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スピーカー 2
あれ本当に最初のやつなんだ。結構試行錯誤があって、ああいうふうに自然的にいったんだなって勝手に思ったんですけど。
スピーカー 1
でも多少はあると思うんですけれども、そんなに変わってない印象ですね。
すごいね。
99年とか2000年ぐらいの時にはもう確立してた気がするので、その意味でも最初の設計通りやって、そんなに改善いらずに運営できてるっていうところが大きなところですね。
スピーカー 2
なるほどね。それって、なんで最初からそんなに見極めれたんですかね。だってヒロイキさんって、もちろんユーザーとしてはAmazonとかいろんな掲示板とか先行的にそこそこは触ってるのかもしれないですけど、運用側ってそんなに経験なかったっけ?
スピーカー 1
そうですね。そしてそういった事例があったとも思えないので。
スピーカー 2
そう、あのタイミングないよね。
スピーカー 1
なので、自然体でできちゃっていて、しかもそれがかなり汎用性のあるというか、長い間使える仕組みになってたっていうのがすごいですね。
スピーカー 2
すごいね。
スピーカー 1
たぶんですね、もともとスケールするっていう考えが最初からあって、ニチャンのシステムでもそうですし運営面でもそうなんですけど、こうやったらスケールしても絶対自分に負担こないよねみたいなことを考えれてるんじゃないかなと思ってます。
スピーカー 2
そうね。だからその天性の怠け者っていうと失礼かもしれないけど、さっき言ったスケーラブルな運用ができるためには、いかに負荷をかけないようにするかみたいなところに対するシミュレーション機能みたいなのがものすごいのかもしれないですよね。
スピーカー 1
そうですね。ほんとそこですね。そしてニコニコ動画ですと。
これはですね、正確に言うと、ひろゆきさんが発明したものではないとされてるんですけど、ただ僕の知る限り、実は2004年ぐらいにライブドアの下で、ひろゆきさんと堀江さんで、テレビに何かの機械をつけてニチャンの実況板のコメントをテレビの上に見せる、流すみたいな実験をしてた記憶があるので、
もともとやっぱり一緒にテレビとか見た方が面白いよねっていう発想はあったんじゃないかなと思ってます。
スピーカー 2
実際ね、実況板って結構ね、流数が稼げる定番の板だったりもしますしね。
スピーカー 1
これはですね、知ってる人も多いと思うんですけど、コメントを動画の上に流せるっていう、非動機だけど動機的に楽しんでるようにするっていう画期的なもので、初期はYouTubeの上に載せることによってやられてたわけですね。
スピーカー 2
そうですよね。だから生放送の野球を同時に見てるという、あのライブ感の楽しさっていうのが、いつも再生をここから始めたら1分30秒のこの歌の盛り上がりの時に一緒に盛り上がれるとかっていう風、
アクセスしてる時間は一緒じゃない非動機なんですけれども、その瞬間の動画とかその瞬間の盛り上がりみたいなのは同期して楽しむことができる。これ実は結構発明なんだよね。
スピーカー 1
発明ですね。今となってはスマホでいつでもライブ配信とか見れる時代なんですけど、当時あんまりそういう感じではなかったので、同じ動画をみんなで一緒に楽しんでるかのように楽しめるっていうのは、すごい画期的な発明でしたね。
これはですね、ドワンゴの子会社であるニワンゴというところで開発されたんですけど、ニワンゴって何ず屋っていう話でもすごい簡単に言う。
これが実はですね、メールによる非動機検索サービスの名称だったんですよ。最初って。
そうだった。ニワンゴ。
川上さんがちょっと広行さんと一緒にやらないかっていうので提案して、広行さんが取締役管理人っていう就任をして、なんで会社作ったかというと、このプレスリリース打ちたかったからっていうふうに川上さんは言ってますね。
