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おはようございます。こんにちは、こんばんは。ほかひびとラジオのTaitoです。
前回、オープンマイクの振り返りということで、下北沢でやっているオープンマイクが4周年を迎えましたよという話で振り返りをしたんですけれども、
いろいろオープンマイクという形式そのものについても探求をしていたりとかして、
毎回そのオープンマイクに来てくれた人からアンケートをもらったりとかしてるんですけどもね、
こういう表現の場所があってよかったですみたいな、いろいろ挑戦できましたとか、
やってみたけどちょっと悔しいところも残りましたとかね、いろんないい声が集まってね、僕は嬉しいなと思ってるんですけどもね、
その中で直々、オープンマイク自体はいいんだけど、どうしてもコミュニティの内側に留まってしまうみたいなところもあるのかなみたいな感じで懸念している人の声もあったりとかしてね、
僕はそういう声はすごく、実際的な課題として真摯に受け止めたいなと思っていて、
オープンマイクっていうものが抱えているある種の課題みたいなものと真剣に向き合いたいなと思ってるんですよね。
というのも4年間なり、もっと前から含めると結構長い間やってきて見てきてるんですけども、
その中にはこう、なんか違うなーっつって離れていっちゃった人とかってあるとか、オープンマイクなり、それを中心にしたコミュニティっていうものにね、
軸足を置きすぎてるとちょっと自分のやりたいことができないんじゃないかつって離れていってしまう人もいるっていうのが実際のところなんですよね。
というのも、そもそもオープンマイクっていうものは誰でも表現できるよとか、そういう開放性みたいなところは強く歌ってるんですけども、
そこで自分の作品を磨いていくだったりとか、成長していくみたいなところに関しては設計として組み込まれてないみたいな部分があったりとかして、
ジャズをずっとやってきたとか、ずっとバンド活動をやってるとか、お笑いで自分は頑張るんだとか、ダンス派になるんだみたいな、ある種の一つのキャリアパスの中に、
キャリアパスとしてオープンマイクを捉えるとどうしても弱い部分っていうのがあったりとかして、
前回もちょっと言ったんですけど、あくまで登竜門として初めて表現するんですとか、久しぶりに再開するんですとか、趣味でやってますみたいな人に対してはすごく相性がいいんですけれども、
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これからガンガン音楽活動をやっていきたいんですみたいな人に対しては、どうしてもそこはフォローしきれない部分があるっていうのが現状の課題なんですよね。
いろいろオープンマイクについて考えているときに、ある種批評的な空間っていうのがないっていうのがオープンマイクの特徴なのかなと思っていて、
それは裏返すと大きな課題であったり問題であったりもして、成長を促進する機能が備わっていないということにもとも言えるなと思っていて、
その辺を僕は今ちょっと考えていて、今、京都でオープンマイクのススメっていう本を書いていこうと動いているんですけれども、NPOの活動の一環として。
そこではオープンマイクっていうものが持っている可能性っていうものを書くと同時に、まだ表には表出していない潜在的な問題だったりとか、課題の解決みたいなこともちゃんと言及していきたいなってことを思っているんですよね。
下北でやっているオープンマイクには一つ根本原理みたいなのがあって、それは三つのリスペクトっていう言葉で毎回MCの人から伝えてもらっているんですけれども、
三つのリスペクトっていうのは、場所にリスペクトを持つっていうのと、他者にリスペクトを持つっていうのと、自分自身にリスペクトを持つっていうのをやってるんですよね。
これは表現をするよっていう人の安全性を確保する、心理的な安全性を確保するための前提の土台として機能しているんですけれども、
ある種、表現するとかステージに立つマイクの前で声を出したことに対する賛美というか、よくやったっていうところをちゃんと確保する空間がないと、初めてやるっていう人がそこで表現できなかったりとかするんで、
それは絶対的に土台として持っておきたいところではあるんですけれども、当然そこに何回も通っている人たちの中には、自分の演奏だったりパフォーマンスだったりとか、ネタだったりとか、お笑いの人だったりとか、スタンドアップコメディ、落語とかの人だったら、
