2021-12-04 30:47

#33 文章力とは

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第33回は、文章力が高いとはどういうことなのか?いままで「上手い!」と感じた文章などの話

質問、おたよりはこちらから↓
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdOyZsve1PAGEfKVyAelRf1nmaENmBNl8oJXgzb82Pmx1RjXQ/viewform

00:01
本のそばには楽しいことがあるをモットーに、書店居歴25年の元書店員のすずきと、
出版取次7年、出版社営業13年、現在書店と出版社の現場をつなぐ一冊取引所運営1年数ヶ月のわたなべの2人で、
書店員、出版社、一般の読者の方からの素朴な疑問に答えるポッドキャスト休憩室でございます。
どうもどうも。
おつかれさまです。
もう12月も入りまして、なんかしわすって感じが全然しないんですけど。
しわすですよ、でも。確実にしわすですよね。
いろいろそろそろ、そういうしわすっぽいネタを入れ込みながらトークをしていかなきゃいけなくなるんですけど。
言うても、いただいたご質問に答えるというコンセプトなので。
そうですね。
でも、質問がまたドカドカドカっと。
なんかね、来てありがたいですね。
ありがたいことに。
今回のご質問、お便りは何でしょうか。
はい、それではいつものようにラジオネームから読み上げさせていただきます。
どうぞ。
ラジオネーム、ザビケジジョさんからいただいております。
前もいただきましたね。
いただきました。ザビケジジョさん、ありがとうございます。
はい。
鈴木さん、渡辺さん、こんにちは。
こんにちは。
いつも楽しく拝聴しています。
ありがとうございます。
お二人は今まで上手いと思った文章もの、小説に限らずってどんなものがありますか。
ありすぎるかしら。また、文章力が高いってどういうことだと思いますか。
はいはい。
というご質問をいただきました。
文章力ね。
そうですね。ザビケジジョさんも書店員さんで。
書店員さんですね。はい。
逆に聞いてみたいぐらいなんですけど。
渡辺君、文章力というか、この文章はいいみたいなのありますか、今まで。
悲しいかな、パッと出てこないんですけれども。
ただ、読んでて、リズムが合うとかちょっとリズムが合わないとか、
ちょっとその内容にもよるかもしれないんですけど、
すごいこうスルスルスルと読めて、ページが止まらない場合と、
ちょっとなんか引っかかりを感じながら。
はいはいはい。
03:00
というのがあって、それが文章力なのかまではちょっとよくよく観察したことがないんですけれども。
鈴木さんはどうですか。
お、早いね、もうすのが。
結構ね、僕は海外文学読みなので。
あ、そっかそっか。翻訳を。
そう、翻訳なんで、原文じゃないんで。
ただ、やっぱり翻訳家の方の力もあったところでの、
すげえっていうのは結構いくつかあって。
まず一つは、僕もどこでも推してるんだけど、
ジャック・ロンドンの火を起こすというですね。
スイッチ・ファブリッシングが出てる短編集があるんですが、
ジャック・ロンドン、野生の呼び声のジャック・ロンドンさんの火を起こす。
これは短編なんですけど、めちゃくちゃ無駄をそぎ落として。
これって、コヨテっていう雑誌に、書き直してない元の版とかも載っていて、
ちょっと今手元にあるんですけど。
コヨテの語があって、2002年に書かれたほうと、
2008年にいろいろ書き直しを何度もして、
そぎ落としてたのが今の単行本だと日本で翻訳されてるんだけど、
まず、翻訳されて今日本で読める1908年にそぎ落としたほうは、
出だしが、「明けた朝は寒く、灰色だった。恐ろしく寒い。灰色の日。」って始まるのね。
めちゃくちゃかっこいいじゃないですか。
けど初期の1902年版だと、書き出しが、
「陸路であれ海路であれ、世界中どこでも旅は相棒とするのが望ましいとされるのは世の常。」って、
非常に回りくどい言い方になってるわけですよ。
これ見てるだけでも、すごい開講された文章って、無駄を省いて、
最低限だけど必要不可欠な言葉で紡いでて。
これは文章力っていうか、役は柴田本幸さんなんで、そのあたりの強さっていうか、
言葉の強さみたいなのもあると思うんですけど、
この辺はすげえ読んでて触れるっていうのはあったかな。
あともう一つは、
ジュノディアスっていうオスカー・ワオのキュリッジャー賞を取った、
オスカー・ワオの最悪の人生じゃなくて、タイトルはオスカー・ワオの短く凄ましい人生だ。
