世界遺産検定 前澤のミドと
KANAEがお送りする
行きたくなる世界遺産
さあ始まりました。この番組は、学校の教科書は旅行雑誌に載っていない
世界遺産の魅力について厚く迫る番組です。
KANAEさん、世界遺産とはどういうものですか?
はい、世界遺産は多種多様なものが登録されています。
各国にいろんな違いがあるので、その違いを認め合って争いを無くしていくためのもので、
いろんな違いを知るための教科書のようなものです。
はい、ということで、ローマ帝国第2弾です。
はい、第2弾。
前回に引き続き。
そうですね、ちょっと笑っちゃった。
そうです。今回もね、ローマ帝国の遺産を持ってきましたよ。
はい、ローマ月刊ですね。
嬉しいですか?
まあまあまあ、でも私もね、ローマ帝国時代の遺跡とかちょっと見たことがあったりもしたので、
やっぱりだいぶ古いじゃないですか。
そうですね。
そう、紀元前、紀元後くらいのタイミングくらいですよね。
そうです、そうです。
そうそう、なんで、約2000年前って考えたら、
本当にこう、自分が想像もつかないような文明があったりとか、そういうのもあるし、とかね。
お任せあれ。
お任せあれ、はい。
今回もね、エリス繰りの世界遺産の中から僕がピックアップしてきましたよ。
みなさん、なんでそんなにローマ帝国時代が好きなんですか?歴史。
僕にカエサルっていう人がめちゃめちゃ好きなんですよ。
はい、演説してた人ね。
そうそうそうそう、最終的に殺されちゃうんですけど、
でも彼の弟子が初代ローマ帝国の皇帝になってて、
まあちょっとね、女性に対してすごく奔放な人なんですけど、
でもなんかすごくね、なんか賢いなとか、
結構今生活する上でも、すごいカエサルの名言とか、やったこととかをちょっとね、半数して。
哲学的な?
そうですね。
へえ、そうなんだ。
っていうところがあって、好きなんですが、今回はですね、オフランスの世界遺産です。
はい、いやいいですね。
オフランスです。
世界遺産はですね、アルルのローマ遺跡とロマネスク建築という世界遺産です。
はい。
アルルといえば、南仏プロバンス地方を代表するね、一大観光都市として有名ですが、
アルルどういうイメージありますか?
いやアルルも遺跡というかさ、そういうのはもちろんイメージですけど、
そもそも私プロバンスが一番行ってみたいんですよ、フランスの中で。
わかる。
結構田舎で、観光スポットって言ったんですけど、
フランスの海外からの観光客とかの方が多いらしくて、日本人じゃなくて。
でなんかさ、のどかでワインとかもすごい美味しいしとか、畑とかもあるしとか、
そういうなんか、フランスってパリとかのイメージ強いけど、そうじゃない、ちょっと田舎の方の、
ニースとかまで行っちゃうとまた騒がしいじゃないですか。
おニースね。
そうニース行っちゃうとまた騒がしい。
おニースとかアビニョン、オアビニョンとか。
アビニョンもね、素敵だと思うんですけど、
でも本当に田舎ののどかな街並みが楽しめるって言うと、
プロバンスなのかなとかって思っちゃったりもするので、すごい好きなエリアです。
そう言うと思いました。
そう言うと思いました、はい。
そうね、結構田舎なんですけど、
なんせこのプロバンス地方って有名なのが、数々の画家を輩出してきた地方ということで、
シャガールとか、あとは誰だろうな、モネとかもそうなのかな。
でも言ってると思いますよ。
そうですよね。
いろんな名だたる画家たちがこの場所で様々な名作を世に生み出してきたんですけど、
最もアルルで有名なのはゴッホなんですよ。
ゴッホがこの場所で数々の名画を世に送り出したっていうことで有名でして、
僕ね、ゴッホの中で夜のカフェテラスっていう絵が一番好きなんですよ。
それはその周辺で描いた作品?
