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  2. #68 子どもにさせたい体験・し..
2025-12-14 40:17

#68 子どもにさせたい体験・してよかった体験〜蜂の子から自由研究まで〜

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回は「子どもにさせた方がいい体験・してよかった体験」をテーマに雑談トーク。木曽さんの衝撃的な「蜂の子を食べた」エピソードから始まり、子どもの頃の体験が今にどう生きているのかを三人それぞれの視点で語り合います。親が用意した体験と自発的な体験の違い、屋内遊びと屋外遊びの価値、ゲームや読書の影響、そして意外にも「約束を守るふりをして守らない知恵」の重要性まで。自由研究をめぐる親の関与の話題では、保育士ならではの視点も飛び出します。過激派の川地さん、独創的な木曽さん、中間のチロ先生という三者三様のキャラクターが織りなす、保育にも通ずる子育てと成長の話。

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BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、子どもに必要な体験や役立った経験が、特に蜂の子を食べた体験を通じて語られています。また、自らの経験や環境が子ども時代の成長に与える影響についても考察されています。子どもにさせたい体験や大人になってからの経験が議論され、自然や自由研究、蜂の子の経験が取り上げられています。さらに、情報社会における体験の重要性や、現代の子どもたちのコミュニケーションの変化についても考えられています。子どもにさせたい体験とそれにまつわる思い出が語られ、特に自然の中での体験や自由研究の意義が強調され、子どもが主体的に行動することの重要性が示されています。子どもの体験とそれに伴う成長について、様々な視点からの考察が行われていて、特に蜂の幼虫やリンゴとピーナッツの組み合わせなど、ユニークな食体験が子どもに与える影響が深く考察されています。

自己紹介とラジオの趣旨
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の康二です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張ってます。
噛みましたが、このラジオでは現役の保育園看護師である僕、チロ先生と、保育の業界は未経験ですけど、
なんかもういろんなことやってるお二人とでね、いろんなテーマについて語りながら、
保育園看護の面白さだったり、なんかこう、子どもを取り巻く社会全体について深々と考えていく、そんなラジオを続けております。
はい、なんかこう、回を減るごとに我々の説明がどんどん雑になっていくので、
なんかいろいろやってる人たちですって。
そうです。なんかだって、一概に言えなさすぎ。
そうだね。説明は難しいよね。
未だによくわかってないんでね。
僕も自分の仕事、人に説明できないです、最近。
一言で言いづらいよな、確かに。
マルチ、マルチタレントなお二人とね、ちょっとやらせていただきます。
ハイパーメディアクリエイターになります。
これもちょっと世代がもしかしたらあれかもね。
バレた、今。ペンペン一桁生まれってことか。
バレちゃうかもしれないね、これは。
ごめんなさいね、老害ラジオということで、じゃあ今回ね、頑張りにいきたいと思うんですけど。
はい。
子どもの体験の重要性
で、今回のテーマもね、また河地さんにお願いします。
はい、今回はですね、子供にさせた方がいい体験、してよかった体験みたいなものについてちょっと話していけたらいいなという、
まあ、ファンだった段階というか。
そうだね。
かなり大きく出ましたねって感じだよね。
そうだね。
こんな体験した方がいいねとか。
僕ときそくんはね、子供と関わる機会が少ないので。
そうですね。
どっちかっていうと、自分たちがやってこういうのを覚えてる。
これはなんか、今に生きてるものがちょっとあるかもなみたいな。
子供はずだったり。
千尋先生の場合は、自分の話でもいいし、子供。
育ててる子供でも、保育士としての千尋先生。
そうだね、目線っていうのもいいかも。
3つの目線がね、千尋先生にはあるので。
目、6個あるってこと?
ちょっと僕の第三の目を開かせていただこうと思います。
違う。
目が違います?
レッセン違いますか?
違う。
違うらしいね。
まあまあまあ。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
というわけで、最初にさらっとどうですか?
千尋さんってなんか、これまでも聞いてる方はちょっとわかるかもですが、
変な経験多いじゃないですか。
変ではないでしょうか。
子供としては、まっとうな経験をしてきてると思うよ。
千尋さんと誰か、僕の友人と千尋さんを初めて会わせるみたいなときの
大体の紹介文が、この人、蜂の子供食ったことあるんですよ。
蜂の子供、つまり幼虫だよね。
小学生の時に蜂の子供を自分で捕まえて食ってたんです。
すごくインパクトが強いみたいで。
いい話だよな。
すごい面白いな、そのつかみ。
俺逆にみんなが食べたことないことにびっくりしてるくらいだけどね。
それ、その意識変えたほうがいいよ。
変えたほうがいい?
