1. マーライオンのにやにやRadio
  2. #129 前編 ゲスト:三浦康嗣 (..
2021-02-18 1:13:36

#129 前編 ゲスト:三浦康嗣 (口ロロ)

三浦さんとの出会い、いつかどこかで、合唱曲スカイツリーの秘話、音楽制作の話を中心に話を伺いました!マーライオンが学生時代、たくさん聴いて思ったことを三浦さんに質問しています。ぜひ聴いてみてください。
00:08
こんばんは、シンガーソングライターのマーライオンです。本日のマーライオンのにやにやRadio、ゲストは口ロロの三浦康嗣)さんです。
こんばんは。こんばんは。どうも。お久しぶりです。お久しぶりです、みなさん。はい。
いやー、ちょっと嬉しいです。出てくださって、本当に。いや、なんかね、こうやって始まったばかりだけど、ここにたどり着く前に
はい。40分くらいこう。そうですね、はい。
まあね、撮り方だよね。そうですね。その、このポッドキャストの撮り方。はい。
はい。ズームを使ったり、ズームじゃないのを試してみたり。はい。
あの、なんかマイクの入力とか、ね、そっちのマーライオンの出力が生きてないとか、いろいろ。はい。
お互いこう、あーじゃん、あーでもね、こうでもねって言って。
いやー、あのー。散々やって。教えていただきました。本当に助かりました。もう僕機械が点でダメなんで。
いや、俺もダメだけど、俺って慣れですよ、これ。あ、慣れなんですか。
料理と似てるよね。料理苦手っていう人多いけど、あれも慣れだからやってるうちに、あの、なんとなく、なんか分かってくるっていうか、大体こうしたらこうだなみたいな。
こうすると痛めすぎなんだなとか、大体分かってくるんですけど。さじ加減がどうですね。
だから、あんにやっぱ、やりたくないっていうのが一番、知りたくない、めんどくせえっていうか。
はいはいはい、まあめんどくさい。あー、勝ってたかもしれないですね、今まで。
めんどくさいよねー、めんどくさいけどなんか、ご時世的には音楽作る人同士じゃないですか、我々。はい、そうですね。
音楽作る人同士というか、音楽作る人は割とこう、パソコンって避けて通れないとかあるじゃないですか。ありますねー。
そう、まさに、俺もそう、すごい苦手だったんですよ、パソコン。でも、例えば、こう、制作途中で、なんかパソコンが動かないとか、ソフトが立ち上がらないっていう、昔はもっとよくあったんですよね、古いMacの時に。
そうなんですね、はい。で、原因が何かっていうのをすごい調べるために、こう、でっかいMac Proみたいなやつの中を開けて、
なんか中のCPUの基板ちょっと外してみたりとか、CPUってなんだって話だと思うけど、そこは詳しくないと。
なんかいろんな、なんかメカがごちゃごちゃしてるんですよ。で、開けれるんですよ。
そうなんですね、はい。
で、一途通りこう、触ってみて、試してみて、あ、ここがダメなんだみたいなのをやったりすることにより、結果詳しくなったんで。
いや、三浦さんはなんかいろいろいじられて、なんかすごいお詳しいっていうイメージがありますね、僕は。
03:04
いやでも、詳しくないんですよ、ほんとに。だから、インターネットのこととか全然わかってないし、
音楽作るところに関するパソコンの部分だけちょっと詳しいってだけで。
はいはい。
まあまあそう、だから全然マーライオンが詳しくないわけじゃないですか。
いやそうですね、詳しくないですね、僕は、はい。
そう。でもそれはそれで全然いいんですけどね、その、なんだろうね、この、そうも言ってられないご時世だなっていう。
そうなんですよ、今まではギターで曲作ってなんとかなってたところが、全然なんとかならなくなってきたなっていうのがありまして。
そっか。
そうなんですよ。
バンドとかでやるんだったら別に、まあデモとかiPhoneで録音しといてみたいなね。
そうですね、はい。
だし、なんか、なんだろう、ソフトによっては勝手にドラムつけてくれたりするしね、今。
そうですね、今、はい。ロジックとかもありますし、はい。
あるがしかし、こう、このご時世、このご時世っていうのはもうほんとここ1年ぐらいということでね。
そうですね、ほんとにそうですね。
あんまりこう、人と同じ場で演奏したりっていうのがしづらいから、
はい。
一人で、こう、かんぱけ、かんぱけっていうか最後まで作曲を作らねばならないことが増えたみたいな。
いやまさにそうですね、それこそあの、今プレイリスト文化になって、
うん。
アルバムっていうよりはなんか1曲1曲のことが増えてきたっていうのもあって、
うん。
ミックスとか、やっぱりこう、家でかんぱけさせるみたいなのがやっぱり主流になってきてるので、
うん。
なんかその、自分がこう時代と逆行してるなと感じながら、でもそろそろちゃんとやんないとと思って、
去年。
なるほどね。
はい、揃えて。
うん。
まあそれこそミューラーさんを、ミューラーさんにちょっとメールして、よかったら出ていただけないですかって話したのも、
はい。
その、ミューラーさんと初めてお会いしたのが、
はい。
くちろのその、ミューラーさんのワークショップに僕が学生の時ですね、20歳ぐらいの時に参加したのがきっかけで、
うん。
まあその、まあそれこそ面識を持つというかなんていうか、知り合いになったんですけど、
その時になんかその、僕がすごい機材とか全然できないと、なんかその同世代のミューシャンに、
なんかこう置いていかれてるような気がするみたいな、この19、20歳の時に悩み相談をちょっと歩きながらしたんですよ、ミューラーさんに。
で、
うん。
その時になんかミューラーさんが、そのまあライオン直感的な機材は向いてるだろうから、
MPC買った方がいいよっていうのをおっしゃっていただいて、
全然覚えてないんだけどね、その、その時のことがね。
はい。
で、僕その後ずっと、それが心にずっと引っかかってたんですよ。
はい。
MPCを買わないといけないっていう。
うん。
で、その後なんか僕ラップのアルバムとかディスクニューで出したりもするんですけど、
その時もトラックメーカーが別にいて、3人で一緒に作ってたんですけど、
うん。
なんか、いつかは自分でもちゃんと作りたいなと思ってて、
うん。
06:00
で、先日ようやく機材を手に入れて、
うん。
これちょっと、案の定やっぱりこう触りやすくて、自分の直感的に触れるのが。
なんで、もう三浦さんのおかげだと思って、
ちょっとお礼のメールをしたっていう。
あー。
そうなんですよね。
そっかー。
そうなんです。
使いやすかったんだね、本当にMPCが。
いやー、そうですねー。
なんでもっと早くにって、そうですね、ちょっと思いましたけど、
まあ、高い機材なんで。
はい。
うん。
今のタイミングで。
そうね。
いくらするんだっけか。
今やっぱ10万ぐらいは平均しちゃいましたけど、
ものによっては多分20万とかするものもありますね。
そっかー。そんなにするんだね、MPC。
そうなんですよね。
やっぱりシンガーソングライターなんでやっぱりギターとか、
そっちにやっぱ目が行ってたんですけど、
これまで。
あー。
ギターも、なんかエレキとかも、アコースティックギターも今はあるので、
ちょっとちゃんと別の機材もやってみようかなっていうので、
ちょっと始めてみました。
なるほど。せいぜい言ってマイクとかだよね。
あーそうですね。
シンガーソングライターとか。
そうですね、はい、そうですね。
ちょっと家でも、まあ、あの本ちゃんクオリティにも使えなくもない。
はい。
結構デモがね、雰囲気良かったりもするからね。
そうですね、そうなんですよ。
デモを越えられない時とかやっぱあって。
うん。
ありますね。
そういう意味で、もうできるだけデモはいい音量でね。
はい。
いい音量で、いい音質で撮れたらいいよねっていうね。
常に本ちゃんでいけるようにしたいなと思って。
うん。大事大事。
いやー本当にもう、ミュラさんのおかげで機材の意識とかもやっぱり19、20歳の出会った時に、
すごい、やっぱこう、考えさせられたっていうか、
ちゃんとしなきゃっていうのをやっぱ思いましたし。
ほんと?そんな機材のこと話したっけ?
いや、しましたね、はい。
へー。
しましたし、なんか僕が悩んで、結構悔くはその時悩んでて、
今思えば僕、今の僕から見たらもうほんとそんなことで悔くよくはすんないと思うんですけど、
結構その時はすごい重大な悩みで、僕にとっては。
うん。
ミュラさんがすごい明るく吹き飛ばしてくださったっていう記憶がありますね。
へー、そんな。
はい。
機材のことで悩んでたってこと?
機材とかそういうなんか音楽の作り方とかの悩みですね。どうしていいかわかんないみたいな。
へー。
あったんですよ。
なんだろう。え、例えば?
なんかその、撮り方とかもそうですね。ミュラさんすごくワークショップの音をサンプリングして作ったりもするじゃないですか、
すごく僕、いつかどこかで聞きながら衝撃受けて、僕レコファンっていう、もうなくなっちゃった、なくなってないから前点は、
レコファンってアルバイト先、学生の時に働いてて、
え、何店?
