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2023-03-14 32:52

ポール・オースター『ガラスの街』 #2

みきさん選書、のぞみ大興奮の本でした。

  • 個人的なハイライト
  • 非在感を味わう作品 byみき:「多くの意味においては存在し続けていたが、もう自分以外の人間のために存在することはやめていた」
  • 言葉と存在の関係性って、たくさんあるんだなぁ by のぞみ
  • 人類の堕落が言語の堕落を伴ったのだとすれば、言語の堕落を元に戻せたら、それに伴い結果も元に戻せるのではないか というお父さんの考え方
  • 武士の世界でも元服すると名前を変えたり。
  • 実存が変わったら名前を変える 存在を変えたかったら名前を変える
  • 1つの存在に対し、たくさんの言葉が重ねられた作品
  • 名前が変わったとしても、人の中身は変わる? 名前が記号だったら変わらないはずだけど…

--書籍紹介--

「そもそものはじまりは間違い電話だった」。深夜の電話をきっかけに主人公は私立探偵になり、ニューヨークの街の迷路へ入りこんでゆく。探偵小説を思わせる構成と透明感あふれる音楽的な文章、そして意表をつく鮮やかな物語展開――。この作品で一躍脚光を浴びた現代アメリカ文学の旗手の記念すべき小説第一作。オースター翻訳の第一人者・柴田元幸氏による新訳!

00:11
ざっくり話の筋を持っていくと、ダニエル・クイーンさんという作家の人がいて、その人が本を書き上げて、ボート機関に入りましたと。ちょっと充電するかと。
そしたら電話がかかってきて、何とかさんですかって全然違う名前を呼ばれると。
違いますよと。私それじゃないですって言って切ろうとしても、すごく困ってるんですという話をされて。
一回ガチャって切り、ちょっとあの電話またかかってこないかなみたいな感じで待っていて、またかかってきて。
ダニエル・クイーンさんとしても、ちょっとこれは頭を突っ込んでみるかと思って、間違い電話がかかってきた人になりきって。
かけてきた人のご自宅に伺うと。
そしたら自分を殺そうとしている人がいてっていうふうなことを言ってくる依頼人のすごい不思議な男の人に会って。
その人からいろんなことを、今までの老いたちとかいろんなことを聞かされて、分かりました何とかしましょうと。
殺そうとしている人、依頼人のお父さんっていう設定なんですけど、お父さんがそろそろこの町に来るので、その人から家を持ってくださいと。
こうやって話すと探偵小説っぽいですね。
で、探偵役を買って出ましょうと言って、私が問題解決してあげましょうと言ってね。
で、その偽名のまま探偵チックな活動を始めるんですけど。
最初はちょっと遠くから、依頼人からすると自分を殺そうとしているお父さんとちょっと距離を取って見てたんですけど、途中で接触を試みてお父さんと話すようになりますと。
いろいろ話して、話す中で自分の私は誰ですっていうことをお父さんに伝えるんですけど、そこでいろいろトリックというか小技を使い伝え。
お父さんが偉いことになり、最後の最後、あれダニエルクイーンあれ?みたいな。
ダニエルクイーンそんな感じになっちゃうってなって終わるっていう。
確かにこうやって話すととても不思議な小説ですね。
そうなんですよ、そうですよ。不思議だったな。
不思議でしたか。
でもなんかこの小説を切り取るキーワードとして。
のぞみさんって誰の役?柴田本幸さん役で読みました?
柴田本幸さん役で読みました。
私も柴田本幸さん役で読んだんですけど、役者の柴田本幸さんが解説のところで被罪感って書いてて、あらざる存在が非。
03:10
ここの小説をめぐる被罪感みたいなことを言ってて、被罪感ってすごいキーワードだなって思って。
結局主人公も本来の小説家の自分じゃなくて、嘘の自分?探偵になりきって最初入るし。
なんかいろんな結末があるし、通天していない感じ?ゼロな感じっていうのがすごいあるなと思って。
被罪感っていう言葉はすごいしっくりくるなって思いました。
被罪感ね。被罪感ね。被罪かそうか。そうね。
うーん。被罪感か。
この小説のキャラクターたちがこういうことがしたいんだって言って欲望ドリブンで動いてる感じがなくて、ずっと誰かに動かされてるみたいな感じがあるっていうか。
どういうモチベーションでそうなるの?みたいな感じがずっとあるっていうか。
でもそれが興味つまらない感じじゃなくて、つい見てしまう感じがあるというか。
中に何も詰まってない感じ?はすごいあるなって。
でもなんか綺麗な感じというか、ちょっと見てしまう感じっていうのはすごいあるなと思いました。
なるほど。確かになんでそう動いてるのかわかんないっていうこと?
