じゃあ、大ちゃんテーマ行っちゃいますよ。
行きましょう。
今回のテーマはこちら。
5年間病急ゼルのチーム作り、スクールコーチブッチ先生の挑戦。
はい。
この緩いスタートからは信じられない、ちゃんとしたテーマ。
ちゃんとしてる。
こんな、ヌローなのにね。
ヌローなのに。
ヌローなのに、ちゃんとしたメッセージを。
なんで、車の中なんで、今日は一緒にドライブしてる感覚で、このブッチ先生の挑戦を聞いてもらおうというところでございます。
ブッチ先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
それでは本編です。
今回は、5年間病急ゼルのチーム作り、スクールコーチブッチ先生の挑戦ということで、ブッチ先生の車に乗りながらお届けしようというところでございます。
今、移動中です。
よろしくお願いします。
なんか、斬新な感じですね、これがね。
ね。僕らも初めてです。
こんなの。
確かにね。
公演とか、いろいろやってきた中で、車内は初めてですね。
初めてですね。
どんどんなんか、あれもいいんじゃないかって開放されてきて、もう今車内なんで、大ちゃんの顔完全に見えてない。
俺も前のさ、バイクの人見ながら喋ってるもん。
あの人オレンジ色だなーって思いながら喋ってるからね。
新しいよね。
新しいよ。
そんなフレッシュな気持ちで、ブッチ先生のお話をたくさん聞いていこうというところでございます。
じゃあブッチさん、簡単に自己紹介をお願いします。
はい。大阪でティーチャーズライフデザインという会社で一人なんですけど、先生から独立起業して、今スクールコーチとして活動しています。
岩渕洋次郎、ブッチと言います。
仕事というかやってたことは2年半ぐらい前に起業したんですけど、それまでは現場で教務主任、主管教諭っていうポジションで学校のチーム作りを5年間ぐらいやってきまして。
その時にスクールコーチと言っているコーチングっていうのを使って、現場がちょっと疲弊していたりとか疲れていたりとか、先生たちが何かちょっと思いのある素敵な方なのにお互いがちょっとギスギスしたり対立し合ったりするのを何とかしたくて、
チーム作りにやっていくと、すごいお互いが本音を言えたり夢が叶ったりとか、働きやすい職場に変わっていったので、これ何か自分の学校だけじゃなくていろんなところにも恩返しする形でしたいなということで2年半前に独立することにして、今はそれで外から中に向けて活動している、そういう挑戦をしています。
いいですね。めちゃくちゃいいですね。ありがとうございます。というわけで、大阪の小学校の先生だったっていうことですね。
はい、そうです。
大ちゃんはブッチさんと関係長いの?
めちゃくちゃ長いわけじゃないんだけど、結構濃く関わっているのよ。
実はね、ブッチが現場のとき一方的に存じておりまして、いい学校だったよって今ベネッセのショージさんが語ってたんですよね。
ちょっと一時有名になって、なんであんなに同僚性が高いんだろうっていうふうに話題になってたんですよ。
で、僕がいる会社の沢田まゆみさんも、あの人いいなとか言ってて、みんなでね、岩渕さん、ブッチすごいなって話をしてたっていうスタート?
これ言ってなかったね。
今は初めて聞いたね。
だからなんかね、ブッチとはずっと関わりたいなと思ってたら関わることができたんだよね。
どんな学校って聞いたの?
