近藤淳也
IBUKI STATION。近藤です。畝本です。IBUKI STATIONです。はい、ちょっといつもと違うタイトルコールの方がおりますが、
今日もIBUKI STATIONはゲスト回です。はい。なんとですね、本当の滋賀一周を成し遂げた方がいらっしゃるということで、
綿はるさんというゲストの方に来ていただいています。ありがとうございます。お呼びいただきまして。綿はるさんです。どうぞよろしくお願いいたします。そして一緒に進行を務めてもらうのが、
うねもとさん。はい、うねもとです。うねちゃんです。なんでうねちゃんに来てもらったかというと、
実はこの近藤もNPO法人の滋賀一周トレイルという団体の代表理事をさせてもらっていて、
滋賀一周には思い出があるんですけれども、その滋賀一周トレイルの整備なんかで、一番ね、
たくさん一緒にご作業してくれたのがうねちゃんで、そうですね。はい、まあ滋賀一周トレイルの整備を一緒にやっていた仲間ということで、
綿はる
綿はるさんを来ていただくには一番良かろうということで、来てもらいました。はい、はじめまして。ありがとうございます。
Aya Unemoto
光栄です。お願いします。ありがとうございます。うねちゃんの紹介は?うねちゃんの紹介は、まあ、何でしょう。ちょこちょこFKステーションに出させてもらってると思うんですけど、
トレイルランナーなんですけど、山の整備もしてますし、あと登山、山の重曹登山も好きで、
近藤淳也
ハルプスとかも行くんですけれども、まあ近藤さんと知り合ってからは、がっつり山の整備とかもするようになり。はい。レイクビアは100、唯一女性で全部観走してるんですよね。
綿はる
そうですね。100マイルも走るっていう。そう、100マイルを主戦場と今してますけれども、まあレイクビアもね、元をたどせば滋賀一周の一部を使った100マイル、160キロのレースなんですよ。すごいですね。
そうそう。なので、思い入れがありまくりなので、一応4個として4回目になるんですが、一応全部出させていただいております。
そんなすごい方と。すごいことはないんですけど、趣味でやっております。うねちゃんを迎えて、一緒に綿はるさんの話をお聞きできればと思います。はい、よろしくお願いいたします。
近藤淳也
じゃあまず綿はるさん、自己紹介してもらっていいですか。そうですね。もう歳は57歳になります。そうなんですか。
綿はる
そうです。小42年生まれの羊年でございます。
滋賀県の日野町っていうとこからやってきました。綿はるの渡は渡向山の渡でございます。
自分の名前とくっつけて、一応ハンドルネームを綿はるということで、山れこや、山と、で、山の記録を残しております。
綿はるさんですね。はい。じゃあ生まれも育ちも日野ですか。そうなんですよ。もう全然日野町から出てなくて、高卒で地元の職場、仕事場に通ってるというそんな毎日で日野町しか知らない。
ありに日野町ラブということで。でもね、日野町を知るためには、やっぱり外も知らなきゃいけないなっていう思いがあったので、日野町、渡向山からちょっと出て、いろんなとこに登ろうかなみたいな。
近藤淳也
なるほどね。じゃあ基本的に住んでる場所は、滋賀一周のトレイルの外に出たことがないっていうことでしょうか。そうです。内側ですもんね。ずっとあの謙虚な中で。
Aya Unemoto
いや、外も出たかったんですけど、もうここまで来たらもうこだわろうかなと。こだわり。じゃあ滋賀県が大好きっていう。もう滋賀県、もう滋賀県が大好きにならざるを得なくなっちゃったみたいな。なるほど。暑い。
近藤淳也
はい。そんな綿はるさんですが、ちょっとですね、知り合い、僕の知り合いの方から、本当の滋賀一周をした人がいるぞという情報をね、最近いただきまして。
で、本当のっていうのはどういうことかと言いますと、僕と畝本さんとかは滋賀一周トレイルっていうのを整備してましたが、その滋賀一周トレイルはね、大体は滋賀県をぐるっと一周してるんですが、特に北部とかね、南部で謙虚を忠実にトレースするにはあまりにもやぶが多かったりとか、道があまりないところが多いのと、
Aya Unemoto
わかりました。
近藤淳也
じゃあ、最終的にその滋賀県の県境をかなり忠実に一周達成されるわけですけど、ちょっと発端から順番にどういう経緯でそこに向かっていったか。
綿はる
いっぱい発端あるんですよ。
近藤淳也
一番最初はまず渡向山登ってたからね。
綿はる
小学校6年生の時に渡向山を登って、それも頑実に登って、雨だったんですよ。登りかけた時は。
登ったらすごい日の出、朝日、御来光が見られて、それに感動して、毎年御来光長めに頑実に登ってたっていうのがまず始まる。
ちなみに、日野町の渡向山の登山口に行くと、結構看板とかしっかりあって、かなり愛され登山道ですね。
近藤淳也
あれは渡向山を愛する会という方々が整備されて、あれだけ綺麗になったと。
僕とウネちゃんのたまに言ってる言葉で、愛され登山道っていうね。
Aya Unemoto
愛されトレイル。
綿はる
すんごいね。
近藤淳也
愛されトレイル、愛されトル、愛されトレイル。
綿はる
愛されトレイルって渡向山に登ったことございますか?
