1. ゆたかな人生ラジオ by 多拠点夫婦
  2. 【8-4】「ふざける」を取り戻..
2025-09-29 49:45

【8-4】「ふざける」を取り戻す|写真・対話・学びの場で殻を破る雑談回 #31

spotify apple_podcasts youtube

🎙️ 今回の内容
よしみんをゲストに迎えての最終回は、肩の力を抜いた雑談編。

「撮られるのが苦手」だったはずの岡田が、よしみんの撮影で出会った“自然体の表情”。
プロフィール写真が柔らかく変わり、写真を見返すことで芽生えた新しい気づき。

賃労働時代にかかっていた“発信のブレーキ”から、独立後にアウトプットを解放していくまでのプロセス。
予定不調和を前向きに受け止めるコツや、海外経験・家族構成が育んだ“空気の読み方”。

さらに、日本の四季がくれる豊かさや、土地を変えることで生まれる言葉。
学びの場で「真面目にふざける」ことの大切さ、そして流しそうめん90m構想(!?)まで。

撮影体験は“対話のきっかけ”になる。
小さな出来事を面白がる感性を、雑談の中でひも解いていきます。

✦ 〜・〜 ✦

🗣️ 今回のトピック
・撮られる側の気づき:自然体の表情とプロフィール写真の変化
・家族写真のエピソードに重なる「自分では見えない自分の顔」
・賃労働時代の“発信のブレーキ”と、独立後のアウトプット解放
・予定不調和を面白がる:前向きに受け取る姿勢の鍛え方
・家族構成・海外経験が育てた「間合い」と柔軟性
・日本の四季と土地の美意識
・学びの場で「真面目にふざける」ワークショップをやり切る
・大人こそ“ふざける”力を:殻を破る実験の場づくり
・小さな出来事を記録に残す意味

✦ 〜・〜 ✦

紙谷 佳妙(かみたに よしみ)

石川県金沢市出身。大学進学時に上京し、卒業後は大手企業のシステムエンジニアとして約4年勤務後、青年海外協力隊としてアフリカのザンビア共和国へ赴任。大学でICT教師を務める。帰国後、ITや国際協力の仕事と並行してライフコーチ、フォトグラファーとしても活動を始める。目の前の生命(いのち)を灯す人、心が溶けるような体験を届ける人でありたい、という想いで活動を続けている。これまで訪れた国は30以上。日本を出て日本のローカルの面白さに気づく。好きなことは、綺麗な木漏れ日を拝みながら散歩をすること。

https://lit.link/yoshimikamitani

📸 “SeeMePortrait”の詳細・お問い合わせはこちら
https://x.gd/DCG3I

✦ 〜・〜 ✦

💡 岡田伝記株式会社
https://okada-denki.jp

🎣 【インバウンド向け「海×食」体験】Aqua Quest Japan
https://aquaquest-japan.com/corporate


🔗 岡田浩弥のプロフィール・活動はこちら
⁠https://my.prairie.cards/u/hiroya_okada⁠
https://www.instagram.com/hiroya_okada

✦ 〜・〜 ✦

🎧 Music by Isaku
All music heard in this episode was composed by Isaku.
Special thanks for crafting the warm soundscape that supports this conversation.
⁠https://www.instagram.com/isakumusic

✦ 〜・〜 ✦

『ゆたかな人生ラジオ』は、「ゆたかな生き方」を実践している人々との対話を通して、これからの時代を豊かに生きるヒントを探るポッドキャストです。

パーソナリティは岡田伝記株式会社 代表の岡田浩弥(おかだひろや)。
Jリーグクラブの国際事業や海外進出支援、インバウンド向けの体験型旅行プログラムの企画運営、そして神奈川県二宮町での地域活性化プロジェクトにも取り組みながら、「好き」と「仕事」を重ねる多拠点ライフを実践中。

旅、暮らし、サッカー、地方、Web3、AIなど、ジャンルを越えたテーマでお届けします。

ゲストとの飾らない会話から生まれる「気づき」や「問い」は、これからの人生を柔らかく広げてくれるはず。

何者かにならなくてもいい。どこかに所属していなくてもいい。
「自分らしく豊かに生きるってどういうことだろう?」
そんな問いを抱えるあなたに寄り添う、静かな対話の時間。

暮らしの合間に、散歩のお供に、ぜひお聴きください。

🟢 Spotify:https://open.spotify.com/show/1fouZ56USNg7pr2fueulgR
🟣 Apple Podcast:https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E3%82%86%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AA%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA/id1805589141
🔵 Amazon Music:https://music.amazon.co.jp/podcasts/91f3d598-fa8a-4166-a874-cea1a1dba5a0/%E3%82%86%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AA%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA
🔴 YouTube:https://www.youtube.com/@hiroya_okada
🎧️ LISTEN:
https://listen.style/p/hiroya_okada
note:https://note.com/hiroyaokada

