2022-02-15 20:11

他者と生きる #3

ゴンドラ猫ミンディ/ゴンドラ猫をいま実験するとしたら/体を使うとフィードバックループが早い?

--本紹介--

生の手ざわりを求めて――。

“正しさ”は病いを治せるか?

“自分らしさ”はあなたを救うか?

不調の始まる前から病気の事前予測を可能にし、予防的介入に価値を与える統計学的人間観。

「自分らしさ」礼賛の素地となる個人主義的人間観。

現代を特徴づける一見有用なこの二つの人間観は、裏で手を携えながら、関係を持つことではじめて生まれる自他の感覚、すなわち「生の手ざわり」から私たちを遠ざける。

病いを抱える人々と医療者への聞き取り、臨床の参与観察、人類学の知見をもとに、今を捉えるための三つ目の人間観として関係論的人間観を加えた。

現代社会を生きる人間のあり方を根源から問う一冊。


◆目次◆

第一部 リスクの手ざわり

第1章 情報とリスク

第2章 正しく想像せよ

第3章 ゴンドラ猫は恐怖する

第4章 新型コロナウイルスの実感

第二部 危機に陥る人々・その救済の物語

第5章 狩猟採集民という救済

第6章 「自分らしさ」があなたを救う

第7章 人とは何か

終 章 生成される時間

00:11
伊藤野さんは、医療現場のリスクの実感の例とかを引き合いに多く出しながら、人がリスクをどう感じるかとか、死をどういうふうに捉えているかとか書いてありましたけど、
私、そこの前半で結構一緒に残っているのが、ゴンドラ猫の実験の話が結構印象に残っていて、
どういう実験かというと、2匹の猫が歩くと回転するゴンドラ。
ゴンドラ、メリーゴーランドみたいな感じのものをイメージしてしまえばいいんですけど、そこに一方は自分で自由に動けるんだけど、
もう一方は箱に入ってて自分で動かなくて、ただゴンドラが動けば自分も動くみたいな。
箱に入ってて自分の意思で動けないけど動いてる猫と、自分の意思で動いてる猫っていうのがあるときに、
2人とも体験している移動、経験している移動っていうのは同じにも関わらず、
自分の意思で動いたことができる方はゴンドラから降りた後も好きにいろいろ歩いたりできるんだけど、
箱に入っている他方の猫は外に出たら全然上手く自分で歩いたりとかできなくて、すぐ転んじゃうみたいな。
実験。ゴンドラにいるときに得た視覚情報とか移動の距離とか同じにも関わらず、
一方は上手く動けて、一方は上手く動けないっていうので、情報の価値。
直接自分が自発的に経験した知識がないと全然上手く過ごせませんみたいな。
情報だけ知ってても上手くできませんっていう実験だと思うんですけど。
これ伝わってるかな上手く。
この絵が本の中だと出てくると思うんですけど、これ見るとすごい分かりやすいですよね。
2匹同じ空間にいて、ゴンドラ猫っていう名前がついてるんですけど、
片方の子だけゴンドラに乗ってるんですよね。
もうカゴみたいに乗ってられてて。
仮に猫ちゃんA、猫A、猫Bとすると、猫Aは棒みたいに繋がってるんだけど自由に動けると。
足が地面についてて動けるんだけど、猫Bは猫Aが繋がっている棒の逆側の先っぽみたいなところに
ゴンドラに乗っけられてて。
つまり自分では動けないんだけど、猫Aが動くと勝手にゴンドラが動くと。
その中に収納されてるみたいな感じの絵姿ですよね。
この子猫ちゃんっていうのがいて、
2匹さんの話を言うと、片方はゴンドラから降りた後に全然動けなく、
動けなくというか上手く動くことができなくなっちゃうと。
これが意外と都市部でスマホとかPCばっか見てるのって、
ほぼゴンドラ猫の実験させられてるみたいな感じじゃないと思ったりもして。
情報の価値の方が重んじられていて、体験価値って全然ないがしろに4月だよねって思ったわけですよ。
03:05
もっと早く教えてほしかった、体験することが大事。
いろいろ苦労した結果、めっちゃ体験するの大事って今なってますけど、
もっと擦り込んどいてほしかったんだけどなーみたいな。
知識があることとか勉強することの方が大事って教わってきてたなーって思いました。
なるほど。
ノーションに画像を貼ったんですけど、100年後の人類の姿勢みたいなのを予想しているミンディっていうのがあるんですけど、
人間がこうなるみたいな、スマホとパソコンを見すぎて、
背中が丸まって首が前に出て頭が平らになって、手がこうなっちゃうみたいな。
背骨が完全に前に湾曲しているぐらい猫勢。
この人いたらいよいよ猫勢ですね。
ゴンドラ猫の実験の馴れの果てみたいじゃないですか。
ゆっくりゴンドラ猫の実験してるみたいな感じだなって思って。