近藤淳也
ないんです。
綿はる
上にね、青年の塔という青年塔があるんですよ。
減るんですね。大きな大きな。
この塔を建てられた方が、今75歳ぐらいの方々で、日野町の青年団をされてて、その青年団の方々が建てられたと。
近藤淳也
その方々が中心で渡向山愛する会を作って、渡向山を整備されて、渡向山にいくつか小屋があるんですけども、全部それも作られたということですね。
僕はね、反対側の小物町で、まず御座礁があって、で、雨漕いがちょっと奥に行けばあると。
でも、滋賀側の自転車でよくサイクリングとかで日野とか通るんですけど、そうすると、雨漕いより手前にまず渡向山ってあるじゃないですか。
だから多分同じ鈴鹿山脈なんですけど、滋賀の方の一番手前の山と小物川の山では全然見てる景色が違うと思って。
綿はる
で、僕は渡向山登ったときに雨漕いまで行けるよっていうのは知ってて、その流走をするのに憧れてたんです。
で、まあ、御座礁が。
近藤淳也
だから雨漕いで奥って感じなんですね。
綿はる
あ、そうですね。御座礁しか見えないですね、雨漕いで。
近藤淳也
だからそこがね、まあ、鈴鹿山脈の幅を感じるエピソードだと思うんですけど。
渡向山が、だから子どもたちが遠足で登ったりとかもするっていうことですね。
綿はる
そういうこともありますし。
近藤淳也
で、感動して。
で、山にハマったってことですか。
綿はる
山にハマったのは、まあ、50手前なんですけども、それまでは子育てとかいろんなことで忙しかったし。
近藤淳也
で、まあ、50手前になって、ちょっと健康に気をつけるようになって、何かしようと思ったときに山始めようかと。
結構後だったんですね。
綿はる
あ、もう遅かったですね。本格的にするのが。
それまでは山の地図を見て登るとかいうのが大変やという、ちょっと踏み出すのには勇気がいるなと思ってて。
まあまあ、でもやりかけて。
近藤淳也
で、そのときに実はいうと、渡向山から雨漕いまで重走したんですけど、むちゃくちゃ道に迷ったんです。
杉峠で。
綿はる
実は、全然杉峠じゃなくて渡向山から雨漕い行く途中で道に迷って。
近藤淳也
実はいうと、方向がわからなくて、逆戻りしてた。
恥ずかしい話が。
綿はる
こんなことがあって。
で、結局また逆戻りしたんですけど、結局また雨漕いまで行って重走はしたんですけども、これは困ったなと。
そしたら渡向山アイスルール会のある方が、山アップっていういいアプリがあるよって言われて、もうそれを使いかけたら。
近藤淳也
じゃあ始められた頃にすでにあったんですか?山アップ。
綿はる
山アップありましたね。
ほんと最近始められたんですね。
山アップがあってこんな便利なのかどうやら。
で、はじめはね、父さんが初めて微暴露で記録をつけてるだけやったんですけども、いろいろアプリの機能見てたら奇跡がつながる機能があったんで、これ面白いなあということですよね。
あるとき、ちょっと私仕事柄ですね、ちょっと行政マンなので、熊本地震があって、熊本の真四季町行かしてもらって、真四季町1週10日間ほど行かしてもらって、1日だけお暇をもらったんですよ。
で、この暇をもらったときにレンタカー借りて阿蘇山行ったんですよ。
そしたら阿蘇のあの風景、外林山の中に阿蘇山がぽつんとあるあの風景見て、むちゃくちゃ感動して、外林山を巡りたいなという風なちょっと夢が芽生えて、で滋賀県戻ってきて、で太郎坊山登ったんですよ。
近藤淳也
何山?
綿はる
太郎坊山。
近藤淳也
太郎坊山、はいはい、滋賀のね。
綿はる
太郎坊山っていう山があるんですよ。東大門。
近藤淳也
建物が上の方に建っているところですね。
綿はる
で、太郎坊山登ったら、太郎坊山に登ったら、実は滋賀県も古党カルデラという、カルデラやったという看板が出てたんですよ。
近藤淳也
古党カルデラなんですか?
綿はる
はい、古党カルデラ。
そして滋賀県、比叡山、平山、比叡山とそれから鈴鹿の南部がその外林山であるっていうようなことを書いてて。
近藤淳也
ということは一個の火山だったってことですか?
綿はる
そういうこと、1万年前ですよ。もっと、もっと前って書いてたかな。
ですから日本がまだ、言うたら朝鮮半島とかとくっついてた時っていう風に書かれてる。
近藤淳也
滋賀県全部がカルデラ?
綿はる
滋賀県全部ではなかったですよ。
ですから、太郎坊山とかあの辺の周辺の山を中心にして、鈴鹿とそれから比叡山が外林山だったっていうようなことが書いてたんで。
あ、滋賀県にもカルデラって、外林山が巡れるんやっていうのがあってから、外林山を行こうっていう思いがあってやり始めたっていうのもあるんですよ。
近藤淳也
なるほど、なるほど、偉い。
でもそれ、めっちゃでかい山だったってことでしょ?
綿はる
そういうことですね。
近藤淳也
阿蘇山はもともと富士山より高かったって言いますよね。
綿はる
そういうふうに聞いてますし。
近藤淳也
あれが全部山の形、爆発する前は。
綿はる
でもそれよりもっとでかいかもしれないですね、こんなにでかかったら。
近藤淳也
そうなんですか。
綿はる
小島カルデラで、ちょっとネットでも載ってるんで。
じゃあ調べてみますね。
小島カルデラを巡ってるっていうことは、滋賀県も盆地なんで、滋賀県に山々があるんで、これ巡れるかもしれへんなっていうふうな、巡りたいなというふうな、ふつふつと湧いてきたし。
仕事柄、ちょっと美和市が滋賀県で本格的に始まったっていうのを知って、
美和市をするんやったら滋賀市もせえへんのがいいなみたいな、っていう思いもちょっと。
じゃあ美和市に対抗したいなみたいな。
っていうような、そんな思い。
そして、
近藤淳也
それ何年前ぐらいですか?
