1. 樋口聖典の世界
  2. 2023年振り返り 前編
2023年振り返り 前編

サマリー

今日は大晦日の2023年です。彼は車を運転しながら考え事をして、振り返っています。2023年の抱負は「許す」です。彼は次男の出産をきっかけに、自分の性格を変えたいと思い、許しの心を持つことを宣言しました。彼は自分の感情や他人の行動に対しても許しを持てるようになりました。彼は現金の使用や結婚式の御祝儀の渡し方について意見を述べています。お金に対する考え方や社会の動向についても語っています。お金が欲しいし、副業をしたいと思っている人たちの中には、実際にはそういうことをちゃんとやっていない人がいて、それが嫌なんです。ですから、それは彼の課題かもしれませんし、ここの課題だとも思っていますが、いい方向にも働くのではないかと彼は思っています。

目次

00:04
はい、今ですね、妻の実家から福岡市の自宅の方に向かって車を走らせております。
なんと今日は大晦日、12月31日ですね。2023年最後の日でございます。時刻は12時26分ですと。
まぁあの、ちょっと忘れ物をしたので、今一人で車に乗って家に取り替えてるんですよね。
なんで、まぁこの後また家に着いて忘れ物を取ったら、実家の方に戻るんで、おそらく
往復、まあ行きと帰りで2本撮りやるんじゃないかなと思うんですけど、まあせっかくなんで、大晦日
2本撮りで、まあその1本目みたいな感じで喋っていきたいと思うんですけど、
まあせっかく今年最後なんで、まあ振り返るわけじゃないですけど、なんとなく
まあ思い出してみようかなと思うんですけど、
ちなみに2023年の
2023年の抱負「許す」
抱負っていうのが、許すだったんですね、僕。
許すです。
まああの色んなこと許していこうと。
結構僕性格的にも、なんかこう1回決めたら頑固に絶対やり通すみたいなところが、
若干あるんですけど、固いというか、
やると決めたことはめちゃくちゃ固い。
で、そうやら、えー、
やらないと決めたことに関しては徹底的に、なんて言うんですかね、こう、
緩くすると決めたことに対しては徹底的に緩くする、
みたいなやるならやるやらないならやらないみたいな感じで
カチッとやらないと気持ちが悪いみたいな性格ではもともとあるんですけど
そういう今までのセルフイメージ的なものからも脱却したいみたいな欲求がちょっとあって
だから許すっていうあえて宣言することによって
その硬さみたいなものを解きほぐしていこうみたいな意味合いで付けたところはあったんですけど
きっかけはやっぱり次男のユイタがダウン症として生まれた時に
今までの方法だと到底無理だなってなったんで
もう臨機応変に行かないといけないし
決め事とかも常に暫定的なもので
その瞬間その瞬間で柔らかくしたり固くしたり
いろんな対応していかないと
そもそもリソース不足とか
いろんなリソースだけじゃないですけどね
いろいろあるんで
対応できないなっていうことで宣言するっていうことで
それをやっていこうっていうところもあって
そういうきっかけで付けたみたいなところはあるんですけど
実際そうですね
許せていると思います振り返っても
この辺に関しては
多分いろんな番組で喋ったような気がするんですよね
吉野完全人間ランドあやいの楽曲工房や古典ラジオなんかで
喋ったと思うんですよ
新型話したかなちょっと忘れてたけど
いろんなところで喋ってるんですけど
あえてここでだらだらと一人語りで
もう一回同じ話することにも意味があるのかなと思って
それも許そうかなぐらいの感じで
今喋ったらまた違う言葉でね
伝わるんじゃないかと思うんですけど
許してますね
もちろんなんかイライラしたり怒ったりするっていうことは
瞬間的にあるんですよ
もはやそれすらも許してるって感じなんですよね
これちょっと本題とはずれるんですけども
戦争というか大きな意味での戦争ですね
例えばいざこざとか喧嘩とかをしないっていうことと
怒らないっていうことって
全然ないんですよね
全然ないんですよね
全然同義じゃないと僕は思っていて
なんか怒らない
だから逆か
怒るけどいざこざは起こさないみたいなことって
同居できると思ってるんですよね
だから例えばで言うと
じゃあ僕と誰かが何かやってて
僕が誰か誰でもいいんじゃん
Aさんでいいですよ
Aさんという人と何かプロジェクトをやってて
何かAさんがやらかしたときに
怒ることってあると思うんですよね
これは何でもいいです
家族でも友達でも仕事でも
何でもいいんですけど
何かAさんに対して怒るっていうことがあったときに
なんか僕はこういう理由で
あなたに対して怒っているっていうことを