そう、アルルで描いたんですよ。
なんかね、夜の夜景に大々のカクテル光線っていうんですか、
っていう明かりに灯されたカフェテラスが映し出されてるんですけど、
それがすごく僕好きで、
ああいうところで本当に夜通しなんか飲んでみたら、すごく幸せなんじゃないかなって思いながら。
なるほど、酔いつぶれる、そこで。
ちなみに僕アテネで結構飲んで、
次の日の飛行機遅れちゃったって言ってましたね。
言ってましたね、有名な話。
まさに飲んでた酒場が夜のカフェテラスそっくりのお店なんですよ。
多分そういう、なるほどね。
でもそれはアテネで飲んでたんですよね。
でもありそうですよね、ヨーロッパってやっぱり似てるようなお店とかも結構ありそう。
こういったゴッホの街として有名なんですが、
今回その世界遺産の部分で紹介するのは、
画家というよりもローマ遺跡、そして中世のロマネスク建築っていうところの紹介になります。
なんで時代が大きく分かれますね。
さっき金谷さん言ったように、紀元前、その中間あたりの話と、
中世なんで11世紀、12世紀、13世紀ぐらいかなの建築で大きく分かれるんで、
その辺が違いがあるんですけども、
2つの時代の名だたる建築が街の中に点在しているという場所になります。
ちょっとその辺も楽しみに聞いていただきたいなと思います。
ではですね、早速世界遺産の説明に入ると思うんですけど、
まずはローマ時代ですね。ローマ紀の遺跡についてなんですけども、
このローマの遺跡、このアウルっていう場所にちなみますと、
紀元前2世紀ぐらい、当時はローマ帝国にまだなっていなくて、
共和制ローマの時代なんですけど、
共和制ローマがこのアウルを制圧したことによって、
ローマ帝国における重要な商業都市になっていくんですよ。
で、そこからまた日にちが立っていって、
ちょうど紀元、どれぐらいかな、0世紀とかなのかな、
カエサルとか、さっき言ったね、カエサルとか、
彼の弟子であって、初代のローマ皇帝になるアウグスティスという人たち、
ちょうど共和制ローマからローマ帝国に移り変わっていく時代に、
カエサル、アウグスティスという人たちがここにね、
ローマ建築を作り始めるんですよね。
ということが起きつつも、4世紀になると、
今度はですね、ローマ帝国においてとんでもない事件が起きます。
これはね、コンスタンティヌスっていう人が当時皇帝だったんですけど、
この人の時にローマ帝国がキリスト教を国教化するんですよ。
これめちゃめちゃすごいことで、
当時のローマ帝国ってね、宗教っていうのは多神教が多かったのかなって聞いてるんですけど、
ていうこともあって、若干キリスト教徒を迫害してた地域もあったりしてたんですよ。
確かになんかその、人間主義みたいな、人が中心の文化とかがあったって言いますよね。
神様っていうよりかはね。
そうなんですよね。
ということで、ミラノチョクレというものが出されて、
そこでローマ市民の宗教信仰の自由が与えられて、
そこからローマ帝国がキリスト教を国教化していくわけなんですけど、
そのローマ帝国がキリスト教を国教化した初期の重要拠点になったのが、このアルルルってことですね。
はいはいはい。
本当にキリスト教が広まった重要拠点といってもいいかもしれないですね。
ローマ時代で言っても、本当キリスト教の初期の歴史があるってことですね。
そうなんです。
ということで、この場所にはね、そういったローマ時代を思わせる遺跡がいっぱいあるんですけども、
代表的なのが古代劇場ですね。
古代劇場と、あとはコンスタンティヌスという人が作ったコンスタンティヌスの公衆浴場というものもあってます。
浴場とかもいいですよね。結構あれじゃないですか、ローマって。
そうね。
しかもなんか立派な柱とかも周りにあったりとかさ。
確かに確かに。
何だっけ、ああいう絵があったじゃないですか、ローマ時代の。
テルマエロマエロマ。
それをイメージつくような感じの建物の建造物が多いんじゃないかなって思うんですけど。
そうですね。本当に皆さんがローマの遺跡ってイメージしたら思い浮かぶようなものが結構ある意味はゴロゴロとある感じですね。
一方変わって、今度はロマネスク建築の方なんですけども、
ロマネスク建築といえば中世ぐらいに風靡したキリスト教の教会だったりとかそういったものをデザインしている建築様式なんですけども、
きっかけを遡るとやっぱりローマ帝国時代に戻るんですよ。
紀元の3世紀ぐらいかなって言われてるんですけど、聖人トロフィムスっていう人が。
初めて聞いた。
本当ですか。
テキスト載ってたらどうしよう。
でもね、ちょっとね。
載ってるかな。
載ってるかもしれない。
やばいな。
でもちょっと初めて聞いたかも。
でもね、あんまり有名じゃないです。
聖人トロフィムスってググったら今から喋ることしか出てこない。
そこまで有名な人ではないかもしれないんですけど、
トロフィムスっていう人がある意味やってきて、キリスト教の布教活動を始めるんです。
これすごいなって思ったのが、さっきのローマがキリスト教を国教化したのって4世紀じゃないですか。
それより前にある意味来て、キリスト教布教活動をしてるんですよ。
さっきも言ったように、ローマ市民って場所によってはキリスト教徒を迫害してたエリアもあったんで、
この人よう布教したなっていう。
確かに。
結構命がけ屋だったんじゃないかなって。