これ多分序盤にもいろいろ書かれてたと思うんですけど、一応このポール・オースター自身もこういう本を書いてるし、
ここで言うダニエル・クイーンっていう本の中の主人公もミステリー作家っぽく活動してるっていう体の中で、
ミステリー作品ってのはどういうものかみたいな話が序盤にぽこぽこ書いてあって、
意味のあるものが基本的には書かれてるっていうのがミステリー作品だと。
描写が書かれていたら、それは事件の発生とか解決につながるみたいなことがあるし、
ミステリーが起きたときに問題が解決されるときには何か糸口があったり、
あるいは事件が発生するときには犯人にモチベーションみたいな明確なものがあって、
それが書いてないとミステリー作品としては難しい、読者としてついていくのが難しいっていうことだと思うんですけど、
確かにここの本の中だと、さっきの間違い電話についてっちゃうみたいなこともそうだし、
後半お父さんと話すときに突然違う名前を名乗ったり、
ダニエルクイーンですみたいな本名を語り出したり、
一個一個の動機というか、なんでそんなことしたんだっけっていうのがちょこちょこ出てくる。
特にお父さんの最後の振る舞いみたいなことも含めて、なんでだったっけみたいなことがめちゃくちゃある小説だと思うんですけど、
06:04
それが確かに嫌な感じがしないというか、あまり止まったりしない感じのものですよ。
それは何なんだろうな、文章のパワーなのかな。
すっと読める文体というか流れではあったですね。
確かに文章のパワーなのかな。
今改めてこうやって話したと思ったのが、
一応このダニエルクイーンって冒頭でそこそこ売れた、量をかける系の中堅作家ですと。
離婚をして子供もいたけど亡くなってしまったみたいな感じで、結構喪失感を抱えてますみたいな設定から入るじゃないですか。
そういう喪失の話なのか、人の喪失を乗り越える話なのかなとか、
ゆくゆくどこかで何か心に生まれる何かが出てくるのかなみたいな、そういう物語として読んでたんですけど、
結局その本人の喪失感みたいなものって全然描かれないし、埋まらないまま、
あまり触れられないまま終わっていくんですけど、
何だったんだろうこの設定とかって今思ったんですけど、
なんか改めて読むと何か冒頭でこういうふうにこの人はもう何もないですよっていう設定を、
俗者に分かりやすい形で書いてるから読めちゃうっていうか、
何もないってどうしてこうなんだろうって思うような行動が続いても、
もう何か読めちゃうみたいな、そういう入り口の作り方があったのかなって今思いました。
なるほど。
ダニエルクイーン自体もまずそもそも技名で作品出してるんですよね。
まずそもそも偽名で作品出してるんですよね
ウィリアム・ウィルソンっていう名前で出していて
つまり全然自分じゃないように見える
ダニエル君としてではなく別の人として
職業の作家をしているっていうことが
ある種前段で語られた上で
そこから出てくるってことですもんね
確かにね確かにそうなのかもしれないですね
なるほどね
ぼーっと散歩をして歩きますみたいな
もともと何にもない自分として
散歩をして何にもない自分をただ
体験するみたいなことをやってる人です
っていうところから始まるから
そういう人だと思ってるから
読めちゃうのかなと思う
この本入りの冒頭の部分の作りもそうだし
書き出しのすべては
そもそもの始まりは間違い電話だったって
書き出しもそうなんですけど
私序盤ですごくいいなと思ったのが
偽名で活動してますっていうところの
下りの最後の方に
その多くの意味においては
存在し続けてはいたが
もう自分以外の人間のために
09:00
存在することはやめていたっていうのが
すごい序盤に確か出てきていて
これがなんか今ミリさんが言ってくれたみたいな
オフィスの取り組みをしてることももういなくて
一人で生活してて
偽名で活動してて
そんなにお金をたくさん持ってるわけではないんだけど
まあ困ってもなくて
なんかお散歩大好きですみたいな
とにかく散歩がもう
あの散歩がめちゃくちゃよかった日には充実していて
なんか自分がどこにもいないっていうことを
感じることができるのが最高の時間でした
っていうのが最初の冒頭のところに出てくるんですけど
その結びに近いところで
多くの意味において存在はし続けていたが
もう自分以外の人間のために
存在することはやめていたっていうのが出てきた時に
めっちゃいいなと思いましたね
なんか書き出しとしても
なんか内容多くの意味において存在はし続けるが
もう自分以外の人間のために
存在することをやめるっていう
