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2024-08-08 09:12

わたしが好きなヨガ哲学の話

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おはようございます。社会福祉士のぽこです。この放送では、このままでいいのかなと、もやもや働く日々を、ワクワクの日々に変える、そんなメソッドや気づきを、障害者福祉の現場から、ゆるーくお届けをしています。
今日もお付き合いください。はい、今日も放送に聞きに来てくださって、ありがとうございます。
今日はですね、ザ・ヨギスマガジンという、私が定期購読をしている雑誌について、ちょっと気になったところを紹介していきたいなと思います。
いつもの障害者福祉の現場というところからは、少し離れた部分のトピックになりますが、私の趣味であるヨガ、ここについてお話をしていきたいと思います。
さまざま私がヨガを好きになったきっかけについてなんですけれど、もともと福祉の仕事をするまでの私も、福祉の仕事を始めてからの自分も、すごくメンタル的に繊細なタイプだったんですね。
何か小さなことでも気になるし、それが頭から離れない。
誰かに何かされたことがもうムカムカするっていうタイプではなくて、逆に何か私がやってしまったのではないかとか、
なんかさっきの発言不快にさせてないかなとか、もっとできたことあったんじゃないかとか、そんなぐるぐると反省をするタイプだったんですね。
それに対して、何かもうちょっと生きやすくならないかなと、何か自分の今のあるまま、先ほどまでの自分を認める力とか、今この瞬間の自分を認める力、これをつけていきたいな、何か今の瞬間の自分にもっと目を向けたいな、そんな時に出会ったのがヨガだったんですね。
ヨガをやっているとすごく今の自分の呼吸に集中することができるし、ヨガをやっている人っていうイメージがもう仙人みたいなイメージが私はあるので、そういうメンタルに近づくためにも形から入るっていう意味も込めてヨガを定期的に行っています。
自分のメンタルを保つためですね、体がどうこうっていうのもあるんですけど、主に精神面の支えとしてヨガを趣味にしています。
このヨギスマガジンという雑誌を時々ノートの方でも紹介をしているんですけれど、この雑誌の中の言葉が結構好きな言葉が多いので、今日はいくつかピックアップして箇条書きのように紹介していきたいなと思っています。
まずは一つ目の印象的な言葉。
浜夏代さんというヨガ講師の言葉です。
私の生き方からヨガが染み出ている生活が勉強になっているのがいいな、そんな風に語っていた言葉が印象に残っています。
この浜夏代さんが師匠に思っている外国の講師がまたいるんですけれど、この方の生き方もまたヨガを生活の中で通して表している生き方です。
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雑用のようなこと、例えばゴミ掃除とか床の拭き掃除、そういう雑務も全然嫌々ではなくて、
能動的に行っている。スタジオのこと全体としてとっても大切にされている。
そんな生き方は浜さんから見ても、もちろん私たち読者から見ても、すごくヨガっぽい生き方だなって思うんですよね。
この生き方全体からこの人ヨガっぽいな、なんとなくヨガやってる人っぽいなって思ってもらえたら、私も理想の生き方に近づくんじゃないかなと思って、
まずはこの生き方からヨガが染み出ている、生活全体からヨガが染み出ているような生き方、この考え方が印象に残っています。
2つ目の気づきは、今回のヨグイスマガジンは食事に関するトピックが多かったんですけれど、
この高カロリーの食事について、この言葉ですね、高カロリーの食事はカーニバル食だと表されています。
こういう食事を続けていると理性を失ってしまうと、その理由がすごく興味深かったので紹介します。
これを語っていたのはドイ先生ですね。
一十一歳の暮らしみたいな本を書いているドイヨシハル先生の言葉です。
すごくこの先生の言葉は料理家とは思えない文才がある方だなと思うので、よかったら読んでみてください。
このカーニバル食という言い表しなんですけれど、
ドイ先生が言うには料理という行為、これは食事をすることで理性を守ることだと言っています。
例えば、お肉をいただくときも生き物を摂取して、処理をさせてもらって調理をする、
いただく、こういったところを含めてお食事をする。
そんなエネルギーの循環があるのに、カーニバル食で出来合いのものとかジャンキーなもの、人工的なものばかりを食べているとだんだん理性が失ってくる。
本来料理という行為を通して得られていた理性、これを失ってしまうから人間はジャンキーな食べ物を食べ過ぎてはいけないと思う。
そんな話が聞かれていました。
このカーニバル食、ただただジャンキーな食事はいけないんだよ、ではなくて、
ジャンキーな食事をとることで、そうでない食事から得られていた何を失うのか、その考え方がすごく印象的です。
もう一つ紹介をさせてもらいたい言葉があります。
それは、ビーガンの人の考え方を自分とか他人に強要することについてです。
このヨガの考え方では、いろいろとやってはいけないこと、やっていいこと、推奨されることという規則があるんですね。
ヨガの中では、いくつか例えば、暴力的なこととか、人から何かを奪うこととか、そういうのはやっちゃいけない、嘘をつくのはやっちゃいけない、
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そういういけないことのリストと、こういうことをするといいよというリストがあります。
そのいけないことリストの中に非暴力というのがあるんですね。
この人を傷つけないとか、命を無駄にしない、命を攻撃しない、こんな非暴力のことをアヒンサーとカタカナで言います。
このアヒンサーを起点に、ビーガンの人、もしくはその自分が、
他者や自分に強要しすぎてしまうことが、結果として何でアヒンサーになるのか、結果として何で暴力的な行為になってしまうのか、そんな話がありました。
例えばビーガンの人、動物を守るため、自然環境を守るために、私たちは動物を食べないんだと言っている人がいるとします。
この人たちが大切にするのは全然いいんですけれど、例えば暴動やデモを起こしてまで、人を傷つけてまで、その行動を推奨しようとする。
これは他者に対するアヒンサーに反するよねという考え方ですね。
逆に自分に本当はもっとお肉とか卵をいただきたいのに、無理やり強要する、いやだめだ動物を食べるという考え方ですね。
自分に対するアヒンサーに反する、こんな考え方になります。
このビーガンの人の考え方だけでなく、何でもかんでも言えると思うんですよね。
誰かを大切にしたい、何かを大切にするために、別の何かを犠牲にするとき、絶対あると思うんです。
例えば大切な人のことを大切にしたい、誰かを大切にするために何かを犠牲にするとき、絶対あると思うんです。
例えば大切な人のことを大切にしたい、だから自分のことをないがしろにする。
それって結局、大切な人が自分のことを大切に思ってくれているのに、その自分のことを私はないがしろにしている。
ということは、大切な人が大切にしているものを私は大切にできていない。
ちょっとこんがらがってくるかもしれないですけど、そんな感じでじゅんぐり回って、何かを大切にしすぎることを大切にする。
何かを大切にしすぎることが、結果として大切にしたいことに対する暴力性につながってしまうかもしれない。
そんなふうに教えてくれた文章です。
はい、こんなふうに私は結構ヨガの考え方自体が好きなので、ヨガのポーズっていうところだけでなく、ヨガ哲学というところにもすごく興味があります。
時々ヨガ哲学について勉強したり、それの内容もシェアできたらいいなと思っているので、もし今回の内容がちょっとでも参考になったなとか、
何か生きやすさにつながったなと思いそうであれば、いいねとかコメントとかしてくれると喜びます。
はい、では久しぶりにヨガについて語ってみました。
また次回、障害者福祉の現場のことなのか、ヨガのことなのかわかりませんが、次の放送でもお待ちしております。
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それでは今日も元気にいってらっしゃい。
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