じゃあ小林雅樹先生ちょっとマイクのバトンを渡して。
どう見てましたか。
まずそもそも多分僕5年目の立てさんには言わないと思うんですよね。
もう関わらない。
自分自身がまず言うってことを否定って捉えちゃう人には言わなくて。
ちゃんと問いってもらえる人に問いって受け取ってもらえる人にしか言わないんです。
ただ僕が今の仲立てさんという人を知っていたら多分同じことを言ってるんですけど。
5年目の仲立てさんを知らない状態は同じことは言ってないと思うんです。
だから言う言葉は一緒なんですけど言い方とかじゃなくてこの人なら言っていいのか。
この人ならちょっと止まった方がいいのかをまず考えて。
で言ったら最後までちゃんと責任を持ちます多分。
なるほどなるほど。
だからそれで受け取ってくれて。
でもそれでも自分の道を進む伊達ちゃんだとするならばそれが伊達ちゃんだって思って。
一緒にそこに道を頑張ると思うんですよ。
でも受け取ってくれてなんかもがいてるんだったら一緒にもがくっていう。
多分そういうスタンスで僕は行く気がしましたね。
今話を聞きながらですけれども。
なんか回収してくれた感じがしますよね。
単純に一声かけるの言葉で言うと何から始める?
多分どの人でも変わらないと思います僕その言葉はやっぱり。
言葉よりもその場とその人自身がどういう人かを考えて喋るだけなので。
言い方を人によってでも変えてるか同じことを言うときにも例えば言い方をオグちゃんに言うときと伊達ちゃんに言うときでは変えないですね。
すいませんやっぱ変えないです。
だからその人によって言うことを変えてるから絶対。
だから言い方を変えて同じことを喋ることは多分ほとんどないです。
すいません何か矛盾してありましたけど。
まさきさんのさっき子供向けもそうでしたよね。
85点の時のそれがいい悔しさなのか支えたくなる悔しさって言いましたっけね。
それを見取りっていうのに挟んでますよね多分ね。
まさきさん一回見取り挟んでこれは今どうするべきなのかみたいなところの何かを挟んでる気がしたんですけどそれはあるんですか。
それは稲生に来てすごく子供たちから先生たちから学ばせてもらったことで。
特に自分はあえて見取りって言葉を使わないようにしてて。
感じるっていう。
子供を感じる。
子供を見取るって言ってるうちはまだ観察の息を出てない。
ブルスリーですね。
でもそれを意識的に感じられる人にもなりたいなって思ってるんですよね。
でも全然まだまだなんですけど。
見取ろう見取ろう見よう見ようって思ってるうちには見えてこないものがあるっていうことを稲生の子たちや保護者の人や先生たちや助言者の先生って方にたくさん教えてもらって今ここに立っているっていう感じですかね。
感じるか。
これは面白いぞ。
今見えないところで伊達ちゃんがそれそれって両手でアクションしてましたね。
これなんだね。
伊達ちゃん出るの何回目ですかこれ。声だけなの。
非言語見えないって。
うそ見えてない。見えてないの。
これ動画じゃないですから。
でも二人では相当通じ合ってるから。
伝わってると思います。
この質問をくださったこのエースさんはそこへのモヤモヤもあったのかな。
確かにきっと子供たち一人一人のことを大切にされているっていうのは間違いないと思います。エースさん自身は。
だからこそ点数であったり通知表であったり数値感みたいなことへの疑問っていうのがあったのかもしれないですね。
大切にしてるからこそね。
なので大切にするって気持ちはそのままで生徒たちのことをきっとエースさんは感じているから感じ取っているものを子供に伝えるってことはもう絶対的に変えずにやってほしいけれども。
その中での評価っていうものをどう捉えたら今を乗り越えられるかなってところかもしれないな。
マインド的には今話してきたことでなんか決着がついたというか着地したとしてなんかそれを阻害する何かってありませんか。
いなしょが通知表がないようにそれもある意味阻害するものを一個多分取り除いて70年経つわけですよね。