サマリー

このエピソードでは、岡田さんが奥さんとの写真撮影を通じて得た体験や感情について語ります。自身のブランディングや写真の持つ意義、個展での問いについて考察します。また、人々が対話と写真を通じて自己を表現し、コミュニティを形成することの重要性が語られています。旅の経験と定住の大切さについても深く掘り下げられています。さらに、予測不可能な出来事に対する前向きな捉え方の重要性や、異文化体験が人間の器を広げる力についても触れられています。シンガポールやアフリカでの経験を通じて、日本の四季の美しさと文化の特徴について考察が行われます。最後に、ふざけることの重要性や楽しいワークショップを通じて創造性を解放する方法について語られ、特に大人がふざけることの意義とそれが子供に与える影響についての議論が展開されます。

写真撮影の経験
はい、雑談回です。リラックスして。
前回の続きで、よしみんからの質問。
前回では、私が新しくサービスを作ってっていう話をしてて、
それはやっぱり写真から受け取るもの、言葉から受け取るもの、
両方を持って自分のことを振り返ったり、
そういうことを知るツールにして欲しいみたいな話をしてたんですけど、
岡田さんと奥さんを撮影しているので、
その二人が撮影した体験から何か受け取ったものとか、
その写真を見返して何か芽生えた体験とかの言葉になることというか、
どういう体験で写真を受け取ってどう感じたかみたいなものが聞けたらいいなって。
そうだね。
なんか自分個人で言ったら、
なんだろう、結構自分はあんまり写真撮られるの得意じゃないから、
いつも固くなってる、表情が固いイメージだけど、
吉美に撮ってもらったあれはすごい柔らかいというか、
自然体の顔でいられたから、
なんだろう、すごく写真を見返しても自分でも全然いい顔してるなと思って、
それこそ今のSNSとかに使っている自分のプロフィール画像も、
すごくいい意味で固さがないというか、
今までだったら肩肘張ってじゃないけど、
表情に固さが写真を見ただけでもわかるくらいの固さがあったけど、
それがないから、それはすごいな、吉美ならではなのかなという気はしてる。
吉美と向き合って写真を撮ってたっていうのがすごい大きいんだろうなと思う。
これがまた別の人だったら全然違う顔になってたんじゃないかなという気はしてる。
以前のプロフィールを私も知ってるけど、
あれはやっぱりカチッとして、立場というか、
会社の写真とかもあの写真。
会社の時もあれにしてたね。
あれはすごくプロフェッショナル感があって、
ちょっと緊張というかはあったと思うけど、
あれは見せ方としては、
岡田さんのブランディングじゃないけど、すごくかっこよく、
サッカーというか、
それはすごく出てたから、撮ってくださった方が
やっぱりそういうふうに岡田さんを表現してくださったというか、
よく家族写真とかを納品した後に、
ブランディングと自己表現
私が言われるのは、
お母さんと連絡することが多いんですけど、
お母さんが依頼してくれてっていう場合があるんだけど、
お母さんが私って子供を見る時にこんな顔したんですねみたいなことを言ってくれて、
こんな柔らかい表情を自分してると思わなかったとか、
そういうことを言われたりすることが結構多いんですけど、
岡田さんは奥さんとディレクション的に顔を見てくださいとか、
多分言えたタイミングがあると思うんですけど、
そういう時の表情とか、写真を見返して、
自分の表情から気づいたこととか、
こんな顔してるとか、そこから新たに気づいたことというか、
関係性というか、
そこから子供にできることとか、思い浮かぶこととかありますか?
そうだね、それ言ったらすごく今のお母さんのエピソードと近いというか、
当たり前だけど、自分が奥さんといる時の自分の表情って見えないわけだから、
それ意味ではすごいこういう柔らかい顔してるんだ、
ぎこちなさは全然ないというか、
もっと今まで他の写真だったら、
そのポートレートじゃなかったとして、
人ってもうちょっと写真撮りますよっていう顔をしてたんだけど、
そうじゃなかったから、すごくそれは自然な表情が、
ありのままというかそのままの表情だから、
それはそういう顔なんだっていうのは、
あんまりそれを写真として見たことは確かになかったなと思って、
普段そういう顔してるかもしれないけど、
それは鏡でもないと見ないわけだからっていう。
あとそれこそでも、さっき季節に分けて撮る人もいるとか言ったけど、
それ言う前に自分も思ってて、確かにあれ冬だったから、
自分寒いの苦手だから。
表情が片押しだから。
だから暖かい時期にまた撮ったら、
またそれはそれでいいのかなっていうのを聞いてて思ったという気はした。
今度は、あの時は鎌倉で、
やっぱり思い出た地が鎌倉だったっていうのもあるけど、
またこう過ごす場所、今だったら二宮とか長野とか、
またそういうところで撮っても絶対いいだろうなってすごく思った。
あの撮影の時に、あいさんが後ろで見守ってくれてて、
二人のことを遠くから撮ってくれたりとか、
あの撮影風景もすごい良かったですよね、
気合い合いと。
本当に。
そうだよね。
あれがもう8ヶ月ぐらい前か、すごいな。
意外とあっという間だなって。
結構、最近と言えば最近な気もするし、
