1. 樋口聖典の世界
  2. 頑張れ、頑張る
頑張れ、頑張る
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頑張るっていう言葉ってすごい不思議だなぁと思うんですけども、なんか頑張れってよく人に言うし言われるじゃないですか。でもなんかね、よく言われるのが、なんか頑張れって言われたくないみたいなことってあるじゃないですか。
多分これを聞いてる人の中でもね、頑張れって言葉にちょっとんって反応する人はいるような気がするんですけども、なんかこれってどういう心理状態なのかなーっていうのを考えるんですよね。
ちなみに僕自身で言うと、頑張れって言われて、引っかかるようなことはないんですよ。心にんって引っかかるようなことはないんですけども。
要は頑張れって言われてんって思う人って、多分今自分が頑張ってないと思われていて、これ以上はもっともっと頑張れって言われてるような気がするっていうことでんって思うと思うんですよね。
あとなんかいっぱいいっぱいなのに、これ以上業務量を増やしていいのか、活動量を増やしていいのかなーみたいな。増やせって言われてるような気がするみたいなところでんって思うと思うんですけども。
全然思ってもいいんですよ。思ってもいいんですけど、優川の気持ちになって考えてみると全然引っかからなくてよくなるんじゃないかと思ってるんで、その提案をしてるんですけども。
優川って、優川が頑張れって言うときって、お前頑張ってないじゃないかっていう含みを持たせることってほぼないような気がするんですよ。9割くらいないと思ってて。
で、皮肉とかで言うことはあるかもしれないし、明らかに知った激励で、お前頑張ってないじゃないか、もっと頑張れよって言うときはあるんですけども、99%なんかこうファイトをぐらいの感じで、なんかあと応援してるよぐらいの感じじゃないですか。
だからこれじゃないですか、応援してるよぐらいの感じなんですよね。たぶん頑張れって言うので。で、応援してるよの中に、今を否定する要素って全くないじゃないですか。
でもなんかこう頑張れって言うと、今否定する要素が入るように受け取り側が感じてしまうっていうことが、なんか受け取り側の問題だなと思ってるなーっていうのはちょっと今。
頑張れって言葉について考えてて、なんかそんなことを思ってるんですけども。
とはいえね、難しいですよね。いじめ問題と同じで、いじめてる側はいじめてると思ってないのに、言われた側がいじめと思ったらもういじめですからね。セクハラもそうだし、パワハラもそうなんで。
まあ言われる方が嫌だと思う可能性があるんだったら、この言葉は使わない方がいいなとは思うんで。
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まあそうやって多分言葉はなくなっていくんだろうなと思うんですけど。
まあまあまあ、別に何かそれがいいのか悪いのかわからないですけど、そういうもんだなと思いながら。
でですね、今は頑張れの表面的なコミュニケーションの中での頑張れっていう言葉についてちょっと軽く話したんですけども。
とはいえ、真の意味での頑張るっていうことについてちょっと思うことがあってというか、
昨今なんか頑張りすぎない方がいいとか、無理して頑張らない方がいいみたいなことってやっぱりよく言われるようになってきてると思うんですね。
なんか仕事も恋も人生も頑張りすぎない方がいいよみたいなことって結構定説化されてるというか。
昭和の時ってやっぱゴリゴリ頑張れやみたいなそのマッチョな体育会系の感覚というか価値観の人が多かったような感じなんですけども。
なんでこうなってきてるのかなーっていうことをちょっと考えたんですよ。
それで言うと、頑張れっていう言葉って、今じゃないところに行けっていう意味だ。
頑張るっていうことって、今じゃないところに行くっていうことなんですね。
今足りてない部分を課題解決して目標にたどり着くっていうことのために頑張るじゃないですか。
それで言うと、昭和の時代の価値観ってやっぱりレールが薄く見えていたと思うんですね。
あっちに行けば幸せが見えている。
今よりも頑張ることによってそこにほぼ確実にたどり着くことができるみたいな大前提があって、
