1. 樋口聖典の世界
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突き詰めていくと正しいファクト認識など出来ない
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情報の正確さってどこで判断すればいいのかっていう話なんですけど、
昨今ですね、ちょうど今これを撮ってるときって、コロナウイルスの件がめちゃくちゃニュースだったりで流れてるんですよ。
実際リアルに会話の中でもよく出てきますと、コロナウイルスやばいねとか。
僕は子供がいるので妻とかもやっぱり敏感で、こここういう予防策がいいらしいよとか、今こういう状態になってるよとか。
リアルな活動の中でもイベントがバンバン中止になってたりとか、実際に僕の身の回りに影響をめちゃくちゃ及ぼしていると。
その大元にはコロナウイルスの脅威っていうのがまずあるんですけど、脅威のデカさとか速さ、鋭さ、ヤバさみたいなものって誰がどう判断してるのかなっていう話なんですけど。
なんでこれ撮ってるかというと、実際にデマが流れたんですね。
お湯を飲んどけば、20何度以上のお湯を飲んどけば、30度やったかな、なんか忘れたんですけど、それを飲んどけばコロナウイルスはもう全部死滅するからこれは安全だみたいなデマが流れたと。
それがバーって広まった後にそれが実はデマだったみたいな話が流れたみたいな話なんですけど。
すいません、これちょっとよく僕も解読してはないんですけど、よくよくちゃんと文章を読むとデマっていうことがわかるような構造になってたらしいんですね。
そもそも20何度とか30何度ってお湯じゃないだろうみたいなところから、そういう簡単なところで普通に論理的に考えていけばこれデマだろうってわかるみたいな文章の構造になってたらしいですね。
僕ちょっとすいません、ちゃんと読んでないのでわからないんですけど。
なのでそれで違うだろうっていう話から、ソースはどこだ、つまり情報源はどこだっていう話になって、これはデマだみたいなことになって、またデマっていう報道が流れてるっていう状況なんですね。
これと似たようなことってもちろん僕らは経験してて、それはツイッターがものすごく流行った2011年の災害のときですよね。
東日本大震災のとき。
なんかここも、やれ放射能がどうだとか、今どこにどういう人が遊兵されてて、ここにパソコン室かなんかの中に閉じ込められてるみたいなデマが流行ったりとか、
あとその放射能はここここで、野菜には放射能があるからとかいう人間がいて、それに対してまたそれは風評被害だとかいう人間もいて、
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その風評被害風評被害っていう人間に対してまたさらに、いやいや風評被害で済ませてはいけないみたいな。
じゃあ実際に放射能の数値を測ったら、ものすごい数字が出てたと。
日本の基準は甘すぎる、そもそもみたいな、それにカウンターカウンターカウンターみたいなのが出てきてて、
どの時点でどっちの意見をどの部分まで信じればいいんですかっていうことも分かんなくなるみたいなことが、
まあよくあったんですね。
で、それってまあその時はめちゃくちゃ目立ってましたし、今回のコロナウイルスに関してはめちゃくちゃ目立ってたんですけど、
これって普通に生きてたら日常の中で起こってますよねっていう話なんですね。
まあ分かんないですよ。例えばじゃあ風に効く、例えば何でもいいんですけど、R1ヨーグルトっていうのが風に効くっていうものありますよね。
で、これがじゃあ普通に言われてるじゃないですか。
コンビニとかで普通に売られてるR1ヨーグルトを飲むと風に引きにくくなるっていう、普通に言われてると思うんですけど、
じゃあこれがデマかデマじゃないかの判断って誰がつけてるんですかっていう話なんですよね。
で、例えばじゃあR1ヨーグルトの例で言うと、飲んだ人が風にならなかった人の割合が多ければ、もうこれって正しいっていうことになるじゃないですか。
まあまあまあ、それって正しいことになるじゃないですかって言い方僕は今あえてしましたけど、
これ正しいって言っていいんじゃないかなと皆さん思うかもしれないんですけど、
