1. 日々、駐妻。
  2. 05 - あなたが誰かをジャッジ..
2023-08-17 13:45

05 - あなたが誰かをジャッジするとき、あなたもジャッジされている。

聖書は奥深いな、と思っています。


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日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の生活で感じたこと、驚いたこと、考えたことなど、ありのままお伝えするポッドキャストです。不定期ですが、たくさん配信しようと思っているので、よかったら番組をフォローしてもらえると嬉しいです。
この夏から、聖書を少し勉強し始めました。聖書を勉強するってどういうことかというと、皆さんご存知の聖書がありますよね。いろんなバージョンがあるんですけど、それを先生と一緒に読んで、これはどういう意味かということを学んでいくということですね。
もともと聖書というかキリスト教にすごく興味はあって、ただの好奇心ですよね。日本で普通に生きていくと、軽減なキリスト教徒の人に会うということもあんまりないし、テレビで見聞きするクリスチャンについてはそんなに深く知るわけでもないし、でもアメリカに来て、そこら中にクリスチャンがいるわけですよ。
特に私の住んでいるテキサス南部の方は、かなり軽減なキリスト教徒が多いと言われています。それで、知り合うアメリカ人たちが結構しっかり神を信じている人たちだったりして、
そういう人たちがまたすごい良い人というか、義務の精神に溢れてたりして、ちょいちょい良いこととか素敵なこととかしてくれるときに、ゴッドの名前を出したりするわけですね。彼らのこの良さみたいなところが、クリスチャニティ、キリスト教に由来しているのかなと思って。
また彼らが神について語るときのその真摯な眼差しとか、真剣具合みたいなのを見て、そこまで神というものを確信して信奉することができるって、どういうことなんだろうって、すごい気になってて。
それで、知りたいなと思うもののきっかけがないみたいな感じだったんですけど、たまたまのESL、English as a Second Language、英語を学ぶみたいな機会のときに、その題材として聖書が出てきて、もっと知りたいなみたいなことをESL主催しているおばあちゃんたちに言ったら、
よかった、教えてあげようか、みたいな感じで今教えてもらっています。
この聖書を学ぶということを英語でバイブルスタディって言うんですけど、バイブルスタディは、私みたいなクリスチャンじゃない人が聖書を学ぶみたいなものだけではなくて、クリスチャンの人、キリスト教徒の人もずっとやり続けているんですよ。
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何十年もずっとクリスチャンで毎週日曜のミサに行って、みたいな人も今でも学び続けるみたいな感じで、バイブルスタディはクリスチャンじゃない人とか、クリスチャンになって日が浅い人とかのためだけじゃなくて、割と日常的にたくさんの人が行っている行為なんですね。
運良く、知り合ったアメリカ人のおばあちゃんと、そのおばあちゃんの友達のユダヤ人のおばあちゃんも加わって、先生二人に生徒私だけみたいな素晴らしい機会に恵まれて、この夏勉強しています。
この学んだこととかは、ノートに今下書きで書いてて、このエピソードがリリースされるのが早いか、そっちのノートが出るのが早いかわからないんですけれども、すごい学びが多くあるので、どんどんアウトプットしていきたいなというふうには思っています。
ちょうど今日はバイブルスタディ、ちなみに私たちバイブルスタディじゃなくてバイブルトークって言ってるんですけど、これは単純におばあちゃんがそういうワードを使って、それいいねってなって、バイブルスタディほど重く深くない、もちろん私たち真剣にやってるんだけども、いろんな話をしながらライトに学ぶみたいなことでバイブルトークいいなと思っています。
今日学んだことでね、めっちゃグッときたことがあって、それはjudging othersっていう章なんですね。
judging othersは日本語に訳すと、judgeっていう英語が結構日本語に翻訳しづらいなって思ってます。
judgeするって直訳すると判定するとか判断するとかなんですけど、don't judge meみたいな、私のことを判断しないでみたいなのは、どっちかっていうとjudgeするっていうのはちょっとネガティブな印象があって、
批判するじゃないけど、あなたってこういうとこ良くないよねみたいな、決めつけて判断するみたいなニュアンスがjudgingに含まれていると思います。
ズブの仕事なんで、翻訳のあんまり当てにしないでほしいんですけど。
judging othersと他人をジャッジするという章があって、そこに書いてあったのが、ひとまずジャッジするなと。
あなたが誰かをジャッジしたら、神もあなたをジャッジする。
この一文ってめちゃめちゃインパクトがあるなと私感じてて、私別にクリスチャンじゃないし、言うなれば神様を信仰してるわけじゃないんだけど、
あなたが人をジャッジした時、神もあなたをジャッジするって言われるプレッシャー。
そうか、みたいな。私も神にジャッジされるんだってこの一文めちゃめちゃいいなと思って、そうだよねと。
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私が誰かをジャッジしたら、誰かも私をジャッジして、要は神も私をジャッジするよねって、
すごい抑止力としてこれ以上最大なものがないみたいな感じがするんですけど。
要はここの章では、あなたが人をジャッジする時、人もあなたのことをジャッジするし、
あなたが誰かのことをジャッジするそのものの見方、考え方であなた自身もジャッジされると思いなさいよっていうことが書いてあって、
それやだなってシンプルに思ったんですよね。
本当に人間ってわがままっていうか、人のことそういう目で見るくせに、
同じ目線で自分が見られるのをやだっていうことがありえるんだなって身につまされて。
