ようやく出版オーディションの余波から立ち直りはじめています。
余波を受けている自覚もなかったのですが。
ようやく。
止まっていたThredsも再開しましたし、IKUKO塾の無料企画もなんとか始動しました。
こうして自分のコンテンツを作れる精神状態に戻るのは、良い兆候です。
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サマリー
出版オーディションの落選をきっかけに、自身のコンテンツ制作への向き合い方を深く見つめ直したIKUKOさん。商業出版の必要性や、自身の「書きたい」という純粋な欲求、そして他者の意見に惑わされず自分の道を歩むことの重要性について語ります。他者の意見は隣の車線の車のように参考にしつつも、最終的には自身のコンテンツを読んでもらいたいという根本的な欲求に忠実に進む決意を表明しています。
出版オーディションの余波と活動再開
IKUKO Labo ワンダーランド
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは。
IKUKO Labo の Kanada Ikuko です。
6月28日かな、日曜日。
午前10時5分ぐらいに録音をしております。
前々回から前回までね、1ヶ月も間が空いちゃったっていう話をしたんですけれども、
その前回から今日までは、どれぐらい日が経ったかというと、
えーと、1週間弱ぐらいですかね。割といいペースで。
もともと大体1週間ペースぐらいで配信をしていたので、
元の、なんていうんですか、リズムが戻ってきたかなという感じです。
出版オーディションへの参加と撤退の理由
やっぱりね、自分で意識していた以上に、例の出版オーディションっていうものが大きかったみたいで、
もう4月末に予選が終わって、私の出番は終わってるので、
5月、そして6月、2ヶ月ぐらい経ってるんですよね。
自分でそんなにね、予選を通れない、予選落ちするっていうのは、正直ね、やってる感覚で、
始まって投票期間2ヶ月のうちの1ヶ月目の終わりには、
これはちょっと立ち打ちできないなっていうのは、うすうす感じたんです。
ちょうどその頃に誘われて、リンクっていうコミュニティにね、
投票をお願いする目的で入ったりもして、
おかげさまでその結果、1ヶ月で何票ぐらい伸びたんだろう、60票ぐらい。
自力で集めたのが80票なので、それに近いまで、もっと頑張れば本当はもっと頑張れたと思うんですけど、
途中で、これ死ぬ気で頑張っても、
あれに、何でしたっけ、敗者復活枠にギリギリ届くかどうかだなっていうのが読めた時に、
これ以上頑張るのはやめようって思ったんですよ。
なぜかというと、敗者復活いったらもう1回最初から投票をお願いし直す、
ワンチャンそれで本選に通ったら、もう1回最初から今度は有料で応援してもらうお願いをするっていうことになるので、
そのことと自分が出したい本の中身っていうことを、意味とか価値を天秤に書けた時に、
もう明らかに、私が今計画している本には、そこまでの無理をして、
そこまでの無理をしてまで商業出版する必要性ないような気がするって思ったわけですよ。
投票してくれた方たちがたくさんいらっしゃるのに、こういうことを言うのは申し訳ないな、
十々承知ですけど、でも本音を言わせていただくと、無理だなと。
書きたいものがないわけじゃないっていうか、あるんですけど、
これを要するに商業出版するっていうことは、何百万ものお金を出版社さんに負担してもらって出してもらうわけですよ。
そのことを出版オーディションの中では、出版社から自分に投資してもらうんだと。
そういうふうに考えてくださいねって。
投資してもらった分は回収する、そして利益を出すのは著者の義務っていうか、心構え的に、
そういう意識でやってくださいねって言われたんですよ。
すごいわかりやすいなと思ったんですけど、
よくよく考えて、出版する紙とか印刷とか、そういうことの原価だけで今350万ぐらい、
部数にもよるけど、かかるんですって。
プラス、そこに出版社の編集さんとか、人件費とかわかんないけど、
諸々本当はあるわけじゃないですか。
そこまでの投資を、直接投資を私にしてもらうとしたら、それは本ではなくて、
私の新しくやるビジネスとか、そういうものに、例えばクラウドファンディング的ですよね。
350万って言うと桁的に。
