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タイに行って人間はAIだと思った

サマリー

福岡市の自宅から北九州市へ向かう車の中で、タイでの結婚式とタイの文化についての体験を語っています。タイに行くと、人間がAIに見えると感じました。タイの人々には多様性がありますが、情報が偏っているため、人間がAIのように見えてしまうのです。

目次

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今は福岡市の自宅の方から、北九州市国楽ロスFMに向かって車を走らせております。
時刻は朝の9時55分です。ちょっときついです。
いつもきついんですけど、北九州で予定があるときは、大体北九州の収録なんですけど、朝からのことばかりで朝起きて行くんですけど、
ちょっと昨日はですね、ギチの完全人間ランドの収録を夜中の何時くらいかな、2時40分とか30分くらいまでやってたんですかね、もうちょっとくらいまでやってて、
今日も朝早く起きてみたいな感じなんですよね。ちょっとしんどいな、普通に。
1日くらい寝れない日とか余裕であるし、今まではそういうのは2時間睡眠でも3時間睡眠でもやれてたんですけど、ここ最近ちょっと疲労が溜まっていて正直。
タイでの結婚式経験
主な疲労のあれはタイに行ってきたということなんですよね。僕の芸人の同期、吉本の同期であるエイクヤザワの結婚式がタイでありまして、タイ人のお嫁さんと結婚したということなので、タイで結婚式をあげるということでタイに行ってきました。
これ何泊何日って言えばいいんだろう。だから3泊4日に一応なるんかな。ただ4日目はもう飛行機の中なんで、実質3日間くらいをタイで過ごしたということになりますね。丸々3日間くらいタイで過ごしたということなんですけど、ちょっと濃いというか、いろいろ体験した旅やったですね。
遊び疲れたというよりは、移動の疲れとかも含めて結構しんどかったですね。夜中の飛行機やったんですけど、帰りの飛行機が1時45分ですよ、深夜の。
深夜だから25時45分の飛行機に乗って帰る予定だったのが、そこから3時間遅延したりとかして。朝方でしょ。時差とかが2時間あるんで、それでちょっとおかしくなったとかもあるし。
帰ってきてその足でそのままコテンラジオの収録があって、夜まで丸々撮って、また次の日コテンラジオ2日目あって、番外編2本も入れたら14本撮りしたんかな、2日間で。
タイから帰ってきて1回も家帰らないまんまの状態から始めて、結局2日間で14本撮りしたみたいな感じで。
終わって打ち上げ行って、帰ってきて、次の日は朝から療育行って、そういった世話を丸一日しつつ、夜は夜で疑似間の収録で、今日に至るみたいなところがあるから、1回も寝れてないんですよね、まともに。
ちゃんと寝れてない状態で今に至るんで、それはまあまあきついなって感じはあるんですけど。
がっつりね、タイの話は、たぶん一の完全人間ランドでやるんだろうなと思うんですけど、どっかでしたいと思いつつ。
今日はざっくり思ったことというか、ちょっと頭もあんまり回ってないんで、ざっくり思ったことを軽く喋ろうかなと思うんですけど。
人間ってただのイレブンやなって思ったっていうのが結論なんですけど、どっから説明したらいいんかな、それで言いたいこと終わってるんですけどね。
もっと言うと、本当にAIなんやなって思ったんですよね、人間が。
もちろんですけど、ものすごい異文化ですよね、タイって。
日本と違うところがいっぱいありますよね、トイレの仕方から、トイレットペーパーの幅から違うし、結婚式も全く違うんですよね、文化というか。
日本で当たり前のように行われる式たりあるじゃないですか。
例えば最初教会で式を挙げて、誓いのキスと指輪交換をして、その後ちょっと時間があった後披露宴がありまして、披露宴ではこういうのがあって、いろんな人が挨拶して、乾杯してなんたらかんたらで、最後奥さんからの両親への手紙があって、
最後お父さんが挨拶して、本人が挨拶して終わりみたいな。
タイの文化の違い
最後出入口に立ってそこで記念品を渡しながら一人一人ありがとうって言うみたいな、いわゆる想像できる結婚式あると思うんですけど、全然違うし、やっぱりこの結婚式。
なんかいきなり坊さんがバーって並んでお経を唱え出すみたいなところが始まるとか、めっちゃ面白いし、あと言い出したきりがないな。
これはちょっとエピソードをとっとくとして、例えばお寺に行ったんですけど、そこで葬式をあげてたんですけど、全然そこも違うし。
僕自身正直海外初ではなくて何回も行ったことあるんですよね。タイもバンコク初めてじゃないし、何年ぶりかに行ったんですけど、やっぱり行くたびにいろんな思うことが違うし、
