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2023-07-07 29:22

【番外編: 酔いどれトーク】珍しく恋バナ?! 福田恒存「私の恋愛教室」について語ったよ

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今回は、少しお酒を嗜みながらテンション高めかつヘロヘログダグダなトーンでお送する番外編。

(たぶん)誰もが一度は考えたことがあるトピック「愛ってなんだろう?」。つばきが昔読んだ福田恒存「私の恋愛教室」について語ったり、名訳文について語ったりしています。

酔っ払うと恋とか愛とか、語りたくなるよね❤️


【紹介した本】

・福田恒存「私の恋愛教室」ちくま文庫

・エドワード・ゴーリー「むしのほん」柴田元幸訳 河出書房新書

・D.H. ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」伊藤整訳 新潮文庫

・現代語訳 森鴎外「舞姫」井上靖訳 ちくま文庫


【よりぬき】

・ 酔っ払いふたりがヘロヘロつらつら語るよ

・福田恒存のシェイクスピア名訳

・さとぅーイチオシの名訳もご紹介

・日本の恋愛観に「愛」って存在する?


サマリー

ポッドキャストでは、福田恒存の著書『私の恋愛教室』について深く語られ、日本人の恋愛観に対する違和感が際立っています。また、福田恒存の翻訳や文学についても触れられ、その独自の価値観が紹介されています。エピソードでは、恋愛感や西洋と日本の恋愛論の違いが論じられています。また、文学や個人主義が恋愛に与えた影響について考察され、特にチャタレイ夫人の恋人に関する議論が印象的です。このエピソードを通じて、恋愛についての考察や愛の定義が語られ、文化的背景や愛されることの意味が探求され、深い洞察が得られます。