それをかけていくことで自分が成長していくっていう手応えみたいなのを得られるかどうかっていうのがある種のインセンティブになると思っていて、そこには2つの動機付けみたいなのがあって、そこをちゃんと切り分けないと離れていっちゃう人だったりとか、
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ここでやってても意味ないなと思っちゃう人がいるっていうのは実際的な課題だと思っておりますということですね。
これはどういうことかっていうと、下北でやっているオープンマイクっていうのは、結構他のオープンマイクと明確に違うんじゃないかなって思うのが、結構ジャンル横断的なんですよね。
クラシックピアノをやる人もいれば、ジャズをやる人もいれば、弾き語りをやる人もいれば、詩を読む人もいれば、ダンスをする人もいれば、お笑いをする人もいれば、漫才もあるしね、コントもあるし、即興のコントなんていうのもあるし、落語もスタンドアップコメディもあるし、
本当に一人喋りみたいなね、メッセージを伝えるみたいなのもいろいろ本当にあるんですよね。
それがごちゃっといろいろないまぜになった時に、何だろうな、例えばお笑いの人だったりとかね、スタンドアップコメディの人だったりとかすると、ある種、何でもそうですけど、ジャズにしてもクラシックにしても、そのジャンルの人たちだけが集まる場所では、得られないリアクションっていうのがあるわけですよね。
だから、例えば何かワーッと演奏しましたっていうことに対して、クラシックピアノ初めて聞きましたっていう声が上がったりするのがオープンマイクの面白いところなんですよ。
それってある種、自分のジャンルからの越境的な手応えというかね、自分のジャンルの中で活動していただけでは届かない手応えみたいなのが漏れ出していって、スタンドアップコメディを見たことない人にはこういう感じに届くんだとかね、普段ジャズを聴かない人たちにはこういう感想があるんだみたいなね、ある種の発見みたいなのがあるとは思うんですけれども、
当然それを続けている人たちとかね、そこでキャリーを磨いていきたい人たちにとっては、本当はもしかしたら作品の中身に踏み込んでね、「いやあそこのうちどうだったなぁ?」とか、「いやあそこのネタちょっと弱いんじゃない?」とか、「あそこのジャズのコード進行の展開がどうだった?」とかね、そういう話を聞けた方がなんか実りがあると思う人もいると思うんですよね。
それはやっぱりそのある種、本当に発表したことに対するリスペクトっていうところだけを背負っているんで、今のオープンマイクには実装されていない機能っていうかね、どちらかというと、同じジャンルの人たちの中にある間で取り行われる批評活動みたいなものだったりとかね、
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フィードバックみたいなものはイベント自体の中には設計されてないんですよ。
だからお笑いの人とかだったらネタが終わった後に何か出演者とかに行って、「いやあれどうだったな?あれこうだったな?」みたいな話をしたりとかするのが見えるっていうのもね、結構面白いところだったりとかするんですけど、
それはオープンマイクをやった出演者のリストの中に同じジャンルの人が多ければ多いほど、そういうフィードバックっていうのが有効に機能するんですけれども、
ある種落語業界から飛び出して、落語をちょっとオルタナティブな新作落語を自分でやってますとかね、実験選手をもって前衛的なピアノをやってますとかね、スタンドアップコメディをやってますみたいな人がしたらね、
オープンマイクの空間に同じジャンルの人がいなかったら、そういうフィードバックが長かったりとかして、ある種、発表したはいいものの、スタンドアップコメディ初めて見ましたとかね、落語面白かったですとかね、落語初めて見ましたとかね、
そういう表層的なフィードバックに留まっちゃって、作品自体の磨き上げっていうよりは、その人がそこに参加したもの、そのものに対する賛美っていうもので終わってしまうっていう物足りなさがあるんじゃないかなっていうのは思ってるんですよね。
オープンマイクっていうのはね、こういうのを拍手文化って言うんですけれども、拍手ってね、わーすごかったよーとかね、発表してくれてありがとうとかね、演奏が終わりましたとかね、いろいろいろんなものを伝えるシグナルとして機能するんですけど、作品の内部に関しては言及しないっていう曖昧なフィードバックの形式じゃないですか。