同僚性が高いっていう。
ただただ関係性がいいっていうのはあるかもしれないけど、高め合えるとかね。
そういうのを含めた同僚性が高いっていうのはすごいなと思ってて、それのまさに立役者だったんだよね。
そうなんですって自分で言うのもちょっと照れちゃうんですけど。
でもそこを一点にやってきてたので、外に向けて発信するというよりは、中の人に聞いてもらえたらいいですよっていう気持ちでずっとやってきてたので。
たまたま呼びたかったんですね、障子さんを。で、呼んだときにそういうふうに受け取ってもらえたのは嬉しかったですけど、今の話はめっちゃ初めて聞きました。
そうなんですよ。で、それでね、あるイベントで一緒に登壇したんですよ。
それをきっかけに、なんとですね、僕の今いる幸せ研究所にもブッチさん関わってもらってまして、スーパーアバン奏者としていろんな現場回ってくれてるんですよ。
おお、いいな。じゃあ大阪では自分たちの仲間である先生との関係づくりであったりとかってところに力を入れてたってことなんですね。
そうです。
素敵です。で、今回のテーマは5年間病急ゼロのチームづくり、そしてスクールコーチというふうに名前を付けさせてもらってるんですけど、じゃあ5年間病急ゼロのチームづくり、どんなものか教えてもらってもいいですか。
ありがとうございます。なんか話せば、長くはなっちゃうんですけどコンパクトに言うとですね、なんか病急ゼロのチームづくりがしたかったわけじゃないんですよ。
そもそも先生たちが楽しく自分たちの現場というか人生で選択した職場なので、そこに来たら会いたい人がいて、話したい人がいて、また行きたくなる場所になればいいなと思って、
関係性づくりとかの研修とかしたりとか、コミュニケーションがギスギスすると、なんかいい仕組みやいい才能とか、すごい先生はいっぱいいたんですけどそれがちょっとうまく歯車が合わないときもあったので、
それを関係性で合わせていったりチームビルディングしていくと、自創し始めて先生たちが自分のやりたいことを形にしていくようなこととか思いが言えるようになっていったんですよ。
最初は助け合いとか安心安全が土台だったんで、それが幸せだなと思ってたんですけど、その後みんなやりたいことを言うようになってきて、やりたいことを言うのが形になっていって、学校教育目標とかも自分たちで一緒に校長先生も含めて作るようになって、今もそのカルチャーは残っているんですけど、
自分たちの学校とか自分たちで作れるとか、あとは子どもたちを真ん中にみたいなところをすごく大事に自創し始めたので、最後5年ぐらい経ったときに教頭先生からですね、この学校の素晴らしいところは病気出てないところですよねって言われたんですよ。
そうなんですねってそこで気がついて、どれくらい出てないんですかって聞いたら、本当に自分が教務主任に勤めてチームビルディングしたいですって言ったら、ちょうど5年間出てなかったんで、これは使わせてもらおうと思って後付けみたいな形だったんですけど、結局夢が叶う職場とか働きやすい職場とかになると勝手に人が辞めない形になっていたっていうようなので、それがベースですかね関係性とかが。
じゃあもう絶対病急ゼロにするんだっていう数字があったわけじゃなくて、だいちゃん同僚制って言ってくれたけれども、お互いを大切にしたり、それぞれの中にあるやりたいとかこれが好きっていうのを大切にしたり、そういうことを求めていったってことなんですね。
そうですね。
だいちゃん5年間病急ゼロってすごいことなのかな。
これはすごいことだと思うよ。今1年間で約1万3000人ぐらいの病急の方がいらっしゃると、これどこの区切りで何ヶ月以上とかも入れて1ヶ月以上で1万3000人約と言われてるんですけど、1日で全国30人ずつぐらい病急者が出てる計算でしょ。
その中でゼロっていうのはやっぱりすごいことだと思うし、その数字を狙ってなかったっていうのが僕はすごくいいと思うんだよね。その目の前にいるとか周りにいる人を大切にしようっていう、その延長線上にたまたまこの数値が出たっていうことはすごいことだよなって本当に思いますね。
ありがとうございます。
じゃあ実際に同僚制というかどうやって認めていくかとか、スクールコーチって何なのかっていうことを具体的に聞きたいんですけれども、ちょっとその前に僕とぶっちさんの話をさせてもらいますと、3ヶ月前に実は相談のオンラインをさせてもらったんですね。
9月1日の先生へということで、夏休み中にメッセージを集めて3本のエピソードをやらせてもらったんですけれども、ぶっちさんがスクールコーチとして先生を支える立場でいらっしゃったんで、先生の心を支えるってどういうことなんだろうということで相談させていただきました。ありがとうございました。
9月1日の先生へということで、18人からのメッセージを集めたんですけれども、いかがでしたか?