別に田舎出身でもないけど、単純にやっぱ子供の頃ってさ、
虫とかが好きだったり好みを持ってるとさ、知りたくなるし。
たぶん蜂の幼虫を食べたのは小学生時代なんだけど、
その時期自分がサバイバル生活みたいなのにハマってて、
何でも食べれるようになって生きていきたいと。
その本の中に貴重なタンパク源として蜂の幼虫が紹介されていて、
そうなるとさ、やっぱこう、食べてみたいなって思うわけじゃん。
そうね。
大丈夫、ちろん。ほんまにそうねって。
やっぱ当時の子供の高安の気持ちを受け入れてあげて。
そこに共感してくれてるんですね。
子供の頃の高安です。
なるほど。
一旦自分の気持ちは置いといて、その頃の俺に動かしてくれてるんだ。
そうそう。食べたいよね。
食べたいね。
ありがたい。そう。で、食べたいなと思って。
でもさ、言っても、小なんのほうは割とまだ自然豊かだけど、
あんまり蜂の幼虫をさ、蜂の巣をそもそも見つけるっていうのが結構難しい。
確かにね。
あんま見ないよね。
あんま見ない。
オイソレとは見ないもんね。
そうそう。それこそすぐ駆除されちゃったりするし。
っていうのがあって、
ある日、いろんな友達とかにもね、あったら教えてって言ってて、
あるという情報が手に入り、
早速取りに行き、巣を落とし、
その中にいた幼虫をちゃんとつまんで食ってたという話ですよね。
でも、やっぱ知りたいと思ったら食べるまで行きたいよね。
まあまあ、確かにね。
好奇心に基づいて口頭にいたり、
その結果までちゃんと覚えてるっていうところまで含めて、
いい学びでは。
そこが高安だよなって、
もう今にも活かされてるよね、その行動力と。
食べてみるまでは行きたいっていう気持ちはあるかもね。
自分でやりたい感じ。
ある種、与えられたものをこなすではないってことだもんね。
そうだね。
てか誰も与えてこないよね、8年後食べろとは。
そうそう。虐待だもん。
ちょっと虐待にあたることを一人でしてたと思うと悲しいけどね。
気づいてもらって。
っていうようなね、体験とかは、
それが何かに生きてるかというと、
俺自身の中ですごい生きてるとは思わないけど、
今みたいに他の人に誰かが自分紹介するときのつかみとして、
8年後食べておいてよかったなってことなのかな。
子ども時代の自発性
すごい高安を、高安たらし弁みたいな、
高安せしめてるというか、
高安だなっていうエピソードがすごい好きだからね。
そうなんだね。
これでも今のは客観の認識の話じゃないですか。
僕とかが覚えやすいエピソードだから言いましたけど、
きそくんのこの主観というか、
自己認知としてはこういう体験がよかったなとか、
こういうことできたのがよかったとかあるの?
ざっくりこういう体験できてよかったにも2種類あるかなと思ってて、
きそくんをすれば全部親が用意した環境とも言えるかもしれないけど、
ある種、親がそれとなくその機会をつくってくれてやってよかったことっていうのと、
自分で勝手にさっきの8年後もそうだけど、
やりたいなと思ってやってよかったことっていう2種類が俺の中にはあるなって思ってて、
やっぱなんだろうな、
いろいろ正直振り返ってみて、
やってみてよくなかったことっていうのがそもそもないっていうふうに思った。
めっちゃポジティブだと思うんだけど、
親に言われてやってたことも含めて、
でもその後何かこう何かにつなげようと思ってやってたわけでもないけど、
つながることが多かったりとか、
なんだろうね、
多分解釈がポジティブすぎてやってよくなかったことが思いつかない。
全然思いつかないな。
素晴らしいことだよね。
経験が全部勝手になってるという自負があるのが。
あとは2歳ぐらいから運動、体操とかさ、
やってもらってたから運動はずっと得意だったし、
そういう意味ではその辺は与えられた機会というか、
用意してもらったものだと。
なるほどね。
あと自然行くとかね。
なんかあれだもんね、
キャンプ行くみたいなやつなんだっけ、ボーイスカート。
中学生ぐらいだったかな。
だと思うけど。
めちゃくちゃ基本もうやってよかったなとしか思わないから、
逆に今回のテーマ言われて、
良かったことはあれだけど、悪かったことってなんだろうと思う。
やらなきゃよかったみたいな。
確かにね。
それとそもそも子供の頃の、
僕たちが自発的に選んでやった何かみたいなのはあんまり記憶にない。
うーん。
どのゲームをやるかぐらいじゃない?
