20代の振り返り
今回はイベントに参加いたします。 水代誠さんが企画しているポッキャトークテーマ
ヤングアダルト編に参加することにしました。今回第3回らしいですね。 前回第2回中学高校生編には私も参加しまして、当時の部活の話なんかをしており
あの時のことは今思い出しても懐かしいなぁっていう感じで、エモさみたいなものがありますよね。
今回はヤングアダルト編ということで、アダルトではなく、ヤングアダルト、つまり20代の話ですね。
20代といえば大人にちょっとなった、なりかけ、これから大人の階段をしっかり登っていくっていう時代、
一体私は何をしていたんだという、そういう振り返りをしてみたいなと思っています。 20代はね、私結構いろんなことがあったんですよね。
20代って言ったら大学3年生ぐらいからの話ですよね。 なので大学生の頃、社会人1年目になり、私は20代で結婚しているので、その結婚生活の話とか
20代はいろんな転機がありました。 いろんな思い出があるとともに、嫌な思い出なんかもいっぱいあるんですけども、
何を話そうかなぁなんて思ったんですが、当時はこんなことをしていたなぁっていうのを懐かしみながら、ゆっくり話していきたいと思います。
この番組は定時代謝に定評のあるプロ会社員のこたつが、人に話すほどでもないようなことを冷ややかに時には熱く語る
私は定時で帰りたいです。お耳がいていたらいかがでしょうか。 お疲れ様です。こたつです。
20代ヤングアダルト編。何から話していこうかなぁと思うんですけども、時系列順に話してみようかな。
20代前半、20代半ば、20代後半っていう3部作みたいな感じにしていきたいなぁと思うんですけども、20代前半、私まだ大学生でしたね。
20歳から22歳まで大学3、4年生っていうところを過ごしていたんですけれども、この時何をしてたかっていうと、ずーっと遊んでました。
いや大学3年生なんてずっと遊ぶじゃないですか。大学3年生4年生って就活の時期もあるんですけども、私は就活を早々に終わらせたタイプだったので、ずーっとバイトしてずーっと遊んでました。
バイトはね、大学1、2年生の頃は白木屋っていう居酒屋でホールスタッフとして働いていたんですけども、酔っ払ったお客さんの接客がもう嫌で、大学3年生になる前ぐらいからダイニングバーだったかな。
イタリアンダイニングバーのキッチンスタッフとして働いていたんですよ。週4から5ぐらいで働いてた。いや一時期は週6で働いてたかな。
なんかバイトの人数が少なくなっちゃって、週6でキッチンスタッフとして働いてた記憶があります。あの時はめちゃくちゃ働いてて、同じお店のスタッフさんからはフリーターだと思われてました。
あまりにも店にずっといるからフリーターなんだって思われてたんですよね。 当時まだ全然大学生だったので昼に大学行って夜働いてたみたいな感じなんですけども、
そこのイタリアンダイニングバーでは3時から仕込みをやって、ラストの時間が基本は夜1時。金曜日土曜日が3時まで営業するっていう業態だったので、その時私だいたい初めから最後までいたんですよ。
明けからラストまでいるっていう風に言ってたんですけども、基本的に自分で仕込みをして、自分で締め作業をして、次の日もまた仕込みをしてっていう、なんか社員みたいな働き方をしてました。
だからそりゃフリーターだって思われても仕方ないですよね。
当時のバイト三昧の生活はそれなりに楽しかったですね。 そこで働いている社員さんとも同じバイト仲間とも仲良かったし、バイトが終わってからよくダーツしに行ってたんですよ。
ダーツで遊んで朝5時6時までダーツをして帰って寝たらまた3時ぐらいから仕込みをするみたいな感じで、飲食店の人として働いてたっていう感じでした。
よく飲みにも行ってたので、あの時週3ぐらいで飲みに行ってた気がしますね。
飲み行ってない時はだいたいダーツで遊んだり、後から社員さんも合流して一緒に朝方まで遊んで次の日また会うみたいな、そんなフリーター生活を送っておりました。
当時は飲食店で働くっていう選択肢しかなぜかなかったので、もっと他のバイトとかしてみたかったなーって今更ながら思うんですけども、飲食店で働くって一番大学生っぽいなぁと思うので、今となってはあれで良かったのかなと思います。
しかも当時ね、バイトってサラダを作るとかピザを焼くとか比較的簡単な調理の方しかやらないっていう風潮があったんですけど、
私なんでだったんだろう、あんま覚えてないんですけども、メイン料理、肉とかそういうのをやってたんですよ。
