立ち食いそばに入るとき、何を買いに行っていますか。
そばですか。
それとも、昼休みの時間ですか。
今回は、ある立ち食いそば屋さんの張り紙が、応援されたのに撤回された騒動から、「店と本部、どっちが間違っていたのか」を考えた回です。
▼ 話していること
・立ち食いそばが、そばと一緒に売っているもの
・同じお店に、違うものを買いに来る人が並んでいる
・「この人たちを優先します」と書けた側と、引き受けられなかった側
・職場の現場と経営陣が、ぶつかるところ
・どちらを選んでも、誰かが何かを引き受けている
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普段、マーケティング、ブランディングの仕事をしているkoyukiが、日常の中で感じた「ちょっとした違和感」や「なんとなく気になったこと」を取り上げ、その裏側にある構造や仕組みを「ひとりごと(ジャーナリング)」として言語化していく番組。
教える番組ではない。一緒に考える番組。
答えを出す番組ではない。「見え方が変わる」番組。
【出演・企画・構成・編集】
koyuki(SNSリンク:https://lit.link/koyuki_spicalink)
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サマリー
立ち食いそば店が、時間を買いに来る近隣の勤務者を優先する張り紙を出し、本部が撤回した出来事を取り上げる。店は目の前の客と回転の速さを見ており、本部は他店舗や従業員、取引先、社会からの見られ方まで含めて判断していた。話し手は、店と本部のどちらも間違いではなく、見ている範囲が違ったのだと考える。さらに温泉や銭湯の利用方法を多言語・イラストで伝えた例から、排除でも無条件の受け入れでもなく、場の当たり前を「翻訳」する役割について考える。
富士そばの張り紙と撤回
ひとりごとカイギ 始まります。
立ち食いそばに入るとき、何を買いに行っていますか? そばですか、それとも昼休みの時間ですか?
この違いが、この前読んだある張り紙についての記事の論点かもしれません。 その張り紙は、共感されたのに撤回されたんです。
伊勢島本部、どっちが間違っていたのか、その話は後半で。
ひとりごとカイギ、日常の中で引っかかったことを僕の視点で少しだけ考えていく番組です。 答えを出すというより、一緒に考える時間になれば嬉しいです。
作業のともに、火事の合間に10分だけお付き合いください。
僕も立ち食いそばはたまに使います。
使うときはだいたい2つの理由から、ひとつはそばが食べたいとき、それともうひとつはお昼をさっと済ませたいとき。
同じそばなんですけど、入るときの気分は結構違います。
さっと済ませたいときは何を食べるかより、早く出られるかの方が大事だったりする。
この前見た記事で、ある立ち食いそば屋さんの張り紙の話を読みました。
富士そばの話なんですけど、オフィス街にある富士そばの一つのお店が、英語と中国語と韓国語で入り口に張り紙を出したそうです。
書いてあったのはこういう内容です。
これはお店が自分で判断して出したものだったみたいです。
その後本部が謝罪して張り紙は撤回されました。
ここまでだとよくある炎上の話に聞こえるかもしれませんが、今回はちょっと違っていて批判もあったけれど、それよりお店に共感する声の方が多かった。
撤回したことに対して、なんで撤回するんだという声まで出たそうです。
国籍や人種を理由にお店に入れないというのは、直接的に書いていなくても法律の上で問題になることです。
なので今日はこの張り紙が良いか悪いかという話ではなくて、もう少し別のところが気になっています。
お店の気持ちはわかる気がしていて、毎日来てくれる人を大事にしたい。
商売としては自然なことです。
でも撤回した本部も正しいと思います。
差別をしてはいけないという社会のルールを守っていて、それはそれで正しい判断です。
じゃあどっちが良いのかという話になるんですが、正直僕にはわかりません。どっちも正しい気がします。
なのに片方は取り下げるしかなかった。
でもここで一つ気になることがあって、なんであのお店はあんなにはっきりこの人たちを優先しますって書けたんだろうっていうところです。
そば店が売っている時間
最初の話に少し戻りますが、立ち食いそばって何を売っているんだろうっていう話をしました。
