネージャー
1992年長崎生まれ。大阪芸術大学芸術計画学科卒。
在学中の2014年に自宅を改装したギャラリー「PASTIS」を土師ノ里駅近くで開くことから、土師ノ里との関わりが始まる。(ギャラリーは2016年にクローズ)大学卒業後も土師ノ里を拠点にフリーのディレクターとして活動。その後、2018年より株式会社人間でWeb・広告の制作経験を経て、2021年より株式会社スマイルズのメンバー。プロジェクトマネージャーとして業態開発やブランディングに従事する傍ら、関西のデジタル・メディアアートのコミュニティ「インスタ部」の運営にたずさわる。土師ノ里月報レギュラーメンバー。

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番組への感想や質問などは📮こちらから(Google Formが開きます)。どんなことでもお気軽にメッセージください!

サマリー

このエピソードでは、ササキコウダイが東京での展示の3日目を振り返り、リノベーションやイベントの説明責任について語ります。彼は自身の作品や経験を通じて、展示の過程や当時の思い出を詳しく解説します。また、ZINE刊行記念の展示とイベント「セツメイセキニン」を通じて、パスティスというギャラリーでの過去の経験や学生時代の思い出を振り返ります。展示の準備の大変さや学生同士の交流を促す重要性についても話しています。ササキコウダイのZINE刊行記念イベントでは、彼のギャラリー運営や地域の文化的な取り組みについて語られます。さらに、ササキコウダイと活動するアーティストたちとの関係性や、イベントを通じて得られるインスピレーションについても触れられます。「セツメイセキニン」イベントでは、ギャラリーの開設から活動についての経験を共有し、同時にアーティストインレジデンスの活動も紹介されます。

展示の準備とストーリー
東京から来て、展示、3日目。 3日目ですよね。
いやー、水曜日から入ってるんですよね。 水曜日から。あ、えっと、木曜日。木曜日から入って。 あ、でしたね。
木曜日の朝一の新幹線で来て。 そうですね。
で、荷物が来なくて。 あー。
午前着の荷物が来なくて、午後一時に、 午後一時というか、12時半ぐらいにやっと荷物が来て、
そこから展示を組み上げたんですけど、 当時というか、予定では16時スタートだったんですけど、
16時には、上も下もセッティング終わってなくて。
あの、ちょっと公開制作っていう形で。 公開制作。
あの、来られた方には、ちょっと立ち話しで、 展示物の補足をしながらお話ししてっていうので、
一日目は終わり、二日目は結構いろんな人が来てくれて、
なんか、友達とかも、当時のパスティスを知っている人とかも来てくれたし、
その、端の里に出入りされている、今例えば隣の農園でイベントされている方とかも、
来られて、お話しする機会を初めて得て、 すごいいい時間で、今日三日目を迎えてます。
説明責任の意義
明日が最終日ってことだね。 明日が最終日ですね。
そう、まぁ、今回説明責任っていう形で、まぁ、イベント名を打ってやらせてもらってるんですけど、
なんかまぁ、一般的に言うとね、硬い言葉というか。 硬いですよね、説明責任ってね。
硬い言葉なんですけど、まぁ、僕なりに、なんていうんでしょう、この街で活動してたことを、
まぁ、皆さんに話のネタとしてご説明するイベントっていうところで、
その責任があるんだよってことを自分に言い聞かせるためのイベント名。
まぁ、やっぱりその聞いてお話しして、例えば僕がここで、どうやって、
まぁ、この物件をリノベーション、当時はリフォームって言い方だったんですけど、
まぁ、リノベーションした西村さんとどうやって出会ったのかとか、
あとは、まぁ、どうしてギャラリンするに至ったかみたいなことを話させてもらったやつけど、
結構皆さんに驚いていただけるんで、いや、やってよかったなーっていうのは。
やっぱ説明責任果たしてる感。 果たしてる感はすごいありますね。
あるんですね。 あとは、昨日はトークショーやったんですけど、
なんかまぁ、結構その学生に対して解放するみたいなこととか、
その場を開放してギャラリー的に使ってもらおうみたいなことを考えてられてる方とかが来られてたみたいで、
で、そうなった時の、なんかギャラリーとしての成功とか、このイベント、この場のなんかゴールってどこだったのかみたいな話をされ、
ご質問としていただいて、確かにどこに向かっていたんだろうなーとか、こう考えながらちょっとお話する機会があって、
いや、なんかそういうところとかもすごい良かったんですね。
結果として2年でギャラリーは閉めてしまったんですけども、 まぁなんか、
展示を通じた思い出と記録
わずか2年だったね。 わずか2年だったんですよ。
2年にしては割とあの大きい顔をしてイベントやってるっていう感じで。
そっか。まぁまぁ、でもね、2年だけど、このノウウェアとか、このボックスワン、ボックスツーの前の時代から知ってるわけで、
そこのピンポイントだけど、そこの立ち上げ時期を知ってる人ってなかなかいないと思う。
そうですね。 ね。僕も全然知らないし。
そう。で、それについて今回陣としてまとめてっていう。
まぁたまたま西村さんと出会って、まぁこの辺を仕切っている不動産屋さんなんですけど、
西村さんと出会ってが、まぁそれにたまたま乗っかってみたいな感じではあるんですけど、はい。
