自由なアプローチの模索
IKUKO Labo ワンダーランド
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったアレコレを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
5月20日火曜日の午後1時24分に収録をしております。
外がめっちゃいい天気で明るくて、多分これ外出たら暑いだろうな、みたいな。
そんな気候になっているんですけれども、
やっぱりね、ポッドキャストずっとお聞きの方はお気づきかもしれないんですけど、
自分の中でやっぱり方向性が、何の方向性?
ポッドキャストをやる方向性も含めて、
自分のこういうことをするんだ、みたいな、そういうアレですよ。
ルートマップみたいなやつ。
それがすごい大きく書き変わっちゃったなっていうのを感じる今日この頃です。
本来的に言うと、ちょっと前まで、去年まで、去年まで私年初に1月1日とかに、
1月に今年はこういう風な方針でいこうみたいなやつを考えていて、
大体3つの柱があるようにして、1つのことに全振りしないっていうことですね。
ちょっと分散させていろんな方面をやっていく。
少なくとも3つみたいな感じで考えていて、
去年で言えば何だろう、ダンスとか、
何だったかな、イクコーラボの何かとか、
YouTubeだったかな、ちょっと何を構成したか、構成に何を使ったか忘れちゃったんですけど、
3種類とりあえず考えて、そこからずっと発展させて、
じゃあ次はこれをしよう、これをしようとか、割と計画を立てて生活していたんですね。
割とその年初にそこに書いておいたことが、1年後に見ると本当に達成されていたりするので、
やっぱり書くことには意味があるなと思ったにもかかわらず、
今年はそのやり方をやめたんですね、2025年。
何でかというと、そこに3つなり4つなり5つなり、
今年はこれをやるっていう風にジャンル分けみたいなのを書くと、それしか考えない。
逆にそれが自分の自由な発想を制限しているような気がすごくしたんですね、去年の年末ぐらいに。
あれって、もっと自由に、もっと直感的に、今私がこれがすごいしたいっていうことを、
たとえそれが年初の計画の中にない、突飛でもないことだったとしても、
状況的にできるんだったら、それを最優先でやった方が良くない?って、
わざわざ自分の方針にどうやって組み込もうかとかって考えること自体が、
私の創造性を狭めているんじゃないだろうかと思って、
思い切って、特に今年はこれをやるっていう方針も特になかったってこともあるんですけど、
でも辞めまして、辞めてだから5ヶ月目になるわけですよね。
そうすると本当に自由だなってなって、面白いことに自由にしとくと、消えていくやつありますね。
計画からの解放
あれ、これやりたくなくなっちゃった、みたいな。
これ年初に計画が立ててあると、やりたくなくてもやってたんですよね、多分。
だけど計画がそもそもないから、自分のやる気がなくなったら、そのことは消えていくんです。
これは別に会社に勤めてるわけでもなんでもないので、自分と自分の約束だから、
計画を破ったからといって別にいいんですけど、それでも計画があるって言ったら、
なんかそれだけで縛られるっていうか、それに沿って進もうとする、そういう習性があるよなって。
人間の習性だと思うんですけど。
なんで、1回計画立てるのをやめてみると、そうするとすごい自由に、やりたくないことがすごい明確にわかるようになりました。
感じ取れるようになりました。
このこと飽きちゃったとか、このやり方続けてても、なんかこれ違うなぁ、行き詰まってるなぁとか、
そういうことが肌感覚でわかるようになって、結果4月ぐらい、先月ぐらいからちょっとこれとこれやめようみたいにして、
もうすでにやめたくなることが出てきてるっていう、そんな感じになってて、
全体としては、なんていうのかな、勤勉の反対はなんですか、
えっと、怠惰?怠ける?