遠い昔と言えば遠い昔な気もするんだけど、
なんかすごい不思議な感覚だけど。
でもそれこそ吉見の個展に行った時に、
初めて自分が今の自分の会社のビジョン的なのを言語化できた日なんだよ。
そうだ、やっぱりあの問い大きかったですね。
そうそうそうなんだよ。
あの時は起業しようと思った直後なのか直前なのか、
まだ直前だったかもしれないけど、
でもあそこの問いが初めて、
自分が起業するテーマとかをちゃんと文字にするきっかけ、
あれからちょっと変性があったけど、
なんか最初のきっかけだったなっていうのはすごいなと思った。
そうか、やっぱり心に咲かせたいものはってことだけど、
それがやっぱり高田さんが咲かせていきたいものっていうところに、
そこがつながってるのがすごい嬉しいというか。
そうだよね。
だからやっぱり問いを作るってすごい大切だなっていうのは思った。
やっぱり個展も写真だけ見せられる人っていう、
やっぱりフォトグラファーの特性があるから、
どういう展示にするかっていうのは、
考え方は本当にいろいろあるけど、
私はやっぱりコーチングをやってる、
ライフコーチとしての私っていうところも、
何かしら表現できたらなって思ってたのと、
あとは私のコーチの仲間とかが、
問いを個展の時に置いていたりとかしていて、
その豊かさを私も受け取ったことがあったから、
私もやってみようって思ったりとか、
その個展の後にこのサービスのことを私も考えたんですけど、
やっぱりこの2つ持ってる私ができることっていうので、
だからあの個展でやっぱり問いを置いてみたっていうのも、
アウトプットと自己理解
すごく大きかったなって思います。
なるほどね。
すごい雑談会らしからのいい話になってる。
もっとふざけたほうがいいかな?
全然いいんだけど、まだ続いてる感じ。
全然いいんだけど、いいというかむしろそっちでやるべきな。
今までの雑談会がちょっとふざけすぎたかもしれない。
その時にポスト資本主義っていう言葉が出たと思ってたし、
あの時岡田さんすっごいなんかひらめいたように、
いっぱいキーワードが出てきた感じを私も見てて感じてて。
そうだね。
あの時が多分一番いろいろインプットもちょうどよかったっていう感じだよね。
今は全然そうなんだけど。
なんだろうな。
でも最近はもうちょっとふざけたことをやりたいなっていうのは、
気持ち的にはあるんだけど、
ふざけたもの不足になりかけてそうな気はしてるから、
ちょっと最近ふざけてないな自分っていう気持ちがあるから、
何でふざけようかっていうのがやってるかな。
岡田さん学ぶことというか、そこにやっぱりすごく思いもあるから、
インプットとかはすごくたくさんしてると思うんですけど、
逆にアウトプットとかってどういう時にしてるとか、
意識的にやってることとかってあります?
アウトプットはでも、最近とか本当今年に入ってからは全然する。
今までしてなかった。
そこにあまり意識がなかった?
いや意識なかったというか、ちょっと意図的にしてなかったのもあるし、
ちょっと遠慮してたというか抑えてた。
変にリスク、
リスクなんて実際ないんだけど、変にリスクの方を考えすぎたというか、
すごく組織に一応属した仕事をしてたから、
めんどくさいじゃん、炎上とかさ、
そんな大してないと思うけど、
SNSの炎上とかがあると嫌だなっていうのもあったから、
結構学生時代の方がSNSとか積極的にアウトプットしてたけど、
社会人になってからそれがだいぶ減っていって、
そっちが逆に当たり前になっちゃってたから、
でも今回、今年から独立して自分で会社やっていくから、
今はすごく意図的に増やしてるというか、
だからこのラジオもそうだし、
最近別のラジオを友達と始めたりとか、
あとノート書いたりとか、
っていうところは意識的にアウトプットって意味出してるって感じ。
それが何につながるかとか、
誰に聞いてもらいたいかっていうのはまだそこまでないというか、
アウトプットすること自体が今は目的になっているから、
とりあえず何か1日1個でも何かしら更新すればそれでOKみたいな風にはしてる今は。
確かに私も会社員と並行で副業してる時って、
なんかやっぱり見えないブロックがあるというか、
自分の立場とか、立場って言っても難しいけど、
考えてしまうというか、
これを言っていいのかなと思っていることがあっても、
大きいところで言えなかったり、小さいところでね。
隠れたところでひそひそっていうぐらいになっちゃって、
これ言ったら会社に文句がつくんじゃないかとか、
実際ないんだろうけど、変なリスクをすごく考えちゃってたから、
今は別に自分が言ったことに対して返ってくるのは自分に対してしかないから、
それはもうそれでいいやって思ってるというか。
外の人というか、自分の外の人からすればもっと出していいじゃんとか、
そういうことは言えるし、むしろ出してほしいみたいなことはすごく伝わってるというか、
いいことを多分考えてるんだからもっと出せばいいのにみたいなことは言われるけど、
本人からしたらそこにブロックがあったりとか、
フィルターがあったりとかするから、そのバランスは難しいけど、
やっぱり今は個人で仕事とかしていると、
自分の発したことに共鳴してくる人が集まってきたりとか、
自分の考えとか積極的に出していくことで、
