1. 樋口聖典の世界
  2. 仕事も家庭も犠牲にしたくない
仕事も家庭も犠牲にしたくない
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今、北九州市小倉クロスFMから福岡市の自宅に向かって車を走らせております。時刻は17時14分でございます。
ファンは北九州のお仕事が終わって家路に着いているところでございますね。夕方。
最近ちょっと思ったことがあったんですよ。思ったことがあってツイートしてみたんですね。
その内容が、保育園からの急な連絡があって、お迎え来れませんか?みたいな連絡があるんですよね。
保育園にお子さんを入れてる方はすぐわかると思うんですけど、大体熱が出たらお迎え要請が来るんですよね。
お父さんお母さんどちらかに電話がかかってきて、そこですぐに迎えに行かないといけないんですね。
保育園は医療機関ではないので、病気の子供を長時間預かるということができないということで。
何時でもお構いなくとりあえず熱が出ているのが発覚したら、必ず電話がかかってくるんですよ。
僕がポストしたのは、保育園からの急なお迎え要請があったときに、仕事を犠牲にする以外の選択肢って何?みたいなことを書いたんですよね。
両親フルタイムの場合っていう条件付きで、両親フルタイムの場合、仕事を犠牲にする以外の選択肢って何やったっけ?みたいなことを書いたんですよね。
本当に優しい方は、こうこうこういう方法がありますよみたいな感じで、病児保育っていう制度があるのでそれを使った方がいいですよとか、
あとは、市がお助けマッチングサービスみたいなものをやってるところが結構あって、
名前今パッと忘れましたけど、要はそういう時のためにお迎えに行きますよみたいな人をあらかじめ登録しておいて、
で、万が一の時にそのサービスにお願いするとマッチングがなされて、あとは個人間でお礼のやり取りをしてくださいみたいな感じのサービスありますよみたいな、
そういう情報もいただけて、ありがとうございますっていう本当にありがたい限りなんですよね。
まあただ、実はその一応知ってはいたんですよね。なんかそういうサービスがあることも、あと何だったら家政婦サービスみたいなものがあって、
お迎えに行きますみたいなその民間がやってるサービスとかもあるはあるんですけども、なんかこうちょっといろいろ難しくて、
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例えば幼児保育だと、結局福岡市だと病院とかでやってるんですよ。幼児保育っていうのを。ただ保育園にお迎えに行ってそこに連れて行くっていうのは結局親がやらないといけないみたいなところがあったりとか、
あとはそういうマッチングサービスでお願いできる方っていうのが、これはだから子ども目線からすると知らない大人の人がいきなり来て、
なんか連れて行かれて、みたいな感じになるじゃないですか。なんかこれがやっぱりこうちょっと、まあなんというかね、怖いんじゃないかみたいな。
やっぱこう慣れてない人と、しかも病気なわけですから、結構ね、弱ってるときにいきなり知らない人来るっていうのがなかなか難しくて、じゃあ事前に仲良くして関係性を作っておいた上で迎えきてもらうとかになるのはいいんですけど、
なんかそのためだけに関係性を構築しておくっていうのが果たしてどう、どうなのかみたいなところもあったりしたりとかして、難しいなと思ってたんですよね。
で、そこも踏まえての、じゃあもう病死のどちらかが仕事を犠牲にするしかないのって僕はシンプルに思ったんでそう書いたんですけど、
なんかちょっとこの犠牲っていう言葉が何というか、ちょっと引っかかる方が何名かいらっしゃったっぽくて、なんか申し訳ないとは思ってないですけど、確かにそういう気分を害することってあるんだろうなっていうのを感じたんですよね。
で、それっていうのが、じゃあ子供のために仕事を犠牲にしてるっていう感覚が良くないですよねみたいなことが書かれたりとか、なんか子供目線からすると犠牲って思われたらめちゃくちゃ嫌よねみたいなこととか、
なんかそもそも犠牲にするっていう感覚じゃなくてちゃんとこう、なんていうのかな、そこを吸収するような社会制度が必要よねみたいな感じの書かれ方をしてたんですけど、なんかどう言ったらいいんだろうな、僕の中で全部しっくりこなかったって感じなんですよね。