綿はる
それがちょうどこの山を始めて2年ぐらい。
で、ネットって朝日新聞、我が家朝日新聞やったんで、朝日新聞の私画版見たら、見たのが近藤さんの記事やったんですよ。
Aya Unemoto
あの記事ですか。
近藤淳也
市街周トレイルの。
綿はる
そう。
まじか。
Aya Unemoto
わーすごい。
綿はる
市街周できるように整備した。こいつらすごいな。
Aya Unemoto
嬉しいですね。
綿はる
そっから素人の私でも市街周、一人でできるかなっていうのを始めたのがきっかけですね。
近藤淳也
なるほど。じゃあ結構市街周トレイルの新聞の記事も影響してるんじゃないですか。
綿はる
もうむちゃくちゃ影響しましたね。
近藤淳也
ですから僕は近藤さんに出会えたのが実は嬉しくて。
まあね仕事今日ね、お休み半日とってまで来てくださってね、本当にありがとうございます。
綿はる
一度アポートって、メールとか多分ね、やり取りはしてるんですよ。近藤さんはご存知ないんですけど。
Aya Unemoto
あ、そうですか。
SNSの。
綿はる
はいそうです。またお手伝いできることがあったらお手伝いしますよみたいな草刈り。
近藤淳也
あ、そうですか。
綿はる
草刈りは私田んぼやってるんで、草刈りはむちゃくちゃ得意なんで。
近藤淳也
じゃあぜひまた。
Aya Unemoto
行きましょう一緒に。草刈り屋まで行きましょう。
綿はる
ですからもうそれでまずは滋賀ランドトレイルのコースを通ってみようかと試しに。
近藤淳也
じゃあそれまでは渡向山から雨漕いジュースを知ったぐらいの登山経験で。
綿はる
あ、そうですね。そんなにしてなくて、本当にもう登山を始めた時にもう滋賀シガイチを始めようと思ったので。
近藤淳也
え、じゃあその登山が好きで次第にシガイチじゃなくて、ほとんどシガイチするために登山をしたってことですか。
綿はる
もうそん中に。
近藤淳也
もうしたってことですか。
綿はる
そうです。
えぇー。
サーブレッド。
近藤淳也
すごいシガイチのために登山をし始めたっていう方がいらっしゃるんですよ。
綿はる
そうなんです。ですから技術も何も体力も始めなくて、もうシガイチだけを目指して。
それ何年の話ですか。何年前ですか。
でもあれは2018じゃないですか。
いや、あのね。
Aya Unemoto
あ、そうか。新聞に載ったのはずっと。
18やん。
17か18かどっちか。
綿はる
僕の、実際に言うと、わたはるのプロフィールには、実は下の方に、自分のラウンドトレイルをいつ達成したかとか、そんなことが書いてて。
多分ね、2018年から2020年で、約2年かけてシガイチ一周のラウンドトレイルをやったので、2018年からが。
じゃあ今から6年前ぐらいに、記事の影響もあって、シガイチ一周やろうって思ったという。
すごい。
いいえ、近藤さんのおかげでもあると。
近藤淳也
嬉しい。
Aya Unemoto
嬉しいですね。
綿はる
ですから今日会えるのがむちゃくちゃ楽しい。
近藤淳也
もう嬉しいです。
綿はる
感謝感謝です。
近藤淳也
じゃあちょっと解説してもらっていいですか。
Aya Unemoto
解説。
近藤淳也
記事何が書いてありました。
Aya Unemoto
あれはちょうど、本当に一周つなげて時ですよね。つなげて、レースの前。
近藤淳也
大会の前ですね。
Aya Unemoto
大会の前ですね。
綿はる
する前ね。
Aya Unemoto
つながったよーみたいな感じで、お声かけいただいて、記事にしていただいたと思うんですけど。
近藤淳也
そっか、そうですね。
あのちょっと補足をするとね、その一周のトレイル、僕たちが全部つなげたわけではなくて、
もともとね、高島トレイルさんとか、平比江トレイルさんとか、鈴川ずっと県境の重曹路があったりとか、
京都一周トレイルもあるし、東海自然保護もあるしということで、
綿はる
まあ440キロのうち400キロぐらいは、何かしらトレイルがあったんですけど、
近藤淳也
残り30キロぐらいがかなり道が怪しい感があったので、ちょっとね整備をして、残り30だけやったっていうね。
綿はる
そうですね。
ということで、あの400キロつなげたわけじゃないんですよっていうのはちょっと。
肝となる、あの茨城山の奥ですね、奥茨城のあたりが、まあ矢部だったので。
近藤淳也
もうあそこだけはどうしてもね、大海で通るには絶対無理っていうぐらいの矢部だったので、
そこをかなりね、時間をかけて1年ぐらいかかって。
綿はる
よく駆られたと思います。
ね、笹刈山という名前がそこからついたという。
Aya Unemoto
ありがとうございます。
綿はる
秘話もあるし。
近藤淳也
めっちゃ詳しい。
Aya Unemoto
あれがね、ちょうど最後にね、残ったというか残したというか、
あそこどうする?みたいな、ちょっと放置してたんですよ。
笹があまりにもひどくて。
でも最後感動の開通がそこだったんで、ちょうど良かったんですけど。
綿はる
ねえ、長浜に住み込みみたいにして。
あの、70日ですか?何日ですか?50日?
近藤淳也
その2018年に、まあ1年掛けで通ったんですけど。
Aya Unemoto
通うのが、まあ京都なんで私たち。
綿はる
はいはい、ですよね。
近藤淳也
舞原?舞原かな?
長浜基地。
長浜か。
Aya Unemoto
長浜ですね。
近藤淳也
1軒家も借りまして、毎週同日同日で通うので。
ほぼほぼ。
綿はる
すごい。
近藤淳也
まあ前日のね、金曜日とかから。
Aya Unemoto
そうなんです。
綿はる
そうなんですよ。
Aya Unemoto
見ないと効率が悪くて、やっぱり往復するだけで時間かかるので、
ちゃんとチェーンソーとか草刈り機とか毎回持っていくのも大変なので。
綿はる
ですよね。
近藤淳也
借りて、どうかな?70日に行ったかな?