ずっと情報ばっかり触れて経験するっていうことを内容させ続ける結果、
こういう風になっちゃうみたいな予想がされているっていうことが、
ゆっくりゴンドラ猫の実験に参加しているような感覚だなって思ったりしました。
スマホとかその大きい話をもうちょっと私ワイショー化しちゃうんですけど、
さっきの猫A猫Bみたいなものって職場でめちゃくちゃよくあるなというふうに思っていて、
猫Bって簡単に言うと、いろいろやってるんだけど、
とにかくあれやっといてよこれやっといてよって言われたら、
はいやりますってやってるみたいな感じじゃないですか。
あんまり自分で体を動かしてこれやろうかなってなってるんですか。
AとBの明確な差分って、何かをやろうかなということを機としてやってみて、
結果フィードバックを受けるっていうことの流度だと思うんですよ。
例えば自分で100キロの車を運転するのと、
100キロのジェットコースター乗っけられてるのって、
同じ100キロで運転してるけど、
前者の方が体を動かして考えてやるじゃないですか。
そういうのが得られる情報密度が違いますっていうことな気がするんですよ。
なんか職場の若手の子とかに、これやっといてよって言うときに、
でもこうやったほうがいいのかな、こうやったほうがいいのかなとか、
いろいろ考えながらやってくれる猫Aみたいなやつだと、
同じようなこと任せてもできるんだけど、
Bっぽく、とりあえず全部これやってってなると、
普通に同じようなことやってもあんまりできないとか、
あんまり考えないって普通にあるなと思ってて。
なんかそれが頭の中だけでぐるぐるすればいいって話じゃなくて、
私は結局五感とかをどう揺さぶるかみたいなところに影響してるんじゃないかと思っていて、
ずっと机に座ってて頭がどんどんひらめくようになるかじゃなくて、
06:01
やっぱり外に出歩いたりとか、いろんなものを見たりとか、
そういうこととかをしていかないと、
そもそも仕事の仕方とかにもそういう部分が影響してるんじゃないかなって思っちゃう。
思考のパターンとしての経験や自発性とかだけじゃなくて、
それが結局身体制に戻ってきていて、
自分が体を動かしたりとか、五感をどう使ったかみたいな経験とかに
結局影響してるんじゃないかっていうことを思っている。
なんかフェアにこの実験のモデルを見ると、
確かに磯野さんも本の中で、
自ら体を動かすことが必須であることを示唆してるって言うんですけど、
私たぶんこのモデルだけ見たら、いやそうじゃねえなって言い切るには
やり遂げたいなって思ってるんですけど、
たぶん磯野さんはあえてスタンスを取ってるってことだと思うんですよね。
なるほどね。身体制ね。
1963年かなんかに出てる論文の中で使われてる実験で。
確かに。そもそも出てたのがないか。
60年間でまた同じような実験って、
まさにミシさんが言うようなスマホを使ってる時ってどうなるんだろうかとか、
例えば、ミキさん車が運転できるようになったって話があったじゃないですか。
去年。大きな進歩の一つ。
なんか自分で運転してる時と助手席で運転してる時って、
道を覚えられる感じが全然違う気しません?
確かに。
さらに助手席に座ってるのと、
例えばスマホでGoogleストリートビューで行くみたいなのもちょっとギャップがあるじゃないですか。
その3つで頑張って比較する実験とか誰か普通にやってそうだなって気がしたんですよ。
確かに。
リアルタイム、リアルの車を運転するリアルの車の助手席、
あとドライブシミュレーターみたいなやつの運転、
ドライブシミュレーターみたいなやつの助手席、
Googleストリートビューを自分で操作しながらやる、
他人に見せられるみたいな録音用意して実験させるとかやると、
ヴィキさんが言うちょっとした身体性みたいなことは実験できるのかなっていう、
全然私研究者でもなんでもないんですけど、
みたいな群を割ってみたいなことは読んでるとき考えてた記憶があるんですね。
確かに。
だからそれでやったら子どもの育て方とかで、
機場で本とかいっぱい読ませて育ったことを、
農作業とかいろいろやった子で物語とか作らせた時にどういう傾向が出るのかとか、
そういうクリエイティビティに身体性がどう影響するのかってことは気になりますね。
あれですよね、東大が持ってる幼稚園、小学校かなんかだと、
双子優遇でそういう調査やるんですよね、確か。
気になりますね。
双子だと遺伝条件を揃えられるじゃないですか。
うんうんうん。
だから賢いというか、ちょっと語弊がめちゃくちゃありますけど、
賢い大学はだいたいそういう子どもが入る教育施設を持っていて、
