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2025-04-08 21:25

ニコラ・ブーヴィエ『世界の使い方』 #3

🛤 旅に必要なのは素直さ? 旅の記録は、観光地や名所を巡ることではなく、「その場で何を感じたか」。 のぞみは、「街を楽しませてもらおうと思わないこと」 が本当の旅のマインドだと指摘。 みきは、「どんな旅でも、それぞれの世界の使い方がある」 という視点から、旅の意味を再解釈します。

💭 旅をすることで見えてくる「人間の生き方」 ブーヴィエが旅の最後に印象的に描いた「ドド」という人物。 世界を駆け巡る旅人ではなく、20年近く発掘現場に携わった男。 ブーヴィエは、なぜこの「動かない旅人」に心を動かされたのか?

🚪 もしどこでもドアがあったら?移動の本質を考える みき「どこでもドアがあったら旅の楽しみは半減する?」 のぞみ「むしろ、人が行き交う場所がなくなるのが寂しい」 移動こそが旅の醍醐味?それとも、世界の使い方のひとつ?

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旅に理由はいらない――すぐわかるはずだ。

旅は、旅であるというだけで十分なのだから。

名著『ソングライン』に続く、

「オン・ザ・ムーブ」シリーズ第2弾。

自費出版から「旅のバイブル」とまで

呼ばれるようになった、幻の旅行記が待望の邦訳。

1953年、ニコラ・ブーヴィエはポンコツのフィアットに乗ってジュネーブを発つ。

旅の手持ちは2年という月日と4か月分の現金。ベオグラードで親友の画家

ティエリと落ち合い、ロマの旋律に導かれるように東へ東へとつき進む。

旧ユーゴスラビア、トルコ、イラン、アフガニスタン・・・・・・

世界から世界へ、道はどこまで続いていくのか。

「世界は水のように身体のうちをすり抜け、わずかな時間だけ、その色を貸してくれる」

みずみずしい旅の記憶は色褪せることなく、いまもなお旅人に熱く語りかける。

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サマリー

このエピソードでは、旅における好奇心の重要性や、マケドニアの現実を描写する棺屋の存在について語られています。また、ドドという人物の旅の哲学や、年齢を重ねても持ち続ける冷静さが印象的です。移動の楽しさや旅の意義についての対話が展開され、どこでもドアの概念が旅行体験に及ぼす影響について考察されています。タイトルに示される通り、世界の使い方に関する多様な旅のスタイルや意義が語られています。

