でそれを仮に50歳だとした時に75歳まで25年間あると思うと 結構長いなっていうふうに思いまして本気でキャリアプラン考える必要があった
改めてその時思いましたね36、7歳の頃ですと それがまず一つのきっかけでした
ちなみに私がいた銀行は出向とかあるような銀行ではなかったんで 逆によりキャリアが描きづらいっていうのもあって
でちょっと漠然とした不安があった中で僕の周りの人の動きが結構興味深くてですね
で一人は大学院時代の同期なんですけども 大手会社に大企業誰も知ってる大企業に入った後にコンサルティング会社に転職して
でその後スタートアップ会社に複数働いてて でたまたま会った時にですね最近何してるのと聞いたら今フリーでやってるって言って
てちょっとびっくりしたんですよ その当時時僕の周りにフリーで働いてる人がいなかったんでそもそもフリーって何みたいな
感じだったんですよね まあいろいろ個人事業だし
でや個人でいろんなところからコンサル受けてみたいな たまたま僕は
融資まあの銀行の時に働いてた取引先があったんですけど 今も上場してるデカい企業会社なんですけどもそこの会社でから業務委託でやるかもしれない
っていう話もされててじゃあもしかしたら一緒に仕事するかもねみたいな感じの時に フリーランスってなんかすごいなっていうふうに
まあ純粋に思ったんですね自分やっぱり 銀行という大きな傘を下に
いた中で そんな道もあるのか一つ目
もう一つはこれも大学院の同期なんですけども 彼はですねあの普通に最初シンクタンクに入って
でまぁその後ですね 一瞬公務員とか3年ぐらい人気付きであったりとかする中で大学院卒業して11年
ぐらいた時に あの彼が博士号を取ったんですよね
あーそれはえっとはい専業っていうかえっと博士課程入って仕事はしなかったのか 仕事しながら
仕事しながらですね仕事しながら あの博士課程に入って2年ぐらいで博士号を取ったんですよ
2年ぐらいで博士号を取る理由も秘密もカラクリもあるんですけども 博士号って大した授業とかないんですよね
本当にもう週1とか2ぐらいなんですよ 基本ずっと論文書いてるんですよね
でその論文が名乗るトップジャーナルと言われる世界の学術誌ですよね それに何本掲載されるかみたいなところで
博士号としての実績がほぼ決まってきて 例えばトップジャーナルに3本載ったらですね
博士号多くの場合経済学では取れるんですね そのトップジャーナル3本
トップジャーナルじゃなくて有名雑誌 いわゆる査読月と言われる学術系雑誌ですよね
で査読という名の通りプロの研究者がチェックをして これは価値のある論文だねっていうのをオッケー出てやるのが大事なので
大学の企業とかじゃ無理なんですね ちゃんとした学術誌 それに3本塗るっていうのは簡単そうですごい難易度高いんですよ
彼はそもそも収支論文 自らの収支論文を卒業した後に論文投稿して 査読月の論文もらったし
10年間ですね土日彼をコツコツコツコツ論文書いてて もうすでに博士号に入るときに多分3本ぐらいパブリッシュ
ジャーナルに学術誌に投稿されてた状態だったんですよ だから博士号入ったら比較的もう実績あるんですよ
すでにもう論文書いてあるからみたいな なので比較的博士号取れたっていうのは僕の中で結構衝撃で
何ていうか働きながら博士号とか取れるんだみたいなのもあったし 僕もすごくそういう元々経済学に関心があって研究者になりたかったんで
そういう道もあるんだなっていうことにすごく衝撃を受けましたね 刺激を受けたといいますか
で自分の人生30だ当時なぁとかですけども 75まで働くとなるとあと40年あるなと
結構長い でもまあ自分の一つの目標だった
例えば論文書くとか本書くとか 博士号を取るみたいなことはチャレンジしたいなっていう
気持ちがあってそれでちょっとその会社辞めようかと考えたという感じですね
なんか 例えば会社いたまま会社というかその銀行にいたまま今行ったことをいくつかその目標とか夢を
やるっていうことはやっぱいろんな理由で難しいなって思ったってことですか あのそこまあ確かに確かにあったんですよ
で私あのたまたまですけど2010年ぐらいからですかね あの水穂学術論文っていうのが毎年あるんですね
検証論文ですね 水穂です 水穂銀行がスポンサーになってる
水穂グループがスポンサーの水穂学術検証論文っていう論文大会が毎年あるんですよね
でそれ私あの30歳ぐらいの時から毎年応募してたんですよ
あれですねあの小説の大賞とかに小説志望の人が出すみたいなのにちょっと似てます
それに近いですね であの35歳までって決まってるんですよね
厳しい35歳の壁っていうか そうなんですよそうなんですよ
怖いな はい であのまあ僕はもともと研究者になりたいっていうのも昔からあったんで
で当時付き合ってた今の妻ですねからこういう水穂のなんか検証論文あるしせっかくだしから出してみればっていうふうに言われたんですよね
