なんかそれこそ子供って言うと、私最近お一個が生まれたんですけれども、
名前を決めるっていう段階でも、なんかこれは日本人とフランス人のミックスの子になるんですけど、このお一個は。
なんかこれは日本語にするとめめしく聞こえるとか、これはなんかフランス語にするとなんかとても男らしいとか、
なんかそういう判断基準で結構親たちがね、父親と母親たちが話を進めてて、
え、でもさどうする?これでなんか男の子だってわかりました。
で、男の子として育ててても、なんか途中でピンクのスカート履いて学校に行きたいわって言い出すかもしれないし、
なんかわかんないじゃん、そのへんはみたいな。そんなの両親のコントロール外じゃないって言って話して、
そしたらそんな心配はさせないでくれって怒られちゃったんですけど。
え、そうなんだ。
え、てかジョークでですよ。もちろんその時はその時だよね。
マニキュアでもなんでもしていってらっしゃいって感じだったけど、
ジョークでね、なんか今からそんな心配すんなよみたいな感じで。
可能性が広がっちゃうからね、候補が。
そう、そう。そんなさ、スーパージェンダーニュートラルな名前もそんなたくさんないし。
私たぶん自分の娘、ジェンダーニュートラルな系の名前にしたんですけど、
なんかそれって、じゃあもし男の子になりたいって言ったら、その名前でそのまま行くってこと?って聞かれて、
あ、なんかそれもどうなんだろう?みたいな。なんか難しすぎるわと思って。
でもその段階になったらもうなんか本人のさ、意思にした頃しかないじゃないですか。
なんか例えばジェンダーニュートラルな名前つけてても、なんか私は桃子で行きたいってなったら桃子になるわけだから。
だってね、明治期なんて自分で勝手に名前変えられたからね。
なんかあの、なんて言うの、人物伝とか見てたら、
例えばなんだ、吉田松陰とか人物伝とか見てても最初は、
なんかあの、幼い頃は、生は何、死は何、名は何として生まれとか言ってさ、
全然違う名前なんだけどって時もあるから。
中でコロコロ変わって、15歳の時にこの名前にしてみたいな。
だからもうその概念さえもさ、どうなんでしょうっていうね、すごい近代的な話だよねって思ったりして。
なんだけど、なんか一方で、私の友人は結婚もしてない、子供もいない、
だけど、その企業の中で非常に優秀で、役職まで登り詰めてる女性もいるんですよ。
そしたら、その方々が、じゃあこれまでジェンダー的な差別を受けずに、
そこの地位まで行けたかって、決してそんなことはないんだよね。
女性だからお釈迦組んでとかもあっただろうし、
女性なんだからちょっと会食来ても全然あったと思うんだよね。
でもその中でも変だなと思いながらも、その中で登り詰めていったわけじゃん。
で、今このお母さん世代が働きに出るっていうムーブメントは、
たぶん私の世代、私はもうそろそろ40になるけれども、
私の世代はほぼ第一世代だと思うんですよ。
そういった人たちが旗振りをして、
会社の中でも女性活躍とかDEIとかそういうのを先陣切ってやってるんだと思うんだけれども、
なんだけどその人たちはまだ役職には慣れてないの。
ここでねじれの構造が発生して、
じゃあそのDEIを推進するためには、
今会社の中で役職を持つ人をこのイベントとかに呼んで講演をしてほしいとか、
その人のやり方とかロールモデルとしたいみたいなことを言うんだけど、
私の友人はそれで声がかかるわけ。
なんだけどその場に行くと、ものすごくディスクリミネートされて帰ってくるの。
なぜかというと、そのDEIを促進する集団っていうのは、
要はワーママの人が多いんだよね。
そうすると、結局あなたは子供もいない、家庭もないから役職つけたんでしょうみたいな雰囲気を感じて変えなきゃいけないの。
そうすると女性としてすごくその企業の中で頑張ってきた人のはずなのに、彼女は。
その頑張るさながらもものすごくジェンダーを感じるし、
新しいニュールールを作ろうとして、マイノリティの人たちが集まって権利獲得を叫んでいるその最中にも、そこにも入れないんだよね。
それってすごく難しい問題で、もちろんマイノリティの女性のニュールールを作るために声を上げるっていう行動自体はすごく大事だと思うし、
でもその一方で、自分たちがこれまで苦しんできたマジョリティ側のルールを自分たちは作るかもしれないっていうところも常に意識してないといけないんじゃないっていうのをちょっと感じることもある。
でもそんなことを思ってたら、分断が生じるだけだから、ある種その不利益分配というか、もう取れないなんて、ベネフィットはもう取れないから、そこをケアしなくていいっていうのはそれはそうなんだけど、でもすごい難しい問題だなと思って。
私の友人のその例を聞いても、確かにそれはすごいつらい経験だよなとも思ったりはするけど、
彼女が別に声を上げなくてよかったのは、自分で耐えられたって一つあるし、あと彼女自身が男性が作ってきたルールで戦えたからっていうのがあると思うんだよね。
自分が何かをして、ニュールルールを作らなきゃいけないほど困窮してなかったっていうところが一個大きいと思うから、それは分からなくもないし、どっちかっていうとマジョリティの中に取り込まれていくことで戦ったっていうことだと思う。
だけどこれってすごい難しいよなって思うっていうね。
多分、ないちゃんのそのお友達は、既存の既得権益層が作ったルールで、ルールブックで戦えた人で、なのに既得権益層ではないっていう、めちゃめちゃレアな存在で、絶対最初先陣切る人ってそういう人だと思うんですよ。
だけどその後に、どれだけ道が続きやすいかは、結構その人だけじゃなくて、周りの環境とか周りの要因が大きいと思ってて、じゃないとこの人一人で話が終わっちゃうんですよ。