やっぱりそのテーマあったときに、いろいろ現場のことを思い出したりとか、今現場で働いてる先生と関わってコーチとしてサポートしたりとかもしてるところがあるので、
そうやってイメージすると、みんなそこに重たさを感じる職場になっちゃってるのをどうにかしたいなとか、一人一人の心をひも解いていきたいんですけど、そこのチーム性とか仕組みとかっていうところが何かその行きたくなさとかを作ってるんだとしたら、そこに何かできることないかなってことで、
なんかちょこっとアイディアみたいなところとかが見てると、みんなそれぞれの中で工夫してるんだけど、みんながそれを共有できて、行きたい場所に変えていきたいなっていうのを見てて思いましたね。
うっちさんは9月1日、楽しみなタイプでしたか?
楽しみでした。
いいですね。
早く終わらないかなっていうタイプですね。
素敵ですね。
どんな気分で9月1日に迎えてましたか?
多分、いろいろリフレッシュして会いたくなるんですね、子どもたちにもそうだし。で、僕は仲間たちにも会いたかったんで、だから会いたいな、早く行きたいなとか早く会いたいなって自然に思っていたというか、早く終わってほしいなっていうタイプでした。
いいですね。
なんででしょうね。
なんででしょうね。
そこは職場の風土もあるよね、やっぱり。空気感がすごいいいからさ、早く行きたいなってなってたのはあるんじゃないかなと思うけどね。
で、うっち先生は新卒後すぐ先生じゃないんですよね。いわゆる一般企業に行ってたんですよね。
そうなんですよ。最初なんか日本語教師っていうちょっと変わったお仕事を2年半ぐらいして、そこからプログラマーになってリーマンショックをちょうど受けまして、やばいぞと。そこから教育の世界にまた戻ってきたっていう感じでしたね。
プログラマーとなるとなんか全然違う仕事ですよね。
そうなんです。でもちゃんと意味があって言ってて、当時なんかITが流行ってきたんですよ、社会全体で取り入れようと。
で、教育に戻るときに免許がなかったんですよ、私が。学校現場に行くときに。大学は取ってなかったんで。通信で取るときに、社会経験をしてお金も稼いで学費を賄って、学校現場に行きたい、チャレンジしたいっていうときに、何の会社に入ったら一番いいかなって思って、ITを選んだら大変でしたね。
勉強しながら仕事もして、でもやっぱり先生がいいんだって思ったきっかけは何ですか?
教える仕事がずっと好きだったんですけど、日本語教師はちょっとニッチな世界というか、なかなか食べていくとか家族を養っていく難しさみたいなのがあったので、ちゃんと経済力もあって教える仕事に集中できるっていう小学校の先生に昔憧れたことがあったので、そこにやっぱり戻って挑戦したいなと思って、それでですかね。
全国に先生になりたいと思って、一生懸命頑張ってらっしゃる方いますけれども、中でも自分の職業にしたいんだって思ったのは何でなんですかね?