ではまず一個一個言っていくと、まず犠牲っていう捉え方が良くないよなっていう感じの書かれてたやつがあったんですけど、これに関してはちょっと僕も犠牲っていう言葉を使ったのがまずかったなと思うんです。
要はどういうことかというと、僕の中では両親どちらか少なくとも一人の仕事に充てるべきだったリソースを保育員に充てるっていうことで、仕事にリソースが割けなくなるじゃないですか、本来かけるべきだったっていう現象のことを端的に言うために犠牲って言ったんですよね。
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そこにはなんていうか、あんまり感情が伴ってなくて、僕の中で。
めちゃくちゃ辛い思いをして仕事を諦めざるを得ない、迎え来たくない、犠牲にしたくないんだけどしょうがなく言っているみたいなニュアンスで伝わってたんじゃないかなってまず推測して、分かんないですけどね、どう捉えたかは。
それだと確かに嫌だなと思ったんですよね。
でも僕の中では、あそこのリソースに当てれないんだぐらいの感覚なんですよ。
だから、やっぱりでもここってやっぱり犠牲って言葉って僕が不要意に使っちゃったんですけど、それくらいの何かしら意味を伴う単語だなって思ったっていうのはもちろんあるんですけど、同時にこの辺の子どもが関わったりとか、あと家事、育児みたいなものが関わるジャンルの話って結構、
感情と現象を切り離して考えるって難しいんじゃないかなって思ったんですよね。
仕事を諦めて子どもを迎えに行くって言った時点で、子どもの愛情について言及されるみたいなことで起こるなって思ったんですよね。
僕の中では、仕事も諦めたくなくて、子どもへの愛情も諦めたくないんですよ。両立する方法があるんじゃないかなって思って、それって何やったっけみたいな、ちょっと問題提起まで大げさなものではないんですけど、それぐらいの感じで書いたんですよね。
犠牲にしたくねえわ、子どもを迎えとかのせいで、というニュアンスでは全くなくて、なんかこれってやっぱり、共働きする親ってこの社会システム大変よねっていうものを改めて思ったんで改めて書いたぐらいのイメージなんですけど、
でもそこには一生懸命子育てをしている人からすると多分ウエットな感情と切り離せないところで何かしら違和感を感じさせてしまったのかなとか考えたりもしましたし、
なんか僕が書いてないことに言及される方もいらっしゃって、例えばその社会システムっていうところで言うと、僕は会社員という立場ではないので、どう言ったらいいんだろうな、なんかちょっとすみませんね、歯切れ悪くなっちゃって、でもなんか結構ナイーブな話なんでこれ。
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なんていうか、それぐらい許容する働き方であってほしいよねみたいな、例えば早引きすることが許されているような会社の働き方制度とかみたいなこと書かれてたんですよね。
なんかこれが吸収できないような会社は悪いよねみたいな話を書かれてるんですけど、僕立場で言うと代表なので全部自由にできる立場ではあるんですよ。
出勤もしてないし仕事しなくても僕がいいって言ったらいいっていう立場なんですけど、僕なんで仕事してるかっていうと、僕がお金を稼いだり僕が社会に対して何か貢献というか社会をもっと良くしたいという欲求があるから仕事をしているんですよね。
だから会社にさせられてやっているわけではまず一切ないわけですよね。その中で僕がスケジュールを埋めているんですよね。例えばこの日は収録がありますがこの日はミーティングがあります。この日はちょっと自宅の仕事がありますみたいなことをなっている中でそれで休めますってなると単純に会社に迷惑をかけるとかではなくて、僕が理想としている世界へ到達するのが1日遅れるんですよね。
だから対会社での話では全くないんですよ、僕の場合は。だから会社の制度的に休める状態にしてほしいとかいう次元の話ではなくて、なんていうか、例えば収録日だったらその収録ができないことで何かしら未来の投資だったり、現実的にその売り上げが落ちるみたいなことが起こるんですよ。
だから怒られるからとかではなくて、そういう世界観で捉えてるんですよね。で本来それって子供がいてもいなくても仕事する権利ってあった方がいいじゃないですか。
仕事する権利もお迎えに行く権利もあった上で選べるっていうのが理想だと思うんですけど、今選べないっていうのが結構問題だなって思ってるんですね。だから、例えばその時に入っている仕事の重要度によって今日はお迎え。