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短く凄まじい人生。
そうそうそうそう。
新調クレストブックスですか。
クレストが出てるやつ、ジュノディアス。
他にも、あと2編くらい作ってるのかな。
ハイウェイはゴミダメと、
日本で翻訳されてたのはその後の、
彼女にフラれるとかっていうタイトルは覚えてねえよ。
このジュノディアスが、スバルっていう雑誌、文芸誌に載った短編があるんだけど、辞典の。
これ読んだときにめちゃくちゃよくて、これ全部覚えたいぐらい思って、一応メモってるんだけど。
調節というよりもちょっと辞典で、もともとドミニカ出身、ジュノディアスって移民なのね。
ドミニカに祖父母を残して、母と兄弟とかとアメリカに移住してきて、
要はすごい貧しい。中でも祖父母への仕送りのお金を貯めてたんだけど、
それが仕送りのお金がなくなっちゃったっていう話なのね。
タイトルがお金っていうタイトル。これ、今多分単行本に収録されてないんだよね。
だから多分読めないと思うんだよね。
スバルのバックナンバーって2013年、2014年ぐらいの頃なんで。
そこにある文章で書き留めてたのが、ドミニカとアメリカの距離なんで、
そこに、ただ200ドル少しの金と、故郷との2400キロの距離があるだけだった。
っていう言葉が最後に締められてるんだけど、これがめちゃくちゃよくて。
言葉にいろいろな意味が含まれてたりするから、すげえかっちょいいなと思って。
こういうのは文章力っていうか、言葉の強さとか、こういうのがグッとくるよね。
なるほどですね。
あと結構、南米系文学だと言い方がかなりこじゃれてるというか、皮肉が入ってるんで。
フワンパブロ・ビジャロボスっていうメキシコの作家の小説があるんだけど、
この中の登場人……まあこれは短編なんだけど、
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例えば麻薬売人の隠れ家にいる子供の話とか、
バラックみたいな家で住む家族の話とか。
そういうところで、貧しい人間たちから見たお金持ちの人の話とかさ。
普通の街で暮らしていたらとかっていうタイトルの短編とかもあったりして。
そういうのって、言葉ひとつひとつに超皮肉が入ってるわけ。
今ちょっと例を出そうと思ったけど、いろいろあるんだけど……。
まあいっか、ちょっと時間かかるから。
フワンパブロ・ビジャロボスはすごい読んでて、文章としてのセンスが面白いと思ったよね。
役者がナンバー・サチコさんで、
この本もすごいラテン文学のひにくめいた感じの言葉の使い方っていうのが……。
俺は今、ラテン文学を読んでいるっていうのが実感できる。
これがそうなんだ。
アメリカの小説だと時期最適というか、ストレートなんだけど。
そういうのはすごい感じたな。
最近だとフライデイ・ブラックっていうナナクアメ・アジェイ・ブレニアっていう人の小説が、
アフリカ系アメリカ人の作家の本がすごいよくて、短編集が。
これって言葉使いも非常に刻む感じ?
ヒップホップに近いんだと思うんだけど。
すごい刻む感じで、文章を読んでても心地がいいんだけど。
この文章を出たときに、アメリカの若い作家はみんな真似してたらしいんだよね。
そのくらい影響力がある作家らしいんだけど。
これも去年、一昨年ぐらいかって言ったのは。
古墨作出版が出てる。
大嶋元子さんの役のやつで。
これもよかったなあ。
言葉の強さとか、読んでてすごい心に刻んでくるようなのは、文章力って言うんじゃないかなと思うんだけど。
ああ、そっか。
状況を説明してるとかさ、そういうのってある意味文章力だと思うんだけど。
例えば読んでると情景が頭で浮かぶとかさ、そういうのも文章の上手さだと思うんだけど。
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ただちょっとそこと言葉の響きとはちょっと違ってきて。
京国夏彦のミステリーってさ、すげえ分厚くて内容も複雑なんだけど、すごく読みやすいのは、
やっぱり情景描写ってのはめちゃくちゃ上手くて。
例えばテッソのオリナンっていうのは、雪の中の禅寺の話なんだけど、
本当に雪の中の白い風景の中に黒い瓦の屋根が薄らと見えるお寺とか、
そういうのって、別に詳しく書いてるわけじゃないんだけど、
読んでてそういうシチュエーションが感じるようなのっていうのは、すげえなと思うけど。
なるほどですね。
そういうことなんじゃないかな。
わかった。聞いててわかりましたよ。
思いつきましたか?