そこって本来社員さんとかやるはずだったんですけど、何かが間違ってメイン料理やってみるみたいな話になり、いつの間にか肉を毎日焼くっていうそんな仕事ぶりをしてました。
なので今でもどういう風に肉を焼けばいいかっていうのはなんとなく覚えてるんですけども、今全然料理してないので多分いい焼き加減は無理なんでしょうが、当時は肉を焼くことにひたすら必死になっていた、そんな思い出があります。
子羊のローストとか、鶏肉のローズマリー焼きとか、なんかよくわかんない構想とかいっぱい使ってましたね。
懐かしいなぁ、ひたすら肉を焼いて指を火傷して、火傷したその指の皮膚がどんどん熱くなってて最後の方は全然熱さを感じるみたいな。
腕の周りにひたすら火傷の跡があった記憶があります。それすらもなんか勲章みたいなそんな感じがしたので、あの時はひたすらフリーター生活をしてたなぁっていう感じですね。
そんなバイトの話はいいんですけども、当時大学3年生の頃バイト談売をしていたっていうのはあったんですが、同時にクラブが用意してました。
アルバイトの思い出
めちゃめちゃクラブに行ってましたね。
あの時毎週末、金曜日か土曜日にはクラブで何かしらのイベントがあったので、バイトが終わってから友達と一緒にクラブに行くっていうのがなんかルーティン化してた感じがします。
どんなに行かなくても2週間に1回はクラブに行ってた。そんな感じでしたね。
当時私、大学時代は北海道の札幌市にいたので、札幌で当時一番大きいクラブの箱がAライフっていうところだったんです。
今はもうないんですけども、当時サブロク沿いっていう国道があったんですけど、ススキノと大通りの境目にある道沿いにAライフっていうでっかいクラブがあったんです。
確か100から150人ぐらい入れたようなそれぐらいの規模だったはずなんですけど、そこに毎週行ってましたね。
当時なんでクラブに行ってたかというと、かっこいいからでした。
クラブに行くってちょっと大人っぽいなっていうそういう時期だったんですね。
それは20、21、22歳とかそんなもんですよ。クラブに行ってる自分かっけーみたいな思ってるそんな自分によっている私でございますよ。
だからクラブによく行ってたんです。
で、あと周りに音楽の好きな友達が多かったんですね。
当時よくつるんでたというか、よくグループで遊んでた友達たちがなぜかDJ多かったんですよ。
DJばっかだったんです。ヒップホップのDJとレゲエのDJ、あと洋楽のヒップホップが好きなDJとかいろいろいたりとかして、それに伴ってなぜかフリースタイルラップをやってる友達が2人いたんですよね。
だいたいグループ7人だったんですけど、3人DJ、2人ラッパー、7分の5音楽なんです。
そうするとなんだかんだクラブ行こうぜ、音楽聴いに行こうぜっていう風になってしまっていくので、それで毎週クラブに行っていたっていう記憶があります。
でもクラブもまあまあ楽しいですけどね。やはり私もその音楽に囲まれていると言いますか、友達がずっと音楽が好きでいろんなことをやっているわけですから、なんかイベントに参加するって言ったら私もそこに駆けつけたりとかして楽しんでましたし、自然と音楽にも詳しくなるし、私もその影響でヒップホップがいつのまにか好きになっていましたね。
当時クラブに行けばだいたいお酒を飲みながら音楽に身を任せて騒いでみたいなことをやってたんですけども、お酒がまあ高いんですね。
クラブのお酒ってなんであんなに高いんでしょう。今だったら平気で払えますけども、大学生の私には結構高かったなーって思います。
当時は確かプラスチックのコップ、ドトールのレギュラーサイズのコーヒーぐらいの紙コップにお酒1杯入れてもらって、それで500円とかだったんですよ。
物によっては600円とか取られてて、お酒1杯500円かーみたいな。今だったら全然なんとも思わないんですけども、バイトしかしてない当時の大学生の私からすればお酒1杯500円ってやっぱ高かったんですよね。
しかもそこで知り合った女性の方とかに、え、おごってみたいな感じになったりとか、ちょっと話そうみたいな感じになったら、お酒をおごるっていうのが当たり前にあった時代だったので。
てかお酒をおごらないと話すらできないみたいな。おごっても話すらしてもらえない時あるんですけども、おごるのが最低条件みたいな感じだったんですね。
だからどんどんお金はなくなっていくので、ほんと1、2時間で1万円とかなくなったり平気でしてました。
