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続・「寒い」に対する嫌悪感
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あの、前回の配信で、もう僕が冬の寒さが嫌いすぎるっていう話をしたんですけども、今日はちょっとその続きというか、前回言い足りなかったことを言っていきたいと思ってます。
前回ちょっとまあ、ざっとまとめると、寒さが嫌いって僕ずっと思ってたんですけども、その寒さが嫌いをもうちょっと分解すると、
身体的に寒いっていう状況に体が置かれているっていうこと自体に嫌悪感や恐怖を感じているのではなく、寒さというその状況に対して、
立地的に、理性的に、論理的に、論理的じゃないか、理性的に頭がその嫌悪感や恐怖を感じてるんじゃないかっていう仮説があるっていう話ですね。
これに気づいたのが、ちょっとふとしたことで、僕の義理の妹ですかね、だから僕の弟の奥さんの言葉なんですよね。
太郎っていう子供がいて、その太郎を実家に連れて帰ってた時に、僕の母親が、当時2歳かな3歳くらいかなの太郎を面倒見てるんですよ。
そこで、正月か何かだったんで冬だったんですね。寒かったんですけども、異常なくらい毛布でくるもうとしたり、ジャンバーを着させようとするんですね。
例えばちょっと外に行くっていう時も、あ、やばいやばいって毛布にくるんでジャンバー着させてみたいな。ちょっと寝るってなっても何重にも毛布を着させてみたいな。
そんなに寒くないのに室内でもちょっと厚着をさせてみたいなものを見ているときに、その後に義理の妹が言ったのが、
これで僕や僕の弟が冬のことをめちゃくちゃ嫌いっていう理由がわかったと。
たぶんだけど、だからうちのおかんからすると孫なんですけども、太郎がですね。
太郎の扱う様子を見ていると、たぶん僕や僕の弟もそういうふうに育てられてきたんだろうと。
これだけ寒さから守られ続けてくると、それは冬というか寒いのが嫌いになるよっていう話をされたんですね。
それなんかずっと残ってて、実際自分の息子が生まれたときにその姿をまたさらに見てたんですね。
これかってちょっと思ったんですよ。
僕もちろん子供の頃、2歳3歳の頃って覚えてないですよね。
なんですけど、その時期に寒さっていうものはすごく怖いもので、寒さはいけないと。
だから守らないといけないって守られ続けてきてると、それはそういう感覚になるだろうなと思ったんですよ。
だから三つ子の魂100までっていう話を過去の配信のどこかでしたような気がするんですけど、まさにそれなんじゃないかなっていう。
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それが寒さっていうのが身体的な感覚にひも付いているから、ちょっと分かりにくくなってたっていう状況。
これ例えば別のことに置き換えて考えてみるとちょっと分かりやすくなるんですけども、
お金が安定的に稼げないのは悪いことだよっていうのを幼少時代からずっと親に言われ続けてきたら、
これって言い方ちょっとあれなんですけど、洗脳状態になるじゃないですか。
そうするとお金を安定的に稼げないフリーランスだったり自営業だったり、
チャレンジのために会社を脱サラして次の転職活動みたいなことに対して恐怖がブワーってなるんですよ。
それって多分もう頭で考えてどうこうっていうよりも、その幼少時代から叩き込まれてきた価値観や感覚だと思うんですよ。
例えば人に迷惑をかけちゃいけないっていうのもそうだし、人が思う平均的な常識にちゃんと即していきなさいっていうのもそうだと思うし、
もしかしたら食い物の好き嫌いとかもそうかもしれないし、いろんなことありますよね。
あと面白かったのが、ちょうど今古典ラジオでローマの話をやってるんですけども、
ローマ帝国時代のカエサルの時代の価値観っていうのは、
一個人が成果を上げるとかいうことが正しいっていうよりは、家ですよね。
カエサル家、ガイウスイリウス家なんですけども、ガイウスイリウス家が発展するっていうことのために一個人が注力するっていうことが正しいっていう教育をずっと受けてたと。
だからカエサルは家のために頑張るって頑張っただけであって、
一個人が社会に認められたらいいとかそういう感覚はなかったんじゃないかっていう説があって、