確かにそこは自主性がありそうだね。
そこをぶれないとね。
学い事とかをこれがやりたいって言ってやった記憶はなくて、
兄がやってるからとか。
でもそう、兄の影響はあるかもしれないね。
我々下の子だからね。
俺長男だったからな。
その差は多少あるかもな。
だからなんかやるもんだからやるんだろうなっていう感覚がだいぶ強い。
そういう理解だったんだ。
面白いねそれ。
わからんではないな。
わからんではない。
多分ね、高校入学ぐらいまではその道みたいな感覚がやっぱ強かったね、僕の場合は。
よく言うやつ。レールのレールね。
いろいろ決まってる状態か。
こういうレールの登り方だけ考えればいいんだろうなっていう。
そのレールを登るべきなのかは考えないで、
登り方を考えればよかった。
優等生あるあるだろうな、きっとね。
大学受験ぐらいまではそうなんじゃないかな。
どうするかみたいな些細な差はある。
どの学校を受けるとか、どの教科で頑張るとか、
そういう些細な差はあると。
高校でも起業するんだとか、
そういうのを1ミリも考えなかった。
そうだね。
起業するんだとか考えなかったかもね、あんまり。
まだそんな文化でもなかったしな。
文化でもなかったけど、やってない人がいないわけでもないわけじゃないですか。
そこまでのバイナリティというか、
必要性も感じてなかったというか。
就職だっていいわけじゃないですか。
確かにね。
選択肢に上がりもしなかったなっていう感覚はあるかな。
なるほど、だからもう見えてるレールのラインで基本はやってきたなって。
そうそう、だからやってよかったは僕はないんだよね。
やるもんだと思ってた。
面白いね、やるもんだと思ってたからやってよかったがないわ。
めっちゃ面白そう。
逆に勉強なんてやってらんねーよもなかったって。
やるもんだっていう。
やるもんだからさ。
すごいな。
そういうマインドの人はやっぱ。
やるもんだし、できたし。
できなかったら嫌だったと思うんだけど。
なんかできるなら、できて褒められるならまあやるかみたいな。
なるほどね。
確かにね。
いやそうだね、その話聞くとますます俺レール外れるというかさ。
2年生レールなかったでしょ。
あったあったあった。
一応言わせてもらうと小学校2年生くらいまで吉祥寺にいて、
そっから転校してきて3、4年生までは割と優等生だったんですよ。
割とね。
で、やっぱ5年生以降がちょっと外れたというか、
信じてたものが幻想だったと気づいたのが小学校5年生の時だった。
早いな。
そっからはそのレールが消えたからどうしようっていうふうに考えざるを得なかったんだと思うんだよね。
なるほどね。
これを行けばいいっていうのをなんか疑いもせず、小4くらいまではそれこそ生活してたんだけど、
それがある時、あ、違うぞってなって、いやどうしていくみたいな感じになっちゃって、
考えざるを得ないから、やるかみたいな。
これはやるもんだみたいに思えるのって逆に強いと思っててさ、
疑いもなくそれをやれるってことは、変に考える時間がないからさ、
もうそこの中での結果を出すのには最適なフォーマット。
子どもの体験の重要性
すごい順度が高いみたいな。
そうそう。
羨ましいよね、それ。
だからさ、今大人になってさ、子供を育てている方の世代とかを見るとさ、
まあ同世代とかを見るとさ、子供には自然を体験させてあげたいみたいな、
都心のゴミゴミしたところではなく、広い自然がたくさんあるところでみたいなのが、
何がいいのか全くわかんないんだよね。
なるほどね。
自然とか別にいらんくないって思ってる。
いやいや、やっぱハチミツ食べようぜ。
まあそんなラジオだからって尖ったこと言って。
子供の頃、自分も父親が理科の先生とかだったから、
なんか少年団みたいなやつを連れてかれて山登ってみたいなことをさせられたんだけど、
すげえ嫌だったもん。何も楽しくねえし。
なるほどね。
なんか早く終わんねえかなとしか思わなかったから。
それはある種強制というか、でもそれでもやるもんだと思ってついてきてはいたんだよね。
なんかそれがゲームだと思ったから。学校通うみたいなもんだと思って。
なるほど。
偉いよなあ。
いや偉いよね。
だけどこれ何がいいみたいな。
未だにわかってないですよ。子供のびのびとみたいな。
いやゲームさせた方が楽しいっしょ絶対。
わあ、なるほどなあ。
たしかにね。楽しさは違うかもなあ。
ゲーム。
でもまあ一理あるっちゃ一理ある気はするよね。
そうだね。
何が楽しくて何がどう生きる、その後に生きるかみたいな話ってさ。
だからやっぱ覚えてるのは、その習い事とかは嫌だったし、
なんか楽しかったのはやっぱりこうゲームとかその、
自分の中で工夫できる領域みたいなのが楽しかったよね。
