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2025-06-15 31:04

hima-56 「環世界」について その2 〜世界をそのまま受け止めてみることできますか?〜

内容:

・コンテンツを作るのが面白い

・ゲリラで展示会する遊び

・編集が楽しすぎる件

・事実をまた聞きしても面白くない

・そのまま受け止めるのが好き

・クリエイトの根本が同じ

・流動性知能、結晶性知能

・体を大事にする


暇人ラジオ(仮)

暇な二人が暇な時に抽象的なことをひたすら語る番組です。

考えを発散させたい方の

一人飲みのお供や散歩のお供にお使い下さい。


55回からは「環世界」について話してみました。自分のものの見方や人の見方について話してます。


【パーソナリティ】

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人:岡田のX/twitterはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人:宮川のインスタグラムはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


【番組公式X/Twitter】

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人ラジオ(仮)<公式>⁠

サマリー

このエピソードでは、「環世界」という概念が取り上げられ、人々の感じ方や見方に与える影響について議論されています。また、アートや表現に潜む環世界についても触れられ、自分自身や他者の視点を理解する重要性が強調されています。 このエピソードでは、感世界の概念が探求され、物事をそのまま受け止めることの重要性が論じられています。また、体験や個人の内面に基づくアートの価値が強調され、他者の視点を理解することの難しさについても触れられています。 このエピソードでは、知能の種類や年齢による発達について話され、特に結晶性知能と流動性知能の関係に焦点が当てられています。また、身体性の劣化とは異なる内面的な成長の可能性についても探求されています。