なんかね、前もオンラインで高台君と撮った時もそういう話しましたけど、ちらっと。
その時はね、だってイベントっていうか、これを今やるっていうか、説明責任をやるっていう想定は多分なかった。
全然なかったですね。 ね。
僕もノウウェアのさっちゃんに聞いて、ここに高台君が住んでたって話から、
あ、それだったらここでもうオンラインでもいいから撮りたいと思って、高台君に連絡取って、撮ったんですよね。
でもあれからもかなり経ってますね。 かなり経ってますね。
1年以上経ってます。 そうですね。
2年弱経ってると。 2年弱経ってる。
そう。 稲妻キャストに、まぁ遠くから出演みたいな感じで。
そうそうそう。
なんかその噂の、噂の存在で生き続けてた時期が、まぁあったというか、まぁね、
その誰が始めたのかってなったら、まぁ2階から落ちた人がいてね、みたいな。
あ、そうそうそうそう。
2階から落ちて骨折したっていうエピソードは、もうすごい聞いてて。
そうですね。
多分皆さんにとってそれがこう、面白いポイントだったと思うんですけど、
まぁなんで2階から落ちることになったのかみたいなのをね、今回。
まぁ2階に住んでたからなんですけど。
しかも階段がない物件だったから、2階から落ちるっていう。
今回展示で、まぁちょっとさっき急遽、梯子を上にかけて、今は2階と1階は繋がってなくて、
1階が寺橋で2階がバカンスっていう名前で運営されてますけど、まぁ当時は一つの物件だった。
で、まぁ今回改めて、そのディスプレイとしてですけど、梯子をかけて。
ね。
まぁ、なるほどこの高さから落ちたんだねっていうのがなんとなくわかる。
これはヤバいっすよね。
そうなんすよ。
結構骨折出ても結構ひどかったんじゃないですか?
いや、かかとが綺麗に折れただけだったんです。
あー、そっか。
そう、あの、他のところは全然痛んでなくて。
高い距離。
そう、でもかかとが折れるって相当みたい。
すか。
らしくて、よく折ったねって最初は言われましたけど。
なんで折れるのって。
そう、なんかその、もうちょっとこう、ふくらはぎの骨とかが折れるんじゃなくて、かかとが折れたから。
あー、そっかそっか。
いい経験でしたね。
まぁ、ゆったりとね、なんか展示が流れてるなーって感じしてますね。
あの、ギャラリーやってた時も、本当にこんな感じの雰囲気というか、学生と、
まぁ当時、僕ともう一人、山岸という人間がいて、まぁその二人でも一緒で、僕か山岸さんが在路して、プラス作家さんみたいな感じで、こう展示してたんですけど、
本当に、こうめっちゃ人が来るっていうよりかは、たまーにちらっと人が来るみたいな感じで。
なるほど、なるほど。
まぁ、当時を懐かしみながら、なんか人をまとめてた時も思ったんですけど、本当にあの、なんて言うんでしょう、結構、
まぁ、言うなれば青春をここで過ごしたんですけど、なんかその時のことを、こう思い返しながらまとめるんで、すごい筆が止まるんですよ。
なんか。
え、筆が止まるっていうのは、なんで止まるんですか。
どうまとめようみたいな、思いがすごいあるというか、あの話もしたい、この話もしたいみたいになっちゃって、結構シンプルにならないというか。
エピソードがありすぎる。
エピソードが、そう、たくさんあって。
そうか、どれを取り出そうかって感じ。
で、なんかすごく長々と書いても、なんか僕の思い出話がすごい物量あるみたいな感じなんで、極力シンプルにちょっと語るっていうところを意識するのに時間かかって、
入校が結構ギリギリになって下浦さん、まぁこのテレハジメンエサイト下浦さんに、すごいチン、大丈夫かな、できるかなみたいな気持ちにさせてしまったなというふうに思っています。
まぁ最終的には無事完成して、機能も販売できるようになっているんですけど。
一応ね、ジーンもできて、販売する形にして、で、あれでしょ、なんかその次のやつもなんかあるとか。
そうです、あの展示の記録みたいなものをちょっと組み込んだ情報版じゃないんですけど、ちょっと、今回作ったジーンは32ページで割とそれでも分厚い、分厚いというか、ジーンにしてはそれなりの物量なんですけど、
そこにもうちょっと、この展示を通してなんか感じたこととかもらった質問みたいなものをちょっと収録した情報版みたいなの作れたらいいなと思ってるんですけど、
まぁね、ちょっと燃え尽きないようにしなきゃなと思ってる質問しかあるんですけど、このまま作んないまま終わらないようにしなきゃなっていうのがありますね。
でもなんか結構、言うなれば帰省みたいな感じなんですよ、この恥の里っていう第二の地元みたいなところに帰ってきて過ごしてるみたいな感じなんで、
なんかね、その結構いろいろ考えるというか、で、その考えたこととか思い返したことを展示でもちょっとキャプションとして貼ったりとかしていて、
まぁ例えば、あのデラハジリにはインターネットのケーブルが2本出てるんですけど、これは僕がここに住んでた時にインターネット回線を2つ引いてて、
EO光とNTTの光回線を2個引いてたんですけど、その時の名残なんですっていうことをペッて書いてあげました。撤去すりゃいいものを。
そうですね。
なんかあとはダンゴムシがすごく入ってくるんですよ。まぁそれも、なんかそのシャッターのところにスポンジつけて防ごうとしたんですけど、
結果なんかそれでも入ってくるんで、もうちょっとどうしようもないと言いますか。
そのスポンジなんですか?
