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今日の私を助けてくれた一枚のメモ|半年前の私がやっていたこと
2026-09-16 10:01

今日の私を助けてくれた一枚のメモ|半年前の私がやっていたこと

保険の見直しをしていたら、半年前の自分が残していた一枚のメモに助けられました。


「あのときの私、ありがとう!」


未来の自分が困らないように、
ほんの少しだけ先回りして整えておく。

そんな小さな工夫が、
半年後、1年後の自分を
ラクにしてくれることがあります☺️
 

今回は、自動車保険の見直しをきっかけに
気づいた、未来の自分のためにできる「整え」
についてお話ししています。

#暮らしを整える#自動車保険
#保険の見直し#固定費見直し#家計管理#仕組み化#未来の自分へ#40代の暮らし
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00:05
皆さんこんにちは、ととのえラジオ、いつもお聞きくださりありがとうございます。 このチャンネルでは、自分にとってもっと心地よい暮らしを作るために、
足すより整える、頑張るより心地よくをもとに、今の自分にちょうどいい心地よさを探して試行錯誤している、そんなアラフォーママのおしゃべりタイムです。
今日もゆるりとお付き合いください。 今日はですね、「良かれと思って」の中に、実は期待が隠れていませんか?というお話をしてみたいと思います。
私最近ですね、やっと気がついたことがあります。 私は結構、
良かれと思って先回りをするっていうことをやりがちなんですよね。 家族に対してもそうですし、友達とか仕事、職場のやりとりでもそうですね。
これやっておいた方が助かるだろうなぁとか、きっと急いでるんだろうなぁ、 ここまでやったらきっと喜んでくれるよね、みたいな感じで、相手から頼まれていないところまで想像して、先回りして動く。
その時の私はもちろん、相手のためにやっているつもりなんですよ。 困っていたら助けたいし、できることがあるなら何だってやってあげたい。
たぶん私は昔からそういうところがあるんですよね。 でもこの前ふとですね、
あれ?この良かれって本当に相手のためになっているのかな?って思う出来事がありました。 というのも良かれと思ってやったことに対して、私自身が想像していたような反応が返ってこなかった時に、
え?せっかくやってあげたのに、みたいな気持ちが湧いちゃったんですよ。 そこでちょっとイラッとしている自分に気がつきました。
あなたのためにやったんですけど、みたいに、 なんかこう、こちらに不満みたいな気持ちが湧いてきて、
嫌な感じだったんですね。 でも少し時間を置いて考えてみました。
よくよく考えれば、それやってって誰にも頼まれてないんですよね。 私が勝手に、きっとこういう状況だからこうだろう、だからこうしておこう、みたいに先回りをしたんです。
こうしたら助かるだろう、きっと喜んでもらえるだろう、と思って動いた。
そして、これは心のどこかでだと思うんですけど、
ありがとうって思ってくれるだろうなぁとか、喜んでもらえるだろうなって、どこかで期待をしていたんですね。
それなのに、その期待通りの反応じゃなくて、全然真逆の反応がその時帰ってきたので、
なんで?っていう風に勝手にモヤモヤしてしまったんですね。
でもいやいやいやいや、よくよく考えたら、それ相手からしたら知らんがな、ですよね。
これ、人のことだったら結構よく見えるんですよね。
03:04
以前も友達から似たような状況の話を聞いたことが何度もあります。
いろんな人からですね。
そういう時は私は、それって自分が勝手にやってることでしょ?って。
相手にも同じだけの気持ちを期待して、帰ってこなかったから怒ってるんでしょ?って。
鳥の目ですよね。人のことだから客観的に見えるので、
気持ちはわかるよ。気持ちはわかるけど、それって自分が期待してただけだよね?っていう風に気が付けるんですよ。
ちょっと子供っぽいんじゃない?ぐらいに思えたりもするのに、
あれ私も同じことやってるんだって結構ショッキングな出来事でした。
自分のこととなると本当に見えないものですよね。
でもこれって結構あるあるなんじゃないかな?とも思いました。
私も毎回毎回こんな風に一つずつ深掘りしてるわけじゃないんですけど、
昔から、なんなら子供の頃から何度も同じようなことを繰り返していて、
なんで私はプラスアルファでやってあげたいなっていう気持ちで動いたのに、
こんなに嫌な思いをしなきゃいけないんだろうって残念な気持ちになったり、悲しくなったりしたことがあるんですね。
それは家族でもそう、友達でもそう、職場でもそう。
振り返ってみたら、たぶん小さすぎて覚えてないことも含めたりいっぱいあると思うんですよ。