そう、全体としては怠ける方向に流れていくのは確かです。
決めてないから、これをやり遂げるって。
やりたくないことをやめていく、後回しにしていきますね。
それでダメ人間になるかって言ったら、なってるのかもしれないけど、
でも、やりたいことだけは絶対やるわけ。
こうやってポッドキャスト誰に頼まれなくてもやっちゃったりとか、
それから放置してたYouTubeが、YouTubeなんか本当自分の経済的柱じゃないので、
たまたま始めたやつだから、あんま儲からないなと思うとモチベーション下がるんですよね。
だいたい計画にそんなにガッツリ入ってなかったんですけど、
最近ふと見たら、もうじき登録者数が4,000人、あと12人ぐらいで4,000人になるんで、
おおって思って、すごいじゃんって。
それでせっせと新作を投稿したりなんかして、
そうしていくと若干ですけど報酬もちょっと出るようになってきてるし、
反応ある、面白いじゃんってなって、やる気が出たりとか。
やる気ってその時その時でやっぱり波があって、
私はやっぱり一番自分に対して誠実なのは、
その時自分が一番興味あることを最優先にしてやってあげるっていうのが、
自分に対して一番正直で誠実で優しいあり方かなと思いまして、
それによって他の人が得失するとか損するとか、あんまり関係ないことじゃないです。
なので自分がやりたいことはやるけれども、
特にやりたくないようなことは後回しにしていく。
そういうポリシーをもっとこれでいいやというふうに思いましたね。
AIの活用と反応
現実的にそういうわけで、
その時一瞬興味を持ったものっていうのを逃さずにやっていくってことになってるんですけど、
最近も超感動したのはやっぱりAIですね。
なんかAIって難しい感じがするし、
そんなに言うほどね、なんかね、してもらわなきゃいけないこともないじゃんみたいに思っていたんですけれども、
一つは前にお話ししたかな。
落筆の競合分析っていうのをしてって頼んでみたところ、
なんかA4、14ページのレポートが出てきて、
これがまたすごく納得できる内容で、
今まで接したどの人間よりも的確にポイントをつかんでいて、
私たち、主催している私たちでさえ、こんな切り口があったのかってびっくりするような内容が出てきて、
驚いたと。
その後、もうちょっとカジュアルな使い方として、
落筆の新しいサービスオンラインサロンとかをインスタに上げたいんだけれども、
そのさ、インスタに上げる、書くのめんどくさいじゃないですか。
何をどういう言葉で言おうかなって。
ひな形のテンプレート自体はキャンバーにいっぱいあるから好きなやつを選べばいいんですけど、
その選んだテンプレートにどんな言葉を入れるかっていうのが、
結局めんどくさいですよね。
いちいち考えない。
これをAIに作ってもらったところ、
何個作ってって言ったんだったかな。
30個ぐらいです。
30?違うか。
10個ぐらいかな。
というか数字を指定するとどれだけでも捻り出して作ってくれるんで、
作ってもらって、
それをさらにキャンバーの機能で、
そういう表組みになったやつを自動で流し込んでくれるっていう機能をYouTubeで発見して、
それはテストガテラやってみたと。
それによってたちまち10いくつの、
あれができたんですよ。
インスタに上げる用の動画を作ることができて、
すごくない?みたいな。
でも流れ作業だし、
なんていうのかな。
多少ふんと思わないでもないような、
これインパクト弱くない?とか、
これちょっと言い過ぎてない?とか、
多少あるんですけど、
そのままどんどん流れ作業で上げていって、
っていうことを、
なんていうのかな。
それをやりたいんじゃなくて、
AIの機能でそれができるのかなと思ってやってみたら、
できたので、
そしたらネタが出来上がってきちゃったので、
じゃあせっかくだからインスタに上げていこうみたいな感じで。
インスタの予約投稿する機能が使えるんですよね。
プロ版になってると。
なので予約投稿のとこにどんどん上げたりなんかして、
自分的には何をしているんだろうっていう感じですね。
特に今までは本当に自分で考えてこういうことを伝えようっていう感じで、
真面目にやってたんですけど、
今やAIが作った文章なんで、
コピペするだけ。
ザーッと眺めてよっぽど変なことを書いてなかったら、
そのままコピペですね。
なんだみたいな感じなんですけど、
その反応があるなしでしか結果しか、