09:03
美希さんが言うところのこういうのどういう差分が出るのかなみたいなやつはよく研究をするんだよっていうのを誰かから聞いた思い出が。
公開されるのかな、私にはアクセスできる情報なのかしら。
論文になるんじゃないですか、でもそういうのって。
そっかそっか。
うまく出てくれば。
例えばのぞみさんとかってテニスとかやってたりとか、
じゃあテニスで次どうやって優勝しようかなとか言ってて、
簡単にテニスが上達する身体イメージとか持っているじゃないですか。
うまくいかない、うまくいかないんですよね。
でもなんかちょっと普通にやったらテニスはそこそこ上手くなるだろうみたいな。
なんかそういう感覚、それは例えば私楽器だったりピアノずっとやってたから、
ギッターとか習ったとしても割と上達早いだろうなとか思ったりするんですけど、
それも体に対しては全くないから、
そういう身体性イメージとかいいなって思ったり。
そういうことの方が若い時にもっとできたんじゃないかって思いますけどね。
っていうのを今になって思うからもっと早く知りたかったっていう感じ。
伝わるかな。
逆に言うと私は音楽とかそういうことのほうが全然小さい時やっておきたかったんですけどね。
ないものねだりですね。
ないものねだり、もう音楽とか全くわかんないんですよ。
まず覚えられないし、
こういう和音は美しくて、こういう和音は美しくないみたいなことを普通に言うじゃないですか。
この音の後にこの音が来るのが自然だなっていうのってあるじゃないですか。
音楽やってる方々って。
全くわからないですもん。
トルコ交信局が流れると拍手するぐらいの猿みたいな反応しか私はできないですね。
気持ち良い気持ち良くないとかないですか?普通に音楽聴いてて。
それはありますあります。
気持ち良い和音が自然な和音で気持ち良くないのが違うロジックに思ってない人だけだと思いますけど。
テニスも一緒です。自分が自然に感じるように動けばいいじゃないですかっていう。
自然にこうやった方がボールが行くでしょっていう。
全くわかんないそこが。
肩の動きが明らかに自然じゃない謎の動きしてるじゃないですか。
関節の動きに従ってとか思っちゃうんですよ。
全くわかんないですね。
そういうことだ。
そういう身体イメージがある方がいろいろ後々に生きてる感じがあるなって私は30代に生きてやっと気づいてますけどね。
そういう五感の使い方とか。
習慣があったり、幼少期山で育ったとかそういうことの方がいいなって思ったりしますけどね。
なるほどね。
五感を使うのがとにかく苦手だから今頑張って使おうとしてますけどうまく使えない。
気づいたら四角ばっかりになってた私は。
12:03
三木さんが言う身体説ってどうなんですか?触覚のこと?
身体説全部ですね。五感、自分の生ボディー。
聴覚とかも含めて?
そうですね。もちろん視覚も含めて全部自分の感覚のすべてをフル動員している感じかな。
音楽で言うと耳なんじゃないですか?
音楽は耳です。
私も人と話すことが仕事もそうだし、特にコーチングとかでコーチとして働くと相手は一対一の話すだけじゃないですか。
この人なんでこんなに気づけるんだろうなってよくわからないものの一つが、
クライアントの人の発する言葉の音の工程とかピッチっていうのにめちゃくちゃ気づく人がいるんですよ。
私もトレーニングをして集中して聞くと今変わったなとかっていうのが意識してやればわかるし、だんだんそれが無意識にできるようになってくるんですけど、
それが一発目からできる人は音楽が上手い人ですよ。
そういう五感の使い方ってあるんだなっていうのをちょっと違った何かで感じたりはしますね。
確かに確かに。そういうのも新体制の一つではありますよね。
そうですよね。みきさん得意そう、そういうのは。
ありがとうございます。そういうのがトータルで全部うまく使えたらいいなとか思ったりしますね。
トータルでね。
っていうことが結局自分の一人の個人として振り返ってくるんじゃないかなって思っている。
みきさんは特にここをうまく使いたい、全部もちろん使えるとベストではあると思うんですけど、
特にこれをうまく使えるともっといいなと思うのは、例えばどういうやつですか?
ここがっていうわけじゃないんですけど、テキスト型の部分をシャットアウトしたい。
その人が何を言っているか、言葉として何を言っているかをすごく気にしてしまうんですよ。
だけどその時のもっと身振りとか表情とかそれこそ声のトーンとかで全体的に言ってるじゃないですか。
私はそれがバッチリわかんない。何を言ってるかをめっちゃ見ちゃうんですよ。
だからカットしたい。