ゲームの攻略とか。
それで言うと結局やっぱりその、自分で考える余地があるっていうところに対して、
良かったなという印象が残ってるってことですね。
そうそう。
だから自然とか体を動かすとか、そういう範囲を学校でやればいいんじゃねっていうぐらいの。
大人の体験と記憶
おお、なるほど。
そのために義務教育ってあるんでしょうぐらいの。
なるほど。
すごい。
大人の反応。
二人の意見がこう、すごいなあ。
どうしようかなあ。
チロが先生、困った先生みたいなポジションになっちゃうよね。
そうだよね。
一番経験値あるチロ先生の話を是非。
いや、そうだよね。
いろんな視点で。
いや、僕はたぶん二人のちょうど真ん中ぐらいの。
地で。
あとタカヤスみたいな、蜂の子までは食べてないけど。
自然も。
まあまあ、自然もそこそこ感じながら外で遊ぶがやっぱ主体だったし。
ゲームとかも別にしたはしたけど、
なんというか、僕そんなにゲーム得意じゃないから。
そうね。
それに割と早くから気づいたから、そんなに長くやってたし。
早いな、それは確かに。
何だろうね。
自分の経験としてこれをやってよかったなみたいなことで言ったら、
でもやっぱり肌感、自分の体の感覚としてちゃんと覚えてるもの。
その、五感が全部使われてるようなもの。
匂いとかも、音も、目も、触覚もとかも、
全部そこに感情も含めて覚えてるようなことで、
体験としてすごいやっぱり記憶に残っているから、
大人になってそれを反省した時に、
この時の経験ってこういうことだったんだなとか、
この時の感情ってあの時は気づいてなかったけど、
こういうふうに思ってたんだなみたいなのを大人になって思い出して、
そうだったなみたいな、ちょっとエモいみたいなことはあるかな。
なるほどね。
だからそれらが、よく言えば今の自分を形成している、
なんというか、ものにはなってると思うし、
その経験が仮になかったら、ここまで人に優しくできないだろうなとかも含めてあるかなとは思う。
で、自分の子供を育ててての感覚で言うと、
やっぱりこの現代社会はそれこそ、もうネットがね、もうすごく発展していて、
なんでも情報を忘れて、クリック一つで答えがわかるようなものがたくさんあって、
単純な知的好奇心を満たすだけだったら、もう全然それだけで十分じゃない。
これでなんだろう、ぷち、あ、こうなんだ、へーって終われるぐらいの感覚があるんだけど、
でも、なんかね、やっぱ抜け落ちる感覚があって、
そうだよね、答え知れても蜂の幼虫の味はわからないもんね。
そうそう、だから高谷さんがこの幼少期に経験してきた体験で、やっぱりすごく意義があるなと思うんだけど、
それをただ、あ、蜂の幼虫って食べれるんだ、こんな感じなんだ、ここにあるんだとかっていう情報としては全部わかるし、
味の感触とかだって、その、乗ってはいるじゃない、きっとちょっとねっとりしてますとかさ、ぷちっとしますとかさ、そういうなんか。
甘エビっぽかったよ。
俺醤油つけたらうまいだろうなってめっちゃ思った記憶がある。
でも、そういうただの情報としては簡単にアクセスできるんだけど、やっぱそこに身体感覚が乗っかっていかないというか、
頭の中でしかそれが理解されない分、何というか、真にわかるとか理解するとかってどういうことなんだろうなという疑問もあるな。
むしろ疑問を抱いてるみたいな。
何というか、情報としては同じじゃん、与えられている。
最終的に解釈すべき情報量は、情報は同じなんだけど、体験を持っているものと、体験ではなくただただ情報として得たものに、
なぜ差が出るのかっていうところをうまく自分の中で論じきれないけれども、
ただ感覚的には体験を詰める時期っていうのは幼少期とかそれこそ大人になるまでの間で、自由にそういった体験を積みやすいし、
そこで成長発達していく中でいろんな体験がある子の方が、やっぱりより豊かにいろんなことを感じられるみたいな。
現代社会の変化
要は股間が開かれるような感覚。
単純にパソコンの前でずっとそういった情報だけを得てインプットしたとしても、何というか、高谷さん別にその経験がさ、今の仕事にめちゃめちゃ役立ってますっていうわけではない。
別に8年うちを食べたから仕事が来るわけじゃないからね。
でも、どっかこうネタとしてつかみになっていたり。
それつかみにした記憶ないんだけどね。
俺が知ってる。
そこに何か人間としての、人間基礎高安の何というか、すごく良さというからしさが詰まっているエピソードとしてすごい素敵だなと思うんだけど、
何かそういうものが乗っかってこない、体感が体験がないものって。
すっごい雑な言い方すれば、何かある種頭でっかちになっちゃうってことだと思うんで。
