私が言われるのは、
お母さんと連絡することが多いんですけど、
お母さんが依頼してくれてっていう場合があるんだけど、
お母さんが私って子供を見る時にこんな顔したんですねみたいなことを言ってくれて、
こんな柔らかい表情を自分してると思わなかったとか、
そういうことを言われたりすることが結構多いんですけど、
岡田さんは奥さんとディレクション的に顔を見てくださいとか、
多分言えたタイミングがあると思うんですけど、
そういう時の表情とか、写真を見返して、
自分の表情から気づいたこととか、
こんな顔してるとか、そこから新たに気づいたことというか、
関係性というか、
そこから子供にできることとか、思い浮かぶこととかありますか?
そうだね、それ言ったらすごく今のお母さんのエピソードと近いというか、
当たり前だけど、自分が奥さんといる時の自分の表情って見えないわけだから、
それ意味ではすごいこういう柔らかい顔してるんだ、
ぎこちなさは全然ないというか、
もっと今まで他の写真だったら、
そのポートレートじゃなかったとして、
人ってもうちょっと写真撮りますよっていう顔をしてたんだけど、
そうじゃなかったから、すごくそれは自然な表情が、
ありのままというかそのままの表情だから、
それはそういう顔なんだっていうのは、
あんまりそれを写真として見たことは確かになかったなと思って、
普段そういう顔してるかもしれないけど、
それは鏡でもないと見ないわけだからっていう。
あとそれこそでも、さっき季節に分けて撮る人もいるとか言ったけど、
それ言う前に自分も思ってて、確かにあれ冬だったから、
自分寒いの苦手だから。
表情が片押しだから。
だから暖かい時期にまた撮ったら、
またそれはそれでいいのかなっていうのを聞いてて思ったという気はした。
今度は、あの時は鎌倉で、
やっぱり思い出た地が鎌倉だったっていうのもあるけど、
またこう過ごす場所、今だったら二宮とか長野とか、
またそういうところで撮っても絶対いいだろうなってすごく思った。
あの撮影の時に、あいさんが後ろで見守ってくれてて、
二人のことを遠くから撮ってくれたりとか、
あの撮影風景もすごい良かったですよね、
気合い合いと。
本当に。
そうだよね。
あれがもう8ヶ月ぐらい前か、すごいな。
意外とあっという間だなって。
結構、最近と言えば最近な気もするし、
遠い昔と言えば遠い昔な気もするんだけど、
なんかすごい不思議な感覚だけど。
でもそれこそ吉見の個展に行った時に、
初めて自分が今の自分の会社のビジョン的なのを言語化できた日なんだよ。
そうだ、やっぱりあの問い大きかったですね。
そうそうそうなんだよ。
あの時は起業しようと思った直後なのか直前なのか、
まだ直前だったかもしれないけど、
でもあそこの問いが初めて、
自分が起業するテーマとかをちゃんと文字にするきっかけ、
あれからちょっと変性があったけど、
なんか最初のきっかけだったなっていうのはすごいなと思った。
そうか、やっぱり心に咲かせたいものはってことだけど、
それがやっぱり高田さんが咲かせていきたいものっていうところに、
そこがつながってるのがすごい嬉しいというか。
そうだよね。
だからやっぱり問いを作るってすごい大切だなっていうのは思った。
やっぱり個展も写真だけ見せられる人っていう、
やっぱりフォトグラファーの特性があるから、
どういう展示にするかっていうのは、
考え方は本当にいろいろあるけど、
私はやっぱりコーチングをやってる、
ライフコーチとしての私っていうところも、
何かしら表現できたらなって思ってたのと、
あとは私のコーチの仲間とかが、
問いを個展の時に置いていたりとかしていて、
その豊かさを私も受け取ったことがあったから、
私もやってみようって思ったりとか、
その個展の後にこのサービスのことを私も考えたんですけど、
やっぱりこの2つ持ってる私ができることっていうので、
だからあの個展でやっぱり問いを置いてみたっていうのも、
すごく大きかったなって思います。
なるほどね。
すごい雑談会らしからのいい話になってる。
もっとふざけたほうがいいかな?
