00:05
おはようございます。ぽこの本棚というノートを毎日書いている社会福祉士のぽこです。もっと気持ちよく働いて、明日の自分にワクワクしようをコンセプトに、自分で稼ぎを作れる福祉職を目指して発信をしています。
この放送では、知れば自分の人生や働き方にもっとワクワクできる、そんな発見やメソッドを障害者福祉の現場からお届けしています。
今日のテーマは、障害者と健常者の境界って何だろうというテーマになります。
今日はノートの有料記事とリンクしている内容になるので、その関係で、こちらの放送も有料の提供とさせていただきます。
ここまで聞いてくださった皆様、ありがとうございます。
ここから有料の内容になりますが、月500円で全部の記事が読み放題のノートのメンバーシップ、こちらもぜひ活用してみてください。
ではここから有料の記事になります。聞いてくださる皆様、本当にありがとうございます。
今日のテーマ、障害者と健常者の境界って何だろうについてなんですけれど、まず皆さんの意見を聞きたいなと思います。
皆様にとって障害のある方と障害がない方、この境界ってどんなところでしょうか。
よく聞くのは、手帳、障害者手帳を持っているかどうか。
あとは車椅子とかそういった歩行器具、補助具を使っているかどうか。
あとは障害の診断が下りているかどうか。
またヘルプマークや障害者マーク、こういったものをつけているかどうか。
こんな風にパッと見でわかるもの、あとは目で見てわかるもので判断をしている人が多いんじゃないかなと思います。
今日これについて考え直したいなと思ったきっかけは、やっぱり私が働いている救護施設という施設での特性になります。
私が働いている救護施設は、全員が精神または身体に障害を持っています。
ただ、診断を受けている人ばかりではなく、診断はないけど筋トツ的にちょっと弱いよねという方とか、
あとは診断を受けていないけど、ちょっと精神的に特性が強いよね、そんな方がたくさんいます。
そんな中で今一度、障害者と健常者の境界について考える必要があるんじゃないかなと思ったので、
今日テーマにしてみています。
結論から言うと、私は障害のある方とない人、これを区別すればするほどに健常者の幅が狭まってしまうんじゃないかなと危惧をしています。
このセリフというかこの考え方にちょっとハテナが浮かぶ人もいるかもしれませんが、
今この世界というか今の日本社会では障害のある方とない方という2つの世界になっているなぁと感じているんですね。
03:07
障害というのも障害の認められる幅がどんどん広がってきていると思うんですが、
例えば昔は何でもなかった、ちょっと特性が強いな、正確に癖があるなと思われていただけの人も、
今はまるまる障害、まるまる果たす障害とか、知的に障害がある、精神に障害がある、
そんな風に病名を簡単にポンとつけられてしまう時代です。
それによって適切な支援を受けることができる人も増えていると思うので、悪いことだとは思いませんが、
別にいいことだとも私言い切れないんですよね。
その障害があるって認められてしまった時点で、
この人のこの特性はもう障害だから仕方がないんだと決めつけられてしまっているようなものだと思います。
そのため、例えば障害ではなく、本来であれば性格だとか、
ちょっとこの人の気質だとか、そういったところで認められていた出来事、
あとはその人の発言、反応、行動だったものが、
もう障害特性として判断されてしまうことにちょっと違和感があります。
逆に私たち、今私は障害がない状態で生きていますが、
この障害がない状態ってどこまでのことを言っていいんだろうってふと不安に思うこともあるんですよね。
例えば利用者が何か悩んでいたとします。
人間関係で〇〇さんがこういうことを言ってくることに対してすごく悩んでいる。
それが気になっても仕事に手がつきません。
だからもう今日は会社行けませんっていう相談をされた時に、
なんか自分と切っても切り離せないような悩みだなと思います。
自分自身もすごく会社で嫌なことがある会議があったりとか、
苦手な人とカンファレンスをしなければいけない。
そんな日は仕事に行きたくないし、何なら休んでしまおうかと思ってしまうこともあります。
それと同じで利用者も悩んでいる。私も悩んでいる。
であれば何が違うんだろうって思うんですよね時々。
そんなことに気がついた時に同時に気がついたことがもう一つあります。
それが障害として今どんどんいろいろな人が認められていくこの時代に、
いつか自分のこの性格も障害として認められてしまうんじゃないかという不安です。
例えば利用者が日々〇〇さんからこういうこと言われて悩んでます。
仕事にも行けません。こんな相談をされたとします。
私も同じような悩みを抱えたことがあります。
この人と一緒に働くのすごく辛いなぁ。
今日休んじゃうかなとか悩んでいて、私は結果として仕事に行けているので障害ではないですが、
06:01
これが仕事に行くのも嫌なところは障害だねって認められる時代が来てしまえば、
私も障害者になるわけですよね。
障害のある人、健常である人、ここの境目をどんどん広げていってしまうと、
いつか自分自身も障害のある人側に行く可能性がすごく高いんじゃないかなと思っています。
別に障害がある方に向かうのが悪いことかというとそうではないと思うんですが、
区別をして障害者と健常者をどんどん区別すること、健常者の幅を狭めていくことが、
果たして生きやすい社会につながるのかって言われるとすごく疑問です。
そのため障害のある人と健常の方、ここの境界をそんな診断とか、
ここは特性だから仕方ないよねとかそういったことで形づけず、
曖昧なままでもいいんじゃないかなと私は思っています。
忘れがちなんですが、この障害の今あると認められている人、
この人たちも健常の人と同じライフサイクルを生きている同じ人間なんですよね。
それを私たちは忘れがちでもう障害があるから、
ここはこのスキルは獲得できてなくても仕方ないとか、
障害があるからこの人間関係の取り方は仕方ないとか、
そういう決めつけをしてしまっている。
これが果たして彼らの生きやすさにつながっているんだろうかとすごくここにも疑問を感じています。
もっともっと障害があるから、障害がないからっていう区分けではなく、
ただのこの人の性格とか、この人の今の現状がただこういう状況であるだけだよねとか、
分かりづらく曖昧なままその人と接することってできないのかなと今は思っています。
この障害のある方と障害のない方、ここを無理に区別することで助かっている人って、
実は当事者より私たちの方だと思うんですよね。
支援者としてまたは地域の一人の人間として、
この人は障害があるからこういう行動をしてしまっても仕方ないんだ、
だからこういう対応をしてあげようって決めてあげる方が分かりやすくて楽なんですよね、正直。
だけど今この人が置かれている状況がこうだから、
一時的にこういう反応をしてくるんだろうな、また変わるんだろうな、
いつか分からないけどぐらいの曖昧さを持っているとすごく支援者としてはやりづらい。
個別対応なのですごく大変だけど本人としてはその方が生きやすいと思います。
なので何かいまいちどこの障害のある方とない方、
ここの境界を曖昧に捉える考え方もあっていいんじゃないかなと思っています。
09:04
はい、ということで今日はちょっとヘビーなというかディープな内容だったんですが、
障害のある人とない人、ここってあえて分けなきゃいけないのか、曖昧なままじゃいけないのか、
これは障害特性だからって決めつけないと本当に一緒に生きることできないのか、
そんなことを考え直すような放送です。
皆さんももし身近に障害のある方がいるような状況だったら、
その人についてこれって本当に障害なのかなって考え直してみていただけると嬉しいです。
何も障害じゃなくてただの性格だな、今この状況なだけだなって曖昧に考えてあげることも
一つその人の生きやすさにつながるんじゃないかなと思います。
はい、ということで聞いてくださりありがとうございました。
また次の放送でもお待ちしています。
それではまた。