このポッドキャストでも何度かお話をしているこの施設図書館ルチャリブロというもの。
僕もずっと行きたくて、うまく予定を立てないといけないなと思っているんですけれども、とてもきっと素敵なところなんだろうといつも想像しながら読んでいます。
自宅を図書館として開くとどういうことが起きるのか。
この本の中で宮子さんはこんな風に書いているんですね。
本を真ん中にした空間は自然と人の心を開放していくようです。
これはおそらく図書館という場の紅葉で、本という窓から風が吹き込み、まだ見ぬ世界の風景が伺えることに由来しているのだと思います。
この風のおかげで心が開放され、お互いが窓から同じ風景を見ていることに気づくからこそ、不意に自らを開示できるというようなことが起こるわけです。
本ということが窓なんだという話をされているんですよね。
おそらくもうそこからすぐにでも外に出られるような扉とかドアということではなく、ちょっとその窓越しに普段見慣れない新しい風景に出会える場所。
それが必ずしも一人で見るというだけじゃなくて、何人かで一緒に外を眺める。
そんなようなことがこのルチャリブロでは起きているんじゃないかなというふうに思います。
そんなですね、ルチャリブロにて行われている四書籍での対話というものが一つ目の切り口になります。
これは先ほどいろんな人のお悩みに本を提示することで解決というかお返事をしていく、そんな対話が8つほど収録されていると言いましたが、
そのうちの一つをご紹介してみようと思います。
ご相談の趣旨はですね、婚活を始めた女性の方が、婚活を始めたんだけれども何か小さな違和感を抱えている。
相手の方と前に進もうと思ってもちょっとそれにブレーキがかかったりとか、自分が何を大切にしていて何に違和感を感じているのかがわからない。
そんなことが相談の内容になります。
それに対して3冊の本というものがお返事されるんですね。
まず一冊目は宮子さんが萩原作太郎の猫町という物語。
二冊目が新平さんから鈴木大雪の東洋的な見方という一冊。
最後にもう一度宮子さんからフィオーナの海というファンタジーの一冊。
こんなものが提示されながら少しずつそのお悩みに対するコメントが書かれていく、そんなパートになります。
全部はもちろんご紹介できないんですが、少しずつその本でどういうことが語られているかをご紹介すると、
一冊目、萩原作太郎の猫町という一冊ですけれども、
これは主人公がいつも遊びに行く町に遊びに行こうとしたところを道に迷ってしまうと、
諦めて家に帰ろうと歩いていくと何やら今までに出会ったことのないきらびやかな町に出会うんですね。
その新しい町を歩きながらその町に魅了されるんですが、
ふと気づくと実はそれがいつも言っているもともと遊びに行こうと思っていた町だったという結果だそうです。
つまりてっきり同じ町にたどり着いていたんだけれども、違う町としてその町を楽しんでいた。
そんな物語だそうです。
その内容を説明しながら、一冊、宮子さんのコメントを引用すると、
一つの世界に居続けると、見方が固まって身動きができなくなってしまうことがままあります。
そんなときは、猫町のような身近な異界へのお出かけをお勧めします。
不思議な世界ではなくとも、いつもとは違った道を使ってみたり、反対方向に歩いてみたり、
立ち止まったときにそこにあるような場所でいいのです。
そういう場所を自分の中に持っておくのも、東漢がよく言う、悲願と志願を行き来することです。
そして二冊目、青木新平さんは、続き大説の東洋的な見方を挙げながら、
人の悩みの根っこというのは、人と比較してしまうということだったり、
相手が望んでいるであろう像に自分を当てはめてしまうことだというふうに言いながら、
東洋的な見方が役に立つかもしれません。そんなアドバイスをしていました。
一文用すると、東洋的な見方とは、一言で言うと、分析してもよくわからないということです。
自分と合う合わないとか、好き嫌いというものを比較によって行わないこと、そんなことが語られています。
最後に宮子さんからフィオナの海というファンタジーを例に挙げながら、
これはですね、登場人物が複数いるのですが、その中に違和感を素直に見つめられる登場人物と、
どちらかというと社会規範に寄せて、そう気づいているんだけど、それを制御しようとする、そんなキャラクターが出てくるものなんですね。
そんな物語を引きながら、この相談者の方の中にも、違和感に対して素直でいたいという人格と、
それを制御しようとする人格が同居しているんじゃないかと。
純粋で素朴な違和感を持ちながらも、一方では常識や社会規範に寄せる、そういう思考も自分の中に同居しているんだ、
そんなことに自覚的であるということも一つなんじゃないか、そんなアドバイスがされます。