今日ご紹介するのは、韓国のカン・ヨンスさんという方が書かれた、
求めない練習-絶望の哲学者・ショーペンハウアーの幸福論という一冊になります。
この本はですね、帯にもあるんですが、韓国で60万部売れているそうで、
多分5000万人くらいの国で60万部なので、かなりベストセラーということだと思うんですが、
元々、現代はですね、40歳で読むショーペンハウアーという名前で発売をされていたんだそうなんですが、
韓国のアーティストの方がですね、読まれているということで人気に火がついて、60万部。
日本に予約されてからは、この求めない練習というタイトルで販売がされている本になります。
この話を聞いて、何か似たような話があった気がするなと思って、さっきちょっと調べてたんですが、
これまた韓国の著者さんで、ハ・ワンさんという方が書かれた、
危うく一生懸命生きるところだったというエッセイがあるんですが、
これもですね、まさに同じ40歳目前にこの著者の方が、いろいろ手放しながら生きることを決めたということをエッセイに書いている本で、
これも韓国で25万部ですかね。
東方神記というグループの方の愛読書だったのかなという紹介のされ方で、さまざまな世代に受け入れられて、そこから日本に翻訳されてきたと。
ちょっと何かそんなことも読むとですね、僕韓国一回も行ったことないんで、すごい推測になっちゃってあれですけど、
ユングが言うところの人生の正午を越えて午後に向かっていく。
本来であればそれぐらいの40歳とか、前後が抱える悩みであったり、生きづらさみたいなものをもっと早く20代ぐらいから感じている。
そんな社会の絵が見えてくるような気がして、思いを馳せながら読んでいました。
今日ご紹介した絵ポイントも3つあります。
1つ目が、欠乏は苦痛、過剰は退屈。
2つ目が、求めないことという消極的な幸福。
最後に、人生の重心を内側へ移す。
では、今日もその前に一緒に楽しむお茶から。
今日も以前紹介したのと同じになるのですが、中国茶、台湾茶ですね。
老鐵館の京都池藩さんのものをいただいています。
これは台湾の木作地域というところで、1980年代に成茶をされたお茶ということで、
そこから強い焙煎がされて長い間、保管というか熟成をされていた、そんなお茶になっています。
本当は別の薄茶を飲もうかなと思っていたのですが、
40歳で読む小ペンハワーということで、このお茶も大体それぐらいなんですかね、1980年代。
中盤後半ぐらいであれば、大体40年前後前のお茶を合わせてみようかなということで、
今日ちょっとすいません、声が少しガラガラかもしれないですが、
お茶でうるおしながらこの後進めていきたいなと思いますので、
皆様もぜひお気に入りの飲み物と一緒にこの後を聞きください。
さて、この小ペンハワーは、本茶本茶ではまだメインの本として取り上げたことはなかったと思うんですが、
一度だけ、読書についてという本から一説引用したことがあったかなと思います。
いわくですね、読書というのは人の頭を使って考えることであるということから、
ただただ本だけをたくさん読んでいても全く意味がない、むしろ逆効果であると、
しっかり自分の頭で試作をしなければいけない、そんなような話だったかなと思います。
そんな小ペンハワーはですね、ドイツ生まれの哲学者で悲観主義ということで知られていたり、
あるいは孤独を愛するということであったり、なかなか大器晩成というか苦しい時代を長く過ごした、そんなことでも知られているようです。
僕は実はですね、この代表作の意志と表彰としての世界という本があるんですが、
これをまだ読んだことがなくて、あまりこの方について詳しくはないので、
ちょうど入門書的に今回の本が読めたかなというふうに思います。
まずは一つ目の切り口。
欠乏は苦痛、過剰は退屈というものになります。
これはですね、小ペンハワーが幸福というものをどう定義しているかというような内容になるんですが、
小ペンハワーに言わせると幸福というのはですね、短い充足の瞬間的なものであるという話をしています。
一文引用すると、
幸福とは多くの場合、欠乏から充足へと変わる短い時間だという。
なぜなら、欠乏は人間にとって常に苦痛だが、
充足を超えて過剰にまで行けば、倦怠や退屈の感情に支配されるからだ。
つまり幸福はその中間の短い充足の瞬間だけと言えよう。
こんなふうに語っているんですね。
まあ多くの人は、この欠乏は苦痛ということには同意をされるかなと思うんですが、
そこから様々なお金であったり、物であったり、関係であったり、
どんどん欲しいものを手に入れていく。
悪なき欲というものと一緒に成長していくということが多いのかなと思うんですが、
小ペンハワーがユニークなのは、すぐにそれも過剰になってしまい、
それは退屈につながるという話をしているんですね。
確かに何か成功とか富とか人間関係みたいなものも、
それが足りてない間の苦痛というものを強く感じますけれども、
