仕事と稼ぎを分けて考える|渋沢寿一『森と算盤』#38
2026-05-20 19:13

仕事と稼ぎを分けて考える|渋沢寿一『森と算盤』#38

一冊の本をお茶とともに味わう読書Podcast「本茶本茶」。

今回は岡野園さんの八十八夜摘み新茶「誉」を淹れながら、渋沢寿一『森と算盤』を紹介します。

▼ 今回のテーマ

仕事と稼ぎ/生きることを自分で賄う百姓/気遣いののりしろ

渋沢栄一の曾孫が、里山の暮らしから「経済と地球の両立」を問う一冊を、お茶を片手にゆっくり味わいます。里山資本主義、地域経済、生き方や働き方に関心がある方におすすめのエピソードです。

🍵 本日のお茶

岡野園 令和8年産八十八夜摘み新茶「誉」(埼玉県所沢市三ヶ島産・狭山茶)

https://okano-en.stores.jp/items/60814ea6da019c67f47bfeec

📕 本日の本

『森と算盤』渋沢寿一(著)

https://amzn.to/4nMm3d1


👤 話し手

Fuyuto

「静けさのデザインとケア」をテーマに、コーチング・プログラム開発を行うStudio Stillness代表。

note → https://note.com/honcha_honcha

感想

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サマリー

本エピソードでは、渋沢寿一氏の著書『森と算盤』を、岡野園の新茶「誉」を味わいながら紹介します。仕事と稼ぎの区別、生きる術を自ら賄う「百姓」の概念、そして地域経済を循環させる「気遣いののりしろ」という三つの切り口から、経済と地球環境の両立という現代的な問いに迫ります。