マケドニアの現実
あとその1個前かなんかのさ、多分これもマケドニアの描写だと思うんだけど、棺屋さんが並んでる通りみたいな。
何ページ? これちょっとコピペしちゃったんだよな。どこだっけな。でもこのメロンの香りの中だった気するよ。
これか、棺職人ね。はいはいはい。今たどり着いた。
そう、90ページのこの棺屋さん。多分この当時のマケドニアってすごく厳しい経済情勢だったから、どんどん人が亡くなっていくっていう中で、棺屋さんっていうお店が普通にあり、
軒先にいろんなサイズの棺が並んでいて、普通に黒い服着た人がそこにお客さんと来て値段交渉して、子供を入れるような小さな棺をその腕に抱えて帰っていくっていう。
いやーなんか、日本だとさ、もう見ることのないシーンだからさ、棺を値段交渉して買うっていうワンシーンって。
なんかこういうのを、私旅行行ったらこういうのを見るの好きなんだよね。
なんか棺屋さんを見るとかじゃないけど、やっぱそうだよ、これが人間の生活だよなーみたいな。
確かにね。しかもこういう棺屋さんってさ、なんていうの、棺屋さんでーすって感じじゃないじゃん、街の中に。
棺屋なんかあるじゃん。だからその見落とさない心も大事だよね。
そういったことを心ゆくまで考えながら、僕はのみと格闘していた。かなり食われていた。リアル。かきむしりながら。
めっちゃベッドに躍進してるもんね、ずっと。
うん、ずっとね、うまく寝てないよね。
ちょっとあれだもんね、ティエリもメンタルダウン入っちゃうシーンちょこちょこあるし。
ちょこちょこあるもんね。忘れそうだもんね。
まぁなぁ、しんどいよなぁ。
でもさ、っていうときにさ、しんどい。そろそろ宿の質を良くしようとかさ、一旦お金を貯めようとかじゃないんだよね。前進あるの、みたいな。
旅というのはそういうものだから。
好奇心を、そういう自由がないときほど好奇心のトークでいけるから、向き合い、心を向き合えるから。そこがいいよね。
現代の旅に失われてしまった何かなのかもしれないよね。
現代はもうスマホがあるんだからってさ、一応フィアットだってさ、現代の最高の技術じゃん、車。
そのときある最高の道具は使ってるわけじゃん。
だから別にその同じやり方してる必要はなくて、そのときある最高の道具は使いながらやっていったらいいと思うんだけど、
マインドだけ同じで行きたいね。
確かにね。それはそうかもな。
このマインドでもいいよな。
本当にミキさんが最初に言ってたみたいに文体が、私はすごく読みやすくてきれいだなと思ったのよ。
ギレスンっていう街のレモネードが並んでますみたいな描写とかさ、
あとイランのこのレモンの香りがして、水のせせらぎが一晩中聞こえる街ですみたいな描写とか、本当にきれいだなと思うわけ。
自分がもし海外旅行行ったとき、行った先の街をこんな風に描けるかって言われたらな。
そうなんだよ。でもバイキにして、ジャン、キャージムハルキマスターみたいな。
モスクキマスターになっちゃって、モスがこうだったらこうなっちゃうじゃん。
そういう時にそれを描かないで、レモネードがどうぞとか、通りすがいの人に話しかけられたとかを描けることがすごいんだよね。
そうだね。でもその人を思ってしても池袋は貧相で乱暴だからな。笑ったな。
いいところを探そうと思って旅したいからね。その心のままの印象を描いてるからさ。
確かに。
だからそっちの方がいいじゃん。だから私たちが旅したらいいとこを探そうって思っちゃうわけじゃんか。
せっかく来たんだからみたいな気持ちになっちゃうからね。
それがない。で、自分の心が動いたままに描ける。忘れたくないって思ったものを残せるっていうのがいいなって思った。
いい旅に必要なのは素直さだね。
ドドの影響
素直さと、何かを得るために旅行しているんだとかじゃないっていうマインド。
サービスだと思わないところ。旅行を。
街に楽しませてもらおうと思ってないもんね。
そうそう。観光客などでとかじゃなくて、ただ人間がここを通過しますというマインド。
旅だね。
外国人ですが外国人である人間がここを通過しますみたいなぐらいの気持ちでやってる?
そう思いました。
あとどっかで最後の辺でトドって人物の量差が一人の人の量としては多めに割かれてるのがすごく印象的。
トドってどこに出てきた人?
覚えてる?
ドドかな?一番最後。京都の城。ドドでした。517ページ。
あーはいはいはい。
でもこんな旅してる人がさ、こんな疲れてるだろうにさ、
ドドって20年近く採掘、発掘現場で過ごしてる穏やかな人で、この人のことすごい好きなんだよね。
うん。
だからなんか、ここの2ページくらいドドの詩で説明されてて、
でなんかその、いい、なんてちゃんとさ、なんていうの、好奇心があるかないかってことで人を見れるんだなって思ったこの人。
いっぱい旅してる人たら好奇心あるねみたいな、ずっと同じところに行くから好奇心ないねとかじゃなくて、
その人もなんか心の持ち方をちゃんと見てるんだなっていうのが思ってすごく印象的。
うーん、うーん。
なんだっけ、ドドのいいところが冷静さをなくしてないところだったみたいな感じだったよね。
うん、なんか序盤の方に、