その時のちょうどトレンドとなっている思想と掛け合わせてそのタイというものをインプットすることによって何か感じるものというアウトプットが変わってくるみたいなことなので、また今回もちょっと違う刺激を得てみたいなことなんですけど、やっぱりそれで思ったのは、
この人たちの文化って多分ちょっと違ってたら全部違うじゃないですか。例えば葬式が結構明るい感じで催されてたんですよ。しかもオープンな形で。でもこれもしかしたらちょっと気候が寒かったらこうなってないだろうなとかもあるし。
僕がタイに生まれてたらそこに対して違和感を感じないわけじゃないですか。それを当たり前の文化として享受しているしみたいなところがあるから、僕が日本に生まれてタイに住んでなかったからタイのところに行って、うわ、おもろって思ったっていうこともあるとかじゃないですか。
そこからめちゃめちゃ発生していって、ちょっと飛びすぎかもしれないんですけど、例えば世の中に全く必要のないものって、皆さん頭に思い浮かべてもらえればいいんですけど、それぞれ違うと思うんですよね。
これって世の中にいらねえなって思うことがあったとして、でもその世の中にいらねえなって思うことがあると、自分はそうなりたくねえなとか、これを排除したいなとか、そういうエネルギーが働くじゃないですか。
結果、自分に変容が起こるとか考えたときに、これいらねえなって思うことも価値じゃないですか。
当たり前ですけど、古典ラジオで言っているようなことですよね。存在しているだけでも既に意味があるみたいな。意味があるからといって価値があるわけじゃないんですけど、場合にとって。
ただ、ポジティブな意味で言っているわけじゃないですよね。せっかくなんで言っておくと、深井さんが言ったんですよ、この言葉って。人間もすべての人に意味があって、生きているだけで意味があるみたいなことを言ってるんですけど、実はこれ、大してポジティブな意味で言ってるわけじゃないんですよね。
僕は深井さんとずっと話す機会が多いんで、彼の思想をおそらく強めにわかっているつもりではあるんですけど、この言葉の意味みたいなもの。
これを聞いて、だから僕の人生にも意味があるんだって思って、価値があるんだみたいな感じで捉えている人が多い印象があるんですけど、こんなダメな自分でも何かしら価値があるんだみたいなポジティブな意味に捉えている方が多いと思うんですけど。
多分そこまでポジティブに言っていなくて、価値があるとは断言してないんですよね。意味があるという意味で何らかしらの価値があるということになると思うんですけど、とはいえあなたは素晴らしいと言ってるわけじゃなくて、あなたがクソであったとしても、クソであるあなたが生きていたら、
何かしら社会に何か影響するって言ってるんですよね。そういった意味で、いないのといるのだったら、いることによって社会が変わるから、そういった意味で意味があるよねって言ってるだけなんですよね。このニュアンスわかるかな。
道端に落ちてるうんこがあるとして、道端に落ちてたらそれを避けて歩こうとするじゃないですか。その時点でちょっと僕の歩くルートに影響してるじゃないですか。ものすごくちっちゃい。僕の人生からしたらちっちゃいことかもしれないですけど。じゃあそのうんこ素晴らしいかって言ったら別に素晴らしいとは言ってないですよね。思わないですよね。うんこだなと思うっていう。だからそれぐらいのニュアンスだと思うんですけどね。
いやわかんないですよ。マジでわかんないです。僕も深井さんに確認したわけじゃないんで。そうなんですよね。だからそういった意味ではデータとして価値があるような感じなんですよ。
これ一番僕がわかりやすく、僕自身が理解するためのモデルがやっぱりAIなんですよね。AIってものすごく大量のデータが教師データとしてインストールされているって言い方がいいのかわかんないですけど。
ものすごいデータがそのAIの参照されるべきデータに入っているからすごいわけじゃないですか。AIってすごいことを返してくれるわけじゃないですか。
人間ってそういうもんだなと思うわけですよね。いろんな経験したがいいよって言うのって、このデータの多様性を高めたりとかバランスを取るっていう意味でそう言ってると思う。
例えばこれものすごく偏った調子しか入れてなかったら偏った答えが出てくると思うんですよね。偏った答えがまた悪いかどうかっていうのは別なんですけどね。
タイの人たちのインプット
別として偏ったインプットをしていたら偏ったインプットが自然と出てくるだけっていうことだと思うんですよね。そうなんですよ。偏ってると良くないことが起こりやすいですよね。勘違いしやすいというか、現実から離れたものの見方をしちゃいがちというか。
