00:10
はい、お願いいたします。
はい、お願いしますです。
さて、リベンジということです。
さて、リベンジしましょう。
はい。
禅とオートバイ修理技術。
はい。
禅とオートバイ修理技術という本の、長いから上巻だけ読んで話しましょうということだったんですが、
上巻だけ読んでもわけわからなすぎるから下巻も読んで再チャレンジさせてくださいって言ったんですけど、
結論としてはちょっと下巻まで読んでもよくわからなかったなっていう。
ほう。
感じではあるんですが。
状態としては、Mikiさんが上下巻の両方読んでると。
はい。
私は上巻しか読んでないと。
うん。
で、本全体を通じて、バイクに乗って旅をして物事の施策を深めっていう本なので、
上巻だけでもいろんな思考のものは出てくるし、
あとはいえ下巻に行かないと旅は完結しないので、
その結末をMikiさんだけが知っているという状態ですね。
はい。
シャトーカーって小説の中で言ってますけど、小説じゃないか、この本の中で言ってますけど、
昔のテッドトークみたいなやつらしいですね、シャトーカーっていうのは。
へー。
テッドがない時にはテッドトークっていうか、多分自分の人生経験とか考えてることとかをちょっと短くピッチするみたいな。
シャトーカーは昔のテッドトークみたいな感じと言われればいいですっていう人多かったんですけど、
旅しながらその旅先でちょっとレクチャーみたいな、簡単なレクチャーみたいなことをするみたいな。
外とかでして、では地元の人とかその時に会わせた人たちがその話を聞くみたいなのがその一時期流行ってたらしいですね。
うーん。
この本全体として、序盤からなんですけど、よくわかんない単語がたくさん出てくる本ですよね。
例えば今美希さんが言ってくれたみたいな、シャトーカーっていうものとか、
あと上巻の後半、中盤後半ぐらいからクオリティっていう単語が出てきたり、
あとはその主人公のこのパーシグっていう人。
この人は著者でもあるんですけど、その人がパイドロス、パイドロスっていう人を引用しながらパイドロスはこういうことをやっていたらしいみたいな。
誰ですか?みたいなのが全く解説なく話が進んでいくので、
読みながらこれ誰?とかこれ何?とかそういうのがたくさんある本ですよね。
シャトーカーの説明というよりか最初にまずどんな本かっていうのを簡単に共有をすると、
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このロバートパーシグっていうアメリカ人ですね。
その人が1974年に最初に出版した本で、架空の自伝的小説と、
彼の思っている刑事状学を探求する最初の著作です。
バイク、前頭オートバイ修理技術っていう名前ではあるんですけど、
前頭は何かとかオートバイ修理技術が何かみたいなことを解説する本ではなくて、
バイクで旅をしながら起きる事象、架空なので、
実際に起きたことではないのかもしれないですけど、
こんな人とこんな会話をしたとか、
走っている最中にこんなことを考えたみたいなのが時系列に沿って書いてあるっていう本ですね。
そうですね。
バイク旅をしては息子や知人夫妻と一緒にバイク旅をしては、
休憩しては車頭科というか、
試作を巡らせるパートがあって、また旅をしてっていうのが続いていく感じですね。
車頭科ですけど、書頭科らしいですね。
そうなんだ。
書頭科。
C-H-A-U-P-A-U-Q-U-A
書頭科。
19世紀末から20世紀初めにかけて、
アメリカの合衆国において人気が高かった成人教育運動。
教育と娯楽を兼ねた野外講演会のようなもの。
ミキちゃんが言うようにテッドですね。
映画とかテレビが普及する前に、
この書頭科。
でも、車頭科って書いてある人もいるな。
まあいいか。
本は車頭科です。
それによって知的啓蒙や文化的霊気を感じる印象が相当多かったというのが解説にあったりしますね。
という本ですね。
頑張って下官まで呼びまして、
一応、この人がどういう展末でこういう旅をすることになったかとか、
パイドロスが出てくるという人がどういう展末で現れたかということは
わかりました。
この本の元々の契機としては、
私がすごく好きなポッドキャスターのリビルドFMを聞いていたときに、
そこにゲストとしてよく登場する広島さん、
アルファベットでいうとNさんというふうに表記をされる人がいて、
その人がずっと本棚にある本を若い時に買って、
いろいろ引っ越しをしたり、
今はアメリカでお住みなので、
向こうでいろいろ転居をしたりだとか、物の整理をするということをして、
それでも捨てられない本の一冊にこの全島オートバイ収益技術があると。
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広島さんご自身もハーレーからバイクに乗られるので、
そんなこともあるのかもしれないなと思いながらも、
すごくいい本ですよっていうのをそこで言っていたので、
私も読んでみたいなというのをみきさんに共有したと思います。
最初に言ったのが、私オートバイもわからないんですけど大丈夫ですかって言って、
それは全然関係ない、オートバイのことは知らなくても読めるっていうので、
触れ込みで読んで、それは確かにそうでした。
オートバイ乗らなくても、オートバイ修理技術のことを興味なくても楽しめる内容では。
序盤のオートバイを修理するシーンはちょこちょこあるじゃないですか。
何が故障したらなんちゃらみたいな。
部品の名前とかってみきさん全くわかんないわけですよね。
わかんない、うん。
そうだよな、バイクって部品の名前多いんですよね。
ですよね、でもなんか歯車状の何かかな、ネジ状の何かかなぐらいの気持ちでやってましたけど。
ギアとかシフトとかってのはわかるんですか?