環世界の概念
この番組は、2人の暇人が身近なことや最近気になることについて掘り下げる日常型哲学番組です。
毎日新しい自分になることを楽しむ暇人たちが、生きるとは何か、楽しいとは何か、言語化できない感覚の共有など、日常の中の哲学を自由に語り合います。
決まった形式にとらわれず、心が動くままに会話が展開していく、まさに自然発生的番組です。
暇人ラジオ(仮始まります。
暇人ラジオ(仮始まりました。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。私、暇人の岡田と
はい、暇人のピーターでお送りいたします。よろしくお願いします。
観世界というか、なるじゃないですか、そういうふうにね、全然違うものの見方だなって自分で思うし。
面白いですね。
だからこれは普通だよねって思ってて、普通だよねとかそうだよね、そうだよなって思ったんですよ。
新百姓で観世界見てるときに。観世界で見て、2票ぐらい読んだ瞬間にもうこれだって思ったから、結構ピンときた言葉っていうか。
新百姓もなんか面白くて、結構脱資本主義みたいな話の流れとかの感じなんですよね。
そこまで入るんですね、観世界から。
新百姓自体はですね、新百姓の中に観世界という話があって、大枠はそれじゃないんですけど、観世界の話。
だからそこの出してるところのですね、なんかほらサイトとか見ると、なんか一番初めのファーストビジュアルの言葉が、なぜ人類は未だに毎日を遊んで暮らすことができないのかって書いてあるんですよ。
暇人ラジオ感すごいからですね。
すごいですね。確かに本当だ。本当に今ちょっとサイト共有してくれてますけど、なぜ人類は未だに毎日を遊んで暮らすことができないのかってファーストビューでそれしか書かれてないですね。
そうなんですよ。資本主義システムによって封じられた人間の創造性、その開放を促す問いと余白を探求する雑誌。だからこれも暇人ラジオですよね、もうほとんど多分。
アートの表現
確かに。
発行部数の発行が。
発行がパンとかの発行とか。
そうそうそうなってますよね。これちょっと今度見せますけど。
これでも環世界って生物学的なところからも一つ分類としてありますけど、その生物の中でもまた無数にあるっていう感じですよね。
ありそうですよね。だからもう本当、積み上がったら宇宙のどこまでも行くぐらいの数がありそうな量が、天文学的量がまさに。
視力ですら全然違いますもんね、人によって。
そう。だからね、岡田さんがなんかほらちょっと色弱でしたっけ。
そうですね、色が色別が他の人と違って赤がちょっと見えづらいんですよ。
はいはいはい。
とか、だから僕は一生皆さんの赤の感じが分かんないですね。
確かに、肌色のグレーディングとか難しそうですね。
難しいですね。
赤が見えないと。
そう、確かに。ちょっとあれですけど、そう。で、なんかそういうのを考えたときに、ちょっとこうコンテンツ作りたいなみたいなのもなんかちょっと思ってたりしてて。
この間だからその完成回でずっとほら言ってたんだけども、なんか1年前か何年前か忘れたけど、なんかそのぐらいのときに見て、えー面白いなと思って。
で、なんか最近なんかこう色々コンテンツ作ってるじゃないですか。
ふなじんモーニングもそうだし、なんかあと自撮りのやつとかもそうだし。
なんかやっぱ面白くなってきちゃって。
遊んでますね。
遊んでるんすよね。そのなんか自分が思ってるやつをコンテンツにするっていうのがなんかやっぱ面白いなと思って。
作品作りみたいなのに多分近いと思うんですけど、SNSで例えばちょっと投稿する自撮りのやつ。
で、まあSpotifyの映像の音のやつ、音声メディアですよね。で、なんかこう単純な映像メディアのやつってなんかないなとかもちょっと思ってて。
ドキュメンタリー作りたいなと思ってですね、ちょっと。
ドキュメンタリーですか?なんかどんなドキュメンタリーですか?
それこそその完成回。
あーテーマが完成回。
そうそう、完成回っていうのをテーマにしたドキュメンタリーなんですけど、まあそもそもドキュメンタリーって完成回なんでおそらく。
確かに確かに。
ただまあなんかの事象についてみたいなことが多いから厳密にはちょっと違うのかもしれないんですけど、
なんかそういう視点で見たときに、なんかその人の生き方とか人生とか考え方とか言葉とかそういったものっていうのが、
