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拍手文化と表現を受け取る側のコミュニケーション
2026-05-05 16:10

拍手文化と表現を受け取る側のコミュニケーション

#オープンマイク #コミュニケーション #表現
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00:06
おはようございます。こんにちは、こんばんは。ほかひびとラジオのTaitoです。
前回のラジオで、オープンマイクの構造的なジレンマというのと、
批評空間というか、オープンマイクが人から向けて、もっと成長のエンジンを積んでいくにはどうしたらいいかということを話したんですけれども、
その中で、拍手文化ということについて話して、
拍手文化って聞き慣れないアレだとは思うんですけれども、
要するに、観客がどうリアクションをするかみたいなことで、
拍手文化ということよりは、拍手というものが持っているものの意味みたいなことを、
もっと解像度を上げていくことができたらいいなということを言ったんですよね。
拍手って結構、音楽だったり演芸だったりエンターテインメントの業界の中でも全然違う位置づけられ方がされていて、
例えばクラシックピアノの業界だと、演奏の途中にブラボーとか言ったりしないけど、
ジャズとかだとグルグル回していって、
ソロパートが終わったらお疲れしたみたいな感じで拍手をするわけじゃないですか。
お疲れしたというか、ソロパートに切り替わったタイミングとかでも来たみたいな感じで拍手するじゃないですか。
あれはある種、構造を理解してますよということの表明でもあり、
自分がジャズをよく知った干渉者であるということの表明だったりとかね。
場の一体感を生むみたいなのだったりとかね。
そのプレイ、パフォーマンスに対する賛美みたいなものが入ったりとかするんですけども、
それ自体もタイミングとかが異なるみたいなね。
誰かのネタで、路上パフォーマンスの演奏が終わったと思って拍手したら、
次の演奏が始まって全然拍手するところが間違ってたみたいな。
誰だったっけな、辞聴課長だったっけな。
まあいいや、それどうでもいいんだけど。
その拍手っていうものを一つとっても、
パフォーマンスとか表現の形態によって全然違う使われ方がされているっていうのがあって、
そういうものがジャンル横断的にあるオープンマイクではね、
例えばクラシックピアノをやっている人からしたら、
すごい違和感のあるような盛り上がり方をしたりとかするんですよね。
僕はそれが結構好きなんですけども。
僕がニューヨークで初めてオープンマイクに行った時にすごく印象的だったことがあって、
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いろいろ発表者が順番順番に演奏していくっていうのは一般的なオープンマイクの形式なんですけども、
基本的にはめちゃくちゃいい発表があった時には、
フィーウィーみたいな感じで口笛を鳴らしたり、拍手をしたりね。
スタンディングオベーションとまでは言わないけど、すごい盛り上がりみたいなのがあったりとかするんですけど、
海外とかだと詩を朗読するみたいな文化が結構あってね。
ポエトリーリーディングみたいな。
ポエトリーリーディングみたいなのをやっている時に、
例えばめちゃくちゃいいパンチラインというか、いい詩が読まれた時に、
ブラボーとかフィーウィーとかってジャズみたいにやっちゃうと声がかききれちゃうじゃないですか。
だから、僕が言ったオーブンマイクでは指を鳴らすんですよね。
スナップっていうかね。パチパチってやつ。
あれをいい言葉が出た時にパチパチンってやって、
朗読している人に言葉を邪魔しない形で伝えるっていう文化があって、
そこ自体がスナップっていうね。スナップじゃないか。リトルスキップか。
ごめん、全然違ったわ。
そういうオーブンマイクの干渉の仕方っていうのを設計していた場所があって、
こういうやり方もあるんだって思ったりとかしてね。
だから僕が本当にニューヨークでオーブンマイクを最初に仲間たちと一緒にやり始めた時に、
ロックミュージシャンの友達がいて、
その人がいろんなオーブンマイクに行ってたことがきっかけで、
他のオーブンマイクを見に行くようになったんですけど、
その彼はね、いい演奏があったりとかするとね、
ゴーンフィンガーっていうのをするんですよね。
ヒップホップカルチャーの人だったらわかると思うんですけども、