そうまさにこれが非罪感ですよね
非罪感ね
非罪感ね
そうか
あーなるほどね
なるほどね
非罪感か
柴田さんの話になると
私全然この柴田さん役
後々見ると日本のポールオースターで
日本語で出てる翻訳版のポールオースターの作品って
柴田さんのやつがものすごく多いんですけど
めちゃめちゃいい役だなと思って
著作を探していたら
だいぶ前に村上春樹さんと柴田さんが対談している
本当の翻訳の話をしようっていう
読んでいたことを
長く前に読んでいたことを思い出してですね
改めて買って読んでみたんですけど
村上春樹の
なんかの大きい翻訳作品をやる時の
サポートチームみたいなやつが5人ぐらいいて
そのうちの一人が柴田さんでした
それ以来すごい仲良くしていて
翻訳の話とかよくしてるらしいんですけど
この本の中で
自分の読み方が客観的には
一番正しいはずだと思っている節がありますね
私はって話を柴田さんがしていて
かっこいいなみたいな
自分が英語から日本語に翻訳を起こすっていう時に
かなりご自身で言ってるのは
結構傲慢に
自分が正しいだろうと思いながらやってますって話をしてて
かっこいいそこまで言い切れるの
でも翻訳家にはそのぐらい言ってほしい気持ちもある
確かに
なんか村上春樹さんはどっちかっていうと
12:00
ベストかどうかっていうよりかは
なんか原文を読んで受け取ったものを
自分の言葉で移し変えたいっていう欲求を表現してるっていう
その対比がそろそろあってめちゃめちゃ面白かったですね
やっぱなんか翻訳がめちゃくちゃスッと入ってくる
素敵素敵翻訳です
私原文を全然読んでないんですけど
村上春樹と柴田さん曰く
このフォールオースターの英語は
とっても整合的でロジカルらしいです
そうなんだ
全く分からないけど
全く分からない
全く読んでないから分からないし
実際に英語を見ても分からない気がするけど
非常に整合的でロジカルらしい
そうなんだ
そんな顔してる感じは小英から伺えるけどね
あんま上々的じゃなさそうだけどね
小英小英小英
小英ってか何?
著者金泰?
この顔の感じね
確かになちょっと聞き難しそうだもんな
ちょっと聞き難しそう
翻訳つながりで
私がこんなところにもことあるんだって思ったのが
それこそ被罪感出てくるところで
柴田さんの役者跡書きで
独特な魅力のある被罪感のある文章なので
なるべく中央入れたくないって書いてあったんだよね
だからここで中央書きますって言って
役者跡書きで中央書いてた
はあ
独特の魅力的な被罪感のある文章なので
訳文を作成する上で本文中に中央入れるのは避けたかった
だからここに3点だけ簡単に書きますって
確かに中央がないんですよ
珍しく
確かにそうね
そうね
そういうとこまでこだわるんだって思って
美学を感じたところでしたね
そらもう
そらもう東大の先生ですから
うん
私なんかちょうど
ちょっとわかんないなって思うところ
でもわかんなくても進めるなっていう部分を
3点解説されてて
うん
ポイントを押さえてくださる
あとプチ情報としては
歌手の小澤賢治さん
今夜はブギーバッグとか歌ってらっしゃる
はいはいはい
柴田ゼミの出身らしいです
え、そうなんだ
らしいですよ
あの言葉のセンスはやっぱりこの柴田さんによって
学生時代何かが生まれたのかもしれない
被罪感か
そう
だからなんかさ結構さ
人がさ
これ別に自分とは何かっていうテーマじゃないけど
15:00
自分を理解する時にさ
自分に満足するか
満足できない自分を受け入れるかみたいな
結構そういう二択になりがちじゃない
自分で思った時に
だからそのどちらでもない別に
自分がいなくなるっていうか
どちらでもないから結構戸惑うんだなーとか思いながら
読んでたけど
うーん
被罪かーなるほど
だから罪を前提に考えてたなって思って
生きるっていうことについて
あーなーそうか
私このなんていうんだろう
本を読みながらすごくぐっときた
ところであり
なんか思っていたテーマみたいな勝手に思っていたテーマ
あーなんか言葉と存在の対応みたいなことをすごく
考えていて
何かというと例えばここで言うと
ダニエルクイーンっていう人が一人いて
その人は
えっとなんだっけウィリアム
なんだっけ
ウィリアムウィルソンっていう名前で
嘘を書いていて
途中
ポールオースターさんですか
金橋が電話くるんですよね確か
ポールオースターですかって言われて
その人になりきって探偵をやって
最後お父さんの前で
この息子の名前を語るみたいな
とこが出てくるんじゃないですか
だからつまり一人の