それが正しいのか正しくないのかは、
結果でしか分からなくて、
今までの一生懸命自分が考えてあげたやつでも、
全然反応ないので、
だったら別にAIので良くないっていう感じですね。
そんなことより、
数をとにかく大量に投稿するっていうことを、
今までできてなかったんで、
最低限とにかく、
努力と再現性の問題
上げ続けるみたいなことはやんなきゃダメだよねって思って、
作業としてやってます。
で、なんていうのかな。
これは一体私は何をしているのっていう話なんですけど。
結局のところ、
未来、何をしたらどういう結果が出るかっていうのって、
世の中にそういうセオリー法則みたいなやつは山ほどあるし、
言われてるんですけど、
本当に私に当てはめたとき、
私の未来にそういう成果が出るのかどうかっていうのは、
誰も分からないんですよね。
言ったらみんな再現性がないっていうか、
あなたはこれでうまくいったかもしれないけれど、
私がそれでうまくいくかどうかは分からないよね。
やってみなきゃっていう世界じゃん。
で、そういうやり方を不意調する人たちっていうのも、
まあ、それしょうがないとは言いつつ、
間違いではないかもしれないけど、
その再現性の低さを考えると、
かなりインチキじゃないって。
正直思ったり、こういうことってどうなのって。
マーケティングとかの方法も、
まあ、いろんな人がいろんなことを言うけど、
だいたい同じ一つのセオリーですけど、
でも再現性がないよねって。
で、誰が一体私の落筆なら落筆のことを
真摯に考えて一緒になって悩んでくれて、
ああでもない、こうでもないと。
いろいろアイディアを、
私がアイディアを出すんじゃなくて、
私にアイディアをくれる。
そんなことをしてくれた人が今までいましたか。
で、まあ落筆に関しても10年やってますし、
AIの驚きと期待
その前の筆文字販売から数えたら、
もう20年ぐらいやってるわけですけど、
その間にたくさんのコンサルを名乗る人たちとか、
ウェブサイト作るって言うと、
じゃあ何のためにみたいなときはコンサルっぽかったりもするんですよね。
で、いろんなセミナーにも行きました。
いろんな人にも相談もしました。
それからいろんな売り込みに来るセールスマンが、
こうするといいですよみたいな話をすることもよくあるんですけど、
そういう数々の、あんな人もいたな、こんなサービスもあったな、
っていろいろ思い返して、その中の何一つですよ。
何一つとして真を食った、素晴らしい、そうだって、
この人の言ったおかげで助かったみたいなことが、
悪いけど一個もないんですよね。
だからここ数年はもうそういう人たちに愛もしないっていう、
意見を聞きもしない、相談もしない、
っていうことで来てるんですけど、時間の無駄だからね。
だいたいの人はね、なんか威張るしね。
まあまあ、それはいいとして。
とにかくここに来て初めて、
ノートブックLMっていうAIにね、
最初14ページのレポートをもらったときに、
そのレポートの内容に感動しただけでなく、
一生懸命考えてくれたな、みたいな感じ。
そしてオリジナルの視点を提示してくれたなって、
いうことにもう本当に心底驚いたんですよ。
それぐらい、人間にできないことをやってくれてる。
だから、その彼だか彼女だか分かんないけど、
そいつの提案に乗って、
こういう風な切り口がいいんじゃないかと思いますって言って、
それがやったらうまくいくかどうか分かりませんよ、もちろん。
だけど失敗してもいいと。
こんなユニークな切り口、
無駄にするわけにはいかないと思って、
そういう風に対応してるんですけど、
これってなんだろうな、みたいに。
人よりすごい。
どんな人間よりも私に寄り添って、
真摯に考えて、
本当に当たり障りのない普通のことではなくて、
オリジナル性のあるアイデアを提示してくれた。
これが私の20年のこういうことの中で、
D2Cというか、
直接お客様に物をネットで販売するっていう、
こういう形態のことをやり始めてから、
一番、というか唯一、
唯一役に立つことを言ってくれた、
っていう経験なんですよ。
それで私本当にびっくりしてひっくり返っちゃったっていう。
分かりますかね。
人間よりすごい寄り添い方、
頼りになる感じ。
で、いやこれはまずいなって思っちゃったっていうことですよ。
じゃあもうこれでいいじゃんって思っちゃうっていうことですよね。
どうせ人が言うようなやり方を真似しても結果が出ないんだったら、
