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2024-07-23 10:10

私がなりたいのは「三度目の正直を与える」人

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おはようございます。ぽこの本棚というノートを毎日書いている社会福祉士のぽこです。もっと気持ちよく働いて、明日の自分にワクワクしようコンセプトに、自分の人生や働き方にもっとワクワクできるようなメソッドを障害者福祉の現場からお届けしています。
今日お話しするのは、私がなりたい人間像についてです。最後までお付き合いください。
皆さん、自分が目指す人間像は何かありますか?かっこいい大人になりたいとか、こんな人のような見た目になりたいとか、いろいろな理想があると思いますが、私が最近思う理想の人間像というのは、三度目の正直を与える人という人間像になります。
今日はそれについてお話しします。この三度目の正直を与える人、ここに着目をしたきっかけは、とあるボイシーの放送になります。
かぐしゅん先生という精神科医の方の放送を聞いている人いますかね?私よく聞くんですけど、今回は1428回脱厳罰主義、厳しい罰と書いて厳罰主義ですね。これについて19歳のアスリートの出来事を語っている放送になります。
リンク貼っておくので聞いてもらってもいいと思いますし、簡単に説明すると、体操のオリンピック選手、19歳の方が喫煙と飲酒でオリンピックのチケットを奪われたというか、罰として日本に帰ってこいと、オリンピックは出るんじゃないと罰を受けたよという話について、かぐしゅん先生がそれは厳しすぎないかいと話している放送になります。
これについて賛否両論正直あると思います。
タバコとかお酒はもうルールだからいけないんだよ。だからオリンピックっていう国を代表する選手として外国に行っているのであれば、ルールは守りなさい。守れないんだったら罰を与えます。その罰はオリンピックに出れないことです。
こんなイコールで結ばれている出来事かなとは思うんですが、私もどちらかというと、かぐしゅん先生に賛成ですね。この罰はあまりにも厳しすぎないかいと思います。
はい、というのも体操のオリンピック選手ってすごく限られた期間でしか活躍できないそうなんですね。なかなか大会がたくさんあるわけでもないし、サッカーや野球のように試合が頻繁にあるわけでもない。
ましてやオリンピックは4年に1回で体操選手みたいな体が資本の仕事、ここはもう活躍できる機会がすごく限られている。
そんな中でオリンピックのチケットを奪われる。これはかぐしゅん先生も言っていますが、再チャレンジの機会を失ってしまった状況になると思います。
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この再チャレンジの機会さえも失った状況に対して、なんかこれってあまりにも厳しすぎるんじゃないかなと私は思っています。
そこから私は再チャレンジその機会を奪う人ではなく、人に与えてあげられるような人になりたいなと思っています。
このやり直すチャンスを与えられる人になるためにも、まず再チャレンジの機会を奪う人、これはどんな人だろうかとちょっと考えてみたいと思うんですが、
最近思う私が再チャレンジの機会さえも奪っている人っていうのは、人が失敗した時にそれを受け入れてくれない人だと思います。
例えば最近私の職場でちょっと大きめな事故というかミスによる事故が起こりました。
そこに対して一つの失敗さえも許してくれない職員さんと多めに見てくれる職員さんがいます。
やっぱり許してくれない職員さんはその方なりのロジックがあるし、それは全然理にかなっているんですよね。
ルールはルール、守れなかったら利用者に対して不利益になるからそこは守らなきゃいけない、だからもう次はないよというやり方をする人もいる。
逆にいいよ、今回はしょうがないからいいよって言ってくれる人もいる。
両方いいところ悪いところ正しいところ間違っているところありますが、私はやり直すチャンスを与えられる大らかな人でありたいなと思っています。
あとはもう一つ日常の中で見られるこの再チャレンジの機会を奪う人としては、
例えば家族と約束をしていて、この日は家族でご飯を食べに行こう、だからこの日は仕事入れないで予定を空けようねって約束をしていた日に、