人間の肉体に対して名前がいくつか紐づくっていう
なんかその存在値に対して名前がたくさんあるっていう状態
この中だとポールオースターさんって本人が出てくるじゃないですか
間違い電話じゃない
電話帳に載ってる本物のポールオースターさんこの人じゃないかみたいな
のが出てきたときに名前1個に対して
存在が2つ出てくるし
お父さんも駅で見かけるシーン2人出てくるじゃないですか
あれも名前1個に対して2つ出てくるみたいな状態
なのでこれが多分
名前1個に対して存在が対応
さらに
お父さんの
なんて言ったらいいんだろう
緊急テーマであるし息子に対してめちゃくちゃやっていた背景の一つみたいなやつも
言葉というのが人間を堕落させ神の言葉を取り戻すのであるみたいな謎のやつあるじゃないですか
あの時に出てくるのは
もともと存在と言葉というのは対応していたけど
対応しなくなっちゃったっていうのが人間の堕落であると
神から離れた理由であって
最後お父さんなんかヨッポヨポになりながら
街中の名前もついてない謎のものに名前を付け出すみたいな
18:02
神の言語を復活させるのであるみたいなことをやっているときには
つまり
存在はあるんだけど名前はついていないっていうもの
ゼロに対して存在1に対して名前がないっていうものが出てきたり
さらに言うと
依頼主のお兄ちゃん
不思議な動きをする子は
日本語に訳してもめっちゃくちゃなことを言うじゃないですか
文章として
あんまり実態のない言葉をたくさんあったときに言ってると思うんですよ
だから言葉はあるんだけど存在はないっていうのが
そこに出てくるんだと思うんですよね
っていうふうに思ったときに
言葉と存在の関係性ってたくさんいろいろあるなというふうに思いました
確かに関係してるけど対応してないね
対応してないというか
1対1対応じゃないよね
ここの中に出てきた
後半の方に出てきたお父さんの
違うわ
ラニエルクイーンがお父さんこういうこと考えてるんじゃないかみたいなことを推測するシーンの中に
人類の堕落が言語の堕落を伴ったのだとすれば
言語の堕落を元に戻せたら
そしてエデンで話されていた言語をどうにかして再創造できたなら
そこから生じた結果も元に戻せると考えていいのではあるまいか
元初の無垢の言語を話せるようになったら
人は自分の中にも無垢の状態を取り戻せることにはならないだろうか
っていうのを考えるシーンが出てきて
そういう考え方をするんだなっていうのは
個人的にこの本を読んでた時に
物事を考えたって意味だと一番大きいハイライト
全然注目してなかった
確かになるほどね
なんでこう思ったかっていうと
なんて言ったらいいんだろう
一応言葉を扱う仕事をするじゃないですか
普段のクライアントワークの中とかもそうだし
あるいは台本みたいなことを書くって時も
一応言語として表現をするわけじゃないですか
その時にこの人言葉遣いおかしいなみたいな人って
ちょこちょこ会うわけですよ
そういうふうな人たちは
言葉遣いが思って思ってるだけではなく
振る舞い全体的になんかおかしいなみたいなことを
感じることが多いわけですよ
っていうのを考えてると確かに
堕落じゃないけど
人間性みたいなものと言語の対応ってのは
結構仕事場ではあるなってことを多分思っていて
21:04
思ってるんだと思うんですよ自分自身で
だとしたらそいつの言葉を全部矯正したら
もしかしたらこいつの人間性も直せるのかもしれない
っていうのをひっそり思っていたんだと思いますね
なるほどね
厳しいこと言うね
厳しいかな
だからお父さん派ですよ
息子を監禁して言語を話させないようにするって
本の中でお父さんが依頼主に対してやっちゃったことですけど
究極言うとちょっとわかるなみたいな気になっちゃいますもんね
やりたいかやりたくないか別にして
論理としてそういうふうに思うのも
まあまあそういうものかしらみたいな
なるほどね
感じがしてたですね
なるほど面白いわ
このお父さん全体的にちょっと怖かったですよね
怖いね
何か知らない感じがして
ちょっと怖いなって思ってたんですけど
のぞみさんの話を聞いてより
思想面でも怖いわって思いました
ちょっと振る舞い
息子に虐待っぽいことをしてる一方で
後半に出てきたヨボヨボのおじいちゃんの時には
やたらほんわかしてるみたいな感じを含めてちょっと怖いですね
ただおじいさんが
のぞみさんも感想メモに書いてましたけど
おじいさんがただテクテク参考してるだけかって思ったら
みたいな話
地図をなぞってみたら文字になってたみたいな話あるじゃないですか
あるね
恐ろしすぎません?