そこも人につながっていくなって思うし、
心地よく仕事をすることにもつながるなって思うし、
自分が本音で話せないと、自分を偽って生きていることにもつながるから、
やっぱり思ったことは伝えた方がいいことというか、
シンプルにやっぱり、場所にもよるかもしれないけど、
出すことってすごく大切だなって、アウトプットって大切だなってすごく感じてるから、
話すごい分かるなって思って。
でも結構ね、それでもまだ思い留まることはあるけどね。
これを出していいのかみたいな。
それはありますよ、みなさん。みんなあると思う。
どっちかというと、負の感情というか、ネガティブなことを、
最近そんなに思うことはないんだけど、ネガティブなこと。
でもネガティブなことも含めて、これはちょっと違うんじゃないかみたいなことを、
まだ発信する場所はないから、
ネガティブって、感情的にネガティブというか、
そもそも論としてこれおかしくないみたいなことに対して、
ちゃんと建設的に発信できるかわからないけど、
そこはまだ発信する場所があんまり自分はないから、
ちょっとそこが難しいなと思ってて、
自己表現の重要性
なんだろう、これって違うよねっていうのを、
発信しても別にいいんだけど、
ちょっとまだ怖さがあるというか、
別に有名人でもなんでもないから、
何もないのはないんだろうというか思いつつって感じかな。
やっぱりこう出していくと、
やっぱりよくぞそれを言ってくれたみたいな人もいるし、
みんなこう集合的に、
言っちゃダメなんじゃないかなみたいな雰囲気の中で、
言ってくれる人がいると、
よくぞ言ってくれたみたいな。
まあまあ確かにね。
場所にもよるけど、
出していくと意外と共感を得られたりとか、
同じ考えてるエネルギーの人が本当に集まってくるなというか。
確かにな。
それこそ全然あれだけど、
このラジオも普段いろいろ発信、
ゲストを迎えてやってるけど、
最近出してる、
謎の自分一人台湾喋り会っていうのがあるんだけど、
これに関しては、
更新はしてるけど、
更新しましたとかは言ってないから、
別に誰がこの自分が台湾で一人で喋ってるのを聞きたいんだろうと思ってるから、
別にしれっと更新だけしてる。
でもその時に出るテーマっていうのを一人で喋るっていうのは、
やっぱり言いたいことが急に降ってきて、
これを今何か残しておかなければみたいな感じで、
いきなり喋り始めた。
いや、それはね、
テーマとかはチャットリピートとかに相談してる。
そっかそっかそっか。
やっぱりテーマ作ってくれると喋りやすくなるというか。
そうだね、テーマ作ってくれると話しやすいし、
その台湾もそうだけど、
旅先で何か残しておきたいっていうのはやっぱあったから、
もちろんそれが写真とかでも動画とかでもいいんだけど、
場所が変わると考え方とかも変わるから、
そういうのを残しておきたいなとも思ってっていう感じではあるかな。
それこそね、
移動すると場所を変えるとやっぱり出てくるものというか、
その立ちで感じたこととか、
その場所じゃないと浮かばなかった言葉とか、
昔考えたことが急に答えみたいな感じで来たりとかするから、
やっぱりその土地で感じたことというか、
頭で考えてる以上に本当にいろんなことを体とかは受け取ってて、
それが言葉としてはって出てくる瞬間があったりとか、
やっぱり何かしら出てきたことって今のメッセージとして出てきてるから、
残しとくとその時の感情も思い出すし、
いいなって思ってて。
それが音声だったりとか文章だったりとか写真だったりとか、
アウトプットはいろいろあるけど、
やっぱり残すって、自分の記憶力って過信しちゃう。
そうそう、だから全然ね、記憶力は全然ないんだよね。
自分もラジオもこれ、何言ってたっけって全然ないからさ。
そういう意味で残しとくって、
何かしら残しとけば思い出せるツールになるから。
そうなんだよな。
それこそ吉美の方が自分の中では旅人ってイメージだから、
あんまり定住してる感ないんだよなと思って。
そうですね、よく言われますね。
あんまり固定の場所に住んでるイメージがしないかなと思って。
でも本当に暮らしの大切さもすごいわかってるし、
今だと畑とかやってると思うけど、
私も定期的に行かせてもらってる畑があったりとか、
やっぱりそれは住まないとできないことだったり、
同じ景色を、季節を変えてみるとかも住まないとできないことだったりするし、
そういう一つ拠点というか、
場所がある方が日常というか変化をすごく感じやすいというか、
確かにね。
そういうものが本当にあるなって思うから。
アフリカとかまた住みたいとかはあるの?
アフリカは…
住むまではわかんないけど、
普通にまた行ってみるとかはあるの?
アフリカは青年海外協力隊として暮らしてたから、
もっと違った立場で行ったら見え方とかも変わってくると思うし、
協力隊はどちらかというと現地の人と同じ暮らしをするというか、
そういう目線で見えるからこそ一緒に活動して、
何かを作っていけるという同じ体験をするみたいなところもあると思うけど、
駐在院とかもまた変わるし、
アフリカも英語圏のところもあればフランス圏とかもあるから、
そうするとまたストレスが違ったりとか。
でもアフリカ暮らしは本当に貴重な経験だったから、
ザンビアでも違う場所だったらまた違う勉強ができると思うし、