夫とか子供とか見ていて、疲れてるだろうからいつもは自分でやってもらってるけど、
今日やってあげようかなとか。
あ、夕飯ね。
この前あれが食べたいって言ってたしなって。
これがあったら喜ぶかなっていう風にプラスアルファをする。
で、あとは子供たちに対して困らないように準備しておいてあげようとか。
なんかきっと忘れるだろうから先に声をかけておこうみたいな先回りですね。
それ自体は別に悪いことではないと思うんでしょう。
むしろその根っこには相手思う気持ちとか困ってほしくないなとか喜んでほしいなとか。
そういう優しさが基本ベースにはあると思うんですね。
だから私は良かれと思って何かをすること自体をやめたわけじゃないし、やめた方がいいとも思いません。
ただ今回の気づきとしては、その良かれの中に期待が混ざっていないかなっていうところは
一度立ち止まって見ていくっていうことをしたいなと思ったんですね。
ここまでやったんだから喜んでくれるよねとか、こんなに気を回してるんだから評価してくれるよねとか。
私だったらありがとうっていうのにこの人言わないんだなみたいな。
なんかそういう気持ちが混ざっていくとなんか純粋じゃないというか、なんか変な方向に行っちゃうなって思っていて。
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その期待っていうのは相手が自分の想像通りの反応してくれなかった時に勝手に自分が落ち込んだり怒ったり
せっかくやったのにっていう不満に変わってしまうんですよね。
だからその良かれって本当に相手が求めていたのかなっていうところが大事かなと思っていて
急ぎかなって思ったけど、本人は急いでなかったんだとか、これもやっておいたら助かるだろうなと思ったけど
むしろ相手からしたらそれは迷惑だったとか、ありがた迷惑だったとか。
相手のためっていうのは実はそこに自分が想像した相手にとっての正解っていうのが乗っかってるんですよね。
勝手にそれを当てはめているっていうことなので
良かれと思って何かをしたいと思った時は、今まで結構直感でやることが多かったんですよ。
直感で動くこと自体は良いことだと思うんですけど
本当に求めてるのかなとか
自分が勝手にこうしたらいいと思ってないかなとか
見返りを求める気持ちを持ってないかなみたいなところをちょっと立ち止まってみたいなと思いました。
問いかけの一つとしては
ありがとうって言ってもらえなくても私はこれをやるんだねってことですよね。
やりたいんだねっていうここかなと思います。
自分がやりたかったからやったんだったらそれでいいと思うんですね。
相手のためにと思って自分の時間や余裕を削ってその結果自分が一杯一杯になってしまって
こんなにやったのにみたいに腹を立てるぐらいなら最初からやらないっていう選択肢の方がいいこともあるんですよね。
これって冷たいわけではなくて
自分と相手の境界線をちゃんと保つっていうことに直結するのかなというふうに感じました。
私はたぶん今後もこんな話をしながら
人のことを考えて先回りして動くことはもうなんか本能というかやっちゃうと思うんですね。
やめられないと思います。
そこが自分のいいところでもあると思うのでそれをなくしたいわけではありません。
でも相手のためにやると相手のことまで自分が背負うっていうことは違いますし
喜んでもらえたら嬉しいからやるのと
喜んでもらえるはずっていう気持ちで動くのはやっぱ違うんですよね。
ちょっと微妙なニュアンスの違いなんですけど伝わりますでしょうか。
良かれをと思って何かをしてあげたい。
そう思った時こそ一回立ち止まって
これ本当に必要かな?
これは私がやりたいからやるの?
見返りがなくても気持ちよくできるの?っていうところを自分に聞いてみる。
09:01
そうすると相手のための良かれと自分の中の期待っていうのを
ちゃんと切り分けて動けるかもしれません。
相手のため思う気持ちは大切にしつつも
自分の時間や心情さまでは差し出さない。
そして相手の反応までコントロールしようとしない。
そんな風に良かれの範囲を自分の中で整えていけたらなと思った出来事でした。
皆さんは良かれと思ってやったのにってもやもやしたことありませんか?
もしそんなことがこれから起きたら
私は何を期待しちゃってたんだろうなっていう風に考えてみると
ちょっと違ったものが見えてくるかもしれません。
ということで今日は良かれと思っての中に
実は期待が隠れていたという気づきについてお話をしてみました。
今日も最後までお聞きくださりありがとうございました。
ではまた次回の放送でお会いしましょう。
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