いやわかりません。
よし、車の免許は持っている?
持っている。
マニュアルで取っている?
オートマで取っている。
オートマで取っている、つまりギアを変えるっていう経験はないと。
ないですね。
バイクに乗ったことはある?
ないないない、そうなんですよ。
バイクはむき出しだからみんな、むき見で壁とかに守れない状態で走ってるので、恐ろしそうだなって思いながら見てる。
高速とかで頭に走ってる人とか見て恐ろしいなって思いながら見てる感じで。
でも気持ちよさそうでしたね、バイク旅の描写は。
暑そうだった。
夏にアメリカのど真ん中の荒野を走ってるみたいな。
具体的にどこを走ってたか全然記憶にないんですけど。
変わらない景色の中をドーンと走っていくみたいな。
暑くてもう無理ですみたいな描写もどんどん出てくるので。
夏に本当にど真ん中の荒野を走ってるっていう感じの描写ですよね。
私自身もバイクに乗るので、バイクに乗っている時、
ZENとオートバイっていうタイトルがあるじゃないですか。
バイク運転してる時ってすごいZENなんですよ。
ZENというのは何かというと、いろんなことに思考を向けようがないっていうZENのあり方もあるし。
起きていることすべてを自覚するっていう意味でもZEN。
修理技術は一旦除いて、ZENとオートバイっていうのはすごく相性がいいんじゃないかっていうのは思うですね。
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ミキさんが言うように無気味で走るじゃないですか。
一人だなっていうのもすごく、もちろん現実もそうだし実感もするんですよね。
一定の速度でブーンと走ることになるので、
プラスエンジンの音があるじゃないですか。ドドドドって音がするんですけど、
エンジンが、車だと奥まったところにあるでしょ。
基本的にバイクってエンジン剥き出しなので、音がダイレクトにしますしね。
確かバリバリバリバリみたいな音をさせながら走ってますね。
あれはマフラーを違法改造している音なので、
あれはエンジンというかマフラーの、
あれはあんまりマナーが良くないバイクなんですけど、車検通るのかなみたいなバイクなんですけど、
すごくバイクに乗っている時っていうのはいいですね。
なので仕事の悩み事とか考え事を持ってバイクに乗ると結構いいですね。
いい感じに整理される体験が多い。
人とバイクで旅したりとかしたこともありますか?
人とバイク旅はないね。ないですね。ないなぁ。
この旅は知り合いの夫婦とバイク旅してるし、息子をずっと後ろに乗せたから移動してる?
結構最初の方の描写で、長い子と一緒に旅をしているので、機嫌が良いのか悪いのか分かるみたいな。
一緒に走っているだけでシンクロする雰囲気みたいなものがあるのかなって思ったりするのかなって聞きたかったんですけど。
そうね。全くないなぁ。楽しいのかな?
たぶん乗せたことはたくさん、後ろに人を乗っけてっていうのはあるんですけど、
バイクの良さって、私は一人になれることだと思うんですよ。
ある種、自分勝手にできること。
素直なんですよ、バイクってやっぱり。自転車の感覚に近いんですけど、傾けたら曲がるし。
物理法則としてすごくわかりやすいじゃないですか。
エンジンも、右手がアクセルなんですけど、バイクって。
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回すと、今の大きいバイクはちょっと違いますけど、簡単に言うとワイヤーが引っ張られて、
手元にグッと引っ張るとワイヤーがピーンって引っ張られて、
引っ張ると、いろいろな気候はあるんですけど、エンジンにガソリンを出すところが開いて、
それが投入されることでエンジンでバーンって爆発が起きて、
ぐるぐるっと回転して、チェーンを伝わってタイヤが回るっていう気候になるのでシンプルなんですよね。
なのでそういう気候に身を委ねていると、物事がすごくシンプルなんですよ。
今回のこのパージグさんの旅も、もう友人も息子もちょっと序盤うざいじゃないですか。
すぐ行きたくないっすみたいな、レストランから出たくないみたいなのとか、
息子は夜なんか飯食いたくないみたいな、よくある家族のいざこざみたいので邪魔みたいに感じるのを、
バイク旅の時には私自身はあんまりしたくないので、
あんまりバイク旅とかっていうのは魅力を感じないし、
バイクのなんちゃら会みたいなのがあるんですよ。
同じバイクに乗ってる人集まろうみたいな。
それを何がおもろいにやろうなっていうのは思っちゃうタイプですね。
好きに乗ったらいいなみたいな。
バイク旅を、バイク乗ってる時にバイク乗り同士でシンクロするとかもない?