アフリカも本当に面白い文化がまだまだ知らない文化がいっぱいあるから、
そういう場所にまた住みたいまでも言い切れないと思う。
若かったからできた。若いって言い方はあれだけど。
そういういろんなエネルギーがあったからこそできたものもあるけど。
旅と定住の価値
またいつかそういう体験が来ればできないことはないかな。
まあそうだね。
いやー、でもよしみのどこでも生きていけそうな感じも。
それすごくよくみんなに言われて。
でも思い出してみてほしいんですけど、
初対面の時って私に対してどこでも生きていけそうって思ってなかったんですよね。
まあそっか。そう言われてみたら初対面の時はそんなこと思ってなかったか。
確かにね。それはあれじゃない?よしみは隠してたね。
隠してるつもりはないけど、やっぱりね。
アドレスをやってて、岡田さんはどちらかというと同じ場所に住んで人を迎え入れる立場の方だったから、
すごくたくさんの人を見てきてると思うんですけど、
その中で私をゲストに呼んでくれるぐらい深まったというか、
いろんな話をしてたぶん今のこのゲストに来るという流れができたと思うけど、
やっぱり呼ぼうと思ったきっかけとか、もうちょっと話してみようと思ったきっかけとかって、
なんだったんだろうなと思って。
なんだろう。
何千人で多分出会ってるじゃないですか。
まあそうだね、実際。
その中で、撮影を依頼してもらったりとか、
本当にいい繋がりができたなというか、いい関係というか。
今もこうやって繋がって、お互いアップデートされたことを話したりとかできるのが本当に貴重だなと思ってて。
そうだね。
まあでもよしみがもうね、
こう、面白いオーラを発してるからな。
なかなかね、やっぱりなんか、
そう、初対面は核性じゃないけど、やっぱりどうしても出せない部分というか、
みんなそうだったと思うけど、
ね、ウィーンスみたいな感じで。
いきなりね、それはそうなんです。
いけないからね。
それはなんかね、引き出してくれたのも岡田さんというところで、
ありがたいなと思ってます。
そうだよね。
あれあれ、初めて鎌倉来た時って、
あの時は点々としてる時だったの?
もう初期?
初期。
それこそ2回目のロビちゃん?
うん。
ロビちゃんが始めた次の日。
あ、そんな時だっけ?
私は初めての拠点でロビちゃんと会ってて、
そもそもロビちゃんとそっからの仲というか、
実はそんな繋がりがあって。
じゃあ同じぐらい?
そう、同じぐらいにやってて。
あの時はまだ会社も?
もう辞めた。
もう辞めたとか。
個人で活動し始めてた。
始めてたのか。
あれ、いつだ?
2023年の1月です。
あ、あれ2023年の1月なんだ。
うん。
じゃあもう丸2年経ってるのか。
そう、2年半。
2年半ぐらい経ってるのか。
そっか、そんな前か。
そうだね。
なるほどな。
そっか。
2年半あるとね、いろいろ状況進んだりとか。
そうだよね、確かに。
考えることも変わってたりとか環境が変わってたりとか。
そうだよね。
その間に岡田さんも独立というか。
まあそうだね。
っていうところにも来たから。
まあ2年半経てばいろいろ変わるか、そりゃ。
今が2025年の8月だから、
2年半だと2028年とかになるでしょ。
さらに2年半だと。
そしたらまた全然違うだろうな。
2年半後、想像できることってあります?
想像できること?
何だろう。
いや、ないな。
ないな。
ないんかーい。
まあ会社がうまくいってるっていう願望はあるけど、
それは別に希望とか願望であって、
想像できることではないからなと思って。
会社とか、会社員やってた時って中期経営計画とか、
そういうのって3年とか5年とかそういうスパンだから、
私も個人で仕事をし始めて本当に3年目とかの時期だから、
3年経つとまた見える世界も変わるというか、
そういうタイミングにまたいるのかもしれないですね。
そうそうそうそう。
予測不可能な時代の生き方
そうなんだよね。
それこそ古典ラジオとかでよく深井さんとかが言ってるんだけど、
予測可能性を過信しすぎてる気がしてて、
人間が3年後こうなってますとか、
授業稽古とかそう立てるのはわかるけど、3年5年、10年でこうこうこうとか、
でも自分は本当に深井さんの言うところにめちゃくちゃ納得してて、
そんな予測可能性できるわけねえだろうと思って、
人間が神なわけじゃないんだから、
2年後こうなってますとか3年後、
言うことはできるけどそれが予測通りになるわけではないというか、
だからあんまり自分はこうなってますとかあんまり考えないようにしてるというか、
あんまり先置きにしすぎてもやれることが制限されちゃうから、
どっちかと言えば今の方を重要視するような生き方になったなという気はしてるかな。
こういう話をしときながら私も目標を立てるのは苦手というか、
具体的な目標よりもこうなってたらいいなとか、
ビジョンじゃないけど、
そういうものをちょっと大きめなものをポンと置いておいて、
そこに行くプロセスは何でもいいかな、
気づいたらこっちの方に行ってたから間違いじゃなかったというか、
そういう柔軟なやり方がすごい好きだから、
めちゃめちゃ大きな目標を今掲げてますみたいな感じではないけど、
何かにたどり着くんだろうなっていう。