であるならば、ちゃんと商品とかサービスが直接販売する、直接提供することに対して、
投資してもらうなら、まだ負に落ちるんですけど、一旦紙の本をする必要があるのかなって。
私が伝えたいことを人々に伝えるとか、私が提供できるノウハウみたいなものを人々に提供するっていうことで、
直接投資していただくんだったら、まだ理解できるんだけど、
そのために一旦本を作る必要がありますかっていう。
本作るのにお金かかったら、今度売っていくのにまた広告費とか、
プロモーション費用がかかるわけじゃないですか。
二度手間じゃない?迂回してない?何か。余計なもの作ってない?というふうに感じたの。
そうじゃない?本当にそれを投資だって言うんだったら、私に対する投資として、
出版社が負担してくれるんだよって言うんだったら、
ちゃんと結果、何に対しての投資なのかっていうことを考えなきゃいけないよねっていうか考えちゃって。
で、これはこの一連の投資とか支援してもらうとか、
価値を提供するとかいう話の中で、紙の本、何百部か千部かわからないですけど、
大量じゃない?印刷したものって。見たことないけど。
その物体としての本が邪魔じゃない?無駄じゃない?って思っちゃったわけですよ。
そもそもやる前から、いや、Kindle出版だったらいつでもできるしって知り合いにもいっぱいいるし、
Kindle出版やってる人が。もう何年も前から出せる状態なのに、そうじゃないと。
何かしら紙の本だって思って憧れていたんだけど、私の憧れとか、
あとはあの人は本を出した有名な著者さんだよみたいに言われたいっていうそういうね、
権威づけのために、その350万とかそれ以上とかっていう投資が必要だとしたら、
その向こうで売りたいバックエンドっていうのはもっと巨額である必要がありますよね。
そのプロモーションに要するに350万とかかけるっていうことだから何千万の事業?
だからこの話やっぱりおかしいんですよ。どう考えても。
本はやっぱり本として売れて利益が出るべきなんですよね。
出版社にも著者にも利益が出るのでなければ、その本を売った向こうに大きなビジネスがあるとかっていうのは宣伝用のツールであって、
反則ツールであって、皆さんが作るチラシとかパンフレットとかと同じ類のものじゃん。
だからこれは反則ツールなのかそれとも本なのかっていうのは私の中ではやっぱり明確に違うよねって思っていて、
だけど出版オーディションの中でははっきりは言われないんだけど、これはあなたに対する投資だと思ってくださいねみたいなこと言われてくると、
反則?反則って販売促進のね、プロモーションとかマーケティングとかなんですけど。
それでそれがどうだろうし、予選始まってから何回も企画セミナーみたいなのをやってるんですけど、オンラインで。
そんな中でそういう言葉が聞こえてきた時に、私がやっていることっていうのはそういうことなのねって思った瞬間に、
なんか私の中の本を書くことへの憧れみたいなやつがヒュヒュヒュヒュってなっちゃったっていうこともあって、
一応でもできる限りのお願いはしたんですけれども、できる限り以上の頑張り以上の頑張りをやらなかったっていうのは事実ですね。
もう死ぬ気で頑張るとか、どこまででも全国津々浦々どこへでも出かけて行ってお願いをするとか、そこまではしてないんですよ。
でも本当に死ぬ気で出したかったらそこまでするだろうと思うし、
私のやっていたことはというかね、悪いけどそもそも、そもそもの申し込んだ時の動機から言って、
9900円だったからワンチャン面白そうだなやってみようっていう、ただそれだけの小っちゃな好奇心の延長線上にこの話をしてるわけで、
そんな全国津々浦々死ぬ気で頑張って、そこまでするしたいほどのコンテンツを私が持っているんだったら、
そもそも出版オーディションではない動きをしてるよねって、ちゃんと出版社の人、
人を捨てをたぐって、探し当てて、交渉というかね、提案してると思う。
正直な話、今現在ですらも出版社に勤めている人を一人、あるいは出版社に近そうな人を何人か、そしてもっと出版社だった人を何人かいるんですよね。
だから個別に真摯にお願いというか、ご協力をお願いしたら、何がしかの人を紹介してもらえなくもないはずなんですが、
なぜそういうことをしなかったかって言ったら、そこまでするほどの本の企画が私の中にないからですよね。
私自身の編集者目線でもって、このことは今、本にして世に出すほどのものかどうかよくわかんないっていうところで、
