1. 樋口聖典の世界
  2. 性質の原因
性質の原因
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人間の性格ってどうやってできてるんだろうって話なんですけど、
まあ、やっぱり遺伝子ってでかいと思うんですよね、基本的には。
あのー、まあ、実際、あのー、誕生日占いとか、僕結構信じてる派なんですけども、うん。
やっぱり、生まれながらにしてある程度性格が決まってるっていう部分はあると思うんですよ。
まあ、もちろん、父親と母親の性質を受け継ぐみたいなところもあると思いますし、うん。
で、なんか、完全に正確に、ダイレクトに遺伝子が影響するっていうのももちろんあるんですけども、例えばですけど、やっぱり、
じゃあ、背が低いという性質ですか、例えばじゃあ父親も母親も背が低いっていう、
で、体的に遺伝子として受け継ぐっていうことはあると、あると思うんですけど、うん。
で、背が低いプラス、なんかちょっとわかんないんですけど、じゃあ、ヒゲが濃いとか。
では、背が低くてヒゲが濃い人だと、こうこうこういう、なんて言うんですかね、
傾向になりがちみたいなものってあると思うんですよ。
だから、身体的な特徴から、確率論的に親が辿ったような人生、親が辿ったの人生と似たような奇跡を辿って、同じような性格になるみたいなことってあると思うんですけどね、うん。
まあ、だから、まあいろいろな要素がありますよと。で、まあその中で、なんて言うんですかね、
なんで俺はこれが好きなんやろうとか、こういう性癖があるとか、これに対してもう異常なくらい腹が立ってしまうとか、イライラしてしまうとか、これのことを考えだしたらもうなんか気分が悪くなってしまうとか。
なんかこう、理由がないけど異常に人と違う、まあ不も正も両方あると思うんですけども、異常に人と違う性質があることって、まあ人それぞれ何個かはあると思うんですよ。
多分ないと思っている人でも10個20個あると思うんですけども、うん。
で、なんかそれがどういう因子によってその性質が形作られているかみたいな話をちょっと今日は問われる人としてて、うん。
で、あのー、例えば、まあこれ、あの、これ聞いた話なんですけども、あ、じゃあこれいきなりちょっとあの、ちょっと刺激的な聞いた話をしますけども、
あの、とある人が、うーん、まあちょっとセックスの話になるんですけど、とある人が、なぜかこう、ボーダーの柄の靴下を、まあその、ね、男の人なんですけどもね、あの、ボーダーの柄の靴下を女性に履かせてセックスをするのは好きだっていう性癖の人がいたらしいんですね、うん。
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で、その人も、まあなんかまあ、まあちょっと変なね、性癖じゃないですか、うん。まあ靴下だけでもまあちょっとあれですけど、さらにボーダーっていうのはなんなんやろうなと思いながら、でももうそれで興奮するからしょうがないですよね、うん。
で、あのー、まあ、そうやってずっと生きていて、で、ある時なんかのきっかけで、ブッって幼少時代の思い出を、
まあ思い出したと。それが、ちょっと怖い話なんですけど、なんか、幼少時代にその、一度、えー、まあ親戚のおじさんに首を絞めて殺されかけた経験があったと、うん。
で、その殺されかけた時に、やばいと思って、首絞められている最中に、誰か何か助けようと思って、バンって、あのー、手を伸ばしたところにあったのが、そのボーダーの靴下で、それを掴んだまま気を失ったっていう、まあまあ、で、
その後、命は助かったらしいんですけども、その経験がもうトラウマ級に残ってて、それでそういう性癖になったみたいな話を聞いた時に、僕は結構、ゾクってしまったんですよね、まあ恐怖ですよね、うん。
で、なんかこう、まあいろんな恐怖ポイントあると思うんですけども、やっぱなんかその殺されかけた時に見たものっていうのが、
あのー、性癖っていう、その快感につながってるっていうところも、なんかこう、ある意味結構恐怖だったんですし、それに自分が気づいてないっていうのは結構恐怖ですよね、認識できてないっていう、うん。
なんかこう、それをずーっと、なんでかな、なんでかな、と思いながら、一個の性質として受け入れてきてて、ある時にその因果がわかったっていう、なんかこの状況も結構僕は怖い話だなと思ってるんですけども。