結果としてたぶんたどり着くんだろうなっていう気はしてて、
そこがどんな道であれ、
それは回り道することだってあるし、
何でもかんでもやっぱり最短距離でたどり着くことはできないだろうし、
逆にそれができたら、
それはそれですごくつまらない毎日になりそうなという気はしてるから。
予測できないほうが楽しいよなと思ってるから、
最近予測できないことが少し不足してきたから、
それにちょっと飢えてるっていう。
岡田さんが予測不可能な時代を生きる上で、
これを大切にしたらいいんじゃないかなとか、
大切にしてることとか、
何か自分の中で出てくるものであります?
大切にしてることか。
これを大切にしたらいいんじゃないかと、
予想不可能な時代において。
何だろう。
何でも前向きに受け取ればいいんじゃないっていう気はしてるというか。
すごく当たり前なことかもしれないけど、
嫌なこととかネガティブなことも起きるけど、
予測不可能な出来事への心構え
それはそれというか、
それが結局生かすも殺すも自分次第だから、
とりあえず前向きに受け取ればいいんじゃないっていう気はしてるかな、
何があっても。
だからそれこそね、
ちょっとでもなんかね、
それこそ電車が遅れるとか、
動かなくなるとかっていうので、
すごくイライラしちゃいがちな人が多い気がするけど、
それこそアフリカとかね、
逆に予想できることのほうが少ない気がするから、
アジアも東アジアもそうだけど、
そういうの経験してる人も多いと思うんだけど、
それこそアフリカとか、
逆に予想できることのほうが少ない気がするから、
アジアも東アジアもそうだけど、
そういうの経験してあったと、
ちょっとぐらい思った通りにことが進まなくても、
もっとみんな気楽に受け取れればいいんじゃないっていう気がするかな。
異文化体験と自己成長
それはやっぱりね、
岡田さんもシンガポールの暮らしが長かったりとか、
東南アジアを経験してるからこそ、
やっぱり言えることってありますよね。
そうだね。
予測できないことを面白がる力というか、
前向きに捉えるようになるには、
自分の器を広げるみたいなものもすごく大切なのかなと思ってるんですけど、
岡田さんはその器はどうやって広げていったのかなって気になって、
前向きに捉えるっていうのがみんなできるわけじゃないから、
鍛えるというか。
どうなんだろう。
そうじゃなくてたぶん予定不調は?
予定不調は。
とかって好きって言えないと思うんですけど。
どうなんだろうね。
よしみんって、
全然あれは関連するか分からないけど、
よしみんって一人、兄弟いるんだ。
兄弟います、はい。
上?下?
私4姉妹の長女。
そうなの?全然知らなかった。
4姉妹なの?すご。
言わなかったか。あんまり話してなかった。
初めて聞いたかもしれない。
4姉妹なんだね。
そう、4姉妹。
しかも長女なんだね。
長女。
全然長女。
ツッコミのグロマンスだよね。
長女っぽくなったすぎじゃない?
そう、なんか末っ子っぽいっていう人と、長女だねっていう人と両方いるんだけど、
そう長女だねって言わないってことはたぶん、
たぶんいろんな私の面をちゃんと見てくれてる人だから、
真面目じゃない部分もたぶん知ってくれてるんだろうなっていう。
そう。
いや、長女だったらフリかいかんでしょって。
分かんないけど。分からんけど。
ねえ、なんか姉がこんなんだと妹どんなんだよってね、気になりますよね。
確かにそれすごく気になるわ。
逆にそっか、あと3人いるんだね、ちょっと。
それは初耳かもしれない。
今のね、この兄弟いるって聞こうと思って。
いや、なんかそう、自分は3人兄弟っていうか、姉がいて自分がいて弟がいての3人なんだけど、
なんだろうな、真ん中って一番最初に空気有名になるのかなと思ってて、
どっちかというと自分小さい頃の方がすごく器が小さいというか、すぐ怒ったりとか短期だったりとかだったかなと思って。
小学校とか中学ぐらいの方が。
でも3人で間にだとだんだんこれ、ここで喧嘩しても意味ないぞっていうのを結構早い段階で気づくというか、
姉と弟が喧嘩をする、ここを姉と弟と喧嘩してまでここを張り合っても意味ないぞっていうのを結構早い段階で気づいたというか、
例えば、ケーキ3つあります。どの味がいいですかみたいなのをさ、小さい頃って喧嘩するじゃん。
っていうのを真ん中だと、喧嘩してまで絶対これを食べたいとかやっても喧嘩する体力とか気力が無駄だぞっていうのに結構早い段階で、
真ん中の子って気づくんじゃないかなと自分勝手に思ってて。
そうかそうか。
っていうのが一つと、後は単純にシンガポールのケーキも多いというか、後は高校でアメリカに留学してたのもあるけど、海外に行って、
日本じゃない、日本の当たり前が通じない環境でやったっていうのも大きいのかなという気がするけどね。
確かに2つ結構大きい経験というか、やっぱり小さい頃って家族というか、そこが社会というか、
そこでやっぱりお家の中で社会みたいなものがあるから、そこで学んだことを外の世界というか、
自分が学校とか会社とかそのとこでもそういう立ち振る舞いになっていくというか、
やっぱり海外の経験って当たり前がどんどんどんどん自分の中の常識破壊が進んでいくから、
日本の四季と文化の美
いい意味で諦めがつくというか。