やっぱクラブのお酒って高いですよね。なんであんな少ないのにクラブのお酒って高いんだろう。
プラスチックのコップ1杯で500円とかするから割に合わないなと思って、途中からジーマとかスミノフとか瓶で買えるお酒の方に切り替えていきました。
あっちの方が量多いし、しかも蓋が閉められるから持ち歩きやすいんですよね。
クラブ内は結構ぐるぐる回ったりとかしてますし揺れたりとかしてるから、コップだとこぼしたりとかね、自分のがどこに行ったとか、ポッケに入れられるわけもないですから、
それがジーマとかスミノフとか瓶だったらポケットに入れて動き回れるっていうのもあったんで、途中からそっちに切り替えてちょびちょび飲みながら長くクラブを楽しむみたいなことをしてました。
クラブもね一度入っちゃうと再入場できなかったりするんですよ。できる日もあるんですけども再入場できないみたいな日も結構あったりするので、
クラブ活動と音楽
一度入ったら基本的には朝までいるんですね。朝までずっと酒を飲み続けるっていうのはちょっとお財布的にできないから、
あの時は1本のジーマで2時間とか頑張って持たせたなぁ。貧乏大学生って感じでいいですね。
当時のクラブが用意してた私はクラブに行くのがかっこいいと思ってたわけなんですけども、クラブの中での振る舞い何がかっこいいと思ってたかっていうと、
スピーカーの近くで揺ら揺ら揺れてるのがかっこいいと思っていました。 今思えば全然かっこよくないんですけど、なんかこうスピーカーの前で重手をズンっていうのを浴びて、
なんかいいねーみたいな感じの顔しながら縦揺れするっていうのが私的かっこいいクラブの中での立ち振る舞いでございました。
本当にかっこよかったのかなあれ。わかんないなぁ。 20代前半ってとてもかっこよくありたい、格好つけたいっていうのがとても溢れてた時期だったので、
なんだかあれで良かったのかわかんないけど、当時の私はイケてると思いながらやってましたね。
まあそんなクラブ概要も1年から2年ぐらいで終わったんですけれども、なんだかんだ就職しちゃったのでね。
その後大学3、4年生バイトに明け暮れてちょこちょこクラブに行きながら最終的にはすぐ就職して、そんな感じで大学生活を送っておりました。
23歳から社会人になったわけなんですけども、この時はもうクラブとかそういう夜遊びなんかはあんまりしなくてですね。
逆に部屋作りを結構意識的にやっていました。 大学生の頃はとにかく家から出て外で遊ぶっていうのがメインだったんですけども、社会人になってからは外で遊ぶというよりも家の中をいかに快適に過ごすか、
家の中をオシャレにして過ごすかみたいなことを考えていましたね。 ただこの時のね、部屋作りめちゃめちゃ失敗してるんですよ。
オシャレな部屋に憧れて家具を選んでいたんですね。 オシャレな人の部屋ってどんな感じだろうっていうのを色々調べたり、オシャレな友達の部屋に遊びに行ったりしていった結果、
関節照明の部屋がオシャレなんだなって思っちゃったんですね。 なんかいたじゃないですか、その部屋のメインの電気、明るい電気は使わなくって、
オレンジの関節照明だけで生活してる家ってあったじゃないですか。 あれにめちゃめちゃ憧れちゃったんですよ。
なので私社会人になってから関節照明だけで生活してました。 もう部屋が暗い暗い。なんか何だったんだろうな。
あの時、夜は暗いものだって思って、メインの照明買わずに関節照明1,2,3,4,5個だけで生活してました。
えーって今なら思うんですけども、当時はそれがいいと思ってたんですね。 1NDKの部屋に住んでいたんですけども、その部屋もコンクリート打ちっぱなしのデザイナーズマンションでした。
家賃クソ高いのに部屋狭いっていう一番最悪なパターンなんですけども、 そこに関節照明、リビングに3つだけ置いて、夜は3つの関節照明だけで過ごしてたから、
暗いから物音したら全然、あれどこ行ったっけみたいな、そんな感じになっちゃってたんですよね。 ベッドルーム、ベッドルームってかっこいいこと言っちゃった。
寝室には関節照明を1個、サイドテーブルとそのサイドテーブルにちっちゃい 関節照明を取り付けていて、クリップで止めれるタイプですね。
クリップで止めれるタイプの照明をつけて、夜はそれだけで過ごすみたいな。 寝る時にパチンと消して、朝起きたらパチンとつけるみたいな、そんな風な生活をしておりました。
もう部屋がずーっと暗くて、それは私1人だったらいいんですけども、当時付き合ってた彼女、現妻ですね。