そうなんだ。
なんかね、どうせなってすぐ殺されちゃうし。
いやマジマジですよ。血の毛多いですからねローマ市民本当に。
確かに。
っていうことをね、し始めました。
そういったちょっとキリスト教のゆかりがある場所ではあるんですけども、
そこからキリスト教が国教化されて、ずっと年代が重ねていって、
11世紀から12世紀ほどですね。
あるいはやっぱりキリスト教におけるローマ帝国というか、
ヨーロッパにおける重要な拠点になっていったんですよね。
で、街を代表する教会というか、聖堂を作ろうという話になって、
その時に先ほど挙げた聖人トロフィムスの名をちなんで作ったのが、
サントロヒウム聖堂という。
サントロヒウム聖堂。
トロフィムスから取ってる名前ですね。
聖堂になります。
で、これもゴリゴリのロマネスク様式の建築物になっています。
ロマネスク様式って何ぞやっていう話なんですけど、
これ100回の時にさ、モンスタンミッシェルの公開収録の時に若干ちょっと話したんですけど、
フランスって言ったら、やっぱりノートルダム大聖堂とか有名ですよね。
ああいう風な豪華なステンドグラスと、外から見るとバラ窓があって、
大きなゴシックみたいな。
あれもゴシック様式って言われてるんですよね。
ゴシック様式がフランスで流行る、その前の時代にあったのがロマネスク様式って言われてて、
厚い壁と小さい窓があって。
なんかちょっと重厚感あって、あまり良くないかもしれないですけど、ちょっと堅苦しい感じ?
そうですね。まさにその通りです。
重厚感が。ガトーショコラみたいな。
ガトーショコラはわかる。形もね。形はわかるかも。
金塊ドーンみたいな感じですね。
なんかすごい圧迫されてる感じ?
そうそう。なんか豪華な消息とかは少ないかもしれない。
あんまり天国をイメージさせるようなゴシックってのはちょっと違うかも。
そうなんですね。
このサントルヒウム制度も例によって、
そういった厚い壁と小さい窓が特徴的なロマネスク様式の教会になっているんですけど、
中でも有名なのがファサードっていう教会の入り口ですね。
入り口の扉の上にタンパンって言われる半円型の彫刻物っていうか、レリーフがあるんですよ。
これがトルヒウム制度の特徴になっているんですけど、
そのタンパンに最後の神パンが描かれているっていうのはここは見どころになっています。
こういうのってタンパン以外にも彫刻物にキリスト教の教会とかって多かったりするし、
あとは東宝聖教とかになってくると、
今度は彫刻物が逆にダメで、フレスゴがでないとダメですよっていう教会もあるんですけど、
そういったものも聖書の一部が描かれたりしてるんですよね。
これっていうのはその当時って今ほど文字読める人がいなかったんですよね。
でもいますよね。文字で読み書きとか。
王様とか意外と読み書きできない人とか多いですよね。
多かったらしいですよね。そうなんですよ。
っていうこともあって文字が読めない一般市民でも、
そういった聖書の中身物語がわかるようにそういった彫刻物としてタンパンだったりっていうもので残したと言われています。
そうなんだ。
ちなみに近代になってくるとカッパン印刷っていうのが流行ってきて、
ドイツでカッパン印刷の技術がすごい普及していくんですよ。
それで聖書の大量生産ができるようになったんですよ。
それによって文字が読める人が莫大に増えたって言われてます。
当時聖書ってギリシャ語かバチカンじゃないですか。
だからイタリア系の言語でラテン語かな?しか書いたものがなくて、
自分の母国の言葉で書いている聖書っていうのはほぼなかったらしいんで。
それでカッパン印刷で母国語の聖書がいっぱい広まったおかげで、
じゃあ勉強してみようかなっていうことで。
手に取りやすくなったんですね。
これは完全に余談なんですけど。
こういったところが中世ロマネスクの背景になっています。
なんかこう見るとあれじゃないですか。
ローマ遺跡と中世のロマネスク建築って時代が結構飛び飛びで、
もちろん見た目も全然違うけど、
ちょっとこの話を聞くと繋がりみたいな感じがする。
確かにキリスト教国になったっていうのもそうだし、
キリスト教も原点というか始まりはゼロ年じゃないですか。
そうなんですよね。
だから同じくらいの時代なんだなっていうのも感じたし、
だから少なからず文化交流だったりとか思想感の生き生きみたいのは知ってたから、
共通するものとかあるんだろうなとか思いましたね。
近いしね場所も。
そうなんですよね。
だからここが結構僕ポイントかなと思って、
一瞬ローマの遺跡と中世ロマネスクの建築、
二つの時代が分断した形で街に残っていると思いました。
実はストーリーを探ると結構繋がっている部分がある。
見えない糸であるっていうのがここはすごく伝えたいところで。
絶対交流してましたもんね。キリストだったら。
そうなんですよ。
確かに。
そうなんだ。
という背景があるんですが、
僕がこのアルルで最もご紹介したいものを今から紹介します。
それがアルルの遠景陶器場です。
陶器場ね。
皆さんお待たせしました。
ちゃんと名前使いますね。
広くね。広く使わないと。
確かにね。一応映してるからね。
そうなんです。忘れてましたね。
そうそう。あまりにも前回のLGMの遠景陶器場が
金谷さんなんか結構盛り上がってたんで。
盛り上がってた?私?