恋バナの始まり
生物学者と書店員のインターネットラジオ
本の虫のススメ
本を偏愛する生物学者の椿と
書店員の佐藤が
本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします。
今日は珍しく恋バナ
福田恒存さんの
私の恋愛教室という本について紹介したいと思います。
福田恒存さんってあんまりご存じないっていう方も多いかなとも思うんですけど、
私のすごく好きな
翻訳家であり、文筆家の方なんですけど、
私が最初に知ったきっかけっていうのが、翻訳で
マクベスの翻訳を知ってたのよ。
きれいは汚い、汚いはきれい、それを大学に行った後、
何科の授業か何科で
There is foul, foul is fairっていうのを読んだ時に
わーこれいい本出たらやりたいな、そこをさ
ちゃんとこの意味同士がさ、重複が薄いというか
概念の重複が薄い中でギリギリ成り立たせるってすごい芸やなと思って
翻訳者の芸だよね。
と思って興奮したのが、最初の鮮烈なインパクトを残したのが福田常有さん。
なんかあの本当にちょっと無知であれなんですけど、
福田さんのこと全然存じ上げなかったんですけど、
私結構そのシークスピアの有名な著書とか、
もう本当に様々な翻訳にも携わってらっしゃるよね。
イギリス文学だけじゃなくて、
海と老人とか、アメリカのね。
老人と海じゃなくて。
老人と海だ、ごめん。老人と海、ヘミングウェイやね。
ヘミングウェイとか、
なんか人間の生き方、物の考え方とか、私の幸福論とか、
言われてみたら、ああ知ってるってご著書がいっぱいある。
やっぱりそういうさ、言語の違う価値観の狭間で揺れ動いてきて
磨かれた価値観なんやなっていうのがいろいろあって、
すごく好きなんですよね、昔から。
その中で私が一種の最高到達点というか、
博美というかとして思うのが、
時代にそぐわない点は多々ありつつも、
私の恋愛講座?違う。
それも有名な本やんな。恋愛教室じゃなかったっけ?
確かそう。私の恋愛教室。
あれは、もうなんか日本人がさ、
感じる、愛だのなんだのに対する違和感をズバリ言い当ててるイメージだと思うんですよ。
ちくま文庫から出てるみたいですね。
あ、もしかしてちょっと絶版になっている予感がしますね、これ。
ちくま文庫から2009年に出てたみたいなんですけど、
もしかしたらちょっと、でもすごく有名な本ですよね。
タイトルは結構知られてる。
そうですね、キンドルもあるみたい。
ある、よかったよかった。
じゃあ神じゃなければ気に入りそうですね。
まずライター的な、私物書きなんですけど、
その観点として、この時代の物書き全般に言えることですけど、
語彙が豊か。
ごめん、そもそも福田さんってさ、どれぐらいの世代の方なのかな。
えっとね。
ご存知の方?
いやいや、もう亡くなってらっしゃる。
1912年生まれ、94年に亡くなってらっしゃる。
でも結構長生きされてて。
日本の一時大戦ぐらいに生まれはって、戦後私たちの時代とそんなに感覚的には変わらないぐらいの、
文学と翻訳の魅力
94年まで生きられたっていう、生き抜いたっていう方ですね。
この人の、やっぱりシェイクスピアの名役っていうのは結構有名で、
綺麗は汚い、汚いは綺麗っていうのはもうその代表なんですけど、
シェイクスピアって、やっぱり陰の文学らしいんですね。陰を踏むっていう。
それを他の言語に略すると、8割方死ぬみたいなことが言われるんですね。
まあ当たり前じゃないですか。
洋学とかもそうやもんね。
陰をやっぱり踏むのが良いと、かっこいいっていうか素敵っていう。
そういうのが母国語じゃないとできないっていうか、当たり前のジレンマがあったり。
それをできるだけ近づけようっていうのをやるっていうのが、
翻訳の涙ぐましい努力であり、美しいところでもあるかなと私は思ったりするんだけど。
それを結構、みんなやってると思うんだけど。
特にそういう綺麗は汚いみたいな、名翻訳をたくさん残されてる。
名翻訳をされてる方で、私は結構感銘を受けたりしたんですけど。
その方がやっぱり、アラビア語を私は勉強してたりするんですけど、
その中で、アラビア語ってイスラーム教の窓口というか、神の言葉を語る言語だったりして、
アラビア語を学ぶっていうのは、かなりイスラーム教を学ぶっていうのに近いなって、すごい強く感じるんですよね。
