1. 樋口聖典の世界
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ままならない状況に感謝
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はい、今ですね、鷹橋いかねパレットから福岡市にある自宅に向かって車を走らせております。
時刻は夕方16時3分でございますと。
昨日はですね、コテンラジオのSpotifyオリジナル版の収録と、その後コテンラジオの忘年会がありましたね。
忘年会というのは、YouTubeライブで飲みながら今までの歴史を話すという、歴史というのはそのあれですね、コテンラジオの歴史を話すという会でしたね。
いつ僕らが出会って、どんなことがあったのかみたいなものを昔話でもしようかということで、コテンラジオの歴史を話しましたね。
その後、鷹橋いたにあるスナック街があるんですけども、そこに行きまして、鷹橋のスナックを深井さんとむろこしさんに体験してもらうというやつをやったりとかしたっていう、まあまあまあ楽しかったですね、一日。
で、今、ちょっと午前中パレットのほうで仕事がありまして、今から虎之助を迎えに行っていると、そういう感じでございます。
1年をやっぱり振り返りまくるわけですよね。自分一人でいるときもどんな1年だったのかなみたいなことを考えますし、やっぱり会話の中でもだいたい出てきますよね。
今年1年どういう1年やったみたいな話って結構出てくるわけで、で、断ることに考えますし、やっぱり来年どうしていきたいかみたいなことを断ることに考えるわけですよ。
で、僕、まあ何箇所かで言いましたし、このポッドキャストの中でも言いましたけど、来年の抱負はそぎ落とす、で、今年の抱負は余裕を作る、やったわけですけども、まあこの話はしたので一旦置いといて。
で、今年1年どういう年だったかなみたいな話を妻としてたんですね。どうやった実際みたいな。
ただやっぱ妻は本当に忙しい1年やったなっていう感想でしたと。特に4月から妻の会社が結構、まあ社内で改変があって、で、結構忙しい立場に置かれるようになって、
で、まあ本当に子供がいるお母さんとしてはもう限界を超えた状態の働き方をずっとしてましたし、とかしないといけない状況になって。
で、あ、これまずいなって言ってなんか必死でどうやって乗り越えようかって言って乗り越えてきた1年だったなみたいな話をしてて。
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で、僕は僕で、まあある意味頑張ってその余裕を作った1年だったなと思ったんですよね。
余裕って言っても自分の時間を大きく作れたとか、何て言うんですかね。
そういうイメージじゃなくて、例えば家族でいる時間とかを無理やり作ったっていうイメージだったり、なんかそういうイメージなんですよね。
休みの日をもう必死になって開けたみたいなイメージなんですよね。
で、これってどうなんやったやろうみたいな話をしてて、はっきり言うと仕事の面で言うと、ままならない状態が続いたなって感じでした。
おそらく僕平均すると週1回も、まあ1回くらいかな、鷹川に行ってたのがおそらく週1回くらいだと思うんですよね。
で、もっともっと床のパレットにいることができたらやれてたやろうなっていうことがめっちゃ多いわけですよね。
で、実際人と出会うチャンスっていうのもそれで逃してる部分があります。
で、特にやっぱりいたかったのは土日に基本的にもう家族で過ごすって決めてたので、で、大事なイベントってだいたい土日にあるわけですよ。
だから家族との時間を大切にしてしまったせいで、あえてせいでって言いますけど、人と交わる機会もなかったし、大事に育ててきた床のパレットの言ったら晴れ姿じゃないですか、イベントって。
僕からするとパレットって本当に自分が生んだ子供で、で、なんか大きいイベントがあるときってそれの発表会みたいな感覚なんですけども、それを見ることができずみたいな、なんかそういう感覚だったんですね。
で、もちろんですけど、短期的に見ると仕事においてはダメージがあります。家族を優先してしまったせいで仕事にダメージはあったんですけども、さあはてと、これがじゃあ自分にとっていいことだったのか悪いことだったのかで言うと、現時点では判断できないっていう結論になるんですね。
で、こと家族に関して言うと必ず、ほぼ間違いなくいい影響は出てると思います。やっぱり妻と子供と過ごす時間を意地で増やしたわけですから、やっぱりこれはないよりはあった方がいいと思うんですよ。
