00:12
お元気ですか?
元気ですよ。
元気が有り余ってまして、
この週末、今日月曜日じゃないですか。
土曜日の夜に、ランニング大会に出てきたんですよ。
何キロですか?
10キロなんですけど。
よく10キロも始めますね。すごい。
いやいや、10キロはハーフマラソンだったら20キロ超えですよ。
なるほど。
10キロなら行けるかなと思って行ってみたんですよ。
そしたら10キロが、山を登っていく5キロコース×2みたいなやつだったんですよ。
えー、もう実質ハーフマラソンじゃないですか。
実質とは。
それを何とか走り切ったんですよ。
わーすごい。
その翌日の日曜日にも、前から予定していたテニスのレッスンに行かなければいけないという予定があってですね。
筋肉痛の上に筋肉痛を重ねているので、今もうボロボロです。
そうですね。私からしたらトライアスロンを終えた人みたいな感じですね。
りきさん、運動はお得意?
全然ちょっとできないんで、私はもう大江戸線の沿いに住んでるんですけど、
大江戸線って階段が深いんですね。地下にあるから。
だから大江戸線を階段をいつも登るようにしてて、それが運動です、私と。
でも登り降りの深さで言うと相当のものでしょう。
そうなんですよ、そうなんですよ。
っていう感じで、なるべく生活の中に運動を取り入れるスタイルでやってますね、私は。
組み込んでいく姿勢で。
意識的に運動しに行こうという気持ちにならないんで。
東京メトロ丸の内線、銀座線だと浅くてスッと行けますけど、
大江戸線ぐらいなら人運動って感じがしますよね。
私の運動は大江戸線でやらせてもらってます。
如実に痛筋がなくなると運動減るやつじゃないですか。
そうなんですよ。筋肉がすごい減りました。
行き込みによって。
今日あれですよ、運動じゃなくて知能の話ですよ。
そうですね。
アルザーノに花束をね。
前回テーマに挙げたやつですね、アルザーノに花束を。
これまでって結構、前回愛するということですし、
最初の方は反応しない練習みたいな、結構感情というか。
そういうものが結構テーマのものが多かったじゃないですか。
そうですね、感情をどう取り扱うかみたいな話でしたよね。
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アルザーノに花束を。
これ、ザ・知能っていうテーマだけだし残ってたんですけど、
みきさん的にはどんな話だと思って前回これちゃうかなってなったんですか?
私、アルザーノに花束をって、愛の話だとなぜか思って、
っていうふうに薄言やり覚えていて、
そのフロム読んで、もっと愛っていう感情について考えたいからこれにしようみたいな感じで、
アルザーノにした記憶があったんですね。
で、読んだら全然そういう話じゃないじゃんって思いました。
この小説にどういうタグつけて覚えてるかって面白いですね。
アルザーノに花束をに、愛タグつけてたんですか?
そう、愛タグつけてて。でもなんでそれをつけてたのかわかんない。
たぶんラストがすごい覚えてたんで、それのせいかな。
そのラストの一部だけすごい覚えてたんで。
私、完全に知能ハックみたいな、
人の知能が一気にグッと上がってグッと下がる話っていう、
めちゃめちゃ頭の悪そうな覚え方をしていて。
でも事実ベース、ファクトベースだとそうですよね。
そういうことだったのかと。
でも確かに、のぞみさんも言ってましたけど、
私この本を高校生ぐらいの時に読んでて、
久しぶりに読み直して、
なんか思ってたのと全然違う話だったなって思いました。
で、それが私は結構かわいそうな話みたいなのを覚えてたんですよね。
せっかく獲得した知恵を失っちゃった話みたいな、
なんかかわいそうな話って覚えてたんですけど、
別に今読み返したらそんなかわいそうな話とはあんまり思わないというか、
っていう気づきがありましたね。
一回そもそもどんな本なのか、
さっと振り返りだけしておきますか。
まずはやりましょうか。
すぐ話しちゃう感じですもんね、我々。
そうですね。
ジャンル的にはSF小説に分類されますと。
そうなんだ。すごくそうか。
ストーリー的には知的障害を持った主人公が、
とある手術なのかな。
睡眠療法。
によって知能がグッと上がってっていう、
サイエンスを使った、起きたことない話だから、
サイエンティフィック、フィクションという意味でのSF小説ですね。
ダニエル・キースっていう作家が、アメリカの作家ですね。
1950年代ぐらいに中編として出して、
その後長い長編小説に開作されていただきました。
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50年ぐらい、もっと前か。
60年ぐらい前に初めて出たSF小説ですね。
すごいこれ、話は翻論じゃないんですけど、
面白いなと思ったのが、
もともとこのダニエル・キースっていう人が、
大学在学中に撮ってたメモ、書き殴ってたメモが、
将来作品を作る時の創作の種になってたっていうのを聞いて、
なるほどと思ったんですけど、
一つは、
教養が、僕の教養は、
僕と僕の愛する人たち、両親の間に楔を打ち込むって書いてるんですって。
教養が、自分と自分の愛する人の間に、
クサッと何か刺しちゃうっていう一文と、
もし人間の知能を人工的に高めることができたら、
一体どういうことになるかっていう。
前半は、みんきさんがさっき言ってたみたいな、多分愛のことなんですよね。
自分と愛する人っていう間に、
教養っていうものがクサビとしてバンって打ち込まれちゃうんだなーっていう思いと。
もう一個は、仮にこういうことが起きたら、みたいな。
この2つを掛け合わせて出てきたのが、このアルジャーノンに花束をという小説なんですね。
全然違うメモですか?