はじめに:本茶本茶と『森と算盤》の紹介
こんにちは。本茶本茶へようこそ。
毎回一つのお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに、生き方の問いを一つ持ち帰る時間です。
静けさのデザインとケアを通して、創造性のツアーを育む、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
毎週水曜日、19時に更新しています。
今日ご紹介するのは、渋沢寿一さんの『森と算盤』という一冊になります。
渋沢寿一さんは、里山資本主義の実践者、そして農学者の方であり、渋沢栄一さんの暇子さんにあたるんですね。
このタイトルは、渋沢栄一の論語と算盤をもじったもので、論語ではなく森、この森は有限な地球を表して、算盤、経済とどう両立できるのかということを中心に語られた一冊になっています。
この本は、前回お話ししたポッドキャストウィークエンドというイベントに参加したときに、
優しい民族学という番組をされている岸澤さんという方とお話しする機会をいただいて、そのときにご紹介をいただいた一冊になります。
以前ご紹介した青木新平さんの資本主義を半分捨てるという本と、非常に世界化が似ていると、あるいは同じ問いに別の角度から答えるような一冊としてご紹介いただいた一冊になります。
今日も紹介したいポイントは三つあって、一つ目が仕事と稼ぎ、二つ目が生きることを自分で賄う百姓、そして最後に気遣いののりしろ。
本日のお茶:岡野園 八十八夜摘み新茶「誉」
その前に、まずは一緒に楽しむお茶から。本日は岡野園さんの令和8年産88夜摘み新茶、ほまれというお茶を入れてみました。
ちょうど新茶の季節なので、久しぶりに日本茶になります。
岡野園さんは埼玉県の狭山茶の専門店になりまして、1953年から続けられて三代続いているお茶屋さんになります。
ポッドキャストウィークエンドでも先週ご紹介したエンティーのお茶と一緒に岡野園さんのお茶も紹介をしていたのですが、
そこの88夜摘みの新茶、これは立春から数えて88日目、だいたい5月の頭にあたる、そんなタイミングでその年の陳茶を摘んだ、そういった商品になります。
なんで88夜かというと、もちろん季節的にお茶の成長にちょうどいいという話もあるのですが、88夜に摘まれた新茶は一口飲めば無病息災になるという言い伝えもある、そんな縁起の良いお茶になります。
僕はここ近年毎年、新茶の季節になるとこの岡野園さんのさやま茶を購入するのですが、今年はさわやかな苦みと青々とした茶葉の香りが特徴ですという、そんなようなお手紙とともにいただきました。
ではここから本の紹介に戻ろうと思いますので、皆様もお気に入りの飲み物とともにお楽しみください。
『森と算盤』の著者と背景
繰り返しになりますが、この著者の渋沢十一さんは渋沢栄一の暇子にあたる方です。
渋沢栄一は日本経済の父と称されたりしながら、91年の障害で約500もの企業であったり、600もの社会公共事業の設立に関わる数々の功績を残している。
そんな中で論語とソロ版という、論語というのは道徳のことです。
経済が発展していく中で、この道徳と経済のバランスというものを唱えた、そんな方になっています。
その渋沢栄一の血をひくものとして、渋沢十一さんはこの本で有限な地球というものを表す森と経済、ソロ版の両立を問うている一冊になります。
まさに資本主義を半分捨てる、青木さんの一冊でも引用されていたカール・ポランニという学者の言葉がこちらでも引用されていて、
そもそも経済は人間の社会の関係性の中に埋め込まれているはずのものであり、経済システムだけで社会を論じるのはおかしい。
そういう社会や自然の中に本来組み込まれている経済というものが独立してしまったという問題意識を里山資本主義という概念の実践から読み解いていく。
そんなような見方もできる一冊かなと思います。
第一の切り口:仕事と稼ぎ
一つ目の切り口は、仕事と稼ぎ。
こちらは秋田県秋田市にあるうやしない地区、うかえのうにやしなうという漢字が続きます。
という集落の事例から始まる内容になっています。
このうやしない地区というのは江戸時代、秋田、毎年のように飢饉が起きていたエリアにおいて一人の合資者も出さなかった、そういうようなユニークな場所なんだそうです。
なぜこの東北にありながら厳しい冬の寒さを乗り越えつつ一人の合資者も出さなかったかというと、
里山あるいは森をエネルギー源にしながら、33カ所の森を毎年一つずつじゅんぐりに刈り取っていくと。
それをエネルギー源にしながら森を育て、共に生きながらえていく。
そういう営みを続けていた場所だからだったそうです。
そんなうやしない地区で渋沢さんが現地の方から言われた一言がこんなものだったそうです。
仕事と稼ぎの両方ができないと山の中では一人前じゃないんだ。
面白いのはこの仕事と稼ぎというものが分かれてそこでは定義をされている。
稼ぎというのは自分の家族を食わせるためにやること。仕事は子孫に村をつないでいくためにやること。
例えば山稼ぎとは植林をして森林組合から日当をもらう。そういうことが稼ぎになるんですが、
一方で山仕事というのは下草刈りをしたり、枝打ちをしたり、自分たちの代のためにというよりも、
木を育てて子や孫の世代のためにさまざまな作業を行っておくこと。
未来のために今できることをやること。そんなことが仕事と呼ばれているんだそうです。
もう一つ面白い視点が、そんな仕事の中で最も重要なものは何か。これが祭りなんだそうです。