たとえば、クラーン、コーラン、が基礎単語に入ってるっていうのは、もちろん、タクワー、信心、神を敬う心、タクワーっていうのが基礎単語になってたりするんですよ。
日本語を学ぶ基礎単語に絶対信心って入らないよね。
たぶん、概念自体がイコールじゃ全然ない。
そういう、すごい困難を伴うわけじゃない。異言語に訳すっていうのは。
しかも、音を踏めとか、言葉の意味を失わずさ、無理ゲーオブ無理ゲーやん。
それをやろうとしたっていうのは、やっぱり、どこかで失われるものはもちろんたくさんあると思うけど、
それでも、やろうとして、できたものが陰陽踏んでるとか、綺麗は汚い、汚いは綺麗とか、もう本当に、慶福の一言に尽きると思うんですよね。
まあ、そういう方とか、適当の極みなんですけど。
最後、お前言語力ないんかよ、みたいな。
でも、本当に素晴らしいものって、なんかすごいとかしか言えなくなっちゃったりするよね。
これはね、恥ずかしいと思うけど、すごいなと思う方なんですけど、
その多分、両言語の思想の中で翻弄されながら書かれた著作っていうのがたくさんあって、
人間この劇的なるものとか、私の幸福論、私の恋愛論、いろいろあるんですけど、
その中で特に、私が若い頃、若いつったってまあ大学生とかの頃に影響を受けた、
私の恋愛論について、ちょっとお話ししようかなと思います。
あの、あの、あの、あの、あの、すごく本題に行くその直前に、ちょっと一個だけ、警戒してもいい?
もちろん、一個も二個も三個も。
福田さんっていう方、存じ上げない方やけど、もう一人翻訳者で、超有名な方で、柴田本幸さんっていう方がいらっしゃるんですけど、
なんかもう、英米文学のなんか有名な翻訳とか、だいたい柴田さんの名前あるんちゃうかなっていう。
マジか。
あの方で、あの、えっと、モンキーって文芸誌があるんですけど、なんかまあだいたいお猿さんの油絵みたいな感じのイラストが表紙になってる、文芸誌があるんですけど、
その編集長かな、責任編集されてたりとかするんですよね。
なんかあの、黄年のもう名作みたいな。
どのくらいの年代の。
え、年代わからへんな。でもあの、全然、今70前ぐらいの方。
68歳。
じゃあ福田さんよりはだいぶ。
あの、若いかな。
ガリバー旅行記とか。
なんかそういう、あの、みんな知ってるねみたいな。
なるほど、なるほど。
うん、翻訳されてる。で、その方で、私あの、エドワードゴーリーっていう、あの、
あー!
なんていうかな、不穏な感じの。
はいはいはいはい。
あの、エドワードゴーリーさんの、アメリカの方なんですね。
はいはいはい。
その役を結構されてる。
なるほど。
で、そこの絵本で、エドワードゴーリーさんってめちゃくちゃあの、なんていうか本当に、
一応児童文学の絵本とかを多く出されてるんやけど、
出てくる子供全部不幸になる話とか、
なんか結構異色な感じの作品を結構出されてるんですね。
うん。
なんですけど、その中で川出処方針社から、
川出出たん?
川出さん。
うーん、信頼ね。
信頼と実績の川出さんから、虫の本っていうタイトルの絵本が出てて、
エドワードゴーリーさんの。
はい、エドワードゴーリーさんで柴田さんが役されてるのがあるんですけど、
その虫の本は結構あの、マイルドというか。
えー、あれみたいやね。オスカーワイルドのサロメじゃない?幸せの王子様みたいやね。
あー、そうやね。幸せの、そうやね。
彼、他に幸せな話しか言ってないよね。
あ、そうなんや。知らんかった。
だってサロメ、ドリアングレーでしょ?
幸せの王子様って幸せな話かな?
おー、あー、そうやね。確かに。
幸せと言っていい?
確かに。幸せのゴールポストをずらしてるかも。
そうそうそうそう。
そうかも。ちょっとごめん。
でも、なんかそれとちょっと近しい部分があって、
虫の本ってその、インサンな感じはしないけど、
なんか受け取る人によって、どう捉えるかがちょっと変わる。
なるほどねー。
まあ、だからすごくいい本なんで、これもおすすめしたいんですけど、
ちょっとあの、その虫の本の中で、
あの、訳がすごい素敵だなっていう単語が一個あったんです、特にね。
印象に残ってる。
で、あの、すごくよく、簡単?簡単でもないんですけど、
インチャレスティング?
うん、インチャレスティング。
インチャレスティング。
なんか面白いとかさ、興味深いみたいなさ、
訳をなんかすると思うんだけど、
まあ虫が出てきて、
