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こんにちは、marimari happy life のチャンネルへようこそ。このチャンネルでは、やりたいことをスルスル実現させていくようなマインドや行動についての発信をしていきたいなと思っています。
先日ですね、基地包囲取り、勇気取りとも言われるんですけど、救世鬼学っていうのをですね、最近学び始めたんですけど、
それで、基地の貯金みたいなものですね、自分で運気を上げに行く、掴みに行く、みたいなのがあるんですけど、その基地貯金をね、自分にとってその日良い方位に行って、
火の要素があるものと水の要素のあるものを取り入れるっていうのが、基地貯金なんですけど、ちょっと半分遊び感覚でですね、最近やってるんですけど、そこで自分にとってのその日良い方位に行って、
コーヒー飲みながら、感謝りと断捨離みたいなものをね、ノートにバーって書き出してたんですけど、その中でいくつかこう、深く考えずに思いつくままにね、書いていったんですけど、
すごく読み直してみて、すごくハッって思ったことがあったので、それを今日はお話ししたいなと思うんですけど、その中で一つ、
自分が手放したいなって思っていることっていう中で、頑張らないことは不誠実だって思っていること、思っていたことっていうのが出てきたんですね。
どういうことかっていうと、なんかこう、頑張ることってすごく良いこと、みたいな感じで、小さい頃からすり込まれていたりしませんか、
私はすごく、そういうふうに声をかけられたりとか、そういう環境で育ってきたなーっていう自覚があるんですね。
やっぱり頑張って何か成果を出すと認められたり、褒められたりするし、頑張ることって良いことだよ、みたいな、昔話の中とかでも出てきますよね。
ウサギとカメじゃないですけど、カメは足がウサギよりも遅いけど、諦めずに、サボりもせずに、休みもせずに、頑張ってずっとずっと前に進んでいったから、足が速くて、途中で休憩して寝ちゃったウサギにカメは勝てた、みたいなそんな話とか、
他にもそうですけど、頑張って努力してコツコツ続けると良いことがあるよとか、それこそが素晴らしい生き方だよ、みたいな昔話って日本には結構いっぱいあるじゃないですか。
だから頑張ることってもちろん素敵だなぁとは思うんですけど、だから頑張らないとその逆は真面目じゃないとか、誠実じゃない、みたいな感じに、少し前の私は強く思ってたんですね。
でもこれに対して、本当に?って思う気持ちを持つようになって、誠実にするとか、人に対しても自分に対してもそうですけど、誠実でいる、誠実にするっていうのは、頑張ること一択じゃないよなぁって思ったんですね。
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大切な人には笑顔でいて欲しくないですか?
あなたのためを思ってって言って、苦痛でいろんなこと耐えて苦しいながらも、頑張って、あなたのためにって言われても、あんまり嬉しくないじゃないですか。
自分の大切な人に対してはそう思えるのに、自分のことも同じように扱えているかなっていうのをすごく考えたんですね。
もちろん誠実でいるって素敵なことだなぁって私は思うんですけど、誠実ってそもそも何なんだっていうのもね深掘りしていくとまたいろいろあるんですけど、でも私にとって誠実であるっていうのはすごく、
そうありたいし素敵なことだなって思うんですけど、じゃあ誠実でいるっていうことは頑張らないといけないのかっていうのを考えた時に、いや別に頑張る。
もう無理やりちょっとストレスを感じたり、苦しい時はあるけど歯食い縛って頑張る、みたいなことが誠実なのかって考えた時に、いやそんなことないよなぁって思ったんですよ。
誠実にするって別に他にもあるよねって、楽に肩の力を抜いて、やりたいようにやって、それが感謝されて、その相手にとっても、あ、してくれてありがとうとか、こんな気づきをありがとうって言われて、私自身も全然楽しく、苦労はなく、楽に放っただけで。
その結果、感謝だったりありがとうの形でお金をいただいたり、お金じゃなかったにしても何か別の形でエネルギーをもらったりとかする循環が生まれたら、それってすごく誠実なお付き合いで、いい循環が生まれてるなぁと思ったんですよ。
だから、頑張らないといけないっていうのは、私が昔、勝手に決めた固定概念とか、そういうフィルターであって、頑張らないといけないなって、全然嘘だなぁって、嘘だなぁって言ったら変ですけど、っていうのをすごく書いてて思ったんですね。
自分が苦労したことって中には、私はこんなに苦労して乗り越えられたんだから、あなただってできるはずっていうのを押し付ける方っていたりしますよね。
子育てとかも、各世代でギャップがあったりとか、私たちの頃は大変だったんだから、今の人たちは楽よね、みたいなことを言ったりとか言われたりして、それに対してね、こう思ったと思った、みたいな論争がすごくあったり、SNS上でもあったりするとは思うんですけど、
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それってごく一部、自分が本当は嫌だったのに苦労して乗り越えたんだから、その苦労を他の人が体験しないなんてずるいって思う人もいるかもしれないですけど、その人って自分にとって本当に大切な人ですか?