えっと僕横浜店で働いてました。
あー、横浜。
一回、大学生ぐらいの時に一回行ったことあるかないかぐらいだけど、
はい。
そっか、今はもうないのね。
今はないんですよ、横浜店なくなっちゃったんですけど、そこで働いた時に、
09:00
もう初めて休憩時間も音楽聴きたいって思ったのがクチロロのあのいつか、どこかで。
どこかで。
はい。
へー。
で、もうずっと聴いてましたね。スカイツリーもそうですけど、はい、そうですね、すごい好きで、衝撃を受けましたよ、僕本当に。
なるほど。
はい。で、当時その、僕その、高校生活が終わる直前に、なんか高校生割引を味わおうと思って、
ゴタンダダンっていう演劇の舞台を見に行くんですけど、そこからなんかその、演劇に見に行くのがハマって趣味になって、
そっから我が星とか見に行ったりとか、あったので、
すごいもう、自分が18から22ぐらいまでの時に、すごい影響を受けたんですよ、クチロロの音楽に。
へー。
今も受けてますけど、はい。
いやいやいや、別にその辺は自由なんですけど、そっか、だからその、
なるほどって言ったのはその時系列としては、
はい。
2人のね、出会いは、えっと、FT東京っていう池袋でその開催される、その世界中からこう、
アーティスト、舞台パフォーマンスだね、主にね。
はい、そうですね。
ダンスや演劇やインスタレーションみたいなね、
はい。
そういう大きなフェス、FTフェスティバル東京っていう。
それで、フラッシュモブを、
はい。
俺が一個その、監修する。
はい。
そのフラッシュモブは一般参加者、一般応募の参加者、参加したい参加者たちを集めて何かフラッシュモブ的な作品を作るっていうやつだよね。
はい、そうですね。
そうですね。
それが、だから確か、えっと2013年とかなのかな。
そうですね、2013年ぐらいですね、2012年とか。
の秋だよね。
はい、そうですね。
13年なのかね、13な気がする。
13ですね、13だと思います。
13だよね。
はい。
なぜなら俺、2014から引っ越してるから、引っ越す前だった気がする。
ああ、なるほど。それは分かりやすいっすね。
13年だと思います、そしたら。
そうだよね。
はい。
だから2013年で、レコファンで聴いてくれてたっていう、いつかどこかでとか、
はい。
結局スカイツリーとかが入ったマンパワーってアルバムは2011年になる。
そうですね。
あ、違う、2012年。
2012だと思います。
はい、12ですね。
はい。
だからそこの1年半後、たぶんぐらいなんだよね。
リリースされたのが、マンパワーが。
2012年のたぶん2月だか3月だと思うんですよ。
はい、そうです。
はい。
なのでそこの1年半後の秋だよね。
そうです。
っていう時系列になってたのね。
はい。
で、その間にゴタンダダンとか見に行ったりとか。
そうですね、見に行ったり。
売買とか、いろんなのを見るようになって。
そうだよね。だからその一般的な、
例えばさ、口ロロの音楽が好きとか、
三浦孝司が、
12:00
あ、そう、自己紹介してないけど、口ロロっていうグループをやってる三浦孝司っていうものなんですけど、
このタイミングで。
はい。
いわゆるワークショップってさ、
普通にさ、ライブハウスやクラブ行きますみたいな音楽好きな人ってさ、
全然馴染みがない概念だと思うのよね。
はい。
何ワークショップっていう。
だからその、例えば口ロロの音楽が好きで三浦孝司が、
FT東京でワークショップをやりますっていう情報は多分届かないはずなんだよね。
はい。
まあまあ俺がツイッターとかでね、その拡散性はそこからは知れるけど、
普通にあんまでも、知ったとしてもワークショップって何?って想像つかなすぎるから何するの?みたいなさ。
はい。
だからその、ワークショップにえいって飛び込んでくれたっていうか、
そのマライオンが参加してくれたのは、
はい。
その、なんだろ、五反田団とかその演劇を見に行ってたりしたから、
ワークショップって概念が割とこう、
あ、そうですそうです。
メッキーなものじゃなかったっていうところが大きいんだろうなと思って。
そうなんです。で、その間に、そのロロってあの劇団のワークショップで、
僕俳優のワークショップもやってて、
割とワークショップ行くのが、自分の中でマイブームみたいになってる時だったんですよ。
学生の時に。
うんうん。
それも大きかったですね。で、結構すんなりと申し込みできましたね。
たまーにそういうマイライオンみたいな変わった人がいるんだよね。
あのー、
はいはい。
ワークショップとかやってて、
全然やっぱほぼ、まあ俺が関わるようなワークショップは基本ダンスとかじゃなくて演劇寄りのワークショップだから、
はい。
あのー、演劇、まあ音楽を使った演劇的要素のあるワークショップってことなんだけど、
はい。
やっぱ来る人はほとんどがこう、演劇業界というかその演劇をやってる人。
あーそうなんです、はい。
役者さんとかスタッフさん。
はいはい。
僕たまに役者とかもやりつつ音楽活動もしてますみたいな人、たまーにいるんだけど。
あーなるほど、たまーに、はい。
例えば三重の、
はい。
えっと、そのこそいつかどこかでって曲が、
はい。
できたきっかけになったのもワークショップっていうのは多分知ってると思うんだけど、
はい。
三重のえっと、おじさんの参加者で、
はい。
なんだっけな、名前忘れちゃったんだけど、
はい。
えっといつかどこかでね、「おやすみ!」とか、
あーはい。
もうめちゃ面白かったです。
で、街の子どもたち、
はい。
街の魚たちみたいな、
はい。
ちょっと歌っぽいおじさんいるじゃないですか。
はい、います。
あの人は三重の、何歳ぐらい?40代かな?
はい。
40代ぐらいの当時ね、
はい。
で、歌手、その、多分ギター弾き語りで、
はい。
歌手もやってて、
へー。
なんかそういう、
はい。
ワークショップ、演劇的なのもなんか知ってて、
ワークショップ参加しました、みたいなおじさんだったんだけど、
はい。
たまーにいるんだけど、
まあライオンも割と、
同じですね。
そんなだってさ、
はい。
形そこそこのさ、
はい。
シンガーソングライターの子がさ、
15:00
はい。
あの、そんなワークショップにバンバン飛び込まないだろうから、
結構、
はい。
その、だから参加してたワークショップでも、
結構目立ってたんじゃないかなっていうか、
そう。
気がするんだけど、まあライオンはね。
どうなんですかね。
まあ、ロロではなんか、
男性がいなくて、
うん。
主演のやつやってましたね。
へー。
うん。
はい。
あー、なるほどね。
三浦直樹さん。
全然演技経験もないのにね。
そうなんですよ。
光栄なことなんですけど、
本当にありがたかったですね。
貴重な、
そっかー。
経験をさせてもらいました。
今となっては。
だから、
ロロ、
口ロロとね、
よく名前を間違えられやすいロロですが、
はい、
そうですね。
四角が三つか二つかの違いだからね。
そうですね。
はい。
はい。
ロロのね、
はい。
ロロの、
えーと、
なんつーか、
作、演出家の、
はい。
またこれもややこしいんですけど、
いや、そうです。
同じ、
口ロロの三浦孝司とロロの作演出家三浦くんが、
はい。
組んで、
ロロの役者がたくさん出演した、
はい。
トミオとジュリエットの子供たち。
はい。
たぶん2014か、
そうですね、その後ね。
14かなあれ。
そうですね、15年とかじゃないですか。
15か。
14年、15年ぐらい。
2015年ぐらいに、
はい。
まあなんか、
あの、
劇場のその演劇作品としてね、
はい。
やってたっていう、
いろんなそういう繋がりはあるわけですけど、
そうなんですよ。
僕からするとすごいグッときてました。
わーみたいな。
自分が行ったワークショップ、
唯一二つだけなんですよ、その、
二つだけなんですけど、
うん。
繋がったみたいな、
点と点が繋がったっていうのが、
嬉しかったですね。
ねえ。
っていうね、
っていうのを繋がったって思える、
稀有な人なんでね、
だからマヤライオンは。
いやいや、そんなもう、
いや嬉しいですけどね、なんか。
はい。
かなり珍しいと思うよ。
あ、ほんとですか。
結構その、
はい。
なんか成り立ちっつうかその、
はい。
そのヒストリーは。
うん。
そうですね。
面白いです。
いやでもほんと一位、
すごいなんかやっぱり、
ファンとして、
嬉しいですね、やっぱほんと。
なんかこう、
うん。
そうですね、
それこそ、
ようやく最近僕も、
なんか、
作品とか出せるようになって、
うん。
お話ししたいなとか、
それこそあの、
お、
お会いした頃、
ギリギリまだ未成年とかだったんで、
ほうほう。
飲み会、
なんか飲み会誘ってくださってたじゃないですか、
三浦さん。
結構その、
参加してくださった方に。
なんか、
そのワークショップの時、
毎回飲み会、
すごい人数で飲み会してたよね。
いってましたよ。
そうですね。
で、
僕その飲み会の文化が、
まだ二十歳いってかいってないかぐらいで、
分からなくて、
うん。
なんか行かなかったんですよね。