多分そのスポンジ。
上にあるやつ?
違うかな。
違うのかな。でも上、上っていうか上なのかな。
上ですね。あ、まぁそう下ろしたら床に付くようになってますね。
はいはい、あ、そうですね。なるほど。
でも入ってくるダンゴムシたちのことを思い出したりとか、
そう、あの季節の移り変わりじゃないですけど、やっぱダンゴムシにもシーズンがあるんで。
そうですよね。
そんなことを思い出したりとかしたのをなんかちょっともう、まぁ少し改めてまとめ直せたらいいなと思っているって感じですね。
うん。
そう、あと。
そうですね。でもちゃんとこう展示できるほど記録がしっかり残ってる、当時のものが紙媒体だったり写真だったり、
あのちゃんと残ってる、残してるんだっていうのがそれが僕は驚きだったんですよ。
なんかそのたまたま物持ちが良かったというか、まぁもちろん現像してないものもあるんですけど、
あの、あって写真もそれなりに残っていたのは結構救われましたね。
うんうんうん。
自分の活動の展示って結構難しいというか、さっき稲上さんともお話ししましたけど稲妻キャストの展示をやってくれって言われたら結構難しいです。
難しいですね。
面白くするというか、言うなればなんて言うんでしょう、ポッドキャストの収録した番組の一覧表と変わんないものを展示しても意味ない。
そうですね。
僕もギャラリーでやってたことの展示の記録を並べても意味ないと思ったんで、
なんかまぁ、なぜギャラリー開くに至ったかっていうところの大学、僕が書いてた大学芸術計画学科、大阪芸術大学の芸術計画学科って言うんですけど、
その時のその学科のドキュメントだったり先輩たちがやってた活動のドキュメントを展示したりとかして、
こういう先輩たちの背中を見てたから自分もなんかちょっとやりたいと思ってた。
うんうんうん。
あとは、上のバカンスの方では僕が学生の時に集めてたいろんなプロジェクトのリフレットだったり、
いわゆる反則、反則物というか候補物が展示されてて、そういったのの中にたまたまこの自分が作ったティームが紛れ込んでて、
これもある、これもあるみたいな感じで。
そういうものって取っとくもんだなーっていうのは思いましたね。
いいですよね。やっぱ、紙、印刷物もそうだし、写真は今回プリントしたんですか?
しました。全部デジタルというか、スマホで撮ったりとかしてたやつを印刷してます。
セブンイレブンで。
セブンイレブン。結構セブンイレブン、綺麗に印刷できるんだなーっていうのが今回のちょっと発見の一つではあるんですけど。
展示準備の苦労
なんか、フィルムとかの時代じゃ、幸いそういう時代じゃなかったので、なんかグーグルドライブとか、グーグルフォトにアップロードされてるやつを集めてきて、展示してっていう。
なんかもっとこう、パスティスにこれまで来た人たちがいるので、その人たちから写真を集めればもっとちょっと分厚い資料にはできるのかなと思います。
今回は自分の手持ちだけで、あとなんか過去展示した作家たちにギリギリ、確認を取らなくてもいいレベルで展示をするみたいなところは。
1個ありました。時間がなさすぎて。 時間がなさすぎて。
そうですね。結構、専業じゃなくて副業で作家をされてる方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、
なんか彼らも個展とか自分展示イベントとかやったりとかするときに、準備だったりとか、反日反日とかやったりとかすると思うんですけど、
本当に大変なんだなっていうことを今回痛感しました。気軽に声かけるものじゃないなとみたいな。
気軽にやろう、やったらみたいな。 そう、やったらみたいなとか。
やろうよって言うのは結構、まあ作品と言いますか展示物をまず準備するのも大変だし。
あとだって何をどこに並べるかとか、さっきその2階上がってみたらその黄色いラインっていうか糸みたいなのがこう、
可別帯になってたじゃないですか。あれも持ってきたんですよね。事前に考えて。 そうですね。
そうですよね。だからなんか、なんとなく考えてここに来ても結局展示できないみたいなことになっちゃうから、
そうですね。 よりなんか、ディテールをこう決めてから来ないといけないというのもありますもんね、今回。
そうですね。なんか幸い住んでたので2年間、なんとなく間取りだとか、この辺でこうやったら展示できるだろうみたいな勘どころがあったので、
まあ、できたっていうところがありますね。
パスティスの思い出
まあ、なかなか、なかなかあの上は面白い展示になってるんじゃないかなと思います。
過去の関西のフリーペーパーであったりだとか、美術館でのなんか展示したときのレイアウト図だったりだとかをかなりの量取っていて、
それを並べてるんですけど、なんか振り返ると自分がどういうところに興味関心持ってたのかとかが見えてきて、なんかそういうところがすごい自分としても面白く、展示しながら面白かったところですね。
なんかさっきパスティスっていうキーワードが突然出たんですけど、パスティス、パスティスっていう、その今もトートバッグじゃないけど小さいのとか並んでますけど。
改めてパスティス。
パスティス、少し5分以内で。