冷静に伝えることはできるじゃないですか
怒っている感情は別に隠さないでよくて
で怒ってよくて
で僕がこういう風な理由で怒っているんだから
この人に対して怒っているっていうことを
この感情をどうにかするためにまず対処をして
今後同じようなことを繰り返さないように
努力をしたいので何か方策を考えたい
っていうことを伝えることはできるじゃないですか
怒っていたとしても
でこれで怒っていたから
からむちゃくちゃに文句を言って
てめえこらって言って
でブチ切れて
今後関係を切ったりとか
まあなんか言葉の暴力をするみたいなことって
怒るっていうこととイコールじゃないので
まあまあちょっと話しとれましたけど
だからその感情はどう思っても
僕はいいと思ってるんで怒っても悲しんでも
僕はまあ比較的少ない方ですけど
例えば負の感情って何があるかな
劣等感とか嫉妬とかもあるだろうし
単純に生理的に嫌いとか
まあいろんな負の感情って
あのあると思うんですけど
僕はそれは消さなくていいと思ってるんですよ
感情っていうものはもうどう言ったらいいんやろうな
自分の意思とは関係なく自然発生するものなのであって
コントロール不可能な部分がかなりあると思ってるので
あの問題はその感情を計画性なく相手にぶつけたりとか
なんかこうそうですね
建設的じゃない方に使うっていうことをやった時点で
まあダメだと
でそれはコントロール可能だから
こいつ生理的に無理だなと思っても
お前
どっか行けよ目の前から消えろよって
言わないこともできるじゃないですか
それ言った時点で
言うか言わないかはその人が決めれるから
そこってコントローラブルじゃないですか
でコントローラブルな部分で
負の感情に対する許し
人に対して不利益なことをするっていうのは
その人が悪いと思うんですよ僕は
何の話だったっけ
まあいいや
だから
そういった意味では
別に負の感情が全くなかったとはもちろん言えないんですけども
えっと
許せてると思います
許せてると思う
はい自分の感情に対しても許せているし
何かそのトラブルの元になった事柄自体に対しても
この人はおそらく悪気があってしたわけじゃなくて
僕が何かやらついたり怒っている理由についても
なんというか
あのこの人が人格的に悪いわけではないと思っているとか
まあ
もしじゃあ人格的に悪いなと思ったとしても
その人と一緒にいるような環境にしちゃった自分が悪いみたいなところもあるから
なんか究極的には誰も悪くないというか
なんというか
はい
みたいな感じで思えてるんですよね
ほぼ全てのことに対して
自分の弱いところに対してももう一家で許せてるんですよね
なんか例えば絶対やるって決めたことをやらなかったりとか結構あったんですけど
例えば筋トレ毎日するって
いうのを
まあ子供と約束してそれ守れなかったとかあったんですけど
ちょっと
なんか
昔やったら結構それに対してすごい
嫌な感情になってたと思うんですよ
なんか自己嫌悪だったり
恥ずかしさだったり
なんか
めっちゃそんな自分嫌だなって
超思ってたりしたんですけど
今年はもうもういいかなみたいな感じで許せてるみたいな
はい
ところは
意識的にやりましたね
意識しないと無理だからこういうの
常にそのスイッチを入れておくというか
監視をしておくみたいなことはやったおかげで
だいぶそうできてるとは思うんですよ
ただ
それによってやっぱりいろいろ露呈したというか
僕の中でやっぱり
なんかキャッシュレス化が進まないっていう
のとか
あとペーパーレス化が進まないみたいな
なんかここに関して
信じられないぐらい許せないっていうことがわかったんですよね
なんか
最適化への欲求と許し
これはどっかで言ったんだ
確か愛の楽曲工房かなんかでこの話したと思うんですけど
なんかね
なんか
なんでこんなに嫌いなのかなと思うんですけど
おそらく
まあこれもいろんなところで言うと
言ってることなんですけど
世界がもっと
最適化してほしいという強烈な欲求がそもそもあって
世界の最適化のためには自由が必須
移動する自由が必須っていうことを僕はずっと言っていて
なぜなら
ハマるべきところにハマるためには
トライアンドエラーを繰り返して移動しまくらないといけない
例えば
自分に合う職業
自分に合うパートナーを見つけるときに
初めて
会った
仕事だったり
人だったりと
完璧に最適化されてるわけないと
僕思ってる
その確率低いと思ってるから
何人も付き合って
自分の特性とかを見極めた後に
多分
結婚するなら
そっちの方がいいと思うし
いっぱい仕事してみた結果
自分にはこれが合ってるな
こういう働き方が合ってるな
職種はなんかな
立場はなんかな