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これは結構本当に、もう異論の余地なく良い状態になったと思います。こと家庭で関して言うと。で、仕事に関して言うとですね、じゃあ僕がそれやらなかったからといって、まあ短期的な結果で言うとおそらくダメだと思うんですけど、
でもそういうのをしないっていうふうに決めた時点で、代わりに誰かがそれを担っているわけですよね。
例えば、じゃあ生金パレットの歴史みたいなものを公表してくださいっていうオファーが来たときに、それが土日だった場合僕断ったりしてたんですよ普通に。
土日は基本的には予定入れないので断りますみたいな感じで断ったりしてて、じゃあその代わりにね、うちの青江義っていうね、青江義とかがやっぱりそれを僕の代わりに引き受けたりするわけじゃないですか。
ただここで僕が本当はやるべきだったことを青江義がやったりとか、であとはチームビルディングだったり経営判断みたいなものも、もう僕は現場を見れてないから僕が判断するっていうことを極力避けようと思ってて、本当に理念の根源に関わること以外はもう完全に現場に決定権を渡していて、
もう青江義ともう一人社員山野っていう二人なんですけど、青江義と山野で決めたことをもう完全にこうやってもらうみたいな形にしてて、そのやっぱり大きな理由の一個として自分が現場にいないから見れてないからっていうのはあったんですけど、
逆に多分これをやることによってそこに自分事になるというか、もう僕は何を挙げてきてもいいんじゃないってしか言わないので、あとは自分たちがいいと思ったらやったらいいんじゃないとか、自分たちがいいと思う決断をしたらいいんじゃないっていうことしか言ってなくて、
意見を言うとしてもアドバイス的に言うだけで、俺はこうと思うよっていうことを言うだけで、そこに命令っていう要素をなるべく入れないようにしてたんですね。これはもう完全に本当に現場にいないから、その空気を見てないからっていうことがめちゃくちゃ強いんですけど。
これを行うことが僕や組織にとって悪かったのかというとそうじゃなくて、たぶんやっぱり青木や山野は自己責任ということで決断をしていたと思うし、社長に何を言ってもいいとしか言えん気も、これヤバいわ自分たちで考えなきゃいけないとかもしかしたら思ってたかもしれないし、いや知らないですけど。
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っていうことを考えた時にふと思ったんですよね。なんかこう、僕がやろうとしてるやりたい仕事っていうのって、僕がいるから僕がやらないといけないわけであって、もし僕がいなかったら誰かがやる仕事かもしれないんですよ。
そうなってきた時に僕はその人たちがその仕事をやるチャンスを奪うことになるんですよ。僕がやると。なんかこれって本当にいいのかなって思うときがあって、もちろん短期的な成功だけを見ると僕がやった方が結果とか数字が出るかもしれないことであったとしても、
じゃあ僕じゃなくて誰か代わりの人がそれをやったとして失敗をするかもしれないじゃないですかそれで。でも失敗をする権利って番人に与えられるわけで、それを僕がやることで失敗する権利すら奪っちゃってる、チャレンジする機会すら奪っちゃってるっていうことになりうるじゃないですか。
分かんないですよ。なんか僕がやらなかったらその仕事自体この世に生まれてなかったかもしれないんですけども、それも本当に分からなくて。とかまで考えると、なんか僕本当にやらないといけない仕事ってこの世にあるのかとかいう話もなってきてて。
なんですよ。で、実際僕思い返すと、例えばじゃあオフィス井口っていう会社に僕弟と二人でやってたときに、僕と太陽が現場で曲作りをしてた時期があるんですね、二人で。
で、僕が病気で倒れたときに太陽一人では回らなくなったから誰かに頼んで手伝ってもらうしかない状況とかっていうのがあったんですね。
そこで今までは自分たちで作るのが一番早いし、お金的にも外注すると費用が出ていくわけじゃないですか。でもそれじゃ回らないからといって誰かにお願いするっていう状況が必然的に生まれるわけじゃないですか。
そこでこうやって人に頼んで助けてくれるっていうことを仕出すと、もっともっといっぱい価値を生むことができるんだなっていうことにやっぱり気づくわけですよね。
で、自分でしかできないと思ってたことも、自分じゃない人がやったら僕と同じような正解は出さないにしろ違う正解を出したりするわけじゃないですか。