僕がやっていたギャラリーの名前で、かつて稲妻キャストでもちょっと話させていただいたんですけども、学生が学外で展示をする機会を作るっていうのを学生のときにやりたいなというふうに思っていて、開いたギャラリーの名前がパスティスです。
名前の由来はパスティスという、なんか演劇における様式だったり手法をこう真似ることをパスティスと言うんですけども、その手法だったり表現を解釈して自分の表現にちょっと起こし直す、いわゆる二次創作的なことの意味合いがあるんですけど、
なんかそういう学生時代の発展途上とというか、まだいろんな表現をしながらだったり、自分の表現は確立してない時期のちょっと揺れてる表現が僕は面白いと思っていて、
なんかそういった表現も許容する、なんか完全なオリジナルじゃなくてもいいから1回展示してみて、いろんな人の反応を聞いてみて欲しいとか、そういった思いでつけた名前です。
なんか走りながら考えるみたいな感じでもない?
そうですね、なんか割としっかり考えてやったっていうところが大きいですね、なんか。
最初にカチッと決めて。
そう、あのいや、一緒にギャラリーやってた山岸さんという、まあ僕の後半やってる子はいるんですけど、その子は結構しっかり考えて動くタイプで、
僕は走りながらやるタイプなんで、今回展示も割と揺れてる感じなんですけど、あの、誰かと一緒にやるとしっかり考えて動かなきゃなっていうのが、
自分一人でこう考えてるわけじゃないし、巻き込む人にもなるから、ただなんかそういった経験を学生の時にできたのはすごい良かったですね。
こう、誰かと一緒にやるときはやっぱり何か指針があったりコンセプトがあった方が絶対いいので、なんかそういったところができたのは良かったですね。
交流の重要性
今回なんか懐かしい人とか来たんですか?
そうですね、あのー。
久々とか。
まあ当時ファースティスに来てくれてた人とかも来てくれたし、あとはその、この場を開くにあたってかかってくれた人とかも来てくれたんで、そういったのも面白かったというか懐かしかったし嬉しかったって感じですね。
じゃあ久々懐かしい話もできたり。
そうですね、まあ当時こんなんだったよねみたいな感じで、まあ思い出話みたいな感じになるんですけど、実際に転授してくれた人とかも来てくれた。
まあ振り返ってもまあ面白い場所だったよねって言ってもらえるのはすごい良かったですね。
そうね、学生時代ですもんね、言ったって。
そうなんです。
ねえ、そこで戻ってきて何か展示をやるってないですよね。
まあその実質10年前くらいの活動になるので、その10年前を振り返って同じ場所で何かやるっていうのは多分ほとんどの人がやらない。
ましてや昔学生の時に住んでた場所に戻ることなんてないと思うんで。
いや僕自身のことを思っても大学時代に住んでたところに戻って何か活動するとか想定外ですからね。
そうっすね、あれまあねちょっと面白い機会だなぁとは思って取り組んでますね。
有給2日と、有給3日取った。
3日取ったね。
3日取りました。
まああとは何でしょうね、パスティス時代に展示って何回かやったのかなと思うんですけど、どのぐらいやったんですか。
えっと数としては9回やってるんですか。
9回やってるんですか。
でも2年で9回ってそんな多くなくて、
なんかやっぱり学業、学業というか学校行きながらだったり、他のその学外のプロジェクトとかもやってたので、そういったこととの両立を考えるとなかなか回数って打てないんだなと思って開いたんですけど、開いたんですけど思ってました。
そうか、だからまあまあ学生生活と両立しながら展示もやり、ってなったらまあまあですよね。忙しいですよね。
そうですね、まああとはその何て言うんでしょう、2週間ぐらい回帰をまるっと取るんですけど、1週間から2週間ぐらいか。
その期間ずっといるだったり、展示をしてもらう学生さんも捕まえるというかに取り組んでもらわなきゃいけない、そういったところとかも結構ハードな。
まあその、例えばもうすでに作品があって、それを展示するだけだったら学生さんもそんなに大変じゃなかったと思うんですけど、このために作品を作るみたいな子とかもいたので、
そう考えるとなかなかハードな、古典ってすごい、僕もやって思いましたけどハードだったので、まあその数ももうちょっと打てたらよかったですけど、納得かなって言います。
あとちょっとまあ面白かったのが、文芸学科とかまあいろんな学科が大阪芸大にはあって、
そうですよね。
まあ展示をやらなさそうな学科とか、
やらなさそうな学科。
とかまあその文芸学科が展示するってなったら本でしょみたいな感じになると思うんですけど、でも本だけじゃなくて絵と仕様を組み合わせるみたいな展示とかやってもらったんですけど、
そういう、なかなかそういう展示活動とかやらなさそうな子がこう展示をしに来てくれたりとか、あとはいろんな学生がこう混ぜこぜになって展示したりとかする機会とかを作れたのは面白かったですね。
そうですね。
なのでちょっと全部の学科を網羅でしたらよかったなっていうのが、このまあ今回展示をまとめたりだとか陣を変えたりしてる中で思ってたことです。
学科、当時もその学科同士の交流、学生同士の交流みたいなのってどうでした?