つまり、ザビ家ジジオさんのご質問で、文章力が高いってどういうことだと思いますかと。
これはだから、なんかそういう世界観とか雰囲気とか、空気感というかですね。
さっきのドミネカとか、あとラテンとか、アメリカはヒップホップっぽいとか。
作家さんによってもちろん判別ではありますけれども、
そういう通貫、つまりその文章を通じて、そういった空気感というか、
そういったものがイメージ的に想起されたわけですよね。
そうだね。特に海外文学なんかはさ、そういうのが如実にわかるというかさ。
やっぱりそれぞれの文化があるからさ。
それで言うと、今回のご質問にあたってちょっとパッと浮かんだ作家さんを挙げると、
作家さんっていうか、教科書に出てくる中島敦史とか。
おー。
三月記とかね、教科書。
あとは横三里一のハエっていう小説もあって、
それも国語の授業を通じて私触れてるんですけど、
なんかその独特の世界観というか、中島敦史さんとかだともう漢文帳とかだし、
横三里一のハエっていうのはなんかその、
司座がハエ目線っていうか、情景の描き方とかかな。
だからそういう意味ではそこに、
もちろんその文章力が高いというか、拡張高いところを。
文学はそういうとこあるよね。
ありつつ、そこから触れるそのムードっていうか、
そういうのをまた読んでる自分みたいなものに。
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なんか文章力が高いというか、
なんかそういう文章の力に触れる瞬間って、
そういう読み手としてそういう感覚を味わうときに覚えるものなのかもしれないなと。
そうだね、やっぱりその文章とか文体みたいなのは結構すごい好きで。
そうですよね。
例えば海光たけしは小説とは違って、
いわゆるルポとかエッセイになると、いわゆる昭和文体。
何かっていうとカタカナになるのがあるんじゃないか。
細かいところとかさ。昭和文体があるけど、それはそれで軽快で、すごい読みやすい。
海光たけしのエッセイって、文章が喋ってる感じがするんだよね。
海光たけしのドキュメンタリーとか見ると、ほぼほぼ書いてあるように喋るんだ、あの人って。
話し方が。
本に書いてあるルポルタージュとかの本の書き方、文体のまま喋るんだ、あの人って。
それがすごいなと。
たぶんこの人、ルポルタージュを書くときって、ほとんど頭に向かったら会話の言葉が、
ひとりごとみたいなのが文章になってて。
もともとオーパナンっていうルポルタージュはさ、スランプで落ちて小説が書けなくてさ。
で、困ったってときにさ、気分転換にAmazonで釣りに、みたいな感じでさ、やったからさ。
余計に文学とはかけ離れたものをさ、言葉にして出してるからすごいよね。
また異文化に触れる感じとかもね、味わえるし。
かといってさ、無知のまま驚くんじゃなくてさ、白紙だからさ、そういうのもあって。
それはそれでちょっといいね。
坂井潤子とかのデスマス帳とかも好きだし、
南氏籍のデアル帳も好きだし。
自分ツッコミは文章に必ずあるっていうのが好きだしね。
あとマガジンハウスとか。
マガジンハウスのポパイ文体とかね、は大好きだ。
よくちゃかすけど。
僕ら、僕たちのなんとかとかさ、好きだけどね。
まあ同じ、そうですよね。
僕っていう言い方をしても、例えば夏葉者の島田純一郎さんの書く僕と、ポパイ文体の僕と全然違いますよね。
僕は違う。
ポパイの場合は、僕って個人じゃなくて僕らなんだよね。
そう、俺ら仲間たちというか、同じ好きな思考を持ってる人たち。
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俺ら、僕ら、俺らじゃない、僕ら。
そういう複数形になってるんだよね、ポパイ文体は必ず。
まあそういうのも気になるから。
文章力があるないっていうところに関しては、
基本、人に伝えることが目的だから、そこさえクリアしてれば、
あとはもういいんじゃないかなと思いますけども。
いやあのさ、ここだけの話、変な電波系のクレームとかのメールとかがたまにくるわけ。
なるほど。お仕事を通じてそういうのをもらったことがあるんですね。
そう、あるじゃないですか。
で、基本は本当に電波系だからさ、呪われてるとかそういう話なんだけどさ、
普通そういうのってさ、詞理滅裂で単語も間違っていたりとかさ、
文法も間違ってたりとかしてさ、読みに耐えないのが多いんだけどさ、