いやだって、実習かな、教育実習に行った時とかに特に思ったんですけど、先生たちが顔つき合わせて次の探検とか行事とかを一生懸命考えてる姿を見たんですよ。
それが僕は結構衝撃的に残ってて、会社員の時はわりと指示を出されてその通り動いて、上司とチームと淡々と任せられた仕事をやってたんですけど、学校現場って年齢層が結構定年間近までベテランとか中堅20代から60代ぐらいまで一緒に働いてて、みんな教諭っていう同じポジションなので、
年齢層バラバラで顔つき合わせて子供のことを一生懸命考えてるんですよ。それ見たのが一番感動して、次の探検とか次どうするとか、こんな熱い大人いるんだっていう感動があって、会社でぐちぐち上司の悪口言って盛り上がってた自分の世界から全然違う世界に感動して、やっぱなろうと思いましたね。
でも結構、学校に寄っては本当に時間もなくて、子で働いていて、給食も一瞬で食べて、気づいたら同僚とも話さず終わっちゃったみたいな学校もたくさんありますよね。でもいいところに初めに出会ったんですね。
出会いましたね。実習もそうだったし、すぐ合格できなかったので、講師のときにお世話になった地元の小学校の先生もすごいよくして応援してくれて、それこそチーム性、同僚性の高いところだったので、そういうところですごい支えられたから、受かったときに本当に涙ながら感謝を伝えて、先生方のおかげですっていう形で去っていったような気が、次の現場に合格していったような気がします。
大ちゃん、そういう若いときの出会いって大切なんだね。
大事だと思うよ。そこでさ、自分の中の衝撃的な越境とかさ、衝撃的な出会いから生まれる理想が結構変えてくれると思うんだよね。
素敵です。先生たちがお互いに助け合っている、今までいたプログラムの会社では言われたことをやるだけだったけれども、チームワークめっちゃいいなと思って入って、実際に入った学校っていかがでしたか?
そこもやっぱり良かったんですよ。アットホームというか、ベテランも中経も若手もいて、ベテランの先生がすごい支えてくれてるところだったんですけど、いいところもあり、やっぱり志半ばで先生という仕事を辞めていったりとか諦めていったりする方もいらっしゃって、
それはすごく悔しかったですね。先輩としてそういうチームとか空気を作ってあげることができなかったっていう悔しさをずっとあった日もありましたね。
それは自分自身の力が足りなかったなってことなんですかね。
何でしょうかね、なんかもっと聞いてあげたかったなとか、それこそ夢を持って入ってきた若手がね、夢を途中で諦めてしまうような職場になっていたっていうところがものすごくこう、先輩派だとか体育会系だったこともあるんですけど、
後輩が気持ちよく仕事に没頭できない状況を作る先輩って何だろうと思っちゃって、いろいろ相談に一生懸命のってたりとか先輩として何かできることないかなってやってた中で、それと出会った時は悔しかったですね、めちゃくちゃ。
なるほど。先ほども5年間病休ゼロということを何度も繰り返させてもらってますけれども、じゃあご自身で悔しい思いから抜け出そうとなった時にステップはどんなことをされたんですかね。
そうなんです。悔しい思いがあったけど、どうしたらいいかがわからなかったんですよね。どうやったらそういう人を救えるかとかがわからなかったところもあったまま次の学校に2校目に移動して、
その2校目でもやっぱりそういう同じように若手の先生とかみんなチームがうまくいってないギスギス感があって、これ本当に何とかしたいと思ってそこでも頑張ったんですけど、
なんかやっぱりそれもうまく止めれなくてというか力になれない感じがまたあって、悔しくてそこからコーチングとかそういうのを学ぼうというふうにチーム作りしたいっていうのが見つかった感じでしたね。