なんかサークルとか入ってたら多分同じ趣味を介してあったと思うんですけど、ほとんどなかったんですよ。
割と授業も縦割りだし、学科の先生たちも縦割りであんまり横の交流がなかったので。
そういう意味でいくと、このギャラリーをやるようになってからいろんな人たちと出会うようになった、その友達の友達が来てくれるとか。
ああ、そうですよね。
まあ、やっぱここで出会った人たちというか、ギャラリーを見に来るぐらい、行動力だったり興味関心がいろんなところに向いてる人とは、
卒業しても仲良かったり、逆に卒業してからの方がよくコミュニケーション取れるようになったりとかして、
そういう熱量がある人たちが集まってた場所だなと今振り返れば思います。
でもなんか僕が大学の頃も、僕実は寮に住んでたんですね。
で、その学科で勉強してる、いわゆる机に並んで座ってるった時の人たちというか、
同じ同級生とはもう今ほとんど接点がないけど、大学の寮で住んでた時のメンバーとは今でもたまに話すとかあるんで、
やっぱその過ごす時間というか、濃い時間がありますよね。
ありますね。寮だったんで新食ともに食べるし、なんかたまには酔っ払って一緒になんか寝てたりとかっていう、
雑魚寝してたりとかっていうのもあったし、みたいな思い出が割とあるから、
突然何年後かに会ってもその時の記憶が蘇るし、みたいなのは結構あるんですよね。
あと昨日ちょっとトークショーして面白かったが、隣でノウェアをやっている方が松川さんでおっしゃるんですけど、
松川さんがここにノウェアというカフェ兼コワーキングスペースを開くことによってきっかけが、なんか僕、お前なんだよみたいな話があって。
そうなんですか。
で、なんか僕のことを、この辺で僕がギャラリーをやってて、ギャラリーやってる時に見に来てくれてた近所の人が、
なんかあのギャラリーをやってた子みたいな活動をもっとやったほうがいいってなって、松川さんを呼んできて、で松川さんがはじの里を知って、はじの里でこういう拠点を開くことになった。
で、あとはその結構入り組んじゃうんですけど、松川さんは僕が勤めてた全職にある株式会社にんげんっていう会社のことを知ってて、
でその時の活動だとか、そのアウトプットで、なんかね作ったもののブログとかを書いてるんですよ。こういう感じで作りましたみたいな。
そういった、こう、なんかそういうブログで僕の名前をたまたま見てくれてて、で、なんかここはどうしてこういう場所なんですかっていうのをこの地元の不動産屋さん、
まあ石村さんという方なんですけど、聞いた時に佐々木くんっていう子がいたんやみたいので、こうぐるっと繋がるみたいなこととかもあったりして、
でなんかそういうのは、まあ結果的にすごい面白い出会いというか。
で、まあその人間に勤めるにあたって藤枝市を離れて、それまではずっと藤枝市に住んでた。2018年ぐらいまでは、大学ここに勤め始めたのが2013年。
今から11年前ですね。
で、勤めたのが2018年。で、それまでは藤枝市と住んでて、藤枝市と出て大阪市内に引っ越すんですけど、大阪市内に引っ越した後も、ここの、ここは里庭の箱っていうエリアなんですけど、
そこの一角にあるロッキー屋さんという美術室があって、市内に引っ越したんですけど、そこにずっと通ってたんですよ。
その3ヶ月に1回ぐらい。 来てたんです?