でもですね、因子っていうのがめちゃくちゃあって、例えばじゃあR1ヨーグルトが効くってバーって言われだした時期がたまたま風のウイルスが弱かった可能性もあるんですよね。
たまたまそこで出回ってた流行った別の食品が抗体を活性化させて風に低くなるかもしれないし、たまたまその年温度は気温がそんなに低くなかったから、そもそもR1ヨーグルトなくても風にかかりにくかったかもしれないし、
そもそもプラシーボ効果かもしれないんですよ。プラシーボ効果ってあれですね、思い込むだけで実際に体がそうなっちゃうっていう科学的根拠がなくても。
とかそういうところまで因子に全部入れ始めると、完全に平等な状態で対等にR1を飲んだ人と飲んでない人の比較検証って完全にはできないんですよね。
もちろんそれはもう織り込み済みで科学ってずっと発達してきてて、例えばランダムに選んだ100人の人を部屋の中に入れて飲んでる人と飲んでない人を比較検証してやるみたいな。
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もちろん全員がそれぞれ体調も違うし状況も遺伝子も違う中で、ある程度平均的に飲んだ人と飲んでない人というカテゴリーでざっくり分けて検証していくわけですけども。
だから平均値なんですね。だからバイアスなんですよね。
なので、母数をどれだけ多くしていくかということでしかないんですけど、それですら、例えば研究室の中に入れられた状態っていうバイアスがかかった中で、飲んでる人と飲んでない人ってあるわけですよね。
例えば放射能にいきなり話を戻しますけど、放射能は5個々で、ある科学者が言ってたと。
それの科学者をよくよく判断していくと、今までにめちゃくちゃ失敗事例を出してる科学者で、あんまり権威もないと。
それに対してそれの反対意見を言っている科学者は、もうものすごく今まで論文をバンバン出してて、それが世界的に評価されてて、実際に所属している大学もものすごく権威がある大学だと。
だからこっちの人の言ってることのほうが正しいに違いないとか、そういうレベルで評価が決まっちゃってるような気がしてて。
要は権威があるところが大工版を推したっていうところとか、過去の実績がこうこうこうだから今回もそうに違いないみたいな客観的指標によって出した結論が決まるわけじゃないですか。
なぜなら、研究者が言ってるようなことって素人では判断できないからですね。
そこの研究の結論に至った科学的根拠までは僕らは判断できないんですよ。
科学的根拠自体に対して評価ができないんですよ。
その研究室の条件をどれだけ厳密に測ったかとか、そもそもその比較対象の方法がどれだけ正しかったかっていうのは我々素人には判断できないですから、
何で判断できるかっていうと、権威とか一流の人が一流って言ってるかどうかとかに頼るしかなくて、結局曖昧なものなんですよね。
もっと言うと、一流の人がすごいって言ってるから一流だと思うじゃないですか。
大元のサイコパンを推した一流の人って何で一流かって話になってきたら、一流の権威がその人を一流って言ってるからその人も一流ってなって、
どんどん過去にたどっていったら、そもそも起点はどこ?みたいな感じになるわけですよね。
とかいうところまで考えたら、絶対的な判断とか客観的な判断って、そもそもできないという状況の中で僕らは曖昧なものを信じて生きていくしかないという状態を、
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もう常に生まれた時から続けてきてるわけですよね。
あーっていうのを考えると、もう全てが信じられなくなるというか、だから自分しか信じられたくなったりするんですけど、
じゃあその自分が出した判断ってたった38年の中で出した判断だから、じゃあこれがどれだけの信頼度あるのかっていうところまで考えるとまたさらにもうこれわからないんですよ。
もうですね、信じられるものとかないなっていう結論にたどり着くしかないんですよね。
なんかそんな困難をしてると、もうなんか全てが馬鹿らしくなる時がふっときますよね。
でもそんな中で生きてるんで、まあ楽しむしかないなっていうのが結論かもしれないですね。
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