全然いいんだけど、まだ続いてる感じ。
全然いいんだけど、いいというかむしろそっちでやるべきな。
今までの雑談会がちょっとふざけすぎたかもしれない。
その時にポスト資本主義っていう言葉が出たと思ってたし、
あの時岡田さんすっごいなんかひらめいたように、
いっぱいキーワードが出てきた感じを私も見てて感じてて。
そうだね。
あの時が多分一番いろいろインプットもちょうどよかったっていう感じだよね。
今は全然そうなんだけど。
なんだろうな。
でも最近はもうちょっとふざけたことをやりたいなっていうのは、
気持ち的にはあるんだけど、
ふざけたもの不足になりかけてそうな気はしてるから、
ちょっと最近ふざけてないな自分っていう気持ちがあるから、
何でふざけようかっていうのがやってるかな。
岡田さん学ぶことというか、そこにやっぱりすごく思いもあるから、
インプットとかはすごくたくさんしてると思うんですけど、
逆にアウトプットとかってどういう時にしてるとか、
意識的にやってることとかってあります?
アウトプットはでも、最近とか本当今年に入ってからは全然する。
今までしてなかった。
そこにあまり意識がなかった?
いや意識なかったというか、ちょっと意図的にしてなかったのもあるし、
ちょっと遠慮してたというか抑えてた。
変にリスク、
リスクなんて実際ないんだけど、変にリスクの方を考えすぎたというか、
すごく組織に一応属した仕事をしてたから、
めんどくさいじゃん、炎上とかさ、
そんな大してないと思うけど、
SNSの炎上とかがあると嫌だなっていうのもあったから、
結構学生時代の方がSNSとか積極的にアウトプットしてたけど、
社会人になってからそれがだいぶ減っていって、
そっちが逆に当たり前になっちゃってたから、
でも今回、今年から独立して自分で会社やっていくから、
今はすごく意図的に増やしてるというか、
だからこのラジオもそうだし、
最近別のラジオを友達と始めたりとか、
あとノート書いたりとか、
っていうところは意識的にアウトプットって意味出してるって感じ。
それが何につながるかとか、
誰に聞いてもらいたいかっていうのはまだそこまでないというか、
アウトプットすること自体が今は目的になっているから、
とりあえず何か1日1個でも何かしら更新すればそれでOKみたいな風にはしてる今は。
確かに私も会社員と並行で副業してる時って、
なんかやっぱり見えないブロックがあるというか、
自分の立場とか、立場って言っても難しいけど、
考えてしまうというか、
これを言っていいのかなと思っていることがあっても、
大きいところで言えなかったり、小さいところでね。
隠れたところでひそひそっていうぐらいになっちゃって、
これ言ったら会社に文句がつくんじゃないかとか、
実際ないんだろうけど、変なリスクをすごく考えちゃってたから、
今は別に自分が言ったことに対して返ってくるのは自分に対してしかないから、
それはもうそれでいいやって思ってるというか。
外の人というか、自分の外の人からすればもっと出していいじゃんとか、
そういうことは言えるし、むしろ出してほしいみたいなことはすごく伝わってるというか、
いいことを多分考えてるんだからもっと出せばいいのにみたいなことは言われるけど、
本人からしたらそこにブロックがあったりとか、
フィルターがあったりとかするから、そのバランスは難しいけど、
やっぱり今は個人で仕事とかしていると、
自分の発したことに共鳴してくる人が集まってきたりとか、
自分の考えとか積極的に出していくことで、
そこも人につながっていくなって思うし、
心地よく仕事をすることにもつながるなって思うし、
自分が本音で話せないと、自分を偽って生きていることにもつながるから、
やっぱり思ったことは伝えた方がいいことというか、
シンプルにやっぱり、場所にもよるかもしれないけど、
出すことってすごく大切だなって、アウトプットって大切だなってすごく感じてるから、
話すごい分かるなって思って。
でも結構ね、それでもまだ思い留まることはあるけどね。
これを出していいのかみたいな。