あとだからそれこそ最近読んだ本で28歳まで経験したことで人って形成されるみたいなことも書いてあって、
ちょうど自分シンガポールに29までいたから、20代の前半から後半ほぼシンガポールで過ごしたから、
あれが自分の中で良くも悪くも基準というか当たり前になっているから、
それ考えたら日本のクオリティって全部が素晴らしいし、
全てが予定通りに済むし、ご飯どこ行っても美味しいし、みんな優しいし、
もちろんシンガポールの人も優しいんだけど、そういうのを感じると全然、
日本の人の器が小さいわけじゃないけど、
日本の人はすごく突発的なことに対応ができないというか、そこはちょっと苦手なところなんだろうなという、
日本の国の特性上そうなっちゃうのかなという。
確かに瞬発力が鍛えられていないという言い方はちょっと違うかもしれないけど、
急に来るとドキッとしてしまったり、取り乱してしまう人とかも結構いるかもしれない。
それはこの環境でずっと暮らしていると、そこはそうなっちゃうよなという気はするな。
そっかそっか。やっぱり二つの経験が。
それは器が大きいって表現でいいのかはちょっとよくわかんないけど。
確かに確かに。
そう思うと私も28、27とか28ぐらいの時にアフリカに行ったから、やっぱりそこの常識破壊みたいな、
そこで経験したことは今本当に生きているというか、
そこから作られているものって本当に大きいなって思っているから、
やっぱりそのタイミングって一つみんな基準になっているものがあるのかもしれないなって。
なるほどね。
そっかそっか。
そうだね。だから最近繰り返しになっちゃうけど、自分が予測不可能なことにちょっと飢えているもの。
逆に多分今自分の会社がどうなるかが一番予測不可能っていう意味では予測不可能に向き合っているなと思うんだけど、
こうね、なんかふざけたこともやりたいなっていうのはすごくフツフツとは感じているんだけど。
そっかそっか。なんかふざけたことってどの方向にふざけたいとか。
なんだろうな。どの方向。
やっぱこう切り込んでいきたいんですかね、岡田さんは。
なんだろうね。
常識破壊というか。
まあ確かに常識破壊はしたいよね。
それができるのがやっぱり起業家というか個人でやっている人は一つ強いことなのかなって。
確かにね。
やっぱり組織とかを動かすのってすごく時間がかかったりとかするけど、
ちっちゃな力だけどそれがやっぱり大きくなっていくというか。
そうやっぱり本当に子の力というか。
やっぱそのエネルギーをやっぱり途切らせたらダメだなというか。
そこはやっぱ大切にすべきエネルギーだなって感じています。
確かに。
あと全然関係ないけどなんか最近ちょっと暑すぎて普通になんか疲れる気もある。
確かに寒いとまたエネルギーだし、暑いとそれもエネルギーだし。
じゃあシンガポールの時はどうしてたんですか?
シンガポールって湿度がやばいじゃないですか。
暑いのもしんどいけど湿度の方がやっぱり体が重くなるというか。
いや、でも自分はシンガポールの方が気候が多分自分に合ってて。
年中とはいえ30度ぐらいだから日本の真夏みたいに35度とか38度とかそこまでにならないからちょうどよかったんだよね。
だからたぶん自分シンガポールにいた時が一番健康だった気がする。
健康ってその分からないけど精神的にも肉体的にもちょうどいいバランスの気候だった気がする。自分の体的には。
両方から健康って言えるのっていいですね。
あの時はでも20代だった時もあるかもしれないけどね。
これがまた今また30代で暮らしたらまた変わるかもしれないけど。
そうだったなぁ。
でもとはいえやっぱり日本に帰ってきても日本で暮らしてもやっぱり四季があるっていいなと思うし。
間違いない。
変化をやっぱりさ。さっき吉井も言ったけど同じ場所ででも全然四季によって風景が変わるとかをさ。
やっぱりそれを楽しめるって日本人ならではというかさ。
そこに何か豊かさを感じるのって日本人ならではな気がしてて。
それがやっぱり四季がない国の人からしたらそれはちょっとなかなか頭では理解するかもしれないけど心からこれだとは思わない気がするから。
確かにやっぱりアフリカにいた時に日本って美しいなって思って。
日本の四季って本当に美しいなって思ったし。
だからこそ日本でいる時の時間の速さって結構あっという間なのかなって。
四季があるから変化を感じやすいというか。
それがなんかもう日本人のDNAとして組み込まれているような気がする。
絶対そうな気がするんだよね。
それは東南アジアとか年中夏の国とか四季がない国、それこそ寒季冬季だけの国とか。
そこはそこで全然違うマインドになるのは当たり前だよなと思う。
生まれた時からそういう環境で過ごしているわけだから。
どっちがいいとか悪いとかじゃないけど。
すごく日本人がそういう四季を感じれるっていう意味ではすごく恵まれているような気がするな。
確かに確かに。
とはいえつつこの四季がなくなりつつあるこの世の中果たして。
本当に春と秋はどうなってしまうのかみたいなところもあるし。
やっぱり雪も石川県とかもっと昔は降ってた気がするけど。
すごくどか雪みたいな感じですっごい降る時もあるけど。
金沢って県六園っていう神王寺があって。
そこって雪の重みで木がダメにならないように雪ずりって言って木にこう紐というかロープを張ってやるんですよ。