素晴らしいのは冷静、最高の耐久力と言える。その冷静さを失うことがないことだと。冷静であることは旅の暮らしでは何より必要なことだと。
うん。
あ、そう、しかも興奮しやすく短気な人間はいずれ自分自身に抱く誤ったイメージに突き当たってくじけてしまうものだって感じで。
心が痛いもん。
うん。
すいませんみたいな。
田舎臭く、どんそうな外見の下に学識と才能を隠しているのは、あまり頼られすぎるのが好きではないからだって。
大人って思って。
そう、なんか旅とかさ、ずっとしてるとさ、そういう自分を肯定したりとかさ、自分と近しいと評価してしまうのかなって思ってたんだけど、
なんか全然違う人のことをさ、すごく魅力的に感じていることが伝わってきて、
あ、なんか冷静に旅してるじゃん、この人も。
で、ウービーも冷静に旅してるんだなーって思ったんですよね。
うーん。
で、またすごくこの、なんか、この終盤に来て、この人の描写っていうのがすごい印象的で覚えてます。
あー。
あー、そうね。
普通ならば40歳になると、世界を巡るホーローへの夢は輝きをしない情熱も冷めていくと。
その場しのぎの繰り返しになって、いろんな勢いを持った旅っていうのが若さとともに過ぎ去ってしまうことに気づく。
ただドドは違うと。
年齢がいったとしても。
そうだこれだって、2人、このドドに会ってる時には26とか27の時に、15個上の40いくつのおっさんにこの人いい人だなと思うわけだもんね。
そうそうそうそう。
しかもやってること自体はさ、めっちゃ世界中回ってきましたみたいなのも、全然大陸踏破してるぜみたいな人じゃないわけじゃんか。
うん、そうだね。
ドドに影響を受けてるっていうところが印象的かも。
ドドの計画の中でも日本に行って死ぬっていう計画があったらしいよ。
へー。
510何ページに書いてるね。
もしかしたらだから、それでこのムービエちゃんは日本に来たのかもしれないね。
ほんとだ。
このドドから聞いて。
うーん、かもね。
でもさ、1970年代ってさ、日本に来たって60年代?
もう末ぐらいだと思うよ。
なんかさ、ワンバルトとかがさ、日本に来てたのもさ、1963から69って言ってたんだけど、その60年代にちょっと日本来るの流行ってた可能性あるけど。
あー、そうかもね。
そうなのかもね。
あれ、入れ墨?そうか、入れ墨で流行ってたのは全然もっと前の世界か。
何が?日本の?
え?ジャポニーズのこと言ってる?
そう、ミキシャンと一緒に入れ墨の本読まなかったっけ?
読んだよ。え、谷崎隆一のこと言ってる?それとも?
いや、あれの前の入れ墨の文化史みたいなやつ。
あー、はいはいはいはい。
で、なんか日本が流行ってみたいな。
日本の入れ墨の和柄がすごい流行ってみたいな。でもあれは明治とかの時代か。
あー、そうかもね。
そうなのかもね。日本オシャレだったのかもね。
ちょっとアジアの、旧清朝中の極東の国を見るのが流行ってた時期だったのかもしれない。
うーん、かもね。今の私たちがインド行くみたいなテンションだったのかね。
かもね。面白かったな。
いい旅行機だったね。
最近ひもつぶしで考えたこととかと、さっき言ってた旅行、移動の感じを再現するために必要なことみたいなこととかと近しいヒントがあるような気がした。
うーん、確かにね。
移動かな。
なんか歩きながら話すと、ハイディスとかで話すのとちょっとまた違うっていうじゃない?
それとはまた違うのかな?
なんか違う気がするね。
なんかやっぱその歩きながら考えるとかは30分くらいの話というか、
あとなんかその、まず考えたいことがあって歩き出さざるを得なかったような感じがするわけよね、私はね。
旅行中の移動の感じが好きっていうのは、なんかもう、まだ移動しなくちゃいけないからしたみたいな感じが先にあるというか。
うーん、確かに。
でもそれがだから、もし仮説としては、このもう好奇心と向き合うぞみたいな準備の期間としてこう、移動時間っていうのが存在してるからワクワクしてるのかもしれないし、
なんかこう緩み切った身体もあとは移動するだけだっていうこの緩みみたいなものがこうなんか無意識のうちに好きなのかもしれないし。
移動と旅の楽しさ
もう同じ感性の人はいそうだね。その移動の時にこそしっかり我々は緩むっていうのは。
移動がなんか楽しいっていうのはさ、みんな分かる感覚であると思うんだよね。
うーん、そうだね。
そんなことない?
もし移動がなくなってどこでもドアができた方が嬉しいって感じ?
それはグッドクエスチョンだね。
私はどこでもドアができたら結構旅の楽しみが半減してしまうって思うんだよね。
それはでも確かにそうかも。
実際にできたらめっちゃ使うんだろうけどね。便利だから。
でも頭で考えるときにはどこでもドアがあったとしても使わない旅することもあるだろうって思ってしまうわけ。
みいきさんとちょっと違った感想で、私はやっぱり人が行き交うところが好きだから。
自分が使うかどうかは別にして、行き交う場所がなくなっちゃうじゃない?
どこでもドアが普及したら。
どこでもドアハブみたいなところがあったらそれで満足?
もう最高最高。
最高最高。
