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2025-02-21 13:28

#003「なぜHyper-collaborationがEQをコアに据えているのか? ~吉田さんの確認なく、高田が解説します~」その2:記号と言語の違い

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Hyper-collaborationがお届けするPODCAST「組織の未来地図」第3回目は、ハイパー・チームマネジメント勉強会第6回目の内容である、EQがなぜHyper-collaborationのコアにあるのか?ということを振り返りながら、記号と言語の違い、そしてデータと情報の違いなどから組織、チームの変革のために理解するべきことを考えてみたいと思います。

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サマリー

今回のエピソードでは、Hyper-collaborationが提供しているサービスの重要性がEQと結びついている様子や、言語と経験の関連性が探求されています。また、情報化や知恵の生成が、言葉によるコミュニケーションを通じてどのように深まるのかについても議論されています。このエピソードでは、Hyper-collaborationにおけるEQの重要性や、記号と言語が変革やコミュニケーションに与える影響が探求されています。特に、言葉とイメージの関係や、対話を通じた相互理解の深化が必要であることが強調されています。

Hyper-collaborationの重要性
Hyper-collaborationがお届けするポッドキャスト、組織の未来地図、ナビゲーターの寺嶋です。
ナビゲーターの吉田です。
この番組では、デジタル時代における組織の経営やマネジメントはどのような視点で考え、
デザインし、またそれを導入していくためのポイントなどを、
多様な視点から指向していき、皆さんと一緒に地図を描いていくという内容にしたいと思っています。
はい、では今回も高田さんの勉強会第6回目。
なぜHyper-collaborationはEQをコアに据えているのか?
吉田さんの確認なく高田が解説します。
という回を引きずってお届けしたいと思います。
はい。
前回キーワードで最後に出てきたネイサン・シェドロフの理解の外観図というものがあるんですけども、
それについてちょっと吉田さんご説明いただいていいですか。
はい、ぜひお聞きになっている皆さんはネイサン・シェドロフ、理解の外観図って検索していただくと画像が出てくると思うので、
それを見ていただくといいと思うんですけれども、
ネイサン・シェドロフさんという方があるモデル図を提示しながら、
データから情報へ、情報から知識へ、知識から知恵へというような一連の流れを書いていらっしゃるんですよね。
私たちの周りにある一種情報というふうに見えるようなものは、
実はまだそれ自体では意味をなさないデータで、
そのデータを集めてきたりとか分類したりとか、
あるいはその想像したりするっていうようなことをしながら、
情報化する、私たちが意味をその中に見出すことができる情報として形を作っていくという作業なしには、
そこに点在しているいろんなものは単なるデータ、情報になっていない、
まだ要素の一つでしかないデータだということをおっしゃっていて、
それが情報として、私たちが何か解釈ができるような形に整えられた状態が出来上がると、
私たちはそれをもって活動を起こすことができて、いろんな経験が起きてくる。
その中には会話をしたりとか、
あるいはさらに情報と情報を統合していくというような活動が含まれているんだと思うんですけど、
その経験をさらに振り返るということをすることで、
知恵というのが出来上がって、その一連の情報から知恵が生成されていく中で、
私たちがコンテキストというような文脈形成を広げていくことができるんだというのが、
一連の図の中に表現されていることなんですよね。
ちょっとこの図を見てすごく思うのは、
経験の量が私たちがデータから情報を紡ぎ出すことに、
ものすごく大きく関与しているというところだと思っているんですよね。
やっぱり言葉がないと考えるとか、もちろん伝えるってこともできないですし、
深く考えるとか、点と点をつなげていくっていうような、
前頭前野の働きになるようなところに、
言葉が必要だっていうのは、皆さんご存じの通りだと思うんですけれども、
経験したことに、うまく言葉を載せられないことってあるじゃないですか。
あります。
言いたいことは言えないみたいな。
歳とってから特にそう思うっていうのは、言葉にならないということよりも、
本を読むときに特に思うんですけど、
本を読むことで、自分が言語化しきれなかった過去の体験に、
言葉がうまく載ってくる感覚があるんです。
経験の量が少ないときは、先にそういった情報を得て、
経験しにいくっていうような方向が多くて、
ああ、あの本に書いてあったのはこういうことかっていう、
経験が後付けになってくることが繋がりとしては、
若い頃はそっちのほうが多かった気がするんですけど、
歳をとってから感じるのは、経験したことに本を読んだことが重なってきて、
つまり私が経験したことはこれか。
もちろん両方向に起きるんだと思うんですけど、
なんかね、本を読むときに最近それすごい感じるんですよね。
理解が深まる感じはしますよね。
なんか体験したことがやっと解釈できるようになるとか、
あるいはその言葉が載ってくることで、
遠いところにあった点と点が、
その言葉によって繋げられるようになるっていうようなことが起きる感覚がありますね。
ある種、記号に意味付けを我々はしながら言葉というものを使ってるんですが、
その意味が統一されていくというか、共通のものになっていくっていうことなのかなと思いましたね。
そうですね。まさに野中郁次郎さんがおっしゃっていた、
暗黙知から形式知へっていうのを、