指を10みたいな感じにして、
10に向かって上へ行って突き上げるみたいなやつですよね、ゴーンフィンガーってね。
こういうのあったな、ダイビングで。
シュシュワみたいなノリですけども、
いいこと言った、ナイスパンチラインとか大事なこと言ったなって言ったら、
指を突き上げてゴーンフィンガーをするんですよね。
それで何だろうな、拍手ともまた歓声とも口笛とも違う形で、
いいね、いいこと言ってるねとか、あなたの言ってることすごくわかるよっていうのを伝えるっていう、
鑑賞者としての鑑賞側の表現っていうのをね、
設計して、設計っていうか、そういうのをやっていて、
06:01
実際その人がね、本当に、
彼はね、コータロー君っていうロックミュージアムは、
ラジオ業界でも働いてて、アメリカでラジオ放送している、
日本の会社かな、だったかわかんないけど、で働いてて、
よくゲストを招いて、ラジオをね、対談番組みたいなのをやってたんですけど、
その時も要は、ラジオ番組に出演したことないけど、
日本からニューヨークにやってきて、頑張ってるみたいな人を呼ぶから、
いろいろ自分のやりたいことはあるけど、
これがうまく喋れてるのかわかんないな、みたいな不安を抱えてるわけじゃないですか。
で、その人が喋って、いいね、革新に迫ってきたねって時に、
彼はその自分の声がラジオに乗らなくて邪魔しない形でゴーンフィンガーをするんですよね。
それがね、受け取る側の態度としてすごく重要だなっていうかね、
優しいなと思っていて、
オープンマイクについても言えることなんですけれども、
拍手をするだったりとか、立ち上がってね、歓声を上げるとかっていうものも、
いろいろある中でゴーンフィンガーをするとか、スナップをするとか、
そういう形で表現をする人を称えるっていうね、
また別の形式っていうのをいろいろ発明できていくと、
面白いんじゃないかなっていうのは思いましたね。
僕はね、オープンマイクがどうこうみたいなことを偉そうに言ってますけどね、
それこそこの前開催した下北のオープンマイクではね、
ただの新聞を売る人っていうのとね、
インスタグラムを更新する人っていうのねっていう、
完全な裏方に徹していて、ただ盛り上がっている人なんですよね。
受け手として、この人やってること最高って言って、
テンション上がっているだけの人として認識してもらえたらそれでいいんですけども、
人前に立って演奏するみたいなのは、最初の方はね、
自分で弾き語りやったりとかしてたんですけども、
他のいろんな表現者たちがどんどんどんどん増えてからはほとんどやってなくて、
受け手としてのオープンマイクの在り方っていうのも、
どうなんだろうな、に徹しているというかね、
それはそれで楽しいさがあるっていうのをね、探求したいという一つの側面もあって、
っていうのは、やっぱり映画だったりとかね、どんな芸術でもそうですけど、
映画だったりアートだったりとか小説を読むにしても、
自分がどう受け取るかとかどう解釈するかっていうことによって、
その表現の受け取りの幅っていうのはやっぱり変わるんですよね。
だから、前に雑魚論みたいなことについて話したときも言ったけど、
09:01
自分の受け取り方の技術を高めていくっていうことっていうのもすごく重要だなと思っていて、
この人が下手くそかもしれないけど初めて表現をしましたとかね、
久々に再開しましたっていうときに、
この人の中から漏れ出てくる文脈っていうのをできるだけ創造して受け取るっていうことによって、
ちゃんと感動ができるんですよね。
それは前回言った作品自体を優劣で評価するっていうこととはまた別軸の文脈だったりとか、
人っていうものにフォーカスするっていう行為はもちろんあるんですけれども、
受け取り手っていうものがいないと表現は成立しないみたいなところはあって、
誰でも表現できるっていうことに関して探求していく上で、
自分は普段何か表現活動をしていないけれども、
美味しいご飯を作れるよとか、何か別のことをしてるよ、裁縫をしてるよとかっていう人を受け入れるためには、
やっぱり鑑賞する側っていうものと舞台立つ側っていうものをある種分けないようなね、
分けないというか、それが流動的になるような考え方っていうのを実践できればなと思っていて、
ちょっとごちゃごちゃってなっちゃいましたけど、
とりあえずその表現っていうものをするっていうものを成立させる空間には受け取るっていうことも大事だっていう話ですね。
僕がね、結構好きな話でね、太田光が爆笑問題の、
が、とあるね、実際の事件の中でね、