荷の足を踏んで、この年まで本を出さずにいたわけで、
それを虫のいい話で9900円で、もしかして投票でできるんじゃねみたいなことではやっぱりできませんでしたっていうことですね。
反省もしてるんですけど、でも同時に無理にねじ込んで、その後自分が対応しきれないようなものを抱え込んでしまうっていう、
そういう判断、大人なので、そこまでは自分はできないなっていう大人の判断をして撤退したっていうふうにも言えるし、
それは見方による、逃げやがったなこの野郎って思う人もいれば、いいんじゃないっていう人もいれば、どうでもいいよ好きにすればっていう人もいるでしょうというだけの話。
コンテンツ制作への原点回帰とIKUKO塾の構想
ただ、なんで今こういう話をしてるかというと、そういうことを延々と考えたっていうことですよ私が。
予選投票中に、その後予選終わりましたって言っても、さっとそういうのが全部なかったことには、なかったことにしたつもりだったんですけど、
やっぱり層はとんやは下ろさなくって、今年前半のそのいろんな考えたこと、やろうと思ったりとか、まあああかなこうかなっていろいろ悩んだりしたことが、そのままシュンってなくなるわけではやっぱりなくって、
その余波、それをじゃあ何で埋めようとか、じゃあそれって何だったんだろうとか、その前半の穴埋めを後半でする、どっちが穴でどっちが埋めるかわかんないんですけど、がやっぱり必要で2ヶ月かかったんです。
今日6月の28日、6月末なんですけど、予選が終わって2ヶ月が経った、この2ヶ月を振り返ってみたんです。何をしていたのかなって。
そうしたら、いろいろね、新しいお仕事の、具体的に言うと育子塾っていうものの構想をものすごく練って、具体的にどういうものなのかっていうのが3段階ぐらい、ようやく決まったのがつい先週ぐらいですね。
本が出たら、本のおまけとしてこういうサービス、抱き合わせで考えてたんです。
ただ本がなくなっちゃって、その抱き合わせのおまけだけで成立できるのかっていうのを5月ずっと考え、やっぱり無理だよねってなって。
じゃあどういうふうにしようかって、組み立て直すのを6月にやってて、最終ようやくどうして決着できたかっていうと、人々に何々の価値を与えるっていう以前に、私は私の書いたものを読んでもらいたいよねって。
そのことはもうずっと変わらないし、インターネットができて、インターネットにはまった理由もここだったら私が書いたものを人に読んでもらえる場所だなって思って、独学でホームページを学んだんですね。
ってことはそれより前から書いたものを人に読んでもらいたいっていうことは本当にあって、学校の先生をしていた時代は毎日のように学級通信を書いていました。
これを生徒とそれを持ち帰った親に読んでもらって、時々家庭訪問とかの檻に先生の学級通信すごいファンですって、全部ファイルして取ってありますとかという言葉を時々いただいて本当に骨身に染みる嬉しさというか、
それだけで学校の先生生活なんとかやってたんですね。
でも辞めちゃうとその場所がなくなって、そして5年後インターネットができてきましたって言った時によしこれだって思うんですよね当然。
その延長線上でずっといろんなものを書いて、ミクシーができればミクシーに日記書き、それがなくなればフェイスブックとかに何か書き、もちろんブログも書き、何もかも書きって感じで大量のコンテンツを多分作ってきてると思うんですけど、
それで何?って言っても別にこれに関しては私の趣味というか本能的な何かなので、儲かる儲からないとかというレベルの話じゃないんですよ。
息しなかったら死んじゃうよねと同じように、何か書きたいことがあって書かなかったら死んじゃうんですよ。
で腰痛でパソコンの前に座れなかった時期に死にそうだったので、こうやって声で録音してみんなに配信するっていうポッドキャストを始めたんですけど、これは要するにブログの音声版ですよね。
慣れてくると書くより喋った方が早いじゃんってなって、それで続いているわけですけれども、元を正せば、もともとの最初の私のいつからかわかんない子供の頃からずっと何か書いて人に読んでもらいたいっていう欲は本当にあって。
今もそれはあるし、出版オーディションに落ちたからといって消えるわけではなく、オーディション落ちて本が出ないから抱き合わせとして考えていた意気孤熟、週1発信メソッドだけを売っていこうなんて。