で、その近所の青い瓶に暮らしておりまして、
その虫たちがね。
で、その緑の瓶の中で赤い虫が暮らしているので、
中にいると紫色に見えましたっていう文章。
それがインチャレスティングバイオレットカラー。
When they were at homeっていう訳を、
そのインチャレスティングを味わい深いスミレ色っていう風に訳してて、
めちゃくちゃいいでしょ。
いいね。
素晴らしい訳文やなって。
いいね。
なんか興味深い紫色とかって訳せるところ、
味わい深いスミレ色っていう。
いやー、そういう翻訳をしたい。
そう、なんかその言葉のチョイスが素晴らしいなって。
いや、そうそう。やっぱ母国語の語彙がないとできない。
そう思いますね。
あとセンスとか、語彙力とかもなんか陳腐になってしまうんですけど。
表現しようとすると。
まあちょっと翻訳者の素敵さっていう部分で挙げたい著者でした。
で、ごめんね。
福田恒存の恋愛論
で、私の恋愛教育所の話やったよね。
そうそうそうそう。福田さんのね。
彼はそのやっぱりいろんなさ、日本の文学で欧米文学に触れてきた人な訳で、
その多分立体的な違いっていうかさ、平面的なこう、
これはこれとこう違うからこうなんだって誰かが評論家が言ったような違いじゃなくて、
文学者が描くような形での男と女の関係っていうか、
そういうのを多分すごい感じてこられた人なんやと思うんだよね。
それはやっぱり想像できるんじゃない?
私たちがさ、キリスト教権では男と女は一対一で愛し合って、
それで夫婦を作って不実はしませんとか言われても立体感がないやん。
なんていうか、良くも悪くも実際とまたちょっと違う部分があるもんね。
それをさ、やっぱり文学って、
特にそのプロパガンダに使われている時代っていうのもあると思うけど、
そうじゃなくてさ、個人の時代にさ、ルネサンス以降とかなっていく訳じゃない?
だいぶ逆だもんね。
そうやな、そうやな。
それでどんどん個人っていうのが描かれていくにつけて、
やっぱり統治しやすい形ではないもの、不倫とか、
そういうのがさ、愛の一つの形として描かれてくる訳じゃない?
その中で福田さんが特に取り上げて論じてるのが、チャタレイ夫人の恋人。
発禁処分になったやつ、日本でな。
そうそう。
訴訟とかになったやつ。
さすが、よくご存知。
不倫っていうものとか、描写っていうものが、
日本の60年代とかの時代では、
芸術っていうのをどこまで芸術をするのか、
性なんていうのかな、エロ本じゃないですけど、
性の描写と芸術がどれくらいどうなんやっていうのが論争になった。
で、発禁処分になったりしたものやね。
チャタレイ夫人の恋人の養護側の方が福田さんでありました。
そうなんや。そんな偉いっていうか、お世話になってた方やったやな。
めっちゃ学んでたのに、存在しなかった。
なるほどね。
そういう方なんですよ。
それで、私たちはもう完全に熱の冷め切った話として聞いてたけど、
熱の冷めやらぬ話として、チャタレイ裁判の話とかも含めて描いてるのが、
描きつつ、それを一つの裁判の話ではなくて、
西洋と日本のそもそもの恋愛論の違いとして描き出してる名著が、
私の恋愛教室なんです。
恋愛の文化的視点
そもそも日本の恋愛論っていうところから話は多分発するわけや。
私ももう10年以上前に読んで、
ちょっとあんまりこんなエッダそうに話すような話でもないけど、
私の覚えてる限り福田先生も許してくださると思うので、話しましょう。
そもそも日本の恋感?恋感?恋愛感?としては、
男女の別はなかったという個人。
明治以降やもんね。キリスト文化が入ってきてからやもんね。
個人としてAさんが好き、Bさんが好きっていうところから、
スカッとした、日本の風土にある意味あったような、
一対一、キリスト神の愛とか誰かが開催するようなもんじゃなくて、
惚れた。あいつも惚れた。俺ら惚れ合ってるっていうね。
ある意味さ、スッキリした世界観だったわけよ。
そこにあんの立ち込め、福田常有が確か湿ったっていう言い方をしてて、
私もああそうやなってすごい。
なんかすごい素敵な表現やね。湿ったっていう。
本当にそう。日本のさ、ある意味スカッとした風土の中にさ、
違う空気が入ってくると、それってほんまに天気と一緒で湿るやん。
それが湿るのが良いか悪いかってある意味確かに別やと思う。
でも湿ったのは確かにそう。それが湿ったのが明治以降。
森鴎外とかあるやん。あれってさ、エリスとか。