その一時情報とか一時的な体験、経験の価値が逆に今増しているみたいなことはすごいあるかもしれないなと思う。
だから何でもわかるし、何でもアクセスできるし、何か欲しいものならすぐ買えるぐらいなこと。
世の中にピカチュウ版が発売されるからローソン行って予約表書いて何とかしてみたいなレトロなものを、
やってきた世代からすると、何だろうね、いろいろギャップにも感じるし、
子供が何でもすぐアクセスできる。だから最近の子供ってCMを耐えきれない。
CM耐えきれない。
あれ、サブスクさん最近の子供だっけ。
CMって超いらないよな。全く見てないね、最近。
でもなんか我々の、何とか、ほんとちょっと話し飛んじゃうけど、
サブスク前世紀だから、過去の作品から今のものまでものすごい量のコンテンツがあるじゃん。
そのコンテンツがものすごく豪華だから、何というか、僕たちが子供の頃、
昨日テレビで見たこれのネタとか、今やってるアニメポケモンとか、遊戯王とかデジモンとか、
で、ある程度共通原稿としてやっぱりあったじゃん。
ゲームとかも、その時代のもの、その世代のもの、曲もそうだけど、
なんとなく共有しているものがふんわりとあったと思うんだけど、
それがあまりにも広すぎて、
何というかね、
今の子供たちのコミュニケーションってすごい難しそうだなって、
僕が今、子供だったらすごい思う。
あの子は今、穴行きが好きで、ディズニープラスでディズニー全部見てる。
でもこっちの子は最近マーベルが好きで、この作品を追っていて、
こっちの子はパウパトロールが好きで、何百話と毎日見続けて、みたいな感じで、
各々が各々、好きなものを追求できるはすごく素敵な一面もあるんだけど、
何というか、すごくこうね、集まった時にびちゃがちゃしてるというか、
集団にまとまりがないというか。
でもそれはある種の多様性の話になるんだろうね。
これが多様ですごく良い反面、
人と人との繋がりがより薄くなってるというか、
表面的にならざるを得ないような環境になってるというか。
なるほど。
この子たちが今後大人になっていく過程で、
やはりおそらく今以上に何か問題が出てくるとしたら、
大人のコミュニケーションとか、
人と人との関係性であったり、
関わり方にちょっと障害されてくるようなことって、
多分もっともっと増えてくるんだろうなと。
なるほど。
結果それって、今もそうだけど出生率もだいぶ低いし、
そもそも別に結婚なってしなくてもいいですって人もいりゃ、
子育てだって別にやりたくないですって人もいる。
それ自体は別にいいと思うんだけど、
緩やかに人類が絶滅してってるみたいな感覚も、
裏を返せばあるよなとは思っていて。
でも、むっちゃ無駄に過激なこと言うんだけど、
たまたま同じ地域に生まれただけで仲良くしなくちゃいけないってのも、
なんか納得いかないんだよね。
過激だね。
でもそれはすごい理解できる。
別に仲良くする必要はないよ。
ただ、地域も含め、国とか世界とか、
広く捉えればいいからでもあれだけど、
そのコミュニティの中でコミュニケーションを取る、
好きだろうが嫌いだろうが、
そこに行って人との関わりがなくなってしまったら、
いくらAIが管理できて何でもかんでもできるようになったとはいえ、
なんというか、そこに人と人との繋がりがなくなったら、
もう地球はじゃあしまいじゃないですか、みたいな論もあると思うんだよね。
でも、繋がりがなくなるってことじゃないんだろうね。
より自分に合った繋がりを求めて動いてしまうということなんだとは思う。
だから、ある種、過激派と保守派等みたいに、
やっぱこう、どうしても別れていってしまうのが、
なんかそんなとこからもちょっとうかがい知れるなと。
僕過激派だからさ。
いいね、僕過激派だから。
言いたいだけでしょ。
言いたいだけなんだけど。
なんかその、チローが言うことも分かりつつ、やっぱりとはいえ、
それってなんか進化の過程じゃねっていう感覚もやっぱあるというか、
なんというか、
じゃあ我々、さっき言葉尻を捕まえるようで申し訳ないけど、
チローのローソンに並んでピカチューバンを買ったという経験があって言うけど、
それだってたぶん昭和生まれからしたら新しい体験なわけじゃないですか。
そうそうそうそう。
瞬間瞬間の。
だからなんか変化でしかないんじゃないかなっていう気がするというか。
そうだね、なんか絶対的な正解があるものではない以上さ、
この時はこうだった、で今はこうっていう、
現象としての事実があるだけだと思ってて、
それが果たして昔スタイルがすごく正解なのかも分からないし、
体験の重要性
今スタイルがどうなのか、これによってまた何かがどう変わるのか、
変わることが良いのか悪いのかみたいな話っていうのはなんだろうね。
言いながらちょっと思いました。