のおかげで多分本当の意味の評価ができているとしたらこの方も公立学校の先生なので。
なんか公立の学校でよくあるデフォルトでよくある何か阻害する仕組みってあるんじゃないかなっていうのは皆さんどうですか。
なんかありそうですね。
ではどことは言わないですけれども公立小学校の奥ちゃん。
やっぱり評価がこれだけなくならない理由がそれなのかなと個人的に思いました。
それを必要としているところがあるからなくならない。
その必要とする大枠を変えていかないとなくならない。
その評価を必要としている時間環境場があるからその評価をするために我々は活動してしまうとそこにすごく矛盾を感じているのかなと思いました。
特に伊達ちゃんは社会との競争社会との接続っていうのをたくさん考えていらっしゃると思いますけどそれはやっぱり大学内進展ってなってきたら子どもも先生も保護者も点数つけてよっていうのは当たり前かなと思うんですけれどもその大学そして社会のつながりっていうのはどう取れてますか。
これどうですかねさっきの話で言うとその人のあり方や生き方存在を支える後押しするそれが根底に流れているかどうかっていう話ではあったと思うんですけど
それって根底に流れていることさえ忘れてやっぱり人間の値踏みというか価値をそこでやっぱり決めてしまうたかが記号や数字でしかないのにその根底に流れているものがあるかないかって全然違うと思っていて
社会に出ていくと入試からそうなんですけど足切って選別するために多分あることですよね仕組みですよねその仕組みが多分これから子どもの数も半分に減り大学前入時代に例えばなりってなってくると誰がこう数字的に高いからどこに入る入らないゲームいわゆるゲームですよねこれ
そのゲームじゃなくなるゲームがそろそろ来ると僕は信じているのでそれをある意味卒近代とも呼んでるんですけどそういう社会のムードというか動きというか実質やっぱり人数減ってくるし足切って競わせて競争させてる場合じゃなくなってくるとなんかそのマインドがシステムにもこうやって反映されてくるんじゃないかなということは思ってますね
栄養入試も例えば一つのアラーレだと思いますけど
本当ですねどんどん変わってきてるのは感じますよねそして僕と大ちゃんがいつも話してるみたいなよりより方向になるよねっていうふうに心から思ってはいるんだけれどもそれっていつですか早くなってくださいっていうのも一方でありますよね
なんかね今の疎外因子をオグちゃんから出してくださって具体的な例えば今ワードで受験とかあとは通信もそうですしねこういうのがあるなっていうのも見えてきた中で今からすぐにでも一先生ができることも僕あると思ってるんですね
バイアスが意外とあるなと思ってるのは例えばね毎授業毎授業abcをつける必要はないって完全に明記されてるんですよこれ実はなのに毎回もうノートとか作成物集めてabcってつけるって教わってる先生もいるんですね実際ね
でもそれはしなくていいわけですよ形成的評価ってそれをすること求めてないんでざっくり把握して自分の指導を改善する先生がっていうのでいいのにめっちゃつけてるが故になんか自分も先生苦しいし子供にもなんか負担を与えたりとか結果的に子供たちをちょっとプレッシャーかけるみたいなこのままいったらお前点数Cでやばいぞみたいに言うとかって実はバイアスの世界でもあると思うんですよ
だからそこってちゃんと評価っていうのを捉えたら明日からの授業もちょっと変わると思うんですねだからなんか仕組みが変わらねばでもなくてもちろんそれも変わっていくことは望みつつも自分で一先生からできることもあるよなぁとか思うんですけどそのあたりってどうですか
私も同じように考えていて評価を大人同士で共有するっていうことはすごく大事だと思うんですよねその子を大事にするっていう意味に含めてもだから小学校から中学校に行くときにその子の評価を引き付けるためにABCがあるっていうことも全然否定はしないんですけれども