なんかちょっと怖いなーみたいになっちゃって。
うん。
で、お酒も確かに弱かったのかな。
多分二十歳すぎたぐらいだと思うんですけど。
それ回って、
うん。
なんかそこがすごい悔やんでて、
あとなんか、
実家が当時まだ横浜で、
うん。
一人暮らししてなかったんで、
今みたいに。
なんか、
うんうんうん。
終電も今日早くて、
泣く泣く帰るとかがあって。
あーはい。
すごい。
そっか、実家が横浜方面なのか。
そうなんですよ、はい。
神奈川の、
それでレコファン、
あ、そうです。
そうなんですそうなんです。
なるほど。
そうなんです。
えー、そうか。
18:01
あ、なのでね、
その飲み会とかは参加せず、
そんなにだからこう、
めっちゃ話したりとか。
そうなんです。
話したかったんですけどね、本当は。
まだわちゃわちゃしてたから、
なんか落ち着いて話すみたいな感じは全然なかった。
もう本当に宴みたいな感じだったから。
いや本当そうでしたね。
そんな雰囲気でした。
なんか、むしろその、
はい。
サブマリンっていうね、
はいはい。
沖縄出身のラップグループの、
はい。
2人組の片割れで、
はい。
けんちゃんっていう仲良い友達がいるんだけど、
はい。
そいつは、
その、
勤めてる会社が池袋にあるから、
はい。
その、
まあ、そのね、
はい。
いつも池袋あったじゃん、その。
あ、そうですね、はい。
場所が、
そうですね、
うん。
場所が。
場所が。
もう全然ワークショップ全く参加してないし、
その、
ワークショップから派生した作品を全く一度も見たことないけど、
はい。
飲み会だけは毎回来るっていうね、
ははは。
けんちゃんがいたりとか。
そうだったんですね。
なるほど。
そうそう。
だから飲み会参加してない人は誰か分かんないけど、
はい。
飲み会参加してるワークショップの人たちは、
けんちゃんけんちゃんっていう、
はいはい。
マスコットキャラみたいになってて、
はいはい。
あ、そう。
よく分かんないなあ、これって思いながら。
ははは。
まあ、よく分かんないのが好きだから、
けんちゃん誘ってんのも俺なんですけど、
はい。
ははは。
はいはい。
みたいな。
まあ、なんかもうあちゃあちゃしてますね。
はい。
いやでも楽しかったですね。
あの、
はい。
あー。
良かったそれは。
なんかね、
まあ不思議な、
結局、
はい。
えーと、
応募者だけで70人くらいいたのかなあ。
いましたね。
7、80、もっといた。
あ、そうですよね。
7、80人くらいいましたね。
はい。
そういうぐらいだったと思います。
いたの、だよね。
はい。
で、こう、
最初の、
3回ね、
はい。
そのワークショップやって、
はい。
3回のワークショップで作品みたいなもの、
はい。
フラッシュモブの作品を作り上げて、
はい。
で、
えーと、
1ヶ月ぐらいの毎週末土日に、
はい。
いろんな場所で、
そのフラッシュモブの作品をやる、
みたいなことだったじゃないですか。
そうですね。
はい。
そうでした。
で、
こう、
最初の、
ワークショップの回で、
その、
まあ1時間だか2時間だか、
もう1時間あったのかな。
そうですね。
はい。
ありました。
その回、
その最初の第1回、
俺全員のあだ名をみんなで考えるっていうのだけに費やして、
はい。
やってましたね。
それで、
やってました。
はい。
で、
来た人がグッと減ったっていうね、
ダメだ、
これって思ったんでしょうね、
きっと。
このオファークショップダメだって。
減ってたんですか。
このチームダメだって。
あー、
そうだったんですね。
だいぶ減った気がするよ。
あー、
そうでしたか。
だいぶって言っても、
まあ10人ぐらい減ったような、
えー。
あんま覚えてないけど、
あー、
そうだったんですね。
減ったなー、
みたいな。
はいはいはい。
そうそう。
まあ減るよなって思って、
こんなだって、
はいはいはい。
ずっとさ、
ふざけた感じでさ、
言ってみたらさ、
あー。
まあ中にはってことですよね。
あー。
はい。
まあふざけてるなって、
自分でも思うから、
いいんだけど。
ふふふ。
いやでも僕はもう、
あ、
すごいこういうのも、
サンプリングされるのかなーと、
思いながら見てましたよ。
全然?
全然。
ただ、
俺が面白いし、
21:00
興味あるから、
どんな人たちなんだろうなって。
はいはいはい。
面白かったよ、
だって、
しゃもじダンスするおじいさんとか、
いたもんね。
あー、
いましたね。
すごい覚えてるな、
それ。
で、
しゃもじさんってあだ名だったじゃん、
あの人。
そうですね、はい。
で、
しゃもじさんは、
なんか、
何グループか作ったんだよね、
なんか。
作りました、
はい。
チーム分けして、
各々がこう、
ストリートミュージシャン、
やってんだけど、
はい。
なんか、
あるタイミングで、
時報が流れ出すと急に、
それぞれバラバラに演奏してた人たちが、
はい。
その、
ね、
時報に合わせて、
なんか、
そうですね、はい。
1曲を演奏するみたいな、
そんな、
そうそう、
フラッシュモブだったんだけど、
はい。
それぞれの、
だから、
バンドというかね、
その、
グループごとに、
音楽グループごとに、
まあ、
一応リーダーがいたんだと思うんだけど、
はい。
主軸になる人というかね、
はい。
あの、
しゃもじチーム作ったもんね、
じゃあ、
しゃもじさん、
しゃもじダンスしててくださいね。
はい。
言ってましたね。
こんなストリート、
はい。
ね、
はい。
で、
何人かしゃもじチームの、
ね、
出ましたね。
うん。
カオスで良かったですね。
カオスで良かったですね。
僕はやっぱ、
あれぐらいカオスなの、
あんまりその後、
見てないですね。
あの、
すごい良かったですね。
そうなんですね。
参加できて僕は、
楽しかったです。
ほんと、
そう言っていただけて、
嬉しいけど、
はい。
うん。
やっぱ、
カオスなのが好きなんだよね、
人が集まると。
あんまりコントロールしたくないし、
うん。
収集つかなくてもいいじゃん、
みたいな。
はいはいはい。
うん。
面白いね。
あの、
あと、
グロッケンコとね、
ぬかたくんとかもいたもんね。
ああ、
そうですね、
はい。
ぬとみっくのぬかたくんもいました。
そう。
はい。
彼もね、
演劇的なのもすごく、
はい。
演劇の音楽とかもやってて、
そうですね。
自分で演劇作ったりね。
そうですね、
あの後ぐらいからですよ。
そうそうそう、
ぬかたくんも、
僕と同じで、
ロロのワークショップにもいて、
そこで仲良くなってるんですよ。
うーん。
なるほどー。
で、
その、
三浦さんのその、
ワークショップで、
うん。
再開したのと同時に、
うん。
ぬかたくんのバンドで、
僕、
ゲストボーカルやるので、
なんか、
結構本当に、
三浦さんのおかげで、
その後の、
なんか、
バンドメンバーが見つかったりとか、
ものすごい、
発展する時期でしたね、
僕にとって。
まあ、
俺のおかげっていうか、
はい。
完全にその、
まあ、
ライオンのその、
はい。
コミュ力だと思うんですけどね、
その場における。
ああ、
その場における、
はい。
うん、
そういう真っ直ぐな、
人間性だと思いますけど、
はい、
ありがとうございます、はい。
全然、
俺のおかげでも何でもないですよ、
その、
それはでも、
そうだね、
ぬかたくんとか、
そのね、
その後も、
面白い音楽、
そうですね、
バレバレやってます。
活動してるし、
はい。
ねえ、
東京塩麹ってやつとかやってます?
はい、
やってますね、
はい、
やってますやってます。
だってその後、
ぬかたくんのイベントで、
24:00
はい。
対バンみたいな、
出演したもんだって俺も。
いろいろ、
なんか、
頑張ってて、
はい。
頑張っててっていうかその、
いろんな人がいて、
ねえ、
面白いなあっていう、
はい。
それにとってもいろんな出会いがあった、
ワークショップであったので、
いやあ、
なんか、
嬉しいですよ。
当時高校生だってMTBとかね、
はいはいはい。
あ、
そうそう。
はいはいはい。
めっちゃ歌うまかったよね。
そうですね、
うまかったっすね。
うん、
どんな、
だからMTBみたいな高校生の子から、
うん。
ほんと、
おじいさんのしゃもじさんみたいな人まで、
いろいろいて、
そうですね、
年齢層幅広がってですね。
ねえ、
うーん。
そう、
いわゆるそういう老若男女みたいなの、
上がるんだよね、
俺は。
ははは。
いや、
なんかいろんな人いるなあっていう。
まあそうですね。
やっぱさあ、
はい。
お客さんね、
なかなかさあ、
そこまでのさあ、
はい。
幅の人いなくない?
自分のライブのさあ、
いや、
いないですよ。
でしょ?
なかなかいないですね、
はい。
俺もやっぱそうだからさあ、
はい。
なんか、
はい。
しかも、
めっちゃヤンキーみたいな人全然いないしさあ、
はいはい。
自分のライブに来る人で、
はいはい。
ってことは、
かなり偏ってるなあっていう、
うーん。
普通に考えてそうじゃない?