僕が昔いろいろ連れてかれたことが嫌だったから、
それがブルーな気持ちになってるかもしれません。
僕の頃の経験が嫌だったから古いものは良くないんだっていう、
逆にそのスパイアスが強いにかかってるのはあるのかもなってちょっと思いました。
でも人間である以上、何かを分かち合う以上の楽しさというか、
幸せとかの感じ方っていうのは基本はないとは俺は思ってるんだけど、こう見える。
めっちゃ信じてない返事が2人から。
ちょっともう1回言って。
びっくりしたね、音が違う。
すごい、揃ったね。
同じトーンで言われてびっくりした。
もう1回言って。
何かを分かち合うことが人間の喜びでしょうっていうのはめちゃくちゃ思ってて。
要するに、これもさ、この保育の授業とかも1人でやってても、
モチベーションも当然、俺自身は保育の関係者じゃなかったし、
ないけどさ、こうやって一緒になんかやってるから面白いなって俺は思うわけよ。
で、それをなんていうのかな、
じゃあ完全に1人でさ、このコミュニティが嫌だから1人でやりますみたいな。
個々の天才みたいな話はあるかもしれないんだけど、
それってやっぱね、面白くないと思うんだよね。
なるほどね。
どんな個々な天才に見える人でも、
何かが世の中に出るまでの過程で人と関わってはいるわけだからさ、
個々の天才が個々の天才として認知されるためには、
何かしら外へのデリバリーがないといけないじゃん。
すごい素敵な視点だと思う、それは。
なんていうか、結局ほら、自己隠しとか、
自分自身というものを認識するたびには絶対に他者が必要みたいなさ。
なんか、まあそんな感じの哲学いっぱいあるじゃないですか。
でも人間関係形態が言うように煩わしいところも多いな、確かで。
だからなんかなんていうの、自分に合ったスタイルでやるのがいいっていう。
昔に比べてその選択できるという幅ができたよねっていうのが、
なんとなく今の理解だね。
多様化して、それらが容認されて認知されて、
こう、ある種広がり、広がり続けている今現状みたいな。
広がりかつ細分化され続けてるっていうか。
ある一定なんかこう、なんていうのかな、
俯瞰して見れるとか、メタ的に自分の立場を見れればいいんだけど、
だって俺そのために教育じゃなくて、
いわゆるコンコートゾーンから出るじゃないけどさ、
留学にせよ、何かアウェイに行くみたいなことはすごく大事だなと思ってるんだけど、
なんていうの、Xとかツイッターの炎上とかを見ててもさ、
やっぱり、なんかね、ひまな人が多いんだなっていうのも当然あるんだけど、
単純に他者への想像力がない人がすごく多いんだろうな、
ドーハさんの上ではね。
それが面白いなって思ってる。
みんな自分と同じ考えであればいいというかさ、
であるのが絶対正義だから、価値観で、
すごい言ってるなってめっちゃ思うんだけど。
ちょっと話を戻るんだけど、
ずっとどういう体験がいいかの軸で自然が出るときに全くいかない理由が、
ちょっとだけ自分の中で言語化できて、
自然か人工かというか、
屋内か屋外かっていうところにあんまり自分が重きを置いてないなと思ってるというか、
それよりもどっちでもいいから、
運動と健康の影響
人と一緒に自分たちでプロジェクトを成し遂げるとか、
それぐらいの流度の方がいいなっていう気がする。
なるほどね。
それが外での屋外での遊びとか、
秘密基地作るでもいいし、
フォートナイトで一緒に遊びましたでもいいと思ってるっていう感覚の方が自分は強いかもなって。
なるほど。
そこの何ていうか、
そうで言えばそうかもしれない。
そうが重なっちゃった。
そのレイヤーで言えば、
それは僕もそう思う。
ある治療プログラム的な感覚で、
例えば人と人との関わりの中に障害があってとかなんかあったら、
屋外でやるももちろんあるし、
そういったゲームを通じて関わりを持つことで、
治療されていくっていうのも両極あると思う。
1個だけ覚え至るものとして、
屋内屋外で言ったら、
単純に運動のレベル感というか、
体を使うかどうかのレベル感っていうのは新たさまに違っていて、
現状やっぱり今この子どもたちの世代は、
運動能力が下がってる、視力が下がってるっていうのはデータとして如実に出ているから、
それによって健康リスクが、
健康を害するリスクが多少ないと、
将来的に上がっていくとか骨が弱くなるとか、
もうほんとみんな視力が1.0ない子の方が多くなってきちゃうぐらいな、
もう全然上がっていかないとかね。
自由研究と親の関与
だからメガネなしでは生きられませんみたいな。
もしかしたらそれも進化かもしれないよね。
そう、最終的に。
新開業みたいな話でしょ。
そうそう、だって使う必要がないから、
大変な話、環境に適応してるだけだよね。