日本の風土やとできなかった恋愛やから、
主人公を留学生にしなければいけなかったっていうような論調なわけや。
確かにさ、そこまで言うかどうかは私たちその時代を生きてないし難しいけど、
でもそのぐらいの激しい転換期であったのは間違いないなって思うんだよね。
私もさ、やっぱり今この時代を生きてて、
愛してるとかさ、令和の今でも私誰に対しても言えないもん。歯が浮くもん。
そういうのやっぱりさ、神っていう絶対的な開剤がないやん。
私たちに愛はないんじゃないかって思うのよ。
アガペ。エロース。エロースってでも愛なんかな?とか思うのよ。
アガペって欲だっけ?
神の愛。
神の愛だっけ?エロース、ちょっとそこからちょっと。
エロースはちょっと愛欲とか個人的な愛。
なるほどか。
だから言葉はそもそもイギリシア語やったら違ったりする。
それを恋愛って言って、恋は惚れるとか、そっちの系とか。
それをなんかこうゼコゼにして、なんか混乱してめちゃくちゃになって。
締めてしまってるってことか。
そうそうそうそう。
でも福田常有さん曰く、それすごい難しくて、なんかどう捉えたらいいか私自身もまだ考えてて答えは出てないんやけど。
でも、じゃあ締めてしまったから捨てたらいいんかって言うとさ、
じゃあ明日から日本鎖国しましょうって無理やん。
うん。ていうかその、なんか締めていることが今の現代やもんな。
うんそうそう。締めり尽くしてるやん。
締めり尽くしてる。
私みたいにその、なんか。
カビ生えそうやな。
いやそう、ほんまにアーペやから愛してるなんて言えないとか言う人間なんて私以外に会ったことないしさ。
うん、そうやな。
結構さ、なんか好きの上位互換くらいの感じだよね。
あ、そうやね。うんうんうん。
違うよって私とかすごい思って。
私今までの人生で冗談以外で愛とか口にしたこと多分ないと思う。
うん。
それって多分少数派で。
うんうん。
そういう、なんか物事深く考えてるからってこともあるかもしれんな。
そのエロスとかアカペとかさ。
まぁそうかもしれん。
ね。
なんかその、まあまあもちろんその愛とは何だろうみたいなことを考えはする人多いやろうけど。
なんかそれがさ。
指摘権利だからね。
そうそうそう。
というのを踏まえて考える人ってそんなに多くはないと思うから。
うん。
なんかさ、惚れた?とか。
そういうのはさ。
うん。
あるなって思うけど。
うん。
愛って私の中にあったことがないなって思うんだよね。
やっぱりその。
神が多分いないから。
うんうんうん。
アッラーがいないからさ。
うん。
唯一心みたいなものがね。
そう。
うん。
で、それに祝福されてるのが基本的にさ。
うんうん。
祝福っていうかなんか許されてる?
うんうんうん。
のが夫婦。
うんうん。
だったりするわけじゃない?
うーん、そうなんや。
宗教的なね。
うんうん。
意味で。
意味というか。
うん。
夫婦と社会の関係
その、私の恋愛教室で福田恒有さんが来て。
うんうん。
ああ、なるほどと思ったのが。
うんうん。
その、夫婦が。
うん。
結婚するのの。
エロエロみたいな。
ああ、いやいや。
まあそれもそうなんだけど。
社会的な結婚。
社会的な結婚として。
ああ。
まずあるのは。
うん。
社会の最小単位だから夫婦っていうのが。
ああ。
その中で例えばさ、うちのぐさいがとか。
ああ。
今は言わんけどね。
まあ言わないけど。
あの、かつては言われてたよね。
そう言われてた。
愚かな妻ね。
うんうん。
今もでもなんか精神としては若干気づいてる人も少なくはない。
まあ、そうかもそうかも。
うん。
なんか妻とかに限らず身内っていうものとか。
を下げるっていう。
そう、自分とかを下げるっていう。
そう、そうそうそうそう。
っていうのがあったっていうさ、当然あったっていう人、人。
人体?
文脈。
ああうんうん。
文脈の中やからちょっとその今のね、日本にそのまま当てはめるっていうのは難しいかもしれんけど。
うんうん。
でもなんかそういうのってやっぱりちょっと。
やっぱりちょっといびつじゃないかみたいなことを確か言ってたりするんだよねっていうのもすごい
社会っていうのは人と人の 寄せ集まりでその最小単位っていうのが夫婦
あの好きあって一緒にいる人たちだっていう ある意味ちょっとユートピアチックな話でもあるんだけど
ロマンチェックか