この人はスーパーウーマンだからできたんだよね、みたいな。で、終わっちゃうけど、それを例外的な一つのあれにしないためには、周りが寄ってたかっていろんなことをしなきゃいけないわけで、
なんか、私から見ると、そのないちゃんの友達は、もうなんかグッジョブって感じで、もうなんかミッションアコンプリッシュって感じで、なんか多分もうなんか、もうすでになんか貢献したんですけど。
ないちゃんの友達が、今いる地位はすごい成功してると思うし、スーパーウーマンに、私たち的には思うけど、実はそういう扱いはされなくて、っていう状態が起きてるってことですよね。
たぶん本当にスーパーウーマンとして言われるのは、その後にワーママとしてバリバリ働いてる人の方が、なんか今こうフューチャーされてて、なんか子供もなくて、でもそのままキャリア積んでる人は、カヤの外にいる状態が出来上がっちゃってるってことじゃないんですか。
そうそう。だからなんかまあ、その地位に上り詰めるためには、そのマジョリティのルールに従うことが価値だったってのはあるけれども、じゃあこうやって既得権益層が声を上げてくる中、もちろんその既得権益からも、ある程度こう残念、その別にスーパーウーマンじゃないんだねっても見られるし、
かつその中にいたマジョリティ側の人からも、あなたは子供がいなくて、結婚してないから登ってこれたんだよね、みたいなことも平然と言われるわけよ。
ひどい、なんかせっかくいろいろ頑張ったのにって思っちゃう。
でもこれってね、結構ね、怒ってると思う。私だって言われるし、だって。
ナイちゃんは子供がいなくて、研究に100ぶりできてるから、いいよねっていうことを男性から言われたりね、ってのは結構あるから、でも私はそうですねっていう感じだけど、
でもそれに傷ついたっていうことを聞くことも、まあまああるから、だからなんか、っていうね、複雑なね、お年頃なのよ。
複雑な感じかも、なんか願わくば、そういうふうに先人切ってった人を皮切りに周りの環境が変わってくるみたいな、いうなんか作用がある会社だったらいいなって思うけど、
残念な社会現象の一つとして、女性が女性の敵になってしまう場面があるっていうのは、結構私も目にしたことがあるかも。
だからまあ、私のミッションとしてはね、私の友人の事例をマキのような子に伝えるわけ。いや、こういう事例もあるから、女性の活躍イコール、わままの活躍っていうふうにしちゃダメだよとか、することによって、いや、それを経験をしてるから言うことは別にいいと思う。
だけど、それで傷つく人もいるっていうことを知っておかなきゃいけないよねっていうふうに言って、私はもう、私の友人に、いや、あのマキっていう人がいてね、その子が言うにはみたいな、なんかもう5メートル圏内で意見のやり取りの電車バトルみたいなのやって、
で、私はどっちかっていうと、両方の意見があるのがこの世だと思うし、別にどっちかに修練してることが善とも思ってないから、ただお互いがちょっとミスアンダースタイニングしてるところは必ずあるので、そこらへんが研ぎほぐせる場とかがあればいいと思うし、
で、結局そのわんままの人たちが、いくら権利獲得を主張したとしても彼らが、彼女たちが、彼ら彼女たちが主張してるすべてが獲得できるわけじゃないから、この世は。ある程度どこかで不利益分配はされるはずだし、だからそこらへんではやっぱり必ず話し合いの場っていうのがどんどん必要になってくるし、自分の意見もこれなんだって決めないほうがいいなって私は思った。
そっちね、これ揺れ動くから。今こう思ってるかもしれないが、明日は違うかもしれないし。
なんかこう、無理やり結論感にしてしまってないといいんですけど、なんかそういう意味でも私本当に多様性を担保する環境ってめっちゃ大事だなって思って、その男女とかその見える、わかりやすい多様性だけじゃなくて、いろんな立場の人をその決定権がある場に登場させることができる環境って、
一番、もちろん導入コストもめっちゃ時間かかるし、会議もいざ集まってもなかなかまとまらないことのほうが多いと思うんだけど、でも、そういう場を作るってめっちゃ大事だなって思うんですよね。
なんかじゃないと、人間って目の前の人に人の状況しか理解しようとできないから、その想像力の限界があるから、なんかこう、例えばシングルマザーって大変だよねって思ってるだけの人か、私の友達のシングルマザーが大変だっていうのを知ってる人とではその解像度が全然違うじゃないですか。
そういう意味で、本当にいろんな人がいる、自然といろんな人がいる環境になるような場所を、私は無意識に求めて就職してってる、いろんなところで。
コラボするときとかも、なるべく似たような考え方の、とか分野の方向性の人とかじゃなくて、なんかちょっと違うアプローチで似たような問題を解決しようとしてる人とかと、もちろん意見合わないし、なんか思考回路が理解できないから、なんかあうんの呼吸とかにはならないけど、
でも、なんかすごい、何だろう、身になるっていうか、学びが多い、なんかうわめんどくさかったけど、これ良かったなやってっていうプロジェクトの方が多い気がする。
でも本当それ大事だと思う。だからその自分の実体験と自分がこうなってほしい社会っていうのは具体的にあると思うけど、でもそれだけじゃなくて、やっぱりこう多様な意見がこの世には存在するから、それがあるっていうことを知るってだけでも、なんかこう出てくる言葉って同じかもしれないけど、乗ってくる感情って絶対違ってくると思うんだよね。
多様性大事っていうワードの解像度が全然変わってくると思う。