そう来てたんですよ。1時間ぐらいかけて。で、なんかそういうこう、離れたけどずっと通い続けるみたいなことも、今のこの縁に繋がったなぁみたいな。
まあ、端の外がそんなに遠くなくてよかったみたいな。 そうですね。
いや、その流れで、ノーウェアっていう場所ができて、で、僕が3年ぐらい前にこうしてきて、ここに来て、ノーウェアのさっちゃん、てっちゃん、松川さんですよね。
松川夫婦。
際に会ったら稲妻キャストっていうのを思いついたっていう流れもあるんですよ。
そうですね。
地域文化とギャラリー
だから、なんか、ここの里庭の箱エリアの、なんか10年前ぐらいからの取り組みがなかったら、たぶん稲妻キャストもたぶんやってないのかなとかって思ったりして。
そう。なんか、あの、僕は何もしてないんですけど、そのノーウェアができることに関しても、稲妻キャストを始めることに関しては僕は直接の設定は持ってないですけど、間接的にやってたことが、こう今に繋がってるっていうのは非常に面白いし、あのギャラリーやってよかったなっていうのは思います。
今ではね、その、アソノエブックスさんとか、まあ、じいちゃん家みたいな、こういろんな拠点ができて文化的な町だったんですけど、町になってる。
だから、今もしこの状況で僕がこの辺に越してきて、ギャラリーやろうかと思ったら、たぶんやらずに、今ある拠点に遊びに行ってたと思うんですけど、当時何もなくてよかったなっていうのもありますね。
あーそう。
何もないから、なんかその、なんかやろうって気になるみたいな。
うんうんうん。
そういうのがありました。
そうっすよね。まあ何もなかったわけじゃないかもしんないけど、何もなかったに近いから。
でも、本当に何もなかったですよ。
うん。
何が、何があったかな、あのパン屋さんと雑貨屋さんが近所にあったぐらいですかね。
まあこの一角が、ちょっとまあお家が3軒ほどあるんですけど、お家が3軒ほどあってそれ以外が全部お店っていう環境も、まあ自分がお店やりたくなったきっかけでもある。
うーん、なるほどなるほど。まあまああれですね、思い出話も。
そうですね。
たくさん、たくさんあるなと思いつつも。
あとは、そうですね。
うーん。
あ、質問、すいません、質問、質問来ました。
はい、どうぞ。
ここが実際沢木さんが住んでた場所っていうか。
そうです、あのこの1階、1階と2階が、その僕が住んでた場所。で、この1階がパスティスって名前で運営してた場所です。
まあ沢木さんがこの昔から住んでるんですけど、足を蹴る。
はい、かかとを織りました。
そうです、今ちょっと、あのディスプレイとしてはしごをかけてるんですけど、このはしごの上から3番目ぐらいのところから落ちました。
かかとを織ったというエピソードを。
はい。当時ね、ちょっと酔っ払ってた。
そうですよね。え、夜、夜落ちた。
夜です、夜です。
夜落ちたんですね。
でも幸い酔っ払ってたので、めっちゃ痛がることなく朝を迎えて、落ち着いてから病院に行きました。パニックになることなく。
うんうんうん。
横もお店ではなかったんですか?
横もお店でした。
あ、そう、でも今のお店ではなくて、昔はカフェと蕎麦屋さんっていう、昼カフェで夜蕎麦屋みたいな業態が入ってたんですけど。
なんかまあ、そのお店でアルバイトもしていて、そこで飲んでるときに、ちょっと取りに帰らなきゃいけないものがあって、取って、降りるときに落ちた。
事故現場がこちらになります。
いや、事故物件ではないですね。誰も死んではないです、はい。この柱はその時からずっとあります。
うん。
リノベーションも自分でやったんですか?
いや、リノベーションは自分でやってなくて、ちゃんと職人さんが、ちょっとこんな感じで写真があるんですけど、工事をちゃんと職人さんが入ってやられたんですけど、
このリノベーションするアイディアみたいなものを僕が考えさせてもらって、例えばシャッターつけてほしいとか、床はドマ打ちにしてほしいとか、
あの、ちょっと今は、こう、補修しちゃって見えないんですけど、流しがあって、絵の具とか流せるようになってた。
うーん。
そういう学生だったんですか?
学生でした。
あの、いや、あ、で、それはこの地元の不動産屋さんが、西村さんという方なんですけど、西村さんが、この街に学生を住ませた、芸大生を住んでもらいたいから、どうしたらいいって話になって、
で、芸大生が住むんだったらまず家があった方がいいと思います。で、それはどんな家なんや、みたいなことを問われて、
ツラツラって話したら、わかった、じゃあこれでこの物件のオーナーさん、この所有権を持ってる方に、こう、掛け合って投資してもらうから待ってる。
で、待ってたら、承諾してもらったから始めるぞって言われて、
その、書いたプラン通りのものが出来上がった。僕は一銭も払わず。
すごいね。
その通りのまま?
