1. 樋口聖典の世界
  2. 「勝つ」をしたくない
「勝つ」をしたくない

目次

ITINS LABOの経営企画会議
今は福岡市の知田区から北九州市、小倉クロスFMに向かって車を走らせております。
時刻は朝の9時13分でございます。
眠い。
しこたま眠いですね。
高速道路爆走中で眠くてしょうがないです。
おとといから昨日にかけて、ITINS LABOの経営企画会議を完全に部外者の僕と、マーケターと本人は言っていないんですけど、マーケティングにめちゃくちゃ詳しい阿部健と、後はさらにその後輩である悠慶君というのがいるんですけど、全員芸古大のというか、九州大学の芸術工学部の人間なんですけど、
その4人でITINS LABOの経営企画会議というのをやってきましたと。
まあその内容っていうのが、もともとコバがITINS LABOの生徒を2000人に達成させるためにはどうすらいいんやみたいなことを言い出して、で僕がアドバイスしてたところをもうプロに話を聞こうということで阿部健を呼んでみたいな。
で阿部健が悠慶君を呼んでくれたみたいなところなんですけど。
これがまあ盛り上がってですね。
結局朝があった。たぶん3時半とか4時とかまでやってたんじゃないかな。
夜中はそのくらいまでやって、でまた朝から10時くらいから続きやってみたいな感じで。
でたぶん計15時間。
そうねまあまあそのどうでもいい話もずっとやってたから計15時間ぐらい全部で喋ってたのかな。もっとかな。15、6時間トータル喋ってることになるんですね。
いや暑かったっすね。
でまあそのキャンプ行った土日からで月下でまた経営企画合宿ということで。
まあ体力の方が相当削られてはいるんですけど、まあ2つとも夜通し喋るみたいな感じで。
まあかなり楽しかったですと。
まあねあんまり中身の方は言うべきじゃない話もあるし、どうせ言うなら新型アトナウイルスで言いたいところもあるので詳しくは言わないですけど。
そもそも2000人行くためにはどうすればいいかっていうマーケティング的なところがあるんですよね。
何人が入ってきてその何パーセントがどこに行ってそこから制約っていうことになるからその何パーセントの制約率ってことはここをもっと伸ばしていった方が良くて、ここを伸ばすためにはどういう人がいるのかとか。
そういうかなり科学というかマーケティングの科学的なアプローチみたいなもので考えていくっていうのをやったんですけど、最後の最後安倍県がひっくり返してそもそも2000人行きたいのは何でだったっけみたいなところから小葉がそこに至るまでの理由みたいなものを聞き、
ってことは実は2000人行くことが目的なんじゃなくて本当の目的がこれなんじゃないみたいなことになって、でそっちを話し出すみたいな感じになったんですよね。
なんかこの辺のそもそも論のひっくり返しどんでん返しみたいなところが結構エモかったというか僕の中では心に残った点ではありました。
まあどっかでこの話もしたいと思うんでこうご期待という感じでございます。
周りの争いに疲れて
それはいいんですけどちょっと最近この話と全然関係ないんですけどもなんか僕の周りで争いというか何というか戦いが多いなっていうのがあってですね。
若干疲れている感覚があるなと思います。
なんかねもういろんなジャンルでいろんなところで争いが起きてるなっていうのがあって。
もちろんその知り合いレベルもそうだしテレビレベルテレビとかそのねなんていうか有名人同士のみたいなのも含めてですよ。
例えばガーシーがどうとかそのジャニーズがどうとかですねもうあとは中田厚彦松本人質問題がどうとかっていうのもありますし。
まあそのまあねシンプルに争いではないんですけどその家族間の関係があったりとかまあまあもう母親と樋口兄弟の関係ですよねがあったりとか。
あと政治に関する話も結構やっぱ最近いろいろ入ってくることがあって。
やれ誰が不祥事を起こしたなのやれなんかこう何人に言えない話がしているんじゃないかみたいなところですっぱ抜いてすっぱ抜かれてみたいな。