ちょっと待てって話だしてね。私の本も読んでない人たちにそういうものをなんで私がサポートしないといけないのかっていうふうに感じる感じている自分っていうのははっきり気づくのに1ヶ月ぐらいかかったってこと。
でも気づいてからはそうかと。じゃあまず読んでもらって、その上でできることはさせていただこうと。その上でのいろんなサービスっていうのは可能なんだけど、とにかくね読んでくれてないとか私を知ってくれてない人に対して私がして差し上げられることなんて一個もない。
それは間違いないなっていうことで、意気孤熟のサービスに関しては順番を逆にしてまずは読んでくださいねっていう当然無料ですよ。
でノートに書くし。でもそこを元にして読んでくださって意見とかくださっている方への特別なサービスとしてもうなんか週一発信メソッドも教材を作って売るっていうもんじゃないので本当に寄り添ってというか毎週毎週顔を合わせてミーティングしたりっていう密度濃いので
そんなもの誰にだってやってあげたいなんていうことは言えませんよ。でも私の書いたものを読んでくれてあの共感をこの人ならって言ってくれるのであればそれはあのご協力しましょうと。
この漢字これなかなか人に喋って全然分かってもらえないんですけど、まあマーケティング的に言うと先にコミュニティを作ってそこで売っていくのねって言われちゃうわけですけどなんとなくね別にコミュニティ作りたいなんて思ってないしただただ私は自分の書いたものを読んでもらいたいってシンプルにそれだけなんですよね。
読みっぱなしでも別にいいんですけどコメントとかくださったらやりとりができたらそれはコミュニティと呼べるのかもしれませんけどコミュニティが作りたいから私のコンテンツを提供するじゃないっていうことですよね。
その順序の違いって私大きいような気がするんですよね。きっとそういう物書きの魂を持っている人にしか理解できないことなんだろうなきっとと思って人に理解してもらおう特にマーケティング方面の人とかで相談に乗ってくれる人はいるんですけど彼にも理解は難しいかなーって思ったりしますがいいんですよ。
別に何のためのインターネットかって話なんで私が35歳からずっとこのインターネットを研究しつくしてきているのはやりたいなと思ったことが自力でできるためになので今回もすべて自力で必要なツールは用意できるしもう始めているしこれやっていこうかなって話です。
学校退職時の経験と他者の意見への向き合い方
前置きだけがすごい長くなっちゃってもう20分も話してるんですけど今日言いたかったことは何だろうそういうわけで新しいの始めていくけどやっぱりいろいろ昔のことを思い出したりするときに一つ思い出したエピソードがあってついさっき
それはね29歳で私が学校の先生を辞めたときですね辞めますっていうことを言ったときに同僚からちょっと後輩だったのかな同じ学年ですごく仲良くしてた人からものすごい冷たい顔になっちゃって彼が
で一子さんがそんな人だと思わなかったって心を合わせて使命感を持って仕事してると思ったのに裏切り者だみたいな言い方されたんです私は本当にびっくりしてそんな使命感を持ってやってなかったんでこんな使命感を持たないとやれない仕事なのにこんなに使命感がなくてやっていてはいけないと思って辞めてるのに
なんかそれをそこでそうやって裏切り者扱いされるのかと思ってびっくりしたのとそして辞めてしばらくしてからとあるところで何年か前に別の学校で一緒だった体育の女性の先生とばったりあったんですけど向こうからニコニコとしながらそんなに親しく話す中でもなかったのにその時すごいニコニコとしながら来て
一子さんってよくやったね素晴らしいねって頑張ってねって言って去ってった人がいたんですけど勇気を持って辞めるって宣言したことをものすごく彼女は評価したみたいで
自分の道を自分で選ぶっていうことそれを堂々と言って例えばことぶき大社ですとかそういう形じゃなくて違うことがやりたいから辞めますって言って辞めたんですけどそのことをめちゃめちゃ評価したみたいなんです
でこの2人ともそれ以来1回も会ってないのでどうでもいいっちゃどうでもいいんですけどでもついさっきふっと思い浮かんだんで本当に記憶っていうのは消えないんだなと思うと同時に同じ一つの私が学校の先生を辞めたっていうそのことに対して真逆の反応があるんだなって