めちゃめちゃ怖いと思うよ
めちゃめちゃドッとしたんですけど
この書きぶりだけめちゃくちゃ探偵小説っぽいですもんね
確かにね
名残がね確かに
すごいんだよな
人間の堕落みたいなこと
日本人の感覚だとあれだと思うんですけど
バベルの塔が崩壊して
人間がなんちゃらで言語がみたいな話っていうのは
キリスト教圏の方々の中では一般的な基礎教養だと思うんですよね
ニューヨークの五番の目のところを
おじいちゃんふわふわ散歩してて
クイーンさんは探偵が後ろついて
ここ歩いたなと丁寧にマップしてるわけですけど
一日の行程をたまたま地図に起こしてみたら
Wに見えるみたいな
翌日はEみたいに動いてるみたいな
やってみたら
これタワーオブバベルって書こうとしてるやんけ
っていうことに気づくっていうシーンが出てくるんですけど
超怖いですよね
だってついてこられてること気づいてないわけじゃないですか
24:00
誰かに見せろと思ってそれをやってないわけじゃないですか
それが怖い
自分がやりたいからやってるわけでしょ
なんかゾッとしますよね
なんでゾッとするんだろう
強い密集状態みたいなものにちょっとびっくりしてるんでしょうね
強烈な
本人が
届かなくてもいいけど
こんな強いメッセージを出そうとしてるってことがちょっと
論理的じゃない感じがして怖いのかな
なんか本の中に出てくる
ダニエル・クイーンがポール・オースターっていう
間違い電話の名前に従って
活動していくときに
彼の言葉として出てくる
オースターっていう名前は
ペンにとっては単なる名前であって
中身のない殻でしかないっていう
名前は結局名前だから
ただ振る舞う何かであって
それ以上でもそれ以外でもないっていう
いうことだと思うんですけど
みきさんってどうですか
名前、偽名で活動したら
偽名だよねってなりそう
それともそれ以上に何かは出そう
偽名だよねってなると思いますけど
ラベルでしょ、名前が
今の名前も
人は社会的に生きてる以上
若干演技してるみたいなところあるじゃないですか
だから今も別に
迫るときに刻まれてたわけでもないし
ラベルじゃん、今の名前ですら
と思います
でも思ってるけど
癒着しちゃうのかな
私もそれを考えていて
存在と名前が仮に多少でも対応しているとすると
違う名前を使うようになると
中身も若干変化するっていう
それは望むか望まないか
良い方向か悪い方向か色々あると思うんですけど
変化するっていうことだと思っていて
ポールオースターとして振る舞ってるときと
ダニエルクイーンのときって
言ってる感じの言葉の口調とか振る舞い方全然違うじゃないですか
意図して演じてるのか自然にそうなってるのかって
ちょっとあれなんですけど
もし自分自身が
私田中臨ですけど
ちょっと名前が変わったら
存在も変わっちゃいそうな気がするなっていうのを
読んでいて思っていて
仮に自分の状態がめちゃくちゃいいとすると
結婚して三好買うの嫌だなっていう人の気持ち
ちょっと分かりましたもんね
なんかその役割が変わったら
人が変わっちゃうみたいなことは想像つくけど
例えば全く生活とか何も変わらなくて
27:02
名前だけ変わると何でも変わる気がするってこと?
