家族間のコミュニケーションの難しさ
ふふふラジオ〜
この番組は、30代の夫婦が子育てのこと、パートナーのこと、町づくりのこと、今話したいことをおしゃべりするラジオです。
結婚や子育てって悪くないかもって思ってもらえたら嬉しいです。
コンパッションを持てば自分の行動が変わる。
第68ページありますが、自分の気持ちを伝えることや相手の気持ちを聞くということは、他人よりも家族のほうが強い恐れを感じやすいという特徴があります。
わかる。
わかるね〜、ふふふ
なんでだろうね〜
他人のほうが楽なのは、なんでだろう
関係が継続的でなかったりとか
役割で話せる部分があるからとかもありそうなの
例えばさ、ゴミ捨て忘れるとかさ
家の中で物散らかすとかあった時にさ
教員と生徒とかさ
職場とかだったらさ
職場はきれいにあるべきとかさ
生理生徒のすべしみたいなさ
役割で話せる部分もあるし
それが自分の教員としての役割の一つみたいな
意識でも話せちゃうけど
家族になった時に
どう伝えるとよりいいかみたいなことは
あ、でも学校でも考えはするか
でも家のほうは考えちゃうか、どうなんだろう
どうですか?
マイナスの感情の時はそうだね
プラスのほうは別にどっちだろうがうつんでるけどね
どう伝えたら相手は傷つかないかとか
考えてるうちに忘れるんだよね
忘れるのはいいことなの?
言うの忘れる
大きすぎないことならいいしね
ちなみに本によるとその背景には
こんなことを感じている自分に
相手はマイナスの評価を下すだろうな
ということがありありと想像できるからだと思います
なるほど
相手にマイナスの評価を下されたくない
っていう思いが対他人よりも対家族のほうが強いか
っていうのがあるのか
行動を変えるためのステップ
それはまあそれはそうだね
家族に嫌われたくないもんね
これ言ったら嫌われんなっていうのは分かる
長い付き合いだからね
そこも愛メッセージでみたいな話なのかな
これをしてって相手に言うと
相手のほうだけど
私はそれをされてこう思っている
これもさあやっぱ
なんかちょっとマイナスなことでも
この人
この親なら言っても大丈夫
って思える親になっておかないとさ
それはそうだね
言えないなって思う
よくあるもんね
親にだけは言わないでみたいなパターンも
私親に言いたいこといっぱいあるけど
何一つ言えないもん
逆に俺はそんなに言いたいことないかな
どうかな
ちょっと内省が足りてないかもしれない
おかしいね
あとはまあやっぱり関係が長いのはあるよね
それまでの40年があっての今だから
変えづらいみたいな
他人は本当その瞬間の話だったりとかさ
せいぜい数年単位
しかもその数年もずっと付き合っているわけじゃないから
っていうのはあるかな
だからこれ読んでてさ
チャプター2とか
対Aちゃんっていう
対親っていうので見ちゃうんよね
子供としてね
そう
親を変えるのどうしたらいいのとか思いながら見ちゃう
そうね
基本的にはもう人は変えられない前提なんじゃない
自分に気づくじゃないけどさ
人の行動を変えたかったら自分の行動を変えるみたいなこと書いてあるじゃん
うんうん
それはわかってる
そうね
一応本にのっとって見てみると
71ページから行動を変える3ステップとありますね
1つ目が客観的になり
自分自身の内面で起きていることや
知らず知らずのうちにジャッジしてしまっていることに気づく
これなんか気づいてそうな気がしますけど
うん
ノートに書き出したりとか見える化するといいよみたいなことを書いたのかね
それはもう表部から習慣です
さすがです
あと書くじゃなくて話す
誰かに聞いてもらうっていうのもいいらしいね
2ステップ目が
その相手がどういうふうに自分のことを見ているか
相手がこの関係性をどう捉えているかを客観的に考えてみる
相手目線で自分のこととか自分との関係のことを考えてみる
ここ難しそうだね
究極は他人だからね
またほら対Aちゃんだったらさ
僕もいるからさ2人でできるじゃん
Aちゃんはじんちゃんとの関係をきっと捉えているだろうなみたいな