なんか一人一人の完成回がすごく見てても面白いんじゃないかなっていうか見て聞いて面白い内容なんじゃないかなみたいなのもちょっと思ってですね。
そのままズバリ完成回っていう名前のドキュメンタリー番組とかなんか面白そうじゃないですか。
ザ・完成回。なんかどんな、どういうものを撮りたいとかあるんですか?
そうですねなんかねちょっとパッと思ったのは、ちょっと昨日ね自分の友達の原宿でなんかアートギャラリーやってる友達がいて、
ヘンキョウっていうまあそれもちょっと面白いんですけどヘンキョウっていう名前のね。
でなんかやっぱその所属の人たちとか作家さんとかそのギャラリーオーナーの人とかいろいろ話とかしてたんですけど、
あのちょっと仕事でその鹿児島の方でねゲリラ展覧会っていうのやるつって。
ゲリラ展覧会とかそういうのあるんですか?
撮影し。なんかねそういうことするんすよ。もうね告知とかね一瞬しかしないんですよね。パッて消したりとかして。
消すんですか?
うん。でもその所属作家さんとかはコンテンポラリーアートだと若手だったりとかの人たちのやっぱすごい人気ある作家さんとかいて、
タイドっていうなんか猫の絵を描く人がいるんですけどこういう。
後ろの。
そうそうそうそう。今回はそのギャラリーターゲットっていうまた別のギャラリーさんの今所属作家さんの長場洋さんとかカエル先生っていう人がいて、
多分見たことあると思うんですけど、その人の長場祐さんっていう。
あ、なんか見た気がしますこれ。
あります。なんかもう多分結構似たようなやつがすごい多いからなんかね。
はいはいはいはい。
あのもうどれがオリジナルかみたいな感じですけど、この人が割とオリジナルっていうか長場さんの作品とかまであるのに全然告知されないっていう。
すごいですね。世界的なアーティストが堅い中の方でやるっていうことを一切何も言わないと。
あ、そうですそうです。
へー。
っていうのがあるんですけど。でやっぱおもろいじゃないですか。でやっぱ考え方も面白いしやっぱそういうなんかその。
やっぱ気が昔からそのもう10代ぐらいから仲いいんですけどその彼って。
まあ違うところもあるんだけどやっぱ同じと思うのがこういうことするやつおらんからやったらおもろいんじゃないかとか。
まあ要はバグなんすよねこれも多分。
確かに。
幅が広がるじゃないですか。やっぱこんなおもろいことがあるんだって言ったらワクワクするし予定調和的じゃないし。
ちゃんと宣伝して何ヶ月前から準備してとかそういうんじゃないんですね。
いきなりもう見れたやつだけこれますよみたいな。しかもほらそういうちょっとしたものとかじゃなくてその世界的にも評価されている人たちの作品とかがなんていうんですかね。
パッて出てくるみたいなのってなんかすごい面白い世の中じゃないですか。
だからいいなーと思って。でそういう人たちもそのねギャラリーストの彼パラレルのオーナーの彼もそうだしそのアーティストの人たちもやっぱりほらすごい面白い人たちだったり作品も面白かったり。
とかするしって言ってなんかそのほらアートって結局もう感世界と思うんですよね俺やっぱり。
確かにアート自体がそれ一つの感世界を象徴する何か。
そう表現してるからだからほらそのものの見方とか感じ方がアーティストの人ってまあ例えば絵を描くペインターの人たちとかってするとこれ絵に表現できるじゃないかその人たちはそれを。
だから俺が見てる世界観はこれだとか俺がいいと思ってる価値観はこれだとか俺こんな風に見えてんだよね世界がとかそういうことだったりするわけじゃないですか。
もうそれってだから感世界じゃないですか。
ではその表現力っていうことがプラスされることですごいなんていうか作品の精度とかなんかほら偉大な作品みたいな感じになったりとかね。
さらっと描くのもまたいいしとかっていろいろあるからもうなんて言うんですか何でもありじゃないですか言ったら。
正解ないですもんね。
ただいいか悪いかっていうのはまあ自分まあもちろんなんかアートバブルとかあったから市場価値みたいなものがついてブランドみたいなところに似たような話でもなるってはいるんだけど。
でもね何もなしで見た時にあこれ好きだなとかこの世界観いいなとか深く入った時にですね思うっていうかそのアーティストの人たちを例えばドキュメンタリーで撮るっていうのがその感世界的には