ものすごく自分の中に表現欲求があって、体中全身タトゥーを入れて、
ツイッターにもいろんな書き込みをして、なんか社会がどうこうみたいなことを訴えてた人が、
すごく精算の事件を犯してしまったっていう事件に対するラジオでの言及で、
表現っていうものが受け取るっていうことを通じて成立するっていうことをね、すごく厚く語っている回があって、
僕はそれがすごく好きなんですけど、
一番の表現者っていうのはね、
受け取ってくれる人が、てかもう本当に、なんだろう、受け取ってくれる人が多いとかね、
豊かに受け取ってくれる、受け手がいる人が一番のコミュニケーションの達人であり表現者だっていうことをラジオの中で太田光が言っていて、
それがどういう人かっていうものの例として、赤ちゃんっていうのをあげてたんですよね。
それがね、すごく面白くて、赤ん坊っていうのは自分が何が表現したいかも分かんないし、
12:05
本当に快と不快で動いてるわけですよ。
お腹すいたらギャーって鳴くし、おむつがなんかぐちゃってなったらガーって鳴くしっていうことをやるけど、
それをどういう意味なんだろうということを察して考えて受け取って、
この子はお腹空いてるのかなとか、トイレに行きたいのかなとかいろいろ考えて受け取るお母さんだったりとかね、
周りの人がいるっていうだけで赤ちゃんは表現者であるみたいなことを言ってて、
僕はそれがすごくね、グッときたっていうかね、なるほどなーみたいな。
自分のその表現がね、磨かれていくっていうのも当然大事なんですけど、
それを熱心に受け取ろうとする人間がいるっていうことが、
そのコミュニケーションを整理させてるんだなーっていうのはね、
強く思いましたね。
はい。
いやー、ちょっと話戻っちゃいますけど、
白紙文化みたいなところからね、いろんな方法で受け手側が表現者に対して何かを伝えられるとかね、
表現を受け取る側の姿勢っていうものが大事だっていうことを言ったんですけど、
ニューヨークのね、ハーレムにある、
ごめん、話長くなっちゃいますけど、
ハーレムにある、
アマチュアナイト、アポロシアターっていうのがあるんですけど、
結構その表現者の投入門としてね、
なんだっけ、それこそマイケルジャクション、
ジャクション、マイケルジャクソンとかね、排出してますよね、確か。
ハーレムってとこにあるシアターなんですけど、
そこはね、土曜日にアマチュアナイトっていうのをやっていて、
そこにはMCみたいなのがいて、
演奏の間にそのMCがね、
表現者に対してコメントを挟みながら、
面白おかしく、次の表現者どうぞ、みたいな感じでね、
パフォーマンス、パフォーマンスどうぞ、みたいな感じでMCをするんですけど、
そこでは結構ね、厳しくてね、
そのパフォーマンスがあんまり良くないなっていうことが分かったら、
放棄を持ったね、道化師みたいな人が出てきてね、
ステージからね、パフォーマンスを掃除しちゃうんですよ、
吐き出しちゃうというかね、
残念みたいな感じでね、一気に照明とかね、
ステージの空間の演出が変わってね、
もうこれ以上歌えません、みたいな感じで、
MCがいきなり邪魔してきて、
放棄を持った人たちがパフォーマンスを追い出すっていうね、
なかなか面白い設計がありましてね、
それはそれでいいんですけどもね、
そこはね、
観客の声っていうのをね、
要は、なんだろう、表現の良し悪しを図る指標にしてるんですよね、
なんかステージっていうか会場の中に音声を、
会場の音をデシベルみたいなのを測る機械が導入されていて、
15:03
観客がね、声を上げてね、
このパフォーマンスをもっと見たいと思ったら、
わーって歓声を上げたりとか、拍手をしたりとかするんですけども、
なんかもういいかな、みたいな感じになったりとかすると、
観客が静かになるじゃないですか。
で、ある一定のデシベルを下回ると、
MCがもう打ち切りだって判断して、
放棄部隊が出てくるっていうね、
なかなか厳しいやつなんですけども、
これもなんかある種エンターテイメントの設計として、
すごく面白いなと思ったりしましたね。
まあまあまあまあ、そういう形で表現をするっていうものがね、
リスペクトを持つっていうのはもちろん大前提なんですけれども、
それに対して受け手側のコミュニケーション設計っていうのを
考えていくっていうのもオープンマイクを考える上で
大事なんじゃないかなと思いましたっていう話でした。
ありがとうございました。
16:10

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