妻が私の部屋に来た時には、部屋暗っ!って思ったらしいです。 もうメイク濃くなるわっていう感じだったらしいですね。
でも言わ言われたら確かになーみたいな。明るい場所がないから、今自分がどれぐらい化粧を塗ってるのかもわかんなくなるから、
これぐらいかなーと思って多めに塗ったらめっちゃ化粧濃くなるっていう、そういう原因だったらしいんですけど、当時はそんなこともわからず、暗ければ暗いほどいい。
薄暗いこのムーディーな感じがいいんだ!なんて思っていました。
なので結婚したんですけども、その後結婚して最初に買ったのはLEDライトでしたね。
まあそれはさておいて、他にもいろいろミスっててですね、オシャレな部屋に憧れてるってことは、テーブルとかソファーもオシャレなものにしたいって思ってたっていうことなんですよ。
テーブル何買ったかっていうと、天板がガラスになってるやつ。
あれに憧れて買っちゃったんですね。当時オシャレな先輩の家に行った時にそのテーブルだったんです。
天板がガラスになってて、下にちょっとオシャレなどこのやつですかっていうような雑誌を下に入れて、上からいろんな雑誌が覗けるみたいな、そんなオシャレな感じにしてたんですけども、それに憧れちゃったので私もそれを買おうと思って天板がガラスのテーブルを買いました。
これが失敗でしたね。汚れが目立つ目立つ。
これがもう嫌でしたね。手垢も目立つし、埃も目立つし、濡れた雑巾とかで拭くと水滴も目立つから後もつくし、なんなんこのテーブルと思ってずっとテーブル拭いてました。
失敗しましたね。ちょっとの汚れぐらい気にならないようなやつ買えばよかったのに、汚れしか目立たないテーブル買っちゃったからもうなんなんこれと思って。
ソファーも失敗したんですよ。ソファーもいい感じのやつに憧れてて、当時のなんか部屋のテーマが若干のメタリックとウッディな感じだったんです。
なのでテーブルはそのメタリックな感じ、足とかのところがスチール状になってるというかメタリックな感じだったんですけども、ソファーは肘掛けがウッド調のやつにしたんですよ。
これはいいじゃないですか別に。ウッド調なら別にいいんですけども、ただソファーで横になれなかったんですよね。
どういうことかというと、肘掛けに首、頭を乗っけると変に肘掛けの場所が高くて、角張ってるところが多かったから首に当てたらめちゃくちゃ痛いんですよね。
見た目はいい感じなんですけど、ソファーに横になれないようなそんな肘掛けを選んでしまいました。
なので私おしゃれを意識するがあまり部屋の中でソファーに横たわれないっていうバカみたいな部屋を作ってしまったんです。
失敗したと思って、なんでこのソファー選んだんだろうっていうのは勝手1ヶ月後に思っちゃった感じですね。
でももう後悔しても仕方ないからもうそれで生活するしかなかったんですけども、またしかもそこのソファーの座面の高さとテーブルの高さが全く一緒だったから当時ダイニングテーブルってそれしかなかったんですよね。
ご飯を食べるための場所っていうのがそこしかなかったんですよ。もう食べづらくて。
当時はもうご飯も食べづらいは汚れは目立つテーブルだわ、ソファーには横になれないまで私はこの部屋で一体何がしちゃいんだろうっていうことを思っていました。
偶然の出会い
私の20代の部屋作りは大失敗ということですね。でもその部屋でも結構楽しいことがあってすごい偶然だったんですけど、住んでたのはアパートみたいなもんだったんですけども、
内階段なんですね。で、内階段を上がっていって階段を上がったら正面と左右に1部屋、1フロアに3部屋あるっていうそういう作りだったんですけども、向かいに新しい人が入居してきたなぁと思ったら高校の同級生でした。
めちゃめちゃびっくりしましたね。同じクラスの同級生だったんですよ。あの女友達だったんですけども、急に引っ越してきてお互いにええ?みたいな感じになっちゃって。なんでお前ここに住んでるの?みたいな。
社会人になってから大学時代は1回も会わなかった高校の同級生が大人になってから向かいに住んで、休みの日にご飯食べに行ったり、ちょっとなんか暇だなーって思ったら連絡をきてちょっと喋ったりっていう感じで、なんか面白い生活をしておりましたね。
たまに実家からみかんとか送られてきたんですけども、みかんが多すぎて食べきれないから同級生にお裾分けしたり、
逆に向こうからこれ食べて美味しくなかったからドライフルーツもらってくれないって言って、なんかめちゃめちゃ高いドライフルーツもらったりとか、なんかそういうお裾分け文化みたいなものを体験しました。あの時はあの時で楽しかったですね。
