善意とそのずれ
今回はですね、ある羊飼いの方からお預かりした、活動の記録や考えをまとめたメモがありまして、これを深く掘り下げていきたいと思います。
はい、お願いします。
日付は、2025年の12月26日。クリスマスが終わったばかりの、なんかこう、静かで少し冷えた空気感が伝わってくるような、そんな文章なんです。
いいですね。
で、今回の私たちのミッションなんですけど、羊とか羊飼いを応援したいっていうその温かい善意が、なぜ時としてすれ違って、まあ負担になってしまうのか。
うーん。
そして、本当に意味のあるサポートって何なのかを、羊飼い自身の言葉から探っていこうと。いわゆる、「良かれと思って。」という行動の裏側を、一緒に覗いてみませんか?
このテーマ、本当に奥が深いですよね。一見すると、羊飼いっていう特定の職業の話に聞こえますけど、実は私たちの日常のあらゆる場面に潜んでいる課題だと思うんですよ。
支援活動はもちろん、親子関係とか、友人との付き合いとか。
ああ、確かに。
ええ。善意の提供側とその受け手側との間に生まれる認識のずれが、いかにして予期せぬ問題を引き起こすのか。その構造を理解するっていうのは、より良い人間関係を築く上できっとヒントになるはずです。
では早速なんですけど、メモに書かれていた具体的なエピソードから見ていきましょうか。
はい。
ある日ですね、羊飼いの方のもとにファンの方からこんな提案があったそうなんですよ。
ほう。
普段捨ててしまうようなようもうがあるなら、それを使ってみんなで羊のために服を作って着せてあげたいと。
ああ、なるほど。
毛が汚れないようにカバーの代わりにもなるかもしれないし、どうでしょうなんていう。
わあ、それはものすごく親切で、なんか愛情にあふれた提案ですね。その光景を想像するだけでちょっと温かくなります。
そうなんですよ。だから羊飼いの方もメモの中でめっちゃ嬉しいんですよ、その気持ちが。
でも何度も書かれてるんです。善意自体は本当にありがたいと。
うんうん。
でも同時にこうも付け加えてるんです。ただ、羊にとってそれが本当に恩返しになるかって言ったら正直ならないんですよねって。
ああ、そこが最初のずれですよね。一見すごく羊のためになりそうなのに。
ええ。
それは単純にこうセーターを着せるのが物理的に難しいとかそういう技術的な話なんですかね。
それもまああるかもしれないですけど、メモに書かれてる理由はもっと根本的なものでした。
まずそもそも論として羊は寒くないと。
あ、そうなんですか。
このメモが書かれた12月26日もかなり寒い日だったらしいんですけど、羊たちは日向じゃなくてわざわざ日陰に集まって座ってたそうなんです。
へえ、面白いですね。人間の感覚だと寒い日は絶対日向ぼっこしたくなりますもんね。
ですよね。嘘でしょって思うぐらい涼しい場所が好きなんですって。
だから私たちが寒いだろうから暖かくしてあげようって考えること自体がまず羊の生態とは合ってないと。
なるほど。
これが一つ目の理由ですね。
自分たちの常識を相手にそのまま当てはめてしまうことから生じる誤解っていうことですね。
そしてもう一つ、羊界の方はもっと深く自分たちの心の内側まで分析していて。
と言いますと?
羊にセーターを着せて可愛いって思うのは果たして本当に羊のためなのかと。
ああ。
もしかしたらそれはそういう可愛い羊を見てみたいっていうこう人間側のエゴ、あるいはみんなで何かを作るっていうイベントを楽しみたい気持ちが根底にあるんじゃないか。
うーん、それはちょっと耳が痛い指摘かもしれないですね。
もちろん悪気は全くないんでしょうけど、無意識のうちに自分の欲求が相手のためっていう言葉にすり替わってる可能性は誰にでもありますよね。
善意の負担を引き起こす理由
まさに。
で、この善意は受け取ったけどどうにもモヤモヤする感じ。
これを説明するために彼が使ってた例え話が秀逸で思わず声に出して笑っちゃいました。
おっ、どんな例え話ですか?