で、広行さんの紹介で未来検索ブラジルっていうところの検索エンジン、広行さんが関わってる会社の検索エンジンを採用したってところからスタートしてました。そっからニコニコ動画のアイデアが出て、リリースに至ったっていうような感じですね。
スピーカー 2
すごいね、アジャイルっぽい話だね。
スピーカー 1
そうですね。リリース当時ぐらいのITメディアのインタビューで広行さんが言ってたのは、YouTubeって他の著作権者の著作物をそのまま劣化させて広告モデルにしようとしてると。要は当時って著作権違反のものがたくさん載ってるサイトだったんですよね、YouTubeって。
これはビジネスとしていいけれども、自分はYouTubeの上に素材にユーザーが突っ込むことによって新たな価値を作るっていうのが重要なんじゃないかっていうふうに言ってるんですよ。
なので、例えばミュージシャンのMVってファンは見るけどファン以外って見ないですよねと。ただこういう突っ込みするとこのPVが実は面白いっていう発見がされると、ファン以外の人も見てくれて、そっからトラフィックが来る。だから両方にとって嬉しいですよねみたいなことを言ってるんですよね。
盛り上がりを盛り上がるために来るっていう人って結構いるもんね。
スピーカー 1
三人の名前は特に言わないですけど、その中の一人がひろゆきさんだっていうふうに言っていて、サービス開発当初から関わって名前が上がるっていうのはこの3人であって、ひろゆきさんは立ち上げた人物と言っても大丈夫みたいなことを過言じゃないよっていう感じでしたと。
結構ですね、これも歴史的にはニコ動と2chってユーザー層が地続きだっていうふうに思われがちなんですけれども、めっちゃ正確に言うとニコニコ動画の仮が2006年の12月にオープンして、すぐにビッパーと呼ばれる2chのコアユーザーさんたちがガッてきて、1週間くらい超荒らしたんですよ。
荒らしたんです。
スピーカー 2
なんかね、世の中のイメージね、2chからの流入があったからニコ動が行ったみたいなことだったんだけど、逆に荒らしたんだ。
スピーカー 1
荒らしたんです。で、その後に確かひろゆきさんがなんか、勇敢富士かなんかに車差し押さえられたよっていう記事が載ったときに、ミニカーみたいなもので車差し押さえられましたみたいな、結構くだらない動画を上げたら、それが7万くらい再生されて。
スピーカー 2
当時の7万はすごいよね。
スピーカー 1
すごいんですよ。で、そっからめちゃくちゃ倍増で増えていったっていうのがあって、つまり1回2chのコアユーザーさんって来て荒らして帰ってるんですよね。
スピーカー 2
ただ、むしろ貢献するところからちょっと邪魔しちゃって帰って、だとしたらなんでニコのユーザーってそんなに集められたのって話だけどね。
スピーカー 1
これがですね、実はアクセス解析するとニコニコ動画の初期ってネット初心者ユーザーが多かったらしいんですよね。
スピーカー 2
確かにこれも同じで、この時期のそのヤフーの検索ワードランキングって常にトップ5にニコニコが入ってたもんね。
スピーカー 1
そうなんですよ。Googleユーザーじゃなくてヤフーユーザーばかりだし、ミクシーユーザー多いし、ネットサービスってニコニコ動画以外使ってませんっていう人も多かったっていう。
意外と多かったんだよね。
そうなんです。で、それを聞いた2chのコアユーザーが、いやここ俺たちの植民地だからみたいな感じで戻ってきたっていうのが。
逆にね。なるほどね。
スピーカー 2
真相らしいですね。
スピーカー 1
こういう順番なんだ。
っていうので二重構造というか、2chコアユーザーもいるし、ネット初心者のユーザーもいるっていうような構造になっていたっていうのが、初期2ヶ月ぐらいの状態ではもうそんな感じだったらしいですね。
で、ひろゆきさんはその中でもやっかドワンゴ本社に出向いてサービス開発とかプロモーションとかアイディアマン的に指揮を取ったと言われてます。