うわっと書いてるテキストの中に、それぞれあったっていうことみたいですけどね。
私の学生時代のメモとか、「今日もご飯食べ過ぎませんよね?」とか、
そういう微暴力みたいなことしか書いてなかったと。
この愛、教養が愛と人間関係にもたらす影響と、
人間の知能を人工的に高めるとしたら何が起きるかっていう、
この2つの掛け合わせで生まれたのが、このアルジャーノンに花束という小説。
確かに真っ直ぐに出てきてる感じがしますよね。
そうですね。だから別々のメモっていうことが逆に驚きなぐらいですよ。
読み終わった後は逆にね。
確かに。
どんな話か、美希さんどうぞ。
あらすじは、小説は一人の知的障害を持つ青年チャーリーっていうんですけど、
チャーリーの手記みたいなものがずっと連なっていくような構成で始まる小説です。
そのチャーリーはもともと知的障害を持っているんですけれども、
ちょっと穏やかな性格とか、頭が良くなりたいっていうモチベーションがあるタイプの青年だったので、
たまたま大学の実験のサンプルとして選ばれて、
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手術と睡眠療法の掛け合わせみたいなものを受けることになるんですね。
その手術が成功してチャーリーのIQが徐々に上昇していくっていう様を、
そのチャーリーの手記を通して私たちはチャーリーがどんな風に変化していくかっていうことを感じていけるような小説になっています。
まだIQが低い状態の時のチャーリーっていうのは、
骨でおじさんの知り合いが営むパン屋さんで働いていて、
パン屋さんの仲間たちから、ちょっとからかわれたりとかしながら、
でも全然それに気づかないまま楽しく働いていたりとかしていて、
手術が成功してどんどんIQが上がっていくにつれて、
周りの人が自分のことをどう扱っていたかとか、
自分がどういう状態であったかとかっていうのがどんどんわかるようになっていく。
さらには大学の教授とか、もともと自分に読み書きを教えてくれていた先生なんかよりも全然IQが高くなってしまって、
っていうような話ですね。
前半ガッと。
チャーリー30何歳ぐらいだった設定ですよね。
あとアルジャーノンって何って話をしてなかったわ。
タイトルだ、アルジャーノン。
チャーリーしか出てこないアルジャーノン何って話なんですけど、
アルジャーノンっていうのは、チャーリーにする手術を、
チャーリーより前に動物実験にしていたんですけど、
その中で唯一成功したハツカネズミの名前がアルジャーノンって言うんですよね。
動物実験でチャーリーにしたIQを高める手術を先にしていて、
ネズミなんだけどすごく賢くて複雑な迷路とかが全然楽々こなせる。
学習している。より1回クリアした迷路は学習するので、
どんどんどんどん難しい迷路にもどんどんチャレンジしていける、
みたいなことができる賢いネズミのことをアルジャーノンって言うんですよね。
動物実験で使われていた、その実験が成功したネズミの名前がアルジャーノンだと。
アルジャーノンって言うんですよね。
だから彼がうまくいってるなってなって、よしじゃあ人間にもやるべと。
なってじゃあ人間にやろうかってなった時に、
ある種実験の対象というか、人間にもやってみようってなった時の代表がチャーリーだったっていう。
チャーリーもアルジャーノンに出会って、
ネズミなのに自分よりも全然、自分が全然手こずった迷路をすごく難なくクリアしている姿とかを見て、
ネズミが自分よりも賢いなんて知らなかったみたいなこととか言っていて、
こういう手術を受けようと思うきっかけを与えた存在でもあるんですよね。
なるほど、なるほど、なるほど。
前半の文体、あれですよね、手記で書いていくっていうのがすごく独特で。
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そうですね。
これ確かドラマにもなってるじゃないですか、アルジャーノンに花束を。
そうですね、見てないけど。
あれで言うと多分普通のストーリーを映像として追っていくっていう形になると思うんですけど、
それを例えばドラマを他の小説に落とすとなると、