おそらくそういった共同体験みたいなところから、
言葉を載せていきながら、一緒に形式知を作っていくっていう活動の一つなんだろうなとは思いますけれども、
こういった行き来をしながら、高田さんの勉強会の中で黙読するっていうことをやるようになってから、
言語で表現しきれない情報が欠落していくっていうような話を高田さんがしてたのを覚えてるんですよ。
まさにその隙間に入っている言葉っていう単なる記号では表現しきれないようなものが、
体験と経験と言語化、これを何度も繰り返すことで、あだ埋めされていくっていう感じはしますね。
そこの裏側に感情もきちんとついてきているってことですよね。
はい、そう思います。
なんか、分かり合えないとか通じ合えないってあるじゃないですか、人と。
何か一緒に活動したり、しばらく議論を続けるでも構わないんですけれども、
そうするとその人の使って、同じ日本語で喋っていたとしても、
その人の使っている言葉の解釈っていうのが深まっていくっていうのがあると思うんですね。
それがまさにその記号としての言葉から、言語を交わしながらコミュニケーションが取れる状態になるっていうことじゃないかなとは思います。
ありますね。コノテーションという概念がありますけども、言葉に意味が付けられるというか、自分で意味づけ自然にしちゃってる。
例えば、ポルシェっていう言葉を聞いて、車っていうふうに思い浮かべる人と、クソ、あの金持ちの野郎が。
確かに、確かに、そういうことですよね。
時々思うのが、現代社会の中でそうした自分の感覚と言葉がどういうふうにくっついているのかっていうのを、
意識的に作っていかないとならないだろうなって、時々感じることがあるんですけれども。
今、イメージが湧いたわけじゃないですか。ポルシェって言われたときに、クソ、あの金持ちの野郎って思ったにしても、
かっこいい車にしても、頭の中に画像とか何か浮かんでるわけなんですよね。過去の経験から。
この画像が浮かぶっていうようなことが、本当にできてるのかなって思うときがあるんです。
言葉とイメージの関係
いろんなことは知ってるとか、わかってるはずなのに、どうしても画像が頭に浮かばないのではないか、この人は。
会話しててね、その伝え方が下手だとか絵で描けばいいじゃないか、みたいなことはあるんですけれども、それ以前に本人の中で言葉と画像が連動しない領域が広がってるケースが結構ありそうな気がするシーンにちょいちょい遭遇するんですね。
画像、もしくはイメージっていう。
イメージ、そうそうイメージ。これがですね、どうやって紐解いたらいいんだろうって思うことがよくあって、もちろん具体例を示すとか、逆に抽象度を上げるとか、あるいは絵や写真を使うとか、いろんな表現方法を変えたり伝え方を変えていくっていうことが、こちら側としてやるっていうことは努力の範囲としてできるんですけれども、
その話を聞いてもらってる、あるいは当事者の方自身が、記号たる言葉から本当のイメージが湧く言語として自分の言葉を発する、あるいは聞いてイメージとともに言語が処理されていくっていうようなことが本人の中で起きるようにするには、それは外からの努力だけではどうにもならない。
ところがあって、例えばものすごく企業活動のほうに寄せて言えば、DXみたいな組織横断型の大改革っていうものが必要です、みたいに言われたときに、前回の話に戻りますけれども、じゃあうちの会社はどちら側に行こうとしてるのかっていう話をしなければならなくなったときに、
非常に深い対話、あるいは思考が必要になってくるわけなんですよね。そのときにおそらく多くの人が、あれ、この話、全然通じ合えないなっていう経験をしてると思うんです。
片方でそれは違った経験をしてきている人たちが、同じ記号を使いながらコミュニケーションしているので、核となっているコミュニケーションの言葉自体に違うイメージしか浮かび合わない。だから通じ合えないっていうことが一方である。
もう一方で、そもそもその記号に乗ってくるイメージが何も浮かべられないっていうことが起きている人が一定量いるように私は感じていて、それこそそのEQのトレーニングみたいなものは、自分の経験っていうことを感情とともにイメージ化するとともに、
言葉をそこにあてがって、人とのやりとりの中にイメージ情報を含めて、あるいは温度を含めて、好き嫌いを含めて、やりとりができる状態に持っていくためにも必要不可欠なことなんですが、それはちょっと人の頭の中を覗いて、現状ここですねって言えないので、本人の努力が必要なところなんじゃないかなと思っています。
深い話になってきますね。
伝わってるかな、こんなこと言葉で言って。
だから言葉を扱うときの拡張性というか、言葉の持つ意味みたいな可能性を信じつつ、言葉を選びながら使っていくっていうことが大切だと思っていて、もう皆さんご存知のレトリックですけども、夏目漱石が月が綺麗ですねっていう言葉の裏側にあなたを好きで、
好きですっていう言葉を潜ませているというような、そういう言葉の使い方もできるということを想像性を持って使っていくっていうのが大切なのかなと僕は思いました。
寺嶋さんらしい締めくくりでした。確かにその言葉を持つ可能性っていうのはそういうところまで広げていけるなと思いますね。
そして、高田さんによるハイパーチームマネジメント勉強会第7回は、わかるということ、なぜEQや1on1が必要なのかというテーマでお送りいたします。また、EQ周辺であったり言葉であったり、それを通じてわかるということは何かということを掘り下げるという高田さんらしいテーマを持ってきていただきましたが、どんな期待を吉田さんお持ちでしょう。
今まさに人と人とが分かり合うみたいなところに今日の話は行き変わっているので、そこをまたさらに掘り下げてわかるって何かっていうのはまさに高田さんの話を聞きたくてワクワクする領域だなと思いました。
楽しみにしてましょう。ではまた皆さんお耳にかかりましょう。
また次回。
13:28

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