まあそうですね、
はい。
あたかもそれがなんか、
ねえ、
世界のすべてのような気がしちゃうけど、
そうですね、
実はそうじゃない部分もありますからね。
全然そうじゃないっていうかさあ、
はい。
そういう意味で、
やっぱ楽しいんだよね、
そういう、
はい。
おじいさんから、
高校生も、
しかも俺のこと、
全然興味がないからさあ、
はいはい。
なんか応募してるから参加してみようみたいなさあ、
そうですね、
そういう方もいましたよね。
なんかワークショップっていうのに、
ワークショップだから応募したみたいな方もいましたね。
そう。
で、
4つ、
ワークショップっていうかその、
はい。
そのフラッシュモブのワークショップがあったじゃないですか、
4つ。
ありました、
はい。
その中で、
残りの3つは当たり前だけど、
ダンスなんですよ。
はいはい。
俺だけ音楽を使ったフラッシュモブだったから、
そういう意味で、
まあダンスよく分かんないけど、
音楽ならなんかいいのかもみたいな、
踊って多分あの、
あー。
俺の、
はい。
そう。
俺のチームに来たんですよ。
はい。
まあちょっとこう逃げ道じゃないですけど、
こう、
ここだったらみたいな、
うん。
そう、
踊るのはちょっとみたいな人がね、
はい。
そうですね。
で、
そもそもでも音の、
フラッシュモブって何ぞやみたいなね、
はいはいはい。
とこも、
あり、
あったとは思うんだけど、
まあよく分かんないけど、
なんか参加してみたい、
で、
ダンスはちょっとみたいな人がね、
はい。
で、
そもそもでも音の、
フラッシュモブって何ぞやみたいな人がね、
はい。
で、
ダンスはちょっとみたいな人がまあ、
はい。
で、
の、
受け皿になってたんだと思う。
はい。
俺のチームは。
いやー、
でもよかったっすね。
なんかいや、
すごいなんか、
あんなに、
雑多な感じというか、
なかなか出ないんで。
ねー。
うん、
面白かったっすねー。
でもやっぱりその、
マレオンが好きって言ってくれてたその、
はい。
いつかどこかでもその全国、
はい。
4カ所かな?
えーと、
三重と、
北九州、
はい。
三島と、
あと横浜か。
はい。
4カ所で、
三重、北九州、岩木、横浜あって、
はい。
ラップしてんだけど、
歌詞、
はい、
ありますね。
27:00
これが、
はい。
そうそうそう。
その4カ所を回って、
そのワークショップの参加者たち、
はい。
その我が星っていうね、
そのツアーの、
はい。
一環でね、
そのいろんなとこ、
そういうとこで公演してたから、
えーと、
そこで、
一般の参加者たちの、
うん。
まあ、
ラップ的なものを作らせて、
はい。
それを、
録音して、
みたいな。
それを編集したのが、
いつかどこかでって曲なんだ。
まあ、
知ってると思うけど、
はい。
一応、
一応なんとなくリスナーの人を置いて、
けぼりにしないようにっていうか、
ありがとうございます。
説明しつつなんだけどさっきから、
はい。
あの、
それとかもやっぱいろんな、
さっき言ったその、
シンガーソングライターのおじさんだったりとか、
はい。
結構な年齢のおばさんとかね、
高校生も、
まあ、
岩木とか高校生しかいなかったし、
あー、
まあ演劇盛んな、
でもね、
その、
地域の演劇やってる高校生たち、
4、
4校ぐらいの高校の、
はい。
高校生たちを、
はい。
全員集めて、
震災、
割と直後だったから、
はい。
あんまりいろいろ動けないっていうのもあり、
へー。
この、
この機会に、
みたいなとこで、
はい。
集まって、
それは俺ね、
その時はね、
結局70人、
100人、
はい。
どれぐらいっけな、
忘れちゃったけど、
めちゃくちゃいます。
100人から70人ぐらいの、
はい。
演劇やってる、
はい。
そう、
高校生たちが、
はい。
もうね、
すげー。
高校生だから、
若さがすごいから、
はい。
もうめちゃ元気なんだけど、
はい。
なんかチーム分けして、
ラップバトルみたいな、
4チーム対抗チーム、
ラップバトルみたいなことしようみたいな、
はいはいはいはい。
で、
優勝したチームは、
はい。
それだけ、
その、
個別のラップを録音するみたいな、
へー。
全員のラップ撮れないからさ、
さすがに。
あー、
まあそうですね、
はいはいはい。
チーム、
なんだっけ、
海がないとか、
あー、
ありますあります。
わーってとこ。
海が、
はい。
でもチーム名なのよね。
あ、そうなんすね。
海がないってチームと、
へー、はいはいはい。
えーとね、
そう、
誰だ、
なんかね、
はい。
いろいろ4チームあったのよ。
で、
あの、
大勢の感じで戦わせて、
はい。
戦うっていうか、
まあ、
エールの交換みたいなもんだけどね、
はいはいはい。
そんな、
かわいらしいもん。
あの、
やってて、
はい。
で、
そう、
それぞれ、
そうだ、
我が星の役者さんたち、
はい。
8人いるから、
はい。
それぞれ2人、
2人を、
男4、
女4だったから、
はい。
我が星の役者さんが、
男女ペア組ませて、
それぞれのチームの、
はい。
なんかチューターみたいな、
予備校でいう、
へー、はいはいはい。
感じでこう、
俺が全部見れないからさ、
ラップの書き方とか、
あ、そうか。
こういうフォーメーションで、
はい。
その役者さんたちに、
はいはいはい。
へー。
役者さんたちも、
その自分のチーム勝たせたいじゃん。
あ、そうですね。
本気で、
そうですよね。
そうそう、
みたいな感じだから、
全員参加みたいな感じでね、
すごい楽しかったんだよね。
めっちゃ面白そうですね。
ねえ。
で、
それをユーストで配信するみたいな、
ラップバトルのあれを。
あ、そうだったんですよ。
ユーストリームって当時あったよね。
ありましたありました。
30:00
まあ、
YouTubeのライブ配信みたいなもんだけどね、
はい。
今でいう。
そう、
へー。
っていうのをやってて、
それを撮って、
でもまあ、
全員でその歌の部分、
はい。
おやすみーとかその、
はい。
本屋とかは、
あの、
全員で歌ってるのを撮ってんだけどね。
撮ってる。
へー、はいはいはい。
だからその、
おやすみーほんのちょっとだけ眠らせて、
はい。
常磐線いわき初コミオ会来ていう。
はいはいはい。
はいはいはい。
結局ソロで使って、
その、
ある程度の尺で、
はい。
ソロでラップっぽいので使ったの、
その子だけなんだけど、
あ、そうなんですね。
それそれ、
あの、
あれって色々言葉をさ、
細かくチョップして、
はい。
組み合わせてるじゃん。
そうしてますね。
はい。
たぶんエビフライとか言ってる子とか、
はい。
やばいやばい、
あ、はいはいはい。
寝過ごしたみたいな子とか、
はい。
その辺はだいたいいわきの高校生だね。
ああいう可愛らしいやつ。
そうなんですね。
へー。
そう。
おばあちゃんのハンバーグエビフライとかね、
そういうのは。
そうだねー、確か。
カップ麺も、
はい。
どっちか、
あ、カップ麺違う。
どっちもおっさんだったな。
ごめんごめん。
まあまあとにかくね、
へー、はいはい。
ほんとになんかね、
写真じゃないけど、
なんかそういう、
あの我が星ツアーのワークショップの、
あの旅の思い出のアルバムみたいな曲なのであれ。
だから聞くとなんとなく、
あ、この子、
こんな感じの子だったなって思い出す子もいる。
へー、あ、そうなんですねみなさんとって。
へー。
ソロで歌ってる子はだいたいほとんど覚えてるの。
子っていうか俺より年上もいるけど。
はい。
えー。
めちゃくちゃ貴重な話ですねこれは。
そう。
俺が圧倒的に、
俺しか全部を知らないと思うよ、
あの曲の。
しばくん、
あの、
我が星のアネサック演出のしばくんと俺しか、
どういう人たちがどういう感じで、
どうなってあれできたのか、
こちらのメンバーも知らないんだよね。
あ、そうなんですね。
現場を知らないから。
そうそう。
なるほど。
そうなのよ。
へー。
っていう不思議な曲なんですけど。
まあその変な感じが、
あの、