で僕との関係をどう捉えているか自分も考えるし
じんちゃんからも見てもらうみたいな
ちょっと服装的に見えたりするのかなと思うけど
対親の場合はちょっと俺わかんないもんな
どういう関係と捉えているかなんて言われても想像があんまりできないし
2ステップ目についてはじんちゃんどうですか
これは客観的に考えるの難しいね
そうだよね自分もその家中にいるわけだもんね
確かに
きっと相手はこう思ってるだろうっていうのは間違ってる気もするし
かといってじゃあどう捉えているだろうかって客観的に想像してみるのも難しい
1対1で話せよって話なんだけどさ
それができない感じ
客観的に話すの難そう
2人じゃ無理だ第三者いないと無理だ
入れる第三者候補がほぼいないんじゃない
よくアメリカの映画とかだと夫婦離婚の危機みたいなときに
カウンセラーみたいな人に入ってもらって聞いてもらうとかあるじゃん
あんまり日本じゃ聞かないけどそういう感じの人が必要そうだよね
当事者じゃなくフェアに聞いてくれる人みたいな
どっちの肩を持つとかでもなく
どっちのことをよく知ってるわけでもなく
2ステップ目に難しさとかニーズがあるかもしれない
親子関係の再考
最後ちょっと見てみようか
最後3ステップ目はその可視化した偏見を一度手放してみる
可視化した偏見っていうのは2本目で見た相手がこの感じ
偏見でいいのか2本目は
そうだね
どっちなんだろう
客観的に見てきっと相手は自分をこう思ってるだろう
うんうんうん
そうだねそれを一応偏見って名付けてるのかな
何パターンか考えられる
3本目はその可視化した偏見を一度手放してみます
なぜならばどうせ私のことをこう思ってるんでしょう
というフィルターを持った状態では
相手と健全に向き合うことはできないからです
完全に手放すことは難しいものですが
一旦横に置いて真っ新な気持ちで対話してみるのです
ここね
これはな
対話ができたら苦労しないんだよな
じゃあ肩揉もうか
今のAちゃん含めた家族の話で言うと
ちょこちょこできとくといいよね
関係が長くなってくれば来るほど固まっていくと思うからさ
ほぐしやすいうちにほぐしとくとか
そういう見方もあるんだって
早いうちに知っとくみたいなのは大事な気がする
相手は簡単には変えられませんが
自分が何か少しでも変われば
関係性は大きな影響を受けるのです
と73ページにありますね
その通りではある
それしかないのも分かる
これはじゅんちゃんどこまで番組にできるの
別に聞いてるわけじゃない
こんな感じでチャプター2があって
チャプター3
具体的な子供の苦手別の処方箋につながっていくわけですけど
どうですかチャプター2
自分と自分の親という関係で読んでいたということですが
現状別に対Aちゃんに対して悩んでいることがないから
あんまりプンプンって感じ
対Aちゃんとしてはならないんだけど
親になっちゃう
現状悩んでるって言って
何歳からでも取り組めるって書いてあるじゃん
そうですよ
基本的にはこれは親目線で
親の自分が行動を変えて子供の対応を変えるとか
そういう方向なわけだけど
立場逆になった場合どう考えたらいいんだろう
子供側からの
一旦この本を送ってみる
一旦
友人が本を出したよって
これよりかは前友人が
借りた買ったやつ
こっちの方が響く気がする
子供との関係が変わる自分の親に読んでほしかった本
そうね
親との関係の難しさ
難しいよな
結局のところ
多分だけど
癒されてない人間ってさ
難しいよな
まずその人が癒される必要があるから
まず自分に気づくじゃないけど
SEL的な部分を
気づく前にまず自分に向けるっていうのはあるよね
こっちが何か言ったところで多分
でも自分だって被害者だみたいになるからきっと
まずそこを癒さないと無理だろうなって思う
古典ラジオでさ
深井さんが歴史を見ると
人類は私たちとその他
どっかに線を引いて
私たちの中では助け合いをする
でもその他に関しては
奴隷とかさ
異民族とかさ
いろんな線を引いて争ってきた
みたいな話を読んで
だから私たちの範囲をどこまでに取れるか