すごくいいと思うしみんな面白いと思うんですけどまああとはそのそうじゃなくても冒頭話したみたいな自分とかみたいな人とかその岡田さんみたいな人とかもそうですけど
まあ岡田さんもね何十個も資格取ってほとんど使ってないという謎の人生だったりするわけじゃないですか。
たしか一つの感世界ですね。
そうそうそういう世界もあるじゃないですか。
だからなんかそういう面白い人っていうかねあこんな人いるんだとかこんな考え方あるんだみたいのもやっぱりいいし。
まあそう世の中に全くないあのコンテンツじゃないんですけどなんかでもそういう括りでやるっていうのはまたちょっと面白いのかなとか思ってて。
そうそれを宮川さんなりの感世界で感世界を紹介していくってことですかね。
創作の楽しさ
それですよねたぶんそうそうそういうことですよ。
だからいいなと思ってですね。
いいですねなんかそれ自体が一つのなんか宮川さんの表現というかアート。
でもそうかもしれないですね何でも面白がれるっていうのが自分のちょっとタグみたいにしてるんですけど一つのだから何でも面白いからですね。
だから自分が面白いと思うまあ何でも面白いからっていうのはあれですけど自分が面白いと思ったものをこうインプットしてまあ編集して出すっていうところは自分そのものかもしれないですね。
聞いた話が面白かったらそれを取って出しましたみたいな話っていうか。
実はそこにあるものを現実は伝えてるんですけどその伝え方の手法とかその見せ方みたいなところで実はその編集をしてる方の感世界が出てくるというか。
そうなんですそうなんですよやっぱそこだから結構面白くてやっぱ編集ってすごい面白いじゃないですか。
この間ちょうどなんかね自撮りのやつでちょっと書いたんだけどバンドとバンドとかミュージシャンとDJの関係だったりとか。
なるほど作曲して演奏してみたいな。
そうあとファッションデザイナーとスタイリストの関係だったりとか。
なるほど。
服は作って着せる人もいるからですね。
着方とかで結構ほらやっぱ変わるんですごくボタンを1個外したりつけたりするだけでもちょっと雰囲気が変わったりするじゃないですか。
確かに確かに。
あれってやっぱりスタイリストの編集力だったりすると思うんですよね。
そうですね。
それもだから感世界ですよいわゆる。
気づかずに感世界がそこにあるっていうことを見てるかもしれないですね。
感世界のはずなんですけど。
そうそうそう実際はですね。
その感世界っていうのがいわゆるセンスみたいなものだったりするかもしれないですし。
そこにやっぱり技術みたいなものがさらに足されたときにさっきのペインターの人の話じゃないけど。
やっぱりなんか素晴らしいと思えるように洗練されていったりとか。
逆に粗雑になっていて面白くなっていったりとか。
そういう面白さが出てくるからですね。
感世界に気づく感世界があると面白そうですね世の中は。
そうなんすよ。
だからねクリエーションっていうのはなんか多分いろんなところに潜んでて。
それもなんか結構新百姓にも書いてありましたけど新百姓はなんかその作るみたいなところに。
作り手とか作るみたいなところに結構フォーカスされてたんで。
もう自分で作り出せない水が作り出せないっていうのはもうどういうことだみたいなところから話が進んでいったりとかね。
なんかそこらへんとかねちょっとテーマにすると。
まあまだほらなんか作るとか企画までも考えてないんですけど。
なんか草案をここで言うのもあれですけどなんかそういうのちょっと面白いんじゃないかなとか思ってですね。
僕なんかすごい歴史的な偉人も好きなんですけど、
なんかそういうところで行くと一般的な普通の方の感世界を知るのがやっぱすごい好きなので。
そういうところも含めてそこらへんにこう乗ってくると面白そうだなーっていうのはすごく思いました。
いいですよね。やりたいですね。
感世界の探求
なんかそういう話でいくと結構岡田さんとはなんかいろいろ作れそうですよねなんかね。
感世界はですか。
そうあのほら作れそうですねっていうか。
なんか多分結構これやってるの多分面白がれるのが割と似てるさっきの名言もそうですけど。
結構似てる人なんだろうなーってやっぱもう改めてなんかちょっと思って。