それはありますよ、みなさん。みんなあると思う。
どっちかというと、負の感情というか、ネガティブなことを、
最近そんなに思うことはないんだけど、ネガティブなこと。
でもネガティブなことも含めて、これはちょっと違うんじゃないかみたいなことを、
まだ発信する場所はないから、
ネガティブって、感情的にネガティブというか、
そもそも論としてこれおかしくないみたいなことに対して、
ちゃんと建設的に発信できるかわからないけど、
そこはまだ発信する場所があんまり自分はないから、
ちょっとそこが難しいなと思ってて、
なんだろう、これって違うよねっていうのを、
発信しても別にいいんだけど、
ちょっとまだ怖さがあるというか、
別に有名人でもなんでもないから、
何もないのはないんだろうというか思いつつって感じかな。
やっぱりこう出していくと、
やっぱりよくぞそれを言ってくれたみたいな人もいるし、
みんなこう集合的に、
言っちゃダメなんじゃないかなみたいな雰囲気の中で、
言ってくれる人がいると、
よくぞ言ってくれたみたいな。
まあまあ確かにね。
場所にもよるけど、
出していくと意外と共感を得られたりとか、
同じ考えてるエネルギーの人が本当に集まってくるなというか。
確かにな。
それこそ全然あれだけど、
このラジオも普段いろいろ発信、
ゲストを迎えてやってるけど、
最近出してる、
謎の自分一人台湾喋り会っていうのがあるんだけど、
これに関しては、
更新はしてるけど、
更新しましたとかは言ってないから、
別に誰がこの自分が台湾で一人で喋ってるのを聞きたいんだろうと思ってるから、
別にしれっと更新だけしてる。
でもその時に出るテーマっていうのを一人で喋るっていうのは、
やっぱり言いたいことが急に降ってきて、
これを今何か残しておかなければみたいな感じで、
いきなり喋り始めた。
いや、それはね、
テーマとかはチャットリピートとかに相談してる。
そっかそっかそっか。
やっぱりテーマ作ってくれると喋りやすくなるというか。
そうだね、テーマ作ってくれると話しやすいし、
その台湾もそうだけど、
旅先で何か残しておきたいっていうのはやっぱあったから、
もちろんそれが写真とかでも動画とかでもいいんだけど、
場所が変わると考え方とかも変わるから、
そういうのを残しておきたいなとも思ってっていう感じではあるかな。
それこそね、
移動すると場所を変えるとやっぱり出てくるものというか、
その立ちで感じたこととか、
その場所じゃないと浮かばなかった言葉とか、
昔考えたことが急に答えみたいな感じで来たりとかするから、
やっぱりその土地で感じたことというか、
頭で考えてる以上に本当にいろんなことを体とかは受け取ってて、
それが言葉としてはって出てくる瞬間があったりとか、
やっぱり何かしら出てきたことって今のメッセージとして出てきてるから、
残しとくとその時の感情も思い出すし、
いいなって思ってて。
それが音声だったりとか文章だったりとか写真だったりとか、
アウトプットはいろいろあるけど、
やっぱり残すって、自分の記憶力って過信しちゃう。
そうそう、だから全然ね、記憶力は全然ないんだよね。
自分もラジオもこれ、何言ってたっけって全然ないからさ。
そういう意味で残しとくって、
何かしら残しとけば思い出せるツールになるから。
そうなんだよな。
それこそ吉美の方が自分の中では旅人ってイメージだから、
あんまり定住してる感ないんだよなと思って。
そうですね、よく言われますね。
あんまり固定の場所に住んでるイメージがしないかなと思って。
でも本当に暮らしの大切さもすごいわかってるし、
今だと畑とかやってると思うけど、
私も定期的に行かせてもらってる畑があったりとか、
やっぱりそれは住まないとできないことだったり、
同じ景色を、季節を変えてみるとかも住まないとできないことだったりするし、
そういう一つ拠点というか、
場所がある方が日常というか変化をすごく感じやすいというか、
確かにね。
そういうものが本当にあるなって思うから。
アフリカとかまた住みたいとかはあるの?