リーダー的な立ち位置なのか
自由に動ける的な立場なのか
一人なのか
組織なのか
みたいなところで
いろんなことを経験しないと分からないから
そもそも最適化するためには
いろんなことをやらないといけないし
その結果
ハマるところにハマるみたいなことが
十分だから
ってことは
現金の使用とキャッシュレス化
一個の職場でとか
一個の仕事でとか
一人の人と付き合ってとかだと
まずいと思うから
かなり
自由に動かないと
最適化できない
っていう感じで
っていうのはまず
根本的にあって
それ
なんすよ
腰が重いことに対して
だから僕は基本的に
マイナスイメージがある
でしょうね
なんかこう
やってダメなら
戻ればいいや
みたいな感じ
なんですよ
基本的に
だから
キャッシュレス
についても
なんかこう
使って嫌ならやめりゃ
いいんですけど
なんか
どうも
社会が
いい感じに
キャッシュレス
なんていうんですかね
環境を
使ってると思えてないんですよね
と言ったらいいんかな
ペーパーレスもそうですね
なんか一回
紙じゃない
風にして
でやっぱり
例えばじゃあ
社内の書類管理に関しては
ペーパーレスがいいよね
ってなって
ただやっぱり
なんか物を考えたりするときは
実際広い紙にペンで書いては
必要ねとか
なんか
なんだかんだやっぱ
ペーパーレス全部してきたけど
人に思いを伝える
例えば
手紙とか
年賀状とかは
紙の方がいいよねとか
あと
お金に関しても
全部キャッシュレス化を
しようとしてきたけど
やっぱり
お賽銭投げるとか
子供にお年玉渡すとか
お祝いを
手渡しで渡すみたいなところは
逆に
現金の方がいいよね
みたいなところって
なんか一旦経験してからやろう
と思ってるんですよ
社会が
キャッシュレス化を
だから僕結構その
キャッシュレスだ
キャッシュレスだって言ってるんで
現金すべて
なくなってしまえばいい
みたいなことを
思ってると思われがちなんですけど
意外とそういうことでもない
というか
なんか
どう言ったらいいんやろな
こんだけ
手紙が
この世から
なくなりかけているからこそ
手書きの手紙の価値が上がる
みたいなことってあるじゃないですか
もう普段のスケジュール確認とか
仕事の連絡とかが
メールやLINEで済ませるようになったからこそ
ここぞっていう時の
手書きがめっちゃ効く
みたいなことがあると思うんですよね
だから文化として
手書きだったり
紙だったり
現金だったりっていうのは
残ってよくて
だから
その一年に一回
現金でお賽銭を
一年に一回じゃなくてもいいですけど
神社に行った時ぐらいは
現金でお賽銭を投げるとか
本当に大事な人にお祝いを渡す時は
ちゃんと封筒に包んで
現金で渡す
みたいなことをする時に
普段現金使ってない方が
逆に価値が上がるわけですよね
僕は
だから現金という文化をなくせとは
言ってなくて
なんかこう
適材適所でちゃんと
今ここが現金が必要かどうかを考える
みたいなことを僕はずっと言ってるんですけど
だってコンビニで買い物をする時に
気持ちを込めて店員さんに渡す
みたいなことって
完全に無駄なんで
完全に無駄だと思ってます
どっちも嬉しくないというか
渡す方ももらう方も
そんなところに気持ち込められても
嫌なので
というか
社会の効率は
本当に
なんていうんですかね
もう金の受け渡しだけをすればいいので
例えばコンビニだと
それを現金にすることによって
ものすごい社会にロスが生まれるし
脱税の温床になるし
悪いことばっかりだと
お金の受け渡しと割り勘の問題
僕は思ってるんですね
あと割り勘するとかもそうで
今ね
年末年始
飲み会の時期だと思うんですけど
何人かで飲みに行って
割り勘するみたいなことあると思うんですけど
これ現金でやる
誰が得するみたいな感じがあって
だって渡したかどうかも分からないし
よくあるじゃないですか
何ですか
バーって
30人くらいいる飲み会で
紙にもらった人
チェックしていって
まとめて渡します
あのテーブル5人分なんですけど
みたいな
1000円札持ってなくて
満札しかない人がいたら
ちょっと待ってください今お釣りないんで
あと1000円札2枚
集まったらお釣り渡すんで
覚えておいてください
また後で来てください
みたいなやりとりが
心温まるものですかと思うと
クソでしかないと思ってるんで僕は
あとは
波数ですよね
本当は
3850円
なんですけど
もうちょっとめんどくさいから
3800円でいいよみたいな
その波数感じが
割りを食うとか
逆に
払いすぎるのも
嫌じゃないですか
なんていうか
嫌っつーかその
なんていうんですかね
もうなんか多めに取ってもらっとくみたいなのも