たまにこう全部読めちゃうのがあるんだよね。
恐ろしく文章力が高いさ。
けど言ってることは意味がわからないんだけど、
文章はしっかりと読めてしまうっていうのもさ、
これが別に文章力が高いわけじゃん。
なんかそういうのは、読めれば基本文章力って高いと思うんで。
僕もよく構成出されて、赤入れられるときに、
これは文章になってませんとかってガーンって言われたりするからさ、
あーってショックだよね。あとね、意味がわかりませんとか書いてあってさ。
けど第三者の目で構成入ってるのは本当に助かるんでさ、僕は好きなんだけど。
そうですね。
それでようやく文章が、まあさっきのジャック・ロンドの話じゃないけどさ、
やっぱり第三者の目線で読みやすくなったりとかできるんで、
だと思いますけど。
なんか今、また思ったことがあって、
まあオーパーはちょっと、私文庫持ってるんで、
またパラパラ見てみたりとか、
あとその隣にたまたまですけど、私が大好きな裏表人生録、井戸川竹広の。
井戸川竹広の、こないだ言ってたね。
これはもう自分のことは僕じゃなくて、「俺」って書くんですよね。
はいはいはい。
だけど、「俺」って書いてもすごく温かい、全体的に温かい本なんですけど。
昔の書き手の方?昔と言ってもつい、つい1000だってあたりまでは、
ワープロが出てくる前は原稿…。
21:00
そうだよ、原稿用紙だよ。
鉛筆、ペン、万年筆とかね。
そういうので紡いでたわけじゃないですか。
はいはいはい。
今は、なんかキーを叩いて、あるいは場合によってはですよ、
なんか携帯小説とかの場合は、昔は柄系で小説書いてる、みたいな小説書いてる人もいたし、
今はクリック入力とか?
今はそれも普通でしょうだって、普通に原稿書く人いるもんね、それでね、スマホでね。
そう、だからそういう書き方のスタイルと、また文章力とか、
あと文章を進めていく、書いているときに進めていくときの感覚って、また全くその身体感覚としても違うんだろうなと。
なんか聞いたことあるよ。昔は原稿書に書くって非常に労力じゃない?
実際に身体を動かしてさ、その文章を書かなきゃいけないし、
だから筆を動かす前に頭の中でじっくり考えるんだってさ。
で、なるべく小労力で書くために。
なるべく一発で書き切りたいみたいな。
そう、だからなるべく無駄を省くんだって。
余計なことを書かないっていうふうに発想するんだってさ。
今はほらさ、どっちかっていうとワープロで頭に浮かんだ、ワープロって言い方ないな、今はPCか。
とかでさ、頭に浮かんだことをどんどん書いてさ、後で削っていくっていうさ、ものじゃない?
だから結構文章を書くときって、美術とかと一緒でさ、
粘土細工とか一緒で大まかな形をこんもり形作ってさ、
そこから削って削って形を整えていくみたいな、僕はイメージなんだけど、
けど昔の人はたぶん逆だろうね。
土台にどんどんどんどん粘土で、すでに形作ったものを貼って形にしていくみたいな感じなのかなって思ったけど。
そうですね。なんかそういうのもちょっと、あとはそういう。
発表する文章だったら、載せる媒体。
そうそうそう。そこってやっぱり結構重要だと思うんだよね。
フライフィッシャーっていう雑誌で5年ぐらい連載してたんだけど、コラボ発生。
たまに特集記事とかを依頼されて、それまでは結構である調でずっと連載してたから、
特集でも一応である調なんだけど、たまにちょっとふざけてさ、デスマス調にしてさ、
ちょっとおふざけ感で出したらさ、全部書き終わったときに、
いつもの通りの文章にお願いしますって思ってて、あ、だめなんだーと思ってさ。
ありかなーと思って書いたんですね。
そうそうそうそう。ちょっと冗談まじりな感じで、
それと関係ないことをついに無理矢理こじつけて書くっていうさ、
24:01
高速道路の話とかさ、そういうのなんで。
多少ちょっと僕はそのときには、
坂井潤子的なものを自分の中に下ろして書いてたんだけど、
だめだった。そういうのはあるよね。
なんかそういうバイターによってのも、あとはやっぱりね、一人称どうするか。
僕と。基本僕、会話の中で自分のことは俺って言うけど、
なるべく文章の中では僕って言うんだけど、ただあまりにもちょっと幼く見えちゃうとあれなんで。
私とかにするとか。
小生とかね、よくね。
まあなんかいろいろありますよね。
小生はさすがにちょっともうふざけてるなと思うんだけど。