とか、その人が自分の、私の幸せを願ってくれてると思いますか?っていうのを感じた時に、いや、そんなこと言う人って、私の人生にとって必要な登場人物でもないし、私の幸せに必要な人なのかっていうのを考えた時に、いや、そんなことないなって思いませんか?
自分が苦労したんだから、あなたも苦労しろって足を引っ張ってくる人が借りにいたとして、その人、自分の人生という舞台にいて欲しいですか?っていうのを考えた時に、いや、全然そう思っていただいても自由だけど、私はその考えは採用しませんっていう別の理を生きてるんだな、その人はっていうので離れればいいだけだなって思った時に、
じゃあ私も苦労して頑張って歯食いしばったから成果が出るとか、そうやって筋を通すことが素晴らしいっていうのは、いや嘘だわと思って。
伝わりますかねこれ、なんかうまくまだ伝えられてないかもしれないんですけど、でも本当にそうやって考えていった時に、私が昔、昔ってか本当につい最近まで、頑張らないといけないとか、頑張ることが素晴らしいとか、なんか頑張らずにただただ楽しいことをしていくっていうのは、
なんかこうだらけてるんじゃないかとか、不誠実なんじゃないかっていうのをすごく思っていたんですけど、いやそれって本当っていうのをね、こう改めて考えた時に、いや全然本当じゃない嘘やんそれと思って、いや楽しくて楽なことを採用していいし、楽しいの後が苦じゃなくていいなと思ったんですね。
2000は楽しいことがあったら、ああリフレッシュした分ちょっと嫌なこともあるけど、耐えて頑張ろう、その耐えて頑張ったご褒美として楽しいことがやってくるって思ってたんですけど、それも自分の思い込みだったなぁと思って、楽しいの後にまた違う楽しいが来ていいし、その後にもっと楽しいが来ていいんですよ。
でもそれを楽しいの後にはちょっと苦しいことが来るって思い込んでいるのは自分だし、その思い込みが自分の目の前に現実として現れているだけだなぁと思って。
これを聞かれていて、たぶん2年前の私は、いやそんなこと言ってもやっぱり努力しないといけないタイミングってあると思うし、とか思われるかと思えると思うんですね。
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たぶん2年前の私はこれを今私が話していることを聞いてそう思うと思うんですよ。
でもそれをそう思いたかったら、自分がそれを選択してそう思って、そういう現実を目の前にしたらいいと思うし、別にどっちが良いとか悪いとかじゃないと思うんですよね。
なので本当に自分の現実っていうのは自分がそういうフィルターを通して、自分の固定概念というフィルターを通して選んでいるその結果でしかないなぁと思って。
だから私は楽しいことの後に別の楽しいが来るし、もっと楽しいも来るってすごく思っているので、努力しないっていうのとはまた全然別だなと私は思っているんですけど、努力すら本当にやりたいことなら楽しいんですよね。
野球選手みんながそう思っているかどうかわからないですけど、プロ野球選手も自分のやりたい野球っていうのでプロとしてやっていって、もちろんずっと練習がニコニコニコニコ笑いながらする楽しいっていうのとは違うと思うんですよ。
いっぱい走り込みの時は苦しいと思う瞬間はあると思うんですけど、それはストレスがかかって嫌で耐えてっていう苦しいとはまた違いますよね。
体的な苦しいとか難しい頭抱えるっていうね、悩むわーっていう瞬間はね、どんなお仕事とかお仕事だけじゃなくてもあるとは思うんですけど、その苦しいともう心が悲鳴をあげる苦しいっていうのは全然違うと思うので、楽しいの後にはそういう次の楽しいが来て全然いいな、だから頑張らないっていうことは不誠実でもないしだらけてるわけじゃないし、
やりたいことを自分で自分の見たい世界を選んでいけるなって思ったお話でした。