50何日とかじゃなかったですか?
綿はる
ブログか何かに書いてたと思うんですけど。
近藤淳也
翌年もやってるんで。
Aya Unemoto
もっと言ってると思うんですけど。
近藤淳也
翌年も。
次の年も明日何十日ぐらいになるの?
綿はる
そうですね。
すごいなと思って。
ですから、近藤さんとかね、手をかけられた方が、
まあ、滋賀の方じゃないじゃないですか。
それにも発音されて。
本来ならもっと滋賀県民頑張れよって。
近藤淳也
そうですか。
綿はる
じゃあ、奇跡を残したら誰か歩くかな?みたいな。
近藤淳也
なるほどね。
でもちなみに、この前レイクビアハイカーズのお二人にもお話聞きまして、
お二人とも滋賀県出身の方でしたけど、
滋賀県の方って琵琶湖を結構見てる感じがしますね。
琵琶湖愛がすごい強くて、裏山っていうか、視線が琵琶湖向いてるから、
後ろ側の山の稜線を実はあんまり意識してないんじゃないですか。
綿はる
そうなんです。
私は日野町なんで、いわゆる山側の人間なんで、山愛が強いんですよ。
近藤淳也
日野ぐらいまで行くと山愛。
確かに琵琶湖接してないですか。
綿はる
私、小さい頃はね、自分の村の川、御瀬川っていう小さい小さい川あるんですよ。
川を遡上して、この奥はどこに行くんかなとか、そんなことも思ってたんで、
この奥に越えたいなって。
大人になってから、この奥が三重県なんやとか、鈴鹿なんやっていうのが分かって、
小さい頃の思いが、そのまま大人になって、滋賀県一周に繋がっちゃったみたいな。
近藤淳也
じゃあ日野ぐらいまで行くと山愛が結構強くなる。
綿はる
山愛強いと思うんですけども。
ちなみに小学校の時に全員が琵琶湖で一泊するっていうのはされたんですか。
私の後やったんですよ。
フローティング琵琶湖で、海の子っていう船があるんですけども、
その後やったんですけど、私はボランティアで、
海の子の船を使ってキャンプするっていうのが二泊三日であって、
それのボランティア活動もしてたんで、一応琵琶湖愛も強くて。
近藤淳也
じゃあ一応、日野町の方も今は琵琶湖の研修っていうか、
綿はる
小学生はみんな海の子はやるんですよね。
近藤淳也
でも綿はるさんの時はやらなかった。
綿はる
その時はなかったですね。
近藤淳也
だからそうすると日野町の方は結構山愛が強いってことですけど、
やっぱり結構滋賀の方でも琵琶湖の方を見てるんだなっていうのが、
この前の藤原さんと味噌汁いがほさんのインタビューで結構感じて、
だから県外の人がっていうことですけど、
僕はたまたま三重出身の京都住まいなんで、
どうしても家帰る時に滋賀を全部通っていくっていう、
そういう両側に縁があったので、
たまたま三重に帰るために南側と北側から回って、
滋賀一周をしようと気になったっていうので、
綿はる
ある意味隣にいたから一周がよく見えたっていう感じがしますね。
中学校3年生の時に実は滋賀一周、
琵琶湖一周を自転車で友達としたっていうのもあるんで。
近藤淳也
なるほど。
じゃあそれで2018年頃にやろうってなってどうなってたんですか?
綿はる
どういう順番で住んでたんですか?
初めは釜畑に登ったりとか平山の道前に登ったりとかっていう、
ちょこちょこと登山だけはしてたんですけども、
この両線繋がったら面白いなということで、
まず歩きやすいところから始めたような気がしますね。
歩きやすいところから始めて、
でもやっぱり一人で歩くってすごく不安やし、
何か先人の方の奇跡ないかなと思って、
初めは山アップばかり使ってたので、
山アップばかり使ってたら出会ったのが、
ご紹介いただいたゴリさんと出会ったんです。
ゴリさん。
はい、ゴリさん。
それとゴリさんとダーツさんが、
ダーツさんも一周されました。
Aya Unemoto
ダーツさん一周されましたね。
綿はる
その2人がコラボでシガイチをされてるっていうのが分かって、
その人の、その2人の奇跡を真似ながら。
Aya Unemoto
今見たら3月17日に1回目。
2018年、釜畑。
綿はる
その時は全然思ってなかったんですよ。
その時は思ってなかった。
いくつか山を登った後にやりかけたっていうのが正直なところなんですけど。
Aya Unemoto
最初から狙ってたわけじゃないですか。
綿はる
初めから狙ったわけじゃないですけど、途中からですね。
そうですか。
はい、そうですそうです。
近藤淳也
ゴリさんとダーツさんは全然知り合いではなかったですね。
綿はる
全然知り合いなかったです。
近藤淳也
山アップで見つけたっていう。
綿はる
私もピストンが大嫌いで。
Aya Unemoto
分かります。一緒ですわ。
綿はる
大嫌い。
私も絶対やりたくないピストン。
そんなに?
登山口から三角形を描くように。
分かります。分かります。
三角形を描くように両線をつないで。
だんだん距離が伸びてきますよね。
初めは、本当に初めの頃って15キロぐらいしか歩けなかった。
だんだん歩いてるうちにちょっとずつ強くなってくるし。
でも一番初めやり始めた頃って膝ガクガクでしたね。
でもダーツさんと出会って、膝痛くないですかって言ったら、
2、3年したら痛くなくなるよって言われて、本当に痛くなくなりましたね。
近藤淳也
なるほど。
Aya Unemoto
なんか、かなり雰囲気も2018年からだった。
だいぶ若いというか、
初心者としてですけど。
近藤淳也
ちょっと黒余かな。
Aya Unemoto
黒余かな。
綿はる
そうですね。
すごい今、洗練された岡になっておりますけど。
ちょっと歳を取りまして。
とにかく三角形を描くように運送してて。
距離を伸ばしてくると、距離を伸ばしたかったんで電車を使いましたね。
近藤淳也
ワンウェイで行けるよみたいな。
綿はる
ひえさんとひらさんはそれを使えたんで、これ便利っていう。
Aya Unemoto
個性戦ありますからね。
綿はる
それを使いましたね。
バスをつなげたりとかしながら。
Aya Unemoto
素晴らしい。
近藤淳也
ゴリさん、ダーツさんとは会わなかったんですか?