例えばチャーリーはこう言ったみたいな風に書くんだと思うんですけど、
今回手記なので全部このチャーリーの実験報告記みたいなやつですよね。
本当に第一章の1ページ目とかめちゃくちゃ読みづらいですよね。
本当ストレスが半端ないですよね、なんだこれみたいな。
もう多分そういう風に書く人なんだよってところから含めて、
このダニエル・キッスの工夫ということですよね。
そうですね。
訳した人もすごいけど、本当に漢字が全然使われてないし、たどたどしいし、
結構間違ってるから自分で変換しながら読まなきゃいけないし、
すごい読みづらいですよね。
てかもうそのぐらいのIQなんだなってことがわかりますよね。
僕はって日本語の訳の方ですけど、
僕はのはははじゃなくて和音の和になってるとか。
点が全然ないとか、ずっとひらがなとか。
そんな状態からアルジャーノンで成功したとある治療法というか、
それをチャーリーも受けて、最初は頭良くなるのかなみたいなことを思いながら、
さっきの睡眠療法みたいなやつで、
夜はこれを聞きなさいとか言っていくと、どんどん賢くなっていくと。
文体も全然違うようになりますもんね。
どんどん読みやすくなってきましたね。
気づいたらすごい読みやすくなってますよね。
読みやすくなる、そうですよね。読みやすくなるって感じですよね。
読みやすくなって、だんだん偏屈な感じになってきました。
ちょっとインテリぶった感じになってきますけどね。
リアルインテリですからね。
設定上はIQ185?
赤ちゃんだったのに、数ヶ月で論文論パンするようになるっていう感じですもんね。
確かIQ130で偏差値で言うと70ぐらいの患者らしいんですよ。
とにかくめちゃくちゃ賢いと。
道中どっかの学会かなんかのシーンで、賢くなりすぎてるから、
さっきもミミさん言ったみたいに、
治療してくれた教授より賢くなっちゃってるわけじゃないですか。
そうなんですよね。
あの人、日本語とあの言葉できないんですか?みたいなシーンあるじゃないですか。
ある。
英語とドイツ語とフランス語ちょっとしかできない。
そんな奴が教授になれるんですか?みたいな。
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おーっていう。
ありましたね。
チャーリーが最新の論文を使って、最新の論文だとこういうことが論章されてるじゃないかって言ったら、
あいつは外国語ができないから、まだ読んでないんだって返されるっていうシーンですよね。
あそこ結構この小説の中では、なんて言うんですかね。
個人的には大きいポイントなのかなと思っていて、
実験としてチャーリーって扱われてるわけじゃないですか。
なので当然その教授たちはチャーリーっていう人間にやって成果がある種見えてきてる。
IQが68から185にまで一気に伸びましたって学会で言いたいみたいな。
チャーリーってある種実験対象として持っていくことに発表することになるわけじゃないですか。
でも一方でチャーリーって、俺もっとなんだっけみたいな。
なんかそこに対する葛藤みたいなのがその学会の中では出てきて、
自分より賢くない奴にそんな風に扱われなきゃいけないんだ。
ありますね。
そこはなんかそう感じるだろうなっていうシーンでしたね。
あとIQが良くなるにつれて、自分の過去とかを振り返って分析というか、再解釈することができるようになっていくんですよね。
記憶とか思い出としては残ってて、ただ解釈されてなかった記憶とかがIQが高くなった状態で振り返ると、
あれはああいうことだったんだとか、両親はああいうことを話したんだっていうのがどんどん再解釈されていくシーンとかも後半になると増えてきて。
それで本人も苦しんだりとか、自分のせいで家族がこんなに苦しんでたことにやっと気づいたとか言ったり、
自分のこんな風に思われてたんだっていうことを気づいたりとかして、どんどん苦悩していくシーンとかもありますよね。
最初だからどんどん賢くなっていって、賢くなってる、賢くなってるっていう中で今美木さんが言ったみたいに、
ちょっとあれ、あれおかしくないかとか、あれもしかしてこれって辛い経験だったのかもみたいなのがポンポン出てきて、苦悩の中にっていう。