記事によると注文して作って食べて出ていくまでだいたい5分くらいだそうです。
立ち食いそばって言ってるくらいなんで、椅子を置かないお店も多い。狭い場所でも成り立つ。
あの安さを支えているのは回転の速さなんですよね。
そう考えると立ち食いそばはそばと一緒に時間を売っているのかもしれません。
昼休みの残り何分かを他のことを過ごす時間に使います。
最初に立ち食いそばに行く理由は、そばを食べたい時とサッと済ませたい時という風に言いました。
近くで働いている人は時間を買いに来ていて、旅行で来た人はそばを食べに来ている。
旅先で初めて見る食べ物なら写真も撮りたいし、ゆっくり味わいたい。それは全然悪いことじゃないです。
ただ同じ店に違うものを買いに来ている人が並んでいます。
現場と本部で異なる視野
お店が毎日見ていたのは時間を買いに来る目の前のお客さんで、見ている相手がはっきりしていました。
だからこの人たちを優先しますという風に書いたんだと思います。
じゃあ本部は何を見ていたのかっていうことなんですけど、他のお店もあるし、そこで働いている人もいる。取引先もある。
世の中からどう見られるかっていうところも入ってきますよね。
見ている範囲がずっと広いんです。
範囲が広くなると、この人たちを優先しますとはなかなか言えなくなる。
誰かを優先するといった瞬間に、その外側にいる優先されない人が見えてしまうからです。
本部はあの張り紙に何が書いてあっても撤回したんじゃないかと思うんです。
言い方の問題ではなくて、誰かを優先するということ自体を本部の立場からは引き受けられなかった。
これ他の職場でもよくある、現場と経営人と同じ構造かもしれません。
現場はできるだけ手間をかきたくない。目の前の仕事を回さないといけないからです。
経営人は先を見ていて、今は我慢してでも手間をかけた方がいいと思っている。
どっちの言い分も聞けばわかります。でも同じ場に並ぶとぶつかります。
もう一つ見ておきたいことがあって、あの張り紙で入りにくくなったのは誰だったのか。
旅行で来た人です。
じゃあ撤回で割り送ったのは誰だったのか。
張り紙を出した店長さんと毎日来ているお客さんです。
どっちを選んでも誰かが何かを引き受けている。
全員がきれいに得をする答えは多分ないと思います。
最初の問いに戻ると、店と本部どっちが間違っていたのか。
僕はどっちも間違っていなかったんじゃないかと思っています。
違ったのは見ている範囲っていうだけで、
お店は目の前のお客さんを見ていて、本部はもっと広い範囲を見ていた。
同じ張り紙が狭い範囲から見ると正しくて、広い範囲から見ると引き受けられない。
正しさってどこまでを見るかで変わるのかもしれません。
そう考えると、ぶつかった時に聞くことが少し変わる気がするんです。
どっちが正しいかではなくて、この人はどこまでを見ているのか。
現場は少しだけ遠くを、経営陣は少しだけ近くを。
それで意見が揃うとは限らないです。
でも相手が間違っているわけではないということは見えてくる。
これも僕の一つの解釈です。
場の当たり前を伝える翻訳
さっきの記事、後半に温泉の話が出てくるんです。
10年ほど前、温泉や銭湯で外国から来た人とのトラブルが多かったそうです。
入り方をイラストといくつかの言語で説明するポスターが作られた。
それが宿やガイドブックにも配られて、この10年でかなり落ち着いたらしいんです。
これを読んで思ったのは、締め出すでもなくて、全部受け入れるでもなくて、
ここはこういう場所ですというふうに伝える人がいたっていうことです。
見ている範囲が違う人の間に伝える人がいます。
そういう仕事はもしかしたらこれから増えるかもしれません。
翻訳みたいなことかもしれませんが、言葉を訳すというよりは、
その場所の当たり前とか空気を訳すみたいな感じです。
はっきり何かという言葉にはできませんが、そういうものです。
今日も聞いてくださってありがとうございます。
たちぐいそばの張り紙の話から見ている範囲の話をしてみました。
最近それぞれしいんだけど、なんか違うなというふうに思ったことはありませんか?
その時、相手はどこまでを見ていたんでしょうか?
感想やリクエストは、ハッシュタグひとりごと会議で教えてください。
それでは、今日も良い一日を。
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