環境とかが違うんだとか、もう上司のせいなんだとかじゃなくて、自分自身が学んで変えようって思ったのは何でなんですかね。
何ですかね、自分もちょっと落ちてたんです、教育の時に、その時に何で落ちてるかがわからなくて、それで教室でちょっといいこと言ってる子供の前では、でも自分は気持ちが落ちてるみたいなところの不一致感にずっと苦しんでたんですけど、そこでコーチングに出会ってコーチングにしてもらったんですよね。
その時に自分は本当に一生担任の先生をやろうと思って、この仕事を選んですごい楽しかった、それこそ夏休みいらないぐらい大好きだったのに、担任が先生の仕事が嫌いになってる自分がいてて、それは多分バランスが取れてなかったというか、一生懸命やりたいけど子供が生まれて家に帰れてないとかその辺のバランスが取れなくてしんどくなってたのにやっと気がついたのが心理学で、
そこからでもやりたいことなんだったっけなーって忘れちゃって前が見えなくなったのが下がってた時だったんでコーチング受けて自分軸が見つかった時に先生を救いたいっていうのが出てきたんですよ、子供と思ってたのに37歳で初めて言ったんです、先生たちと一緒にチーム作りたいっていうのが何の曇りもなく出てきたんですよ、コーチング。
じゃあやっぱり自分自身がコーチングをしてもらった経験っていうのもやっぱり一つ良かったんでしょうね。
そうですね、そこで自分軸が見つかって、そこから教務主任させてくださいって自分で直談判に行ってチーム作りしたいっていう目の前の先生たちが幸せに働ける学校を作りたいなと思って、そこからスタートした感じでしたね。
はじめはもう悔しさとかもどかしさとか自分自身もちょっとバランス崩しちゃっていたけども、やっぱりコーチングを実際自分が受けることによって、やりたかったことってこれだったんだってパッと見えたって感じですね。
見えたって感じでした。
めっちゃいいなあ。
動機がね、ちょっと近いというか、そこで意気投合したんだよね、僕とブッチーね。
そうだね。
僕自身は結構上手くいかなかった経験からそれを活かして何とかしたいっていうのもあったんだけど、ブッチーはまさにそれを体現してるからさ、かっこいいっすよ。
ダンスも上手いし。
みなさんぜひですね、ブッチーとつながってもらったらSNSにたまにダンス動画投稿してます。
人のところをすごい大事にしているところもだいちゃんと一緒で、すごい僕も感銘を受けたので、僕も実はだいちゃんっていう人を事前に知ってたから、
一緒にこうなるまでには結構段階を踏んで。
ちなみにだいちゃんを会う前はどんな人と聞いてたんですか?
いやもう働き方改革のトップランナーだと。
トップランナー。
私は聞いてましたね。僕の認識もそうでした。
僕よりも周りのよく知ってる先生たちが、いやぁだいちゃんと話してほしい、だいちゃんと会ってほしいっていうのがやっぱり多かったんですよ。
なるほど。
めっちゃ多かったです。
似てる部分があるから話したら絶対盛り上がるよみたいなことになる。
会いたくなってきて、会いたい会いたいって。
繋げます繋げますって。ここのラジオにも出た、東京にも出たシンゴさんとかが、シンゴちゃんも絶対会ってほしいって言って。
で、シンゴちゃんがイベントを開いてくれたとこに2人で登壇したんですよ。
そうだ、じゃあキューピットは古内シンゴちゃん。
そうなんです。
なるほどなるほど。シンゴちゃんも同じスピリットをね、持ってますからね。
なるほど、分かってきた。
じゃあそんな風にコーチングだとなって、もう先生を支えることなんだ、子供ももちろんいいけれども、もう同僚の先生を支えるんだってなってから、この5年間病急増え、冒頭にも言っていただいたいんですけれども、具体的にはどんなことをされたんですか?