やっぱり人の意見というのは人それぞれで真逆本当に180度真反対の反応をその人とこの人から話しあの時もらったんだなって思い出すとじゃあ私はどうしますかって言った時に私にも私の見方見え方考え方があるので
じゃあ私は私に対してこう思うっていうことをそのままやっていくしかないねじゃないと他の人に聞けば聞くほどどんどん私じゃない評価私じゃない人の選択に自分が寄っていっちゃうだけなんで
もうブレてブレてブレてブレてブレまくって結局あれって私何してたんだろうって10年とか経って思う
なのでやっぱり最初と最後最初自分こうだなってこうしたいなと思った後人に意見を聞くなとは言わないんですけど聞くときにそれを100パーと思わずに
まあ何だろうな隣のレーンを走ってる車みたいな感じであなた様はこういうふうに思われるんですねでも反対側を見て別のレーンを走ってる別の車さんに聞いたらあなたはそちらにそういうふうに行くんですねって言って一緒に走っているっていうより隣のレーンを走っている車なんだと私たちがお互いねそれぞれの目的地が違うんだって
目的地も違えば走りたい道路も違う行きたいルートも違うそういう人が今たまたま同じ道路の同じ方向の隣同士の車線で走ってるから話しかけることができるんだよね
程度参考程度で影響を受けてそっちがいいなと思ったらそっち行けばいいんですけど誰かが行ったからそっち行くとか攻められたから反省してやっぱりやめるとかそうしてる限り絶対に自分の目的地にはたどり着かずその人の目的地に運が良ければたどり着くけどそもそも他人の目的地なんて行きたくもないわけですから途中で脱落してまた迷子になる
この繰り返しになるよねっていうのを思ったっていうことでございますこの隣の車線を走ってる車っていう例えがすごいぴったりくるなって人の意見に惑わされちゃうとか
自身のコンテンツへの純粋な欲求と今後の決意
なんかお母さんに止められたとかね反対されたとかいろいろ言いますけどそれ単に隣の車に子供の頃っていうのは自分の車がなくて人の車に乗っかってるわけですからどうしたってその車の行き先に影響は受けてしまうわけで
でもその車降りて自分の車を手に入れて自分の行き先っていうものに行けるようになるってことが自立なので
そうやって悩んだり迷ったりしながらも自分の目的地に向けて走りたいよとか走っているよとか進んでいるよっていう人を私はリスペクトするというかそういう人で自分もありたいと思うし話してて面白いなって思うのはやっぱりそういう人でみんな行き先が違うので面白いなって思う
大変興味を持ちますがだからといってその人たちからのあなたもこうしなさいよみたいなやつ全く響かないですよね何も響かないなんで私こんなに人の話が響かないのかしらって言ったら話が巻き戻って結局は私って自分の読んでる
自分の書いたものこの音声も含めて自分のコンテンツを読んでくれたり聞いてくれたりして好きだって言ってくれる人のことしか好きになれないんだよねっていうところ
だからたまたま隣のレーンを走ってる車ぐらいのことではとてもじゃないけどその人に乗っかっていこうとか本当に思えない
そうどんなに近い関係でも絶対思えないなっていうことをなんか今日なんかね不倫落ちちゃったそうたくさんのお誘いをいただくしたくさんのいろんなアドバイスもいただくんですけれどもどれ一つとして
その通りにはできない参考にはなるなって勉強になるなってそれは情報収集としてはものすごく有意義だとは思うんですけどだからといってそこに乗っかって自分の夢を叶えていこうとか一度たりとも思えないし今も思えないし
もうきっとこれから未来も思えないんだろうで私がじゃあどこに乗っかっていきますかって言ったら私が書いたものを人に読んでいただきたいできるだけ多くの人に読んでいただきたい
読んだら面白いねって言ってもらいたいもう唯一この純粋なこの欲望だけこれにしか乗っかれないっていうなんかびっくりするような選択肢の狭さをね感じたというか気づいたというか認めたというか前々からそうだよねと思ってたけど
いやでもそんなことじゃいけないよってお金も稼がなきゃいけないんだしね世の中にはビジネスのうまい人もいるんだしそういう人が言う通りに自分もやった方がいいんじゃないのってずっと思ってたけどそうじゃないんだなーっていうことをなんかさっきですよふーっと理解しましたということで今日はお話をしてみました
はい以上です
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