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2025-11-25 05:35

【暇人モーニング#29-2】人を乱すのは出来事ではなく、出来事についての見方である エピクテトス(哲学者)

サマリー

エピクテトスの名言「人を乱すのは出来事ではなく、出来事についての見方である」を基に、彼らは解釈や認知が感情に与える影響について考察しています。自由や認知の鍛錬を通じて、自己の感覚を豊かにすることが重要であると述べられています。

エピクテトスの名言
毎日が日曜日、暇人モーニング、略して、暇人ラジオ。毎日、素敵な誰かの名言から、朝を始めましょう。
本日の名言は、人を乱すのは出来事ではなく、出来事についての見方であるエピクテトス哲学者の方ですね。
いや、またですか哲学者。
哲学者、続きました。
続きますね。人を乱すのは出来事ではなく、出来事についての見方である。
いや、これはまた不快ですね。
チッて言っちゃいましたよ。
これはでも、本当にそうだなと思いました、今。
そうですよね。どういう時思います、これ。
いや、これは、なんか目の前で起きていることが、その良いことか悪いことか次第も、自分と周りでは全然違うという。
そうですよね。
なので、これは出来事がこれを起こして、誰かが感情乱されているわけじゃなくて、その出来事に対する解釈が、やっぱり何か起こしているなっていうのは思いますね。
ですよね。いや、解釈ね。これは見方っていうのは、本当に物の見方っていうのは、なんかこれ結構、暇人の中でもなんかよくテーマになっている気がしますね、見方。
まあ、いわゆる観世界もこれだと思いますし、カメラの話とかする時も結局こんな感じだったりとかしますし、なんか出来事についての見方ってね、だから、なんかほら、よく僕がなんか、エビデンスはあんまりとかって言ってますけど、あんまり重要視してないじゃないけどですね、なんかそれともちょっと近い気がしますよね。
で、なんか出来事よりもその、解釈のとかなんか想像して何か思ったことの方に、みんなやっぱ引っ張られるっていうかね、なんかね。
まあ、そうですね。事実じゃなくて、あなたの主観はどういうことですかっていうのは確かにある意味正しいですよね。
もう、ひろゆきさんがもう切れ散らかすんじゃないですか、そんな話してたら。
それってデータあるんですかって。
いや、ほんとっすよね。いや、でもなんか、この言葉はほんと、暇だった時しか多分誰も言わない言葉かもしれないですね。今の世の中とは結構逆行してますよね、そういう意味にいくと。
いや、まあ、そうですよね。これ、でもあの、ほんとに目の前の出来事で苦しんでる人にかけたら相当残酷な言葉ではありますからね。
認知の鍛錬
いや、ほんとですよね。
なんか戦争してる場所に行って、今苦しんでるのはあなたの解釈ですって言われた時にはちょっとひっくり返りそうにはなりますよね。
戦争が起きてること自体もそもそも解釈の違いだったりするかもしれないからですね。
宗教戦争とかもそうですけど。
いや、でもそうですね。もしかしたらそういう話をしてるのかな、これはね。
そうですね。だから違うよって言ったからとてっていう感じではありますね。
なるほどね。いや、なんか今これ、内容の背景みたいなの見たらね、なんか外部ではなく、認知の鍛錬に自由の鍵があると得、実践的格言って書いてあります。
でもほんとそうですよね。
いや、ほんとそう。
マジで外の感覚はもうほんと何も関係ないじゃないですか。関係ないっていうか影響はあるんだけど、それよりもやっぱなんか自分がどう思ったかとか、なんかほんとそこですよね。
結局自分の感覚でしか捉えれないからですね。
そうですね。自由。
でもこれってやっぱり認知の鍛錬って俺思いますけど、たくさんの経験によるものがその鍛錬だと思うんですよ。
いろんな人の見解をちょっと聞いてみるとか、たくさん本読むとかもそうかもしれないし。
いろんなところに行ってみたりとか、歴史のいろんなものを学ぶっていうのもたぶん認知の鍛錬かなと思ってて。
やっぱほんとになんか、自分がどう感じたかっていうのもありますけど、そこを豊かに耕すっていうのはやっぱりこの自由になるっていうことの一つの練習なのかもしれませんね。
そうですね。外部の刺激っていうよりかは外部の刺激を受けてたぶん自分の中で耐性をした鍛錬なんでしょうね。
そういうことですよね。どう捉えたかとか、どう処理したかの。
いわゆるAIでいうとこのデータをたくさん食わせて判断させるみたいなことの人間版というか、本当は人間がそうなんですけど。
でも若いうちにいろんなことをしろみたいなことって子供の時とかよく言われてましたけど、今やっぱほんとそうだなって思いますね。
これは本当に各種経験をしてきてさらにそう思いますね。
だからちょっと話は変わった感じですけど、これもデザインの前の云々話と似てるけど、
豊かというかいろんな経験とかいろんな感覚を感じれるからこそ自分らしく生きれるんじゃないかなっていうふうな話と僕は捉えましたよ、これは。
確かに。そういう見方もできますね。
人を乱すのでは出来事ではなく、出来事についての見方である。
この言葉結構面白い問いなんで、今日は皆さんちょっとこの言葉を自分なりに解釈してみたら面白いかもしれませんね。
そうですね。また自分の解釈の癖みたいなのも一つの新しい自分との出会いですね。
素敵ですね。
じゃあ自分探しに今日も励んでくださいね。
それでは。
いってらっしゃい。
いってらっしゃい。
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