この仕事だったら正直、社内のミーティングだしそんな重要なことは話さない定例会議みたいな感じなので週一でやってるやつだから、今回休んでもそんなに影響はないね。じゃあ会社休んでミーティング休んでお迎えに行くわっていう日があったりとか。
でもここの日はもうめちゃめちゃ大事な出張が入っていてここ売り上げ的にも本当になんかものすごい左右されるし会社の未来への投資としても絶対ここは出席しとかないといけない大切な介護があるからここはごめんけど多少子供に負担をかけてでも行かせてもらうわみたいなことが選べた方がいい社会だと僕は思ってるんですよね。
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そうじゃないとどういったのやろうな。自由な働き方ができないと思ってるんですよ。で実際今そういう状態になっていて、例えば重要で絶対休めない仕事みたいなものを極力入れないんですね今って。
でこれって万が一の時にお迎えに行かなければならない可能性があるというだけで絶対休めない仕事っていうのを入れられないですよね。例えば絶対休めないって有給がどうとかっていう話ではなくて、例えばじゃあめっちゃお世話になっている人にめっちゃお願いしてこうわざわざ福岡まで来てもらって東京とかからで一緒のスタジオで収録するっていうのがあったとしたらこれ。
でしかも何人もの人が同時に関わっていてもうそこの準備にイベントの準備にめちゃめちゃ時間も費やしていてチケットも売れてるみたいなことになった時に例えばですよこれ簡単に休めないじゃないですか。
だから僕極力そういう簡単に休めなさそうな仕事を入れないようにしているしそういうのを受けるときは何かあったら休むかもしれないんで勘弁それは勘弁してくださいみたいなこう仕事の仕方しか受けれてないですねだからレギュラーの仕事とかはもう全部今外してるんですよね毎週何か固定で何かがあるとか
でもなんか世の中の仕事の中でレギュラーっぽい仕事っていっぱいあるわけでそれがもうフィルタリングされてこぼれ落ちちゃってる状態ってことですねこれってその日お迎えに行く行かないの話ではなくて僕ができる仕事の母数が大幅に減ってるっていうことだと思うんですよね
今は僕全然自分でそれでいいやと思って受け入れてやってるんですけどそれって僕の勝手な判断でやってるわけで会社全体の売り上げとか会社全体の未来を考えたときに僕仕事した方がいいに決まってるわけじゃないですか今正直会社キャッシュめちゃくちゃ減ってきてる中で僕がもしいい感じでその辺を解決することができて
重要な仕事とか割に割に合うというか何というか高い仕事を受けることができたら会社がもっといろいろできることが増えるかもしれないじゃないですか引いてはこれ日本全国のためになるような僕は活動してると思ってるのでいいかねパレットや今の音声コンテンツの事業体だからこれ解決することで僕は日本全体が良くなる可能性はあると思っていて
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これ
なんかこう僕がどうしたいとか
それ以前に解決した方がいいよなと思ってるんですよね社会全体の最適化のために
なんか
全員があんまり制限なく働けるような社会になればいいのになぁと思っているみたいな感じですけどで実際その制度はもちろんあるはあるだけどあるけど
なんか様々な事情で使う自由に使えている人は少ないみたいな状況があるなと思っていて
ここ結構制度だけの問題じゃなくて文化レベルで何か考え方だったり価値観だったりの変革がないとこれ厳しいんじゃないかなってなんとなく思ってるんですけど
でやっぱりこの話をすると結構やっぱりそれって無理ですよねみたいなリプライが飛んでくるんですよねやっぱ子供がいて友も働きで各家族だったらやっぱり仕事の働き方変えないと無理ですもんねみたいなものが当たり前のように来るんですけどそこで無理って言っちゃったら終わりやなって僕は思ってるんで
それがいや無理じゃない世界を作りましょうよって僕は思ってるのででもしかしたら僕の子供がまだねあの世話が必要であるのには間に合わないかもしれないんですけどせめて僕の子供たちを親になった時に自由な働き方ができるような社会を作るために今から何か売ってるようなものを作りましょうよって僕は思ってるので
そうですね
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っていう