でまあ僕もやっぱりそういう目標ないといつか書きたいと思っても書かないじゃないですか
で出したらたまたま一番最初のが3等に優勝したんですね
でまあ検証論文なり15万とか賞金もらえるんですよ これが覚えてますけど毎年
1月の第2月曜の翌日なんですよ 締め切りが成人の日の次の日なんですよ毎年
だから大学生とかの卒業論文とかに近いぐらいの 締め切りですね
逆に年末年始の後なんで年末年始を継ぎ込んだら毎年書けるんですよね
なるほどなるほど でまあよくたまたま最初の年3等に優勝して
その次の年も書いたんですよ でまあそういう感じで結局そっから毎年書き続けたんですよね
だから6回ぐらい書いたんですよ 妻もそんなに書くと思わなかったらしいですよ最初気軽に1回出せばって言うとまさか
毎年書くとはみたいな感じで思われて つまりだから30歳ぐらいからその年齢制限締め切り35歳ぐらいまでずっと毎年書いてた
そうですねで僕たまたまその3だからだから5回6回か7回多分出したんで29
じゃあ29ぐらいから書き始めたそうですねで毎年出してまあ入賞したとしてもあれば しなかったとしても当然あるんですけど
で一番最後35歳 最後のその締め切りこれが最後です僕の年齢で
なんかドラマチックっすね そうですよしかもそれまで確かね3年ぐらい連続ね毎回落選だったんですよ
何も入賞しないのは続いたんですよね じゃあ初年度は入賞しておこれもうすぐ上行けるかなって思ったら意外と落選が続いて
しまう続いたんですよなんかいいですね で最後出しっていう時にテーマが日本の財政問題っていう
テーマ日本の財政というテーマだったんですよ それ今ごめんなさいテーマは与えられてるんすね
与えられてます与えられてますそうなんですよ 自由作文っていうか自由論文じゃないんですね
なるほど毎年だからテーマが与えられてるんでそれに対して調べて出す感じですね
で最後のテーマが3つあるんですよ3つから選べるんですよ アベノミクスみたいな年もあれば金融政策とかデフレとかいろいろあるんですね
その年の流行りですよね で僕は最後の年は日本の財政を選ぼうと
でまぁ財政またちょっと一から調べてですね財務省のホームページとか行ったりして調べる中で
日本のやっぱりその国家予算100兆円ぐらいあるんですけどあれの中での どう考えても一番インパクトの社会保障費なんですよね
割合と大きいのがここを何とかしないとそもそも財政問題っていうのが国際増え続けて難しいよねっていう
はいなるほど議論にあたってその中でやっぱりその年金時給を遅らせる75歳まで働けるとか長く働ける社会どうすればいいか
今では例えば6人で一人の若者を支えてたのが 少子高齢化で逆増
一人の若者ってか6人の若者で一人の高齢者 失礼します失礼します失礼します
あのいわゆるそのね不可方式なんで年金積み立てた分っていうのが高齢者に行っておっしゃるように5、6人で
若者で一人の高齢者を支えるっていう構図だったのが 逆ピラミッドになってくると
高齢化すんで2、3人で一人と支えるみたいな感じになってきて 難しいとこれどうすればいいんだっていう時に一つは年金受注年齢の引き上げっていうのがあって
今でもされてますもんね 今されてますまさにです
昔って60だったのが65になり67になりみたいな感じで少しずつ上がってますよね
でなんか70歳から自分から怒らせるとかでもできるんですよ確か
いろいろありますよね
っていうのがある問題ともう一ついわゆる労働市場の流動化っていう話だったんですね
すなわち転職とかしやすいなぜかというと長く働ける社会が大事ですねっていう風になってくる
年金頼れないっていう話になってくる
でたまたまそのタイミングでリンダグラットンのライフシステムも流行ってる
人生楽年時代だ
でそういった中で自分も長く働けるような土台作りをしたいなと
そういうことを論文で書いちゃったんですよ自分で自ら
パラレルキャリダーが書いてたんですよね2010年の頃
そうすることで労働の流動化するし長く働ける仕組みっていうのが大事になってくるんじゃないかみたいなことを書いて
それが日本の財政問題の一つの解決の道ですみたいなことを書いて
たまたまそれが3党入賞しちゃったんですよね最後に
入賞おめでとうございます
でやっぱそれが2017年1月ですよそれを自分で書いたからには
実践しないとちょっと気持ち悪いなっていうのってやっぱすごくその分野に関心持ったんですよね
なるほど
長く働くしどうせならやっぱりねもう博士号とか無理とか思ってたけども
はいはい
すぐね一緒に勉強した研究した仲間がもう取ってるみたいな感じになると
すごい刺激受けて
うん
でさっきのまさきさんのお話ですね銀行にいたままじゃできないのかみたいな
で確かに論文書いたりもしたんですけど逆の発想で
長くいればいるほど多分抜けれないなと思ったんですね
うんうんはい
会社から
なるほど