みたいな話をしててさ
自分もそうだなと思いながら聞いてて
私たちは幸せになるべきじゃん
私たちの中に当然じゅんちゃんとえいちゃんは入っていて
僕目線で言うとね
ぶっちゃけ結婚した当初とかは
やっぱり親も含めてみたいな感覚は薄かったから
もちろん自分の親
自分の両親みたいな話は私たちに入ってるけど
じゅんちゃん側がどこまで入るかっていうのは
ふわっとしたまま来たなと思ってたんだけど
思うのが私たちにじゅんちゃんが入っていて
じゅんちゃんにとっての私たちの中に
当たり前だけどどうしようもなく親も入ってくるわけじゃん
ってなってくると
ちょっと間接的ではあるけどさ
自分の私たちの中にも
じゅんちゃんの家族じゅんちゃんの親も入ってくる
なあと思うから
自分も私たちが幸せになるために何ができるかっていうのは
もっとずっと考えたいなあと思ってはいて
きっとこれまでの歴史があって難しさもあるから
簡単なことではないと思うし
体力精神力いることだと思うけど
何か一緒に考えていけるといいよなあっていうのは
ここ最近ね思ってきてるんですよ
関係の修復とコミュニケーション
どうですか
もっとください
私たちの範囲にもちろん私の親も入ってくると思うんですが
それに関してはちょっと長期的なスパンで
考えていけざらだと思います
すぐにっていうわけにはいかないからきっと
やっぱりこれまでの積み重ねが長ければ長いほど
パッと変わる変えるのは難しい
それはそうだよね
なんかそれで言うとそのリペアみたいな言い方を
英語圏のパレンティングポッドキャストみたいなのに聞いて
関係修復みたいな
昨日怒鳴っちゃってごめんねみたいな話もリペアだし
もっともっとずっと長期的な
高校時代こんなことがあったけど
今でも私はそれを食いていてみたいなのを
子供が成人としてから言うのもリペアだし
みたいなのを聞くから
そういうリペア修復みたいなことは
時間かけて考えていきたいのと
子供から親に謝るとか感謝を伝えるとかって
結構簡単なの
逆がね多分難しいんだと思う
気づくきっかけがないと難しいよね
子供に謝るとか
あの時ごめんねとか
それはねなかなか難しいんじゃないかな
そうね
でもそれこそ僕らのSELが問われてる気がする
だって松一の子とかさ
どんだけ昼間大喧嘩してもさ
仲良く昼飯食ってるわけよ
お前なんかと絶対もう喋んねえみたいな
お前死ねみたいなさ
殴り合ってさ蹴り合ってさ
周りもやめなよって
うるさい止めんなみたいなことやってさ
なんで君ら20分後に昼ご飯食べられるのみたいな
やっぱりその辺はね彼らはすごいと思うし
しかもなんかさできなくはないはずなんですよ
僕らのマインドが十分にしなやかだったら
当然今できないのはいろんな事情であるけど
でもなんかなんとかなってくるねとか
いい方向に変わっていけるはずだ
みたいな期待を持ち続けたいよね
そうだね
って思っております
あとそうそうリペアの話だと
Aちゃんとはさ
別に今すぐリペアしなきゃいけないものはないなと思うから
なんかメンテナンスみたいな感覚で
リペア良くないものを直す
じゃなくちょっとチューニングとか
メンテナンスみたいな感覚で
SEL的なものに取り組めるといいのかな
っていう気はちょっとしたかな
Aちゃんも本当にこっちは怒っても
2、3分後にはケロっとしてるじゃん
ニコニコ近寄ってくるからさ
本当その精神くださいって思う
こっちもさっきはごめんねって言いやすいしね
そう
さすがです
しなやかマインドセットってやつだね
うん
馬になろう
どういうこと?
ちょっと文脈があるとわからなすぎでしょ
ホースセラピーとかね
やる理由として馬は
その人のことを感じ取るけど
記憶はしないから
昨日叩かれても
今日もまた寄っていくみたいな
また叩かれたら離れるけどみたいな
っていうのが馬になろうでいいですか
そのような心持ちで
いきたいところですね
はいということで
今回も聞いてくれてありがとうございました
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