この話をすると大体の人に言われるんですけど、何もなかったのって言われましたね。
向かいに住み始めた同級生って女友達、しかも高校の時の同じクラスの同級生だったので、社会人になってたまたま向かいの部屋に住むってめちゃめちゃレアじゃないですか。
そこからロマンスが始まるんじゃないのっていうふうに言われて、みんなに言われました。なんかなかったの?みたいな。
その時当時の彼女、現妻がいたんですけども、その妻にも言ったら、すごい偶然だねとは言いつつも妻の友達からは、それなんかあるんじゃないの?みたいな感じで変に怪しまれてて、いや何もないですっていう感じなんですけどね。
あるわけがないんですよ。同級生とそういう感情を持ったことがないので、向こうもそういうのは絶対ないっていうふうに言い切れるタイプでしたから、みんな何言ってんだろうなーなんて思いながら楽しく過ごしてました。
でも確かにね客観的に見たら、社会人になって向かいに高校の時の同級生が引っ越してきて、また距離が縮まったっていうのは確かにロマンスが走りそうな、そんな設定ではあるんですけども。
いやーでもないですね。
それくらい断言できるような友達だったということですね。
それが20代前半から半ばに入ってくる頃だったんですけど、20代半ばになるとですねまた新しいことが始まりまして、当時結婚していたんですが、その頃社会人になってからサークル活動をするようになったんですよ。
スポーツ雪合戦の楽しさ
サークル活動って言っても会社の中でやっている有志の集まりなんですが、スポーツをやり始めたんですね。
これ何やったかっていうと、スポーツ雪合戦をやったんです。 知ってます?スポーツ雪合戦って。雪合戦は多分なんとなく想像つくじゃないですか。
自分で雪玉をコネコネコネコネ作って雪玉をぶつけるみたいな、なんかそういうのを想像されるかと思うんですけども、スポーツ雪合戦は本当にスポーツなんですよ。
雪玉を90球作って、その90球を7人対7人のチームで投げ合って相手のフラッグを取る。もしくは相手を全滅させる。もしくは試合終了の時に人数の少ない方が負けっていう、そういうちゃんとしたスポーツの雪合戦があるんです。
youtubeでスポーツ雪合戦って調べてください。あの世界大会も行われてますから北海道で。これめちゃめちゃ楽しいんですよ。見てる方も多分ある程度楽しめるかなと思うんですけども、やる方がめちゃめちゃ面白いです。
これスポーツ雪合戦ちょっとちゃんと説明したいんですけども、7人で1チームですかね。選手7名と監督1名だったはずなんですけども、雪の壁が出来上がってるんですよ。
ドッジボールをやるくらいの広さのコートがあって、その中で雪玉をぶつけ合うんですけども、雪の壁が真ん中、いわゆる相手陣地と自分たちの陣地のちょうど真ん中に置かれているのと、自分の陣地に置かれている壁が3つあって、そこに隠れたり隠れなかったりしながら雪玉を投げ合うっていうそういうゲームなんですね。
1試合確か3分だったはずです。3分の間に相手の陣地にあるフラッグを取れば勝ち。もしフラッグが取れなくても相手に雪玉をぶつけていったら、ぶつけられた方はすぐコートから出てアウトになるんですけども、そのぶつけられた人数が多い方が負け、つまり多く相手のことをアウトにした方が勝ちっていうそういうルールなんですね。
これがねめちゃめちゃ面白いんです。雪玉をただ投げればいいと思うじゃないですか。でもここで雪の壁があるから当てづらいんですよ。雪の壁に隠れるってことは顔しか出さないんです。顔しか出さない状態で雪玉を投げたり、頭を隠して隠れたり、いろんな技を使いながら雪玉を当てる努力をするんですよ。
なので雪玉の投げ方もめちゃくちゃ工夫が必要で、野球みたいにビュッて投げるのもアリなんですが、雪の壁に隠れてる相手にぶつけるってなると、壁を越えて当てなきゃいけない。つまりビュッて投げるストレートじゃダメなんです。ロブを投げなきゃいけない。
ロブって何かっていうとテニスとかで相手の頭をこすような山なりのボールをポンって打つっていうのがあるじゃないですか。あれの感じですね。雪玉を下から上にフワッと投げて、雪の壁を越えて隠れてる相手に落としていくっていうそんなイメージの投げ方です。それがですねめちゃめちゃむずいんですよね。
これやられるとめちゃくちゃ嫌で、私のポジションは前衛。つまり雪の壁に隠れながら雪玉を投げたり、ロブっていうふわっとした山なりのボールを投げて相手を当てるっていうそういうポジションなんですけども、一斉に投げてくるパターンとかあるんです。