僕嫌なんですよ
それやったらもう
なんていうんですかね
漢字にいくら渡したいって決めて
全員で割ってそれを渡すみたいなことは
納得があるんですけど
たまたまもう多めに取ったから
それが漢字もらうって
めちゃめちゃ納得感がなくて僕は
もらう側も払う側も
とかもあるし
あと僕が再三
ずーっと言ってる
あの結婚式の御祝儀を
当日に現金で渡すっていう
クソみたいなバカみたいな
儀式はもう
悪しき慣習なんでやめてくれって僕は言ってるんですけど
あれ絶対前払いで振り込みの方がいいんで
はい
まあいいやもうそんな言い出したきりがないですけど
なんかそこを言う
なんかこう
だからなんなんすかね
あの
みんなで協力したらいい社会になるのに
協力しないやつが
満員してるせいで
なんか社会全体が
割を食うみたいなのが
本当に耐えられないというか
うーん
みんな困ってないから
格安支部とお金の節約
いいやじゃないんですよね
僕の中で
どう言ったらいいんやろな
ちょっとこれうまく言えないんですけどね
未だに困ってないから
いいやって言ってるやつ
マジで社会の害悪だから
出てってくれと思うぐらい
本当に
やらなかったやつなんですけど
なんかここに関しては許せないんでしょうね
うーん
許せないんすよね
うーんなんかこう
その人の立場に立てないというか
なんていうか
とかあれですね
なんか
あとあれとか
まあこれは許せないとまではいかないですけど
あのお金がない
まあないよとまでは言わなくてもいいんですけど
お金が欲しいな
お金貯めたいな
お金ってないよりあった方がいいなって言ってる人が
えっと
格安支部にしてなかったり
えっと
貯金が鉱山の中にあるのに
全く運用してないみたいな
のを見ると
もうゲロ吐きそうになるんですよね
なんていうか
でここも
僕はずっと言ってるんですけど
強い意思があればいいんですよね
なんかこういろいろ検討したり
情報を集めた結果
やっぱ格安支部にするデメリットあるんで
あのー
なんか格安支部にすると
毎月こんぐらい得すると
ただその代わりこういうデメリットがあって
その得を天秤にかけた時に
やっぱり市内を選んだやったら
僕はもう100点満点というか
全くそれを強制するようなことがないんですよ
だから格安支部が絶対にいいとは
全く僕は思ってないし
実際に格安支部を進めなかった人もいるんですよ
僕が
えーと
話を聞いた限り
あなたはおそらく格安支部にしない方がいいです
っていう判断をした人もいるぐらいなんで
はい
いいんです
だからそのそこに思想とか
一回ちゃんと自分の頭で考えたっていう
形跡が見えれば全く僕は
何も思わないんですけど
うーんなんか本当に
単純になんかこう
あーそういやなんか安くなるらしいね
まあまあ
いつかやり
なんか暇があるときにやってみたいんよねとか言いながら
あの日々の生活で
5000
1000円とか2000円とかをケチろうとしてる
人とかを見ると
そこの整合性の取れてなさに対して
なんか
頭クラーってなるんですよね
なんていうか
いやそこ
あなたがそのケチろうとしてる
その1000円2000円って格安支部にするだけで
毎月
5000円ずつぐらい得するときに
するんですけど
なんでそれは
やらないのにその
ちまちま例えばポイントを貯めてとか
なんかこう食いたいものを
ちょっと我慢してこう
金銭との関わり方について
数百円浮かしてみたいなことをやってるんですかみたいな
その費用対効果って本気であなたが頭で考えて
判断したものなんですかっていうことに対して
ちょっと血の気引いてくるんですよね
なんていうかはい
とかもあるし
あとはその現金を銀行口座の中に貯めていて
運用してないとかいうのも思想なくやってる
のを聞くと
これも同じように
あってなるときはあるんですよね
なんかこう
てんすかね
なんかやればいいだけなんじゃないですか
こうなんか多分一重もかかんないですよね
例えばその
格安チームにするときはちょっとお金かかるんですけど
じゃあ積み立て
なんかニーサとか
別にもうあんまり勧めないですけど
投資型のとか貯蓄型の保険とかでもいいし
なんでもいいんですよ
なんか国債買うとかでもいいし
なんていうかこう
まあイデコでもニーサでもなんでもいいんですけど
現金でストックするよりも
お金が高確率で増える
こうってあるじゃないですか
実際ニーサの枠で株式を買うとかだと
もちろんリスクが合わさるんで
リスクを考えると
現金の方が自分がリスクが少ないと思ってるんやったらいいんですよ
なんですけど
例えばじゃあ国債でいいやんとか
じゃあ日本円で日本の銀行に預けるよりも
なんか海外の
なに?