床屋さんで切った自分の髪の毛でお店の人がアクセサリーを作って日頃の感謝ですどうぞって渡されるようなものだそうです。
それはものすごく気持ちは伝わるけどリアクションに困りますね、確かに。
でしょ?
ありがとうございます。
ありがとうございます。これ私の髪で…ってなりますよね。
素直に喜んでいいのかどう身につければいいのか。
善意と陶悪が入り混じるあの絶妙な感覚を完璧に表現してますね。
ええ、そしてこの現象、彼はある有名な問題と構造が同じだと指摘してるんです。
ああ、なるほど。千和鶴問題ですね。
その通りです。災害の被災地なんかに善意で大量の千和鶴が送られてくる。
はいはい。
祈る気持ち応援する気持ちは本当に尊い。
でも物資も人でも限られる現場ではその千和鶴を保管管理することがまた新たな負担になってしまう。
気持ちは嬉しいんですけど今はそれじゃないんですっていうあの状況と全く同じだと。
まさに善意が負担に転化する瞬間ですね。
でも支援する側にしてみれば何もしないよりはマシだろうとか何か形にして気持ちを届けたいっていう切実な思いもあると思うんですよ。
その気持ち自体はどう考えればいいんでしょう?
素晴らしいご指摘です。その何かしたいっていうエネルギーこそが全ての原動力ですから決して否定されるべきじゃないんです。
重要なのはそのエネルギーをどこに向けるかっていうチャネルリングの問題なんですよね。
自分のしてあげたいっていう気持ちをそのままぶつけるんじゃなくて一度立ち止まって相手は今本当に何を必要としてるんだろうって想像力を働かせる。
あー想像力。
そのワンクッションが善意を本当に意味のあるものに変える鍵になりますね。
確かに羊が寒くないってことを知っていればセーターっていう発想にはならなかったかもしれないですね。
そしてこの良かれと思ってという行動にはもっと根深い危険性も潜んでいると羊界は警鐘を鳴らしています。
それが質の悪い執事問をめぐる問題です。
なるほど。セーターの話は個人と個人の間の善意のずれでしたけど、今度のは業界全体に関わるもっと構造的な問題ということですか?
おっしゃる通りです。これもまた善意から始まるんですよ。
羊界がこれは汚れていたり質が悪かったりして商品としては使えないと判断した羊問題がありますよね。
はいありますね。
それを私が責任を持ってちゃんと形にして意図にしますからって親切心で引き取ってくれる活動があるそうなんです。
それだけ聞くと廃棄されるはずだったものに価値を与えるすごく素晴らしい取り組みのように思えますけど。
しかしこの行動が過去に国産羊門全体の評判を著しく下げてしまった過ちの連鎖を再び引き起こすかねないと羊界は強く懸念しているんです。
過ちの連鎖。
メモにはその負のサイクルが具体的に書かれていました。
負のサイクルですか。ぜひ詳しく聞かせてください。
はい。まず第一段階。善意の人が質の悪い羊門をもう大変な労力をかけて加工します。
でもこれって本当に骨の折れる作業で結局は負担が大きすぎて続かないってことが多いそうなんです。
あー持続可能性がないと。そこでまず無理が生じているわけですね。
次に第二段階。それを見た羊界が、あーこの程度の質のけでも使ってくれる人がいるんだと勘違いしてしまう。
うわーそこか。
ここが一番危ないポイントかもしれないです。
そして第三段階。羊界は悪気なくその質の悪い羊門を今度はやる気に満ちた初心者のスピナーさん、つまり糸をつくぐ人たちに販売しちゃうんです。
使えるものだと思い込んじゃってるから売ってしまうわけですね。誰も悪くないのがまた厄介なところですね。
そうなんです。でも結果は悲惨で。
第四段階。その羊門を手にした初心者は非常に扱いにくい質の悪い家に悪戦苦闘してやがて挫折してしまう。
あー。
そしてやっぱり国産のようもうは質が悪い。手間がかかるだけで使えないっていう強烈なネガティブイメージがその人の中にそして業界の中に定着してしまうんです。
うわーそれは根深い。短期的に見れば一人の善意が廃棄物を救ってるように見えるけど長期的には市場全体の信頼と価値をこう既存してしまってる。
えー。
典型的な安物買いの税に失いならぬ善意働きの価値失いみたいな構造ですね。
本当に。この負のサイクルがかつて国産ようもうが敬遠される大きな要因だったと羊会は分析しています。
最近国産ようもうブームで盛り上がってきてるからこそ同じ過ちを繰り返しちゃいけないっていう強い危機感が伝わってきました。
美しい循環の提案
この問題の根幹は役割分担の境界にあると言えますね。
役割分担の境界ですか?