我輩とかはね、さすがに使えないけど。
朝上一夫さんとかだとね、あたしゃねーって言ってますよね。
あたしゃねー。
いろいろやっぱりなんか。
あ、けどあたしゃねーとかさ、あとあの、あたくしとかさ。
あたくし、あたくしってね。
あたくしとかね。
まあいろいろそのちょっとその、いろいろその文章の内容によっては、
自分のその一人称の使い方もね、考えなきゃいけないしね。
そういうディテールでね、やっぱりその音声とか言い方で。
音声会話と違う、言葉でそういうのを表現して作っていくっていうのはやっぱり。
あ、そうですね、だから表現力の幅が広くて、
でそれをそういう的確にチューニングできる人っていうのが面白くの高い人かもしれないですね。
あとほら、どうしてもさネット上のコミュニケーションの文章だとさ、
要はそのカッコ笑いとかさ、っていうのを多用しがちじゃない。
ネット上だったらいいんだけどさ、
テキストになるとやっぱりちょっと、原稿とかになるとさ、
まあ基本カッコ笑いは使わないよね。
インタビューだったらさ、たまに入ったりさ、昔からの関連で使うけどさ、
基本自分の原稿だとちょっとカッコ笑いは使わないから、
でそこを笑ってくれるのか笑えないのかは、もうその人の、読んだ人の判断だから、
別にそこを具体的にここは冗談で言ってるんだよっていうことを示さなくても別にいいかなとか。
そういう気の遣い方あるよね。
そうですねー。
3点リーダーとかあんま使わないとかさ。
けど3点リーダー対応しちゃうと、最後にしまらないまま終わっちゃうんで。
文章の締めで余韻が残る感じの終わらせ方ってありますけど、
3点リーダーではないテクニックとかもあるんでしょうね、いろいろね。
だから僕が初めて公の雑誌で、お金もらって文章を書いたときの文章って、
27:09
自分で書いたのを一旦、雑誌の担当編集師じゃなくて、
仲のいい別の担当者に見せて、構成してもらって、また直して、
そのあとまた雑誌の担当に出してとかって、
結構初めはすごい気を使ったよね。
セカンドオピニオン的な。
セカンドオピニオン的な。
客観的に意見をもらってさ、こういう文章とか、
例えばある程度、文章の中で結末ありきで書いてあるように見えてしまうのやめたほうがいいとか。
そういうのってあるから、そういう誘導するような書き方は、
僕はしてないって言われたんでまあいいかなと思ったんだけど、
そういうのをたまに見受けられるから、そういう書き方を気づけばいいですよとか。
文章の中で具体的にやっぱり物事を伝えないといけないので、
そこをしっかりとディティールを説明するようにって言われて、
例えば山って言っただけでも、読んでる人にとってはすごい低い低山の山かもしれないし、
書いてる人にとってはすごい槍形のような険しい山のことを言ってるかもしれないんで、
そこはすごく判断に委ねる部分と、しっかり明示する部分とは考えて書いたほうがいいとか言われて、
こういうのが先週が入ると、勉強になるなと思うよね、文章を書いてて。
でもちょっといろんな文章に触れたくなるようなご質問でしたね。
そうですね。あと刺繍とか言ったらもうキリがないけどね。
ただまあ、うまいっていうのはちょっとね、いろいろ落ちるうまいとかさ、いろいろあるんだけどさ。
ただちょっといいなと思った文章は書き留めたりとかするから、なんかいいよね。
書き留めるのいいな、私全然そういうのやらない口なんで。
今はスマホもあるからさ、電車の中で本読んでもさ、あ、ここはいいなと思ったらスマホのメモに書いちゃったりとかするんで。いいですよね。
まあ文章ってそういう感じで僕は見てますけどね。
ちょっとまたザビ家ジジオさんが個人的に聞いてみたいと思います。
そうですね。小説とかはね、人それぞれ好きな文章とかもあるからあれですけど、僕とはそんな感じですかね。
30:07
そうですね。
ということで、人それぞれうまい文章とかあると思いますんで、好きな文章とか書き留めたりメモったりしたらいいんじゃないでしょうか。
はい。
ということで、非常に結構語ってしまいましたが。
意外と。
ええ、意外と語れましたね。
それではまたおたれりをお待ちしております。
はい。また次回をお楽しみに。さようならー。
ありがとうございました。
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