なんで身につまされるかっていうと、本当に直近にそういう出来事があったっていうか、
夫が出張でフランスに行くかもしれないっていうことをこの間告げられて、
その間おまんおっぺかみたいに考えてたら、いやいや一緒に遊戯王もつけて家族旅行でフランスに行こうよって言われたんですよ。
めっちゃいいじゃん。なんでそれ思いつかなかったんだと。ありがとう。一緒に行こうってなって。
しかも幸いなことに夫が同じチームで働いているすごく仲良い同僚がフランス人で、
私もフランス人の彼の奥さんとめちゃくちゃ仲良いんで、家族ぐるみな付き合いなんですよ。
奥さんと私だけでお昼ご飯食べるとかもしょっちゅうだし。
で、その仲良し夫婦がなんとフランスに今ね、バケーション滞在中なんですよ。
で、その夫が出張で行くその出張先の場所も彼らの滞在している彼らの町に近い。
しかも彼らはエアビーを、民泊をね、運営していて、その運営している部屋を私たちただで使っていいよとまで言ってくれているので、
もうなんか願ったりかなったりみたいな。
もうまさかフランスに行けて、しかも夫の料費はね、会社負担で行けて、
しかも仲良い夫婦がフランスに今行って案内してもらえて、しかも彼らの部屋を借りれると。
彼らの家に泊まるとかだと若干の気まずさとかあるかもしれないけど、
彼らが普段は他人に貸している家なんで、完全独立した家で、本当ありがたい話ですよね。
でもそこに滞在中に、要はうちの夫は仕事に行かなければならないわけで、
ということは何日かは私と娘は暇ですよね。
それと同時に夫の同僚のフランス人の彼も一緒にその出張には行くから、
彼の奥さんも暇であると。
そうなった時に私たち仲がいいんで、私と娘と奥さんと3人で遊べばいいじゃない、みたいになるわけですよ。
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それは全然ウェルカムなしにしたいと。
その時にその夫がフランス人の同僚と話したんだけど、
3人でパリに行って、何日か3人でステイして、
おしゃれなカフェに行くなり、ショッピングに行くなりしてきたらって言ったんですよ。
彼がそう言ったのには理由があって、
うちの娘が学校でフランスについて勉強したことがあって、
その日以来うちの娘がエッフェル塔に夢中なんですよ、何か知らんけど。
エッフェル塔がすごい好きで、エッフェル塔見てみたいな、みたいな言うし、
私と夫は学生時代にパリに旅行に行ってエッフェル塔見たことあるんで、
お父さんとお母さん見たことあるよ、とか言ったら、
え、なんで私はその時いなかったんだ、私も見たい、みたいな感じだったんで、
彼が、私の夫が娘がエッフェル塔を見たら喜ぶだろうなと思って、
パリを提案したっていうのはすごくわかるんですけど、
私と娘と奥さんと3人でパリに行って、
おしゃれなカフェとかショッピングとか楽しんでいきなよって言われたことが
めちゃめちゃ違和感があって、
なぜかっていうと娘と一緒にカフェやショッピングを楽しめたことなんて
あったか、うちらってことなんですよ。
もちろんショッピングもしたことあるし、カフェにも行ったことはあるけれども、
いつもそれは3人で、3人っていうのは私と夫と娘で、
で、私か夫のどちらかが娘の面倒を見ている間にもう一人が楽しむみたいな構図なんですよ。
だってお店、おしゃれな店とか行って娘が走り回ったり物とか触るから、
もう片方がずっと娘つっきり見てて、もう片方がその間に見る。
で、また後退するって感じですよね。
カフェでも娘の相手したり食べさせたりして、もう片方がちょっとゆっくりするみたいな感じで、
そこに夫なしに私と娘と奥さんといた時に、
その奥さんには面倒を見てよとは言えないですよね。
私買い物したいから、あなたちょっと見ててくれるとか言えないんで、
そうなったらもう全然楽しくないわけですよ、ショッピングもおしゃれも。
それを何日もやれと。
しかも朝から晩まで、朝も夜も、
私たちパリに出てたらもっとは仕事があって別の場所にいるから一緒には来ないわけなんで、
どういう考えでパリ進めてきたん?って思ったんですよ。
え?お釈迦セットショッピング全然無理だけど?みたいな。
めっちゃ腹立って、はぁ?みたいな。
なんか、自分ずっと一緒に子育てしてきたのにそこの予想ないの?みたいになって、
うわぁってして、はぁ?みたいになったんですよ。
それで普通に言ったわけですよね。
いや、カフェとかショッピングとか楽しめたことないけども、みたいな。
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そんな二人きりで。
で、これが私は彼をジャッジしてたかなって思うんですよ。
なぜそんな風に考えるのかと。
私たちのことをもっと考えたのかと。
で、それは私はジャッジした上に口にも出して、
それからそう言われてイラーって思いっきりしてて、それから態度が悪くなったんですけど、
私は何を態度が悪くなったんねんぐらい思ってたんですけど、
まあじゃあ、私が彼をジャッジしたやり方で、私がジャッジされたいかっていうと、
されたくないよな、みたいな感じなんですよね。
わがままですけど。
やっぱまずは我々のことを考えてプランを立ててくれたことに感謝した方が良かったし、
それは難しいんであれば、他にどうしたいかみたいなことを言うべきで、
彼を非難するべきではなかったかなっていうふうに思って、
この聖書のジャッジアドレスを読んで、まずそれが浮かんだんですよね。
こうやって自分に起きた事象を、ある意味ちょっとメタ的に違う角度から見て、
あ、こういう事象が起こってるなっていうふうに考えられるのは、
バイブルトーク、バイブルスタディの良いところだなっていうふうに思っていて、
本当に謝るか、みたいな感じになってるんですけど。
今日のバイブルトークで学んだのはこのジャッジアドレスでして、
聞いてくれている人の、なるほどな、みたいなことに繋がったらいいなと思ってアウトプットした次第です。
おしまい。
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