確かに。
ちょっとなんか最終これどうなんだろうぐらいな感じですよね。
この状況やばいけどどうなんだろう面白みたいなこの。
そうそうそういうタイプじゃないですか。
確かに。
だから岡田さんは結構近いんでしょうね多分なんか感覚がね。
そうですね。
なんか破産するとかになったら破産する経験ってどうなんだろうとかちょっと思う。
なんか別の自分が見てるかもしれないですね。
いや若干ありますもんね。
ありますよね。
あるんすよあるんすよ。
だからまあそのまあ体験みんなが体験できないことを見るんでしょうけど皆さんもしたいっていうかなんかどうなんだろうっていう好奇心があるけどやっぱ
社会的批判とかがあるしとかやっぱりねそういう裏切ったらいけないっていうのでできないっていう抑圧された欲望みたいなやつを多分具体化したのがドラマとかになってたりするんでしょうけど。
作られたなんかみんなの理想のなんとかとかじゃなくてもっとこうローっていうか生まあローとかでもいいですけどね。
俺なんか結構ローが結構好きなんでそのまんまっていうのが写真とかもそうなんですけど自分で撮ってて。
なんかすごいほらスタジオ写真とかでめちゃくちゃ加工されてなんかほら肌を綺麗にして顔をちっちゃくしてとかってまああるじゃないですか。
その否定もしないですし嫌いとかではないんですけどなんか自分が撮る写真とかはもっとこう生々しくありたいなみたいなのがあってロー。
そっかじゃあドキュメンタリーで行くと家ついてっていいですかとかそういうやつですかね。
あー多分そんなのかもしれないですねなんかほら生の方が面白くないですかって話なんですよだから結局のところ。
なんかその整って美しいものっていうのもやっぱりすごい好きだからいいなーって思うんですけどまあそれは全然それ俺も本当すごい好きだからいいんですけど
なんかそこにこうなんかなんていうんだろうな物とか空間とかはちょっと違うけど人に関してなんですよね。
人がよそいきになってるのかそのままなのかみたいなところっていうかそのピュアなのかちょっと糸が入ってるのかみたいなっていうかロゴがついてるのかついてないのかっていうか。
なるほど。
なんかほらその人自身が俺やっぱ興味あるんですよね。
なるほど。
だから一番さっきの冒頭の話とか多分やっぱ繋がっててその聞いた話じゃなくてその人が体験したことが好きなんですよだからやっぱその人そのものが見たいんですよね。
そっかそれはどういう欲求なんですかその人のそのままが見たい欲求って。
だからほらその聞いたり見たりした話はその何て言うんですかただ聞いたり見たりしただけじゃないですか。
あーそういうことか。
事実をまたぎきして。
事実は言ってるだけだしそういう勉強してそういう理論を言ってるだけとかでもほら面白いなと思うのはその理論を自分でやってみてこれがどうだったかっていう話とかがやっぱ面白いじゃないですか。
だからそこの手前の状態だと一緒に勉強してるだけだからこっちが興味ない話だったら別にもうそんなに聞く必要ないというかまあまあそんなのがあるんだぐらいじゃないですか興味なかったらですね。
あったらすごいグーって入るんですけど。
でもその感世界っていうのがあって自分こうなんですよってさっき自分も言いましたけどそこまで入ってくるとなるほどねってなるじゃないですかなんかそういうのがあるんだなとかそういうの面白いねとかなるじゃないですか。
ただやっぱその校舎のテーマは別にもうあって良かったりするんだけどその人自身っていうか経験したこととかなんかそれが見たいんですよね。
それだったら何でも面白いと思っちゃうんですよ個性っていうかアートみたいな感じで見れるんですよ。
物事をありのままに受け止める
感世界ロゴデータを見たいんですねそういう意味で面白がれるんですねそこだったら何でも。
そこがなんか好きすごい好きっていうかそれこそアート見るみたいな感覚な気がするんですよね。
なんかほらいろんな作品を見るじゃないですかその中で自分が好きな感性が合うとか感覚が合うとかっていうのがあったりすると思うんですけどあるのはあるじゃないですか。
好きじゃないやつもいっぱい。そんな感じで見えますよね。
だからよそいきになるとなんかあんまりこう見たことあるからそんなに面白くないっていうのもあるしよく見るやつ見てもそんな面白くないっていうか。
