僕から紹介しましょうか。これは結構古い本、2003年の本でしたね。
人を嫌うということって本で、わりとね結構有名な本で、知ってる人は知っちゃいかもしれない。
中嶋義満さんという哲学者の方で、これは哲学というかかなりエッセイに近いですけど、エッセイっぽい話で、非常に面白い話がたくさんあるので、ぜひ紹介したいと思ってもらいました。
面白そう。
気になりますね。
僕はですね、コミュニケーションといえば、人間関係というのはコミュニケーションですけど、コミュニケーションって言葉じゃないですか。
でもそもそも僕たちは言葉について何も知らないというような問題提起を、まさにそのタイトルの本があるので、小野純一さんという言語哲学者の本を持ってきました。
難しそうな本ですね。いいじゃないですか。そんな意外と重そうな本を持ってきた。
昨日ギリギリまで、今朝ギリギリですよね。
今朝ギリギリ。
8時に起きて。
読んでました。
いや違う違う、まとまってたけど、もっとちゃんとフラッシュアップしたいな、こだわりですね、あれこさん。
私がね、相手は人か話が通じない時ワニかもしれませんっていうスウェーデンの方が書かれた本なんですけど、
これまさにちょっと話が通じない時にめちゃくちゃ役立つ、人間関係がもう円滑に進んでいきますよっていうような本をご紹介しますので。
チョイスが面白いし、なんかその北欧感がないけどね。
めちゃくちゃ北欧感だと思うけど、この余白があるということか。
ワニとちょっと北欧がね、一致しながら。
いろいろありますけれど。
楽しみ、また3社3余で。
全然違いますよね。
事前の打ち合わせもなしに。
かぶることもなく。
毎回かぶんないのが奇跡。
かぶった時どうするんだろうっていつも思うけどね。
あぶなかった。
じゃんけんでしょ。
じゃんけんだった。
じゃあ、さっそくししほうさんから。
今回はいつ戻る僕から1冊目を紹介しましょう。
改めて中島よしみちさんという方が書かれた、人を嫌うということという本ですね。
見たことが本当に薄くて、非常に読みやすい哲学エッセイみたいな感じですね。
なので、哲学とかあんまり興味関心ない人でも、哲学の話はあんまり出てこないって感じの。
でもアプローチは非常に哲学的、考え方が哲学者っぽいなってところで、とてもとても尖ってて面白い本なんですよ。
尖ってるんですよね。
表紙すごい可愛い。
めちゃくちゃこの人は尖りまくってますね。
すげえ炎上系みたいな感じの。
ミッキーさんめちゃくちゃ好きそう。
僕自身は結構若い頃に中島よしみちさんの本を結構読んでたんですよ。
すごくブロガー、2010年ぐらいか。
すごい好きで読んでて、やっぱりかなり影響を受けてますね。
この本は中島さん本当にいろんな本書かれててどれも結構面白いんですけど、
その中でも特にこの人を嫌うってことに対しても哲学してるわけですよ。
これが非常に面白いと。
せっかくだから最初にクエスチョンを出すと、2人には嫌いな人っています?
明確に別に名前は出す必要ないけど。
います。
すごい断言したね。
嫌いな人、過去を思い出していいんだよね。
過去も含めて、今も。
何を嫌いって言うかって定義が難しいけど。
苦手とか。
苦手な人ならいるよね。
女性は特に生理的に苦手とか嫌いとかあるよね。
やっぱりいるよね、いうようなところで。
そういうところから始まって、嫌いって。
多分これを聞いてる皆さんも含めて嫌いな人って多分いる。
僕もめちゃくちゃいっぱいいる。
めちゃくちゃいっぱいいる。
日曜聞いているだろうなと。
でもそういう話なの、これはまさに。
そうですね、これ3つぐらいの論点で話を進めていこうと思います。
まず3つの論点を先に言うと、
最初は、ほのかに嫌おうっていう感じのメッセージがあって。
これ結構僕、若い頃すごい気に入ったんですよね。
ほのかに嫌いあう。ほのかに嫌う。っていう話がある。
もう2つ目が、あなたは絶対に誰かに嫌われるでしょうと。
しかも理由もなく、理不尽に嫌われることがあるという話が結構書かれていて。
3つ目はもう極知ですけど、
嫌ってくれてありがとうみたいなところまでたどり着くっていう感じの一連の本なんですね。
なので、つまみ食いではありますけど、それをざっと紹介していこうと思います。
まず、僕がすごくよく覚えているのは、
若い頃ブログを書いてて、おっさんたちにすげえ絡まれた時期があったんですね。
おっさんホイホイとかって結構言われるぐらい。
20代前半かな?でブログを書いてて。
なんか多分30後半40代ぐらいかな?おっさんたちで。
特に広告マーケットの仕事をしてたんで、電通とかハコードとか結構偉いところで勤めてる人たちかなっていう人たち。
おっさんは特によく絡まれててですね。
基本的にディスられる側なんですよ。
頼んでもないのにディスってくる。こいつは何もわかってないみたいな。
結構ね、Xとかで書かれて、こいつはまたバカなこと言ってるみたいなことね。
書かれるんですよ。なんやこのおっさんって感じで。
いっきあいさんが20代?