なのでね、繰り返しになりますか、退屈な動画でもみんなで見たりすると楽しいよねとかコメントつけると面白いものになるよねっていう発想で出て、確か3ヶ月後ぐらいにはもう社会現象として認知されたんですけど。
スピーカー 2
そうだよね。だって3ヶ月ぐらいでもう月間1億ビューが超えて、このタイミングって僕もリクルートだったので、リクルートってあの手この手で世の中に人気のサービスをちゃんとモニターして、やっぱりリクルートとしてどう提携するのかとか取り込むのかみたいなことを研究してましたけど、すごかったもんねランキングの上がり方が。
スピーカー 1
そうですね。これがですね、やっぱ事件になってしまって、要はYouTubeを借りてYouTubeの上にやってるので、YouTubeのランキング20位ぐらいが全部ニコニコ動画のものになったっていうことになって、YouTubeの人から見たらマジ意味わかんない動画がめっちゃ上がってるっていう風になって。
スピーカー 2
しかもね字幕ないからね、YouTube側ね。
スピーカー 1
字幕ないから、わけわかんないと。ニコ動の人もYouTubeってもう保管置き場としか思ってなかったので、そんな感じになってしまったっていうのがありました。これまあ非常にヒロユキさんらしいというかドワンゴらしいんですけど、YouTubeの上にコメント載せてるだけなんでインフラがすごい楽なんですよね。
スピーカー 2
そうだね。YouTubeに出て動画放っていう重たい部分は再生して、ニコニコの方でやってるのはこのタイミングにこの字幕を乗っけていくってことをやってるだけだから、一番重たいところはYouTubeに任せて、盛り上がる部分はしっかりニコニコでっていう、まあ言い方悪いけどフリーライドっていう話ですよね。
スピーカー 1
そうですね。で、その後やっぱりYouTubeからバンされてしまって、どうしようかねってなった時に川上さんが、川上さん当時社長じゃなかったので、小林社長に20億用意してもらって動画を投稿するところも作るっていうのをやったという感じですね。
スピーカー 2
いやでもあの時はよく間に合ったよね。
スピーカー 1
そうですね。そこでやっぱり10億とか20億出せるっていうのがすごいんですが、実際40億かかったらしいですね。
スピーカー 2
いやそりゃそうだよ、あんだけ重たい。いやあの当時の動画ってほんと大変だからね。サーバーボットとかも。
スピーカー 1
でまあそっからは今のニコニコ動画につながる流れなんですけど、まあひろゆきさんは結構最初は広告党みたいな役割も強く持っていて、いろんなインタビューでニコ動はこうだみたいな話をしてたりはしましたね。
でまあちょっと面白いのが、テレビ局って広告で生きていくっていうモデルじゃないですか。でもあれってやっぱ番人受けするわかりやすい無難なコンテンツばかりになってしまうので、やっぱそのテレビ局と同じ層の食い合いをしてもあんまり意味がないよねみたいなことは結構インタビューでも言ってたりしましたね。
そうですね。あとはやっぱ1000万ユーザーを超えたあたりからは、やっぱその女性とかいわゆるネットのコアユーザーじゃない人を取るべきだみたいな話は結構されてますね。
スピーカー 2
あれも意図的だったんだ。結構ね、そのぐらいの時期になってくると、もうちょっと後で踊ってみただとか、歌ってみただったりっていう、ほんとTikTokの先駆けの先駆けみたいなジャンルをちゃんと確立したのって実はニコニコだもんね。
スピーカー 1
そうですね。そこから多分中国のビリビリ動画とかにつながって、ほんとにやっぱTikTokとかにつながる流れってここかもなーと思ってます。あんまり西洋からではなくて東洋から生まれてるので。
スピーカー 2
結局それがミュージカリーとしてアメリカに行って、それからTikTokにもう一回上流するっていうのが米国で流行った流れだったりするからね。