オリジナルが面白いですけどねよく見るやつでも。
これが見られるからって言ってそれの形を模してなんか作ってるみたいなものではなくてその人の内側から何か出てくる感世界が表現されているものみたいな。
それがもう必須っていうかそれを面白いと思うかな。
オリジナルにだけはあるじゃないですかそれがそのコピーされたものの中でもですね。
オリジナルはやっぱそういう起点から始まってるんで。
感世界の話がどこまで感世界なのかなっていうのがちょっと僕の中であってその人を模して人のものをこう同じように作っていくっていうのもあるしその人の感世界の一つなのかなって。
その背景も含めてちょっとなんかその人知れるとそれもなんか一つの感世界に変換する瞬間があったりして面白いのかなとか。
確かに確かにそうですよね。
オリジナルってなんかありそうでなかったりもするんで何かからの模倣から継続してなってたりするじゃないですか。
結局文脈があったりするからですね。
だから確かにそれはそうですね。
なんかちょっと言い方がちょっと極端すぎたかもしれないですね。
それはそう思ってます。
だから全部が何かの模倣っていうのはとか学んだものから出てるっていうのはやっぱあるのはあると思いますそれは。
全部とは言わないですけど。
そのごちゃ混ぜ加減のオリジナリティがなんかこう見たことなければないほどおもろいんでしょうね。
そうなんすよ。
その人のほら例えばこう目が見えないとか耳が聞こえないとかわかんないですけど。
明らかに他の人と違う何かがある人の場合は多分それが極端に出たりしてちょっと面白さみたいなものがの方に触れるっていうかですね。
変わったものになるからですね。
変わったものが結構好きですよねそういう意味では。
それが楽しめるってやつに通じてるんですね。
そうそうなんかそんな気がしますね。
じゃあ何でも楽しめるとは何でもどんなローテータでも楽しめるってことなんですね。
と思いますけどねなんか楽しみを見つけれるみたいなところもありますからね。
なんかこうあんまりなんていうか色目がねなんかね最近結構好きなのがそのまま受け止めるっていう受け止め方みたいなやつがすごい好きで。
そうなんかその人がどういう人かとかいろいろあるじゃないですか。
でもそう自分の物差しで測ると例えばその人は自分よりも年をとっているとか自分よりも若いとか子供だから何とかとかあるじゃないですか。
もうあれをもう0に限りなく0に近い形で捉えるっていうのができたらいいなと思ってやってるんですけど。
そうするとやっぱりフラットに物事が見れるからですね。
そのまま受け止めるっていうのは何かある種のまなざし的な話なんでしょうけど。
すごい難しいですけどそうありたいなって何か思いますよね。
思いますよね。
なんかもう別にね良いも悪いもねえじゃんじゃないけど。
確かに確かに。
俺の物差しのこの部分でいくとそれは良いか悪いかありますけどもみたいなね。
だから物差しがもしかしたら観世界の一つだと思うんですけど。
確かに。
初めの入り口が結構ねバイアスかけると入ってこなくなるんで。
フィルターを一回外して撮ろうみたいなね。
写真とか映像みたいになってますけどカメラで撮るみたいな。
何もフィルターかけずに一回撮ってみようみたいな。
まさにローデータなんですけどそれがカメラでいうとこの。
生データですね。
そう色も何もない情報なんですけどがローデータでね。
光とかそのままそれをぷわって取り込んで。
だからそうですよ。
だから編集するとやっぱそれこそ本当観世界的かもしれないですね。
写真とか映像とか。
そっかそっか。
ありのまなをその人の観世界でまたクリエイトしてくるって作業ですよね。
そう。
だからそういうのしたことない人が聞いてるっていうのもあるでしょうから。
説明するとその写真とか映像のデジタルデータ化するときって。
カメラが持ってる色みたいなやつでガチャっと撮ったときに。
年齢と感受性の関係
色がついてJPEGとか画像になるんだけど。
僕たちが今話してるローデータっていうのはそういうカメラが色をつけますみたいなやつを全部省いて。
さらっとフラットな眠いとか言うんですけど色があんまり乗ってないみたいな。
肌色みたいな色とかみたいな感じで撮れるんですよね。
ただその中にはデジタル情報として細かくもっとデータがいっぱい乗ってて。