なぜかというと言ってとはいえ就寝雇用年功序列の空気が残ってるんですよね
うんうんありますよね
はいで給料もなんだかんだ毎年上がってる感はあるんですよ
うんうんありますよね
それが10年後5年後あと5年後5年頑張った時に5年給料が上がった時に
辞めれるんですかってあったり
子供が当時1歳と4歳でしたけど
はいはいはいはいはい
小学生とかね中学生になった時にある日お父さんちょっと会社辞めるわってこれ無理でしょみたいなっていうふうに思って
なるほどそういうことか
で辞めるなら今かなっていうので当時30とか7歳で辞めたという背景です
奥様も同じ銀行に勤めていらっしゃったんでしたっけ
そうですだから正直僕辞めるのは結婚して子供当時2人いたといえど
妻も銀行だし僕リスク取らせてくれというそういう相談しましたね
2人の収入が例えば5050で100になったらそのリスク取った結果下ぶれしたら50が僕は20になっちゃうかもしれないけど
2人合わせれば70あるからすぐ死にはしないよねみたいな
そうですねそういうまさきさんとは結構逆ですね家族はあったんですけど逆に妻の収入もあったのと
妻自体が結構自立性が高い人で僕の収入に頼って生きていくっていう発想はそもそもない人だったんですよ
素晴らしい
で僕が言ったのは僕の場合はどっちかというとまさきさんとは結構逆なんですけど
毎月マネーフォワードで自分の都市屈財産を把握するタイプなんですよ
でもそれ前のあのね投資の回でも言ってましたよね結構こまめにマネーフォワード見てるって
見てるっていうで毎月先月の差額とかを見たりして
でなんていうかその給料とか貯金だけだと減った増えたわかりやすいんですけども
結局毎年積み立て答申毎月積み立て答申をしてるし
積み立て答申が上がったり下がったりするじゃないですか
だから純粋に同市産業増えたかっていうのがちょっと把握しづらいんですよね
今とかってすごい下振れしてますからその株価が当然僕の資産も下がるっていう風になって
するとまあネットで言うと貯金増えたとしても総資産が減ってるって当然あり得るんですね
あり得ますね
それもある中で3年ちょっと頑張らせてくれと妻にですね
3年当時37歳です3年無理だときっぱりそういうことは言わないと
あのもう企業選手としてサラリーマンとして生きるために働く頑張りますと
まあ同じ銀行に戻れるかはわかんないけどまあどっかの会社には入るよっていうことですよね
そうですねどっかの会社に入るしまあ培ってきた多少の金融のノウハウがあるんで
同じ銀行に戻れなくても別の会社でどっか拾ってもらえるだろう
それ給料は下がるかもしれないけど完全に労働に舞うっていうのは確率は低いだろうと
だからスタートアップでちょっと新しいことをやりたいし
今も僕思ってるんですけど大学院とか行ってちょっと学び直すみたいなそういう期間が欲しいと
でそのために僕もまさきさんに近くてあんまりお金とか使わなかったんですねそれまで
であの持ち家派でもないので賃貸派で
で僕お酒とかタバコとかはあのやらないですしギャンバルもやらなくて
まあそういうわかりやすいお金がかかる趣味みたいなのがなかったんで
なんでそういうふうに妻言ってで妻は是非と
おー素晴らしい
当時嫁ブロックっていう言葉今でも言いますけど流行ってましたけどね
あーありましたねまあ今はすがすがにねちょっと時代的に少し減ってきました
言葉としては減ったと思いますけどまあでも現実問題としては
そういう感情を持っている人は結構いるんじゃないかなと思います
そうですねというのがあってやめたという背景ですね
うーんなるほどまあじゃあ今いろいろお話ししていただいた通りで
まあそのお金に関しては見てるっていうのもあるしその奥様の収入っていうのもあるし
まあお金っていうのも含めてだけどそもそもその家族の理解っていうのも得られたというか
まあきちんとねご説明されたっていうのももちろんあると思うんですけど
まあその熱意とかも含めてじゃあ頑張ってっていう感じになったっていうことですよね
そうですねそれは本当にありがたい話でしたねはい
うーんじゃあそれよしじゃあ銀行辞めるぞってなって最初からその仕事っていうのはあったんですか
あのまあそういう意味では僕の場合まさきさん違って完全フリーランスじゃなくて
GOBインキュメーションパートナーズって今でもトリティマリックCFOですけども
そこの会社にあの半分入るかつフリーランスみたいな形だったんですよ
あーなるほどなるほどはいはいはいそうかそうか
そのまあ代表の山口さんとはまあ今から10年前2011年ですかね
2011年からまあもともとシリアでいろいろプロジェクト手伝ったりとかまさきさんと同じく
他は無報酬でしたけどもまあプロジェクト手伝うみたいなことやってて
で半分誘われてたんですよいつだったら打ち込むのみたいなことずっと言われてたんですよね
あーなるほどで2018年になった時に2018年の1月ですよ今でも覚えてます?