はい。羊を育ててその毛の質を管理して商品として責任を持つのは本来羊会の役割じゃないですか。
えー。もちろん。
そこを善意のサポートという形で外部の人がカバーしちゃうと根本的な問題、つまり質の悪いようもうが生産されてしまうっていう問題自体が見えなくなって解決されなくなってしまうんです。
確かに羊会自身もメモの中で、それはもう羊会さんたちが自分たちでどうにかしなければいけないところなので、そこを感謝の気持ちとしてサポートするのはちょっと違うんだよなって明確に線引きしてます。
うーん。
問題を解決するんじゃなくて問題を先の送りにしてしまうと。
まさにそこです。これ企業組織でもよくある話ですよね。
あーわかります。
例えば、営業部が取ってきた無茶な案件の尻拭いをいつも開発部が徹夜してなんとかしてるみたいな。一見開発部のファインプレイに見えますけど、そのせいで営業部はいつまでたっても無茶な案件を取り続ける。本当の問題が温存されちゃうんです。
なるほどなー。
羊会の質量は結局その負担はその方にのしかかるし、やっぱり続かないんですよね。っていう言葉はこの問題の本質を的確に捉えています。
ではどうすればいいのか。一方的に善意を押し付けるのでもなく、相手の性域である専門領域に踏み込んでしまうのでもなく、本当に助けになる支援とは何なのか。
はい。
その答えとして羊会は循環というとても美しい概念を提示してくれています。
循環ですか。非常に興味深いキーワードですね。
彼はこう書いてるんです。私が消耗し続けて、要は与えるだけ与えてっていう形では、いつか私が倒れちゃうんですよね。
ファンからの一方通行の与える関係だけでは、与えられる側もそして与える側も疲弊してしまう。だから輪を描くような循環が大事なんだと。
美しい循環の例として何か挙げられてますか。
はい。例えばこういう流れです。まず羊から毛をもらう。それを誰かが積もりで素敵な作品にする。
そしてまた別の誰かがその作品を買う。その作品を身につけた人が今度はこの子たちの毛なんだって羊に会いに来る。
そうした活動が羊会の収入となって、巡り巡って羊の美味しいご飯代になる。
支援の重要性
なるほど。お金や感謝や人の動きが一方向で終わるんじゃなくて、様々な人を介して最終的に羊と羊会の元へ生命力として帰ってくる。素晴らしいエコシステムですね。
ええ。
これなら誰も無理しないし関わる人みんなが幸せになれる。まさに続けていく上でもねすごく大事だと思うんですよっていう彼の言葉通りですね。
この美しい循環を生み出すためにじゃあファンに何ができるのか。羊会はすごく具体的で分かりやすい提案をいくつもしてくれてるんです。
ぜひ聞きたいです。
まず一つ目、羊に直接何かを与えないこと。
最初のセーターの話にもつながりますね。
もし何か恩を返したいのであれば、羊ではなく羊会に返してください。そうすれば回り回って羊会が羊たちをより良い環境へと導くことにつながりますからと。
恩返しの宛先は羊じゃなくて羊会というわけですね。
そういうことです。そして二つ目、ようもう製品を使いそれを広めること。
ああなるほど。
見てみて、うちの羊さんこのこの毛なんですよってSNSとか口コミでみんなに自慢してもらう。
それが最高の宣伝活動になって牧場への集客につながり、羊の餌題として歓迎される。
うんうん。
これについてはどんだけやってもらっても構わないですとまで言ってます。
これは健全な関係ですよね。自分の専門領域の外で自分の活動を応援してもらう。相手の得意なことを尊重して信頼して任せる形です。
三つ目がもっと直接的な金銭的な支援です。ここで重要なのが羊会がちゃんと受け皿を用意していることなんですね。
受け皿ですか。