ごめんゴルフが入ったよ、よくドラマとかアニメとかで見るシーンだと思います。
この約束を破ったっていうことに対して、2回目3回目4回目も毎回こうだっていう人はまた別の問題があると思うんですが、
初めての人とかあんまり滅多にない人、あとはまだ数回しかやったことがない人に対して、
もう許せないとか激行する人っていうのはやっぱり私が目指すような人間像ではないなと思います。
こういった時にこの人が失敗というか約束を破ってしまったことについて、もう1回今謝っているんだったらもう1回約束をまた別の機会でして、
その人が約束を守ってくれることを信じるっていう行為を取ってあげたいなぁといつも思います。
やっぱりいつでも誰にでも2度目の機会ってあってもいいと思うんですよね。
自分自身が失敗をした時って何とかして許してもらおうとか、何とかしてその事態を治めようってするじゃないですか。
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でもやっぱり人の失敗になると途端に自分に被害がこむっている時は特に何とかしてその人がミスをしたからこれが起きてるんだって主張をしたくなってしまったりとか、
あとは逆に私のせいじゃないんだからあの人が悪いんだから私は関係ないですっていう逃げ方をする、そういう選択を取ることもできると思うんです。
ただそれをやることでもうその人は失敗することとかうまくいかなくなることについてすごく恐怖心を覚えてしまうと思うんですよね。
これって利用者支援でも同じことが言えて、一度ルールを破った利用者に対してルールをもう原罰化することもできると思うんです。
うちの施設はお酒を飲むことが絶対禁止なんですけど、そのお酒を飲むことがダメだよってルールを分かっていながらどうしても飲んでしまう。
それが依存症というものにはなるんですが、そういう人に対してもう何度も何度も繰り返しお酒はダメだよ。
あなたの体とこれからの地域生活には付き合っていくうまく付き合っていく方法を考えなきゃいけないから今は我慢することを覚えようねって
何度も何度も言うしかないんです。そこにもう外出禁止ですとか外出をするたびに職員に許可をもらわなきゃいけませんとか
ルールを原罰化することも簡単なんですが、そうするともう利用者は何かするごとにルールが厳しくなる。
何かするごとに自分を縛る鎖が強くなる増えるというふうに覚えてしまいます。
なので利用者としても何かやらかしてしまった時にも受け止めてくれる支援者がいる。
一緒にこれ失敗したから今度はこうしようとか次こそは約束守ってよとか、そういう曖昧なところに関わりを持ってくれる職員とか支援者がいるということが
心理的な安全性にもつながっていくんじゃないかなと思っています。
ただこの付き合い方、人にやり直すチャンスを与えるっていう付き合い方をするためには
一番大切なのは自分の余裕なんですよね。
自分にも時間にも心にも体力にももうすべてにおいて余裕を持っていないと余白がない中で人の失敗とかは受け入れることができないと思っています。
利用者も含め周りの人たちの失敗ややらかしてしまったこととか私に対して約束を破った傷つけてしまったそんなネガティブな行動さえも
次は気をつけてよってゆるっと付き合ってあげられるような人間でありたいなと思う日々です。
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皆さんはどうでしょうか。やり直すチャンスを与えられるような人なのか、それとも厳格に接する人なのか賛否両論あるとは思いますが
どっちの人に今自分は傾いているかなと考えながら生きていくのもいいんじゃないかと思います。
自分の失敗を受け入れてもらっているということを忘れずにいれば
人の失敗一つや二つ受け入れるのも少し気が楽になるんじゃないかと思うので
誰かに対してこの野郎と思ってしまった時には
ぜひ自分の失敗も誰かが受け入れてくれてるからこうやって人生成り立っているんだよなぁと思い出してみてください。
はいということで今日はやり直すチャンス3度目の正直を与えられる人についてという話でした。
何か皆さんの生きやすさや働きやすさにつながるような放送になっていると嬉しいです。
はいでは今日も聞いてくださりありがとうございました。
いってらっしゃい。
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