みきさんのビジネスキャバクラ苦手論の向こう側に。
そういう、そういうのと振る舞いを特に気づきたいかな。
振る舞いね。
振る舞いを感じる力というか、みたいなことは思いますね。
このゴンドラに乗せられ続けると、そういうのに気づく能力は育たないまま終わってしまうのかもしれないですね。
確かにね。
私は都市部でサマホ見ながら生きてるっていうのは、本当にゴンドラに乗せ続けられて生きてるっていうことだなって思いました。
15:00
ゴンドラに近いんじゃないかなって感じました。
このミンディー画像はなかなかだな。
でもすでにこういう人、ちょっと高齢に近い視線の人がいるじゃないですか。
猫背の人はすごくよく見るようになりましたよね。
確かにね。
これ全然、なんていうんですか。
本とも関係ないですけど。
高校の野球部にいたときに、猫背の人ってスポーツダメなんですよ。
猫背の人って少なくとも野球っていうスポーツではパフォーマンスが出ないことが多いんですよ。
それって体の軸を使ってやるスポーツだからなんですよね。
バットを振るっていうのもそうだし、ボールを投げるっていう時にも、この頭の先から少なくとも腰ぐらいまでのものが一本の線が通っていて、それをねじってパーを出すっていう競技なので。
そういう表現とかもちろんわかんないですか、猫背の人。
体の軸を、糸で引っ張られたようにとか言うじゃないですか。
一ミリもわかんないから。
軸はわかんないから、猫背の人。
監督はやっぱり軸だ軸だって言うわけですよ。
我々が小中だった時には別にスマホとか携帯そんなに使われてたわけじゃないですけど、だんだんに柄系が出てきて、みんな見ていくっていう時代だったので。
猫背の人も結構いたんですよ。
かつ勉強もやるとこだったから、ちっちゃい時から塾行っていくとどうしても猫背になるっていうのがあって。
なので、一日中ゴムバンドみたいなやつを八の字にして背中パツンってパツパツにどうやっても猫背になれませんみたいなバンドをつけて一日中いろって言われたんですよ。
朝から夜寝る前まで。
それやったら確かに如実に猫背は治るし、みんなスポーツ上手くなるんですよ。
みきさんもまずあれじゃないですか、背筋矯正ベルトじゃないですか。
大人やったからやっても意味あんのかな。
あるんじゃない?あるんじゃない?
それはだって50になってからやるより今やった方が意味あるでしょ。
それは何事もね、ネバートゥレートですけど。
それで多分体が思い通りになった感覚でボールをこういう風に動かしたらボールが当たるんだとかこのぐらい飛ぶんだとかいう感覚があると、
それが結局今後の中で物事を考える時とかに巡り巡って生きてるんじゃないかって思うんですよね。
生きてるのかな。
わかんないですよ。
18:00
野球の経験は。
そうですか。
野球の経験は少なくとも生きてない気はするけど。
なんだろうな。
やっぱりこういうことをするとこういう風になるよねっていうことのフィードバックが頭の中だとあんまりできないじゃないですか。
思考実験ぐらいしかできないじゃないですか。
こうやったらどうなるのかなっていうのってできないけど、身体ってそれがすごく得やすいじゃないですか。
フィードバックループが早い?例えば野球でやってるときはこういう投げ方をするとどれぐらい飛ぶんだろうとかどれぐらいの速さになるんだろうっていうのを
10秒に1回できるけど、頭の中ってこうやってみたらどうなるんだろうができないじゃないですか。
トライアル量なのかもね、身体が優れてるっていうのは。
ボルダリングにすげーハマってたコンサルファームの時の先輩が、その人も全然スポーツをやったことがなくて、頭をすごい動かしてるんだけど身体がどうにもっていうのがすごいアンバランスで気持ち悪かったんだが、
ボルダリング言ったら初心者でもできるじゃないですか。
かつ体1個だからフィードバックがすごいダイレクトで、どこを触ってる、どこに力入ってるみたいなのがすごい分かりやすいし、
手軽でいろんなところでたくさんできるっていうのもあるから、それがやるようになってから頭がクリアになりましたみたいな話をしてて、
ボルダリングみたいなああいうものが流行るっていうのも、そうかそういうこともあるんだっていうのを思っていたのを思い出しました今。
そうなんですよ。そういうことをゴンドラ猫の実験からずいぶん話しましたけど、そう思ったりしますね。
ゴンドラ猫のやつ面白かったですよね。これも前半、前半、中盤前半ぐらいのところですもんね。いいとこだったよなあ。
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