そういうことだよね、適応してるってことだよね。
適応論的な、それこそ進化と言えなくもないんだけど。
まあ、極論言えばそう言えなくもないけどってことだよね。
そこに警鐘を鳴らしている、何かドクターとか研究者もたくさんいる一方で、
ここまで便利になった時代に、
じゃあ石器時代まで戻りなさいって言われたってもちろん無理だし、
ある種、何とか人間が建てた家だろうがビルだろうが街だろうが、
言ってしまえば全部自然じゃないですか。
人工と言われるものは、だって人が作ったんだから。
人は自然のものでしょ。
じゃあ人が作ったものも自然じゃんっていう考えもわかる。
だから単純に、何とか山に登って植物に触れて星を見上げましょう。
これが本当の体験なんですっていう持ってき方は松木じゃないと思うし、
だからそれを子供にさせなきゃいけないんですって、
その論点から言ってやってるものは、ちょっとそこだけじゃないのな。
やってること自体は否定しないけど、という気持ちではいる。
し、自分の子供とか保育園とかで働いて、今の子供たちに何かっていうのを思うと、
それこそ人との関わりを持ちつつ、
でも興味持った時に、自分でやってみようとする、その心意気というか。
できるできないじゃなくて、やろうとするかどうかみたいな。
やれるかどうかというか。
そこで自分で考えてできるかどうかみたいなことの方が、
それこそ大人になってからも、
基本的な仕事への向き合い方というか、
人生への向き合い方にも直結してくるテーマだと思うから、
子供がこれやりたいって言ったら、なるべくそれができるような環境を、
こちら側が準備できるものはするし、
お金で解決できるのであれば、それはお金を払ってあげたいなとも思うし。
体験したことをすごく、
特にうちの子供は、ちょっと前に、
秋川渓谷だっけ、奥多摩のほうに行って、
魚が釣れるカフェみたいなのがあってさ、
僕全然魚釣りとかしたことないし、ぬめぬめして気持ち悪いと思うタイプなんで、
そうなの?
餌臭いなぐらいな感じなんだけど、
うちの目は割と平気なタイプな人なんで、
嫁と子供と魚、実際に虹マスカナが釣って、
その場で焼いてくれってね、食べるみたいな体験をしたんだけど、
それはすごい彼の中でも特別で、釣れたっていう達成感だったり、
ぬめぬめして気持ち悪かったっていう感覚も、食べて美味しかったっていう感覚も、
すごい生き生きと彼の中で、今何度でも話に上がるぐらい楽しかったんだなって、
そういう楽しい経験をいっぱいつましてあげるって、すごい子育てとか保育で大事だよな、
子供がそれこそ主体的にやりたいと思ったことを、
あの手この手で大人がやってあげられる社会って、めちゃめちゃ素敵だなと思っているので、
そういった意味じゃ、自然に繰り出そうは全然正解だと思うんだけどね。
ケイトは確かに、ケイト自身が言ってたように、過去のトラウマ的な、それがあっても悲しくなかったから、
その自然の体験が大事みたいなこと自体がどうこうっていう話ではなくて、
それによって思い起こされるものが、ちょっとネガティブな感覚を持っているのかもしれないね。
子供がやりたいと思うことをやらせてあげよう、だから自然だ、は俺の中で繋がらないっていうのがあるっていう。
でもそれは本当にそうだと思う。だからゲームとかも、俺一緒にやればいいんだと思うんだよね。
今、子供の中で問題になっているネットに繋がっちゃって、なんか怪しい大人と繋がっちゃってみたいな話も、
ゲームやりすぎちゃってちょっと依存症っぽくなっちゃったりっていう話も、
どっかで、そこに親が介在してないその子だけの時間で、そのゲームだけにより世界になってしまうから、
そう、ならざるを得ないっていうケースも多いと思うんだよね。
一緒にやればいい。
逆に親から離れられるからその時間が必要。
かかる。
だからそれは、そこまで成熟していればいい。
それは自然じゃん。一定超えて自我がそんだけ育てば、
自分が一番近い人たちからちょっと離れて自分の世界を確立するっていうのはもう人間の成長発達としては自然なので、
それでちょっと離れてゲームするは全然いいと思う。
そうじゃない時期からゲーム付け、そして一人でその世界だけに入り込んでしまうような、
ある種ちょっと病的な状況になってしまうことが増えてきちゃっているから、
なるほどね。どれくらい増えてんだろうな。
だとしたら大人が一緒にやればいいだろうなと思う。
で、ある程度のリテラシーを持ったら、一定の約束は守ってもらう中で隠れてゲームすりゃいいと思うんだよね。
そうだね、いかに親との約束を守ってる風に守らないかに知恵を絞るというのは、その後の人生で生きるのには結構生きると思うんだよな。