盛り上がってた。
みのさんでしょ。
私も盛り上がりは面白かったんですけどね。
あまりのオンドック感の差にびっくりしちゃった。
昨日じゃない。前回喋った瞬間に
次も遠景陶器場行ってやろうって思いました。
こいつって思いました。なんだこの冷めた感じって思いました。
私もちょっと動画見返して
自分これは冷めすぎだわって思いました。
画面に映ってると県庁に出ちゃいますね。
そうですね。ということで皆さん
大変申し訳ございません。
たぎってください。たぎる時間がやってきましたよ。
遠景陶器場です。
このアルルにもあるんですよ。
やっぱさ、結構フランスとかイタリアとかの街って
遺跡が残ってるところ、すごい陶器場が残ってるところも多いですよね。
多いですね。
このアルルの遠景陶器場は紀元前1世紀作られたと言われてます。
古いですね。
紀元前って言ったらもう古いですね。
古いですよね。
これね、さっき金谷さん言ったように
アルルの街の上空写真に残してる写真とか結構残ってるんですけど
見ていただいたら一目瞭然で
遠景陶器場に家が集まってくるように
旧市街が形成されてるんですよ。
中心になってるんだ。
そう、街の東側にあるんですけど
でももう遠景陶器場に家が集まるようにさ
しかも海が近いんかな、やっぱ。
なんかね、すごいね、ロマンチックなんすよ。
そうなんだ。でもさ、海が近いと本当に海上都市みたいな感じで
いろんな人も集まってくるし、結構賑やかだったんですよね。
そうですね。
街並みも綺麗だし、もちろん。
ごめんなさい、海なんか川なんかわからんすけど
水辺ね。
水辺でした。
だし、やっぱりアルルの南フランスの温暖な気候とさ
家とかも茶瓦って言うんすか
いや、わかります。古い感じの家が残ってますよね、ちゃんと。
そうなんですよね。
そのど真ん中に丸い遠景陶器場がドーンとあるわけですよ。
これがね、本当にいいなと思いまして。
いいなって。飲みたいなって。
飲むぞ。飲むんだから。
いいな。
という場所になっていて、このアルルの遠景陶器場はどんなもんかというところなんですけども
収容人数は2万5千人です。
じゃあこの前のと同じくらい、この前の。
LGMね。
LGMが3万5千人くらいなんで、ちょっと小じんまりかな。
ちょっとLGMがでかすぎるっていうのもありますね。
なるほどね。
で、このアルルの遠景陶器場は2万5千人入るのと
136m×107mの2層2階建ての構造になってます。
3層3階建ての遠景陶器場ってもうローマのコロッセオとLGMの遠景陶器場しかないんで
ね、って言ってましたね。
ここアルルのは2階建ての遠景陶器場になってるんですけど
面白いのがここからで
中世に入るとですね、これアルルの遠景陶器場って
要塞兼住宅に使われるんですよ。
あー、はいはいはい。
集合住宅ですよね。
アパートってことなのかな。
そうなんだ。
それは何ですか?陶器場に勤めてる人とか関係なしに。
関係なしですね。家になるんです。
その部屋数なんと212個。
まあまあ、まあまあ。
すごいですよね。
中にはね、2つの礼拝堂があったそうで。
礼拝堂というか教会があったそうで。
やっぱそのあたりがこのアルルらしいなって思って
やっぱキリスト教復教の重要拠点だったじゃないですか、ローマにおいて。
デカズロマネスクの代表的な都市ということもあって
それがローマ時代の遺構の中に作られたっていうのが
ちょっとなんかエモさを感じる部分だなと思ってます。