の?
口座とかに預けた方が
利回り出るよみたいなとこってあるじゃないですか
なんていうかそういうのを思想なく
こだわりなくやってる
で大事なのがそこにもちろんリソース使うんで調べてやるっていうのが
結構リソース使うんで
どう言ったらいいんやろな
そこに金と時間使うぐらいやったら
自分がやりたいことをやりたいから
もうそれは考えないということで
コストを張ってやるっていうのが
コストを払ってでも
無駄な
自分の人生にとって
重要じゃないことに
リソースを使いたくないっていうとこまで
考えた結果
資産運用に興味を持たないっていう
判断をしてるんやったら全く問題ないです
ちなみに
だからもう簡単に言うと
そんなはした金取るよりも
自分が今社会のためにやりたいことをやってたりとか
なんて言うんですかね
もう他に重要なことがあるからっていう判断をしてるんやったら
もう全く僕は文句はないし
なんでもないんですけど
なんかお金欲しいし
なんか副業とかしたいんよね
みたいなことを言ってるやつに限って
なんていうか
そういう足元ちゃんとやってないみたいな
この整合性の取れてなさに対して
もうなんか
なんなんやろな
合理性のなさみたいな
というか
浅はかさというか
うーん
本当に
嫌なんですよね
なんかそういうのが
うーん
まあだからここ結構僕の
なんかの課題かもしれないし
もしかすると逆に
ここ僕の
ある意味
良い特性とも言えるなと思ってるんですよね
で例えば
あの妻とかは
実は結構そういうタイプの
タイプやったんで
自己分析と許容
あのお金は大事やし
貯めたいし
もちろん子供のためもあるから
あのお金を無駄
なんていうんですかね
お金に対して関心ないとは
全く思ってないんですけど
でもなんか運用とか
ちゃんとやってなかったんですよ
なんでじゃあもう興味ないんやったら
俺がやるわって言って
妻の口座を僕が解説して
僕がニーサ登録して
でジュニアニーサとかも
全部僕が登録して
妻の資産運用とかを
もう僕がやってたりするんですけど
なんかそれをやることに対して
一切のストレスがないんですよね
むしろやらせて欲しいと思ってる
というか
で例えば僕の相方の
阿部木孝也っていうのがいるんですけど
彼もそういうのを調べて
自分で判断するみたいなものが苦手なんで
僕が全部教えて
その通りしてもらったりするんですけど
例えばまたこの間
親戚とか集まった時に
やってない人いたんで
もう僕がやってるんですけど
僕全部教えて
もうこうしてこうしてこうしたら
こういう確率でこんだけ増えるから
やってみたいなこと
全部レクチャーしたんですけど
ここのレクチャー部分に関して
ストレスが一切ないどころか
むしろやりたくてたまらないと思ってる
って感じがあるんですけど
これはある意味
怒りとか気持ち悪さみたいな
負の感情から来てるものとはいえ
やることで価値があるじゃないですか
少なくとも僕の周りの人間に対しては
それで得する確率が高いから
実際妻の資産も
それでめちゃめちゃ増えてるんですよ
めちゃめちゃっても
なんか数十パーセントですけど
増えてるんで
なんか僕のこの特性によって
少なくとも自分の周りの人に
メリットを享受してもらってるって考えると
まあ課題とは思いつつ
まあいい方向にも働くのかな
と思ってはいるんですよね
だからそういう意味では
この許せないっていうとこも
一個上のレイヤーから許してるかもしんないですね
なんか本当に許すという
なんて言うんですかね
理念を完璧に完遂しようと思ったら
ここも対処してるはずな
僕どうやったらこれを許せるかっていうことを考えて
ずっと自己分析をして
許す方向にも無理やり持ってってると思うけど
結局12月31日まで
この感情を許せなかったっていうことに対して
僕は別にいいやって思ってるかもしんないです
なんか堂々と
そういった意味では
本当に許せてるのかもしれないなと
今ふと思いました
なんかこれ今今年初めて思いました
これを
って
いう感じでしたね
はい
まあまあじゃあちょっと続きは
また帰りに喋りたいと思います
はい
27:32

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