だったらAIが持ってきているいろんな情報でそれでやればいいと。
マーケティングの話ですけど、
そんなふうに思いました。
なんかすごいねって言って感動してるはずなんですけど、
何かこう心の中でがっかりしてるっていうのもあって、
なんかああもう嫌になっちゃったみたいな。
そんな気持ちも同時にあるんで不思議なんですけど、
だってもう人間いらないわっていうことじゃん。
だってその14ページのレポートの結論っていうのは、
生成AIのチャットGPTとかが普通に言ってくることと違うくって、
そういうやり方が世間では一般的ですよっていう話の逆をいく。
新たな価値観の発見
こういう切り口の人はいませんよって。
だからこれしたらいいですよって話だったんで。
びっくりした。
うちの持っている情報と世の中の共合を持っている情報を比較したんでしょうね。
うちにしかない要素はこれだよって言ってくれたっていうことなんですけど、
素晴らしすぎて、
私の価値観の基準っていうのは、
世の中には偉い人っていうのがいて、
偉い人とか仕事ができる人とか、
物事をよく知ってる人とか、
マーケティングがすごい素晴らしい人とか、
自分より実力のある人っていうのがたくさんいて、
自分はもともと商売人でもないし物を売ってもなかったところから、
後から参入してきた素人であって、
だからうまくいかないことは、
うまくいかないことがあるけれども、
それはプロの人の手にかかったら成功するんだろう、
みたいな漠然とした価値観があったんですね。
価値観の体系というか。
それが、
でも自分がそんな偉い人に全然出会えないのかわかんないけど、
とりあえず試してみたところ全部がハズレだったんで、
あれみたいに、自分でやるしかないのかなって思ってて、
それはそれでしょうがないって思っていたんですけど、
そんなところに、高賀って言ったらあれですけど、
高賀AIがそんな新しい提案をしてくるってなった時に、
本当にがっかりする。
私が世の中に対して言った期待感、
尊敬したい、
キラキラしたものがきっとどこかにあるみたいな、
どこかに素敵な人がいるみたいな、
そんなざっくりしたイメージの話なんですけど、
それが崩壊したんで、
これよりすごい人はいないと思っちゃった時に、
言ってもだけどAIなんで、
どうするみたいな、バカバカしくないって思ったっていう、
そういう感じなんですよ。
何かがバカバカしくなっちゃって、
AIの言うままにビジネス展開するとしていいですよ。
それはもちろん。
成功するのであれば誰が言ったことであっても。
でもやっぱりバカバカしいですよ。
正直。
これは、みたいに。
ちょっとヤバって思った。
ほんと。
でも、それがAIか人間かっていう、
その差によってこういう風になってるっていうよりかは、
世の中ってあんまり自分の、
なんていうのかな、
辛いこと苦しいことを我慢して歯を食いしばって努力して、
一生懸命勉強して、
情報を集めて、
思考錯誤して、
ほんとに、
血と汗と涙でね、
頑張ったら、きっと成功できる。
っていうこの昭和の考え方っていうか、
無意識の前提っていうか、
そういうもの自体がバカバカしいなって、
思うようになったっていう、
そういう変化が、
この、
2025年の、
3月、4月、
ぐらいかな。
4月、5月、
4月っていう1ヶ月の間に凝縮されてたかもしれないな。
いろんな出来事がいろいろあったので。
になりまして、
5月連休明けてから、
全然やる気がしない。
そんな、
さっき言ったような血と汗と涙みたいな、
そういうことしたとて、
意味がないんだみたいに、
ちょっと感じ始めておりまして、
でも、
もしかしたらそれが人としては正しくない。
人って楽しく生きるためにいるんだし、
何でもかんでもそんなに必死になって頑張るっていう、
そのスポコンみたいな、
そういう生き方自体が、
もう古いのかな。
する必要がない苦労を私はしていたのか、
じゃないだろうかって、
っていう重大な疑問が浮かんじゃったっていうことなんですよ。
それで、
努力と楽しさの葛藤
ちょっと私は一部がっかりもしている。
頑張るのが好きだったので、
努力している自分のことも誇りに思っていたし、
だからみんなも頑張りなさいみたいに思っていたんですけど、
いや頑張ったらだめかもみたいなって、
そうすると人になんかあれこれ、
こうしたらいいとか、
あしたらいいとかっていうのも、
今まではそうだった。
だけど、
これからもそうかどうかは分かんないよねってなって、