で匿名でなんかがあって誰が本当でメディアで誰がどう言っているのは本当はどういうマークがあるんじゃないかで金が実はこう動いてるんじゃないかみたいなことがもうなんか勝手に耳に入ってくるわけですよね別に興味がなくても。
なんかちょっと疲れたなあっていう感覚があってですねで東の僕自身は一切そういうところとはまあ距離を置いて制しているわけですよね。
でじゃあそういう争いに見えるような争い以外の部分で争いが全く起きていないかというともう例えばもしかしたらビジネスをやっているだけで構造的に争いに巻き込まれないといけないみたいなとこもあって。
まあ例えばマーケティングですよねでマイティングズラワーのマーケティングは別にそのそういう感じではないんですけどまあじゃあ例えばある地域の飲食店が生き残るためにみたいなでマーケティングをしたらその競合他社がこういうサービスをしているからそこに勝つためにはこうみたいなことを考える。
勝ち負けの世界観について
勝つためにっていう概念が出た時点でもう争いじゃないですかこれは目に見えない争いのように見えない法律違反をしていない血を流していない争いをやっているなと思うんですよね。
社内で営業成績が云々というのも争いだと思うんですよ同期のA君に負けないようにこうやって成績を出すみたいなものも結構争いじゃないですか。
A君が勝った悔しいB君A君に勝った嬉しいA君に負けた悔しいみたいな世界観も立派な争いだと思ってるんですね。
なんかこうそういう身の回りの戦い争い勝ち負けみたいなものを見ているとなんか最近心底ですねそのきついな争いとかなかったらいいなみたいな感じを思うわけですよ。
なんかこれは正義感とか平和主義なんですけどその平和がいいなみたいな人類みんな兄弟で争いやめようやみたいなそういう世界観ではなくて僕はあくまでもどう言ったらいいんだろうな。
倫理的な道徳的な優しさ的な観点で争いがなくなればいいなとだけ言ってるわけではないんですよね。
もちろんそういう観点もありますよ。なんかみんな仲良くすればいいのにっていうそういう観点もあるんですけどもっとそれ以上にとても非合理的でとても非効率的だなって思ってるんですよ僕は。
なんか例えばじゃあA君とB君の営業成績の争いで言うとA君の成績良かったらA君はやったーって言ってB君B君って言ってこうやったら成績伸びたからこの方法をシェアするからB君もこの方法を試しにやってみなよって言えばいいしB君はB君でA君すごーいみたいなそんな伸びてるんだったら教えてよみたいなちょっと一緒に高め合ってお互い成績伸ばしていって
分かんないけど給料上げていこうぜなのかこの仕事をやることでもっと社会を良くしていこうぜなのかなんかこうもっと数字を上げることを楽しんでいこうぜなのか分かんないですけどそういう誰とも食い合わないみたいなモチベーションの中で普通に協力し合って高め合えばいいわけなんですよね。そこに勝ち負けっていう概念別にいらないじゃないですか。
例えばじゃあ僕コテンと競技をしてますけどコテンがバーンと行くと別に負けたなとか思わないわけですよねコテンに対してコテンがバーンと行ったことによってコテンラジオがもっといろんな人に聞いてもらえるようになるなってことがあるわけですよ。
コテンラジオがバーンといったらポッドキャスト業界がもっと盛り上がるなっていうのがあってそうすると生まれているポッドキャスターたちがもっと世に出るかもしれないしそれによって今までの世界だったら耳に届かなかった情報が耳に届く人が増えてこれで幸せの総数が増えると僕は思ってるんですよね。
でもなんかここでコテンラジオに負けた悔しいみたいな世界観が入ってくるとなんか勝ち負けみたいな世界観で戦わないといけなくなるみたいなものがとても嫌なんですね。
何故か嫌かっていうとさっき言ったようにA君とB君の例がわかりやすいんですけど影響成績。情報シェアして高め合った方が2人の影響成績の相和って上がるわけですよ。