さっきから何回も話すように子供にどうそれが届くのかっていうことさえすごく大事にすればいいと思うので今までだって80点っていうテストをパンって渡してたのに一つ言葉をそこに添えるだけで全く見える世界が違うと思うんですよね
それは頑張りだけじゃなくてその子にとって何かプラスになるものでいいと思うんですよ
立ち止まりを生むものでもいいと思うしうちの教頭が算数のテストを見せてお母さんこれね60点だったんだけどここの計算見てよってこんなにやってあと一個ここさえ足してれば正解だったんだよここまでできてんだよこの子はって言われて60点のテストを渡されるのと60点のテストをただ渡されるのでは違うじゃないですか
だからそういうことなのかなって僕は思ったんですよね教頭の話を聞いてだからそういうところから常に私はあなたのことを大事にしているっていうあり方でちゃんと持っているとやれることがどんどん膨らんでいくそこなのかなって思うので
先ほどつぼけんさんも言ってたんですけどこの質問を下さった方は本当に子供のことを大事にしてるからこそきっとこの評価に立ち止まると思うんですよねじゃなきゃ立ち止まらないじゃないですかやって当たり前のものだからこそそういう方だからこそ何かできることがあるだろうなってものすごく自分は可能性をちょっと感じちゃいました
終わりそうですよねこれもう締めに入って締め締めですよしっとりしてきましたもんねちょっと1回だけごめん1回虫返したらカットしてカットしてあのいや今まさきさんの話聞いてやっぱりもう一個思い浮かんだの小学5年生の時僕が自分が子供自分がそうあのね算数のテストやってたんです
で書いては消し書いては消しわかんないので何度も消してたら一箇所ピリッと破れちゃったんですよ時間がだんだん迫ってきてそろそろおしまいってなってきてだんだん焦ってきて僕何したかっていうと全部破りせたんですそれテストもうわかんねえってぐちゃぐちゃにして破りせたんですよ
だからその評価としたそのテストは間違いなくも0点でしょ破りせてるからその時に当時僕にすごく影響を与えてくれた林先生っていう広島の先生がいて林新一郎先生っていう先生が寄ってきてくれてどうしたって僕なっかんって呼ばれてたんですけどなっかんどうしたって僕の涙ずーっと泣きじゃくって
だからテスト用紙破れたのを全部拾ってくれてこれどうしたってどこまでできたのって僕は言葉にならないんですけど指差しながらここまでこうできたみたいなこと言ってたんですよここまで頑張ってきたんだなってじゃあそれでいいじゃないかってここまで頑張ってこれたんだなってそれもう1回じゃあテープで貼って出そうかって言ってくれて
僕は大泣きしながらテストでテープでそれを貼って多分点数は0点ですよだけどそれを出しましたでそのやりとりがもう嬉しくて嬉しくてそこまでやった頑張ったっていうことを見てくれて感じてくれてそこで僕にそういう声かけてくれてずっと泣いてたので会話のやりとりはないんですけどでも未だにやっぱそれがファッて蘇ってきて
なんかだから評価の裏に滲み出るそのそうじゃない何かってやっぱあると思うんですねABCが仮についたとしてもね明日からだとしてもその裏に残るその人の中に残るそういう評価の裏に何かある関わりってやっぱあると思うのでそれは明日からでももしかしたらできるかなって感じました
めっちゃ素敵な話 めっちゃいいじゃん
ごめんね終わろうと思ってたんだけどね 終わろうと思ってた一個だけ今ので思い出したんですけど
今プラスの話を二人でしたんですけど中田でさんの校長先生みたいな人だったらきっとある種一見外から見たらマイナスのことでもその子にとってはプラスになることもあるかもしれないなと思う
さっき問われるというか厳しいことを言うってことももしかしたらプラスになるっていうのはやっぱその人との関係性だしその人が本当に大事に思ってくれてるっていうのは伝わると思うので
取り繕っていいことだけを言うっていうのもまたちょっと違うのかなっていうのももう一回立ち止まって考えたいなってこともちょっと思い出しました