そこに向かって走れっていう感じの頑張るだったと思うんですよ。
今って頑張ることイコールいいとは限らないみたいなことって、
それに比べて今進んでいるレールが正解かどうかわからない状況が増えてきたからっていうのがかなりあると思ってて。
一番ピンとくる例というか、世間で言われている例がやっぱり仕事と練習ですかね。
なんか必死に新卒で入って会社で頑張ってると、ほぼ部落企業のような働き方をしてて、
精神を病んでてもやっぱり頑張ることがいいのかどうかみたいなね。
それで頑張ることが良くないかもしれないって思うのって、
やっぱりそのレールの先に幸せがないかもしれないっていうこととほぼ同義だと思ってて。
だから頑張らなくていいってどういうことかっていうと、
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その先にゴールないかもよっていうことだと思うんですね。
頑張らなくていいっていう根拠というか、分解して考えるとその中身というか、
つまり頑張っていい条件っていうのが僕あるんじゃないかなと思っていると。
そこから逆で逆算して捉えると、
頑張っていい条件、頑張ってはいけない条件っていうのがあると思っているんですね。
これはやっぱり何かっていうと、レールを自分で設定したかだと思うんですよ。
つまりその先に確信があってもなくてももはやしょうがないんですけども、
っていうか確信があるとか無理だと思うんで暫定的なんですけども、
そのレールの先に自分が目指したいゴールがあるとまず今の時点で思っていて、
それを選択的に選んでいるかどうかっていうのが、
僕これ頑張っていい条件なんじゃないかなっていうのをちょっと思ったんですね。
そうなんですよ。
だから逆に言うと、もうちょっと分解して考えると2つ条件があると思うんですよね。
1個はまず選択肢があることですね。
やっぱり選択肢がないと、今いるところが本当に自分で正しいのかどうかっていうことすら考える感覚にならないと思うんですよ。
仕事もそう、住む場所もそう、働き方もそうなんですけども、
まず自分が今いる場所とか自分が決められた条件じゃないから、
自分が決められた条件じゃないものを知っておかないと選択肢って頭に思いつかないじゃないですか。
知っていても実感を得れないみたいな、なんかこうあると思うんですね。
それがまず1つ。
その上で自分の意思で決定したかっていうのがあると思うんですよ。
いろいろ選択肢がある中で、誰かに決定させられたらやっぱり頑張れないと思うんですね。
これで自分の意思で設定しておくと、もはや頑張るかどうかも自分自身の決定になるんですよ。
今僕、あんまり頑張らなくていいと思ってないんですよ、自分に対して。
頑張りたいと思ってて頑張ってるんですけども、これなんで納得感を得れてるかっていうと、
自分でいろんな選択肢の中でこの選択をしてるからなんですよ。
はっきり言ってコテンラジオとかって辞めてよかったし、そもそも始めなくてよかったんです。
誰にも言われてないんですよ。
僕がその選択肢を見出して、それでここに進みたいと思って選択してるんですね。
新型オートノビルスもそうですし、そもそも今やってるいい金パレットもいつでも辞めていいんですよ。
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なんですけど、僕がやりたくて自分で選択してやってるんですね。
だからなんて言うんですかね、納得して前に一歩一歩進めるっていう。
これって真実の愛みたいなことにも実は僕の中で繋がっていくんですね。
鎖に繋がれてる状態って本当に幸せかどうか分からない状態で不幸になってると思うんですよ。
だって鎖に繋がれてるって不幸じゃないですか。
でもすべてから自由で解き放たれた状態で、
自分で選択肢を辞めることができる。
自然な状態であることは人間にとって幸せだし、
それが人に対しても物事に対しても仕事に対しても真実の愛になると思ってるんですね。
なんかこれどっかで話したいなと思ってます。
まあ一旦今日はここまでです。
はい。
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