綿はる
ですから、私はもともと一人でソロで達成したいなという思いが強かったので、
どうしようかなっていうか、もう一人でやってたんですよ。
そうしたら、ゴリさんからお声がかかった。
ご一緒しませんか?って。
向こうから声をかけてグリハッタに対して、
いや、ソロで行きます、なんて。
近藤淳也
それも僕はどうだろう。
しかも同じような活動されててね。
綿はる
これ同士ですよね。
じゃあ、ご一緒させてもらおうかなっていうことで。
一番困ってたのが高島トレイルやったんで。
バスでつなげるとかっていうのがちょっとわからなかったんで。
これはデポ作戦ですよね。
2台で行って、ゴールとスタートラインでつなげていくっていう。
それでゴリさんとダーツさんとご一緒させてもらって。
近藤淳也
じゃあ一緒に山にも行ってたってことですね。
綿はる
そうですね、何回か。
近藤淳也
その時はあの2人はまだ一周されてなかったんですか?
綿はる
まだその時されてなかったんですよ。
でも、まもなくしてダーツさんは一周されて。
近藤淳也
ダーツさんは県境全部ではないんですか?
綿はる
シガイチの高島市ですか?
近藤淳也
シガイチの高島市。
僕たちも、何でしょうね、あれ。
整備してる時とかに、ヤマップとかで見つけてたんかな?
Aya Unemoto
そうですね。
はなさんはもう整備の帰りに。
綿はる
はなさんは、山レコがもうちょっと後なんですよ。
ゴリさんがヤマップを使うのと同時に山レコを使ってたんですよ。
これヤマレコもっと便利ですよって言われて。
で、初め半信半疑やったんですよ。
半信半疑。
ちょっとアプリの機能の違いで。
綿はる
ヤマップさんは普通のルートしか計画は立てられないけども、
山レコは指でなぞりながらバリルートのルートの計画が組めるという優れもの。
これがすごく便利っていうのと、
山レコの方がヘビユーザーが多くて。
確かにそういう意味ありますね。
ヘビユーザー。その時代はまだヘビユーザー多かったんですよ。
そのヘビユーザーの一人がはなさんやった。
この人、県境忠実にほぼ行ってる。
Aya Unemoto
赤線、赤線って言ってますよね。
綿はる
赤線つなぎ。
赤線つなぎをやってあって。
で、ご一緒させてもらうことがあって。
そのはなさんともご一緒させてもらいました。
近藤淳也
そうなんですか。
綿はる
で、はなさんと出会って、なんではなさんがシガイチ仕掛けたんですかっていろいろ喋ってたら、
シガイチ自分で山登ってたらシガイチのラウンドトレイルを整備してある人に出会って感動しましたとか。
近藤淳也
その時出会ったのが僕とうねちゃん。
綿はる
公園の時でしたね。ちょうどこんなとこに人があって。
Aya Unemoto
まさかこんなとこに。
近藤淳也
まだだって開通してない時だから行き止まりなはずなのに登山者がいて、どういうことってなったよね。
で、立ち話したら県境つないで。
Aya Unemoto
あと私はなさんを知ってたんですよ。あの辺うろちょろしてる珍しい方だなと思って。
綿はる
北の方なので。
Aya Unemoto
もしかしてはなさんですかって言ったら、そうですって言ったから、わーって言って写真を撮ったんですよね。
綿はる
元々山猫でしたよ。
近藤淳也
すごいです。
Aya Unemoto
まあそうだよね。だから整備中にお会いできた女性の方がはなさんって方で。
近藤淳也
元々、じゃあ。
Aya Unemoto
元々赤線つなぎをずっとやってる方で。
で、結構はなさんのログを参考にシガイチを組み立てたりとかもしたはずです。
綿はる
なるほど。
近藤淳也
僕らもちょっと初めて入るエリアとかで、はなさん行ってないかなって。
逆にログ調べて、こういうぐらいだったらいけるかみたいな。
ちょっと写真で予習したりとかしてたんで。
Aya Unemoto
つなぎとかね、あの辺とか。
綿はる
そうでした。
なるほど。
まあ私もですからはなさんとつながっちゃったということで。
Aya Unemoto
これマニアックな話だね。
綿はる
マニアックですよね。
そういうつながりってむちゃくちゃ面白いですよね。
近藤淳也
まあそうですね。
綿はる
同志を得る。
これゴリさんから教わったんですけど、
ゲームのロールプレイングと一緒っていう風に。
ゲームしていくとアイテムがあって、それから同志を見つけて、敵を倒してクリアしていく。
全く僕もシガイチが一緒で、初め一人やったのがゴリさんとかダーさんの同志を得て、
ストックとかいろんな道具を買い揃えて、
そしてラウンドトレイルのシガイチを一周できたっていう。
近藤淳也
結構あっさり行きましたけど、
まずラウンドトレイルコースは何回ぐらい、何回で何日ぐらいかかったんですか?