マーライオンに何かしら刺さったんだろうなと解釈してるんだけど。
いやー正直僕がやりたかったこと全部やられちゃったって、
結構打ちひしがられましたね。
そう。
もうこれをやりたかったんだっていう。
あ、いろんな人の声というか歌というか、
まあなんかそういうものを取って、
そうですね。
組み合わせたかったみたいな。
演劇見に行き始めて、
なんかこれ多分音楽に応用できるんじゃないかなってぼんやり思ってて、
うん。
ぼんやり思ってたらすぐもうリリース月とかだって、
うわーみたいな先にやられたみたいな気持ちでした、
その当時は。
でもすごすぎるみたいな。
なるほどね。
めっちゃいいなーみたいな。
聞いてました。
あー。
はい。
なるほど。
そっかそっか。
確かにね、演劇的だし、
参加してる、
はい。
歌ってる人たちもね、
やっぱほぼほとんど役者だから、
どこか役者っぽいなーって思うし。
はい。
いやでもなんか味があるんですよね、
33:00
歌歌う人とはちょっとやっぱ違う、
なんですかね。
そう、違うよね。
違うんですよ、そこがすごくて、
で、これを組み合わせてる三浦さん、
やばい人だなってやっぱさ、
1リスナーで、
そして思ってましたね、
当時聞いたとき。
やばっ。
ねー。
素材がとにかく膨大だったからね。
はいはいはい。
とんでもない量あるんだろうなって思いましたもん。
他にも今、
ねー。
世に出てないものでも、
素材量とか。
でもあれね、
勢いで作ったんだよね、
なんかね、
そうだったっけ、はい。
まだYouTubeとかに残ってると思うんだけど、
はい。
携帯会社のサムソンの、
はい。
なんか、
えーと、
広告で、
はい。
なんかその、
携帯に、
気球をつけて、
はい。
サムソンの携帯に。
はいはい。
それを清掃券ぐらいまで打ち上げるみたいな。
あ、はいはい、映像ありました、
見ましたそれ。
はい、見てました。
そう、スペースバルーンプロジェクトって言うんだけど、
はい。
あ、そういう企画だったんですね。
はい。
てかその企画は後付けなのね、
あ、そうなんですね、はい。
そう、あんまこの話、
はい。
してないと思うんだけど、
まあなぜなら聞かれてないからしてないだけなんだけど、
えっと、
はい。
そう、確かその小川星のツアーが、
はい。
えーと、
終わったのが、
どこだっけな、
最後いわきだったのかな、
まあまあ、
小川星ツアー帰ってきて、
つまりそのワークショップを全部やって、
はい。
最終的に一曲にしますっていうワークショップではあったんだけど、
はいはいはい。
その各地で撮ったね、
はい。
小川星の声を。
はい。
えーと、
帰ってきたの多分夏ぐらいで、
うん。
ツアーが終わって帰ってきたの。
はい。
で、
はい。
ちょうど帰ってきたばっかのときに、
そのスペースバルーンプロジェクトで、
うんうんうん。
その音楽、
アーティストなんか何組か参加してんだけど、
はい。
えーと、口呂さんにも、
うん。
あの、できれば既存曲じゃなくて、
あの、これ用に作ってほしいっていう依頼が来たの。
はー、
あ、そうだったんですね。
で、
えー。
スペースバルーンプロジェクトの、
はい。
企画の概要を聞いて、
うんうんうん。
いろんな人がこう、
リアルタイムでツイッター、
はいはい。
タグつけたやつが、
のつぶやきが、
画面に映るその打ち上げられる携帯。
はい。
で、その携帯に、
その、
ずっとその気球にカメラもつけてるから、
はい。
ずーっとそれが映し続けて、
みんなで応援するみたいな、
生中継だったのね。
へー。
そういう企画あったんですね。
確かに。
はいはいはい。
そう。
アメリカのネバダ砂漠から打ち上げてんの。
わざわざ。
めちゃくちゃすごい壮大な企画じゃないですか。
そう。
そうなんだよ。
すごい金がかかった、
そうですね。
大変な企画で、
はい。
結構当時話題になってた気がするんだけど、
はいはいはい。
そういうツイッターとかの界隈でね。
あーそうなったんですね。
はい。
まあで、そういうプロジェクトだったから、
まあできるだけね、その、
なんかできるだけってかその、
いろんな、
はい。
その有名人とかじゃなくて、
何でもないというか、
普通のその辺の人たちのツイートがどんどん移ってって、
はい。
で、宇宙の方まで、宇宙近くまで行くから、
はい。
割とこう、その日常とそのスケールのデカさの対比みたいなとこじゃないですか。
はい。
まあ言葉にしちゃうとつまんないんだけど、
まあまあそういうとこだなと思ったので、
36:00
はいはいはい。
あ、じゃあちょうどこの取りためてた、
うん。
あのワークショップでね、
はい。
私のとおりでこの、いつかどこかで鳴るはずの曲、
うんうん。
を、
はい。
これにぶつけたらいいじゃんって思ったの俺は。
おお、はい、はい。
で、俺きっかけがないと絶対完成させない男だから、
はい。
あの、それも込みでいいな、だからそういう仕事をやってるうちに、
はい。
ワークショップでやってた曲完成させるの忘れてて、
結局あの曲どうなったんだろうねみたいな感じで終わっちゃうから、
はいはいはい。
だから、あ、これは俺自分で自分のケツ叩くって意味でもいいぞと思って、
はいはいはい。
あ、じゃあこういう感じで作って、しかも、
はい。
あの時にスペースバルーンの、
はい。
えっと、長きゃ長いほどいいって言われたんだって、
ああ。
何時間かかけて打ち上げる、
ああ、そっか、飛びましたね。
3週もするわけよ音楽が。
はいはいはいはい。
長きゃ長いほどいいのかなって思って、
なるほど。
はい。
あ、これもううってつけだなと思って。
そうですね、はい。
うん。
それで、
はいはい。
あ、じゃあこれに、この曲ぶつけようと思って、
えぇー。
まだできてないけどね。
はいはいはい。
何十、十何分とかにしようみたいなことですよね。
そうそう。
へぇー。
なんでだったか覚えてないけど、
はい。
えっと、CM、スペースバルーンの話を持ってきた、
CM音楽制作会社みたいな会社があって、
はい。
なんでだったか忘れたけど、そこの、
俺のMacが壊れたのかな、ちょっと覚えてないんだけど、
そこのスタジオで一日作業できるみたいなことになって、
おおー、はい。
そこに確か缶詰で徹夜で多分ね、
なんか、丸一日朝まで作業してたと思うの、
はい。
合間にその、スペースバルーンに対するその、
曲作ってる人のインタビューの収録とかもあったから、
はい。
そこに、なんでだったのなぁ、
まあ忘れちゃったけど、なんかノリで、
そこのスタジオでやりますわって言ってたら、
そこのスタジオで入った間に全部作っちゃったからあれ。
めちゃくちゃ早いですよね。
だからね、そう、丸一日かかってないんだよね。
そうなんですか。
あ、じゃあもうノリノリで作ってたってことですか、もう。
ここはこれでとか。
そうね、すごいスピードでバーってやっちゃったんだと思う。
へー。
わー、いや、めちゃくちゃいい曲ってやっぱあっという間にできるっていうのはなんかもう。
いやいやいや、そんなことないと思うんだけど。
いやいや、そんななんか、はい。
いやでもすごいっすね、その話。
そんな。
そうなんだよね、あんなんめちゃくちゃさ、
はい。
ずーっとさ、なんかね、1ヶ月とかやっててもおかしくないでしょ。
と思ってました、僕。
半年くらいかかってんのかなと思ってましたよ。
そう、でもね、違うんだよね。
その1日でやって、そっからね、まずね、大筋直してないんだよね。
あ、そうなんですね。
歌のタイミングとかは直しただろうけど、
はいはい。
まあもう骨組みとかエディットとか構成はもうそのままなのね。
へー。
そう。
へー。
確か。
あ、そうなんですね。
そう、24時間かけてないと言われている。
いやすごいっすね、決め打ちみたいな。
なんかね、なんかそういうタイミングだったんだろうね。
39:02
タイミングが良かったんだろうね、その頃は。
色んなのが合わさってできたんですよ、ちょうど良くというか。
へー。
そうなんですよ。
めっちゃ面白いっすね。
スカイツリーも同時進行と、スカイツリーはまた別なんですか?