それをこうなんかツンツンってやったら雪がわたって落ちて木が折れにくくなるみたいな。
雪ずりがやっぱ冬になるとされてるんですけど。
最近はこう冬に行っても雪が積もってなくてただの木に張ってあるみたいな感じになって。
それやっぱり雪があると美しく見えるのにそれも最近見れなくなってしまって。
せっかく冬に金沢行ったのに雪が見れなかったって結構言われたりします。
そうなんだ。
それぐらい本当に雪がどうなっていくのかわからないけど。
やっぱりそこで行事とか今だったら夏ならではの花火とか夏にしか見られないものとか。
そういうものを本当に楽しんでいけたら人生は豊かになっていくなって。
小さいことは面白がるというか。
っていうのをすごい感じるな。
夏はあともうちょっと。
あと何ヶ月かわかんないけど。
最近10月とかまでは暑いけど。
夏の楽しみは何かあるんですか?
夏の楽しみね。ここで流しそうめんやるって話が今あるから。
竹をどこかから持ってくれるというか。
竹を近くで取れるところがあるというか誰かが持ってきてくれるというか。
多分なんとかするんだろうなと思います。
ふざけることの重要性
そっか、でも鎌倉の暮らしもやっぱりいろんなことをみんなで楽しんでやってたんじゃないかなと思って。
その姿勢はやっぱり変わってないというか。
それこそなんかさ、ふざけたこと言うと。
今年、二宮町が90周年なんだって。
長生町になって。
90周年だから流しそうめん90mでやろうとかっていうのをふざけて行ってたな。
1月とか2月くらい自分。
いいな。それを町でやろうって。
わかんない。勝手に。
さすがに90はやれないなと思って。
どうやってつなぎ目。
いや、もう何も考えてない。ただふざけた。
とかっていうふざけたことを1月2月くらいに言ってたなと思ってたけど。
ちょっと今、そこまでふざける、そこに対してふざける気力がちょっといま余ってきちゃってるから。
大人こそ全力でふざけられるというか、そこにアイディアが湧くというか。
実現できるのは大人だなって思うし。
大人が制限かけてたら子供って制限を見ながら育つから。
子供の頃を忘れないというか。
大人こそちょっとふざけた方がいいんじゃないかなっていうのがたまに思う。
ワークショップの体験
そうそう。本当。
それこそ、昨日がワークショップデザイナーっていう青岳で受けてた講座の最終日で。
最終日もグループに分かれてワークショップを作ったんだけど。
自分たちのグループ、たまたま火集まったグループでやったんだ。
ワークショップを作るっていう日だったんだけど。
もうふざけ倒せるメンバーだったから。
自分はどっちかと言えばふざけない側の人間のキャラだったけど、その講座の中では。
でもその一緒に入った人たちがめっちゃふざけてくれる人だったから。
昨日はほんと散々ふざけたワークショップを最後にやりきったから。
それをすると面白かったなと思って。
ふざける中でのふざけない立場っていうのは、ツッコミを入れるとかどういう感じで。
キャラ的にこんなワークショップやってくれないでしょって思われてたから。
でも自分はやりましょうって感じで。
もう一人自分以外にもどっちかと言えば真面目そうな人もいたけど。
でもちょうど集まったメンバーがそれで最後だから自分たちの殻を破ってふざけきろうっていうのをやって。
結構他のグループは真面目にちゃんと書く系とかしっかり机と向き合うワークショップをやる中で
自分たちだけ椅子すら置かないで動き回るやつを本気でやりきったっていうのは
そういうふざけるのは昨日楽しかったよね。
そういう枠を外したことを学びの場でできるのってすごく大きいなと思ってて。
いざ集客して本番の場でふざけるとかってなかなかできない。
一応パーンってかづけたものをどこかで経験するってすごく大切だと思ってて。
いい選択をしたんじゃないかなって。
たまたまそのグループにいてくれた人がその提案をしてくれてすごくよかったなと思って。
それはみんなで乗ってやりきって。
余計に達成感があったのかもしれないし。
真面目にふざけたことをやるというか、
やっぱりふざけようと思っても全部はふざけられないというか
真面目さを持っている人はどこかで落とし所があるから
そのバランスもすごく大切だなと。
ふざけるを探す旅に出るか。
と言いながら私もすぐ真面目な話に着地しようとしちゃうから。
私もちょっとふざけるために出た方がいいかもしれない。
そんな感じで雑談もいい感じになったので。
いろいろ喋りましたね雑談も。
というわけでユシミンとの会でした。
楽しかったですね。面白かった。
次のゲストどうしようっていうね。
そろそろストックがやばいんで。
いや、切り札はありますよ。
切り札ね。そっか、切り札いるか。
切り札でもこの段階で使うのちょっと早すぎる気が。
そうですね、もうちょっとね。
するので。
楽しみに。
楽しみをとっておいてっていう感じです。
はい。
では今日は。
はい。
めちゃくちゃ暑いな本当に。
ありがとうございました。
こちらこそありがとうございましたあ。
リスナーの皆さんも。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
さよならー。
またねー。
ありがとうございました。
49:45

コメント

スクロール