綿はる
山アップにもちょっと書かせてもらってるんですけど、
この時で、書かせてもらってるのは、
Aya Unemoto
27回ぐらいかかってる。
これでも30何回。
綿はる
30何回って書いてます?ごめんなさい。
Aya Unemoto
シガイチその43。
綿はる
これね、やっぱりシガラウンドトレイルだけで言うと27回の参考。
Aya Unemoto
そうなんですね。
属シガイチとか。
綿はる
そうなんですよ。
それはあくまでも、シガラウンドトレイルを一周やったんで、
僕はもともと、もともと県教寮さんが行きたかったんで。
Aya Unemoto
その次のほうが。
近藤淳也
じゃあ、27回通って、
2年間で、
まず滋賀一周ラウンドトレイルのコースを一周されて、
綿はる
素晴らしい。
もともとの目的が滋賀県境やったので、
そっから県境をいかにつなぐかっていうのを。
近藤淳也
ちなみにそのゴリさん、ダーツさん、はなさんは、
そのときはすでにラウンドトレイルを一周してたんですか。
綿はる
一番初めにダーツさんが一周されて、
次、私だったんですよ、ゴリさんより先に。
追い越したんですか。
これでゴリさんの一周に立ち会って、
はなさんはもうちょっと後なんです。
近藤淳也
そういう順番なんですね。
綿はる
じゃあ、抜いたんですね。
そうですね。
近藤淳也
だいぶ通い詰めたんじゃないですか。
綿はる
通いましたね。
近藤淳也
ずっと考えてたんですか。
綿はる
もうずっと。
近藤淳也
次どこ行こうかな。
綿はる
次どこ行こうかな。
ちなみに、和田春さんはご家族は。
近藤淳也
います。
綿はる
何ておっしゃってるんですか。
僕は一周やってるとかそんなこと何にも知らないです。
今も。
山は行ってるのは知ってるけども、
どこの山行ってるとかあんまり言ってない。
近藤淳也
なんでですか。
綿はる
家族に知ってもらいたいこともそんなに思ってなかった。
近藤淳也
でもなんか急に行くようになったなってなってますよね。
綿はる
ガソリン代もいるし。
装備も買ってくるし。
近藤淳也
そこは何か何してんのかなって。
綿はる
何してんのかなって多分思ってる。
まだ思ってると思います。
近藤淳也
そこの会話はないんですか。
綿はる
ないです。
全然。
近藤淳也
そうなんですか。
綿はる
我が妻は初め、
一番初めのデート、うちの奥さんとコンゼ行ったんです。
コンゼ行ったんですか。
コンゼ。
もうヘロヘロになって、それで山ダメ。
うちの奥さんと趣味全然合わないんで。
近藤淳也
じゃあ行ってらっしゃい。
綿はる
行ってらっしゃい。
山始めたっていうのもちょうど子供たちが中学生になって、
だんだん手が離れてきたっていうのもあるし。
始めたっていうのもありますね。
近藤淳也
じゃあ一応前向きに送り出してくれて。
綿はる
前向きなんでしょうかね。
勝手にやってるみたいな。
でも見送っていただいてるというか、
夜中に出ていくことが多いんで、
黙ってバイバイみたいな。
近藤淳也
おにぎり作ってくれないとか。
綿はる
いやいや、そんなん全部自分で作りますし。
あんまり山行くのに奥さんの手を患わすとか、
そんなことがあったら次行けないんで、
なるべく全ては自分でする。
帰ってきたら選択は自分でする。
近藤淳也
なるほどね。
Aya Unemoto
はいはい、今野さん。ちょっと気になる。
順番はどうしたんですか。
例えばこの周りでずっとこうじゃなくて、
飛び飛びでこう行ったり。
綿はる
飛び飛びなんですよ、それが。
Aya Unemoto
それはなぜですか。
綿はる
あのね、ちょっとこの時計回りやったり、
逆時計回りやったりってかいうのも、
行きやすさだけでちょっと選びましたね。
Aya Unemoto
例えば平山系今やってる、次比叡山系とか。
綿はる
そういうのはちょっと意識はしましたね。
ですけども、北の方はレポート読んでると、
斬雪式しか無理やっていうようなことを聞いてたので、
そこだけは陶器に行きたいなというふうに思いました。
上田宮は初めて行ったのはダーツさんと、
それからゴリさんに助けていただきましたね。
Aya Unemoto
そこも一緒に行ったんですか。
綿はる
行かせてもらいました。
そこはちょっと一人では怖かったんで、
ダーツさんは雪山もちょっとしてやったですし、
私よりも技術も体力もあったので、
そこだけ助けてもらいました。
近藤淳也
ちなみにちょっとラウンドの方に戻りますけど、
逆につまらんなーって思ったりとか。
いや、全然思いました。
あのルート取りどう思いました。
綿はる
いや、むちゃくちゃいいと思いました。
そうですか。
すごいと思いますよ。
よく全然自分が行ったことのないところを開拓されて、
ルートを作っておられるので、
これはすごいな。
近藤淳也
東海自然歩道、暇やなーとか。
綿はる
いやいや、東海自然歩道って自然歩道じゃないでしょ。
大自然歩道やと思いませんでした。
しがたきのとこ。
Aya Unemoto
良かったです。
綿はる
むちゃくちゃ荒れてますよね。
近藤淳也
そっちか。
綿はる
何ですか、これ自然歩道ですか、みたいな。
近藤淳也
あれだいぶレイクビアのおかげで今整備されてきてる。
Aya Unemoto
そうなんですか。
近藤淳也
毎年レースが通るんで、かなり歩きやすくなってます。
綿はる
僕が通った時はもう水で流されて、こんなところ。
Aya Unemoto
最初そうだったんですよ。
綿はる
これすごいな。
Aya Unemoto
今、びっくりしますよ、行ったら。
綿はる
そうなんですね。
近藤淳也
めっちゃ綺麗。
昔ね、あれ国交省が東海道を、自然の東海道を作るみたいなんですよ。国の事業でやって。
ただ各自治体の予算もあんまりなくて、結構ほったらかしになってる。
そうなんですね。
空間とかが多かったんですけど、近年レイクビア100っていう、市街一周トレイルの南3分の1ぐらいを使った100マイルレースをやってまして。
綿はる
なるほど。
近藤淳也
そこのレースがあるんで、整備を結構大会のボランティアでやってるおかげで、最近すごい通りやすくなってきてるんですよ。
綿はる
なるほど。
近藤淳也
だから結構市街一周トレイルが起点となってレイクビアができて、大会のおかげで東海自然保護の整備が進んでるっていう。
綿はる
すごいですね。
近藤淳也
そうなんです。
綿はる
奇跡ができると、道ができると僕思ったんで、その代一員社員になりたいなという、ちょっと欲があって。
近藤淳也
いいですね。
ちなみにあそこは大丈夫でした?新谷山?