スカイツリーはね、えっとね、スカイツリーは、そもそもいつかどこかでも、
合唱曲スカイツリーも、スチロロのアルバムに入れるために作ったものじゃないんだよね。
あ、そうなんですね。
そう。で、俺がもう曲全然できなすぎて、もう事前に作ってた、いつかどこかでと、合唱曲スカイツリー。
合唱曲スカイツリーの方は録音としてはなかったから、これ録音しちゃおうって一発撮りで。
それでもどっちも15分くらいあるじゃん、曲の長さが。
あります。
だから15分×2で30分、これもアルバムできたもん一緒だみたいな感じで、そんなノリですよ。
合唱曲スカイツリーは、それこそ、あの、あずま橋ダンスクロッシングっていう、なんかそれもフェスティバル東京みたいなもんで、舞台芸術のフェスがあるんですよね。
あ、そうですね、はい。
それに、えっと、参加することになって、
参加することになったのが多分2010年とかだと思うんだけど、
その時に、2010年にやったのは、えっと、鈴木さんっていう役者の人と演劇の。
あと玉城ロイっていうラッパー。
その2人を、えっと、公演によって役者を変えて、日によって変えたのかな。
3DAYSだったと思うから、多分金土日みたいな感じだったと思うから、それで、
なんかちょっと演劇的な作品を、ハイファイっていう、演劇というか、そういうグループの篠田っていうやつと、
俺の共作でスカイツリーっていう作品をやって、それの、なんか音楽版というか、その短くした音楽版みたいなのが、
CDっていうアルバムに入ってる、2011年出たその口ロロのCDっていうアルバムに入ってるスカイツリーって曲なのね。
なるほど、あ、そうなんですね。
それを俺のしゃべりで作り替えたのがね。
それも多分曲が足りなかったからだと思うんだけど。
で、また次の年も呼ばれて、今度俺一人で篠田と。
で、前年スカイツリーやって、ちょうどその頃スカイツリー建設中で、
アズマンバシダンスクロッシングっていうのが、朝日アートスクエアって今もうないのかな。
うんこビルと言われてるさ、金のうんこみたいなさ。
あれが乗ってる浅草にある、なんかちょっと異様なビルがあるじゃないですか。
あそこが会場だったから、もうスカイツリー目の前なのよ、あそこ。
だからスカイツリーテーマにやってて、で、建設途中だったね、まだ。
だから398mっていうセリフが、合唱曲スカイツリーにあると思うんだけど。
あれは本当にその時398mだったんだよね。
あ、そうだったんですか。
42:00
うん、そのアズマンバシダンスクロッシングで、次は合唱だろうみたいな話になって、
なんか友達と喋ってるときにね、なんか次どうしようかなって。
で、合唱団を結成したのよ、それ用に。スカイツリー合唱団っていう。
それが俺の作品として、アズマンバシダンスクロッシングの2011年かな?の時に、
15分くらいの短編の舞台作品として、合唱曲スカイツリーっていうのを。
そう、その時はもうピアノと歌だけだったんだよね。
あ、そうだったんですね。
ピアノも俺が弾いてなくて、ピアノはね、ハスヌマシューターってやつが弾いてたんだけど、当時。
音源でもピアノ弾いてるのはハスヌマシューターなんだけど。
そうなんですね、全然わからずに聴いてましたね。
全然そんなこと知らなくていいんだけど、そんな感じでやってて、
だからその曲はあったのよ、それ用に俺書き上げてたから、15分くらいの合唱曲スカイツリー。
それをドラムとかベースとか、ホーンとか入れて、
で、録音することにして、それを後ろのアルバムにぶっ込んじゃおうっていう。
ドラム入るとことか僕はいつも胸が熱くなりますね、合唱曲スカイツリー。
あれ完全に一発撮りだからね。
そうなんですね。でもなんか熱量を感じるんだよ。
いろいろがてんがいきますけど、ただなんかあんまり一発撮り感がわからなかったんで。
結構今驚きましたね。
一発で、そうね、俺は式しかしてないんだけど、
だからもちろんメトロノーム、クリック使ってないからテンポもすごく揺れるし、
クリック使ってあれとかなんかね、よくわかんないし、面白くないしね。
だからそれならではのかなりテンポが伸び縮みする感じとか、
なんかその一発撮りの荒いとこ含めて勢いみたいな感じが出てるとは思うんですけど。
めちゃくちゃ面白いですね。僕当時恋人と300メートルぐらいの時に見に行ってて、スカイツリー建設途中で。
その記憶があって、それと歌詞の部分で、
歌詞の曲スカイツリー聴くたびに、建設途中で見に行ったなーとか思い出せて、
結構好きな曲なんですよね。そういう個人的な思い出ですけど。
でもそういうね、自分の個人の記憶に紐づいて、
その曲が残っていくっていうのは嬉しいもんだし、そういうもんだよね結構ね。
歌詞がある曲、歌詞がなくてもそうなんだけど、
特に具体的にこう結びつくっていいよね。もうだって、もうできちゃってるからさ、だいぶ前にスカイツリーって。
45:04
まだ途中だった頃っていうのをこう、ある意味、なんかフォルマリンしておくみたいなね。
そういうのも音楽の一個の役割というか、その機能としてあるもんね。
ありますね。だからもうそれこそ聴いた時やられたってやっぱ思いましたもん。
わー、こういう方法があるのかーって思いましたし。
なるほど。マンパワーというアルバムにやられたんですね。
そうなんですよ。でも元々三浦さんの名前、僕メレンゲってバンドすごい好きで、
初恋サンセットのクレジットをなんとなく学生の時見てた時に、三浦さんの名前入ってて。
よくそんな、アシスタントエンジニアでしょあれ。
そうですそうですそうです。
唯一俺がアシスタントエンジニアとしてクレジットされている。すごいよく知ってるね。
結構衝撃だったんですよ。僕好きだったんですけど、三浦さんっていう人が人が関わってる作品は絶対に面白いんだってやっぱその時思いましたし。
いや、あれはね関わってるというかね、もう別に全然裏話、せっかく知ってくれるから知るけど、
あれはあの、多分その曲っていうかそのアルバムのエンジニアが増子辰樹さんっていう、
クチロロのファーストセカンドをやってくれてる人なのね。すごい俺の師匠的な感じの人なんだけど。
そう、ロボってバンドとかもやってるのかな。やったり。まあまあとにかくすごい尊敬してる人なんだけど、
当時なんかだからファンファレンのアルバムを作ったか作ってないか、ファーストアルバムできたかできてないかぐらいの時かな、覚えてないけど、
普通に増子さんとよくご飯食べに行ったりとか、増子さんお酒飲まないんだけど、飲み行ったりとかじゃなくて、
よくスタジオで喋ってたりとか、よく一緒にまあつるんでたというか、
俺がすごい尊敬してるから一緒に話せるのが楽しかったんだよね、一緒に入れるのが。
で、そういう流れで、なんか今メレンゲっていうバンドやってて、三浦くん良かったら来なよみたいな。
なんかまあ単純にこうレコーディングでさ、ちょっと空き時間とかさ、あるじゃん。
そういう時に喋り相手としてなんかいると良かったんだろうね、分かんないと。
別に全然いいっすよ、行ったことないスタジオとか行ったことない現場見れるってあんまないからさ、
行きますわーっつって、そこにいて、メレンゲのメンバーも誰だろうこいつみたいな、
まあでもまあ少しエンジニア、アシスタントエンジニアですみたいな感じだったんだと思うんだけど覚えてないけどね、
なんかよく分かんないけど、金髪のなんか変な奴いるな、若いやついるなーみたいな感じだったと思うんだけど、
そこにただ居ただけなんだよね、スタジオで。何もしてないんだよね。
48:03
だってスタジオってアシスタントエンジニアいるからね、普通に。
お付きの、スタジオ付きのエンジニアがいるから。
でしょ?いらないんだよ別に全然。
でもいいですね、すこさんもみなさんと仲良いのが分かりますね、その話だけで。
ね、で俺その番もらってないからクレジットされてるってことも知らなかったっていう。
いやー、されてんだね。
そうですね。
えー。
商業デビュー作なのかなとか勝手に思ってちょっと今日絶対聞こうって思ったんですよね。
商業デビューってか、そうね、何も、そうね。
一応でもクレジットされてるってことはそういうことなのかな。
なんですかね。
確かにね。
じゃあ、え、それ2000、いつ頃なんだろうか。
2008年だと思います、メレンゲが。
僕中3とかで聞いてて。
で、ちょっとクレジット見る癖があって、どんな人がやってんだろうみたいな。
なんかゆくゆく出会えたらいいなーみたいなことを淡い気持ちで言っていて、高校生の時とか。
それで名前だけ覚えてましたね。
でも多分2007、8年よりもっと全然前だと思うよね。
2004年とかですかね。
多分そうだよ、だから俺のイメージだとファーストアルバムを出したか出してないかぐらいの時期だった気がするから。
でもそうね、クレジットそういう。
まあでも別にそれまでインディーとかのコンピとかで出してたけど、エンジニアとしてクレジットされるのは少なくとも初めてなんですか。
アシスタントエンジニアとしてクレジットされるのは今後もないだろうな。
唯一の作品ですね、メレンゲ。
めっちゃ聞きたかった話あったんですよね。
いや、真相はそんなとこです。
何もしてない。
でもやっぱり誰かがいるってだけで変わったりしますから、レコーディングは。
それは本当にそう思うんで。
まあね、でも逆にやりづらかった可能性もあるからね、メレンゲの人は。
誰だろうこいつって。
多分当時すげー生意気だったと思うから。
あ、そうだったんですか。
多分ほんとやりづらかった可能性すらあるけど、まあまあそれはそれとして。
よくそんなことをご存知でってびっくりしました。
三浦さんの作品とか。
西寺剛太さんのラジオをめちゃくちゃ好きで聴いてて。
学生時代の話されてたじゃないですか、そのラジオで。
してた。
で、僕本当に初めて聞く話ばっかりで。
でしょうね、俺も初めて話したよ、そんな話。
初めて話したっておっしゃってましたもん、ラジオ中にも。
もうなんか三浦さんの話もっと聞きたいなと思ってて。
で、ただなんかその、あの西寺さんのラジオだとやっぱり学生時代のアメリカの方にお住まいだった頃の話で終わっちゃってたと思うの。
51:07
作品に関わり始めた頃の話とか、そもそも最近のイヤホンズとか、
ヒプマイもそうですけど、僕三浦さんの曲めちゃくちゃ好きで。
ありがとうございます。
もうやっぱその曲の展開とか、なんでこんな思いつくんだろうなとか勝手に思っちゃうんですよ。
これは本当に、こんな言い方であれなんですけど。
そうですね、打ちのめされてます。いつも。
打ちのめされてる人がこの世にいたんだね。
全然誰も興味ないと思ってたんでよかった。
いやいや、めちゃくちゃ聴いてますよ本当に。
本当なんだろう、でもそのあれじゃない?