手に入れた後のその幸せというのも意外と長続きしなかったりする。
確かにそんな経験あるなぁと思いながら読んでいました。
では一方で、そんな世の中の中にあってどういうふうにこの幸福を求めていくか。
本のタイトルが小ペンハワーの幸福論という副題もついていますが、
この欠乏から充足をするこの短い瞬間をどんどん積み重ねていくことが幸福論なのかというと、
ちょっと違う立場を取っています。
それが二つ目の、求めないことという消極的な幸福という切り口になります。
これは積極的な幸福、先ほどのように欠乏を満たすように何かを手に入れる。
で、その充足した瞬間に幸せを感じていく。
それが成功とか富とか成果みたいなことを積極的に手に入れていくという幸福の在り方ではなく、
消極的な幸福。
これはですね、苦痛がない状態ということを追求するべきだというふうに言っています。
ここでも一文引用すると、
ある人が幸福かどうかを評価する基準は、
成功でも富でも成果でも出世でもなく、精神的・肉体的に味わう苦痛の程度である。
つまり、今苦痛がないなら、この世で最も大きな幸福を享受しているわけだ。
そしてその大きな基盤となるのが健康ということだと思うんですが、
どんなにですね、様々なものを得る、その積極的な幸福が積み上がっていたとしても、
少し健康を害しているとか、少し頭が痛いとか、体がつらいとか、
そういうものがあるとですね、一気に苦痛というものに支配をされてしまう。
であれば、積極的な幸福ということではなく、そういった苦痛を一つずつ潰していく。
そしてその苦痛がない、そういう世界を幸福だと捉える。
自分の心を静かな湖のように保ちながら、
外部の刺激であったりとか、他人の比較で悩む、そんなものを減らしていくんだ。
これが求めないこと、という積極的な幸福であるというふうに述べています。
これを読んだ時にですね、ダニエル・カールマンっていう行動経済学の方が、
プロスペクト理論というものを昔に発表しているんですけれども、
そのことを思い出しながら本を読んでいました。
何かっていうとですね、
人はその得る喜びよりも失う苦痛の方を大きく感じる、というような理論なんですよね。
例えば、1万円を誰かからもらった喜びよりも、
同じ金額なんだけど、1万円を失う、その苦痛の方を人間は大きく感じる、というような話をしています。
ショーペンハワーがそういう理論的なものを踏み台にしたかどうかは別として、
とても人間の本質をついた視点なんだろうなというふうに思います。
これ、ちなみに皆さんどうですかね?どう捉えますか?
ポッドキャストって聞いてくださる方の年齢層とか性別とかお住まいとかが少しデータ的に見れたりするんですが、
だいたいこのほんちゃほんちゃ聞いてくださっている方というのは、
30代後半から40代くらいの方が多い、というふうに数字では出ているんですよね。
なので、もしかするとこの本はまさに皆さんの年代に向けて書かれた本だと思うんですけれども、
この求めないことという幸せを目指すというのは、なかなかどうなんでしょうね。
僕なんかは、10代、20代、もしかしたら30代の前半くらいまで、
こういう消極的な幸福を目指すという考え方はできなかったかもしれないなと思ったりもしちゃいます。
もちろん、この本を韓国で人気にさせるきっかけとなったアーティストの方は、
確か20代だったと思うので一概には言えないかもしれないですが、
何か積極的な幸福みたいなことを一旦求めて握ろうとしたという経験込みで手放せる。
追い求めた結果、肌と気づいて、そこからこの消極的な幸福を味わえるようになると。
そんなような順番というとあれですけれども、タイミングというものがあるんじゃないかなという気が個人的にはしていました。
そして最後の切り口が、人生の重心を内側へ移す。
まさにこの本の中で、40歳以降からは人生の重心をだんだん外部から内部へと移すべきだという言葉があったりもします。
あとはですね、もう一文引用すると、外部に新しいものを探そうとするのではなく、今持っているものの価値を振り返ってみるべきだというふうにも書かれています。
これは数回前にご紹介した、那識嘉穂さんのエッセイ、「路辺の風音」という中でご紹介した切り口で、
一人だけで満ち足りるというものがあったと思うんですが、
まさに誰の手も時間も取らず、一人だけで満ち足りて機嫌よくしているということは尊い才能の一つなんじゃないか、
そんな話を那識さんがされているパートで、今回の人生の重心を内側へ移すということも、
例えば試作を通じたり、何か日常の暮らし、あるいはルーティン的なものを使ったり、
自分の内側に矢印を向けていく、そこで満ち足りていく、
そんなような関連があるんじゃないかなと思ったり、
このポッドキャスト自体もですね、大きく言うと何か、
そういうような内側へ向かう営みみたいなことが一つテーマになっているのかなというふうに思いながら読んでいました。