新谷山。
七ヶ瀬の下りと、無理やり下ろしてる斜面は大丈夫でした?
綿はる
いや、これがね。
ちょっとよく見ると、私新谷山、作業道を使って登ったので、実は市街一周トレイルさんのルートを行ってないんですよ。わかります?
近藤淳也
もっと南まで回ったんですか?
そうなんですよ。
なるほど。
綿はる
私は駅とかそういうのも使ってたんで、横駅から歩いたので、横駅から新谷山行くのはどれがいいかなと思って行ったのが、この作業道やったんですよ。
近藤淳也
なるほど。そっちで良かったと思いますよ。
綿はる
厳しいっていうのは、ゴリさんとかに聞いてたので、この新谷山から横山だけに始めて行ったので、そこの尾根が夏場とても厳しい。
厳しいですね。
というので、ちょっと冬場にそこは通りました。
近藤淳也
そうなんですね。個人的には一番強引なのはあそこの斜面。
綿はる
なるほど。
Aya Unemoto
見てほしかったな。
綿はる
また通りたいと思います。
近藤淳也
でも、ラウンドトレイルのルートもすごい良いって言っていただいて嬉しいですけど、どの辺が良かったですか?
綿はる
全てルートとしては良かったと思います。本当に感動したのはこの笹狩山のあそこは繋がなかったら、どっちにしても滋賀県境も滋賀ラウンドトレイルも綺麗な一周にはならない。
Aya Unemoto
素晴らしい。
綿はる
ならないんですね。
Aya Unemoto
嬉しいですね。
綿はる
すごいかも。私が通った時にまだ一年も経ってるか経ってなかったぐらいだったので、もう感動しましたね。すごい。
Aya Unemoto
嬉しいです。本当に大変だったんですよね。
綿はる
ですよね。
Aya Unemoto
一回見て絶望したんです。
綿はる
絶望したんですか、あれ。
Aya Unemoto
絶望の丘。
綿はる
絶望の丘ね。
近藤淳也
僕たちも。
綿はる
そうですね。まず大津のとこ攻めましたね。大津を攻めて、それから滋賀県の方を攻めていきましたね。
近藤淳也
この南部はどうなんですか。
綿はる
南部は本当に増林地帯でしたね。一番険しかったのが高畑山から笹ヶ岳。
近藤淳也
高畑山って鈴鹿の高畑じゃなくて。
綿はる
おとぎ峠っていうおしゃれな峠の名前があって、そこから高畑山っていう山に登って地獄谷っていう三角点があるんですけども。
近藤淳也
どの辺ですかそれは。
綿はる
これはね、本当に三重県と、ごめんなさい。
近藤淳也
あ、笹ヶ岳、この辺か。
綿はる
上のとの接してるところですね。
近藤淳也
桜峠とかから。
綿はる
あ、桜峠もあります。おとぎのちょっと北の方の峠は桜峠ですね。
この区間の高畑から地獄谷がもう笹ヶ岳でした。
近藤淳也
あ、そうなんですね。やっぱり矢部はあるんだ。
綿はる
でもレポがあったんですよ。リボンもあったんで。
近藤淳也
入ってる人はいたんですね。
綿はる
人が入らなくなったので笹が生えたっていう感じですね。
この辺の山は増林地帯もありますし、
昔ってこの教会を松とか植えて教会の印にしたっていうのを僕ちょっと前聞いたことがあって、
その辺は尾根自体に松がずっと生えてるんですよ。
これは教会のために植えられてるなっていうのがわかったんですよ。
ですから行ってましたね。一番幸せかったのはそこでしたね。
近藤淳也
そうなんですか。その矢部は何キロぐらい続いてた?
綿はる
これね、背丈ほどは100メートルほどやったんですけども、
あとはもう胸より下とか膝より下が、それでも5キロぐらいずっと笹ヶ岳が続いてたんで。
でもそこピンクテープもありましたし。
近藤淳也
逆に言うとそれぐらいなんですか?他は?
綿はる
南の方で、あとはね、本当はこのおとぎ峠の手前の笹矢部だけはちょっと行けてないんですよ。
近藤淳也
この道路を通ってるとこありますね。
綿はる
そうなんです。先ほどちょっとね、ひどすぎる。
近藤淳也
ひどすぎた。
綿はる
断念してるとこもあります。
ですから季節にもよりますね。
僕その一番高畑山のとこの笹矢部なんですけども、自分行った時は梅雨時やったんですよ。
本当にむちゃくちゃひどかったんですけども、その後いくつかレポも上がるようになって、
シガイチをちょっと今目指してる山友さんがいて、その方をアテンドするのにそこを通ったんですけども、
冬場通ったら、なんか刺さってやっぱり冬場は、あれ背が低くなったみたいに思うぐらい勢いがなくて通りやすいですね。
近藤淳也
そうなんですね。シガイチ、ラウンドトレイルこっちに伸ばすのありだと思います?
綿はる
ありだと思いますね。作業道もありますし。
結構行けます?
近藤淳也
結構行けると思いますね。
綿はる
そうなんですか?