あってほしいみたいな うんそれは福田さんがそう主張しているある私の恋愛教室結構ねだから
その 現代の私たちにも胸を打つところもあったり
恋愛の考察
その恋の上位互換として愛してるとかいう意味を考えさせられたりとか うんする部分でもすごく
あるんだよねで でもすごい不思議だなぁって思ったりするのは最初はその
男も女もなく個人として愛し合っていた江戸時代みたいな話で始まるのに 最後は男と女しかいなくなる
ああなるほどねそれがだからまあまあ時代の音制約っていうか 時代としてある意味
別に不自然なことではないかもしれんけどうんそれはちょっと何か今の私たちがよく ちょっとなんかへ
最初なんか男でも女でもない私みたいなのがいたのに男が女の私がいなくなった ああああああああああああったりはするだろうとねでもなんかやっぱりその
今もなんか 愛してるよみたいなに対してこう
違和感があるっていうのに対してはやっぱり一定の なんやろう
理解というかを得るのにはすごい 適した良い本だと思うし福田常有さんの役は私すごい
好きですね
まあだからそのあの年代的なそのちょっとなんていうかなんていうのかな えっと
夫婦とかその例愛とか特に愛っていうものに対しての捉え方の違いというものは 入っているけどでも普遍的にちょっとこう
なんていうかと取り入れたい部分が結構ある本っていう感じがなうんだね そうね嘘を思った
うんなんか言葉にするっていうのはすごい たやすいことやけどそれによって固定化されちゃうから
いろんなことがうん そこまでそのはっきりこう
深く物事を突き詰めて考えてなくても愛してるって言葉 そもそもほら輸入されたもともと概念っていうのは共通
認識としてあるかもねだから単純にさあその愛してるって なんかアメリカの人とかがさあ選べられるってさあ挨拶のように言うのと違って
重さがあるとか照れくささがあるとかさそういうぐらいの話では結構なっ なんかああわかるわかるって言う
思う気がするな やっぱりその同じ言語内で表現できる幅深みって
当たり前ですけど限られると思うんですねそれを同じ 違うな違う言語を輸入したらドンと広がるんですよ
それって 間違いなくて愛とかも多分その類やと思うんですよ
でもそれってはっきり輸入できたものなんだろうかと思うんですよ 椅子とか小麦とかみたいに多分違うんですよね
だから日本人的にちゃんと練り直して 日本人日本人って言わないですけど日本言語に
一番そぐ気持ちいい形で訳せないまま 例えばなんかあるじゃないですか今ちょっと英語やったらわかって当然みたいなさ横文字の
使い方とかって今若干あったりするじゃないですか それが行きすぎると結構愛になるかなって私思うんですよ
というのは わけわからんままみんな使うからまあえっかこれでみたいな
よくわからんままコンセンサスとか使っちゃうみたいなことか そうそう別に全部定義付ける必要もないんじゃないけど
じゃあこのままでいいのみたいなさ なんかそもそも愛とはなんだろうみたいな話は考えるかもしれないけど
なんかそもそも愛って言葉って輸入された言葉だよなとか だとするとその愛っていうものはあの今の時代の
こうなんて欧米の文化すごい吸収した私たちでもそういうものはもしかしてないのかなとか なんかそこまであの
考えた上でじゃあ自分が使ってる愛してるよって言葉ってどういう風な どころか出てきてるんだろうってなんかそういうことをちょっと考え直す
あの一つのきっかけになるかもしれないですねそのそうですね なんか今
佐藤がまとめてくれるのを聞いてそこまで考え直す必要あるんかなって 逆に冷静に思ったんですね
そういうことを一つ一つについてすごく深く探究して考えるってとこがやっぱなんか研究者っぽい
ちょっと一括りにしてしまいますけどしなんかこう椿さんのなんかこう 面白いところというかインタレスティング味わい深いとこだなぁなんてちょっと友人としては思い
ますねありがとうございます言ってもらう まあそんな感じでちょっとあの今回はちょっとお酒を飲みつつ
文化的背景と愛の定義
やっぱり愛とか恋とか語りたくなるというのはある意味万国共通かもしれないかもしれませんね ちょっとちょっとこういろいろその本
を絡めてあの語ってみました そんな感じではいじゃあまたの次回もあの楽しみにしていただけると幸いです
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