1. 樋口聖典の世界
  2. 殺伐の中の安心
2020-03-06 10:00

殺伐の中の安心

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殺伐の中の安心
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なんかもう今日は、全く何も考えずに喋りたいなーっていう気分です。
なんか、久々に撮るような気がしてます。なんでかな?
多分、車の移動があまりなかったのかな?
基本的にこのポッドキャストは、車の中だけで空いた時間というか、
運転中の長い空いた時間を使って撮るみたいなルールにしてるので、
まあまあ、車を運転する機会がなければあまり撮らないということなんですけども。
いやー、まあちょっといろんな人と話してますけど、日々ですね。
で、SNSとか、まあ最近色々告知とかもあったので頑張ってるわけですけども、
まあすごいですね、コロナウイルスの話でほとんど持ちきりみたいな感じで。
で、まあ僕としては、もちろん興味はありますよと。
まあ僕自身も施設をやってるっていうところで、コロナウイルスの動向とか、
あと政府の動向によって、いろんなことがリアルに仕事に影響してくるので、
もちろんめちゃくちゃ興味はあるんですけど、
まあかといって、それに対してこう、なんていうんですかね、
ただただ怒りの気持ちをぶつけたりとか、嘆きとか、
なんかこう、ストリートペーパーがないことに対して、
ふざけんなこの国はとか、
誰か対象がはっきりしてるものもあれば、
それこそ今の自民党政権がなんだとか、
あれば、何かしら、ほんとこの国終わってるなみたいな、
特定ではない人に対する、
なんかそういう、何かの感情をぶつけるみたいなことって結構あるんですけど、
僕はやらないようにしてるというか、
あんまりやらないんですけど、
理由は、
それやっても変えられる気がしないからと思ってたんですね、何も。
なんか怒って何かが変わるんならやったほうがいいしとか思ってたんで、
やらなかったんですけど、
なんかふとこないだニュース冒頭見てたら、
SNS上の意見に流されてどんどんどんどん方向性が変わっていきすぎだ、
安倍はみたいな、安倍首相はみたいな話があって、
まあまあなるほどなと。
SNS上の意見も見えない一票として、
まあアンケートですよね、
国民アンケートみたいな感じで十分機能してるんやと思ったら、
ちっちゃい意見でも別に発信することで、
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世界を変える一点になっているんやなーみたいなことを思うと、
無駄ではないんやなーって、まず一回思ったっていう。
で、その上で、僕はやらないどこをと思ってるって感じなんすよね、さらに。
なぜかっていうと、結構感情をガッて使うというか、
そこのツイートに至るまでって何かの感情が燃えてるんですよね。
感情が燃えてるから、それが言葉にしてツイートになると思うんですけども、
やっぱそこに感情を燃やして、
じゃあ自分が何かできることってツイートするぐらいなんですね。
あまりにもその燃やした感情に対しての、
世界に対する効果が薄いなっていう感じです。
これは日々の活動の中で、僕は何かしらをできる立場にあると思ってるんですよ。
例えば、YouTubeチャンネルで活動するとか、
今、いいかねパレットっていう施設をやってるんで、
そこのイベントの受け入れ体制をもう一回練り直すとか、
具体的に何かできることがあるから、
そっちに自分の感情とかリソースを使いたいなと思ってるから、
そう思ってるだけであって、別に何も否定することはないです。
別に感情をぶつけて一票っていうのが、何もしないよりはマシだと思うので、
世界に対してですね。
もちろん全然否定はしないんですけど、
僕はもっと燃やす場所を、
そこで燃やすのを、僕の感情をそこで燃やすのは、
僕の感情はもったいないなっていう感じがするので、
燃やさないっていうイメージですよね。
結構僕、それで失ってるものもあるんじゃないかなと思いますよね。
僕がやらないことをやってくれて皆さんありがとうとは思うんですけど、
人間ってよく言うのが、何かを選択する、
選び取るって、一日にやれる、選べる量って決まってるみたいな話って聞いたことあるんですよね。
例えば、今日朝飯に何を食うかっていうのも選んでるし、
今日何を着ていこうかっていうのも選んでるし、
今日仕事行って、じゃあ何から始めていこうかっていうのも全て選択してると。
何の仕事から始めるかっていうのももう選択してるっていう。
この一個一個で結局決断するだけなので、
ほとんど労力は使わないから大したことじゃないって思われてるんですけど、
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実はそこの一個一個で小さく小さく何かしらの決定力、決断力みたいなものは削られていくから、
だからスティーブ・ジョーズとかは毎日同じ服を着るし、
ルーティンにできるものはルーティン化するし、
最初に朝一で1回トゥードゥリストっていうものを、
今日の仕事リストみたいな場を作って、
あとは何も考えずにそれをただただ遂行していくだけにするようにする。
要は決断を1回にするっていう。
あとは自動化、オートメーション化してルーティン化するみたいなことが推奨されてるのは、
そういった理由からだと思うんですけど。
それと全く同じ理由で、僕はSNSや周りの人に対して、
何かしらの感情エネルギーを使うっていうのが、
何か失ってるなっていう感じがしますよね。
カウンターではないんですけど、
最近友達がめちゃめちゃ緩いポッドキャストを始めまして、
2週間に1回くらいかな、やってるんですけど、
めちゃくちゃいいんですよね、それが。
何をやってるかっていうと、家で酒を飲みながら、
ダラダラ10分くらい喋ってるっていう。
本当にそれだけのポッドキャストなんですけど、
ちょっと聞いてしまうんですよね。
もちろんこれはいろいろな理由があると思います。
まずは信頼できる友達だからっていうのが1個ですよね。
プラス、東京に住んでる友達なんで、
最近会ってないんですよ。
実際今SNSとLINE上だけでのやり取りしかしないじゃないですか。
特に遠くに離れてる人って、
わざわざ電話かけることってほとんどないし、
むしろ電話って人の時間を奪うようなものだから、
僕はかかってほしくないし、かけたくもないんですよね。
だから声を聞くことってほとんどなくなってきてる中で、
友達がダラダラ部屋で喋ってるのをただただ聞いてるって、
なんかですね、これ不思議なんですけど、
それさって話し返したくなるんですよね。
ついつい、分かる分かる、その話ないけどって、
一瞬うんって言おうとして、
これポッドキャストやったっていう。
だから本当に完全に気を抜いて、
同じ部屋で飲んでる気持ちになれるっていうのが結構あるんですよね。
こういうメディアって実は今までありそうでなかったなと思ってるんですよ。
似て非なるものがYouTubeとかラジオですよね。
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YouTubeとかラジオって完全にテーマを決めてスイッチパチンって入れて始めるものなんですよ。
だからブログとSNSとかTwitterですよね。
ブログとTwitterの違いかもしれないですね。
ブログってタイトルを決めないといけないじゃないですか。
その時点で何かテーマを決めて書くっていう雰囲気になってるんですね。
でもTwitterってタイトルがないし140字だから、
そもそも緩くやっていいっていう文化があるじゃないですか。
これの音声メディア版って今までなかったんやなって思った時に、
ポッドキャストこれやっぱりあるなっていう。
しかも個人のポッドキャストですよね。
あとはこのコロナウイルスでご時世的に殺伐してるっていうのもありますよね。
だから同じような方が増えればいいなとか思ってます。
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