で、えーと、まあだから、話をちょっと戻すというか、あの本数値に戻しますと、えー、人間が何かしら、なんで俺こんな性質があるんだなーと思ってることって、実は何かしら理由があるんじゃないかって話ですよね、うん。
原因があるということですよね。うん。例えばまあ、幼少時代におけたトラウマが一番わかりやすいんですけども、まあもっと言うと、うーんと、
親の教育とかがまあ一番わかりやすいですよね。なんか、親からものすごくこう詰め込み型の英才教育を受けてた人とかは、まあ大人になっても多分会社の中とかでめちゃめちゃ頑張って詰め込んで詰め込んで頑張って成果を出すっていう方に、
なんかこう、自分を持っていきがちみたいな。で、それで例え体を崩したとしても簡単にそのフォームを変えることができないみたいな。
で、自分はなんでそんなに頑張らないといけないんだろうと思った時に、ふと思い返すと、幼少時代にそういう幼少時代をとか少年時代を
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過ごしてたみたいなことってあると思うんですけども。で、まあ、あのー、これとかは別に良いも悪いもないんですよ。でもやっぱ自分の中の嫌いな性質っていうところに
があった時に、どう向き合うかですよね。で、やっぱり僕その自分の嫌いな性質ってまあまあ変えたほうがいいじゃないですか。
変えたほうがいいと思うんですけども、僕、人間簡単に変えることってできないと思ってて、で、変えるためのステップって僕何があるかと思ったら僕大きく2つと思ってて、
一つは、あのー、まあ一つだというか、ゴールは自分はこういう理由でこういう性質があるんだっていうことを認めるってことですよね。
心から認める。そうすると、なんかこう、その性質がこうブワーって浄化されていく感覚ってなんかイメージつきますかね。
なんかこう、成仏するみたいなイメージなんですよ。 ある意味僕それ呪いだと思ってて、自分が自分に
意図せず化してしまった、かけてしまった呪いのようなものだと思ってて、それって自分で自分のことを認めるっていうことでしか多分浄化されないんじゃないかなという感覚があって、でも
はっきり言って認めるって、そんな並大抵のことじゃ無理だと思ってるんですね。 で、認めるのは無理じゃ
まあだったとして、じゃあどうするかっていうことなんですけど、僕は認めるの1個前のステップとして気づくっていうのがあるなと思ってますね。
つまり自分はこうこうこういう原因でこうこうこういう性質があるんだ、へーっていう客観的にただ観察するっていうことですよね。
認めるって自分でそう思わないといけないんですよね。 自分でよしこれを認めようって思わないといけないんですけども、人間ってそんな簡単に
思うっていうことをコントロールできないんですよ。 嬉しいと思おうとか怒ろうと思おうとかってできなくて、何かしら考えた結果
ついつい感情がバッと湧き出ちゃうものっていうのが感情だと思ってて、これをなんか人間がコントロールしようってそもそも考えること自体が僕の中では結構おこがましいというか
そんな並大抵なことじゃないぞって思ってて。 だからその前の段階の気づくっていうことをずーっと
やり続けるしかないなと思ってるんですね。気づき続ける気づき続ける気づき続けた後、その先に認めるっていうことがあると思ってて
コントロールできないですよね。認めるかどうかとかって。 っていうみたいな話をずーっと今日はしてまして
だからなんかこう、本当にいろんな話から派生できると思って。 例えば三つ子の魂100までってよく言いますけども
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僕今2歳半になる子供がいるんですけども、多分今何かしら体験させたこととか教えたこととか
やっぱちょっとしたミスで、例えばちょっと怪我をしちゃったとか 溺れさせてしまったとか
そういうことで、例えばね溺れさせてしまったら水がめちゃくちゃ嫌いになるかもしれないし すごく笑顔で接するとすごく笑うような子になるかもしれないし
すごく厳しく接すると自分を立するような子になるかもしれないなぁと思ったら めちゃくちゃ大事だなって思いますね。
特に子供の頃の接し方というか、そこで本当にやっぱり
その子がどういうふうに生きるかというのが決まると思ってるんで、なんか 自分自身のドア持っていくかもそうですけど、やっぱ子供のことをどうしても考えてしまうなっていう
思いますね
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