スポーツ雪合戦の魅力
ロブっていう上からフワッと投げる雪玉を7人一斉に2球ずつ投げるっていう一斉ロブみたいなそういう技があるんですけど、あれやられると避けれないんですよ。めちゃめちゃ大変。
その時はもう完全に仰向けみたいなそんな感じでエビ取りみたいな状態で上の方見ながら体を左右に振って雪玉を避けていくと。ちょっとでも当たったらすぐアウトって言われてコートが出されるんで、そうすると前衛が崩壊しますから相手に攻め込まれてフラッグが取られてしまう。
そうするわけにはいかないから私はいっぱい避けなきゃいけないというところで非常に激しいスポーツなんですね。
口だけで説明するの難しいなぁ。ぜひyoutubeでスポーツ雪合戦と検索してください。見たらわかります。
なるほどねっていう感じです。めちゃめちゃ面白いですよ。
初めてスポーツ雪合戦誘われた時は雪合戦ですか?みたいな感じで苦笑いしてたんですけど、いざ行ってみたらハマっちゃいましたね。
これ負けん気強い人はハマると思います。雪玉を相手にぶつけるっていうこの快感と、雪玉を投げられた時に避けるっていうこのスリル。
そして当たった時の悔しさ。負けず嫌いが燃え上がるような設定がもういくらでもあるんですよ。
そこから私雪合戦ハマってしまいまして、当時24歳か5歳だったはずなんですけども、27歳前の会社を辞めるまで毎年参加していました。
ちゃんと練習も行ってたしその時の雪合戦グッズっていうのも揃えましたね。
あの膝立ちをするのでその雪壁っていうのがですね、自分の成人男性の腰ぐらいまでの高さしかないから基本的に膝立ちなんですよ。
なので膝にバレーボールとかでやるこの膝のクッションみたいのあるじゃないですかサポーターみたいなの。
あれがないと膝めちゃくちゃ痛いんですね。痛いっていうかもはや皮剥けるレベルなんですけども。
それがないとめちゃくちゃしんどいから基本的にはそういうグッズとかも揃えるんですが、スポーツ雪合戦のグッズほとんど揃えちゃいました。
まあまあ金かかりましたけどめちゃめちゃ楽しかったですね。
スポーツ雪合戦、雪国のスポーツではありますけども、結構なんか本州の方からスポーツ雪合戦やるためにこの大会のためだけに来ましたっていう人もいるし、
世界大会の時も普段雪の降ってない地域から来る人もいましたし、雪国、カナダとかかな。
カナダとかからも選手が来たりしていたのでめちゃめちゃ盛り上がっている大会でございます。
今年もやってるんじゃないかな。毎年ね2月とか3月に世界大会が開かれてるんですよ。
昭和新山っていうのがあるんですけども、その昭和新山で世界大会が開かれております。
毎年行ってたんで今でも行きたいなぁとは思うんですが、
もう社会人サークルの雪合戦チームに今からは参加できないなぁ。
もし今北海道でこれを聞いている人がいれば是非スポーツ雪合戦やってみてはいかがでしょうか。
めちゃめちゃ楽しいです。
フェリーでの上京
27歳の時に東京に引っ越してきたわけなんです。
その前の会社を辞めて今の会社に転職をする時に上京してきたわけなんですけども、
その時何をしたかなっていう話なんですけど、
特に何もしてないっちゃ何もしてないんですけど、
初めて経験したといえばフェリーに乗って上京してきましたね。
上京って飛行機じゃねえのかよって思うかもしれないんですけども、
当時私札幌から移動して戸間古前っていう港町にいたんですよ。
港町なんで田舎も田舎ですから車がないと普段の生活めちゃめちゃ困ったんですね。
なので車を持っていたんですけども、
状況が決まった時にこの車をどうするか問題が発生したんです。
いやーさすがに東京だったらいらないかなとは思ったんですが、
まだ車を買って1年も経ってなかったですから、
さすがに今手放すのはちょっと気が引けるなということで持っていくことにしました。
そしたら問題はどうやって持っていくかなんですよ。
人間の体は飛行機とかで行けるけど車は飛行機で行けないんですよ。
絶対に船で運ぶんですね。
そうすると東京湾まで車を運んでもらって、
そこに車を取りに行って自分の家まで持っていくっていうそういうルートになるわけなんですけど、
いやいきなり東京の首都高とか走れるのかって思ったらちょっと無理だなと思って、
いろいろ考えた結果、車と一緒に上京すればいいっていう判断になって、
戸間古前から車に乗ってフェリーで上京しました。
めちゃめちゃいい経験でしたね。
いやフェリー乗ったことあります?