えーと、まあ、ちょっとこう、壁がこう、モルタルになったりだとか、石膏ボードが打たれたりとか、少し変わったりはしてるんですけど、もう間取りはそのままです。隣も間取りはそのままですね。
勉強したタイミングで、壁全体、太鼓通りに塗装したりして、あと、レイトレールもちょっとつけてもらったら、端っこも適当にしてもらってます。
うん。だって上も、なんていうんですか、ねえ。
そうですね。あの、1階は、僕がここを退居した後に、一人普通にこの部屋に住まれてた方がいらっしゃって、その方が入居した時はここに、なんかね、工事現場用のエレベーターみたいなのをつけてた。
で、エレベーターで上り降りしてたらしいんですよ。
まあ、それもかなりパンチ効いてるというか。
まあ、はしごで上がらないようにするためにはエレベーターが一番良かったのかもしれないですけど、エレベーターつけられてて、まあそれも面白い話なんですけど。
で、その後に島居さんが出らはじりとして入られて、その時に壁は釘とか打てるように石膏ボードの主流に変わったんですね。
で、上は隣の農部屋さんが借りてて、まあ1階と2階は別々で借りてるみたいな状態なんですよ。
2階はバカアースっていう名前に変わって、隣と繋がって、2階で隣と繋がってみたいな状態になってます。
あと、大阪のオーナーさんというか。
はい。
そうですね、不動産屋さんがちょっと頭おかしかったっていうのがありました。
いい意味で、やっぱ。で、あとその学生が言ったことをうのみ、まあ完全にうのみにしてたわけじゃないと思うんですけど、
なんか、飲み込んでちゃんと形にするっていうその覚悟じゃないですけど、がすごかったですね。
で、募集かけたんですよ。芸大生に住んでもらうために。でも、ちょっと物件が尖りすぎてたというか、芸大生も学校では一生懸命制作するけど、
家帰ったりゆっくり休みたいっていうことに、その時気が付きました。誰も住みたからなかったね。
友達何人か呼んだんですけど、全然ダメで。で、責任を取って自分で住むことにした。
一緒にしていいような感じになった。
そうそうそうそう。
まあ、最初はギャラリーやるつもりはあんまなかったんです。ただ普通に住んでやろうと思ってたんですけど、住んでたらなんか持て余すわけですよ、この空間を。
なんかやんなきゃなみたいな気持ちが出てきた。その状況が僕をギャラリーをやるに至らせたみたいなところはあります。
住環境の変遷
はい、なるほど。
こんな感じの経緯が。
そうですね。
ああ、そうなんですね。なるほど。
社長が来たと思って。
ああ、社長が来たんですね。なるほど。
役員が来てる。
あ、それでなんかちょっと、なんか視線がちょっと、なんかこう踊ってたというか。
2人も来たと思って。
いや、ちょっと男の収録があるって知らずに踊ってしまったんです。
ああ、そうなんですね。
実はやってて。
ちょうどよかった。
で、まあ、つもびらかに話しております。
はい。
そうですね。
まあ、そのあと、なんて言うんでしょう、はじめまさととの距離みたいなのが、やっぱり今僕は東京を拠点にしてるんで、結構あって。
で、その中でどうやって関係性を続けていこうかなっていうのは常々思ってたことなんです。
まあ、その中で井上さんにポッドキャストの声かけてもらって、なんか連載的なものがなんかできないかみたいな連絡を1回もらって。
そうですね。
で、はじめまさと月報っていう、僕がはじめまさとのニュースを聞きたいがためにやってる番組みたいなのを立ててもらって。
そうですね。
それにMCとして、MCというかリギュラーメンバーとして参加して話を聞くみたいな。
なんかそういったことができていることもすごい嬉しい。
なんかもうちょっと、もう一歩食い込んで、例えばこのスペースで遠隔ながらも企画をやれたりとか。
僕の仕事で大阪に来る機会があったりとかするんですけど、その仕事のタイミングで何かここでイベントやれるといいのかなと思ったりとかはずっと思ってます。
なんかより今回の展示をやって、よりそういうのをやりたいなって気持ちが強くなりましたね。
なんか落ち着く。
落ち着く。実際に寝てたりもしてたわけで。
そうですね。上では実際にその僕がベッドを置いてた、ベッドというかソファーというかを置いてた位置にキャンプ用のベッドみたいなのを立てて置いてて、1日目はそこで実際に寝たんですけど。
なんかそういったのも展示してるので、まあ当時のちょっと生活感みたいなのを曲がりなりにも再現してみたみたいな。
そうですね。
いや、やっぱスッて眠れました。
うん、スッて寝れました。
はい。
まあね、今は柵がついてるから落ちなくて済むようになってますけど。
ああ、そうですね。落ちなくて、当時は柵つけてなかったんです。
ね。
よく死ななかったな。
まあそんなこんなであれですね。展示会も、展示会というか今回の展示もあと残り1日ちょっとですけど。
はい。頑張りたい。
あ、またね。
展示会も行ったのか。
もういいですよね。もう説明席に果たしたか。
果たしたと思ってるんで。
あとは、まあ何かにぎやかしを今後も提供できたらいいかなって。なんか昨日トークショー10人ぐらい来てくれたんですけど、やっぱ地元の人はなんかそういう活動してる人みたいな求めてるような空気があったので、なんかそういう活動ができるというよりいいですし。