でも争いっていう世界観になるとA君がやった成功のための方法をB君に隠すみたいな世界観になるじゃないですか。
これ両方損してると思うんですね。だってそうするとB君の成功した体験だったり逆に失敗した体験がA君に隠されることになるから結局情報の相和って2人とも足した時に少なくなるわけですよね。
これって世界にとっていいんやったっけみたいな感じなわけですよ。
勝ち負けよりも協力し合う世界
これが至る所で起こってるなっていうのを僕は思っていて、どうか上でも協力した方がその双方を含む経営全体の利益っていうのが上がると僕は思っているわけですね。
まずそういう基本的なベースがあります。
その中で勝ち負けて生まれてしまうわけですよね。さっき言ったらA君の方が成績いいB君の方が成績いいみたいなことが生まれた時に僕は勝つっていうことを知ったかどうかだと思うんですよ。
勝つをするって僕はこの間ツイッターに書いたんですけど、いえい勝った、うわぁ負けたってことを認識、そういう世界観で認識するかどうかだけだと思うんですね。
そうなんですよね。だから認識次第だと僕は思っていて。
だから状況的に客観的に見るとデータとして勝っちゃってる負けちゃってるっていうことは何かをやってる限り数字がこの世にある限りしょうがないと思うんですよ。
でもそういう世界観で捉えるかどうかだけだと思うんですね。
それさえしなかったら何も悲願みも生まないし、その優越感とか劣等感も生まないわけですよね。
僕はそういう世界で生きていきたいなって思っています。
とはいえ幼少時代から今まで思い返したときに勝ち負けっていうものがモチベーションになってなかったかというとやっぱりそうなってた時代もあるわけです。
特に10代20代の頃って人に勝ちたいっていうモチベーションがとても自分を振り立たせていたし、
なんか手を取り合って競技をして情報を共有し合うよりもただただあいつに勝ちたいみたいなことで力が出ていた時期もあるわけですよね。
そっちの方が最終的に自分のパフォーマンス上げれてたっていう時期もあるから、
僕が番人にとって勝ち負けっていう世界観をしない方がいいと思ってないと。
勝つことをしない世界観
逆にこれをやっちゃうと勝ち負けの世界観っていうものに勝たないといけなくなるっていう構造的になるんですね。
だから僕はそれをしたくないなと思っていて、
そういうことは僕にできることっていうのは勝つっていうことをしない、負けるっていう世界観にいないっていうことを
とにかく自分だけでも個人的なレベルでずっとやり続けるしかないなっていうのを今思ってるんですね。
僕はそう思ってます。
逆に言うと勝たなくていい状況や働き方に身を置き続けることが必要だなって思ってるんですよね。
ってことは勝たないといけない状況、世界観っていうのはあるわけですよね。
分かりやすいのはスポーツの世界ですよね。
スポーツの世界に関して言うと勝ち負けっていうことを明確にしてそれを争うっていうエンターテイメントだから
これは僕はいいと思ってますと。
将棋もそうですよね。
でもここに勝ち負けっていう概念を出さないと面白くないから。
逆に言うと一般生活の中で人と戦い合う、殴り合う、殺し合うみたいな欲求をスポーツや格闘技の中に押し込めて
その中でその欲求を満たすっていうことをやってるのがいいと思うんですよね。
つまり人間は勝ち負けっていう欲求を完全に捨てることはできないから
それを擬似的にスポーツやゲームや格闘技で満たしてるとも言えるから
その世界っていうのだけはゴリゴリに勝ち負けはあっていいと僕は思ってます。
むしろその欲求を満たしてくれてありがとうございますって言ってるんですよね。
だから逆に言うとそこで満たすことができるんだったら現実世界で満たさなくていいと思ってますと。
覚えて
じゃあその満たさなくていいのに満たさないといけない状況ってあるよねと思って