これも本当に現実から離れたものの見方をするのが悪いかっていうとそうじゃなかったりするから。僕ちょうどコテンラジオでジャンヌダルクを聞いたんですけど、その時にものすごく偏った認知なんですけど、ジャンヌダルクが見る世界って僕は思うにね。
それで世界にどう影響を与えているかというと、やっぱり変えてるんで、世界を。
分かんないですけど。だから今、ごめんなさい。話がとっちらかりましたけど、良い悪いの判断は一切してなくて、今この話の文脈でいうと。で、もう一回言うと偏ったインプットをすると偏ったものが出てくるんですよね。
だから偏らないのは無理なんですよ、基本的には。だってもう僕日本で普通に生活してると他の文化に対して偏ってるじゃないですか。例えばじゃあモンゴルの文化に対して日本の文化しかインストールしてない状態って偏ってるじゃないですか。
なんですよ。じゃあいないと思いますけど、全人類の全人種の人ともう話すことができたとするじゃないですか。じゃあもう生まれた時からいろんな国に行っていろんな人種のいろんなジャンルのいろんな年種、いろんな性別、いろんな宗教、いろんな仕事の人とかと話したとするじゃないですか。
全てのジャンル。でもそれって現時点、2024年の時点の人しか話してないわけだから、例えば紀元前600年の人と話したりじゃないし、未来の人と話したりじゃないってなったら、ものすごく時代という意味だけで言うと偏ってるわけじゃないですか。
そういうと、人類全ての時間軸と場所で見たときに偏らずにインストールするのって無理だって思ったんですよね。これが結構僕の中で改めて思ったことで、多分タイの人たちってタイの中でいろんな多様性とかいろんな勉強とかそういうものをインストールされてるはずなんですけど、僕からしたらさ、もうずっと偏ってるふうに見えるわけじゃないですか。変やなって思うというか。
日本と異文化やなって思うというかね。そんなに出したら僕が当たり前と思ってることは全部異文化やし、誰かのどこかからしたら、違う時代からしたらね。
と思ったときに、何と言うんやろう。反応で何か出してるだけに過ぎないなってやっぱり思うんですよね。僕が思う良いと思う価値観、正義という価値観、道徳観、ここの思考の末のアウトプット、認識、まとめ方ですよね。
だから僕がタイに行って、こういう人ってAIやなと思うって当たり前ですけど、ものすごく偏ってるじゃないですか。人のことをAIと思わない人もめっちゃいるし、AIっていう発明がされる前はそういうふうに認識できないし。
たまたま2023年くらいにAIの話がバーってなってきて、考える機会が多くて、僕なりに調べたと。その結果、AIについて考える時間が多かったからタイに行ったときにそう思ってるわけじゃないですか。
当たり前ですけど、前回タイ行ったときは人間ってAIだなって思ってないわけですから、それは僕のインプットによって同じタイというインプットを放り込んで何か出してってなったときに、タイに行ったっていうのがプロンプトなんですよね。
タイを訪れて思ったこと
タイに行きました、何か思ったことを言いなさいっていうのがプロンプトじゃないですか。それに対して僕がAIとかの操用みたいなものを一旦勉強してるっていうのは教師データというイメージなんですけどね。
タイに行きました、何か思うことありましたかって言われたときに、重み付けをされた教師データ、つまり新しいものや興味があるものがより重要として重み付けされていて、興味なかったり古いものはより重要じゃないものとして重み付けをされた教師データの中から何かぐちゃっとアルゴリズムがわからない状態で計算をされて、
ぶっと一番上に出てきたのが、人間ってAIっぽいななんですけど、ここに明確な計算式だったり道筋だったりロジックだったりがあるわけじゃなくて、何かそう思ったから出てきてるなと思ったときに。
だから来年タイに行ってたらまた違う感想を思うかもしれないし、違う切り取り方をしてるかもしれないし、思うんですよね。
本当に何が言いたいかというと、普遍的なものとか絶対的なものってマジでなくて、人間の絶対こうだと思い込んでることが滑稽に見えるみたいなレベルで。
なんかね、そんな感じましたね。
これをちゃんと伝えるには色んなエピソードが分かってからじゃないと難しいと思うんで、どっかでまた話したいんですけどね。
とりあえずタイ旅行の話はギッチの完全人間ランドか、愛の楽曲工房かどっちかでやると思うんで、一旦ここまでで。
18:38

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