20代。大卒してすぐですね。
23とか。
たぶんそんなもん。23、24の兄ちゃんのブログですよ。
それに対してXとか絡みついてくるおっさんとか結構いたんだよね。
気になっちゃったんだよね。
どういう角度で言われるの?
特に僕がマーケティングの話を書いてたんで、こんな若造がマーケティングなんてわかるわけない?的な感じで。
っていう感じで、偉そうに語るな的な話だったんだと思いますね。
そのおっさんも確かに立場とか、別に実名顔出しでやってるおっさんとか。
そうするとですね、僕はある種攻撃を受けてると。
僕の顔でなんやこのおっさんって感じじゃないですか。
そこでね、めんどくせえおっさんがもう1タイプ湧いてくるんですよ。
これがね、飲みに行きましょうおじさんみたいなのが湧いてくる。
これね、マジ1回2回じゃないの。
この飲みに行きましょうおじさんが来るんですよ。
なんか業界のちょっと偉い人となんか僕はなんか、まあある意味喧嘩してるような感じ。
こっちからしたら一方的に言われてるから喧嘩じゃねえんだけど感じだけど、
まあまあまあみたいな感じで肩を組ませに来るみたいな。
いるんだよマジで、このおっさんが。
で、僕はこいつが大っ嫌いなんだよ。
そう、だからいやいや言ってくるよりかは。
一番こいつが嫌いだみたいなパターンなんだよ。
なんやねんお前。
全然ほのかに嫌ってない。
本当に嫌いなんだよね。
で、なんかもうそれがすごい。
たぶん学生のとこがそういうのあんじゃん。
なんかコミュニケーションポットでさ、なんかあるよね。
嫌い合ってるのをなんか仲良くしようぜみたいな。
あれがたぶん僕なんかもう生理的に非常に嫌いな人間なんだよね、もともとね。
で、まあでもなんかそう、だからこう、たぶんね。
なんでそういう人がいるかって言うと、
おそらく多くの人ってのはその嫌うっていうこと自体を悪だと捉えてるんだよね。
嫌う、誰かを嫌っちゃダメだし、
誰かがなんかこう嫌い合ってるのは良くないって考えてるから
だから仲良くしようぜってなる。
けど、それ違うよなってことは結構僕は昔から思ってて。
で、でもまさにその話が結構書いてあって。
で、すげえに納得感があって、まあ自分は間違ってないなと思ってたんで、だから本を読んでね。
だから、まずこの中島さんがおっしゃってるのは、
人が人を好きになることは結構自然ですよと。
で、お互いのことを好きになる。
で、同じように人を嫌いになることもめちゃくちゃ自然なことだって。
で、それが悪いとかそういう感じでは捉えるべきではないと。
で、でも多くの人は嫌われたくないって思っちゃったり、
嫌われたくない症候群っていうような言葉で言ったら仲良し強みたいなのが入ってて。
仲良くないといけないし、嫌われたくないのは当たり前だしみたいなところで、
嫌うっていうこと自体はすごく自然なことなのにも関わらず、
それをどんどん抑圧して抹殺しようとしてる。
そういうような社会が彼も嫌いなんだよね。
で、それに対するまあそうですね、いろんなアンチテーゼっていうのをロジカルに話してるようなところからまずスタートしてくると。
で、結局でも生活態度として、じゃあ我々どうすればいいかっていうと、
嫌いになることって本当自然なことだって、
誰かをじゃあ僕が誰かと嫌いになる、それはもう自然だし、
それを別に発散してもいいよと。
お前が嫌いになったら嫌いって言えばいいじゃんっていうような態度があったりとか。
あるいはじゃあ逆のパターンも同じで、
自分が誰かに嫌われてもそれはすごく自然なことで、
別に嫌われてもそれで、なんで嫌われてるんだっていうショックを受ける必要もなく、
別に嫌いになることも嫌われたりすることもすごい自然なことだから、
だからそれで結局結論で言うと、ほのかに嫌いあうっていう関係性をある種の提唱してるんだよね。
で、これはすごい僕はかなりしっくりきて、ほのかに嫌いあっていけばいいと。
あいつは俺のことなんか嫌いなのは知ってるし、でも俺もあいつのことは嫌いだからそれでオッケーと。
そういうの仲良くなる必要なんてないし、そのままお互いの人生を歩んでいけばいいじゃないかと。
で、嫌いっていうところにこう蓋をするわけではなく、
お互い認め合って、なんかあいつのこと気に食わねえなでいいっていう。
この関係性っていうのはこう提案してくれていて、すごく僕はなんかある種気が楽になったんですよね。
確かに。
じゃあ池谷さん、当時どちらかというとやっぱなんか言われることに対して今よりはもっとなんかちょっと気にしてたってこと?