どういうことかというと、この祭りというのは単なる行事の一つではなくて、
毎年の祭りが終わった翌日から次の年の祭りの準備が始まる。
一年かけて祭りを作り上げる間に、年寄りから若い衆へ、この村で生きていくために必要なことや生き方が伝えられていく。
そういう生き方を教える場、未来を担う人たちの社会教育の場としてこの祭りというのが使われているんだそうです。
この仕事と稼ぎという考え方は、どうでしょう、現代ではもはや稼ぎにならないものは仕事じゃないというような扱われ方をしている気もして、
または自分がやっている、この世で言われる仕事の中にどれだけ昔で言う稼ぎのようなものが含まれ、
どれだけ昔で言う仕事のような、自分たちの子孫に村だったり住んでいる場所をつないでいくためにできていることがあるかというのは少し考えさせられる内容だなと思いました。
第二の切り口:生きることを自分で賄う百姓
二つ目の切り口が、生きることを自分で賄う百姓。
この百姓という言葉、僕はなんとなく農家さんみたいなイメージをこれまで持っていたのですが、実はそうではないということが書かれています。
一文用すると、昔は日本人のほとんどがお百姓、農民ではなくでした。
百姓とは生きること、すべてを自分で賄うことができる人。
百の仕事、すべての仕事ができる人を指します。
この生きることに必要な仕事を自分で全部できる人が百姓であったと。
もちろんその中に農業とか自分の食べ物を自分で作れる人ということも含まれると思うんですが、
もっと広い意味で百姓というのは存在していたことを知りました。
もう一つ驚きなのが、明治初年度の人口調査では、3300万人の人口のうち3000万人、つまり9割がお百姓だったと。
食料も、家も、着るものも、エネルギーも、関係性も、全部自分たちで賄うというようなことが当たり前のようにされていたということだそうです。
渋沢隆一さんもですね、終わりにという章の中で、ある種渋沢栄一の地を引く者として、集団の中で様々自分のことが見られると。
そんな中で成人してから何者でもないものになりたいとずっと思ってきたと。
そんな中で、何者でもなくなった私の中でたどり着いた全てに優先する価値観は、自分で自分を養えるようになるということだったそうです。
この本の中ではですね、この百姓、自分で自分を養えるようになる、そんな暮らしをしている現代の百姓のような方たちの事例がいくつか紹介されています。
読んでびっくりしたのは、その中にですね、岐阜県の糸城というところで、糸城洋品店という昔ですね、農作業用に作られていたたつけというズボンのようなものがあるんですが、その土地ならではの衣服ですね。
その作り方を地域の高齢者の方たちから教わりながら次世代につなげていく、そんな活動をしている平野さん夫婦という方がいらっしゃって、そんなお二人の事例が書かれていたりします。
僕自身もこの糸城洋品店の商品がとても好きでですね、たつけも持ってますし、シャツも持っていたりするので、すごい面白い偶然の出会いがあったりもしました。
第三の切り口:気遣いののりしろ
そして最後、3つ目の切り口は、気遣いののりしろという話になります。
これは、里山資本主義のポイントが何だろうかということが語られている場所で、少し面白かった部分なので紹介させていただきます。
一文をすると、地域の中でちょっと煩わしいけれど、お互いを気遣い合いながら行動する。
気遣いののりしろのようなものです。
その気遣いののりしろをどんどんつないでいくことが、地域内経済を回すための基本的な考え方となります。
というふうに書かれています。
里山資本主義とは、地域の自然を地域内でエネルギーとして活用することで、
お金の外部流出を防ぎ、地域内の循環を生み出す仕組み、そんなようなふうに認識をされているのですが、
渋沢さんに言わせると、この核になるのは、地域の人々のつながりをどう作るかということであったり、
一歩踏み込むと、煩わしさを引き受けながら、どう気遣いののりしろをつないでいくかだというふうに語っています。
ちょっと煩わしいんだけれども、同じ地域に住む人のこと、あるいはその中での知り合いのみんなのために少しの引き受けをする。
その煩わしさこそが地域経済や人間関係のネットワークを成立させている。
これも現代社会においては、人間関係とか社会の中の煩わしさというものは極力減らしていきたいと。
あるいは、そういう煩わしさを消すということ自体が一つのビジネスになっていく中で、あえてそれをつないでいくことが地域内の経済を回すポイントにいては、里山資本主義のポイントであるという点がとても面白い視点でした。
まとめ:経済を社会に戻す問い
これら3つの切り口を貫いているのは、やはり経済を社会であったり地域の中に戻していくという大きな問いなのかなというふうに思います。
以前紹介した資本主義を半分捨てるの中では土着として語られていたようなことが、この本の中でも別の切り口で紹介をされている。
そんなような一冊だったかなと思います。
ということで、今日は岡野炎さんの「八十八夜墨新茶誉れ」をいただきながら、渋沢隆一さんの書かれた「森とそろばん」という一冊をご紹介しました。
SpotifyやApple Podcastで聞かれている皆さま、ぜひフォローをどうぞよろしくお願いいたします。
ではまた。
19:13

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