当時はそれが当たり前すぎて疑問にすら思わないと。
だって人間って家のために生きるじゃないですかから始まるんで、
今だったら家のために生きてるんじゃなくて、人が幸せになるためにはみたいな話だとか、
家の発展を取るか地域の発展を取るか国の発展を取るか、はたまた個人の発展を取るかみたいな価値観の人たちだったりとか、
比較すらしないじゃないですか。
なんかそういう感覚なんですよね。
だから僕の中では物心をつく前から寒いことは悪いこと、恐怖であって意味嫌うべきものっていう価値観を叩き込まれてきたんじゃないかっていう話ですね。
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なんかね、だからこれが論理的とか理事的っていう表現をするのかどうかはわからないんですけども、
少なくとも本能的ではないですね。
本能で感じてる身体的なセンサーで寒い、怖い、嫌い、死の恐怖、やばいって思ってるわけじゃなくて、
良い回答、寒いということは悪いことなんだよ、悪いことなんだよっていう教育というか、
教育なのか、育てられ方をずっとされてたっていうことが影響を受けてると。
で、これってもちろんこの機能っていうのは人間にまず備わってると。
で、これが良いこともあるんですよ。
疑問なくと思えるじゃないですか。
例えばね、人に危害を加えるっていうこととか、優しくしたがいいってことって理由なく思っていいと思うんですね。
理由なく思っていいんですよ。
僕はバグってあんまりいらないと思ってて、
これ便利に使える価値観だと思うんですよ。
むしろそうしないことに、優しくない自分とか人に対して、
ギブしない自分っていうのに嫌悪感を持つって結構便利というか、
いちいちそこに理由とか大義名分とか、感覚的な裏付け、
ごめんなさい、感覚的じゃないや。
論理的な裏付けが必要なく、もう公式としてパンって使えるじゃないですか。
そういう意味では、幼少時代からの積み込みって便利なんですけども、
やっぱり時代に合わなくなることとか、間違ったこと、
寒さイコール嫌悪って異常で間違ってることだと思うんですけども、
そういった価値観が埋め込まれてきたときって、
やっぱり社会生活の中でバグが生じるなっていうのは思ったんですね。
なんかね、これ結構無意識にやってるんで、親世代とかっていうのって。
分かんないですよ。
本当にそれが因果関係を持ってるかどうか分かんないですよ。
それがっていうのは、親が寒さに対する嫌悪感を僕に植え付けたせいで、
僕がここまで寒さに恐怖を持ってるっていうのが、
因果関係あるかどうかは分かんないです。
ただ、現実問題そうなってるっていうこと、
あと、僕と弟が強烈に寒さや冬に対する嫌悪感を持ってるっていうことですね。
ただですね、じゃあ、もうちょっとメタ視点で言うと、
寒さに対してこの嫌な感情を持ってるってことが、
じゃあ果たして僕にとっては、
寒さに対してこの嫌な感情を持ってるってことが、
じゃあ果たして僕にとって良いことか悪いことかっていうと、
またこれ分かんないですよね。
寒さに対する恐怖感を持ってるがゆえに、
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日本から飛び出たいっていうエネルギーになってるんですよ。
これ言ったか言ってないかもう忘れたな。
とにかく僕将来的に日本を出たいと思ってるんですね。
その唯一の理由が寒いからなんですよ。
外国語を覚えるコストは努力でできる。
ゼロからそこで仕事を作ったり、コミュニティに入ったり、
コミュニティを自分で作ったりすることってある程度できる気がするんですけども、
寒さだけはもう人間の力ではどうしようもないので、
ってことは寒くない土地に行くしかないっていうのが僕の結論なんですけども、
ここまでの寒さに対する強烈な嫌悪感を持たないと、
こんなに強い外に出て行きたいっていうエネルギーってないと思うんですね。
だからね、大きく僕の人生にとって良し悪しっていうのは分からないんですけども、
少なくとも何が良いかっていうと、
三つ子の魂100までっていうのは強烈にあるので、
慎重に子供と向き合った方がいいなっていうのは今思ってます。
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