まあそうでしょうね。やっぱ若かったもんね。
なんでこんなこと言ってくるんだろうなみたいな思うじゃん。
普通にブログ書いてるだけでなんかすげえディスられるんだけど、このおっさんなんやねんって思うよね。
なんか明らかに嫌いのエネルギーをこっちに投げかけてくれるじゃん。
なんやねんって感じですよね。
それはその悩んでるからこういう本を手に取ってたとかがあるんですか?
いやでも多分なんかたまたま、たぶんまた違う中島さんの本を読んで、その関連から読んでいったじゃないですか。
で、そしたらなんかほんとたまたま自分がなんかこう感じてることがなんかまあ見事に言語化されていて、
うわーって思って、そうかそういうことでいいのかということをね、書かれていて感動しましたね。
これなんか社会人だけじゃなくて大学生とか前に読んでおきたいよね。
そうそうそうそう。
すごいなんか今大学の頃思い出した。
なんか別に僕なんかその人に言ったわけじゃないよね。
あいつはお前のことなんか嫌いだよねみたいなことを別の友達から言われる。
あーもうね、その話とかありますよね。
そういうやつ。
すっごい気にしてた。
だから好かれないといけないとか。
すごいもうどんぴしゃでそういう話書いてますよこれ。
この導入ですっげー心が楽になったもんね。
いやたぶんね、僕はなんか逆にあんまりそういうの気にしないで生きていけたし、生きてきた側だから、
自分は間違ってなかったんだなみたいな確認作業みたいな感じで読めたけど、
たぶんこれはむしろ周平氏みたいな人だと、
また逆の考え方みたいな感じで刺さってグサグサくる感じの一冊だと思いますね。
乗っけから。
乗っけからね。
気にするよねみんな。
気にしないで別にいいし、
あとは嫌いな人と仲直りする必要なんて一切ないみたいなことだから、
危欠として出てくるわけだね。
結局結構クリティカルにいろいろこう哲学的に切り込んできて、
なんで嫌いっていうものを認め、
自分が誰かを嫌いとか、
あるいは誰かが自分のことを嫌いっていうのを認めたくないかっていうのは、
ロジカルにたどっていくと結局嫌われたくないと。
自分が誰かに嫌われるのが怖いから、
だから仲良くしなきゃいけないとかって思ったり、
で、他人から嫌われた時にすごいショックを受けるし、
あるいは自分が誰かを嫌いってことも、
自分が嫌われたくないから認めたくないっていうこと、
嫌うってことが自然であるってことを認めることができない、
なぜなら私は誰からも嫌われたくないから、
みたいなことになっているっていう、
そういう構造なんかを指摘して。
でもそうじゃなくて、
結局嫌うってことは好きになるってことと同じように、
ごくごく自然なことなんですよってところがまず、
割と導入の部分で比較的丁寧にかな、
結構書いてくれていると。
本当に義務教育でやってほしいよね。
中1ぐらいの。
たぶん小学校から潜在的に持ってる気持ちだよね。
あの子に嫌われたくない。
この子がそれ悪口言ってたよとか。
ありますよね。
それがずっと大人になっても続いてるもんね、結局ね。
ずっと残ってるよね。
これは良い評価。
またその議論はさらに進んでいって、
結局のところ理不尽にどうやっても嫌われるよね、
みたいな話もやっぱり出てきていて、
それは本当にそうじゃないですか。
本当にいろんな、
僕は結構若い頃衝撃を受けたというか、
今も結構驚くのは、
糸石義作さんっていらっしゃるじゃないですか。
すごい方で、結構ニューアな感じの方で、
あんまり嫌われるようなタイプの人ではない感じがするじゃないですか。
僕みたいな炎上ブロガーとか違って、
糸石義作といったら、
すごい柔らかい感じで、
嫌いな人とかいなそうだけど、
ふとした時に、
にちゃんかなんか見た時に、
めちゃくちゃ糸石義作のアンチのスレッドがすげえ伸びてたんだよ。
マジでみたいな。
糸石義作ってアンチいるんだと思って。