アフリカは…
住むまではわかんないけど、
普通にまた行ってみるとかはあるの?
アフリカは青年海外協力隊として暮らしてたから、
もっと違った立場で行ったら見え方とかも変わってくると思うし、
協力隊はどちらかというと現地の人と同じ暮らしをするというか、
そういう目線で見えるからこそ一緒に活動して、
何かを作っていけるという同じ体験をするみたいなところもあると思うけど、
駐在院とかもまた変わるし、
アフリカも英語圏のところもあればフランス圏とかもあるから、
そうするとまたストレスが違ったりとか。
でもアフリカ暮らしは本当に貴重な経験だったから、
ザンビアでも違う場所だったらまた違う勉強ができると思うし、
アフリカも本当に面白い文化がまだまだ知らない文化がいっぱいあるから、
そういう場所にまた住みたいまでも言い切れないと思う。
若かったからできた。若いって言い方はあれだけど。
そういういろんなエネルギーがあったからこそできたものもあるけど。
それはやっぱりね、
岡田さんもシンガポールの暮らしが長かったりとか、
東南アジアを経験してるからこそ、
やっぱり言えることってありますよね。
そうだね。
予測できないことを面白がる力というか、
前向きに捉えるようになるには、
自分の器を広げるみたいなものもすごく大切なのかなと思ってるんですけど、
岡田さんはその器はどうやって広げていったのかなって気になって、
前向きに捉えるっていうのがみんなできるわけじゃないから、
鍛えるというか。
どうなんだろう。
そうじゃなくてたぶん予定不調は?
予定不調は。
とかって好きって言えないと思うんですけど。
どうなんだろうね。
よしみんって、
全然あれは関連するか分からないけど、
よしみんって一人、兄弟いるんだ。
兄弟います、はい。
上?下?
私4姉妹の長女。
そうなの?全然知らなかった。
4姉妹なの?すご。
言わなかったか。あんまり話してなかった。
初めて聞いたかもしれない。
4姉妹なんだね。
そう、4姉妹。
しかも長女なんだね。
長女。
全然長女。
ツッコミのグロマンスだよね。
長女っぽくなったすぎじゃない?
そう、なんか末っ子っぽいっていう人と、長女だねっていう人と両方いるんだけど、
そう長女だねって言わないってことはたぶん、
たぶんいろんな私の面をちゃんと見てくれてる人だから、
真面目じゃない部分もたぶん知ってくれてるんだろうなっていう。
そう。
いや、長女だったらフリかいかんでしょって。
分かんないけど。分からんけど。
ねえ、なんか姉がこんなんだと妹どんなんだよってね、気になりますよね。
確かにそれすごく気になるわ。
逆にそっか、あと3人いるんだね、ちょっと。
それは初耳かもしれない。
今のね、この兄弟いるって聞こうと思って。
いや、なんかそう、自分は3人兄弟っていうか、姉がいて自分がいて弟がいての3人なんだけど、
なんだろうな、真ん中って一番最初に空気有名になるのかなと思ってて、
どっちかというと自分小さい頃の方がすごく器が小さいというか、すぐ怒ったりとか短期だったりとかだったかなと思って。
小学校とか中学ぐらいの方が。
でも3人で間にだとだんだんこれ、ここで喧嘩しても意味ないぞっていうのを結構早い段階で気づくというか、
姉と弟が喧嘩をする、ここを姉と弟と喧嘩してまでここを張り合っても意味ないぞっていうのを結構早い段階で気づいたというか、
例えば、ケーキ3つあります。どの味がいいですかみたいなのをさ、小さい頃って喧嘩するじゃん。
っていうのを真ん中だと、喧嘩してまで絶対これを食べたいとかやっても喧嘩する体力とか気力が無駄だぞっていうのに結構早い段階で、