これと南の方は実はゴルフ場があって、ゴルフ場の境を伝うように行くんで、
ちょっとそこがね、ゴルフ場の境に杭とか油脂鉄線とかがあって、ちょっと歩きにくいところがありますね。
近藤淳也
そういうのはちょっとね。
綿はる
ちょっとね、堅強と言いながら強詰めするようなところもあるので、
あと松茸山も通るんで、ビニールテープがいっぱい道にあるっていうところがありますね。
近藤淳也
ちょっと松茸の時期に入ると怪しまれるというか。
綿はる
怪しまれるかなみたいな。
近藤淳也
このね、南山城村とか和塚とか、お茶の産地とか。
綿はる
和塚は県境稜線にMTBコースができてたので、
そこ割と有名なMTBのコースですし、レースもされてますので、
その時に行くとちょっといけないかなみたいな。
近藤淳也
なるほどね。
そういうのを踏まえても、こっちに広げるのもありだと思いますか?
綿はる
ありだと思いますね。
近藤淳也
そうなんですか?
綿はる
増林されてるところがほとんどですし、踏み跡も割としっかりしてる。
近藤淳也
意外といけるんですね。
綿はる
意外といけますね。
近藤淳也
だいたい間隔では、そのままで何割くらいいけるんですか?
綿はる
もうそのままでほぼ100%。
でもね、ちょっと厳しかったのがどこだったかな。
大津の大石とか、観音山とか。
立木山とか。
立木観音とか。
あっちに近づくと、今新明神の高速道路とか、あの辺工事が入ってますよね。
近藤淳也
あの辺がもうちょっと入れない、立ち入り禁止になってますね。
綿はる
逆にそういう人間のやってる工事とかの方がむしろ敷居が高いというかなんですかね。
ですから、あの工事がちょっと終了しないとその辺は通るな。
Aya Unemoto
岩間山とか行ったんですか。
通りました。
綿はる
通りました。
Aya Unemoto
ここ通りました。
近藤淳也
でも桜通りから登ってないですね。
綿はる
そうなんです。そこちょっと厳しいとこもあるんで。
そこちょっと厳しいとこがあるんです。
近藤淳也
ここ頑張って通したんですか。
綿はる
はい。
近藤淳也
南結構いけるんですね。
綿はる
結構いけると思いますね。
近藤淳也
ちょっとすいません、かなりマニアックな話ですけど。
そうでした。
景色もいいんですか。
綿はる
いや、これがね、景色は南はダメですね。ほとんど上に木に阻まれて。
近藤淳也
そこなんですよね。苦労して。
綿はる
奥IBUKIと一緒でしょ。
近藤淳也
いや、奥IBUKIはまだ若干僕ロマンを感じるんですけど。
南は正直ちょっとめんどくさいって言ったらあれですね。
綿はる
めんどくさいですね。いやめんどくさいと思います。
近藤淳也
特に得るものがないって言ったら悪いけど。
確かに。
すごい低いし、登ったところで絶景が待ってるわけでもないでしょう。
綿はる
一部あるんですけども。
近藤淳也
あ、そうですか。やたら距離長いじゃないですか。
綿はる
あのね、おとぎ峠の高畑山の近くは実はいうと
上に乗って雲海がすごく広がる季節があって
そんなこと知らなくてたまたま行って
アテンドするのにそちら行って
そしたら私らより先に車がいっぱいあるんですよ。
俺何やろうと思って聞いたら
いや、雲海が見られます。
おとぎ峠の展望台があるんですけども
そちらから狙うのが一番良かったみたいなんですが
私らはそんなこと知らなかったし
高畑山を目指してたんで
そちらへ登ったらそっからでも上野の雲海がむちゃくちゃ綺麗で
近藤淳也
見えたんですね。
綿はる
そこはすごいですね。
高畑山は滋賀県の山っていうか
どっちかというと三重県の上野の山っていう形で
三重県から登られる方がいっぱいいて
そこから見る上野はすごく絶景ですね。
近藤淳也
そうなんですね。
またちょっと別のエリアですね。
この上野とか出てくると。
綿はる
でも三重県ですね。
近藤淳也
そうですそうです。
そうなんですけど
そうか。
南ね。
ちょっとありかもしれないですね。
綿はる
でも東海自然歩道でいいと思う。
近藤淳也
そうなんですか。
滋賀ラウンドトレイルは。
距離だけやたら長くなる感じですしね。
じゃあ南の方はそれで行かれて。
あと北ですよね。
北ですよ。
北。
これが核心部だと思うんですけど。
綿はる
北というか僕初めて本当に厳しいなと思ったのは
鎌倉山から水戸山、京都の最高峰。
ここを重装するのに。
近藤淳也
そっちですか。
綿はる
そうなんですよ。
ここ重装するのに
技術とかそんなんもなくて
水戸山の手前に谷があるんですけども
ちょうどね
そこ冬場も行けるかなと思って
行ったんですが
斬雪があって
雪の時に行ったんですよ。
アイゼンとそれから
スノーシュー持って行って
ちょっと谷の名前忘れちゃったんですけども
その谷に降りて
水戸山に行く前の県境の山
名前もない山なんですけども
そこに登ろうと思って谷に降りたら
滝壺があって
もうどうしようもなかった
県境稜線に登れなかった
その谷をそのまま降りたんですけども
近藤淳也
足織谷ですかね。
綿はる
そこね
山レッコってオレンジラインがありますよね
人が歩いてる
そのオレンジラインに沿って行こうと思ったんですが
実はその足織谷って
シャワークライミングとか
のオレンジラインやったんで
そこを雪のある時に
降ったんですけども
もうとにかく
たった500メートルくらいあったんですけども
もう死ぬと思います
近藤淳也
大丈夫だったんですか?
綿はる
大丈夫でしたね
これね
アニマルトレースがあるんで
そのアニマルトレースを伝えながら
ちょうど雪の時やったんでストック持ってたんで
塗装するのにもストックがあったので
ストックがすごく助かりましたね
近藤淳也
それでバランス取って
なんとか塗装して