そうそうそうまさにそういうこと
別に何とかとして演じてくださいとか言われる
全然そのあるよ
何も演劇をするでもなく
単純にただ名前が変わるだけで
何かが変わるっていう
そうそうそう
多分それがここで言うと
言語と存在の対応っていうことだと思うんですよ
その対応してるって考える方が
自然なのかなとちょっと思うのは
例えば武士の世界だと原服すると名前変えるとか
今でも伝統芸能の世界だと
名前を継ぐみたいな概念ってあるじゃないですか
あれって多分もちろん別に名前なんか変えなくても
単なる記号だとすると変わらなくていいんですけど
やっぱり名前を変えること
あるいは実存とか存在の方が変わったら
名前を変えるのが自然だよねとか
あるいは存在を変えたいんだったら
名前を変えるみたいな
そうすることが効果を持つものであるっていうのが考え方
自然なのかなとちょっと思っていて
へーうんうんうん
論理的にはあれですよ
記号なんてこういう名詞だから
別に私が明日から名前が2248になろうと
別に切り離されてるんだったら関係ないわけ
ですけど
ここに出てくるお父さんのスタンスを取るんだったら
三木太の名前が仮に何か分かんないですけど
伊住院光さんになったら
多分全然変わるっていうことなんだと思うんですよね
そっかそういうことになるのか
論理的に受け入れてないけどそういうことになるのか
理解はした
そうなんだよな
どうせ役割ベースだと思っちゃうわ
役割が変わったら人が変わる気がするっていう風に
思っちゃうわ
なんかめっちゃ細かいことですけど
たまにお客さん側のメールアドレスもらって
仕事する時とかあるじゃないですか
はいはいはい
あれも私ちょっと嫌ですもんね
なんで?
なんだろう
それに引き寄せられそうな感じがして
へー
あんまり中身として影響されたくないから
全くあれですよ
論理的ではないんですよ
でもなんか目にするドメインの感じとか
そこに引き寄せられて何かが変わりそうな感じがする
っていうのが超嫌っていう
今確かに話してと思ったけど
私のベースの考え方って
役割によっては人は変わるよねとかって
結局存在してるんだよね
他人のために人っていうのは存在してる
30:03
自分は他人と共に存在してるっていう考え方じゃん
役割によって人は変わるっていうのは
役割が生まれるってこと自体がさ
人がいるから
人から求められる役割が発生する
だけどこの長説は徹底して
他人のために存在してる人は一人もいないよねほぼ
っていう感じがすごいですね
存在してる人は一人もいない
最初それこそダニエル・クイーンとかは
探偵やりましょうとか言うけど
だんだん探偵のミッションはコンプリートしないし
人のために生きてる人っていうのは
もう全員いない
全員そういう感じの存在の仕方じゃないなってことが
強く出てる小説だったなって改めて
へー
だから不思議だった
役割のために生きてないから
みんな役割を達成しなくても
なんともないわけ
けど私はその理解としてさ
役割やれよみたいな思っちゃうから
なんだこの小説はみたいな戸惑いを持つんだなって思った
へー全然考えてなかった
役割か
この中で出てくる人で役割を達成
というか役割を何かやろうとしてた人は
誰かというと
あんまりいないのか
そうそう本当にいない
お父さんが天命みたいなのを従って
タワーオブバベルという形に歩く
という形でやってただけで
誰かにもらった依頼を
そうか
タワーオブバベルって書いてくださいとか
言われてたわけじゃないの誰も
まあそうね
そうね
依頼主の奥さん
依頼主の奥さんに対してダニエルクイーンが
一時期頑張っててめっちゃ電話してたことはあったけど
結局やり遂げることはなく終わりますしね
電話も繋がらなくなるし
そうですか
そうだね役割ね
役割ね確かに
通常の小説だと事件が起きて
それを解決しようとして人が動くとか
それ自分が私はこの役割でいきます
みたいなことを多分
反目に宣言して探偵役になったり
調査役になったり
いろんな勝手に役割を演じて
動いて問題が良くなってたら悪くなってたりする
っていうのだと思うんですけど
こういうことが全く起きないっていう
うーん
なるほど
32:52

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