そう、それは本当間違いない。で、何なら親はそこまでわかって気づいて黙認してるケースの方が多いからね。
修学旅行の時の見回りの先生みたいなね。
そうそうそうそう。
本当はみんな起きてるけど寝たふりして、よし先生騙したぞってなんとなく生徒の中ではやったったみたいな感じだけど、
先生は理解した上でそれをやってるみたいなね。
絶対バレてるからね。
うちの両親教師さんが言ってたけど、バレてるって。
そりゃそうだろうな。
大人になって初めて気づく大人の優しさだよね。
あの時俺らは手の平の上だったのかっていうね。
2大バレてるが、修学旅行を寝たふりと自由研究を親がやってるだって。
あからさまに完成度の差が激しいもんね。
自由研究は面白いね。
自由研究はだって、自分でやってる人いいと思われる。
でもそれもちょっと親に聞いたんだけど、あれはもうなんか親がどれだけ子供に関与してるかっていうのがわかるようなものだっていう。
そっちだと思うよ。
そこでちょっとネグレクト傾向があるかどうかとか、性質自体で見えるよね。
その視点はなかった。面白い。
そっちだと思う。
あれを100%子供がやることはもうないだろうと。
子どもに与えたい体験
どれだけ自主視点を高めようとしながら親がちゃんと関わってられるかっていう視点もすごく大事に見てるって。
なるほどね。面白いね。
面白いね。
この話、無限にできるな。
面白いと思うよ。
ぜひその道の専門家の人に聞いてみて。そして戦わせたい。
戦うことはないよ。
負けねえ。
自然は要らないと思う。
奥内派、奥外派。
言いながら自分も子育てする側になったら、やっぱ自然症って言っていい?
やっぱ自然症って言う。
めっちゃコロッといそうなタイプ。
余裕で手のひら返すんで、僕そういうの。
全然ゲームとかさせないかもしれない。
させない、させない。脳に悪い。
脳に悪い。
面白いね。
じゃあ、というわけで。
着地点は特にございませんが。
いいんじゃないでしょうか。
今後もね、過激派の河地さんと独創的な木曽さんと。
この2人と比べたら中間の私とでちょっとね。
確かにね。僕はね、一生懸命過激にしようと思って過激になってるけどね。木曽さんはなんか普通だからね。
高谷さんは。
僕は過激ではないと思ってるよ。
ナチュラルに過激な。
養殖じゃなくて天然の過激と。
養殖の天然と。
こっちは一生懸命作ってんだな、過激さんは。
頑張ってる、頑張ってる。
頑張ってんだな。
それ面白いな。
頑張ってる河地さんが聞けるのはここだけなんでね。
確かにね、すごくいいカメラ。
すごい頑張ってる。
本当、あの注意事項に書いてある諸説あります?みたいな。
本物を見たときに凹まないでください。ショックを受けないでください。あまりに違うので。
というわけで、全然観光の話じゃないですけど、でも保育にも通ずるそんな話を今後も展開していけたらいいなと思っているので、
ぜひぜひ皆さん、概要欄などから質問だったり、感想だったり、何台意見等々いただけたら励みになります。
よろしくお願いします。
蜂の幼虫食べた人がいたら教えてほしいね。
蜂の幼虫じゃなくていいです。甘えび食べてそれで十分なんで。
甘えび食べたら一緒だよって。
プリンに醤油かけてウニみたいな。
そうそうそうそう。知識だけで大丈夫なんで。経験とかなくても。
最後に僕から一つだけ、これ誰にも共感されないんですけど、
衝撃的な食体験
僕と僕のお姉ちゃんの幼少期の体験として一番衝撃的だったもので、
リンゴとピーナッツを一緒に食べると、
あれなんだっけ、甘酒だっけ?甘酒の味がするんですよ。
えー。甘酒飲んだことないっす。
甘酒の味という概念が存在してないんだ。
刺激だな。
甘酒飲んだことない。知らないです。
これはぜひ体験していただきたいと思います。
それはピーナッツバター的なやつですか?それともちゃんとピーナッツ?
えっとね、ピーナッツ、落花生。落花生とリンゴを一緒に食べると、
なんで?
甘酒の味がするのよ。
このなんでは、なんで食べたの?
そうそう、なんでそのセットを食べたのかは気になるところだね。
それは覚えてないですけど、なんでだっけな。
ピーナッツ。
なんかリンゴを食べる文化がうちにあって、
それはわかるよ。
毎日。
落花生、お父さんとかお母さんがおつまみ的に割って食べてるイメージもあるから、
そこがこうなって、
ペンパイナップルはポペン。
そうそうそう、PPAP。
まずは甘酒飲むところかな。
そうですね。
ぜひぜひよろしくお願いします。
ということで、ご静聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
バイバイ。
40:17

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