で別に、
人がどうであろうと、
自分の楽しさを優先していいんじゃないのって思ったり、
どんな社会を作りたいかとか、
そういう大きなビジョンを描いて、
っていう話だったんだけれども、
どんなことがあっても常に楽しく生きていくっていう、
そういう心の持ちを、
生き方、
みたいなものが一番尊いのだとしたら、
そうするといろんなことが変わってくるよねって、
仕事に対する考え方とかも変わってくるじゃない。
私は本当にこの資本主義社会に読されてというか、
どっぷりそこに生まれてきているので、
努力してお金をいっぱい稼いで、
お金持ちになるのが成功だみたいな、
うっすらとそう思って生きてきたし、
今もそう思ってはいるんですけれども、
そのために自分の人生をすり減らす、
切り売りする、
そこまでの価値はそれにはないだろうっていうふうに、
最近思うようになったんです。
変な話、
全然関係ないはずのダンスにも、
この気持ちが反映されてて、
何でもいいから必死になって頑張るんだとか、
好きでも嫌いでも関係ない、
どんなジャンルのダンスでもやるんだとか、
人より上手くならなきゃいけないんだとか、
そういう基準自体も吹っ飛んじゃって、
そういうためじゃないよね、ダンスやる理由って言って、
マジなところ肌と立ち止まっちゃうっていうことが、
実は起きていって、
1月から4月まで、
だんだん上達していく自分っていうのを、
自分で楽しみにしている部分があったんですけど、
それは今でもありますけれどももちろん、
だからといって、
それって人に証明しなきゃいけないようなことじゃないよねって、
新たな生き方の模索
思っちゃったりして、
ダンスっていうもの自体が人生の中で、
何割ぐらいを占めているかっていうその問題もあって、
今までちょっと、
60歳からの腰痛自粛以来の反動で、
今までやっていなかったことをやってやるぞっていう気持ちで、
ダンスが人生の6割ぐらいをダンスに捧げてっていうか、
継ぎ込んできた感じ。
その残ったところで、
他のいろんな用事を裁くみたいな感じで、
2年間ぐらい、3年ぐらいかな、
それで来てるんですけど、
そのこと自体もちょっと行き過ぎてて、
本来自分のいるべき場所っていうところが、
そこじゃないはずだみたいなのがちょっとあって、
その趣味であるはずのダンスが、
本来すべきことを圧迫してる、
食いつぶしちゃってるっていう、
それもあるなっていうのも実は若干あり、
それでちょっとペースダウンしようって思ったりしてるんですけど、
いずれにしても社任務に頑張って、
歯を食いしばって、
いろんなことを犠牲にして、
これに賭けるんだみたいなやり方を、
仕事でもそうだし、ダンスでもそうだけど、
ずっとしてきていたその在り方自体が、
もう終わったなって感じ。
これからは楽にやるぞ。
楽にやれることじゃないと続かないし、楽しくないし、
楽しくないところからは成果が上がってこないはずなので、
眉間にシワ寄せて歯を食いしばってギーってやってると、
もう人のことも許せなくなるし、
自分のことももちろん嫌いになっていくし、
そんなことをこの後に及んで続ける意味がどこにあるんだろうと、
思ったっていう感じですね。
私の場合、AIに驚かされた挙句、
そんな結論にまで行っちゃったんですけど、
でも真実のところ、絶対そうで、
何しろ自分の今の気持ちとか、
今やりたいこととかワクワクするなっていうことを、
どんどんどんどんフォーカスしていって、
それが日々移り変わるのであれば、
日々それも移り変わらせないといけない。
昨日大事だと思ったことだから、
本当は今日は違うことに興味があるけど、
昨日のことやらなくちゃって。
それが我慢っていうことだし、
歯を食いしばるっていうことにつながるんで、
これをやめていくっていう、
やめられる状況を作っていく。
そして自分を自由にする。
自由になった後何が出てくるか、
っていうのはなってみないとわからないですけど、
少なくとも歯を食いしばって必死に、
歯を食いしばって必死にやるっていうことよりは、
いい結果が出るはずだと思っております。
なんかまた観念的な話になっちゃったかな。
でも本当に思ってるし、
自分の中で結構大きな変化で、
これ後になってみたら、
2025年の5月に言ってた、
たぶん4月に変化があったと思うんですけど、
ここから人生変わったよねっていうくらい、
大きな転換点になる気がしているので、
一応ここでお話ししておきます。
本日は以上です。