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そう思ったときに僕だけにしかできないっていう責任を追い続けることって、僕にとっても世界にとってもあまり良くないんじゃないかみたいな経験をしたことがあって、
それに近いものを今年結構また久々に感じたなっていうことですね。
だから妻が忙しくなったことによって僕は家庭に対して時間を使わざるを得なくなったわけですよね。
で、仕事に制限ができたっていうことです。時間的制限や距離的制限ですよね。
簡単にポンポン田川に行くことができなくなったわけですよ。
週に2回は必ず僕がお迎えに行って虎之助を貸し付けするっていうルールを自分に課してやったりとか、
子供を2週間ワンオペで見るっていう経験をしてみようと思ってしてみたりとかする中で、
必然的にできないことが増えてくるわけです。できない仕事が増えてくる、活動が増えてくるわけですよ。
ただそこでままならないっていう状況を目の当たりにしたときに、
ままならなくてもどうにかしないといけないということで事故を変革するしかないという状況にきますよね。
これがめちゃくちゃ重要なんじゃないかなって思ったっていう感じですね。
今日は年末だし長く喋りたいんで長く喋りますけど、
人間が大きくアップデートするときってこういう外圧によってままならない状況になったときしかないんじゃないかっていうのを思ってて、
本当は自分で改革できるはずなんです、人間って。
でも今何とかやれてたら改革するモチベーションにならないっていうか、
それってある種事故を壊す必要があって、人間は自分で事故を壊すことってなかなか難しいんですね。
だから外的圧力によって壊していただくしかないんですよ。
だから結構妻の仕事が忙しくなって僕が家庭に使う時間を増やさないといけなかったっていうのって本当に感謝すべきことで、
それによって働き方を完全に改革しないといけなかったし、
その辺ぐらいから完全にポッドキャスターの編集みたいなものを外注に回して、
それまでは全部自分一人でやってたんですけども、
直屋君っていうパートナーと組んで、もう編集を全部直屋君にやってもらう。
その代わりにお金を渡すっていう形にしたんですけど、
それによって僕の時間はだいぶ空いたわけですよね。
むしろなんか直屋君と出会っていたとしても、
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僕がもっと時間に余裕があったら僕がずっと編集をしてたかもしれなくて、
僕は自分の人生の時間を編集にずっと使い続けていたかもしれなくて、
そうすると直屋君が編集の仕事をしていなかったかもしれなくて、
そうすると直屋君は今スタッフいるんですけど、スタッフを雇えなかったかもしれないんですよ。
とか考えると、直屋君にとっては別に編集の仕事をすることがいいか悪いかって判断は僕にはできないんですけど、
言ったらお仕事になってるわけですね、直屋君のね。
僕はいいと思ってお願いはしてるつもりではあるんですけど。
だからこれもね、椅子を渡すっていうことを積極的にやったからっていうことではあるんですけど、
それもこれも僕に余裕がなくなったからだと思うんですね。
余裕がなくなったからっていうか、余裕を作ることによって、
仕事の時間を圧縮しないといけなかったから、こぼれちゃったところを人に頼むしかなかったっていう。
だから、より自分にしかできないことってなんなんやろうっていうのを突き詰めて考えて、
そうじゃないものから捨て続けないといけないですから、余裕を作るっていうことは。
なんかね、そんな印象でした。
だから、僕はね、自分に余裕を作ることによって、
なんかね、そんな印象でした。
だから、なんかよく言うんですけど、
物事を大きく変革するのに一番手っ取り早いのって、
本当にままならない状態になることだなって思いますね。
だから、限界を越えてままならない状態に感謝をしたいという感じですかね。
だからなんか、作ってはぶっ壊し、作ってはぶっ壊しの中で、
僕は事故をより良い方向、よりソリッドに進化させていきたいような気がしますね。
税肉をつけて削ぎ落とし、税肉をつけて削ぎ落としっていう。
それで言うと、来年はもっともっと削ぎ落とすっていうことを意識してやっていきたいなと個人的には思ってますね。
それが状況的に許されるかどうかを置いておいて、
徹底的に削ぎ落とすっていうことを意識してやっていきたいなと思ってます。
もしかしたらそのためには、もっともっと一度はままならなくなる状態にならないといけないかもしれないなと思ってますね。
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