それを自分たちは編集作業するときにちょっと色の調整をしたりとか明るさの調整をしたりとか。
それで撮るとかなり幅広く光とかを取り込んでるんで。
暗いところが影を持ち上げるって明るくしたりとか。
暗くなってるとか明るくしたりとか。
明るすぎるところを暗くしたりとかっていうのができるっていう話なんですけど。
だからまさにローデータっていうのは何も色がついてない状態なんで。
色眼鏡がない状態とも言えますけど。
編集者のする人たちの世界観によって色が変わるとかいうことですからね。
飲み物とかだとわかりやすいのかなと思ったんですけど。
水があって、水は水なんですけど。
この水を使って各社コカ・コーラ作るのかとかアクエリアス作るのかとか。
味付けは観世界じゃないですか。その人がおいしいと思うものを作るみたいな。
確かに確かに確かにそうですよね。
それと似てる感じがしますね。
そうっすね。料理もまさにそうですしね。
同じ食材使ってとかっていうこともあるし。
ものづくりとかクリエイションっていうかね。
クリエイトっていうか作るかな。作ることっていうのはね。
やっぱり全部一緒ですよね。結局のところは。
本本は一緒っていうか。
それがAIを使おうが、デジタルパソコン使おうが、手でしようが。
だから手仕事の尊さみたいなのがすごくあるなと思う。
手もね、さらに身体性があるからさらに観世界感が強まるじゃないですか。
職人さんとかまさにアーティストとかそうだと思うんですけど。
そういう面白さもあるからね。
手にももっとフォーカス戻したいなみたいなところも尊さにもあって。
観世界っていうドキュメンタリーとかはそれもいいかもしれないですね。手と。
見える見えないの話の延長戦になるかもしれないですけど。
最近あの味噌作りをしたんですよね。
味噌作りの味噌の中って作る人の手の錠剤菌によって全くもうこねてる時から全く変わるんですよね。
金はいいですね。
実はそこも含めて人って感じてるというか。
多分その作品をもしくは物理的に作る場合手を使ってそのアーティストさんが作ったら必ずその作品には錠剤菌がいるんですよね。
っていうところまで含めて実は人間ってそういう機微なものを感じてこの作品を全部受け取ってるっていうのが実は味噌でもそうですしアートでも実はあったりするので。
確かに確かに。
これも一つの観世界だなと思ったりしてます。
思いますね。
なんかそれこそ村上隆さんが何か言ってましたけど。
そのなんでこう年寄りが美術館に多いのかみたいな話をしてて。
これはひまじんで言ったかもしれないですけどやっぱりそういうアート作品とかの中にある機微ですよね。
ちょっとした違いとか空いたのを年を取るとやっぱり経験が増えるから感じれるようになるって言うんですよ。
だから感じれるようになるとやっぱり楽しいじゃないですか。
なんでその年を取っていくとそういうアートとかがすごくわかるようになって楽しくなるみたいな人生が深くなってるからって言うんですけど。
まさに今の話もそうですよね。
だから食べ物とかもだんだん好きになっていくやつとかあるじゃないですか。
だからそれを感じれるようになるっていうセンサーがね。
知能の種類と年齢による発達
だからある種老眼とか最近なってますからちょっと視力が落ちたり落ちたりというか近いところが見えなくなったりしてますけど視力はいいんだけど。
だからそういうのが起きると劣化してるみたいに感じるんだけど。
ただある種の感覚みたいなやつはやっぱり研ぎ澄まされていってるっていうか考えとかもそうですけど。
だからやっぱ人間ってちょっと話はそれるかもしれないですけど、なんか俺興味あるんですよね。
その最近老人の世界みたいなやつ。
何かというと目べりしてるみたいに見えてるけど今の自分から見たりとか社会のなんとなくの中枢の中央値から見たら、
実は成長してんじゃねえかみたいな感覚的にはとか。
その基準の感世界によりますよね。
確かに。
発達してるかどうかと判断する。
そうなんですよ。
だから自分の場合は幼少の時に運動性があんまりなかったからって言ってるじゃないですか。
だから運動性以外のところにすごく多分興味とかフォーカスされてるんですよね。
精神性だとか芸術性みたいなのもそうじゃないですか。
あと心とか言葉とかって脳みそっぽい動きの方になんかフォーカスしてるんですけど体よりも。