暗黙のコミュニケーションみたいな。
あー、あるかな。
トラックドライバーが挨拶するみたいなのがあるじゃないですか。
すれ違った時とかに。
ああいうのは雰囲気ある。
こんにちはみたいな。
道の駅とか高速のサービスエリア、パーキングエリアとかで、
バイク止めるとこって端っこにギュッと集められてるんですけど、
そこでいいバイクを見つけたら褒めるっていう、
何て言うんだろう。
儀礼はあります。
いいバイクですねって。
なるほどな。
でもちょっとわかってきたかも。
車とかって本当に自分のギアっていうかマシーンみたいな感じだけど、
バイクはもうちょっと身体拡張的な乗り物なんだろうなっていうのが。
自分と車みたいなの乗ってるとかっていうか、
もうちょっと自分を拡張できる感じの体験なのかなっていう。
そうね。
でもあれかな、F1ドライバーとかになったら、
もう車が身体かのように拡張してってのはあるのかもしれないから。
あれの問題かもしれないけど、
私はバイクぐらいの方が身体の延長っぽく楽しくできるし、
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プラス五感がずっと刺激されながらバイクが走れるので、
匂いがしたりとか、音が先のエンジンもそうだし、音がしたりとかっていうのもあるからね。
すごく好きですね。
なるほどね。
なかなかこのロバート・パーシグ自身のバイクとの向き合い方っていうのは、
私は全くバイクの修理できないんですよ。
壊れたらすぐ。
修理はしないんです。
簡単なもの、何て言うんだろう。
例えばバイクに取り付けるときにボルト外して配線を変えてぐらいはできるんですけど、
例えばバッテリーが上がっちゃったやつをなんとかするぐらいはなんとかできるんですけど、
そこのなんか飛んじゃったとか、なんか配線が切れちゃったみたいなときに、
一から配線組み直してみたいなことはもう全然できない。
全然できないですね。
やっぱり今時のバイクはそんな普通に乗ってたら壊れないですか?
壊れるんですけど、
壊れ方が半導体が潰れちゃってるとか、
そういうやつになるので直せないですね。
壊れにくいのももちろんそうだし、壊れたときに直しにくい。
なんか親父もバイクに乗るんですけど、
その父は自分でバイク全部直すんですよ。
そうなんだ。
彼が若いとき、昭和のど真ん中みたいなときのバイクって気候がシンプルなので、
今みたいにたくさん半導体ゴリゴリ積んでっていうバイクじゃないわけですよ。
なのでここのパーシグさんが言っていて、
ミキさんが言ってた、缶のプルタブでバイク直すみたいなやつあるじゃないですか。
プルタブかませて直しますみたいなやつでも全然直っちゃうようなシンプルなバイクが多かったので。
このパーシグさんのこの時代、
私の父が運転してたときのバイクは壊れやすいし直しやすいっていうそういうバイクですね。
なるほどな。
ミキさんはこの本、上下巻全部読んだわけじゃないですか。
はい。
前頭オートバイ修理技術っていうタイトルから紐づけると、
何か前に対して学びがあったり、オートバイ修理技術について何か気づきはあったりしましたか?
いや、そこに対してはない。
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ある人いるのかな?
前にもオートバイ修理技術…確かにどうしてこのタイトルなんだろう?
どうしてこのタイトルなんだろう?って思いますね。全部読み返したところで。
のぞみさん何かありますか?
私はオートバイが単純に好きだから楽しいなっていう。
乗ってる時こういうこと考えるよなっていうのに同期してるっていう。
うーん。
みきさんも上下巻読んでる時に感情で言うと何が想起されながら読んでるんですか?
わかんないなみたいなことなのか、このおっさん悩めないなのか、何を考えながら本を読んでました?