これは僕はイストリゲーム的な仕事の仕方をすると絶対構造的にそうなるなと思ってるんですね。
例えばマーケティングをするときに地域のリソースを奪い合うみたいな
さっき言ったような地域っていうものをターゲットにして
飲食店が他の店から奪い合うみたいなことをやっちゃうと
これはイストリゲームになっちゃうじゃないですか。
じゃあどうするかっていうと今まで飲食店に通ってなかった層をどうやったら取れるかとか
あとはこの地域にない人のニーズをどうやって満たすかみたいな
新しいマーケットを開拓するみたいな考え方でやると奪い合いは起こらないと思うし
具体的に言うと僕は広告音楽を作るときにそれをやってましたよね。
テレビCMとかWebCMの広告代理店から降りてくる広告音楽っていうものってかなり枠が決まっているから
そこで戦うと奪い合いになっちゃうから
じゃあ全然違うところにマーケットがあるんじゃないかっていうところで
例えばお笑いかける音楽っていう場で僕は可能性を見出す活動をやったりとか
実際そういうことをしてたのでそっちが楽しいなと。
だから椅子取りゲームが辛いんやったら椅子を増やすゲームをやったらいいんじゃないっていう僕はことなんですけど
まあまあ一個そういうことはありますと。
であともう一個は構造上一個しか正解がないっていう考え方を選ばないっていうのはありますよね。
宗教と構造的な攻撃
でまあいいや僕はキリスト教の話を聞いたときになるほどなと思ったんですよね。
なんかこれ一神教は拡大するみたいな話があって
でこれ何でかっていうとこれ何で見たんかな
片厚彦さんがやってた宗教の話みたいな
ちょっと何で見たか忘れたんですけど
一神教って構造的に他の宗教を攻撃しちゃう性質があるよねと
だから一神教って世界にめちゃくちゃ広まったっていう説があって
これなるほどなと思ったんですけど
多神教と多神教って攻撃し合わなくて済むんですよね
なぜならAの宗教の多神教が1番の神2番の神3番の神っていうのがいて
でBの宗教の神が3番の神4番の神5番の神っていうのがいたとするじゃないですか
3番の神は共通してますと
ただ1番に2番4番5番の神ってお互いの宗教にはお互いいないわけですよね
でも多神教だからそういう神いてもいいよねっていう感覚になれるわけですよ
はいただですね
これが一神教の場合は私の神が絶対っていうことが崩れると
そもそも信仰の基盤が崩れるわけですよ
だから私の神以外は絶対ではないっていうことに理論上なりますよね
ってことは私以外の神を信仰している宗教が目の前にいると
回収を強制せざるを得なくなるっていう構造的な問題があるわけですよね
構造的に攻撃せざるを得ないっていう状況があるっていう
なんかこれそもそもいろいろ破綻してるなっていう僕は思っちゃってるんですね
これは別にキリスト教自体をとか
あとイスラム教もそうか一神教の宗教すべてを別に何て言うんですかね
否定するもんじゃないとは思うんですけど
それはそれで成り立っているから
ただそれをやっちゃうと一人ゲームっぽくなるから
戦わないスタンスの重要性
僕の根本的なスタンスに合わないなって思ってるだけで
宗教自体を否定するもんじゃないと思ってて
僕が選ばない理由を今説明してるだけですからね
っていうのがあるから僕は徹底的に戦わないっていう方に一票を投じたいし
自分自身戦わないっていうことを結構確保してやらないといけないなと思ってるんですよね
でもなんか実際こう戦って勝つっていうのは気持ちいいわけです
将棋に勝つっていう時にやっぱ気持ちいいドーパミンがボロボロって出るっていうのは否めないので
だからこれは普段から意識して戦って勝とうとしてるなと思った時に
やっぱ第三者の僕目線で今僕は戦いに勝とうとしているなって
ずっと監視アプリを立ち上げとくぐらいのことしかできないなっていうのを改めて思ったっていうそういう風にございます
19:43

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