そうなった時にそれってほらなんか脳は成長し続けるみたいな話もなんかちょっと聞いたことありますけど、
そっちの世界観でいくとその体以外は劣化しないっていう感じはあるような気がするんですよね。
確かに確かに。
俺は価値があると思ってるっていうかね興味があることだからその身体性以外のことがですね意外とね。
確かになんか脳の話とかでもなんか流動性知能、結晶性知能っていう言葉が確か2つあったって聞いたことあります?
わかんないです。
流動性知能っていうのが新しいものが来た時に取り入れたりとか学習するスピードが短くなったりするっていうのが流動性知能と言われるのか。
なるほどね。
若い時がすごく高いと言われてるんですよね。
で結晶性知能っていうのはなんか今まであったものを組み合わせて自分で考えていく力みたいなところがあるんですけど、
これが交差してどんどん年齢ごとに変わってく、上がってくのが結晶性知能という組み合わせを考えるのが5年配の方が高くなって、
流動性知能っていう新しいものを学ぶっていうところが下がってくるっていうのが逆転する瞬間があるらしくですね。
多分矢川さんの言う発達っていくとその結晶性知能でいく発達の段階にきてるのかもしれないですね。
そうかもしれないですね。老人というかその年配の方たちのその進化というか部分はですね。
身体的成長と内的成長の関係
決して何か衰えてるわけではないっていうのは一つそれでもあるかもしれないですね。
そうなんですよ。だからなんか興味あるっていうかなんか面白いなーって思うんですよね。
それだったら全然ほらなんていうかミッドエイジクライシスみたいな話もありますけど、
年取るとほらなんかもう終わりに近づいていくみたいな感覚でちょっと怖くなってとかね、なんかほら気持ちになるってみんなあるって言うんだけど、
でもそのさっき言ったみたいなその結晶性知能が上がっていくからどんどん近くできるものが多くなって楽しくなっていくとか、
組み合わせができて面白くなっていくみたいなやつっていうふうに思えば、やっぱまあ死ぬまで結構おもろいかなーみたいな。
その代わりそのなんか体力的なものとか健康的なものをやっぱり留意して楽しめるようにしとかないといけないと思うんですけど、
だからなんかそこからもう一個思うのがそのなんていうか体みたいなものもなんかちょっとこれまたなんか変なスピリチュアルっぽい雰囲気の話になるけど、
要は脳とか魂的なものとか心みたいなものみたいなものはほらまああんま吹けないとかずっと成長し続けるって例えば内側はですねあったとした時に、
体ってやっぱどうしてもほら劣化していくじゃないですかある程度やっぱもうねスピード遅くしとかはできるんでしょうけど、
だからやっぱそう大事に扱わないといけないっていうかちょっと切り離したところでですね、
なんかこうそう車とかとなんか似てる気がするんですけど、なんかほらオイル交換とかほらちゃんとしてれば何十万キロ乗れますよとか言うじゃないですか、
とかこれはエンジンがすごい壊れやすい機体なんでなんとかなんとかとか、
そうなった時にやっぱりそのメンテナンスとかをやっぱりちゃんとこうしておくことによってずっと車スピード出して乗れるみたいな感覚ってあるなーと思ってて、
乗り物みたいな自分の体もですね。
たしかに。
だからそう自分を大切にとかいろいろやっぱ言うけど、
なんだろうキッチン道具とかとかと似てるのかもしれないし、
なんか自分のそのメタファーできるやつに変えればいいと思うんですけど、
なんかそういう観点でこう大事に大切に扱ってくれたらなんかずっと成長していくから中身はですねなんか面白いんじゃないかなっていうか。
本日もひまじんラジオかっこかりにお付き合いいただきありがとうございました。
日常の中に潜む小さな哲学、言葉にならない感覚を大事にして、
明日も違う自分に出会いましょう。
あなたの何気ない日常が少しでも豊かな時間になりますように。
次回もぜひ私たちの暇つぶしにお付き合いください。
ぜひ番組のフォローをよろしくお願いします。
また感想はxでハッシュタグひまじんラジオで感想をお寄せください。
それではまた会う日まで。
31:04

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