賢くなったらハッピーになれるはずだったのにみたいな。
だったのにって。
感じでしたよね。
さあそんな前半戦からいよいよ後半へっていう感じですね。
そうですね。
どんどん研究の成果が目覚ましく出ていく中で、ある日アルジャーノンに異変が起こるんですよね。
ネズミのアルジャーノンに。
そうですね。自分と同じ手術を先に受けて先に成功したネズミ、アルジャーノンに異変が起きると。
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それがなんかちょっと今までよりも学習ができなくなってしまったりすごく凶暴になったりっていうような、今までとは違う行動を取るようになって、
でもその時チャーリーはもうどんな教授よりも頭のいい状態になっていたので、自分でこうアルジャーノンの異変について調査を始めるんですよね。
自分が受けた手術、アルジャーノンに施した手術というものも一時的には頭のIQを高くするものの、
結局なんか身体というか性格がその発達に追いつかなくて、結局崩壊してしまう。
生き物としては崩壊してしまうみたいなことがわかる。
どんどんどんどんのほうが、よくなった頭とか知識とかっていうのもどんどん対抗してしまうっていう、そういう欠陥を持っているってことがわかるんですよね。
辛いですよね。
いやー、自分で突き止めるっていうね。
俺こうなるんだっていうのがわかるわけですもんね。
そう。なのでアルジャーノンに受けたことも間違いなく自分にも起こるだろうっていうことはわかる。
で、こうだんだん元々に知能の対抗をする中で、でもなるべく多くのものを残そうといろいろ記録を残していくっていう感じですよね。
できるかな、自分がその立場になったら。大変だよな。
後半はだからその、アルジャーノンに異変が起きてるぞっていうことを感じながら、いろいろ研究をして、言葉で残してっていうことが最後の最後まで続いていく感じですね。
そうですね。
これで最後の最後の一文がアルジャーノンに花束をっていうタイトルとすごく結びついたエンディングじゃないですか。
はい。
いろいろ見てると、この小説をいろんな出版社に持ち込んだ時に、このエンディングを変えるんだったら出版してもいいよっていう編集者がめちゃめちゃいたんですって。
はいはい。なんか見ました、あと書きで。
でもなんかそれを友人のSF作家は絶対に変えたらあかんって言って、そのまま出版して賞を取ったっていうのを。
今こう読むとこのエンディングってめちゃくちゃいいなって思うんじゃないですか。
ほんとそうですね。
これ話の本能と全然違うのかもしれないですけど、編集者の人ってどう変えて欲しかったのかなとかすごく関心があるんですよね。
ハッピーエンドにしたかったのかな。
今もハッピーエンドってハッピーエンドと捉えることもできると思いますけど。
なんかもっとわかりやすい結末にしたかったじゃないですか。
対抗しないとか。
止まるとか。
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例えばアルジャーノンは、アルジャーノンが対抗することに気づいたから、チャーリーが頭のいいうちに自分が対抗しない方法とかも編み出して、自分はキープしたままにいられるとか。
なるほど、なるほどなるほど。
でもそれほうが確かにSFっぽいのか、なんか目の前にある課題を強化された人間が動物とは違う結末になるように頑張りましたみたいな。
アルジャーノンの、むしろアルジャーノンの死を糧に研究ができて、それでアルジャーノンのおかげで自分は大丈夫になったとか。
お涙ちょうだいっぽいし。
なんかそういうわかりやすいハッピーエンドみたいなものを編集者の人は、そういう明るい話にしろみたいなふうに例えば言ったじゃないですかね。
あー、なるほど。
とかもしくは対抗してしまっても、愛され続けるとかね。
なるほど、なるほど。
最初は賢くなりたいなと思っててだんだんになっていて、ちょっと苦しむとこが出てきて、でアルジャーノンの様子を見ながら決定的に自分のこの将来を知ると。
でその後こう終末に向かっていくっていうのが大きいストーリーですね。
そうですね。
なるほど。