これも10年以上前の話ですけど。
結構びっくりしたのを覚えてる。
誰にでもいるっていう。
考えつかないね。
あんなすごい平和そうな感じで、
すごい平和にほぼにちとか書いてるのに、
めちゃくちゃアンチついてるんだけど、
怖いみたいな。
いや、分かんない。
僕、糸石さん好きだけどね、みたいな感じだけど。
あのレベルで、そんな熱心なアンチがいるっていうのに、
結構衝撃を受けたように、
結局のところ、
嫌われるってこと自体は避けがたいことであって、
しかもそれはかなり理不尽な理由で、
嫌われてしまうこともたくさんある。
っていうところが割と書かれている。
それこそ哲学なんで、
スピノザの言葉なんかも出てくるんだよね。
この人たちが哲学者なんで。
スピノザの言葉で、
こんな言葉がスピノザが言ったっていうのが
引用されてるんで、それを読むと、
自分では他人から憎しみを受けていると想像し、
しかも自分がそのように他人から憎しみを受ける
いかなる原因でもないっていうふうに信じる者は、
かえってその人に憎しみを持つに至る。
ちょっと構造が難しいけど、
自分が他人から憎しみを受けている。
っていうふうに自分で想像していて、
しかもなんであいつは私を憎しみを受けているか、
そんな原因は私にないっていうふうに
思い込んでるやつは、
逆にそいつに憎しみをすごい持つようになる。
っていうことをスピノザは言ってる。
すごい短い言葉で端的に。
端的だよね、すごい端的に構造を表してる。
さすがスピノザだって感じしますけど。
でも本当にあるよね、そういうことはね。
なんで俺何も悪いことしないの?
なんでこんなに憎しみを受けるの?
って言った時に、それで終わるんじゃなくて、
そっから逆に憎しみをあっちに向けるようになってしまう。
っていうことが結構多いね。
でも確かにその構造はあるんだけど、
でもそもそも誰かに嫌われることって
結構理由がなかったりするわけだから、
それはなんか違うんだね。
そっから別に憎しみをあっちに向けなくても、
そうやってよくわかんない理由で嫌われることって
めちゃくちゃあるよねっていうふうに
捉えたらそこで関係は断ち切られるから、
僕はやっぱりこの本を読んで、
なんかよくわかんないけど嫌われてて、
たぶん理解ができなかったんでしょうね。
たぶん若い頃だしね。
なんで嫌われるんだろう?みたいなことを
思ってた時期はたぶんあるはず。
でもこういう本に出会って、
まあ嫌われるならしゃあねえ。
もう絶対にどうしても嫌われるから、
まあしゃあねえなっていうぐらいに
やっぱり割り切れるようになりましたね。
あとこれは僕がいつもこの話をするときに、
自分でいつも話す話で、
じゃあ嫌いな人って結構いると。
僕が嫌いな人種ってのがいてですね、
それはですね、
他人から嫌われたくないって思ってる人が
嫌いなんですよね。
ぶっちゃけ結構いるじゃないですか、
経営者の人とかでも、
敵を作らないようにする人っているんですよ。
いるんですよ。
それはもう人間の好みとして、
僕はあんまそういう人が好きじゃない。
周りに、八方美人までいくと
言い過ぎなんですけど、
なるべく本当に敵を作らないように
細々進めていくような
戦い方をする人っているんですよね。
別にそれはいいんですよ。
全然合理的だし、いいと思うんだけど、
俺は嫌いだみたいなのはね、すごいある。
だから極端に言うと、
だから人から嫌われたくないっていう
人のことが嫌いな僕みたいな人間もいるから、
どうしようもないじゃないですかね。
絶対に嫌われちゃうからね。
だから
人が人を嫌いになるって本当に
いろんな理由があるし、しかも理由で言語化も
できないようなものすらもあるっていう中なんで、
だからあなたが嫌われてるのも別に
しょうがないし、理由なく
あなたも理由なく人のことを嫌ったりするでしょう
っていうことが書いてある。どうですか?