まあ多分普通にフェリーに乗ったことある人はいるとは思うんですけど、
車でフェリーに乗った人ってあんまりいない気がするんですよね。
めちゃめちゃ良かったです。
フェリーに乗る時、車で乗っていくわけなんですけど、
船の先の方かな、先端の方から橋が降りてきて、
はいそこを上がってくださいってことで上がるんですけど、
びっくりするぐらい傾斜が急なんですよ。
あのジェットコースターの一番最初のこの上に上がっていくぐらいっていう感じなんですかね。
めちゃめちゃ急なんですよね。
そこを一気に駆け上がって、
船の車を収納するスペース、結構狭いんですけども、
無骨な感じの、もうほんと貨物室だなっていうところに入っていって、
車を置いて船内に入っていくっていう感じなんですけど、
あの光景は忘れられないですね。
船の中ってこんなになってんだと思って、すごく楽しかったです。
いざ船に乗って、
戸間古前から茨城の大笑いってとこまで行くんですけど、
確か19時間から21時間かかったんですよ。
めちゃめちゃ長くて。
ほぼ1日船で過ごすわけですから、
ゆっくり過ごしつつ船の中を楽しもうと思って、
妻とずっと船の中でブラブラしてたわけなんですが、
船の中はすごく楽しくて、
こんな設備がある、こんな部屋がある、
広いようで結構狭いんだなっていういろんな発見があったりとか、
船ってこんな構造になってんだなとか、
いろんな人が乗ってんだなっていうのを見て、
すごく船の中は楽しかったです。
逆に船の外は怖かったです。
夕方の14時くらいに船に乗り込んで、
そのまま晩御飯食べたりとかしていたんですけども、
夜になると、夜になると夜が深かったんです。
そりゃそうですよね。明かりがないので、
デッキに出て夜の海を眺めてみたんですけど、
すぐ下の海しか見えなくて、
ちょっと先の風景は真っ暗だったんですね。
真っ暗だから怖くないじゃんって思ってたんですけど、
でもあそこに行ったら多分誰も私を見つけられないんだろうなー
っていう風に思ったらめちゃめちゃ怖くて、
あーこれ夜の海怖いわーと思って、
すぐ船の中に戻りました。
もうすぐ夜の海見るのやめて、
船の中で過ごしていたわけなんですけども、
夜になると船の中暇なんですよね。
行ってしまえばネットも繋がんないし、
船酔いしたくないから本も漫画も読めないし、
やることがないんですよ。
いやーこれどうしようかなーなんて思っていたら、
船の中に映画館があったんです。
シアタールームっていう風に書いてあったんですけども、
船の中で映画が見れたんですね。
やることもないし映画でも見るかーと思って、
妻と一緒に映画を見ていました。
夜の9時半か10時くらいから、
2時間1本映画をやりますって文出てて、
何やってたかっていうと、
ペットっていう映画ですね。
犬と猫のやつです。
主人公が犬なんですけども、
人間がいない時犬たちは家で何をやっているのかっていうのを、
CGで描いた作品でしたね。
いろんな大冒険をしている犬を見ていたんですけども、
夜、船の中で見るペット。
とても和むなーなんて言いながら、
みんな映画見ていたんですが、
何人くらいいたんだろう。
3,40人くらい入れたシアタールームだったのかな。
3,40人がペットっていう本話化する映画を見て、
ちょいちょい笑い声が出ながら、
楽しい夜を過ごせたなーっていう感じです。
その後、映画を見て、
あーいい時間つぶしになったなー楽しかったなーっていうことで、
風呂に入ったんですけども、
一応フェリーには風呂がついているんですよ。
で、風呂に入るんですけど、
ここで盲点でした。
私、めっちゃそこで船酔いしたんですね。
いや、確かに乗ってしばらく経ってから、
ちょっと気持ち悪いかもとか思ったんですけども、
でも、意識したら負けじゃないですか。
これ、船酔いを意識し始めたら、
もう終わるなーと思ったんで、
船酔いを意識せずに、
何とか踏ん張ってきたんですけども、
お風呂に入ったら、
もうダメでしたね。
なんて言ったらいいんだろう。
浴槽があったんですけども、
その浴槽が絶対揺れるんですよ。
で、絶対揺れるから、
自分が今揺れているっていう自覚をしてしまって、
どうしよう、気持ち悪いと思って、
浴槽の中で吐きそうになりました。
これ、大浴場で吐くって相当な罪ですよね。
絶対やっちゃいけないと思って、
うっ!って我慢して、
なんとか風呂場を出てことなきを得たんですけども、
フェリーでのお風呂は危険だなと思いましたね。
シャワーで済ませればよかったと、
今更ながら思っております。
で、気持ち悪い思いをしながら、
風呂を上がって、
もうこれ以上はちょっとやばいかもしれないと思ったんで、
すぐ寝ました。
で、すぐ寝て、朝になって、
お昼前だったかな?