それをね、どこまで解像度を上げて自分が持ち帰れるものを作れるかっていうのはね、運営する側だったりとか、オープンマイクっていうものそのものを考える上では、設計に組み込むべき大事な切り口なんじゃないかなっていうのは僕は最近思っていて。
なんかネタが磨かれてくるとかね、そのネタ自体が持っているメッセージ性みたいなものにある種批評的な感覚を持って接するっていうのは、なんだろうな、その人にとってはもしかしたらありがたいことかもしれないし、そういう表現物を通して自分のメッセージが伝わったっていう実感っていうのはね、やってお疲れ様っていうだけのものと、さらに真相にあるものだったりとかするんで。
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それをどう設計していくかっていうのは大事だなと思いつつ、当然その批評っていうものの中にはね、ある種の懸疑性みたいなものが立ち上がっちゃったりとかするんで、この人に評価されたからいいとかっていう風になっていくのは、ちょっとあんまり健全ではないなっていうかね、隙を下げる方向性にも動いちゃうと思うんで。
ジャンルが全然違う人の中に入り込んでいって、ジャンル外の人に届くっていう喜びと、同じジャンルの人からのフィードバックを受けて作品が磨かれていくっていうもの、どっちもっていうのを持ち込めるといいのかなと思ったりしてますね。
っていうのと、オープンマイクってどうしても場所にリスペクトを持つ、他者にリスペクトを持つ、自分にリスペクトを持つってことは言ってるんですけどね、あくまで人基準なんですよね。
これは難しい問題で、僕は現代アートの業界にいたんですけども、アーティストがどうこうっていうのはね、そんなに難しいな。
当然そのピカソが書いたみたいなものはね、ピカソの作品だって重要ではあるんですけど、その中でも何年代の作品はいいけど、この隣にあるこの作品はうんみたいなね、ちゃんと厳密に作品単位であるっていうのがね、大事なところで。
ステートメントだったりとか展覧会について書くときに関しても、要はこの人はこうこうこういうバックグラウンドで頑張ってきて、こういう追い立ちがあって作品を書いたからそれだけですごいとはならないんですよね。
ちゃんと作品の内部のメッセージだったりとか技巧だったりとか技術的だったり専門的な見方に対するフィードバックがちゃんとかからないと、この人が書いた作品は全部すごいんだっていう話になっちゃうから、そこは厳密に作品っていうものと作者っていうものを切り分けるっていう視点が大事なんですけれども、
ある意味オープンマイクっていうものの中には人っていうものと作品っていうものに対する言及っていうのがね、同時に走ると面白いんじゃないかなっていうのは思いましたね。
これもね、さらに難しい問題なんですけれども、作品と人で分けるって言ってもジャンルによって違くないかっていう話もまた別であって。
例えば、なんかスタンドアップコメディアンとかは自分の人生そのものが作品になるわけ。
まあでもネタを書くっていう立場でもありながら、自分のパーソナリティとかペルソナっていうのがね、ある種の作品性になるわけですよね。
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で、詩人とかだったら、とか小説家とかだったら、むしろ作品っていうのは独立したものとして存在していたりとかもするんで、
誰かが書いた作品に対して、いやここの書き方はこうだったよっていうのはね、割と批評として成立しやすいんですけれども、
批評っていうのもね、なかなか難しい言葉であるんですけど、
音楽だったりとかっていうのもね、音楽性がどうこうみたいなところでね、語れる切り口を持っている人がいれば、
それがちゃんとその出演者に対するフィードバックとしてね、この辺の演奏の部分はどうだったのか、僕は全然詳しく知らないですけど、
そういう気づきが得られるけれども、それがこうパーソナリティと紐づいているタイプの表現形式、
割とこう演芸とかっていうのはそうですよね、そのさっき言ったスタンドアップコメディ、落語、お笑いみたいなのは、
その人がやってこそ価値を発揮するみたいなところがあるし、
クラシックピアノとかもそうですけど、この人の演奏だから作品がこう変わったみたいなのがね、
結構作品と作者っていうか演奏者っていうのがね、
文化できないタイプの形式と文化できるタイプの形式っていうのがあるなと思ってて、
そこがね、なんかより一層、何だろう、批評っていう空間をオープンマイクの中に立ち上げるっていう上で、
批評というかね、僕は批評をやりたいわけじゃなくて、