あと僕はあの大阪で企画展みたいなそのインスタブっていう活動をやってるんですけど、なんかその活動をなんか恥の里とリンクさせてたりとかできるといいなというのは思いました。
そうですね。
なんかいつもは大阪市内のギャラリースペースとかでやってるんですけど、例えば近所の麻生屋さんっていうのはコミーカーの中で本とかフルトークとかやってるんですけど、そういったところにこうデジタルとかそういうテクノロジーとか作った作品を持ち込むとどうなるのかみたいなちょっとまあ僕も見てみたい。
確かに。
そういうのもありますね。
なんで、こう今持っている自分のカードでうまく恥の里とリンクできたりとかして、もっと盛り上げられたらいいかなというのは思ってます。
活動の継続と未来
まあ僕もね、せっかく5円当ててやったし、恥の里にも来たし、
後代くんとラジオを撮ることになってるし、なのでね、なんか遠隔ではありつつも、ちょっと多分恥の里に僕は住んでるけど、後代くんは東京にいて、
あっちで得られた刺激がこっちにまた戻ってきたりとか、ちょっとインスピレーション、アイディアをもらったりとか僕がもらったりとかっていうのもあると思うんで、
そういう感じでこうぐるぐる回せたらなんかいいかなと思って。
そうですね。あとなんかその隣のノーウェアには僕の後輩がすごい来てるというか働いてたりとか、まあその上のコワーキングスペースを使ってたりとかしていて、
結構なんか僕も学生の時もそうだったんですけど、直系の先輩で今社会に出てる人とかに話を聞きたいみたいな気持ちとかめっちゃあった。
僕もあったし、なんか昨日も就職に悩んでるんですとか、そういう話があって、なんかまあそういう話も聞いてあげられる先輩になれるといいなという気持ちもあるので、
まあ引き続き羽田里には、まあ遠隔でか実際にリアルでか通い続けようとは。
実際こうやってこうしっかり話すのも、直で話すのも初めてなんで、
そうですね。3回。
収録も今回が対面で話すのが初めてで、これまで撮ったのは全部リモート録音だし、
会ったのもたぶん5回ぐらいしかあってない。
5回ぐらいしかあってない。
ないですよね。
2年前に出会ってる。
そうそうそう。
まあね、なんかその井上さんのこう、何かやりたいみたいな気持ちにも応えられたらいいなとは思います。
そうですね。だからそういうのも含めてなんか今後も一緒に面白いことができたらいいかなと思ってますね。
はい。
うん、な感じですかね。時間的にもだいぶいい感じかなと思うんですけど、なんか質問とかあります?さっきありましたけど。
追加でやります?追加で。
ジーンを作りました。
あのー、まあ、えーと、ジーンの内容としては僕がギャラリーを開くに、開いて閉じるまでが書いてあるんですけど、
その不動産屋さんとの出会いだとか、あ、そうですね、あのー、場を開くということは自分を開くことっていうふうなタイトルをつけてるんですけども、
まあ、ギャラリーを開くまで開いた後、で、閉じてからまあ続いてる八重の里の関係についてはちょっとまとめてるっていう感じです。
どちらかというと活動史的な感じですね。ギャラリー史というよりかは。
そうですね。まあ当時の写真とかも入れてる。で、あの、この写真はですね、八重の里でしか買えないようになっていまして、
というのも八重の里以外でこれを受け取った時に、なんていうの、八重の里のことを全く知らない人が読んでもあんまり面白くないかなっていう、
面白くないようになってるので、まあ実際に来てもらって買ってもらったとか、八重の里をすでに知ってる方に手に取っていただきたいなというふうに思って作っております。
32ページ。
まあまあありますね、ページ数ね。
えっと今はですね、あのこれもこの期間中は1日目は上で寝たんですけど、あの2日目以降はですね、
アーティストインレジデンスっていうアーティストが泊まりながら作品制作をする場所が近所にできてまして、イーミーという名前なんですけど、そこにお邪魔させてもらってます。
明日まではそこで暮らします。
もう日中ほとんどここにいるんで、あの寝るだけみたいな感じなんですけど、1日目はそこに別のアーティストの方が来られてて、
ロッコミーツアートのキュレーションをされてる方々が来られてて、その人たちとそうめんパーティーを開くという、ハートフルな時間がありました。
で、そのキュレーターの子も当時のパスティスに来たことがある人で、まあ後輩にあたるんですけど、
まあ懐かしい話をしてしまいました。
陣に詰まってます。陣を呼んで、そうですね、あの天井見ていただくとよりわかりやすいかなって思ってます。
大丈夫ですかね。はい。
という形で今回公開収録も初めてじゃない、初めてではないけど、あんまり数少ないですけど、何人かお聞きいただいている方もお集まりいただいたのでね、嬉しいですね。
嬉しいですね。はい。ありがとうございます。
ありがたいですね。
たまたまかもしれないですけど。
はい、ということで、今回の展示、説明責任っていうところの稲妻キャストを公開収録はここまでにしようかなと思います。
はい。お越しいただいた皆さんもどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
50:59

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