真ん中の子って気づくんじゃないかなと自分勝手に思ってて。
そうかそうか。
っていうのが一つと、後は単純にシンガポールのケーキも多いというか、後は高校でアメリカに留学してたのもあるけど、海外に行って、
日本じゃない、日本の当たり前が通じない環境でやったっていうのも大きいのかなという気がするけどね。
確かに2つ結構大きい経験というか、やっぱり小さい頃って家族というか、そこが社会というか、
そこでやっぱりお家の中で社会みたいなものがあるから、そこで学んだことを外の世界というか、
自分が学校とか会社とかそのとこでもそういう立ち振る舞いになっていくというか、
やっぱり海外の経験って当たり前がどんどんどんどん自分の中の常識破壊が進んでいくから、
いい意味で諦めがつくというか。
あとだからそれこそ最近読んだ本で28歳まで経験したことで人って形成されるみたいなことも書いてあって、
ちょうど自分シンガポールに29までいたから、20代の前半から後半ほぼシンガポールで過ごしたから、
あれが自分の中で良くも悪くも基準というか当たり前になっているから、
それ考えたら日本のクオリティって全部が素晴らしいし、
全てが予定通りに済むし、ご飯どこ行っても美味しいし、みんな優しいし、
もちろんシンガポールの人も優しいんだけど、そういうのを感じると全然、
日本の人の器が小さいわけじゃないけど、
日本の人はすごく突発的なことに対応ができないというか、そこはちょっと苦手なところなんだろうなという、
日本の国の特性上そうなっちゃうのかなという。
確かに瞬発力が鍛えられていないという言い方はちょっと違うかもしれないけど、
急に来るとドキッとしてしまったり、取り乱してしまう人とかも結構いるかもしれない。
それはこの環境でずっと暮らしていると、そこはそうなっちゃうよなという気はするな。
そっかそっか。やっぱり二つの経験が。
それは器が大きいって表現でいいのかはちょっとよくわかんないけど。
確かに確かに。
そう思うと私も28、27とか28ぐらいの時にアフリカに行ったから、やっぱりそこの常識破壊みたいな、
そこで経験したことは今本当に生きているというか、
そこから作られているものって本当に大きいなって思っているから、
やっぱりそのタイミングって一つみんな基準になっているものがあるのかもしれないなって。
なるほどね。
そっかそっか。
そうだね。だから最近繰り返しになっちゃうけど、自分が予測不可能なことにちょっと飢えているもの。
逆に多分今自分の会社がどうなるかが一番予測不可能っていう意味では予測不可能に向き合っているなと思うんだけど、
こうね、なんかふざけたこともやりたいなっていうのはすごくフツフツとは感じているんだけど。
そっかそっか。なんかふざけたことってどの方向にふざけたいとか。
なんだろうな。どの方向。
やっぱこう切り込んでいきたいんですかね、岡田さんは。
なんだろうね。
常識破壊というか。
まあ確かに常識破壊はしたいよね。
それができるのがやっぱり起業家というか個人でやっている人は一つ強いことなのかなって。
確かにね。
やっぱり組織とかを動かすのってすごく時間がかかったりとかするけど、
ちっちゃな力だけどそれがやっぱり大きくなっていくというか。
そうやっぱり本当に子の力というか。
やっぱそのエネルギーをやっぱり途切らせたらダメだなというか。
そこはやっぱ大切にすべきエネルギーだなって感じています。
確かに。
あと全然関係ないけどなんか最近ちょっと暑すぎて普通になんか疲れる気もある。
確かに寒いとまたエネルギーだし、暑いとそれもエネルギーだし。
じゃあシンガポールの時はどうしてたんですか?