要は、実際に演者がどうフィードバックとね、成長のインセンティブみたいなのを持ち帰れるかっていうものを、
オープンマイクの式を下げるっていうものを先にさらに設計するにはどうしたらいいかっていうことを考えるんですけども、
それはね、結構今後の課題だなぁっていうのはあるし思ったりしますね。
実際にね、本当にオープンマイクに参加してるだけじゃ全然自分成長できないとかって言って抜けちゃった人とかね、
いて、それはね、すごくオープンマイクに対する正確な認識だと思うんですよ。
自分がやりたいことがあって、ただ自分がやったことに対して賞賛してほしいわけではないっていうのはね、
自分の表現活動を磨いていきたい人からしたら、そりゃそうだと思ってて。
で、そういうオープンマイクの中に同じジャンルの人がいたらこうだこうだっていうことはできるけど、
どうしてもね、やっぱり演奏良かったですみたいなところに留まっちゃうと、
なんかその成長のエンジンっていうのはね、自分で孤独に向き合っていくしかないっていうのはね、
あるなぁと思ってて、それ自体は、僕は表現や創物作活動っていうのはそういうもんでもあるとは思いつつ、
なんかそこが何か成長のきっかけになるっていうところまで設計できたら、
オープンマイクはね、本当にどんどんどんどん、なんだろうな、
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人から向けていくんだろうなっていう気はしていますね。
ただなんかね、現状のなんか構造的なジレンマとしてね、
ある種、拍手だけでは表現しきれないフィードバックをどう設計するかっていうところと、
ジャンルを横断して届いたっていうものを、
身体的なね、拍手が届いたっていうものと、
そのさらに先にある専門的なフィードバックを同時に受けれるっていう設計をどうするかっていう部分だったりとかっていうのはね、
大事だなぁと何回も繰り返し言うようですけども、思っておりましてね。
現状はね、オープンマイクに来る人の中でも、なかなかまだ定着っていうとあれですけど、
手応えが難しいのかなーって思いやすいジャンルっていうのがいくつかあって、
それはこう、例えばラッパーとかね、ヒップホップやっててラッパーやってますみたいなのは、
昔だったら、なんだろう、本当にその辺でサイファーやったりとかね、
本当にその良さを知ってる人間、その読解がちゃんとできる人間っていうのが集まってて、
これああだったな、こうだったなってことは言える文化だったと思うんですけど、
それがもう文化的なインフラとして発展していくと、
大きい資本がついて、コンペティションが生まれるじゃないですか。
なんかラップスター誕生みたいなのとか、フリースタイルダンジョンみたいなのが生まれたりとかね、
お笑いで言うとM-1グランプリができましたとか、キングオブコンタができましたとか、
ダンサーで言うとDリーグが始まりましたみたいなのがあったりとかすると、
割とそういう目指すべき目標とね、これを攻略すると自分のキャリアパスが開くっていうのが明確にあればある、
あるジャンルであればあるほど、オープンマイクとの相性っていうのがね、
難しくなってくっていうのはね、実質的な、実際的な問題ということでもないんですけれども、
構造ではありましてね。
だからむしろ、まだ未文化な表現だったりとか、ジャンルを横断したコラボレーションで、
批評的な文明化は育ってないけども、実験を許容できれば、みたいなのとしてはオープンマイクがすごく機能するし、
もう本当に自分の作品が評価されたりとかされたくないとかじゃないとかっていうね、
初めてやってみましたとかね、趣味でやってますっていう人にはすごく開かれていって、
オープンマイクっていうね、いろんな文献をリサーチしてもね、
そういう開放、オープンであるってことに対しての言及はね、たくさんされてるんですけどね、
その後の発展性っていうものにはね、どうしても紐付いていかない。
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それがこう、文化的なインフラとしてのオープンマイクを作るっていう上でのまだ弱みだと思ってるんでね、
その辺を探求したいなと思っているんですけれども、
この辺はね、ちょっとある種、ある種?違うな。
この辺は自分の中ではリサーチ課題なんでね、
考えてね、実践と思想みたいなものを通じてね、
文章にしていけたらなと思ってるんですけど、
その最初の覚書的なノリでね、
今こういうことを考えてますよっていうのを喋ってみましたって感じですね。
一旦こんな感じかな。ありがとうございました。