具体的には最初の年が2019年だったので、ちょうどあのコロナが来た時でしたので、臨時休校があったり、ちょっと対面研修とかなかなかできない時だったので、その年はなんかワンオンワンをしたり自主勉強会から始めていったんですよ。
毎月毎月もやると決めてやっていったんですけど、そこで勉強会に来てくれた仲間とかが、ブッチこれは絶対に広げたほうがいいって応援してくれる人が徐々に増えていって、僕は最初有志だけでいいやと思ってたんですけど、それが仲間が徐々に増えていって、それこそ中枢のリーダーの人だったりとか、いろいろ思いのある先生がみんな応援してくれて徐々に増えていって、
2年間ぐらいはちょっとコツコツ活動してたんですけど、3年目でちょっと研修ができるようになった、2021年から自分で職員会議で提案して、こういう年間研修でチーム作りをやっていきたいですっていう、年間5回ぐらいの研修にして、あとはイベントとかも入れながらやっていきたいですっていう、そこで年間の形ができたというか。
4月にはこんなことをして、夏休みにはこんなことをしてっていう風な。先生たちの願いは僕の同じように、僕の自分の軸が見つかって、世界が一変したというか、毎日行く職員室とか学校が楽しくなったので、同じ現場なのに自分のやりたいことが見つかったらすごく変わったので、先生たちにもあるはずだと思って、
先生たちの自分の軸を引き出すという研修を4月に、5月とかにして、それを年間で叶えていくサポートとしてスクールコーチという位置づけにしたんですよ。
なるほど。
だから、バーベキューしたいっていうとか、みんなでスポーツ大会したいとか、こういう研究したいってなったら、それを応援する、後押しする。
なんで、教務主任2年目ぐらいのときに、校長にも言って、僕教務主任なんですけど、みんなの夢叶えるお手伝いをするので、文章にスクールコーチって載せてくださいって言ったら、いいよって言って、教務主任兼スクールコーチっていう位置づけ岩渕だったんですよ。
すごい、それ素敵だね。
そうだったんですよ。そうやなって校長先生も言ってくれて、確かにやってることそうやなって載せとくわって言って、本当に文章に載ってたんです、教務主任兼スクールコーチって。
兼ダンサー、今日引っ張るよ俺。
引っ張るね。
だってダンス上手いんだもん。でもすごいね、スクールコーチっていうのがちゃんと入れてもらえるとかもさ、
すごい。
すごい信頼を得てたんだね。
校長とタッグで一緒にやらせてもらったりとかも、その時応援してくれる中堅ミドルの人がたくさんいたので、各島ぐらいに柱みたいな人がいてですね。
えー。
鬼滅的に言うと柱みたいな。
あっちか。
柱みたいな人がいてて、みんなそれを各島で応援して、各学年に浸透させてくれたので。
へー。
それもこれも例えばバーベキューだったら、もうみんなで計画してるんだから5月はバーベキューじゃなくて、やりたいって言った人がいるわけですよね。
いますいます。
その方をやりたいんだったら応援するよっていう活動ってことですよね。
そうです。
めっちゃいいなー。それは学校行くの楽しくなっちゃう。
若手の人がスポーツ大会したいって言ったら、やろうよって言って、僕は別にお膳立てだけするので、その人に司会とか企画とか進めてもらって、
で、当日卓球大会、2学期の終わりかな、修行式の日に、クリスマス前ぐらいにやるんですよ、スポーツ大会を。今も残ってると思うんですけど文化として。
で、スポーツ大会終わったら校長がピザを取ってくれてて、みんなでクリスマスパーティーをそこでして。
2学期おつかれーって言って終わっていくみたいなカルチャーができたりとか、やりたいからカルチャー作りをしていくっていう、大ちゃんも大事にしていると思うんですけど、
それがなんか残っていく感じが面白かったですね。
素敵。
じゃあスクールコーチは独立されて今ティーチャーズライフデザインの代表だから作った名前じゃなくて、もう前からスクールコーチなんですね。
そうだったです。
ちょっとさ聞いてみたいことがあるんだけどさ、ブッチーのスクールコーチの解釈はどういう解釈の言葉なの?
あーなるほどね。これはもう先生の夢とか子供たちの夢とかを実現をサポートする人。その勇気を引き出す人。
スクールコーチだわ。
確かに。そもそも実現をサポートする前段階にこれやりたいを引き出すもありますもんね。
そうですね。
すごいなあ。
その発想に至ったのはずっとワンオンでなんか一部の先生5,6人毎月サポートしてたんですよ継続で。継続コーチングみたいな感じで。
これ全員無理だわってなって一体他のコーチングをしようって思った発想で研修でやろうっていう。
で研修で全員のやりたいを引き出してそれを職員室に張ってみたいな。
そこでみんなで共有して校長がバーベキューしたって書いてあったりとか。
校務員さんがこういう学校にしたいって書いてあったりとか。
非常勤の方も書いてたりとか。
いろんなこと書いてるのでそれ見て応援するっていうことをひたすらしてましたっていう感じ。
いやめっちゃいいなあ。