だからなんかちょっとこう
仕事を犠牲にしなくていいみたいな感じで
ちょっと話戻しますけど
仕事犠牲にしないでいいような
こう会社の制度は必要ねみたいなことで
例えばじゃあ会社法みたいなことで
子供がいる家庭では必ずその業務を止めて
なんていうんですかね保育園に行かせてやるっていうのを
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制度として整えるとするじゃないですか
でも結局それ割り送ってるの会社なんで
で会社が割り送ると会社売り上げが下がって
じゃあ雇えないそんなリスクを背負ってまで雇えないよ
みたいな感じになっていくような気がするんで
会社にその負担を負わせることを強要するっていうのも
僕は会社をやってる身からすると
結構無茶な話な気がするなと思ってるんですよね
なんかその余裕があればいいんですけどね
まあでもそういう法律にしてしまったら
まあまあ別にそれはそれでいいんだとは思うんですけど
もうちょっとこうどう言ったらいいんだろうな
各個別の個人とか各個別の会社単位で解決するのだと
もうぶっ潰れるんじゃないかなって思ってる感じなんですよね
だからやっぱり社会全体で考えて
社会全体でそういう役割の何かを作るしかないとかになるなぁと思ってるんで
まあそうなってくるとやっぱり
コミュニティナンスとかそういう形になるのかなって思ってるんですけど
そうだから仕事を犠牲にするという感覚なくて
迎えに行けるような仕組みをってなると
その人は犠牲になってないけど会社が犠牲になってますからね
なんかね誰も犠牲にならないようにするには
どうしたらいいのかなっていうのは
簡単ではないんでしょうねと思いますけどね
そうそうでもう一個例えばじゃあ拡大家族の場合だったら
おばあちゃんが迎えに行くみたいな
ソリューションがあるじゃないですか
解決法があるじゃないですか
実際僕昔おばあちゃんと一緒に住んでたんで
僕がなんか風邪とかひいたら
おばあちゃんが迎えに来てくれてたんですけど
そういう方法もありますよねって言ったら
それに対してまたじゃあおばあちゃんの時間を犠牲にしてますよねっていう
ご意見をいただいたんですけど
なんか僕その時僕がちっちゃい頃と
おばあちゃんはもう働いてなかったんですよね
時間も余っていてで言ったら
ちょっと暇してるぐらいの感じだったんですよね
家でなんかこう自分の趣味やってるぐらいの感じで
やることないからまあわかんないです
僕から見たらですね
かもう子守りをずっとしてくれてて
家から出れないから仕方なくその時間潰ししてたかもしれないですけど
例えばそういう家庭もあると思うんですよ
そのおばあちゃんがいて
リソース余ってる状態みたいな
でその余ってるリソースをお迎えとかに割り当てるって
社会の最適化的にありだと思ってるから
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その言い方で言うと
おばあちゃんの時間を犠牲にするのが最適解だったら
そうした方がいいと思ってるっていう感じなんですよね
でもしこれがおばあちゃんが迎えに行くのが嫌で
もしくは例えば行きたいけど
やっぱりまだまだ自分の活動していて
例えば趣味の活動でもいいんですけど
なんかこう友達とお茶するみたいな約束が入ってるのを
それを諦めていくみたいな
その何かを諦めさすみたいなことが起こるんだったら
じゃあおばあちゃんじゃなくて
また何か違う方法とかになってくるなと思ってるんで
だからそのリソース誰が担うかっていうところに
両親や親族じゃないケースがどんどん選択肢として
上がってもらうみたいな方が健全だと思ってるって
逆に僕が空いてる時だったら全然行けるし
なんか誰かのお迎えとか
なんかそういうなんかは何ですかね
今余裕があるリソースで
何とかするみたいなものが
もっともっとできるようになったらいいのになとは思ってるんですけどね
またここに文化的な
なんかマインドブロックとか思想とかが入ってくると
ちょっと難しいなとは思ってますね
まあまあちょっとまたどっかでこれ
今何もまとめずに喋ってるんで
愛の楽曲工房なのか
新型オトナウイルスなのか
なんかどっかでもうちょっとうまく
僕の中の頭の整理ができたら喋ってみたいなとは思う話題ではあるんですけど
はいと思いました
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