具体的には羊たちの可愛い写真を1枚500円で販売しているそうです。
ああ感謝の気持ちがあるならいつでもここで恩返ししてくれて構いませんよっていう明確な入り口ですね。
まさに支援したいけどどうすればいいかわからないっていうファンの戸惑いをなくすための非常にわかりやすい仕組みです。
実際このメモが書かれた年だけで120枚ほど売れたそうでそんなに買ってくれてたの?ありがたいって羊会自身も驚いてました。
500円という価格設定も絶妙ですよね。
そう思います。
この写真や販売っていう仕組みは羊会自身による優れたシステムのデザインと言えますね。
感謝っていう目に見えない気持ちを500円っていう明確な価値に転換して、かつ相手にも負担の少ない形で受け取る。
支援する側もされる側も迷いなく気持ちよくやり取りができる素晴らしいアイデアだと思います。
そして最後4つ目です。これが個人的には一番なるほどなと思いました。
はい。
羊会の苦手分野を補うこと。
例えばSNSでの情報発信とかオンラインストアの運営宣伝活動といったことです。
あーなるほど。
そういう羊の世話以外の部分を代わりにやってくれる人がいたらめちゃめちゃ助かるんですよーと。
つまり専門家が自分の本業に集中できるように周辺業務をサポートするということですね。
おっしゃる通りです。
商品となるお肉とか毛の良くないところをカバーするのではなく、
羊会が本来やるべき良い羊を育てるという仕事に集中できる環境を整える手伝い。
これが非常に助かると。
今挙げていただいた4つの支援策。
共通しているのは相手が設計した支援の形に乗ることの重要性ですね。
あーまさに。
ようもうの品質管理のような相手の専門領域。
つまり生意気には踏み込まず、相手がここを助けてほしい、
こういう形なら受け取れますと明示している部分をサポートする。
これこそが最も効果的で、お互いを尊重した健全な関係を築くための最高のコミュニケーション方法だと言えるでしょう。
コミュニケーションの役割
本当にそうですね。今回のメモを深く読んでいくと、
善意っていうのはそれ単体で成立するもんじゃないんだなって痛感します。
ええ。
相手の状況とか本当のニーズを理解しようとする想像力と、
そして相手が差し伸べてくれた手をきちんと掴む素直さ、
その両方がセットになって初めて最高の効果を発揮するのかもしれないですね。
うんうん。
時には自分の良かれと思った行動が相手にとって負担になるっていう少し耳の痛い現実を知ることが、
本当の意味で相手を思う第一歩なんだなと。
まさに。そしてそれを可能にするのが対話ですよね。
ええ。最後に羊飼いの方のこんな言葉がすごく印象に残ったんです。
はい。
誰かが辛いな、これなんかやっても楽しくないなと思ったら言ってくださいね。
ここには支援する側とされる側の間での普通の良いオープンなコミュニケーションを求める彼の姿勢が現れているように感じました。
素晴らしい言葉ですね。その一言があるだけでお互いのズレを恐れずに修正していくことができますから。
ええ。
この羊飼いの話はそのまま私たちの生活にも当てはまるんじゃないでしょうか。
そうですね。
この話を聞いているあなたに少しだけ考えてみてほしいんです。
よかれと思って誰かにセンスグルを送ってはいませんか?
それは家族や友人に対してかもしれませんし、あるいは社会に対してかもしれない。
自分の善意が相手の本当に求めるものと合致しているか一度立ち止まって考えてみる。
この話がそんなきっかけになれば嬉しく思います。
はい。
私たちが相手に本当に届けるべきものは自己満足の押し付けではなくて、
相手を深く理解しようとするその想像力そのものなのかもしれないですね。