シンガポールって湿度がやばいじゃないですか。
暑いのもしんどいけど湿度の方がやっぱり体が重くなるというか。
いや、でも自分はシンガポールの方が気候が多分自分に合ってて。
年中とはいえ30度ぐらいだから日本の真夏みたいに35度とか38度とかそこまでにならないからちょうどよかったんだよね。
だからたぶん自分シンガポールにいた時が一番健康だった気がする。
健康ってその分からないけど精神的にも肉体的にもちょうどいいバランスの気候だった気がする。自分の体的には。
両方から健康って言えるのっていいですね。
あの時はでも20代だった時もあるかもしれないけどね。
これがまた今また30代で暮らしたらまた変わるかもしれないけど。
そうだったなぁ。
でもとはいえやっぱり日本に帰ってきても日本で暮らしてもやっぱり四季があるっていいなと思うし。
間違いない。
変化をやっぱりさ。さっき吉井も言ったけど同じ場所ででも全然四季によって風景が変わるとかをさ。
やっぱりそれを楽しめるって日本人ならではというかさ。
そこに何か豊かさを感じるのって日本人ならではな気がしてて。
それがやっぱり四季がない国の人からしたらそれはちょっとなかなか頭では理解するかもしれないけど心からこれだとは思わない気がするから。
確かにやっぱりアフリカにいた時に日本って美しいなって思って。
日本の四季って本当に美しいなって思ったし。
だからこそ日本でいる時の時間の速さって結構あっという間なのかなって。
四季があるから変化を感じやすいというか。
それがなんかもう日本人のDNAとして組み込まれているような気がする。
絶対そうな気がするんだよね。
それは東南アジアとか年中夏の国とか四季がない国、それこそ寒季冬季だけの国とか。
そこはそこで全然違うマインドになるのは当たり前だよなと思う。
生まれた時からそういう環境で過ごしているわけだから。
どっちがいいとか悪いとかじゃないけど。
すごく日本人がそういう四季を感じれるっていう意味ではすごく恵まれているような気がするな。
確かに確かに。
とはいえつつこの四季がなくなりつつあるこの世の中果たして。
本当に春と秋はどうなってしまうのかみたいなところもあるし。
やっぱり雪も石川県とかもっと昔は降ってた気がするけど。
すごくどか雪みたいな感じですっごい降る時もあるけど。
金沢って県六園っていう神王寺があって。
そこって雪の重みで木がダメにならないように雪ずりって言って木にこう紐というかロープを張ってやるんですよ。
それをこうなんかツンツンってやったら雪がわたって落ちて木が折れにくくなるみたいな。
雪ずりがやっぱ冬になるとされてるんですけど。
最近はこう冬に行っても雪が積もってなくてただの木に張ってあるみたいな感じになって。
それやっぱり雪があると美しく見えるのにそれも最近見れなくなってしまって。
せっかく冬に金沢行ったのに雪が見れなかったって結構言われたりします。
そうなんだ。
それぐらい本当に雪がどうなっていくのかわからないけど。
やっぱりそこで行事とか今だったら夏ならではの花火とか夏にしか見られないものとか。
そういうものを本当に楽しんでいけたら人生は豊かになっていくなって。
小さいことは面白がるというか。
っていうのをすごい感じるな。
夏はあともうちょっと。
あと何ヶ月かわかんないけど。
最近10月とかまでは暑いけど。
夏の楽しみは何かあるんですか?
夏の楽しみね。ここで流しそうめんやるって話が今あるから。
竹をどこかから持ってくれるというか。
竹を近くで取れるところがあるというか誰かが持ってきてくれるというか。
多分なんとかするんだろうなと思います。