あの日本橋で山口さんとちょっとランチかな朝食ランチ食べてちょっとGOB入りたいですって言って
ただその僕としては複数のスタートアップ企業の支援とかをしたいから
10秒もちろんやるけれども他でもそういう働き方をさせて欲しいと
その分給料は低くていいですみたいなことを山口さんに言ったらもう是非是非みたいな
むしろ大歓迎だからっていうので非常に理解になる
かつまあ僕自身が取締役だったんで取締役っていわゆる就業規則が関係ないんですよね
ですねはい
なのでそういうのもあったりして入って
だから給料自体は銀行員自体から言うと半分ぐらいになりましたよね
そもそもGOBでも抑えている水準ですから
ただとはいえ最低限のGOBの収入はあって
そっからプラスでいくつかスタートアップの支援をしてっていうそういうスタートでしたね
なんかその代表の方との話がまとまってからじゃあ会社を辞めたって感じなんですかね
ままとまるほど議論してないですけどねまあ本当に一回飯食ってじゃあその方向でと
まあまあまあまあまあじゃあそこでその収入というかまあ最低限のというかまあコアでというかまあ一個できたからいうのはあったってことですね
そうですねはい
じゃあその後そっからだからもうちょうど4年ぐらい経ってるんだと思うんですけど
そうですねもうそこまでですね
去年その法人作られたりしてるからまあフリーランス期間と法人になってからっていうのまたちょっと動きは違うと思うんですけど
実際なんかその仕事が思ってたより入ってきたとかまあ売り上げというかそれって思ってきたより多かったとか少なかったとかなんかあります?
そうですねやっぱりあの仕事自体は思ったよりも声描きをいただいたっていうのはありがたかったですね
すごい
はいでまあ2018年ですかねまあスタートアップがすごく盛り上がり始めてきた僕は印象のギリギリのタイミングだと思うんですよね
今ってもう明らかにもうニュースよく出るぐらいのやってた調達バンバンニュース出てる感じで
2018年もまあその傾向はすでにあった中でやっぱCFO人材みたいな人が結構スタートアップで足りてなくて
あとCFOっていうのを一応補足しておくと最高財務責任者だからまあその会社の財務ですよね
お金をどう上手く調達してきて上手く使うかとかまあそこら辺に責任を持つっていうことですよね
そうですねでそのあたりっていうのがたまたまなかったのと僕自身まあ言ってGOBで取締役CFOで収入があるのと
まあ言って銀行にいたとはいえど事業会社のCFO業務は実績はなかったんで
ああまあ確かに
そういう意味では自分の価値自体もどう提供できるかってすごい試行錯誤だったので
比較的低い給与低い報酬水準でも構わないんでっていうような感じでいくつか受けさせてもらってたという感じですね
なるほどなんかそれってあれですかねえっとなんか低まこれフリーランス話よくありますけど
ただとか低い報酬の受けるのは良くないみたいな話もあるじゃないですか
ありますね
僕も一定程度真理は含まれていると思うんですけどまあそういうのはあんまり気にならなかったって感じですかね
あのそうですねやっぱり僕自身はそこがやっぱり自分の中でもいわゆるよくあるプロダクトマーケットフィットに近しい
マーケットフィットするために自分がどういう価値提供できるのかっていうのをそんな言語ができてるわけでもなくて
あんまり明確じゃなかったのでただ手伝えることはあるという感じだったので
最初給与低めだったのとあとは知り合いの方からアドバイスもらったのが最初からですねフリーランサーで報酬上げすぎると
払い主の方からすると委託先からするとこんだけ払ってるんだからこれもやってもらえないと困るみたいな感じの雑務がすごい降ってくるから
あ面白い
あんまり上げすぎない方がいいよって言われたんですよ
面白いっすね
確かにと思ってでそれ僕実際にそのアドバイスを聞いてそうしたんですけど分かったのは
報酬が高くても低くても雑務は降ってくるのは分かりましたね
オチとしていいっすね
低くてもあるんだみたいなのはなるほどと思いましたね
会社によると思いますけど