やっぱその、フェスティバル東京のワークショップみたいに、
カオスな現場を経験してるから、
これもアリだなっていう、これもこれでいいんじゃね?みたいな。
世の中的にどうかは知らないけど、世の中的にどうかのために音楽作ってるわけじゃないから、
よくわかんないのとワクワクするみたいな話してたじゃん、さっき。
三文字おじいさんがいて、高校生のMTPがいて、マーライオンとかね、いろんな人がいて、
みたいな感じだから、なんかよくわかんないけどこれ、
カオスでウケるなとか、意味わかんなくていいなみたいな。
そこの枠組みが割と適当というか、
まあいいんじゃね?これもこれでみたいなところが、もしかしたらいいのかもしれないですね、マーライオン的に。
そうですね、僕やっぱエラー要素っていうんですか、なんかそういうのが入ってる音楽作品とか好きで、
何ですか、ただうまいだけっていうか、なんかあるじゃないですか、やっぱりBGMにはなるけど、
なんともなぁみたいなのもやっぱあって、そういうのはやりたくないんですよ、僕も。
どうにかやっぱ耳に引っかかりたいなーっていうのは思ってて。
うんうん、何かしらの違和感がつるって流れていくだけだと、ちょっとやっぱ物足りなさを感じるってことよね。
そうですね、僕はそうですね、自分の音楽は特に思います。
何かしらのこう逆に異物感とか違和感が残ってないと、自分の作品っていう風に思えないところがきっとあるんだろうね。
ありますね、はい。
何かうまく綺麗にできすぎちゃうと、何か違うなぁみたいな。
そうなんですよね。
俺じゃねぇなこれみたいなとこがあるわけじゃん。
そうなんですよ。
自分が本当に好きだった今まで小さい頃から聴き過ぎてたものとかってやっぱそういうのとかが多少やっぱあるので。
どっかしら変な部分ってことだよね。
そうですね、はい。
そういうのとかは何かやっぱり言いたいですよね、自分がこれから作る上で。
と言いつつもこう、どうだこれ変だろうみたいなのとも違うんですよね。
54:02
そうなんですよ、僕はそのみなさんポップスっていうか、僕ポップス作るのが本当、今もいい曲常に作りたいなと思ってますし、
ポップスが好きで音楽を始めてるんで、なんかやっぱりそれはそうなんですよね。
何ですかね、みんなが聴けたらいいなぁと思いますけど。
そうね、ことポップスっていう定義にすると、一部の本当にちょっと狂人みたいな人は置いといて、
基本的にはマナーの話だもんね、挨拶ちゃんとするとかさ、
ちゃんとした格好で出るとか、一応髪整えるとか、そういうところが多分ポップスってまず大事なとこで、
エスコートじゃないけど、ちゃんとガイドしてあげる。文章とかでもちゃんと読みやすく口頭点を適切に打つとか、
行間とかね、チャプター分けとかそういうのちゃんとしてあげる。
論詞もちゃんとある程度淀みなく書くとか、そういうことと近いから、
その辺はやっぱり、俺も年齢とともにポップスを作れるようになってきたなっていう実感はある。
ポップスを作りたいとずっと思ってはいたけど、ある時期から。
やっぱそこまでポップスをちゃんと聴いてきたわけじゃない。もっと変な音楽とか聴いてきたり、
どこまでをポップスと線引くかみたいなところあるよね。
ありますね。
でもね、テクノだってポップスと言えばポップス。
でもテクノでめっちゃ売れてる人もいるわけだし、
でも売れてる枚数だけでもないし、ポップスの定義って結構、
まあ人によって違うから難しいんだけど、
やっぱポップスって言うと俺の中でやっぱ挨拶ちゃんとできてるとか、マナーが最低限ちゃんとできてるっていう。
悪態ついても結局愛される人みたいなさ。
そうですね、そうでありたいですね自分も。
どこか可愛がるとか、そういうところに結局なっちゃうから、
そこは最低限ちゃんとしつつも、結局愛されるとか嫌だなみたいな。
それもつまんねーなみたいな。これキャラで、みたいな感じで人を捉えるのがすごく嫌いだから。
キャラで見ちゃうと、面白いことが全然ないなって。
テレビ的になっちゃうというかね、キャラで見るっていうのはつまり。
はい、枠にはまっちゃいますもんね。
だからその結局可愛げとかなんだよみたいな感じで、
あんまりこう、最近は自分が作ってる曲がポップスなのかどうかも怪しいなと思ってるんだけど、
57:00
いやいやそんなポップスだと思いますよ僕は。
そう言ってくれる人がいるっていうだけでありがたいんだけどね。
なんだろうな、やっぱ言い回し歌詞とかのさ、
まあでも今時の日本の音楽全然聞いてないからわからないんだけど、
やっぱりその、俺が思うっていう意味だけど、
ポップスはやっぱり、なんだろうね、ポップスの歌詞とかもやっぱり作文じゃなくて、
なんかこう、説明しすぎないみたいな。
はいはい、余白とか、
だったりその言葉のチョイスだったり言葉の流れだったりも、
なんて言うんだろうな、
そうね、なんか、例えばさ、
なんだろうな、まあ、
夕暮れ、
夕焼け、
夕焼け時とかさ、いう歌詞があったとして、
それを言う時に、まあ夕日が昇ったでもいいや、夕日が昇ったみたいな歌詞よりは、
街の明かりが灯り出したみたいな、
街灯がポツポツみたいなさ、そういう方が俺はポップスだと思うんだよね。
で、夕日が昇ったより、
街灯がポツポツだったり、街の明かりが、
みたいな方が、少ない文字数で、
多くの情景を説明できると思うんだ。
そうですね、はい。
だって夕日が昇っただったら山なのか海なのか街なのかさ、
わかんないじゃん。
わかんないですね。
でも街の明かりがだったら、街にね、街灯が灯り出しみたいな方が、
街にいるんだなとかさ、
その情景含めて、その街は決してそこまで住宅街ではなくて、
それなりに店とかがある場所なんだなみたいな。
そうですね、はい。想像がつきやすくなりますね。
ポツポツだから、そうそうそう。
その少ない言葉でリスナーが想像できる情報が多いっていうか、
受け取れる情報が多いというか。
だし直接的じゃないじゃん、そっちの方が。
夕日が昇ったでもいいんだけど、
それはケースバイケースなんだけど、夕日が昇ったのほうが良ければいいんだけど、
例えばそういうことなんだよね。
なるほどね、はい。
1:00:02
そういうのが上手くなった気がするっていう、その歳を取るごとに。
僕イヤホンズとか、未来の自分が出てくるバーバースがあった時とか、
震えました。
あ、おばあちゃんの?
おばあちゃんのとこですね、はい。
あたしの中の物語ってこと?