お昼前ぐらいには、
茨城県の大洗に着くっていうことだったんで、
車に乗り込んで、
順番に出ていくみたいな感じです。
船から降りるっていうのも結構楽しかったんですよ。
船に乗るとき、
めちゃくちゃ急な傾斜を上がっていったんですけども、
今度はその逆で、
急な傾斜を下っていくっていうのが、
めちゃめちゃ爽快感でした。
砂浜にブワーッと降りていくんですけど、
砂浜をバーッと走っていったら、
道路に入れる入り口みたいのがあるんで、
そこに入って、
すぐ高速道路に乗れるみたいな感じですね。
いやー、あの時の光景は、
未だに忘れられません。
状況って言えば、
飛行機に乗って、
飛行機から降りてっていうのがあると思うんですけども、
私の状況は、
船から降りて、
車で走り抜けていくっていう感じだったんで、
なんて言ったらいいんだろう?
本当になんか、
上陸したみたいな、
そんな感覚だったので、
あー、東京に向かってるんだなーっていう、
そんな実感が、
あの時、
めちゃくちゃに湧いた記憶があります。
その後、
東京生活の実感
高速道路に入ってから窓を開けて、
まあ、風を感じていたんですけども、
北海道と、
この関東圏の、
湿気って全然違うんです。
北海道にいるとき、
湿気ってほぼ感じなかったんですよ。
ずっと年中カラッとしたというか、
冬はどちらかというと、
乾燥、乾燥っていう感じではあったんですけども、
茨城県の大洗で降りて、
車の窓を開けたら、
北海道では感じたことのない、
湿り気があったんですね。
当時は、
6月、
7月か、
7月になる直前とかだったんで、
もう梅雨が明け始めた頃だったはずなんですけども、
なんだこの湿気って思いながら、
車を走らせてました。
その湿気を感じて、
ああ、本当に東京に来たんだなーっていうのを実感しましたね。
それからは、
がむしゃらに、
新しい会社で働いて、
東京生活に慣れるために、
毎日どっかに出かけて、
路線図とかを覚えながら、
乗り換えどうやったらいいんだっていうのがわからないから、
毎回アプリで調べて、
駅の中で迷子になって、
駅員さんに、
あのどこどこ出口に行きたいんですけど、
どう行けばいいですかって聞いたり、
そしたら駅員さんめっちゃ早口だから、
何言ってるかわかんなくて、
ごめんなさい、もう一度いいですかって言ったら、
めんどくさそうな顔されるっていうことを、
ひたすら繰り返していました。
20代後半は、
東京生活で忙しかった、
そんな記憶ですね。
20代の思い出
20代の思い出ってそんなにあるかなーと思ったんですけども、
いざ話してみたら、
すらすら出てきますね。
何か台本用意しようかなーと思ったんですが、
まあそういうのは用意せず、
とりあえずノリで喋ろうと思って、
今収録してるんですが、
台本なしでずっと喋ってました。
自分の中では20代が、
思い出深いものだったんだっていう証拠ですよね。
本当はまだまだ話せそうな気もするんですけども、
あまり長すぎてもアレなので、
今回はこの辺にしておきたいと思います。
はい、そんなところでしょうか。
この番組が気に入っていただけたら、
お気に入りのポッドキャストアプリでフォローしていただけると、
幸いです。
概要欄にお便りフォームもありますので、
コメントや感想、話してほしいテーマなど送っていただけたら、
とても励みになります。
この配信は水城誠さん主催のポッキャトークテーマ、
20代ヤングアダルト編からお送りいたしました。
以上、こたつでした。
お先に失礼いたします。