わかんないな6割の、なんかどうしてこんなことを書こうと思ったんだろう?2割の。
残り2割で、禁止されてる内容とか物事をどう捉えていくかみたいなことをずっと考えたので、それについて自分はどう思うかなっていうのを考えながら読んでたって感じですかね。
だいたい子供クリスと、息子のクリスと親の関係が全然うまくいってないからそこがちょっと癒しのパートっていうか、
わかるシーンきたって思って、ちょっとそこで休憩して、またわかんないシーン突入していくみたいな感じで読んでます。
なるほどね。
わかんないか、なるほどね。
結構わからなかった。
当時の時代とかもあるのかな?1970年代出版とかで、私たちは科学の子みたいな信仰をどんどん強もっている中で書かれて、逆に新しいみたいな感じでヒットした本ですっていう解説を読んで、なるほどと思ったんですけど。
この本自体は超売れてるんですよね、アメリカでね。
そうそう、すごい売れてるんですよね。
英語のタイトルが、ZEN & THE ART OF…みたいなモーターサイクルのメンテナンスみたいな感じだと思うんですけど、
そのパロディでZEN & THE ART OF…みたいな本たくさん出てるらしくて、
それはここが出典となって、そこからインスパイアされてつけられてますみたいなのが書いてあって、なるほどって思ったんですけど。
なるほどなぁ。
いや、面白いですね。私は超楽しく、なんか分かんないなってあんまり思わずにジョーカーを読んだんですよ。
オートバイかな?オートバイのおかげかな?
オートバイ乗ってる身体感覚とか、無で考えられてるみたいな感覚が確かに私にはないのかも。
どっちのパートが楽しかったですか?旅の現実パートと無双のパートがあるじゃないですか。
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試作のパートをちょっとチャレンジングな気持ちで読みながら、旅のパートに帰ってきたらふーって休憩してみたいな感じで私は気持ち的に読んでたんですけど、
旅のパートいらんわーみたいな感じでした。
あーそうね、基本的には旅のパートそんなにいらねーなっていう。
バイクの方は勝手に自分の行っていたバイク旅、アメリカの荒野とか言われても私あんまりわかんないんで、
自分がいたバイク旅の過去の風景があるじゃないですか。京都まで行った時のあれとか、四国を旅したあれとかあるので、それを勝手にトレースしながらあんまり内容読まないみたいな。
なるほどね。
どっちかっていうと思想の方に入ってきたら、分かったみたいな。
分かる分かるみたいな、そういうのあるよね。
いいなー、分かれなかったな。
このパーシグさん自身が構造としては、記憶を失ったおじいちゃんですと、
なんでバイク旅してるんだっけっていう時のきっかけ的なもので言うと、自分が記憶を失っていることは分かると。
どうやったら記憶のない状態から抜け出せるかなっていうことを考えてた時に、
じゃあオートバイ旅をしながら車灯火ってことをやることによって、記憶を失う前のやつに喋らせるっていうことはできるんじゃなかろうかってことを思ったのがバイク旅の契機らしいんですよね。
そうですね、バイク旅の旅先も記憶を失う前の自分のゆかりの地を訪れていくような旅をするっていうような感じでね。
もっと昔の知り合いとかなじみのある土地を訪れながら車灯火することで、昔の自分を掘り返せるというか思い出せるんじゃないかみたいな感じね。
事実として記憶が失われる前の自分っていうのは理学部の大学教授で何かを研究していたらしいという事実と、その人が考えていた思考メモみたいなものが手元には残っていると。
そういうものを探り探りしながら、かつ昔友人だった人、知人だった人と会いながら自分を取り戻していくっていう。
車灯火をして考えたことを思考のパートみたいなところにポコポコ書いていくんですけど。
なんだろうな、それ思ったことあるっていうのが多分あるから、私はわかるわかるって思う。
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多分最近読んだ本とのブリッジがすごくしやすいかもなと思うのは、思考の中に出てきた大学ってなんだっけみたいな、知性ってなんだっけみたいな話をしてますと、このおじいちゃんがね。
大学っていう組織が知性とか真理を探求する場じゃなくなっちゃっていて、単純に一つの教義を信仰する団体みたいな風になっちゃってるんじゃなかろうかってことを思うシーンっていうのがあって。
大学のことを彼は理性の教会っていう風に呼びますと。理性っていうのは断りのやつですね。教会っていうのは宗教の教会です。
なので理性っていう、そういうものを信仰する組織であって、知性っていう真理を追求する組織ではなくなってしまっていると。
その理性っていうので解決できない問題っていうのもあるはずなのに、本来大学が真理を追求する組織であるなら、理性っていうのを放棄してでも真理を追求するべきなのに、いやいや理性を追求するべきなのであるっていうのを永遠と言ってるのは、それも宗教と同じだというのを言っているっていうシーンがあるんですけど。
それをそうだなと思えたら、多分この本を読む前にヘルマンヘッセのシッダールタを読んでいて、彼が書いたブッダが悟りに至る道みたいなのを書いてるんですけど、その中でもど真ん中宗教の話ですからそういうのが出てくるんですよね。
苦行して真理に至れないのになんで苦行してるんですかみたいな。と言われた時に苦行から離れられないみたいなことが起きてくると、ああ、同じことってどこでも起きるんですねっていう気持ちになったりすると。
ああいいな、わかるなと思いながら読んでたっていうのがこの部分ですね。