はい、そうですね、はい。
おばあちゃんね、あれ演劇っぽいよね、すごい。
演劇っぽいですね、本当に三浦さんしか作れないと思いますね。
いやいや、演劇の作家とか脚本を書く人とか全然作れんだけど、
それを音楽にどう落とし込むかっていった時のやり方が俺っぽいなとは思うんだけど、
かなり演劇っぽいよね。
そうですね、はい。
自分で思った、今言ったポップスの挨拶というか、流儀というか、
そういう少ない、やぼったくなく説明するみたいなことなんだけど、
それでそのおばあちゃんの時に、最初若い活発な女の子の時に
おーいっつってはーいってすぐ返事返ってくるじゃん。
おばあちゃんの時におーいっつって一回無言で何も返ってこなくて、
もう一回おーいって、もう一回言ってちょっと経ってあらっつってマイペースに返事するじゃん。
しますね。
おーいを二回言って多分ね、普通に音楽的に作ったらあんま思いつかないと思うんだよね、あれ。
演劇的な発想だなって思う。
あそこでおーい二回するのって。
あそこでおばあちゃん感をまた出してるんだよね、おーい二回で。
なるほど。
おばあちゃんの場合ちょっと反応が遅いとか聞こえづらいとかさ、
なんかこう全部ゆったりしてるとかさ。
はいはいはい。
あと時間が経ってるから回線も繋がりにくいとかさ。
なんかいろんなその情報が、メタ情報をその、あのおーい二回でさ、入れられるんだよね。
すごいな、すごい。
それを割と演劇っぽいな、演劇っぽい考え方だな、音楽の時間じゃないからあれはきっと、おーい二回っていうのは。
なんですか、暗転とかですかね、暗転とかそういう、なんですかね、なんかそういう。
暗転とか。
なんですかね。
まあまあとかそうですね。
まあまあとかそうですね、演劇っぽいですね。
そうそう、でそれがおばあちゃんっぽさに繋がるじゃない。
はい、そう繋がってますね。
その前の若い子はすぐ返事してるからさ。
はい。
なるほど、なるほどな、なるほどですね、ちょっと。
細かいけどそういうとこ演劇っぽいなーって自分で思ったりする。
いやでもやっぱりあのシーン、シーンって言っちゃいますけどもはやもうなんか。
うん、シーンだよね。
ぐっときますね。
ありがとうございます。
おばあちゃん出てくるのね。
ちょっとね、なんかそう、あれは自分でもちょっと、声優さんにこんなおばあちゃん役やらせていいんだろうかみたいな、若い声優さんにね、その。
はいはい。
思いつつも、でもこれぐらい時間が伸び縮みした方が面白いよなーみたいな、どうせSFだしなーみたいな。
はいはい。
そうそう、新曲の中島さんの曲もなんかやっぱすごいですね、なんかBPM速くなったりとか。
1:03:00
やっぱり。
ねー。
三浦さんの工夫、工夫というかそうですね、三浦さん物資っていうんですか。
いやでもあのTwitterにもこの間書いたんですよ。
はいはい。
めっちゃアミモリ翔平っていうすごい。
大好きです、はい、僕も聴いてます。
ね、あいつね、そう、あいつすごいからさ、
あの、それの曲で伸び縮みしてて、あ、いいなーと思って。
これ、これパクらせてもらうわっつって。
一応でもでもあいつに送ってパクるねーみたいな。
あ、いいっすね、いいですね。
いやでも信頼関係ある、いいですね。
いやまあ別にでもテンポがね、伸び縮みするの別にあいつの発明ではないからね。
なんかあいつの楽曲がそれですごいイケてたから。
あーそうですね、はい。
俺もちょっと今回やってみようかなーと思って。
そうやってみたっていう。
中島さんのもなんか、一曲って何なんだろうなってよくわかんなくなって作ってたから、
なんかあんま一曲の感じがしないんだけど、
まあでも一曲といえば一曲だよなってその。
あーそうですね、投資力だね。
そのね、時間を区切らずに一曲ってパッケージされればもうそれは一曲じゃんやっぱり。
そうですね。
ミュージックとして。
はい、一曲です。
っていうことだなと思って、もうなんかよくわからないなりに。
それも違和感含めてなんだよね。
自分でもこれなんか、一曲って何なんだろうかって考えちゃったんだけど、
でもまあ、なんかよくわかんないけどこうしたかったし、なんかこうなっちゃったし、
っていうので、まあいいやこれでっていうか、
これがいいなと思ったんだろうけどその時の自分はね。
それを投げてね、中島さん本人もディレクターの人もその、
よく、あのこれもうちょっとこう、わかりやすくみたいに何も言わなかったから。
あーそうだったんですね、へー。
そうそのまま、じゃあこれでレコーディングってなって。
いいですね。
それもそれで結構すごいなーって思ったんだけど。
はいはいはい。
いいですね、チーム全員いい人たちが集まってたんですね。
なんかね恵まれてるんだよねそのイヤホンズ。
イヤホンズはもうそのディレクターからああいう無茶な曲を作れっていう、
あのドSなディレクター。
すごいオーダーですね。
すごい酷いよね。
なんかもうまともな曲だと多分満足しないんじゃないかなと思ってて。
でもやっぱイヤホンズブランドになってますからね、すごいですよ。
なってんのかね。
なってますよみなさんの曲。
なんかね、なられても本人たちはすごい微妙なんじゃないかなって思ってんだけどね。
もっと普通の曲だいたいっていうか、そういう思ってるだろうなって思うけど、
まあまあでもごめんねと思いながら、ああなっちゃってますけど。
1:06:02
いろんな曲があってこそやっぱグループなんでそれは。
ね、ていうことに、俺も勝手にそういうことにしてますけど。
やっぱそう演劇的なとことか、
なんとなくこう見てたりしてたりやったりしてると、
なんか曲の解釈として、
なんかね、よりなんつーんだろうなその入り方が音楽、
プロパーというかいわゆる音楽好きの人とは違うだろうね結構マーライオン。
俺の曲とか特に。
やっぱミュージカルまでいかないけどやっぱミュージカルっぽい曲とかやっぱ作りたいんですよね。
なんか自分、そうなんですよね。
構想だけはあって、絶対にやる。
なかなかでもできないっていうか、タイミングがないって感じなのかしら。
そうですね、ちょっとやりたいんですけどね。
周りに、それこそ2016年7年ぐらいに、
僕コンプソンズっていう劇団に俳優で出てたりとかもして、
割とその演劇に近くなったりもしたんですよ周りの。
去年も演劇の劇班初めてやったりとかもして。
ほんとにもう牛歩のように前に進んでて。
そろそろやっぱりやりたいなみたいな。
去年12月に子供のワークショップの講師を仕事で頼まれて、
お子さんの声をサンプリングしたクリスマスソング作ったんですよ。
サンプリングなんだ。
そうしました。ワークショップ中に声を録音して、
それサンプリングして、曲作るっていうのでやって。
歌は自分で歌った?
歌は僕が歌って、でサビのフックの部分を子供が合わさるみたいな感じにやったんですけど。
それはなんか自由に喋ってる、ワイワイしてるのを編集したってこと?
一応歌ってもらったってこと?
一応合唱というか、せーのでやってもらったんですけど。
本当はセリフとかちょっとした喋ってる言葉をやりたかったんですけど、
お子さんっていうのもあって、なかなか難しい部分もあって。
そういう意味でみなさん一人一人録音して、あれを作ってるって考えて、
改めて凄さを12月に思ったんですよ。
自分が初めてワークショップでやってみたかったことをワークショップ中に録音して、
曲作るっていうのを初めて仕事でやらせた時に嬉しかったんですけど、
三浦さん凄すぎるなみたいな、その時にも思いましたね。
でも趣旨もあるし、ワークショップの時間もあるし、子供だけだとやっぱりできることがいられてるし、
子供だけは結構難しいよね。難しいってのはワークショップ自体を楽しいものとかにするのは、
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それはいろんなやり方があるにしても、後にパッケージングするっていう作品として、
どこまで面白いものにしようとすると結構難しいと思うし、
俺もそんなにいろいろできないし、いろいろやろうとしない方がいいと思うし。
いろいろやろうとしちゃってました。
それは良いんだよね。自分なりにいろいろやろうとしないと、なんとなく見えてこないこともいっぱいあるから。
そうなんですよ。殻を破りたかったんですよね、僕初めて来た仕事で。
その力み方はライオンっぽくて良いんだと思うんだけど。
ただ、ポップスってやっぱ力の抜き方みたいなところも大事じゃん。
ありますね、僕それまだ全然あんまり上手じゃないですね、その辺。
力入ってるのとかもロックパンク系に任せとけばいいからさ。
確かにそうですね。
そういう魅力もあるんだけど、結局やっぱこう、俯瞰してここは抜きの美学が結構あるじゃん、ポップスって。
ありますね。
言い過ぎないとか、ブレークの持ってき方とかさ、音楽的に。
ブレス一つでもありますね、やっぱりそれは。
そうそう。だから結構、いかに頑張らないかみたいなの。
頑張りつつ頑張らないみたいな、そういう感じは大事かもしれないよね。
そうですね。
でもやっぱそういう意味でも、ワークショップ中の三浦さんのリラックス感というか、
お家の肩の力のまま来て、さっそく帰っていく感じ、めちゃくちゃ憧れましたね。
憧れ方間違ってる可能性は高いけど、なんかこう、頑張らないっていうか、必死じゃないというか、そういう感じだよね、つまり。
そうですね。
割とワークショップに関しては、一人明確なリーダーがいて、みんなそれに従っておけばいいみたいな、
いうのが一番ワークショップとして、俺は面白くないなと思ってるので。
別にそういうやり方で、全然学び多いものとか、すごい実りのある作品とかできると思うんだけど、
これはもう俺の個人的な好みの話ね。
やっぱりどうしても甘辛い味付けが好きじゃないみたいなことね。
俺は実際そうなんだ。あんますき焼きとかそこまで好きじゃないし、肉じゃがとか自分で作んないし、
それはもう俺の好みの話だからね。そういうもんだと思って聞いてほしいんだけど、
やっぱ自分が、最初の回があだ名考えるだけで終わって、次回来る人が10人ぐらい減ったみたいな話と一緒で、
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ワークショップとかだと人数が多かったから特に頑張らなかったんだよね。
むしろこいつ大丈夫かみたいな、なんかすげー適当で何も考えてないし、いろいろ他人任せで、
グループで相談してやってくださいみたいな感じだったでしょ。
まとめるとそういう感じでしたね。
一応ね、フェスティバル東京のスタッフとかと裏で打ち合わせしたりとかして、
クリスマスイブスペシャルバージョンとかもね、その結果できたんだけど、
でもなんかこう自分ごとになってほしいんだよ、参加する人に。
俺が言ったことをやればいいとか、俺が言った枠の中で何か考えてやるとかより、
俺を驚かしてほしいし、あいつ頼りないから自分たちで何とかしなきゃこれやばいんじゃないかみたいな、
風になってほしいっていうのは、毎回ワークショップでも、
場合によってはレコーディングとかでもね、割とそういう感じになりがちですよ。
そうなんですね。
みたいなことを言うと、プチロロメンバーの村田茂とかは、
いやあんた適当なだけじゃんみたいな、
それうまいことそういうふうに言ってるだけじゃんって言うと思いますけど、
実際そういうとこもあるんですけど。
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