それはやっぱりいいね。
村上春樹のエッセイを読んでるときに、あの人ホテルの描写がすごく多くて、ホテルが好きだと。
人が行き交う場として、ホテルっていうのが好きなんだみたいな話を読んだときにはすっげーわかると思ったもん。
人が新しく出ていく前提で入っていくじゃない?
そういうとこすごい好きって思うのよ。
私の人が行き交うって感覚あんましなかったからあったら面白いわ。
その時さ、みんなが別のいろんな目的を持ってるじゃない?別々の目的を持ってるじゃない?
だからそういう意味でのみきさんのリラックス度というか、誰も自分に何か関心がないし注目もされていないしってみて、すごいリラックスできるの。
それはわかる。
品川駅の2階のスタバはそれの最高の…なんて言うんだろう。
自分がその感覚なのがわかるんだけど、そういう感覚の人を見るのが好きって言うのがなかった。
あーなるほど。
自分がその感覚になるだけで満足だった。
あーなるほどね。
しかも私は飛行機とか寝台列車とか、本当の体の状況的にハードなんだよ。同じ姿勢で固定されて。
ガフガフでもなくてみたいな。でもその方がいいっていう感覚はあるから、そういうのもなんて言うかなっていうのがあった。
それは…そこは大きなギャップがなんかありそうだね。
だって足つぼもやらないと大変になっちゃってるぐらいの人間だからさ、体固定はちょっとしんどいかもな。
それはすごいね。
私は飛行機の時間とか、シビリア鉄道で寝てる時間とかもめっちゃいいから。
それはいいね。
だから身体的にこういうリラックスさがあればみたいなことじゃないんだよね。
何かの条件と組み合わさった精神的なリラックスさと時間の掛け合わせなわけよ。
でもそれを旅行せずに再現できるようになったら、私はめっちゃ幸せになれるはずっていう。
いいなー。
だって毎回スペインとかに14時間とかかかってたらさ、それはちょっと確かにしょっちゅうはできないじゃん。
まあね、まあね。
だからそれを1、2時間で再現できる方法とか、こういうことをすればあの時の気持ちになれるみたいなの欲しいんだよね。
お金もかかってるしね、毎回旅行するとね。
まあな。
実際にやらないにしてもミキさんの心の中にある根源的な旅欲求っていうのがあるってことだもんね。
それをみんなにも、なるほどこういうことかって分かってもらえるような仕掛けって作れないのかな。
いやでもできたら面白いね。
そういうこととかを読むとそこの思考がはっかどる感じもする本だった。
面白かった。
タイトルの通り、ミキさんはそういうふうに世界を使ってるってことですね。
世界の使い方
確かに。タイトルがちょっと難かったんだよね。
世界の使い方っていうタイトルとこの本の内容、あんまりピンとはこなかったかな。
本当。
まあでもそうか、このムービーにとってはこの旅がもうこういうふうに世界を使ってるってことなんだよね、きっと。
逆に私はタイトルがすごいしっくりなんか来たな、うまく言葉にはできないけど。
なんだろうね、なんかその感じたことを頑張って言葉にしてみようと思うと、
あれ、これは画像が固まっちゃった。
ごめん、固まっちゃった。
本当だ、なんか今帰ってきた。
ごめん。
なんか話してた?
話してなかった。
大丈夫?
私のせいでした、なんかね、Wi-Fiが結構切れちゃった。
機種変色ばっかりなのに使えないかい。
なんか世界の使い方さ、確かにそういうふうに考えたことなかったなと思ってたのは、
このタイトルの背景にある思想って、世界には複数の使い方があるっていう前提があるのかなと思ったの。
なるほどね。
で、これが私の世界の使い方ですって言われると、なんかすげえいいなと思ったりしたわけ。
確かに確かに、そういうことか。
その主張としてさ、みんないろんなインドがイランダの国の関わり合い方もあれば、
なんか、なんて言うんだろう、世界の味方というかさ、いろんなものがガチャンとなって、
これが私の世界の使い方、他のいろんな使い方もあるけどねっていう前提で言うと、
すごく私はいい旅行機だなっていう気がしたかな。
それぞれの旅のスタイルって、つまりそれぞれの世界の使い方なんだっけ?
世界を使おうと思って旅をする人って、わからないけど現代によってはそんなに多くなさそうじゃん。
でも旅をするってことは世界を使っているってことだよね?
そうなのよ。
でも今気づいたわ。
使っているというよりかは、使われているとか体験させられに行ってるみたいな。
サービスを受け入れてる。
だから使う旅ってこういうことかと思うといいなって思ったから。
確かにね。
うん、いい本でございました。
ご紹介ありがとうございました。
いえいえ。
次は何の本を読もうね。全然考えてなかったけど。
うん、みきさんの何かを読みましょうよ。
読みましょう。ちょっと考えておきます。
はい。
どうもありがとうございました。
そんな感じで。ではではでございます。
ではいい一年にしましょう。
確かに。このままいい調子でいきましょうね。2025年も。
はい。
はい。
21:25

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